シャントーゼ 夢みたいな
白いペンキで塗られた、山荘風の平屋。
木でできた窓枠は、空色に塗られています。入り口前の脇には、建物よりちょっと背の高い、幹がまだ細い白樺の木が、二本寄り添うように立っています。
真鍮のノブを掴んで白いドアを開けると、ドアの上の隅っこに取り付けられたカウベルが、来客を知らせます。
そんなお洒落な喫茶店シャントーゼが、少し大人びてきたボクたちを強力に引き寄せる場所になったのです。
晴れて見通しの良い日には、フジ山が正面にはっきり大きく見える、駅前から伸びた、その名のとおりのフジミ通り。その通りの中程辺り、商店がまばらになり始めたところで、白樺の木に隠れるようにそのお店は佇んでいます。周りとはちょっと雰囲気の違う、その場所だけ高原の風が吹いているようです。
最初にこのお店の常連になったのは、マナブが親しい別の高校に進んだナオヤで、今ではアルバイトまでやっています。知っている人がいなかったら、このお店の存在そのものにも気が付かなかったかも知れないけれど、ナオヤがいるので、マナブと行ってみようかということになったのです。
カウベルを鳴らして店に入ると、
「いらっしゃいませ。」
黒いエプロンを着けたナオヤが、カウンターの中で八重歯をチラリとのぞかせて笑顔で迎えてくれました。他には誰もいなかったので、ボクたちは気後れせずにカウンターの前の五、六脚ある木製の椅子に並んで腰掛けました。
フロアーは板張りになっていて、白いレースのカーテンがかかった窓際には、がっちりとした、これもまた木製のテーブルと椅子がゆったりと配置されています。
テーブルの上には、名前はわからないけれど、葉っぱの無いひょろっとした茎の上で小さな花火みたいに開いた赤い花が、ガラス製の一輪挿しに一本づつ飾られてある。壁には一枚だけ、フランスか何処かのファッション雑誌の表紙のような絵が掛けられていて、店のどこを見てもシンプルでいながらとてもお洒落な雰囲気です。
サイフォンでコーヒーを淹れるというのも初めて見ました。お湯が沸いてポコポコ泡が立っていたかと思ったら、一気にお湯が移動してコーヒー色に変わる。マジックです。
ちょっと苦味はあるけれど、家で姉が時々飲んでいる粉を溶かしたものとは全然別物。香りも味も深い感じがします。
ふと、音楽が止まりました。今まで何が流れていたのか気にしていなかったけれど、
「これ、いいぞ。」
ナオヤがレコードプレイヤーにLPレコードをセットして、針を置きました。
これまで聞いたことの無い、軽快なピアノソロと気だるい感じの女の人の歌声が流れてきました。
歌声が、体の中に染み込んでくるようです。演歌みたいに気張った感じではなく、さらりと自然に歌っています。
「いいなぁ、何だよこれ。」
マナブが聞くと、
「キャロルキングだよ。」
ナオヤはジャケットを見せてくれたけど、全て英語で書かれていてよくわかりません。
「『タペストリー』っていうアルバムで、いい曲がいっぱい入ってるぞ。」
まるで自分の手柄のように得意げな顔で言っています。
「この『ユーガッタフレンド』なんてたまらないぞ。」
確かに。冬、春、夏、そして秋って歌ってるだけなんだろうけど、とっても素敵な詞に聞こえます。
こうしてこのレコードが、この後ずっとボクたちの定番になりました。
すぐに、余程の事がない限り、一日に一回はこのシャントーゼに寄らないと気が済まなくなってしまいました。
当然、マスターとも顔見知りになります。
このマスターだからこそ、この店の雰囲気を作り出しているし、ボクたちも気軽に立ち寄ることが出来るのです。
でも店にいない時も結構多い。チィちゃんというおネェさんもいるので、任せて出掛けちゃうみたい。それはさておき。
皆、彼を『ポンちゃん』と呼びます。麻雀で『ポン』をするのが好きだとか、彼女を『ボンポン』変えるからだとか、いろいろな説があるけれど、本人も何故『ポン』なのかわからないと言います。でもこの『ポンちゃん』という軽い語感がピッタリの、三十歳ぐらいのオジさん、いやいやお兄さんです。
背はボクたちとあまり変わらない百七十センチあまり。細身の体に、いつもスリムのGパン、カラフルなボディシャツ、ウェスタンブーツなんていうのも履いちゃってる。ボクたちが憧れてしまうような存在なのに、ちっとも偉ぶったところが無く、いつも対等にしゃべってくれます。
