雨の中の少女と魔獣狩り ~邂逅~

雪月風

~ 出会い ~

 金箔に彩られた白い馬車の中、一人の少女が純白のドレスを身に纏い俯いて座っている。

 今にも溢れ出しそうな涙を湛えたライトブルーの瞳は、膝の上で握り閉められている手を、じっと見つめ。

 金糸のような髪は綺麗に結い上げられているというのに、宝石が散りばめられたティアラが悲し気に揺れる。


 そんな少女の向かい側に同乗しているのは、暗い色のメイド服を着た一人の女性。


 外から聞こえるのは、ガラガラと回る車輪が泥を跳ね、窓に叩きつけられる雨粒の音だけ。


 朝から一言も発しない少女から漂う悲痛な心の叫びに、耐えられなくなった女中が腰を浮かして口を開こうとした、その時。


 突如、馬車を激しい揺れが襲った。

 思わず女中が椅子から転げ落ちるのと、馬がいななくのは同時であった。


 気づけば、少女は白い馬車から飛び降りていた。


 強い風によって叩きつけられる大粒の雨に顔を向け、足を前に出すたびにぬかるみに足元が攫われそうになるにも負けずに。

 ひたすらに走った。


 後ろから男の怒鳴り声が聞こえたかもしれないが、親の言いつけすら破ったことが無い少女は、それでも走った。


 鉛色の雲に覆われた森は暗く、屋敷の外へ徒歩で出たことがない少女には、ここがどの辺りかも分からないまま、心臓が張り裂けそうなほどバクバクと言っているのも物ともせず走り続けた。


 真っ白な絹のような肌に張り付くドレスは冷たく、そして重い。

 幾重にも重ねられた丈の長いスカートが、小枝のような足に絡みついてきて邪魔をする。

 それに朝から降り続けて居る大量の雨でぬかるんだ地面までが、履きなれていない靴に纏わりついて邪魔をする。


 まるで世界の全てが敵に回ったかのようだ。


 それでも前に、一歩でも前に走ろうとするのに、今度は身体が言う事を聞かない。


 「はぁ、はぁ、はぁ……」


 身体が氷のように冷たくなっているというのに、息苦しさに喘ぐ口から出た息だけは熱かった。

 気持ちは焦るのに足が前に出てくれず、そのまま膝が崩れ落ちた。


 (大切なドレスが泥で汚れてしまう)


