第12話

 やや、早めの足取りでホールに出ると、ちょうど料理を運ぶウェイターの後ろに付く形となった。まだ、料理が運ばれるのかと、首を傾げるように辺りを何気に見回すと妙な事に気付く。


 ついさっきまで私達以外に居た客は確か一組か二組だったはず。それがどうしたことか、ほぼ満席に近い状態になっている。大半がカップルだ。


 まるで道案内をしているようなウェイターの後ろを歩いていると、導かれるように恵理香の座るテーブルに辿り着き、私の存在を感じ取ったウェイターは私を先にテーブルに着かせてから、



「おまたせしました」と、両手に皿を持ってソフトでやや低い声を出した。


「カルボナーラのお客様は?」その声に軽く恵理香が手を挙げる。すると、「ボンゴレビアンコになります」見覚えのある皿が私の前に置かれた。


 くるっと身を翻すようにウェイターが立ち去ると、


「お好きなんですか?」恵理香は私の前の皿を一瞬見たあとそう呟いた。


「え!?・・・まぁ・・・」と私も目の前の皿を見る。


「この前もボンゴレでしたよね」


「あ・・・ああ。けっこう好きでね」と苦笑いを浮かべつつ、別のことを頭に駆け巡らせた。


(こんなパターンは・・・今まで・・・)


 ふと恵理香の顔をまじまじと見ると、明らかに化粧の感じが違うし、着ているワンピースも今日の方がシックで、まるで五歳ほど大人になったようだ。


(そうか。これは二度目だ。道が聞きたいという口実でここへやって来た。それで私が金を払って、恵理香にドライブに連れて行ってくれと頼まれる・・・それから)


 と、思いを巡らせながらフォークを手に取ってみるものの、さすがに数十分前に平らげたパスタをもう一度食べられるのか不安になる。実際には日付が違うのだから入るのだろうが、視覚や嗅覚から得る情報が脳内で整理されないらしく、大食い選手権じゃあるまいしと心の中でぼやいたりした。こんなことなら違うパスタにすれば良かったなどと思いつつ、私はボンゴレを口に運ぶ。割とスムーズに入って行くことで改めて別の日なんだと認識したが、後々の展開を考えると料理の運びも今一つだ。


「そうだ。岩崎さんは車の免許はどこで?」

「今のところなんですよ」


「そう。じゃ~西で取って、またそこで働くことになったんだ」

「ええ。私もまさかここに務めるとは思わなかったですけどね」


「きっとそれも何かの縁なんだろうね」

「そうなんですかね」


 恵理香は噛み締めるようにこくりと頷いた。


「考えてみれば人の縁だっておかしなもんだよね。免許を取った所で働いてる岩崎さんと、二十年振りに免許を取りに行った私がこうして食事してるんだから」


「あ、そう言われればそうですね」


 デザートもコーヒーもとりあえず胃袋の中にはおさまった。恐らく前回と同じような話が出来たはずたと思いながらも、交差点に纏わる話題は出さなかった。


「あ、今日はこの間みたいに遅くなると悪いから、そろそろ行こうか?」


「いえ・・・・あ!だめですよ」


 素早く私が手にした伝票を見て恵理香は、


「今日は困ります」と、慌てて手を指し延ばす。これも記憶のままだ。

「いいんだよ」


「それじゃ~?」


「ハハ・・年下のそれも女性に奢ってもらったりしたら、男が廃るって。廃るなんて今は使わないか」と私は照れくさそうに笑った。


「でも聞いたことありますよ」


「そう?」咄嗟に出た言葉だったが、心のどこかで恥が云々の台詞を出さぬよう気を付けていたのかもしれない。この程度なら問題のうちには入らないだろう。


 それでも踏ん切りが付かなかったのか、店の外に足を踏み出した途端、


「やっぱり、払いますから」と恵理香はバッグから財布を取り出そうとする。


 やっぱりこう来たかと、私は次の言葉をあれこれ巡らせる。一度は納得して引き下がるが、車に乗ればドライブに連れて行ってくれと口に出すはずだ。ドライブはいい。問題はその行き先だ。もし仮に同じ場所に行って例のカップルがいたらどうする。


