雪の日

増田朋美

雪の日

その日、富士市に雪が降った。寒い日であるのに、子供は学校に行く。そんな大雪の日だから、親に学校へ送ってもらって行くという子供が続出した。精神を鍛えるために、一人で歩いてくるようにという先生の言葉は、子供には届かないものだ。正確に言えば、親が、子供を連れて行きたがるのかもしれない。

雪は、午前中でやんだ。しばらくすると、道路に出歩く人がちらりほらりと見かけるようになった。こんな時でも、買い物へ行くとか、病院へ行くとか、そういう人は少なからずいるものだ。そんなふうに日常が繰り広げられている中で、こんなマイク放送があった。

「市民の皆様、本日、小さな子どもさんを狙って、盗撮などをする、不審者の通報が多発しています。どうぞ皆様、子どもさんを一人で帰らせないよう、ご協力をお願いいたします。」

はああ、なるほど。こんな寒い日に、不審者が出るなんて、相当物好きだねえなんて、みんな言いながら、その放送を聞いていた。ちょうど、老夫婦が、ゴミ捨て場にゴミを捨てに行ったその時。

「おい!ゴミ捨て場に血が付いているぜ!」

「まさかあ、赤いペンキでも捨てたんじゃないの?」

二人がそういう通り、ゴミ捨て場には、赤い液体が広がっていた。なんだろうと思って、老夫婦がゴミ捨て場を覗いてみると、なんと、小学校1年生位の、女の子と男の子が、血まみれになって仰向けに倒れているのが見えた。ゴミ捨て場の近くには、車が東の方向に向かって走っていったタイヤ跡があった。急いで老夫婦は、警察に通報した。

数分後に警察がやってきて、ゴミ捨て場の周りは大騒ぎとなった。検死官が、女の子と男の子はすでに死亡している事を確認し、まずはじめに、身元を確認ということになって、二人がランドセルにつけていた名札から、男の子は、八尋和美、女の子は、藩育美というなんとも男女の区別がつきにくい名前であることがわかった。とりあえず、警察は、八尋和美くんの家に行き、八尋和美くんのお母さんに、彼の身元を確認した。同じようにして、藩育美さんの家にも行ったが、彼女の家は誰もいなかった。すぐに、緊急配備が敷かれ、藩育美さんの母親の捜索が始まった。富士インターチェンジで、検問をしていた警察官が、軽自動車を検閲していた時、その軽自動車の後部座席が真っ赤に染まっているのを発見。運転手の、藩照子という女性に、話を聞くと、彼女が、八尋和美くんと、藩育美さんを死亡させたといったので、彼女を逮捕した。

と、ここまで書けば、一軒単純素朴な事件だったと思うだろう。しかし、製鉄所にやってきた華岡は、あーあとため息をついて、杉ちゃんに出されたお茶を一気に飲み干した。

「どうしたんですか?華岡さん、いきなりこんなところに来て。僕達に、なにか相談事でもあるんですか?」

と、布団に寝たまま、水穂さんが、華岡に聞くと、

「いや、あの、あの事件だよ。こないだ、大雪の日に、ゴミ捨て場で、子供二人の遺体が見つかった事件。」

と、華岡は大きなため息を付いた。

「ああ、あれはだって、容疑者の女、あの藩とかいう、変わった名前の女がすぐに容疑を自供して、一件落着だったのでは?」

水穂さんにご飯を食べさせていたブッチャーは、そういったのであるが、

「いやあ、問題はここからですよブッチャーくん。あの容疑者の女の取り調べをやっているのだけどね、まずはじめに、犯行の動機になるものが何一つ無いんだ!」

と、華岡は悔しそうに言った。

「と、申されますと、彼女が、犯行の動機を話さないということですか?」

水穂さんがそうきくと、

「そうなんだよ。まず、彼女の犯行であることは疑いない。なんでもあの小学校では、あの日ものすごい大雪のため、保護者の車での送迎を許可していたそうだ。それで、八尋和美くんのお母さんが、隣の家に住んでいる、藩育美さんのお母さんつまり、今回の容疑者である、藩照子に頼んだ。ここまでは、八尋和美くんのお母さんや、他の同級生などの証言で、確認を取ってある。だけど、彼女が、なぜ、八尋和美くんと、自分の子である、藩育美を殺害したのか、その理由を彼女は一言も話さない。あーあ、俺たち、どうしたらいいんだろ。このままだと、俺たち、また上から叩かれるぞ。」

