第10話
言霊は聞き取りを行ってまた別の人の元へ向かう、その繰り返しの日々でも言霊はそれを苦に思った事はなかった。人が残す最後の言葉、それに触れてそれを慈しみそれが大切な物だと思える、ただそれだけで満足だった。そうしているだけで、何だか自分がやっと死神だと思えたからだ。
しかし、死神とは何なのだろうか、言霊はそんな事を考える。いつの間にかそこにいて、いつの間にか死神としてただ活動していた。自分が何者であるか疑問に思った事すらなかった。それなのに何故か最近はそんな事が思いついては消える。ぼーっとしたり、仕事に手がつかない、そんな事は一切ないが、言霊の疑念は少しずつ膨らんでいった。
言霊はある日、先導にそのことについて聞いてみた。
「あ?相変わらず変な事考えてんな言霊」
先導はそう言って暫く考え込んだ後言霊に短く「分からん」と言った。
「分からないとは?」
「分からんモンは分からん、それだけの話だ。アタシはどうもその手の考え事は苦手だし、そんな事思いついた事もない、だからいくら考えようが分からんって事だよ」
言霊は先導の言葉に頭を捻った。
「まあアタシには上手い事言えねーよ、お前より頭悪いし、納得のいく答えなんか出せないって、あれだ部長に聞いてみたらどうだ?部長はアタシ達より長い事死神やってるんだし、何か知ってるかもしれないぜ?」
先導の言葉に言霊はなるほどと思った。先導の他の死神に聞いて回ってみても、大体納得のいく答えが得られなかったが、確かに部長なら何か知っている事もあるだろう、先導に礼を述べると、言霊はさっそく部長の元へと向かった。
「失礼します」
「おお、言霊くん。待っていたよ、座ってくれ」
言霊は促されるままに席に着く、対面に部長は座ると、話を切り出し始めた。
「それで僕に聞きたい事って何かな?」
「はい、部長は死神とは何なのか知っていますか?」
部長は言霊の突然の言葉に面食らった。
「その質問はどういった意図で聞いているんだい?」
「最近よく考えてしまうんです。こうして人の死に携わり、その死に際に触れて、悲しみを知る度に、自分たち死神とは何なのかって」
部長は言霊の悩みを聞いて、棚から資料を一冊取り出した。
「これは?」
「僕たち死神がどんな存在なのか、その答えを僕も持ち合わせていない。だけど、君の他にも死神についてに疑問を持った事があるらしい、そうして調べられて集めた資料がそれさ」
言霊はその資料を手に取って開いてみた。しかし資料とは名ばかりで、数ページの紙がファイルでまとめられているだけの陳腐な物だった。
「これだけですか?」
「ああ、たったのこれだけだ。どれだけ調べ上げてもそれだけしか見つからなかったんだ。そうして死神という存在に疑問を持つ者も少なくなっていった」
資料には調べた事と、それについての考察、注釈等様々な努力の後が見られたが、それでも言霊が欲しかった答えについては見つけられなかった。
「気を落とさないでくれ言霊くん。実は僕も君と同じような疑問を持った事があるんだ」
「部長もですか?」
言霊は驚いて顔を上げる。言霊を見る部長の目は優しかった。
「僕も死神の役割や、死神の存在が何なのか気になった。こうして命に係わる業務をこなして、自らを死神と名乗る。神とはどこか超越した存在だと言われるが、我々には、死の運命を捻じ曲げたり、何かを助けたりする事はできない、我々が人に与える事ができるのは、死そのものだけだ」
部長の言葉は重く圧し掛かるが、それでも部長は笑顔だった。
「でもね、これが答えではないけど、これも答えだとも僕は思うんだ。我々は定命に従い、その命の終わりを見届ける。そこに何か干渉ができないとしても、それもまた死の答えの一つで、我々の存在そのものではないだろうかってね」
