第27話

「おかえりなさい」


 ついビクッとして私はゆっくり振り返る。


「あ‥ごめん。ちょっと遅くなっちゃったな」


 奥の六畳間から明かりが届く、はっきりと顔は見えないものの、出迎えるようにパジャマの上にカーディガンを羽織った水月が立っていた。


「電話してくれたから別に構わないけど」


 そう一言呟いてから、水月は私に近寄って服の匂いを嗅いだ。


「汗・・・臭いだろ?」

「そう・・・ね。でも女性の匂いじゃないからいいわ」


「そ・・・っか。先に寝れば良かったのに」


 水月は軽く首を振ったあとで、



「あ‥。和也さんお風呂入れるけど」


 その言葉を聞いた途端、私は目を見開いた。


「い・・・今・・・なんて?」

「え!?お風呂入れるって」


 じっと水月の目を見つめた。


「なに?顔になにかついてる?」

「俺の名前・・・・」


「・・・和也さんって。他になんて呼べば?あなたなんて呼べないわよ。恥ずかしいから」


 平手打ちをもらうかもしれない。だが、そんなことは構わなかった。私は餌に食らいつく獣のようにパッと水月を抱きしめると唇を合わせた。勢いが良すぎて一瞬だけ互いの歯がカチッと当たった。それでも予期せぬ出来事に戸惑ったのは、ほんの僅かな時間だけだった。


 水月はそれでスイッチが入ったかのように首に手を回し激しく唇を合わせた。着ているカーディガンを瞬く間に脱がせ、パジャマのボタンを外す。唇を合わせたまま何かのダンスでも踊るかのようにベッドのある部屋へと進んで行く。そして、そのまま二人でベッドに倒れ込んだ。


 中断したのは、私が上半身の服を脱ぎ捨てる間で、その後はまたすぐに顔を寄せる。唇から首、そして胸元と私の唇が移動していく。その都度水月は声にならない声をあげた。


 拒否どころか水月もそれを待っていたかのように、手を掛けると腰を浮かせた。タバコを箱から抜き取るよりも早く、一気にずり降ろすと私も履いていたズボンを脱ぎ捨てた。準備は万端。水月の身体からそんな台詞が聞こえてくるようだった。


 何か鬱憤でも溜まっていたかのように私は水月と激しく交わった。瞬く間に身体は熱くなり、それまで以上の汗の匂いが六畳の部屋を漂った。


 声を押し殺してた水月も我慢が出来なくなったようだ。普段聞けない声をあげた。それがまた私の気持ちを高ぶらせて身体に鞭を入れる。隣に聞こえる等とは微塵も考えなかった。



 どのくらいの時間を要したのだろうか。水月の身体が視界の中から消えると、高まっていたメーターが一気に低下していくのを感じた。しばしその格好のまま荒々しく呼吸をして、やがて水月の隣に撃たれたガンマンのように倒れ込んだ。


 水月の呼吸も乱れたままだ。



「ごめん・・・・決めたのにな」


 息を整えるようにポツリと呟いた。


「ううん。でも・・・・半分は守ってくれたんじゃない!?」その声には怒りの色は無く、あるとしたら少しばかりの驚きだろうか。


「風呂・・・行くよ」


「そう‥ね」水月はお腹の辺りをティッシュで拭いながら言った。


 私は何も着けないままヨタヨタとした足取りで風呂に向かうと数回お湯を浴びてから湯船に沈み込む。帰りが遅くなることで追い炊きしてあったのか、いつもと同様な温度だった。


 一通り洗って出ると洗面所には着替えが用意されていた。それを着てDKへ出ると水月がコーヒーを淹れているところだった。


「どうせ淹れてくれって言うだろうなって」

「フッ‥。気が利くね」


 頭をタオルで拭きながら私はソファーに腰を下ろした。合せたように目の前にコーヒーが運ばれる。カップは二つあった。


「何かあったの?」

「何か!?」


「なんだか今日はいつもと違うような気がしたから」

「・・・そうだな」


 と、私は一口コーヒーを飲んでから溜息のように声を出した。


「なに?」


 水月の問いかけに私はつい最近起こったことを振り返るようにして話して聞かせた。



「私が!?」


「ああ‥‥。参ったよ。すっかりやり込められちゃってさ」思わず苦笑が漏れた。

「あっちでもこっちでもだからな──」


「初めて会った時のような感じ?」

「あれよりもきつかったかな~」と水月の顔をじっと見る。


「今は違うでしょ?」何かを思い出したのか、ほんのりと顔に恥じらいを浮かべた。

「そう・・・変わったな」


「あの頃は恵理香を心配するあまり、ちょっときついこと言っちゃったかしらって思うけど、女って付き合う相手によって変わるもんですからね」そこでまた以前の記憶を手繰り寄せ、


「恵理香のところへちょうど行った時かしら。追い返されて・・・外で待ってて──」


「いや、それが恵理香のところに来たのはお父さんなんだよ」


「お父さん!?」


 音信不通の父だ。水月が驚くのも無理はない。


「ど‥どうして?」

「それを訊きたいのはこっちの方さ。それからファミレス行って、娘をオモチャにしたからって金をせびられたよ」


「お金を!?・・・・」


 実際の父親がどんな人間なのかは全く知らない。思い当たるのか当たらないのか水月の表情からは読み取れなかった。


「それでトイレから戻ってきたら今度は水月が待っててさ──」


「凄い展開ね。だけどそれって私によく似てる人とかだったんじゃないの?」


「さすがにそれは・・・・。いや・・・待てよ」



 何となく呟いたことが当たったのかと、水月は私の眼をじっと見た。

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