第13話

「おかえりなさい」



「ただいま・・・ってのも変だな。トイレなのに」


 私は悪い夢を見た後のように力なく声を発し、


「どのくらい経った?」と鼻の辺りを掌で押さえながら尋ねた。


「え!?あ~三十分くらいかしら」と水月は壁の時計に目をやった。



「たった・・・・」と私は呆れたようにポツリ。


「三十分なんて・・・信じられないな」と私も時計に目を向ける。いつ入ったのかまでは覚えていないが、水月は時計を一度眺めたのだろう。


「で・・・どうだったの?」


 ほんの僅か笑みを浮かべて顔を少し傾けた。


「どうって・・・・・」どう切り出していいものか答えを探しあぐねていると、



「同じように出来た?」


 水月の言葉が恵理香を抱けたのかというニュアンスに聞こえたため私はつい黙り込んだ。


「聞かせて、どんな話だったのか」

「あ・・・ああ。恵理香と食事をしてたよ」


「食事?」


「そう、教習所の話を聞こうって誘ったレストランさ。そうだ。そしたらまたトイレに行って戻ったらまたレストランに居て・・・」


「だって同じお店なんでしょ?」


「そう。だけど時間が違ってたんだよ。二回目の時に変わってた。あんなこと初めてだな」


「・・・・・」水月は何か考え込んでいる様だった。


「それはともかく。そのあとドライブに出て夜景が見たいって言うから」


「前にちょっとだけ聞いたことがあるわね。あの有名な高台でしょ?」


「ああ。だけど今回はちょっと違うんだ。いや・・・結果的には同じっていうのか」


 我ながら歯切れの悪い口調だと思った。もっとも明るく振る舞う話でもないのだから当然か。


「違うけど同じって、どういうことなの?」

「前はそこで恵理香と夜景を見て・・・そのなんて言うか話の流れって言うか・・・・」


「もぅ!はっきり言ってよ。心配してるんだから」


 と、やや水月はじれったそうに声を上げる。



「ホテルに入って、それが付き合うきっかけになったんだろうけど」

「じゃ、入らなかったの?どうして?」


「いや、変なヤンキーに絡まれてさ。参ったよ。それで夜景どころじゃなくなっちゃって」


「そのまま恵理香を送って行ったの?」



「いや、いきなり殴られて鼻血も出ちゃってさ。あんなの無かったんだけどな~。それで恵理香も責任を感じたんだろうな。このまま帰せないって部屋に呼ばれて・・・・・」


 ホテルでは男になるのはとても無理だと思った。ヤンキーに出くわし部屋に呼ばれた。結果的にそれが良かったんだろうか。



「部屋に!?ってことはリヴェ・・・『リベルテ』?」


「あ・・・確かそんな名前だったか」


「ちょっとここと似ているのよね。でも、おかしいわ。その時はまだ家に居たはずよ」


「前に少し状況が変わったせいかな」

「そう・・・ね。それで結果的には同じって」


「まぁ・・・水月の前で言いづらいけど」


 納得したような顔もどこか複雑に映った。ある程度の話は知っているとはいえ、例え妹でも女としては割り切れない部分もあるのだろう。



「でも・・・和也さんとこうして暮らしている」


「とりあえずは変わってないってことでいいのかな・・・」誰に聞かせるでもなく独り言のように呟いた。


 すると水月はフッと笑みを浮かべて、


「出来るんだったら、私も一緒に行って恵理香に会いたいわ」と声を漏らした。


 亡き妹に会いたいと思うのは当然だろう。もし可能なら私だって水月を連れて行きたいくらいだ。


 ぼんやりとソファーに腰を下ろしたまま壁のカレンダーに目を移す。水月も同じように見つめた。



「隣の奥さんは?」

「あ・・・今日はしないんじゃない」と水月は苦笑する。


「いや、居るんだよな?」


 私の問いかけに意味を理解したのか、いるわよと答えた。


「とりあえずは変わってない・・・か」


「そう・・・ね。でも・・・恵理香との関係が少し変わっちゃったんでしょ?」


 言葉には出さなかったが私も同じことを頭にチラつかせた。現状水月との生活に特に変化はない。隣人にしても同様だ。ただ、それだけでは手放しでは喜べない。それは以前にも体験していることだからだ。何かが少し変わっている可能性は否定できないのである。


 結果オーライなんてことになれば最高なんだが、小説じゃあるまいしと私は黙って目を閉じた。



 翌朝、南佳孝の『デイドリーム』を半分ほど聴いたところで店へとたどり着く。


 赤いゴルフはなく、代わりにグレースグリーンのロードスターが後ろ向きの格好で圭ちゃんの隣に止まっていて、二人で何やら話している。その様子から談笑という雰囲気ではないと感じた。圭ちゃんの318の右側に車を止めてドアを開けると、浅利と圭ちゃんが揃ってこちらを向いた。



「おはようございます」


 朝の会話を済ませ、どんな話だったのかと話題を振る。すると、


「いや、浅利の車が近いんで俺が乗り込むのが大変だろうって話してたんですよ」



 一瞬、嫌な予感が走った。圭ちゃんが浅利と呼んでいたのはかなり前の話だ。


「どうせ先に帰るんだから良いでしょって話してたんですけど」


「先に帰るって、新人のくせに俺より先に帰ろうってか」圭ちゃんは少々ご立腹だ。



(新人!?)と私は悪い夢を見てる気がした。

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