 そのような事を思い、慌てて両手を地面についた自分に、どうしようもなく可笑しくなって。

 少女は声を出して笑い、大粒の涙を零した。


 「どうした。迷子か?」


 ハッとして濡れた顔を上げると、熊のような大男が立っていた。

 左手には巨大な剣を下げている。


 フードの影になっていて顔が良く見えないが、その声音には感情が乏しく、何を考えているか分からない。


 「ええ、そうみたいです」


 それでも彼女は、笑顔で答えた。

 それは救いが現れた事への希望からだったのか、それとも絶望からだったのか……


 叩きつける雨音を切り裂くように馬の足音が、背後の木立の向うから聞こえて来た。


 全身を黒い雨具に覆われた男が、音がする方向へと目をやると、薄闇の中から現れたのは、白馬に乗った騎士であった。

 雨具代わりのマントは青く、身に纏った鎧だけでなく、馬具までが銀色だ。


 陽光の下であったのならば輝くであろうそれは、あいにくの嵐に鈍色に曇っている。


 手綱を引き絞り、マントを翻して騎士が白馬から降りると、後ろの茂みから息を切らした兵士二人が現れた。

 豪雨をものともせず、悠然と立っている一人の大男の姿に気が付くなり、騎士の両脇を守る様にして、兵士が慌てて槍を構える。


 「フルゥーレ様。おいたが過ぎますぞ。子爵様の立場が危うくなっても知りませよ?」


 剣も抜かず、30代後半と思える騎士が、泥溜まりに両手を着いたまま動けない少女に向けて一歩を踏み出す。


 土砂降りの中、黙したままの大男など見えてないとばかりに、一歩、また一歩と。


 「……助けてください。悪い人に追われているのです」


 それが雨なのか、涙なのか分からない液体に濡れた白薔薇のような顔に、金糸の如く細い髪を纏わせ。

 少女は、もう一度前に出た。


 慌てた騎士が重たい金属鎧に邪魔をされ、出遅れた隙に大男の後ろへと回り込む。


 「…………」


 無言のままの黒い男と、銀色の騎士の視線が合う。

 巨石のように動ずることが無い男の迫力に負け、騎士は一歩、足を引いてしまった。


 「おのれーーー!!!邪魔をするかーーー!」


 上品に澄ました顔に焦燥が浮かび、次の瞬間には怒りが爆発した。

 吊り上がった口から唾を飛ばし、マントを払いのけるなり、奥歯を食いしばって腰に佩いていた剣を抜き放った。


 しかしその剣は、最後まで振り抜かれる事が無かった。

 銀色の籠手に包まれた腕と一緒に宙を飛び、クルクルと回転しながら弧を描いて茂みの中へと落ちて行く。


 「うああああーーーーー……」


 肘から先を失い、血を噴き出す腕を上げた騎士が、ぬかるんだ地面に尻を着いた。

 無様に悲鳴を上げ、必死に傷口を塞ごうと、残った手で肘を押さえつけている。


 一方の大男は、一歩も動くことなく、初めから同じ場所に立っている。

 吹き付ける豪雨と暴風をものともせず、その身長ほども有る大剣を手にただ立っている。


 刃渡り180cm超え、幅だけでも大人の掌を明一杯広げたぐらいは優にある。

 そんなグレート・ソードを大男は軽々と片手で握っている。


 沈黙を守っている大男の鋭い眼光が上がった。

 ギロリと、音が聞こえたと錯覚を覚えた兵士が、悲鳴とも付かない喚きを放ち、何かに追われるようにして、槍を前に構えて突撃する。


 そして今回も、鋭利な穂先が大男に届く前に、兵士の胴が二つに別れた。

 しかも二人同時に……。


 声も無く崩れ落ちた兵士に、声を掛ける者は居ない。


 少女の前に立つ大男が、地面から拾い上げた鞘に大剣を収める。


 「あ、あの……助けていただきありがとうござます」


 美しい顔を蒼白にし、成り行きを見守っていた少女の時が、突如、動き出したかのように少しだけ身体を前に傾け。