部長の言葉に言霊はまだやはり納得はいかなかった。それでも、部長の言葉は確かに言霊の胸の奥に刺さったような気がした。
「ありがとうございました部長、とても参考になりました」
「それならよかったよ、言霊くん、きっとその答えは見つからないんだ。僕らが死神である以上、きっと見つからないと思う。それでも悩み、考え、答えを探し続ける事に意味がないとは、僕は思わないよ」
部長の言葉に言霊は頭を深々と下げて退室した。最期にかけられた答えが、今言霊が欲しかった言葉だったのかもしれない、そんな事を思いながら次の仕事の呼び出しに向かった。
言霊が向かった現場には、多くの霊がいた。どうやら玉突き事故の被害現場で、車四台が絡んだ事故で、三人の犠牲者が出たようだ。
言霊は他の死神と協力して、一人の霊の辞世の句の聞き取りを行う、この事故を起こした切っ掛けの人だった。
「失礼いたします。私死神の言霊と申します。柳様の辞世の句の聞き取りに参りました」
事故を起こした柳は、呆然とした顔で事故現場と自らの姿を見下ろしてた。言霊の声に気が付かずに、煙を上げる事故現場を見つめている。
「柳様、柳様!」
言霊が語気を強めて声をかけると、柳はようやく言霊に気が付いて振り返る。
「え?あ、だ、誰ですか?」
「私、死神の言霊と申します。柳様の辞世の句の聞き取りに参りました」
「じ、辞世の句!?あ、お、俺死ぬんですか?」
「残念ですが、もう少しばかりの時間しかありません」
柳はそれを聞いてさらに絶望の顔をした。頭を抱えて、低い声で唸り声を上げている。
「柳様、お辛いお気持ちは分かります。しかし今はこの世から離れる最後に残すお言葉を考えてみませんか?」
「うるせぇ!お、お、俺は死ぬわけにはいかないんだ!どうにか出来ないのか死神!」
言霊は柳の追いすがるような言葉に力なく首を横に振る、それを見て柳はさらに絶望する。
「そんな、そんな馬鹿な話あるか…」
ぶつぶつと呟く柳の元に、事故の犠牲者であるもう一人の霊が詰め寄ってきた。
「お前!さっきから聞いていればぐちぐちと!お前の事故のせいで俺は死んだんだ!それに見ろ!こんな小さな子供まで犠牲になったんだぞ!それについて何とも思わないのか!?」
詰め寄る死者を他の死神が必死になって抑える。言霊も柳の前に庇うように立つ、小さな子供を庇うように他の死神も子供を抱き寄せた。
「そんな、だけど、俺、俺は…」
柳は自分の事故の犠牲者の顔を交互に見て、膝から崩れ落ちた。その場を収めるためにそれぞれを離した場所に案内して、改めて言霊は柳に伝える。
「柳様、もう死の運命は変える事が出来ません。それは先ほどの彼らも同じです。誰にも変える事のできない運命なのです」
「そんな…そんな、馬鹿な事って、なあ言霊さん、今俺は死ぬ訳にはいかないんだ。俺には、俺には生まれたばかりの子供がいるんだ。だからお金がいるんだ。そのために稼がないといけないって、だから仕事を沢山入れて、それで」
「柳様、落ち着いてください。私はここに居ます。よろしければお話を聞かせていただけませんか?」
柳は言霊の顔を見て、その優しい微笑みに少しだけ心を落ち着けた。一つため息をついて、柳はゆっくりと話し始める。
「俺は結婚したばかりなんだ、それも所謂デキ婚ってやつで、結婚する前に子供だけできたんだ。俺、いざそうなると覚悟が決まらなくなっちゃって、実は一回逃げたんだ」
柳は手を揉みながら下を向いて話す。
「それでも俺の嫁さん待っててくれたんだ。お腹を大きくして、不安な気持ちも押し殺して、俺が必ず戻ってくるからって、周りの人達を説得しながら俺の事待っててくれた」
「素敵なパートナーですね」
