第24話

(あれはZ3・・・圭ちゃん!?)


 そう思った途端、私の体内に電流が流れた。


(そうだ。圭ちゃんが事故にあったのは水月と会っていた・・・・今夜か)


 伝えれば事故は回避できる。ただ、それによってまた現在が変わる。想像すら出来ないだろうが、変えないでと懇願するのは目の前で睨みを利かす水月なのだ。様々な思いが目まぐるしく駆け巡った。それでも・・・・・。


「大事な話の途中で悪いんだけど」一言詫びて携帯を取りだすと私は迷わずボタンを押した。呼び出し音が二回ほど鳴って圭ちゃんの声が聞こえた。



「圭ちゃん!『グッキーハウス』の前通ったか?」

《え!?どこです?》


「『グッキーハウス』だよ。ファミレスの!」

《あ~グッキー。ついさっき通りましたよ。島さんその辺に居たんですか?》


「あ‥ま~。そんなことより、どこかへ行くんか?」

《え~。今日は久々に高校で一緒だった奴んところに行くことになってて──》


「そうか・・・」


 事故があったのは確か二時半ごろだったはず。つまりは帰る途中ってことか。楽しそうな声にまさか帰れとも言えない。そもそもどこで事故ったのか知らないので伝えようもないし、落ち着いて話をしてる状況でもない。


「くれぐれも気を付けて帰ってくれよ」


 後は無事を祈るだけと弱々しい声と共に通話を終えた。



「悪かったね」


 手持無沙汰を表現するかに水月はグラスの中の氷をストローで延々とかき混ぜている。


「出鼻をくじくというか、話を逸らすのがお上手なんですね?」

「別に逸らそうってつもりじゃ・・・」


「お店に来る早々、トイレに三十分も籠っちゃうし、その後は水でしょ。挙句の果ては電話って、これじゃ落ち着いて話も出来ないじゃない」


「申し訳ない」


 水月がそう言いたくなるのも当然だと私はテーブルに手をついて頭を下げた。


「それでどうなの?さっきの私の質問に対する答えは?」


 圭ちゃんとのやり取りで有耶無耶になってしまったのか、私はキョトンと水月を見つめる。


「聞こえなかったなんて言わせないわよ。別れるか別れないかって訊いたのよ?」


 苛立ったのか少々口調が強くなった。私はあわてて店内に目をやった。数人の目線を感じた。恋人同士が別れ話で縺れている。きっとそんな状況に映っているはずだ。



「これじゃ拷問だな」


 本心を顔に出して苦笑を浮かべると、


「拷問!?じゃ、もっと優しく言ってあげましょうか?お帰りになるのは御自宅?それともあの子のところ?」


 宿題でも忘れて廊下に立たされる方がどれだけ楽だろう。取り調べにも似た時間は一分を十分にも感じさせる。現在に戻って同様の水月が待っているのかと思うと、気分は滅入るばかりだ。


 近いうちに答えを出すという言葉でようやく見えない鎖を外された私は、気怠そうに非現実感の漂う我が家へと向かった。帰宅は十二時を過ぎていた。

誰もが寝ているのだと足音を忍ばせて家に入ると、ネグリジェ姿の真由美が私を出迎える。



「遅かったのね」


 小言の一つも言われるのかと思ったが、どうやら真由美は今のところ真逆の性格のようだ。それが私を少しばかり安心させた。ただ、真由美は寝ないで待っていた理由があったようだ。


 私がベッドに入るなり、いきなり上に覆いかぶさって来た。


「今夜はダメなんて言わせないから」


 鼻息と声が半々といった調子にそれとなく背中から腰へと手を滑らせると、ネグリジェの薄い生地以外は何も感じられなかった。上気した様子から違和感も特に抱かなかった。


 今しがたまで絞られた後だ。恐らく前回と同様に終わるのだと天井を見上げたまま、適当に相手をしてる素振りをみせていたが、今夜の真由美に諦める様子は微塵も無い。


 思いのすべてをぶつけるかに持てる術を駆使してくる。こんな時は勝手知ったる夫婦も考え物だ。夫の弱点を熟知したかのような攻撃にいよいよ白旗を上げんと反応してしまったのである。有り得ないと思いつつも成すがままだった。まるでベッドに寝転ぶ私がステージでもあるかのように、真由美は一人で踊り始めた。


 女とも獣ともいえる声とベッドの軋む音が部屋の中に響き渡る。やがて踊り子は衣装を投げ捨てる。淡い光に照らされた曲線と二つの肉の塊が私の視界でリズムを刻む。それがどこか新鮮にも見えた。


 これほどの体力をどこに隠し持っていたのかと、私はその恍惚とした表情に目を移す。参加はしているものの、観客の一人と化していただろうか。こうなると完全な独り舞台だ。


 一つのショーを見ている。そんな錯覚に陥りながらも、意識の大半が舞台上に注がれていくことで、脳内で彷徨う様々な思考も停止し始めていく。どのくらいの時間かはわからないが、こうして何か無になるひと時は有り難いものだとも思った。


 リズミカルなダンスのパターンは適度な演出が加味されたかに熱を帯びていく。

 

 しっとりと汗ばんだ身体から体温の変化が伝わって来る。終演に向かっているのだろうか、発せられる声の質も時間の経過と共に変わり始め、私の体内のメーターも上昇していくのがわかる。ここで中断したら水を差すどころか元の真由美に戻るのではないか。目を綴じ踊子を見るのを止めたのはそんな理由があったからだ。しかし、限界という二文字はどこにでもある。


 穏やかな波がうねりを始めた時だった。


 真由美は体の動きをピタッと止め、二度三度とガクガクッと震わせる。その瞬間、私の頭の中が真っ白に変わり、真由美は天井を見上げ大きな呻き声を息と共に吐き出した。


 ダムが決壊した様な状態が数秒続いた後、真由美はそれを合図のように私の上に倒れ込んできた。息が上がっていて試合を終えたボクサーを思わせた。


 私の頬に力強いキスが送られる。それが今宵の採点だったようだ。


 ステージから降りるや、私の隣に倒れ込み呼吸を整えている。言葉は何もなかったが、その息遣いからでも心の声が聞こえて来そうだった。


 展開こそやや予想外ではあったものの、一先ずこれでゆっくり寝られるのではないかと、横で寝息を立てはじめる真由美に心の中で感謝を述べた。


 とは言え、男の身体というのも不思議なものだ。精神的にも肉体的にもそれなりのダメージを負っているはずなのに、一向に眠りに着くどころか次第に目が冴えて来てしまうのである。コーヒーでも淹れてもらおうかと横の真由美を揺り起こそうとしたが、余程の熱演だったのか、すっかり深い眠りへと陥っていた。


 あられもない姿を横目に、私は脱がされたパジャマを羽織ってキッチンへと足を運び、インスタントコーヒーに目を向ける。エアコンの止められた部屋は既に気温が上がり始めていたため、気を取り直すように冷蔵庫から冷たい缶コーヒーを取りだしてプルタブを引く。


 一気に半分ほど喉に流し込んだところで大きく息を吐いた。すると記憶に新しい映像が脳裏に流れ始めた。一糸纏わぬ姿で踊る真由美だ。自分の妻というよりもそれが他人の女にも見え、思わず私は苦笑を漏らした。



「さて・・・帰るか」


 空き缶を調理台の上に置くと、私はトイレに向かって歩きはじめた。

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