 そして、慌てて腰を折った。

 まるで防壁のように高くそびえ立つ広い背に向かって、貴族とは思えないほど深々と。


 「向かって来たから切ったまでだ」


 礼を言う少女に振り向くでもなく、大男が一歩前に出た。


 「ひぃっ~~~、よ、寄るな。俺は侯爵様の命で娘を迎えに行っただけだ。命だけは、命だけ……」


 泥の中を後ろへと這いずり、命乞いをしていた騎士の声が、突如途絶えた。

 しかし少女からは、大男の背が邪魔になり何が起きたか分からない。


 ただ、ズブリと肉を突き刺す音だけが聞こえた。ただそれだけだ。


 とおくで森を切り裂く雷鳴が轟き、遅れてやって来た轟音が去った後には、静寂の代わりに雨音だけが残る。


 「あっ……」


 次の声を発したのは、やはりドレスを纏った少女であった。


 黙々と、騎士であったむくろから銀色の鎧などを剥ぎ取る大男を、彼女は黙って見守っていたのだが。

 その向こうに大人しく立っていた白馬が、ゆっくりと踵を返したのに気が付いたから。


 飛び跳ねる泥で丈の長いスカートが汚れるのも気にせずに、少女は馬へと駆け寄ると、背伸びをしてなんとか手綱を握った。

 たったそれだけで、よく訓練をされている白馬が立ち止まってくれる。


 「やった……」


 育ちの良い少女は、大男の粗末な身なりから、死体から金目の物を剥ぎ取っているのでは、っと考えた。

 それならばと、高く売れそうな軍馬を捕えたのだ。


 意気揚々と振り返ったのと、大男が立ち上がるのは同時であった。

 身長190cm強、がっちりとした肩幅も広く、14歳になったばかりの少女が歩み寄ると、まるで子供と大人であった。


 遥か高みにある黒い目と、宝石のように輝く青い瞳が、ようやく出会ったのだが、やはり言葉は反って来なかった。

 彼女の身体が入りそうなほど、大きくて汚れたズタ袋を持った男が、今度は茂みの中へと入って行った。


 しばらくして戻って来た男が手にしていたのは、装飾がふんだんに施された白い鞘に収まるロングソードであった。

 どうやら、先ほど切り飛ばした手から、奪い取ったようだ。


 そしてついでとばかりに、槍を持っていた兵士から、お金が入っていると思われる革袋を取り上げると、それを少女に放って寄こした。


 「あ、ありがとうございます……」


 慌てて受け取ったその重さと硬さ、それと礼を言った唇がとても冷たくなり、口を動かしただけで痛みが走った事で、ようやく少女は現実を実感した。


 今、ここで、3人の人間が死んだのだと。

 しかも彼女が逃げ出したせいで。


 その重い事実に、少女は奈落の底へと突き落とされた。

 まさに最悪の誕生日であった。


 俯き項垂れた少女の横を、熊のように大きな男が通り過ぎた事で、慌てて顔を上げる。

 お金を与えてくれたという事は、良い人ではないのかと。


 しかし振り返りもせず、男が黙ったまま遠ざかって行く。


 分厚い雨雲に遮られ、何処にあるのかも分からない太陽が傾き出したのか。

 一段と辺りが暗く成ったように感じられる。


 少女は身震い一つして、細い身体を抱きしめると、白馬の手綱を引っ張り大男の後を追った。


 しばらくすると、大男よりも、もっと大きな物が、木立の向うに見えて来た。


 粗末だが通常よりも幅がある荷台の上に、天蓋付きのベッドよりも大きな魔獣が乗っている。


 「何ですか?これは」


 少しの間を置き、ポツリと答えが返って来た。


 「クルサス・ヤマアラシ」


 少女の指よりも太い毛は、男と同じ漆黒色で先に行くほど銀色になっている。

 その針のように尖った毛に全身が覆われた魔獣。


 その巨体からはみ出した前脚は、意外なほど小さいのに、如何にも獰猛そうな赤い爪を覗かせている。


 ”魔獣狩り”