ボクたちが、お金が無くて水しか飲まない時があっても何も言いません。それどころかそんなボクたちでも、店に行くと嬉しそうな顔をしてくれます。ポンちゃんが一層この場所を、居心地の良い場所にしてくれました。
ある時、ポンちゃんが、
「特製サンドだよ。」
って、ごちそうしてくれたことがあります。
バタールの半分を横に二つに割って、片方にソフトサラミとロースハムを二枚づつ並べ、もう片方と一緒にオーブントースターで焼く。そして、ハムたちが載っていない方にバターとからしを塗り、ハムたちにはブラックペッパーを振る。その上にシャキッとしたレタスを二、三枚のせ、仕上げにフレンチドレッシングを振りかけてサンドにした、豪快な逸品です。
さあ、大きく口を開けておもいっきり頬張ります。フランスパンの香ばしさ、少し焼いて増したハムたちの旨味、ブラックペッパーのアクセント、ドレッシングのほのかな酸味が相まって、美味しいのなんのって。
常連のお客さんがよく注文している理由がよくわかりました。
ナオヤがしばらくアルバイトできないと言っています。ナンパの方が忙しいのかもしれません。
そこでマナブとボクが、交替で代役することになりました。もっともボクは部活があって週一、二回しかできないけれど、
「チィちゃんもいるし、誰か都合のいい人がやってくれればいいよ。」
と、ポンちゃんが言ってくれるのでとても気楽に働けました。いや、働くというより遊んでいる感が強い。
ボクは、一日に何回もキャロルキングのタペストリーをかけました。マナブもそうらしい。
ボクたちにとって、かけがえのない、夢のような空間になりました。
今日は、ボクがアルバイトする番の日曜日、開店一時間前の十時に店の鍵を開けようとすると、もうすでに開いています。
中に入ると、窓際のテーブルに両手を置いて、その上にオデコを載せたうつ伏せの状態で、チィちゃんが座っています。
何本かの花がテーブルの上に置いてあり、一輪挿しの花を替えようとしていたらしい。でも今は、じっとうつ伏せになったままです。
「どうしたの、チィちゃん。」
聞いたボクの方に振り向いたチィちゃんの目元は、涙で濡れていました。
チィちゃんはポンちゃんの彼女で、一緒に暮らしています。二十二、三歳らしいけれど、それより大人に見えます。ちょっとくたびれた感じというか、時々投げやりな態度を見せる時があります。
それがボクには、大人の女の人の魅力に思えてドキッとするのです。
チィちゃんは、この町の音楽大学を途中でやめていて、今はピアノの家庭教師をやったり、店を手伝ったりしています。というより、ポンちゃんがあまり店にいないので事実上、店主みたいなものなのです。このお店のセンスの良さは、チィちゃんによるところも多いのかもしれません。
そのチィちゃんが泣いています。
「ポンが帰ってこないの。」
またか、とボクは思いました。
ポンちゃんが店にあまりいないのは、他で働いているわけではなく、本当に麻雀をやっていたり、はっきりわからないけれどどうやら浮気してシケこんでいたり、ちょっとした旅に出たりしちゃうらしいのです。この店、あまり儲かっている感じはしないのに、何故そんな余裕があるのか不思議です。実家が金持ちだっていう人もいますがよくはわかりません。
いつも結局は、数日でチィちゃんのところに帰ってくるのだけれど、今、チィちゃんは泣いています。
「今回は長いのよ。もう一ヶ月よ。」
そう言えばしばらく会っていません。
「まぁいいわ。お店開ける準備しましょ。」
作り笑いをして、チィちゃんは立ちあがりました。今までボンちゃんがいなくても平気な顔をしていたけれど、結構大変なんだなとチィちゃんに同情しました。でも、何も気の効いたことは言えませんでした。
そして、その日の午後.
ボンちゃんがひょっこり帰って来たのです。イタズラが見つかった子どものような顔をしています。
しばらくチィちゃんと、奥のテーブルで何やら小声で話をしていました。
と、思ったら、
「じゃ、あとよろしくね。」
あれ、ふたり腕組んで出て行きます。
ポンちゃんはチラッと振り向いて片眉を上げ、ニヤリとして行ってしまいました。
どうなってんの、このふたり。
昭和ブルー高校編 まさき博人 @masakihiroto
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