と、華岡は言った。

「自分の子と隣の家の子供さんを殺害か。」

ブッチャーは、変な顔をしていった。

「なにか、いじめでもあったのかなあ。」

「いや、そのような事は俺たちも確認したが、八尋和美が、藩育美をいじめていたという事実はなかったようだよ。担任教師もそう証言している。」

「それでも、理由があるんだと思います。もしかしたら、僕達のような人では、たどり着けない理由かもしれません。」

と、水穂さんが、そういった。

「ということは、俺たちではなくて、別のやつでないと、導き出せない理由ということかな?それはつまり、心神耗弱ということか。」

華岡はそういう事を言うと、

「ええ、そういう事になるのかもしれません。僕もそういう詳しいことはわかりませんけど。」

水穂さんはそう答えた。

「そうかあ、、、。そうなると、俺たちがいくら取り調べをしても、裁判で無罪になっちまうということですなあ。それでは、俺たちは、何をしていたんだろうって、がっかりしちゃう。」

華岡は、大きなため息を付いた。

「まあたしかにそうなんですけど、でも、それだって、ちゃんとした理由の一つになると思います。それなら、それで理由の一つだと思わないと。人間ですもの、完璧な機械では無いですし、おかしくなることもあるでしょうね。そして人間も、完璧にそれを修理することはできないと思います。」

水穂さんは、華岡を励ましているのか、それとも、別の理由なのかわからない口調で言った。

「そうか。まあ、そういう事もあると思わなきゃなあ。俺たち警察は、どうしても事件を完璧に処理できないと面白くないと思うけど、それで処理されることもあるかなあ。」

華岡は、でかい声で言った。

「華岡さん、仕方ないじゃないですか。彼女が、ちゃんと事件の事をわかってもらうまで、頑張って説得するのも、警察の勤めですよ。」

ブッチャーは、華岡にそう言ったが、華岡は、

「あーあ、こういうパターンは、俺一番イヤだよ。俺たちに理解できない理由で、犯行が正当化されて、彼女が、精神的におかしいと言われて、何も無いことになっちまうんだからな。そうしたら、殺された八尋和美くんと、藩育美ちゃんが、浮かばれないよ。」

と、警察らしくなく、そういう事を言った。

「仕方ないじゃないですか。華岡さん。そういう人が起こしてしまう事件だってあるんです。それは、しょうがないと思わなきゃ。」

ブッチャーは、呆れた顔で華岡に言った。なんで自分が警察の幹部である華岡に、こんな事を言わなきゃならないのか、そんな気がしてしまった。

「それに、おかしくなったという彼女のおかしくなったなりの供述を聞くことだって、華岡さんにとって勉強になるのでは無いですか?僕も、時々、利用者さんを見て、彼女たちの言うことは、たしかに常軌を逸した事かもしれないけど、必ず裏が入っていると思うこともあるんですよ。だから、それを学ぶことも必要なんじゃないかな。」

水穂さんに言われて、華岡はしょんぼりしてしまう。

「そうかあ。おかしくなったものも、おかしくなったなりの理由があるか。それは、たしかにそうだなあ。」

華岡はため息を付いた。と、同時に華岡のスマートフォンがなった。

「おう、俺だ。何?もう捜査会議?え、後一時間あると思ったんだけどなあ。」

華岡がスマートフォンを取ってそう言うと、

「何を言っているんですか。警視、早く戻ってきてくださいよ。」

部下の刑事はそう言っている。

「だって、一時にはまだ一時間もあるはずだが。」

華岡は腕時計を見てそういうのであるが、

「ちがいますよ。何を言っているんですか。警視が時計を壊したままにしているからそういう勘違いをされるんでしょ。警視の時計、一時間遅れているの、そのまま放置していて、遅刻したんですよ!」

と、部下の刑事は電話口で苛立ったような声でそう言っている。ブッチャーは思わず笑いたくなってしまった。なんで警察の偉い人であるはずの華岡が、時計を壊したままにしているのだろう。

「わかった!すぐに帰るから待ってくれ!」

と、華岡は急いで電話を切って、

「悪いが、捜査会議があるので、これで帰る。」

すごすごと、急いで製鉄所を出ていった。

やれやれ、また、華岡さんは、事件で忙しいなあと、ブッチャーも水穂さんも、顔を見合わせた。

「それにしても、子供二人が、あんなふうに滅多刺しにされて、あの子達は、なんのために生まれてきたんでしょうね。俺たち、事件には直接関わったわけではありませんけど、なんだか、あの子達の事を考えてしまうんですよ。何でしょうね、報道ばかりされているような感じですから。」

