第17話

 一時間だけとは言え、二度も昔に戻るのは今夜が初めてのことで、私としてもいつもと違う倦怠感に包まれていた。その為に目覚めた時の身体は異様に重く感じた。


 水月がまだ横に居た為、安心していたのだが、不意にベッドに置かれた時計を見て青ざめた。


「こ‥こんな時間かっ!」


 家が遠かった時よりも当然起床時間は遅い。それでも三十分もずれ込むと普段の朝は一気に忙しなくなる。


 慌てて飛び起きた後で、横に寝ている水月を揺すった。


「え・・・朝?」と声もけだるそうだ。


「ごめん・・・・ちょっと頭が重くって。ご飯もパンも無いから適当にコンビニで済ませてくれる?」


 昨夜の水月も心配で寝付きが悪かった。その上内容が内容だけに体調が思わしくなくなるのは当然かもしれない。起こしてくれなかったことを責める訳にもいかないと、私は急いで身支度を済ませると、玄関の壁に掛けられた車のキーを手にする。


 コンビニに寄ってもギリギリ間に合いそうだと、途中にあるコンビニに向けて左のレバーを下げる。


カッコン‥カッコン‥カッコン‥。


 と馬の蹄のような音が響く。慣れないうちはその音の大きさにビックリしたが、今は何ら違和感は無く、寧ろ心地よく聞こえるほどだ。


 パンは走りながらコーヒーと共に胃袋に流し込んだ。いつかこんな朝が訪れる時もと考えたこともあったので、特に怒りも驚きもしなかった。それが逆に良かったのか、職場の状況がどうなっているのか直前まで心配せずに済んだ。


 ただし、それも敷地に乗り入れるまでの話で、圭ちゃんの姿が見えた途端、心臓の鼓動が早まるのを感じた。


 いつものように右側に止める。ロードスターは無かった。


「おはよう」


 そう圭ちゃんに声を掛けてから、


「浅利は?」と尋ねる。


「シジミちゃんですか?」オヤッとした表情で圭ちゃんは答え、


「まだ来てないですけどね。ミーティング中じゃないですか」と隣の会社の方に顔を向ける。


 私としてはミーティングでも何でも良かった。圭ちゃんの一声が全てだった。


「なんか急用なんですか?」


「いや、別に用はねーんだけどさ」私は圭ちゃんの顔色を窺うようにじっと見つめる。圭ちゃんも見返し知らぬ間に数秒が経過した。




「島さん。まさか告るって・・・ことは無いですよね?」



 プーッ!と思わぬ答えに私は吹き出しながら頭を振った。


(これは紛れも無くいつもの圭ちゃんだ)


 ホッと胸を撫で下ろすも、安心したためか急に頭の重さが戻ってくる。


「そんな感じの目でしたよ」圭ちゃんも一緒に笑った後で、


「でも、ちょっと顔色が冴えないんじゃないですか?」と、もう一度まじまじと顔を覗き込んで来る。


「そう‥か」と頬の辺りに手を当て寝不足だったことを素直に伝えると、

「もしや・・・昨夜水月さんと?」


 圭ちゃんは以前にも見た覚えのある意味深な表情を浮かべる。


「そう言いたいとこなんだけどさ。水月も何だか調子が悪いって朝起きなかったんだよな」

「珍しいですね?」


 圭ちゃんにも実はことの次第を話そうか迷っていた。と言っても当事者の私が半信半疑の状態なのだから話したところでとても理解してはもらえないし、どう説明したらいいのかもわからなかった。


 そんな話をしている時だった。ミーティングでも終わったのか隣の会社から出てきた男がこちらに向かって歩いてくる。縦縞のワイシャツにネクタイ姿の浅利である。


「おはようございます」


 その口調とパッと見た感じから、こちらも私の知る浅利だとホッと息を吐き出す。小脇には小ぶりのダンボール箱を抱えていた。


「シジミちゃん。まだ何も頼んでないんですけど~」と、すかさず圭ちゃん。


「あ~これですか。新商品なんですよ」浅利は箱に目を落とす。


「新商品?」


「ええ。それでちょっとミーティングが長引いちゃったんですけどね」


 と、言った後で浅利は私の顔を見て、圭ちゃんと同様のことを口にした。私も先程と同じ答えを返した。


「水月さん・・・がですか」


 話の流れで耳にした名前に何かを思い出したように浅利は声のトーンを落とした。

 

 浅利には妹の恵理香と付き合っていたことは伏せてあるが、その姉の水月と暮らしていることは伝えてある。初めてそれを話した時、さすがにフルネームを聞いてピンと来たのだろう。忘れられるはずはない。横っ面を叩かれた相手なのだから。


「調子の悪いときだってたまにはあるだろ。そうそう、その新商品ってのを見せてくれよ」


 と、店の中へ三人で入って行く。敷地に滑り込む赤いゴルフも無く、平穏な時間を取り戻したのだと箱に詰まった商品を見ながら私は思った。



 恐らくこれで額の汗も出ることは無い。交じり合う笑い声に私はそう確信した。



 閉店時間を迎えようとすると、急に水月の様子が気になりだした。彼女には悪いと思ったが、元に戻った喜び以外は何も受け入れたく無い状態だったのだ。


 家路に向かう道中もそれを早く伝えて安心させたいという想いの方が強く、車内に流れる音楽もいつも以上に心地良く響いた。どうせただの寝不足なんだろうとしか思っていなかった。


 途中、県道沿いにあるコンビニに立ち寄った。帰っても食べるものがないことを思い出したからだ。水月は何か食べたのだろうかと、陳列棚を見回しながら考えたりもした。あれこれ迷った末、適当な弁当を籠に入れてレジへと向かう。手間が減るよう弁当は温めてもらった。帰宅したのはそれから五分後だった。

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