第10話

「あ、そろそろ俺行ってみるっすよ」


 会社の様子を窺うように話す言葉も耳が覚えている。無意識に圭ちゃんに視線を移せば、


「須藤君。手ぶらで帰っちゃそれこそ怒られるから」


 本のストーリーのように圭ちゃんが近くにあるカタログを広げる。


「これ、とりあえず午後に作業する予定のやつだから。どう?注文で呼ばれたってことになれば怒られないで済むだろ?」


「あ、さすがっすね~!確か昨日入荷したヤツっすよ。一件近場に配達行った後で持って来るっすから」


 まるで忘れ物でもしたかのようにほっそりとした長身の須藤は全速力で駆けだし倉庫の前に止めてあった軽トラに乗り込むとタイヤを鳴らして急発進した。その光景を圭ちゃんと私は呆れたように眺めている。


 細い路地から通りのあるメイン道路に勢いよく飛びだした次の瞬間、



 ドカ~~ン!!


 と、凄い音が周囲に響き渡った。あまりの衝撃に圭ちゃんと私は身体をビクつかせた。


 直進してきた大型トラックに軽々と跳ね飛ばされた軽トラは、その衝撃で横になるどころかクルクルと轢かれたネコのように転がりまわった。


「す・・・須藤っ!!」


 まるでスローモーションの映像を見ている様だった。その一瞬の出来事が凄まじ過ぎたのか、地面に靴の底が貼り付いてしまったかのようだ。声を口にしても足が動かなかった。


 圭ちゃんが血相を変えて駆けだす。名前を叫んでいた。隣の会社の事務所からも次々と人が飛び出してくる。私も行かなければ。だが、足が一歩も前に出ない。それどころか、見ている光景が徐々に色褪せていく。そして何かを感じた。


 額に触れると手の甲はびっしょりになった。ボーっとする。


(まずい・・・・)


 私だけは車に駆けだすどころか、足は視線と逆に向かっていた。



───「須藤は!?」


 トイレから飛び出すなり、私は圭ちゃんに向かってそう叫んだ。ただ、実際は叫んだつもりだったのかもしれない。


「あ~もう行っちゃいましたよ。何でも急ぎの仕事の途中だって」


 何事も無かったかのように圭ちゃんは答えて、包み紙をひょいと差し出す。


「広島の帰りだって話ですよ。わざわざ土産置きにだけ寄るなんて、あいつも律儀なところがありますよね~。それより島さん腹の具合はどうですか?」


 手にした包み紙にはモミジ饅頭という文字が記されている。


「腹!?・・・・・あ~ちょっとここんとこ下痢っぽくてさ」


 咄嗟にそう答えたものの、今一つ見ている物にピントが合ってない感じだ。


「と・・・智ちゃんは?」


「智美ですか?」


 急に智ちゃんの名前を耳にしたからか、圭ちゃんはキョトンとした表情を浮かべる。


「仕事は?」


「あ~仕事ですか。行ってますよ。ネイルサロン。給料が安いなんて相変わらずぼやいてますけどね」



「お世話になりまーす!」と声が響いたのはその直後だった。


「あんれ、スズムちゃんでねーの。今日はなんの用だべさ」


「もう、栗原さんの方言は無茶苦茶ですよ」と呆れたように笑う。


 浅利は隣の会社で営業兼配達として働いている男で出身地は秋田。いつの頃からか圭ちゃんは彼のことを親しみを込めてシジミちゃんと呼んでいるのだが、度が過ぎると今回のような言い回しに変わるのである。



「あ・・・浅利」私は思わず目を見開いていた。


「もう、島田さんまでそうやって久しぶりに会ったみたいな顔するんですから」


 また二人にからかわれたと思ったのだろう。


「だけど、こうやってまた二人の御ふざけが普通に見られるようになって良かったですよ」


 浅利は表情を緩めてそう呟いた。


「二人が立て続けに入院なんですからね。一時はどうなるかと思いましたよ」


「いや~シジミちゃんには助けられっぱなしですね~島さん?」


「まったくだな。ホント助かったよ」


「傷はもうすっかり良いんですか?」


「ああ。大した傷でも無かったからな。それにしてももう俺も歳かな~。すっ転んでドライバー自分に刺しちゃうなんてさ」


 と、ちょっと脇腹を摩りながらおどけて見せた。一瞬何かを思い出したように圭ちゃんは複雑な顔を見せるも、


「いや~俺だって危ないときありますから」と用意したかの言葉を続ける。


「いずれにしろ、この埋め合わせはするからさ」


「そんなこと別に・・・・」と浅利はすぐに手を左右に振ってから、



「じゃ~、でかい注文を一つ!」と笑った。




───「智ちゃんがお店で!?」


 夕食を済ませてから私は水月にこれまでの話を辿るように聞かせた。ただし、ここでは須藤の惨劇は黙っておくことにした。言ったところで不安を煽るだけだからだ。


「さすがにあれにはビックリしたよ。商品のレイアウトくらいだったら、気のせいってこともあるんだろうけど」


「そうね・・・・。何か変わるなんて思いもしなかったのに」水月の表情も複雑だ。


「ってことは・・・でもな~」と私は溜息をついた。


「それでとりあえずは元に戻ったんでしょ?恵理香にメモを渡したから」


「・・・たぶん」口から出たのは曖昧な言葉だった。


「聞いたところでとても信じられる話じゃないけど・・・・・」

「俺だって・・・信じられないさ」


 思わず両手で頭を抱えた。実際、何がどうなっているのか説明が付かないのだ。


「また・・・・なるのかしら?」

「どうだろ・・・」


「なんだか怖いわね」

「怖い?」


「だって、智ちゃんがお店で働くなんてことになっちゃうわけだし・・・」

「あれはもう終わったんだよ」


「でも、もしまたそうなって過去が変われば今の世界も少し変わっちゃうんじゃないの?」

「・・・・・」


「もしそうなったら、和也さんとの暮らしも無くなっちゃうかもしれない」


 水月は私の腕をグイと引き寄せた。


「つまりは何もしちゃいけないってことか。恵理香の死も・・・圭ちゃんの事故も・・・」

「なんて言うか・・・・そう運命・・・・・だったんじゃない?」


「運命?」


「冷たい言い方に聞こえるかもしれないけど・・・。そりゃ私だって恵理香が生きていてくれればうれしいけど・・・・・」


 水月の言いたいことはわかる。過去をちょっと弄るだけで、恵理香も死なず、圭ちゃんの事故も回避出来ればそれに越したことはない。実際、そんな都合の良いようになるのかは不明だが。


「変えて欲しくないわ・・・」ポツリと水月が呟く。


「そうだな」答えた直後、私は目を見開く。水月も何か感じ取ったようだ。


「汗・・・」


 と一言発して私の額を見つめる。


「・・・・行って来るよ」


 腕を解くように立ち上がるとトイレに向かって歩き出した。

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