 城に暮らしていた少女に取っては、初めて聞く名前の、初めて見る魔獣であったが、そんな単語が脳裏に漠然と浮かんだ。


 村や町を襲うことがある、危険な魔獣を狩る者達の総称。

 その魔獣から採れる貴重な部位を売るために狩ることも有ると言う命知らずの男達。


 その巨大な荷台を一頭で引く黒い馬もまた大きかった。

 しかし、その手綱を握るのが2m近い男であると、普通に見えるから不思議だ。


 相変わらず無口な男の後を、彼が山々を駆け回る姿を想像しながら付いて行っているうちは良かった。

 徐々に濡れたドレスに体温を奪われ、気が付いた時には身体が動けなくなっていた。


 再び、少女が泥に手を着いた時、バラ色だった唇は青紫に変わり、震える歯がぶつかり合ってカクカクと音を立てている。


 まるで天界にある湖の底が抜けたかと思うほど、朝から降り続けている雨は止む気配がないが、ぬかるんだ山肌に深くわだちを刻み込んでいた車輪が止まった。


 方角を変え、大きな荷台を置き去りにした大男が向かった先は、大きく張り出した岩の下であった。

 黒い馬の背に括り付けられていた、これまた大きな袋から薪を2本、3本と取り出している。


 ようやくのことで、男の後に追いついた少女は、その場に崩れ落ちた。

 それでも白馬の手綱を離さなかった事だけは、褒めて欲しいと思っていたりする。


 しかし多くの体温が奪われた今、少女もまた声を出すことが出来なかった。

 代わりにとばかりに、地面に謎の模様を描き終えた男の口が動き、そこから謎の重低音が零れ出した。


 流れる大河のようなゆったりとした不思議な響きのそれが唐突に途切れると、今度は乾いた地面の上に置かれた薪がボッっと音を立てた。


 「ま、ほ、う…………」


 僅かばかり開かれている青い瞳の中で、オレンジ色の光が躍る。


 「これで拭け」


 ごそごそと袋の中を漁っていた男が放って寄こしたのは、随分と汚れたタオルだった。

 それは男の体躯に合わせてか、随分と大きい。


 「あ、ありがとう……」


 何処までも不愛想な男に丁寧語を使うのを止めたのか、それとももう言葉を紡ぐ気力が無いのか。

 短く礼を言った少女は、その布切れで純白だったとはとても思えない、泥だらけのドレスを拭った。


 凍えて力の入らない小枝のような腕を動かすのは辛かったが、それでも燃え盛る薪が力を与えてくれる。

 そんな少女の後ろに、ドカリと大きくて黒い動物が横たわった。


 艶やかなたてがみと、身体を覆う長めの体毛から飛び散った水滴で、少女が再び濡れてしまう。


 「キャッ、もう冷たいじゃない……。でもいいわ、拭いてあげる。貴方も頑張ったものね」


 短く悲鳴を上げ、文句を言ったものの、少女は老婆のように膝に手をあてて立ち上がると、自分よりも遥かに大きな馬の体を拭き始めた。

 ついでとばかりに、大人しく立っている白馬も座らせて拭いて上がる。


 「よし、これでいいでしょ」


 少女は焚火の火を浴びて煌めく白い毛を一撫でしてから、満足げに頷いた。

 沢山動いたからか、それとも焚火に当たっていたからか、身体が思いのほか温かくなっている。

 それでもじっとしていると、外から吹き付ける風に、あっという間に体温を持っていかれてしまう。


 そこで少し考え、焚火と黒い巨馬の間に座る事にした。

 前から照らすオレンジ色の灯りと、背もたれに丁度いい馬のお腹に挟まれ、見るみるうちに身体が温まって行く。


 「食え」


 すると今度は、大男が赤茶色をした何かの破片を渡してきた。


 「は、はい」


 少女はそれが何かも分からないまま口に入れてみると、強烈な塩分に襲われた。

 しかもそれは、とんでもなく硬かった。


 何事かと、横目でチラリと男を見やると、同じものを野獣のように顔を振って噛み千切り、奥歯でガチガチと音が立ちそうなほど噛んでいた。

 少女は一つ頷き、大男の真似をしてみたが、とても歯が立ちそうもなかった。


 「はぁ~、そんな事も出来ねぇのか……」


 溜息と一緒に吐き出された男の声に、初めて感情のような物が混ざっていた。

 何かを諦めたような、がっかりとしたような、そんな感じだ。


 男は火にかけていた歪んだ鍋から、湯を2つのコップに移すと、少女から奪い返した干し肉を鍋に放り込んだ。

 そして代わりにコップをくれた。


 無色透明な液体が、白い湯気を立てている。

 少女はそれを両手で包み温まると、そっと口に含んだ。


