第14話

「じゃ~右側に止めましょうか?」

「それじゃ島さんの邪魔になるだろ」


「だったら店のむこう側に」

「そこはお客さんが止めるんだからさー!」


 次第に声を荒げる圭ちゃんに、


「まぁまぁ」と私は割って入った。


 ふてくされたように店へと入って行く圭ちゃんを横目で眺めつつ、


「どうも、今日からお世話になります」と浅利は軽く頭を下げた。



「今日・・・っから?」


「辞めた早々に隣の店で働くってのもどうかって思うんですけどね」


 浅利はちょっとばつが悪そうに頭を掻く。すぐに今回はこれかと思った。それにしても今までと雰囲気が違う。愛想の良い浅利とは打って変わって表情は冴えない。以前の浅利なら確かに雇ってもいいと思ったことはある。それが出来るほどこのところの経営状態は好調だ。


 しかし・・・だ。


「とりあえず、じゃ~仕事の方をよろしく」と言って浅利を店に招き入れた。あれこれ店内を眺めていたあと、


「何からすればいいですか?」と面倒臭そうに弱々しく浅利は呟いた。


「そうだな。じゃ~店の外でも掃いてもらおうかな」出来る限り明るく答えたつもりなのだが、たぶんぎこちない顔をしていたのではないだろうか。圭ちゃんは一人でピットを掃除している。何やら変な空気が漂ってる気がした。


「圭ちゃんの作業を手伝ってやってくれ」


 本来はそんな指示をしなくても勝手に動く奴だった。だからこそこいつが居ればと思ったのだろうが、今はそんな気持ちすらわかなかった。どうみても胡散臭い。


「違うって!浅利!反時計回りに回すんだよ!それじゃ締めてるんだって!」


 ピットから聞こえる声も穏やかではない。圭ちゃんの表情がここからでも見えるようだ。


「17のコマ取ってくれよ」


「コマってなんですか?」と、聞こえる台詞はまるでずぶの素人だ。こんなことで良い仕事が出来るのかと思いつつ、ピットの方に顔を向けると、トラックのキャビンの下に潜り込んでた圭ちゃんは堪らず出て来て工具のある場所へと向かう。自分で取りに行った方が早いと言わんばかりだ。それから少しした後だった。