 はたして居るのか。危険な賭けだ。居なかったとしたらどうだ。恵理香の車のある『ワールドブックス』に送り届ければいい。すると、あの時と変わってしまうのだ。

と、なれば戻った時に水月は・・・・・。


「今日はいろいろ楽しい話を聞かせてもらったんで、その謝礼ってことにしてくれないかな」


「謝礼ですか?だったら私だって楽しませてもらいましたから変ですよ」


 私の言葉にどうしても納得がいかない様子だ。


「じゃあ、これからドライブに連れて行くってことでどう?」

「良いんですか?それで」


 快く返事はしたものの、内心結局ドライブになってしまったと思った。


「夜にドライブとかよくされるんですか?」


 住宅地の中を通る県道をしばらく走って大型のチェーン店が立ち並ぶ国道に出ようとすると、助手席の恵理香が口を開いた。


「よくってほどでもないけどね」


「そうですか。私はほとんどないんです。夜に走るっていっても、仕事の往復や買い物くらいの早い時間だけですし・・・・」


「そうだろうね。適当に走り回る感じでいいかな?」

「ええ。それでも」


 横から聞こえた声に安心と不安が入り乱れた。私は適当な言葉を並べながら運転に

専念している。時間だけが刻々と過ぎていく。すると何かを思い出したように、


「街の灯りとか見えるところってあります?」と声のトーンを少し上げて恵理香。

「街の・・・この辺も灯りは点いてるけど・・・」


「もっと全体って言うか。夜景みたいな」


「夜景!?夜景かぁ~」ドクンと心臓が跳ねた気がした。


「おかしいですか?」


「いや、そうじゃないんだけど、ああいうところは、カップルが行くところなんじゃ?」


「そう・・・ですよね。でも、車から見るだけでもいいんです」


 ここまで言われると断る理由もないと、私はハンドルを切っていつぞやの高台を目指した。あの場所ほどではないにしても、走りながらも確か見えるはずだ。


 その後、二人にとっては思い出の場所の一つになるであろう夜景の見える高台が近付くにつれ、ハンドルを握る手が汗ばんでいることに気付く。このまま何事もなく終われば、少なからずおかしな現実が待ち受けているはずだ。とは言っても、シナリオ通りに進むとすれば今夜私達は深い関係に陥る。現実を極力変えないとすればそれも致し方のないことかもしれない。ただ、恵理香の結末を知ってる私としては、その時点で男として機能するか自信がなかった。無理だ。それで結果的に彼女に恥をかかせることになる。



 不意にそんな思いを断ち切るようにルームミラーがピカッと光った。上り坂に入って五分くらいした時だ。後ろにぴったりと着いている車が居ることに気付いた。眩しくなった光が暗くなったりと、恐らく三十センチも離れていないのではないか。ライトは時折ピカピカとパッシングしている。狭い道なので避けようもないしあの距離だ。ブレーキなど迂闊には踏めない。


 車は左右に蛇行しているのか左右のサイドミラーに眩しい光が交互に反射する。やがて、少しばかり長い直線になると背後の車は一気に加速して私の車を追い越すと、すぐに左に幅寄せするようにしてブレーキを踏んだ。私も急ブレーキをかける。


 すると、前方に止まった車から金髪に染めた男が首を斜めにして降りて来て、



「ちんたら走ってんじゃねーぞ!コラ!」と凄んできた。


「ちんたらって普通に走ってただけだろ」


 そう窓を開けてダボダボのズボンに向かって言った次の瞬間、


 ボコッと鈍い音と共に意識が遠のくのを感じた。さらにもう一発来たのか、完全に思考回路が停止した。


「ったく!舐めてんじゃね~ぞ。コラ!」と言い残すと男はそそくさと車に乗って急発進させた。


「大丈夫ですかっ!?」隣から恵理香の悲痛な声がする。掌で鼻を被うと、きな臭い匂いがした。



「血がっ!」


 慌てて恵理香がバッグから何かを取り出そうとする。道沿いにあるお印程度の外灯でも掌が真っ赤に染まっているのがわかった。

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