ブッチャーがそう言うと、

「そうですね。報道はいろんな番組でされていますけど、何が正しくて何が間違いなのか、よくわからないですね。それを、どう捉えるかは、僕達個人の意識なのかなあ。」

水穂さんもブッチャーにそういった。

「まあいずれにしても、容疑者の藩とかいう人は、報道によると、幸せに暮らしていたそうですね。だって、旦那さんもいるし、子どもさんだって、一人だけだけど育美ちゃんという娘がいたじゃないか。確かに隣の家とは、どんな感じなのかは、わからないけれどさ、決して比べることはなかったと思うんですよ。だから俺、華岡さんと同じように、彼女がどんな理由で、子どもたち二人を滅多刺しにしたのか、よくわからないです。」

ブッチャーがため息を着いてそういう事を言った。

「まあ、俺たちには、わからないことだってあると思いますけど、俺たちは、知らないほうがいいってこともありますよね。」

「まあそうですね。でも、きっと、感じる人は、感じてしまうのではないかと思いますよ。」

水穂さんがブッチャーに合わせてくれた。ここまでは良かった。のであるが。

ブッチャーは、水穂さんにありがとうございましたと言って、自宅に戻った。自宅に戻っても、ブッチャーは休んでいる暇はない。今度は世話をする対象が変わるだけで、いずれにしても自分の時間というものはない。

「ただいまあ。帰ったよ。」

と、ブッチャーが玄関を開けて、部屋に入ると、部屋は真っ暗だった。なんで、明かりも何もつけないんだよと言いながら、ブッチャーが明かりをつけると、姉の有希が、テレビを見て涙をこぼしている。

「どうしたんだよ姉ちゃん。なんで、明かりもつけないでテレビを見るんだ。目が悪くなるじゃないか。」

と、ブッチャーは有希に言ったが、

「いいえあたしは、働いていませんもの。だから電気なんかつける資格無いのよ。」

と、有希は答えるのだった。

「そんな事無いよ。働いていないから電気をつけては行けないって、そんな事は絶対に無い。」

と、ブッチャーは言うのであるが、

「人がいくら言ったって、世間がそう言うわ。言葉なんて、なくたって、私はすぐに分かるわよ。言葉に出して言わなくても、そう言ってるって、わかるから。あんたみたいに、鈍感な人にはわからないのかもしれないけど。」

有希は、すぐに答えた。そう言われてしまうと、ブッチャーも反論のしようがなかった。これが、いわゆる、妄想とかそういう症状に結びつくものであるが、それは、現実におきていることではなくても、それが起きているように、感じてしまうのである。

「そうか、俺は鈍感か。姉ちゃんの事をわかってあげられなくて、申し訳なかったなあ。」

とりあえずブッチャーは、そう答えた。

「いいのよ。どうせ私だって、わかってもらえるものは、薬しか無いんだし。あたしも、この事件が起きてどうせ、馬鹿にされるのよ。ヒキニートという人間は、いつ死んでもいいのよね。どうせ、こういう事件を起こすような存在しか見られていないんだから、死んでもいいわ。」

ブッチャーは、急いでテレビを消した。有希は、あの事件、つまり、八尋和美くんと、藩育美ちゃんが殺された事件の報道を見ていたのだ。それを見て、彼女は、余計に自分の妄想を広げてしまったのだろう。なんでこんなに、事件のことを、センセーショナルと言うか、大げさに報道するのかなとブッチャーは思った。いくら報道の自由はあると言っても、こういうふうに感じてしまう、障害者もいることを覚えてもらいたい。

「姉ちゃんに死なれたら、俺は困るな。姉ちゃんには簡単に死んでほしくないね。俺は、それは困ると思っている。」

ブッチャーは、精神障害者に話すときは、こういうふうに私は何何したいという口調で言うことが効果的だと言うことを知っていたのでそのとおりに話した。でも、有希は、それを認めようとしなかった。

「それは、私を、だめな人間なので、その駄目な人間を動かそうとしている、トリックでしょ?」

と、有希は言うのだった。そういうことも、感じてしまって、見破っているのなら、もうどうしようもなかった。それと同時に、電話がなった。何だと思ったら、高齢の親戚からだった。入院していたおばが、死亡したので、明日お葬式を開くからという。そういうことに、出場するのができるのは、ブッチャーしかいないから、ブッチャーが、必然的に葬儀に出席することになるのだ。もちろん、有希は、それに出ることはできないだろう。でも有希を一人にさせていたら、本当に、自殺を図ってしまうかもしれない。有希は、そういうところも持っている。放置しては行けない。困ったなと思ったブッチャーは、スマートフォンの連絡先アプリを開き、古川涼さんのところに電話した。こういうときに、メールで頼めたら最高なのであるが、それはできなかった。