「そうなんだ、俺には勿体ない人だよ。子供が出来てビビッて逃げた俺も信じて待てるような強い人なんだ。俺は相手の両親にも自分の両親にも土下座して、結婚を認めて欲しいって頼み込んだ。親父は俺の事ぶん殴ったけど、一緒に相手の両親に土下座してくれたんだ。それで俺、本当に覚悟が決まった」
柳は手をギュッと握りしめた。
「すぐに結婚して、俺は仕事を始めた。免許取って配送の仕事だ。子供が生まれて、すごく幸せだった。あの子の為なら何でも出来るって本当に思ったんだ。だから俺、金が必要だったから、仕事を沢山入れた。疲労が溜まっていたのに気が付かずに、さっきの事故も少し眠くて目をこすったんだ。そうしたらこんな、こんな事になってしまって」
言霊は柳の絞り出すような声を聞いて、今自分がどんな声をかけてあげるべきなのか分からなくなってしまった。どんな慰めも柳には逆効果になってしまうだろう、どうすればいいか悩んでいる時、部長が言っていた事を思い出した。
「定命に従い、その命の終わりを見届ける。そこに何か干渉ができないとしても、それもまた死の答えの一つ」
言霊が今自分にできる事、それはその役割を全うする事だ、そしてその役割とは辞世の句を柳から引き出す事、それしか出来なくても、それが言霊にしか出来ない事でもあるのだ。
「柳様、この世に残せるものはもう何一つとしてありません。それはもう誰にもどうする事も出来ない、だからこそ、辞世の句を考えてみませんか?」
「だからこそ?」
「ええ、だからこそです!意味のない事と思えるかもしれません。柳様の辞世の句が世に出る事もありません、だけど死を見つめなおして、改めて心から出てきた言葉を目にすれば、自らの死に何かを見つける事が出来ると私は思います!」
思わず熱くなった言霊は、いつの間にか握りしめた拳を口に当てて咳払いをした。
「失敬、熱くなってしまいました。しかし、私は本気でそう思っています」
言霊の熱意に押されて、柳は紙とペンを受け取った。
柳は己を見つめなおして、まず思い浮かんだのはお嫁さんの顔と愛する子供の顔だった。情けない自分を待っていてくれた人、生まれてきてくれた小さな可愛い命、守ってあげなければいけなかったのに、それももう出来なくなってしまった。それに他の誰かの命を奪ってしまって、こんなに非道で情けない自分が、恥ずかしくて仕方がなかった。
これから、家族には多大な迷惑が掛かってしまう、それを自分が引き受ける事がもう出来ないのが、辛い。責めを負うべきは自分一人なのに、きっと世間は許してくれないだろう、しかし、それももう変えられない運命となってしまった。今自分に出来る事は辞世の句を残すだけ、たったそれだけしか出来ない、ただ、それしか出来ないのなら、精一杯の愛を込めたい、愛していたと叫んで抱きしめてあげたい、謝る事はもう出来ないけれど、想いを込めた最期のメッセージだけでも、精一杯力を込めたい、そう思った。
「愛を知り 宝を持って 去りし世に 悔いはあれども 君たちを想う」
書けても柳の心が晴れる事はない、それでもただ逝くだけでは大きく残してしまうであろう悔いは、少しだけ体から抜けて軽くなった気がした。
言霊は柳から受け取った辞世の句を大切に仕舞う、そして遠くを見つめて考える。
自分たちは死神で、死を与える事がその存在意義で、それが死神の権能なのだ。それだけしか出来ないし、それ以上に出来てはいけない、だからこそ死神である自分に何ができるかを考えて、大切に辞世の句を集めていく、生ある者が死にゆく最期に残す言葉にはきっと特別な意味がそこにあると、言霊は信じている。
また呼び出しがかかる、言霊はそれを受け取って迅速に現場に向かう、死神辞世の句課はその輝きを集め続ける。
死神さん辞世の句課 ま行 @momoch55
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