第32話

────「お帰りなさい!どうでしたか海は?」


 私達を待っていたかのように顔を出した奥さんは、二人を交互に見つめ楽しそうに口を開いた。


「眺めが良かったんでつい長居しちゃいましたよ」

「そうでしょ。もっときれいな夕陽だったら良かったんですけどね~。私達も時々見に出掛けたりするんですよ。こんな歳だから恋人同士なんて大層なもんじゃないですけどね」


 そう言い終えるや恥ずかしそうに笑った。


「でも、お客さん達のような方にはうってつけの場所じゃないですかね」

「うってつけ!?」


「ええ。あそこの浜で夕陽を見ながら誓い合った愛は必ず成就するって言い伝えがあるんですよ。それで私も今の主人とね~」


「おい!おい!また古い話を持ち出して~!」 


 部屋中に聞こえるかの声に奥の主人も堪らす反応したようだ。返す言葉も見つからず私達はただただ笑うだけだった。


「おばぁちゃん!──」


 孫の声なのか慌てて可愛らしいエプロンを纏った奥さんは奥へと消えてゆく。



──「本当なのかしら?」


「え!?」

「あの奥さんが言ってたこと。成就するって!?」


「あ~。奥さんたちは成就したみたいだな」

「私達は?」


 恵理香の行く末を知りもしなければ、気の利いたことも言えたかもしれないと、しばし考え込んでいると、


「ごめんなさい。つまらないこと訊いちゃって」


 さばさばといった後で笑みを浮かべた。


「腹減ったな。飯でも行こうか!」


 漂い始めた匂いに誘われるように私達はシャワーを終えた後で、案内されるままテラス席へと足を運ぶ。気分はすっかりリピーターだ。だとすれば一組だけ居る二人連れもリピーターということになるか。


 腰かけるのとほぼ同時に料理が運ばれてくる。それに目をやりながら私はテーブルに置かれた小さいメニューに目を向けた。


「せっかくの旅行だから一杯飲もうかな」戻って行く奥さんにグラスビールを一つと一声掛ければ、珍しいという顔を恵理香は見せた。


「これでも一杯ぐらいならいけるんだぜ」

「初めて聞いたわ」


 ボソボソッと交わした会話は近くの二人には届かなかったようだ。何事も無かったかのように食事を摂りながら話を続けている。恵理香には体裁の良いことを言ってはみたが、本当の理由はグッスリ眠るためだ。あれだけ遊んでのアルコールだ。熟睡は間違いないだろう。


 ビールはすぐに届けられた。思っていたよりもグラスは大きかった。琥珀色の液体の上に柔らかそうな泡が乗っている。いつ以来だろうかと、ゴクリと一口飲んだ。苦味を伴った炭酸が喉を焼くように胃袋に流れ落ちてゆく。思わずフーッと息を吐き出した。


「美味しい?私も少しもらおうかな」と差し出すグラスを手に取り少量だけ口に運ぶ。そして、聞こえないように息を吐き出す。


 見つめ合って笑い出そうとした時、不意に視線を感じて二人連れの方に目をやると、ちょうど男性と目が合った。散歩に行った帰りに顔を合わせたのを先方も覚えていたようだ。


「こちらにお泊りだったんですか?」

「ええ。先程はどうも──」まずはどこにでもある在り来たりの会話だ。


「よくこちらにはお見えになるんですか?」

「そうですね。って言ってもまだ三、四年くらいか!?」


 相向かいに座る女性に尋ねるように声を出した。女性はちょっと考えるようなしぐさを見せてからこちらを向いてコクッと頷く。


 他愛もない会話が暗がりに消えかけた頃だった。


「あの~・・・・。失礼ですが、ご夫婦でいらっしゃいますよね?」

 

 と、恐る恐ると言った口調で男性が尋ねてくる。前回もそんなことを訊かれたと、


「ええ」


 躊躇いもせずに即答すると、


「ほれ見ろっ!」


 と、男性が女性に言い放った。恵理香と合わせるようにキョトンとした。


「いや、こいつがね。お二人がお忍びで来てるんじゃないかって言い出しましてね。俺はそんなはずはないって言ったんですが、絶対そうだって聞かないもんで。まったくワイドショーの見過ぎなんだよ!」


 男性の話に女性も照れ臭そうに苦笑を受かべる。


「でも良かったですよ!」


「良かった!?」


 男性の安堵とも言える声に理由をそれとなく尋ねると、


「いや、なんて言いますか──。お二人がご夫婦かどうかでちょっと賭けと言いますか」

「・・・賭け!?」


「ええ。それで私がめでたく勝利したってわけでして。景品は私の小遣いアップ!これで日々の生活が少し楽になるってもんですよ」


 男性は嬉しそうに言って手酌でビールをコップに注ぎ、美味そうにそれを一気に飲み干す。してやられたといった顔で女性は男性を見つめている。


 勝ってさらに機嫌も良くなったようで、男性はスッと腰を浮かして私のグラスにビールを注ぎはじめた。断る間も理由も無かった。一言礼を言って私はグラスを傾けた。そんな光景を恵理香は楽しそうに眺めている。逆に面白く映らないのは女性の方だ。


「アップって言ったってちょびっとですからね。ちょびっと!」


 人差し指と親指が今にもくっ付きそうなくらいの隙間を作って目の前の男性に言った。


「おいっ!そりゃ話が違うだろ~!?」

「別にいくらとは言いませんでしたよ」


「ったく!?──」


 それでも仲の良さは十分伝わって来る。私も恵理香も二人のやり取りを見て微笑んだ。これも何かの縁だと男性はすぐに瓶を手に近付いてきたが、私達のテーブルに目をやった後で、奥の方へと歩いて行き新しいグラスを持って来た。


「どうせならどうです?お二人で乾杯しましょうよ!」


 賭けにも勝ってアルコールも入って男性のテンションは上昇中だ。返事も待たずにグラスを置くと泡が盛り上げる程ビールを注いだ。


「あ・・・どうも」

「いや、私はビールはやっぱり瓶だと思うんですよ──。人によっちゃ生が良いなんて言う人も居ますけど──」


 相手の女性へのからかいも兼ねていたようで、女性の前には半分ほどの中ジョッキが置かれていて、すぐ脇には空のグラスが一つあった。



────「一杯どころじゃなかったわね」


 食事と会話を済ませてよろよろと部屋に戻ると、顔をほんのりと赤らめた恵理香が楽しそうに話した。


「結局、何杯飲んだんだろ!?」言ってはみたものの数などは浮かんでこなかった。わかるのはドクドクとする心臓の鼓動くらいか。頭もボーっとなっている。


 恵理香も酔いが回っているようで、部屋に着くなり手で顔を煽ぎ続けている。


「良く寝られそうだよ。あ~鼾掻いちゃったらごめんって先に──」


 ベッドに横になってそこまで言った記憶はある。その後は不明だ。


 目を開けたのは何時頃だったのだろう。時計を見る余裕も無かったが、恵理香はベッドに横になっていた。腹の中がグルグルと鳴っている。慣れないビールが腹に来たかと、片手で押さえながら私はよろよろと部屋を出た。

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