「もしもし、涼さん?」

ブッチャーはできるだけ平静を装っていった。

「はい、どうかしましたか?」

涼さんはいつもと変わらない。

「あの、すみません。涼さん、明日親戚でお葬式がありますので、姉を家の中に一人でいさせて置くわけには行きませんので、ちょっと見てやってもらえないでしょうか。お金はちゃんと払います。」

ブッチャーは静かに言うと、涼さんは、

「わかりました。ご依頼された方であれば、何でも話を聞くのは、僕達の仕事ですから。明日、富士駅に迎えに来てくれれば、お宅にいけますよ。」

と言ってくれた。こういうときに、涼さんのような人の存在はありがたいとブッチャーは思うのだ。葬儀を行うというのも、当たり前のことなのかもしれないが、それが、有希のような人になると、何もできなくなってしまうのが、病んでいるところなのかもしれなかった。とりあえず、ブッチャーは、ハサミと包丁はすべて物置へしまい込んで、有希に明日涼さんに来てもらうことにしたからとだけ言っておいた。

翌日、ブッチャーが富士駅に行くと、涼さんが駅員と一緒に待っていた。ブッチャーは、目の見えない涼さんを自分の車に乗せて、自宅へ連れて行った。そして、自分は、そそくさと、姉をよろしくおねがいしますと言って、お葬式へでかけていった。

お葬式はなんとなくで終わった。最近は、お葬式も簡略化されているし、あまり煩わしい親戚づきあいもしなくなってきているので、とりあえずいれば良いという人もいる。ブッチャーは、時折、スマートフォンを見て、有希からなにか連絡はあるかなと思っていたが、何もよこさなかった。ブッチャーが、自宅に帰ってみると、テレビの音はしなかった。代わりに、涼さんが、有希となにか喋っているのが聞こえてくる。

「そうですか、働いていないと、そんなことまでされてしまうんですか。」

ああ姉ちゃんは、また自分の事を被害者だと言っているのかなとブッチャーは呆れてしまうのだが、姉は、こんな事を言っていたのであった。

「本当に、生きていて申し訳ないと思うの。弟は、一生懸命働いてくれるけど、私は、なんだか、いさせてもらうだけで、居心地が良くないというか、辛いのよね。他の人はよく、信頼できる家族がそばにいてくれて、いいじゃないかと言うけれど、私としてみれば、申し訳ない気持ちでいっぱいよ。かと言って、出ていくと言ってもどこにも行くところもないし。このまま、生き続けるしか無いと思うけど、それは私には過酷なことだわ。どうして、私は、普通の人みたいに、感じられないのかな。」

そうか、そういう事を感じているのか、姉ちゃんは。ブッチャーは、呆れるというより、なるほどと思った。涼さんは流石だ。そういうふうに、思っていることを、口に出させるのは、彼の為せる技である。

「感謝しろとか、そういうことよりも私は、申し訳ない気持ちのほうが、上なのよね。なんでなんでしょうね。私は、家族もいて、弟が稼いでくれるから、生活にも不自由してないし、それなのになんでこんなにつらいんだろうって思うことがあるわ。きっとね、あの小学生二人が殺されたのも、そういう気持ちだったのかもしれないなって思うわけ。あの女性だって、生活には不自由してなかったのよね。それなのに、実の娘と、隣の家の息子さんを殺害したわけでしょ。きっと、それは、何でも揃いすぎていて、逆に辛かったんじゃないかな。あたしは、そう思うのよね。だから、隣の家の子が妬ましくなったとか。」

ブッチャーは思わず姉が、弁護士の代わりに、藩照子のそばにいてあげればいいのになと思った。もし、藩照子が、そういう存在がいてくれれば、あのような事件は起きなかったのではないか。同じ境遇にいる人間が精神障害者似とっていかに大事か、ブッチャーは姉の事で知っている。

「多分そうかも知れないですね。須藤さんは、そういうところがよく分かるなら、それを生かしてなにか役に立てるといいですね。」

涼さんはそう言っていた。姉がそうしようという気持ちになってくれたら、ブッチャーも助かるのだが、姉はそう思うことは無いだろうなと思いながら、ブッチャーは只今と言って家に入った。




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