 カシャーン!!と心臓に悪い音が響く。


「ったく、何やってるんだよ!ちゃんと持たなきゃダメだろ。あ~傷になっちゃったよ。どうすんだよ」


 圭ちゃんの苛立ちはピークに達しようとしていた。


「どうするって言ったって。こんなの車に付けちゃえば見えないんじゃないですか?」


「浅利っ!!」


 圭ちゃんが声を荒げるのも無理はない。私とて今の台詞は無視出来るものではない。


「どうした?」なんとなく状況を把握していても、二人で浅利を攻めるのも酷だと惚けたようにピットに向かうと、


「ちょっと手が滑っちゃって・・・」と浅利は床に目を落とした。


 この調子では順調どころか赤字に転落するのはそう遠い日ではないと思った。



───「智ちゃんじゃなくて、浅利さんが!?」


 帰宅するなり私は首を振るようにして事の次第を水月に告げた。


「やっぱり変わったことがあったのね」


「今までの浅利だったら、別に何とも思わないっていうか、寧ろ結果オーライだったんだけどな」そう零しながら散々だった一日を振り返った。


「浅利が働くこともビックリしたけど、まさか人格まで変わっちゃうとは思わなかったな」


「まるであの頃の浅利さんね」


「あの頃の・・・・・そうか」と私は何かを思い出して納得した。


 水月と浅利は面識があるのだ。もちろんそれは恵理香に関わることでだ。


「恵理香が妊娠して詰め寄ったことがあるの。そうしたらのらりくらりしてて、もう煮えきんなくて。思わず横っ面叩いちゃったわ」


 その光景が目に浮かぶようだった。


「強いんだな」と、言った後で取り乱した恵理香が頭に浮かんだ。


「もぉ~昔の話よ。今はお淑やかでしょ?」そう言ってペロッと舌の先を出す。


「俺の知ってる浅利からは想像も出来ないけどな」


「いろいろあって、きっと大人になったんでしょ」


「大人に・・・か。横っ面叩く女もお淑やかになるんだからな」


 横を向きながら独り言のように呟けば、脇腹に激痛が走った。


「だけど・・・・」


「だけど!?」


「このままってわけにはいかないなと思って・・・・」

「で、どうするつもり?首にしちゃうの?」


 私は水月の問いにしばし黙ってから、


「それが出来れば話は簡単なんだろうけど、あいつも行く所が無くなるわけだし」

「だけど、今のままだったら和也さんが困るわけでしょ?」


 水月は声のトーンを落とした。


「そう・・・・なんだよな。何が悪かったんだろ」と私は思いがけず出現したあのヤンキー男を思い浮かべた。


「あの店に戻って、ちょっと早く出れば・・・・」


 ボソッと思い出したように呟くと、


「自分の行きたいところに行けるの?」と水月は目を見開いた。


「ま・・・まさか。マンガのドアじゃあるまいし、それがわからないから弱ってるんだよ」


 私は頭を左右に振る。水月は何も言わず黙っていた。


「でも・・・・今のままじゃダメってことだな。圭ちゃんと浅利がケンカになるのは時間の問題だろうし・・・・」


「もうこれっきりだとしたら?」


「そうだな・・・‥」考え込むように瞳を閉じれば、薄っすらと閉ざされた視界の中にカレンダーに記されたマル印が浮かんだ。



 ベッドに横になってもしばらく二人は寝つけなかった。どのくらい時間が経過したのか、気が付くと隣から僅かな寝息が聞こえてくる。どうやら水月は寝入ったようだ。


 私は起こさぬようそっとベッドから這い出すと、ベランダに続くサッシを開けて外へと出た。車一台通る気配もなく外はひっそりとしている。ぼんやりと暗くなった周囲に目を向けながらタバコに火を灯す。水月と暮らすようになってから部屋でタバコが吸えなくなった。恵理香は容認してくれたが水月は別だ。初めから釘を刺された。


 そのためこのベランダが唯一の喫煙場所となっている。灰皿は蓋が付いたボトルタイプの空き缶だ。水月は名前の響きからバルコニーが良かったというが、屋根の無いバルコニーよりは庇のあるベランダの方が雨の日でもタバコが吸えるので私としては有り難い。



───「もうこれっきりだとしたら?」


 煙を吐き出した途端、少し前に交わした水月の言葉が蘇った。もう一度戻れるという確信は確かに無い。同時に戻れる可能性も否定は出来ない。そう思った時、浅利の顔がぼんやりと浮かぶ。テキパキと動いて仲間の一人として認識した時のものだ。例えこれっきりだとしてもそんな過去の記憶から浅利は首には出来ないだろう。と言っても今の浅利を一人前に育てていくのは容易ではない。考えれば考えるほど頭が痛くなってくる。


 ストレスを感じているのか、何度も強く吸い込んでいるためタバコの先の赤がいつもよりも長くなっている。フーッと溜息のように空気を吐き出すと、一瞬の間の後で肺の中に溜まった煙が暗い空に散って行く。そして視線を落として左手に持つタバコの箱に目を落とす。このところ吸い続けている『NEXT』だ。


「次・・・・か」


 ポツリと呟いて瞼を閉じる。明るさに大した違いは無かった。


(ほんの少しだけ・・・・変えて・・・)


 水月との生活が無くなる恐れもある。そのリスクはあえて今は考えないようにした。赤く灯っていたタバコの先がいつの間にか普通の灰と化したのか、素足の上に優しい感触を伝えてきた。それを合図に目を開けると額には薄っすらと汗が滲んでいた。


 再びタバコの文字に目をやり私は室内に足を踏み入れた。

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