第26話
その日の夕方、水月に電話をした。繋がると同時に一喝もらうのではと思ったが、わかったというだけで通話は数秒足らずで終わった。その雰囲気から一戦交えるのは帰宅してからなのだろうと吐息を漏らした。
適当に食事を済ませてから私達はBMを連ねて走り屋に人気のある浅城山へと繰り出した。走り屋が出没するのは夜中が多い。そんなことも知っているので早い時間帯を選んだ。
圭ちゃんが前で私が後ろだ。
峠道へと続く長い直線に入ると、やや勾配がきつくなってエンジンの回転数も上昇し、街中では聞かれない音が耳をくすぐり始める。それでもまだタコメーターの針は真上辺りを彷徨っている程度だ。
途中にある観光用の駐車スペースに一旦車を止め、温かい缶コーヒーで暖を取る。
「ここまで来ると一段と寒いですね」
「思ってた以上だな。こんな夜に来るなんて俺達だけか?」
がら空きの駐車場を見て私は声と身体を震わせる。
「空いてるから楽しく走れますよきっと」
「そうだな。じゃ御手並み拝見と行くか」
私の言葉に圭ちゃんはニヤリと笑って車に乗り込んだ。私も乗り込む。車内はヒーターで温められていて、こわばり始めた頬と身体が緩んで行く。
窓越しに圭ちゃんが前に指を向けたのを確認して軽く頷くと、車高の下がった318がゆっくりと走り始める。私もそれを追うように続いた。すると、それを合図のように圭ちゃんのBMがスッと離れ、道路をトレースするように左方向に消えてゆく。
一緒に同乗していたのでは見られない光景だ。ワクワクする衝動が身体に駆け巡る。アドレナリンが少しばかり右脚に力を与える。タコメーターの針が踊り出す。まだまだ様子見の段階だ。私は圭ちゃんの後に一定の距離を保って続いた。
ハイワッテージに替えたライトが暗い峠道を照らし出す。聞こえて来るのはエンジンの音とタイヤのノイズだけ。こういうステージに音楽は不要だ。
五分ほど走っていくつものコーナーを抜けるが、対向車とは一台も擦れ違わず、後続車もない。今夜は貸切に近い状態だと私は口元の片方を上げた。
温まって来た感触を掴んだのか前のBMのスピードが増した。それに続けとレッドゾーン手前までアクセルを踏み込む。右に旋回する。そしてすぐ左と浅城山の道はタイトだ。
再びやや長めのストレート。勾配はあるので二速で引っ張る。三速に入れようか迷っていると圭ちゃんの車が右に旋回。私もそのラインを辿るように続く。
有り余るパワーは無いものの、使い切る楽しさをこの車は教えてくれる。ステアリングを回した分だけノーズが入って行く。半分以上にもなるとタイヤからスキール音が聞こえるようになってきた。温まって来たのだろう。コーナーに合せてハンドルを切り込んで行くと、前のBMが微妙にスライドしていくのがわかる。
「圭ちゃん、気合が入ってきたな」
と、照らし出されたテールランプを見つめる。無の境地の入り口にいるような感覚だった。
スピードレンジが増すにつれ、徐々に前のBMとの距離が開いていく。コーナーを抜ける姿勢に差が生まれるのか、踏み込んだところでその差は縮まらない。その理由は車高調だとも思ったりしたが、すぐに車を乗り換えたところで同じだろうと思った。まさしくこれは腕の違いだ。
真剣になる一方で私の顔は緩んでもいた。がむしゃらに飛ばすだけの年齢は終わった。今はこうして安全マージンを確保した中でも十分楽しさを得ることが出来ると、私は連続するコーナーを味わうように右に左にハンドルを切った。
頂上近くになったことを告げるかに、長めの直線で圭ちゃんのテールにハザードが灯る。
その数秒後に私は車を同じように停止させ、圭ちゃんの元へと歩み寄る。
「だいぶ離されちゃったな~」
「いや、そうでもないですよ。ちゃんとミラーに映ってましたから」
「そんなこと言ってホントは別のエンジンとか積んでるんじゃね~の?」
楽しそうに笑う私に圭ちゃんも目を細めた。
「それだったらもうとっくに見えなくなってますよ」
同じ318でこの状態だ。圭ちゃんの話はもっともだと心の中で相槌を入れた。
「じゃ、下りますか。今度は島さんが先ってことで」
「そうだな。くれぐれも煽らないようにお願いします」
突然の丁寧な言葉に圭ちゃんは顔を崩して、
「大丈夫ですよ。あまりに遅かったら抜いちゃいますから」と笑った。
それから四十分ほど経った頃、私達は『グッキーハウス』の駐車場に車を乗り入れた。
ドリンクバーで温かい飲み物を調達すると、窓際の席に舞い戻った。水銀灯に照らされた駐車場に二台のBMが並んで止まっているのが見える。
「久々に楽しかったよ」
「そうですね。俺も浅城行くの久々だったんで面白かったですよ」
「てっきり下りじゃ抜かれると思ったけどな」
「昔取ったなんとかって言うんじゃないですか。予想以上に早かったですから」
「そうかな~。それより智ちゃんの方は?」
「それを言うなら水月さんでしょ?」
話のネタは尽きないとばかりに私達は笑い話に花を咲かせた。いつか圭ちゃんには未だ話せない体験を伝えねばと思っていた。ただし、今はまだその段階ではない。いくら圭ちゃんと私の間柄とはいえ、あの不可解な話は一歩間違えば気がふれたのかと思われてしまう。
やがて、笑い話にでもなる頃に・・・・。
パーーーッ!
パッ!パーーッ!
同じ音色のホーンを鳴らし合い、ファミレスの駐車場から別れると、私は水月の待つ部屋へと向かう。すると途端に楽しかった一時が薄れ、身体を重苦しい空気が包み込んで行く。
信号で停止すると暗い視線の先にぼんやりと水月の顔が浮かんだ。物を言う目だ。すると、今度は入れ替わるように親父と名乗った男が映った。
あれが水月と恵理香の・・・・・。
四方や恵理香の元に現れるとは夢にも思わなかったが、どうやって家を調べたんだろう。いや、なぜ今になってひょっこり現れたのか。もしかしたら、本当に夢でも見ていたのではないかと記憶に残る映像を振り返ってみたりした。
もちろん答えなど出なかった。
アイボリーのヴィッツに一瞬目をやった後で、私は202号室を目指して歩いた。歩調はどことなく重く階段は一段が二段にも思えた。疲れているだけではない。音を立てぬよう鍵を差し込みゆっくり捻る。
扉を開けて足を踏み入れるとすぐに声が届いた。
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