第28話

「そういえば胸が・・・小さかったか!?」


「もう~!何を言い出すのかと思えば、そんなところ見てるの?厭らしいんだから──」


 期待外れの答えに水月はプッと頬を膨らませた。


「冗談冗談!ちゃんと大きかったよ今ぐらい」


 その言葉に水月は目元をきらりとさせる。しかし、怖さよりも優しさが勝る目だ。


「それからこっちに戻ってきたら今度はもっと凄い水月が待っててさ~」


 思わずしみじみとした口調になった。


「凄い・・・わたし?」

「歯ブラシが近いだの、風呂を覗くなとか、退屈だから仕事に出ようかなんてこともそういや言ってたな」


 何一つ思い当ることが無いのだろう。聞いてる水月も唖然とした。


「あ・・・そういえば、ベッドのところのアレが無くなってるんだけど」


 フッと一つ笑いを漏らした後で、軽く首を振りながら、


「あれも水月が片付けろって」

「私が!?・・・・なんで?」


「なんでって──。こんなものを何に使うんだって。えらい剣幕でさ──。あ!そうだボクシングやってたのか水月?」


 次々出る話に水月はただ目を白黒させていたが、この時が一番驚いたようだった。



「ボクシ・・・。そんな知らないわ。誰が言ってたのよ?」


「誰がって、自分で話したんだぞ」惚けた素振りも私のこの言葉までで、


「もう~なんでそんなことまで話しちゃうかな。ずっと秘密にしてたのに」と言って顔を片方の手で覆った。


「秘密って!?」

「だって、お茶とかお華みたいに言えないじゃない。でも誤解しないでね。ダイエット目的みたいなので始めたのよ。それでやってたのも一年くらいで──」


 懸命に弁解するかの水月に向かって、私は両掌をあげて参ったというポーズを取って見せた。


「もぉ~そうやって」水月は口を尖らせてはいるが、これ以上踏み込んだりしたら本当に一発もらいかねないと、からかうのはここまでにした。それでもこんな空気が何よりも心地よかった。


「だけど──。良かった~」


 これですべてが元通りになったと吐き出せなかった心の奥底に溜まった息まで吐き出して天井を見上げれば、エアコンから吹き出す温かい風の音が耳に届く。うるさくも無く静かでもない。心地良い安らぎの音だ。そんな安堵は変哲もない音すら変えるのだろう。


 視線をそれから少し移動しカレンダーを眺める。


「ん!?」


 私はそこでちょっとした疑問に駆られた。


「ちょっとあのマル薄くなったんじゃないか?」


 十月二十二日が○で囲まれている。恵理香の命日だ。


「そう?元々薄い水性のペンだったから、少し褪せたのかしら?私には同じようにも見えるけど」


「そう・・・か。じゃ気のせいなんかな」


「あと二週間ね」

「そうだな」


 これでおきなく恵理香の墓参りに行ける。私の瞳の中に映し出される光景はどれも平和を感じさせた。そう、すべてが終わったのだ。


「そういえば、恵理香のところに行った時って夏よね。私どんな服着てた?」


 驚きっぱなしの水月も時間と共に安心したのか、女性ならではの質問を明るい口調で尋ねてきた。


「あ~、タンクトップ一枚に下は短パンだったよ」

「有り得ないっ!」


 そう言うなり私の脇腹をグイと摘まみあげる。そうだ。明日の朝いちばんで水月の話を圭ちゃんに聞かせてやろうと私は痛みに笑いを織り交ぜた。



 翌朝になっても水月の機嫌も普段以上に良かった。


「いってらっしゃい」と声を掛けた後で、顎を少し上げて唇とクイっと突き出す。こんなことをするのは珍しいと思いながらも、機嫌の良かった私はそっとその唇に触れた。


 足を一歩外へと踏み出せば肌寒い風に全身がひやっとするが、それですら心地良さを感じさせてくれる。


 滲み出る安堵と幸せは圭ちゃんにもすぐに伝わったのか、


「水月さんの機嫌直ったみたいですね」と表情から私の心中を察する。これも長年連れ添った呼吸なのだろう。


「ようやくな。今度智ちゃんも一緒に飯行こうって話してたよ」

「そうですか~!」


 圭ちゃんもホッと笑みを零す。


 楽しそうな話し声に誘われるかに、朝っぱらから浅利も顔を見せた。手には小さな小箱を抱えている。


「おはようございます」


 定番の挨拶を済ませると、浅利は小箱よりも先に、


「なんだか今朝は一段と盛り上がってる感じですね」と二人の顔を交互に眺めた。


「実は昨夜、久々に浅城に行ってさ~」

「え?走りに行ったんですか?」


「そう!今でも圭ちゃんのテールが見えるようだよ!」

「え!?ってことは二台で行ったんですか?」


「そ!もうテールトゥノーズで、こんなんだから」


 私は親指と人差し指で五センチくらいの隙間を作ってみせた。


「それって下りでしょ!しかも前は島田さん!」

「さては、どこかで見てたな?」三人の笑い声が冬の冷たい空気の中に広がった。


「そうだ。今度は俺も誘ってくださいよ!」


 浅利はすっかり仕事のことを忘れてしまっているようだった。


「ロードスターかぁ~・・・・」渋い声で言ったのは圭ちゃんだ。

「国産だからダメですか?そりゃ~ちょっと見劣りしますけど・・・」


「いや、そんなこと言ってませんよシジミちゃん。軽量でコンパクト。戦闘力高いからな~。下りじゃ着いていけないし、上りだって下手すりゃ──」


 何か考え込むように圭ちゃんは腕を組む。


「またそうやって~。別にバトルしようって話じゃないですから。それにこの間はこれだって言ってたじゃないですか」


 浅利は二の腕辺りをポンと叩いて見せる。


「あれ?そんなこと言いましたっけ?」


 さらに考え込むような圭ちゃんに浅利は呆れた笑いを浮かべた。


「それはそうと、何か持って来たんか?」

「あっ!」


 私の一声にようやく浅利は仕事のことを思い出したように、手に持った箱を開け始めた。


「新商品ってよりも試作品なんですけどね。二人にちょっと感想というか」


 取り出したのはギアを入れる際に握るノブで、前回浅利が持って来たやつに似ていた。


「それこの間持って来たやつだろ」

「いえ、違うんですって。よく見てくださいよ。中の粒子が大きいでしょ」


 どれどれと圭ちゃんと私はそれを手に取って眺めた。


「確かに存在感が違いますね島さん?」

「粒子ってよりも粒って感じだな。で、売るとしたらいくらぐらいなんだよ?」


「たぶん三万円くらいになるんじゃないかって──」

「三万!?」思わず圭ちゃんと目を合わせた。


 その直後、


「あれ!?島さんどうしました?」

「なんだか値段聞いて腹もビックリしちゃったみてぇ~」


 そう言って手に持っていたキラキラと輝くノブを圭ちゃんに手渡し小走りで奥へと向かう。


「昨夜はアサリは食べなかったはずなんだけどな~」


 背後から独り言のような圭ちゃんの声が聞こえた。

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