 何も味が付いていない、ただのお湯なのに、涙が出るほど美味しかった。


 時間を掛けゆっくりと飲み干すと、今度はそこへ白くふやけた物体と濁ったお湯が注がれた。


 「ありがとう……ございます」


 礼を言ったものの、少女にはそれをどうやって食べればいいのかが分からなかった。

 しかし、それを聞いてはいけないような気がして、話をする事にした。


 「すみません。巻き込んでしまって……、それに危険な目にも……」

 「襲って来たから殺した。それだけだ」


 地を這うような低い声が、謝罪の気持ちと一緒に、縋り付こうとする弱い心をも流し去る。

 先の事など何も考えていなかった事を思い知らされた。


 暗くなった森の中、どこの誰とも知らない男と二人っきり。

 いや、規則正しく揺れ動く大きなお腹をした黒い馬が、彼女の後ろには居る。

 そんな事にさえ縋り付きたいほど、今の少女は心細かった。


 「そのペンダントはどうした?」


 黙って俯いていると、今度は男から話しかけられた。

 気が付けば、男の視線が少女の胸元にある大きな青い宝石に注がれている。


 繊細な細工が施された銀のネックスにはまっている宝石は、深い深い海の色を湛え、今も焚火の灯りを反射して輝いている。

 まるでそこだけが、舞踏会のように華やかだ。


 「母の形見なんです……」

 「そうか、死んでしまったのだな」


 男の視線が地に落ちた。


 男の名はロシュ。

 街の片隅で生まれ、路地裏で育った。家は無い。

 それこそ残飯を漁り飢えを凌いだ。


 しかしそれだけでは足りなくなると、森に入り動物を狩っては食べた。

 初めのうちは森の浅瀬だけであったが、徐々に大きな獲物を求めて奥へも分け入るようになった。


 そんなある時、魔獣か魔物に食い荒らされた男の死骸を発見した。

 ほとんど骨だけとなった体には、ボロボロになった皮鎧。

 その脇には鋼の剣が一振り転がっていた。


 あとは少額だが、金が入った袋も落ちていた。


 その日から男は武器を手に、動物だけでなく、魔獣も狩るようになった。

 ただ食べる為に。


 それに獲物として、死体も求めるようになった。


 そして年月が過ぎ、街で魔獣が売れる事を知った男は、魔獣狩りのまねごとを始めた。

 と言っても、仕留めた獲物を知り合いに売るだけだ。


 そんなある日、男はしくじった。


 その日は朝から雨が降り、男は臭いや音が誤魔化せるので丁度いいと考えて森に入ったのだが、それは敵も同じであった。


 視界が悪い中、遭遇したのは恐ろしく長い牙を持つ、黒い虎の姿をした魔獣。


 不意を突かれ吹き飛ばされた男は、その勢いのまま地面を転がって逃げたが。


 人間など及びもしない、しなやかで敏捷な身体が繰り出す攻撃を、それだけでは躱する事が出来ず。


 左の腕を噛まれ、右モモにも長い牙を突きたてられたところで動きが止まってしまった。

 それでも諦めることなく、男は敵の顔に剣を突き立てた。


 運よく黄色く輝く眼球に、剣を突き刺す事に成功した。


 すると耳が痛くなるほどの叫びを放った敵が、逃げてくれたから良かったものの、そのまま行けば間違いなく死んでいた。


 そして若かりしの男は、傷を癒すことも出来ずに、ふらふらと森を彷徨った。

 大雨が血を流してくれなければ、匂いにつられ集まって来た狼や魔物に群がられ食い殺されていた事だろう。


 しかし、それも時間の問題であった。


 偶然にも雨宿りが出来る場所を見つける事が出来た男は、大樹の下にしゃがみ込んだ。

 大きく張り出した枝が、ちょうど屋根代わりになっていて、そこだけは地面が乾いている。


 気が付けば、男は何も持っていなかった。

 死体から奪った剣も、金も、そして食料も……


 これで終わりか、そう思った時、幻だろうか?水色のドレスを纏った女性が、雨で煙る森から現れた。


 「はぁ~~、凄い雨ね。嫌になっちゃう。隣に座ってもいいかしら?」


 彼女が放った声は、場違いなほど明るかった。

 まるで花が咲き誇る庭園を散策しているかのよう。


 雨具も持たずに森を歩いて来た女性は、当たり前だが腰まで伸ばされた金色の髪だけでなく、ドレスまでがびしょ濡れであった。

 それでも裏路地と魔獣が住む森しか知らない男に取って、初めて見る女性は女神の如く美しく思えた。


 隣に座った女性の温もりを近くで感じ、傷の痛みも忘れて俯いていると、布を切り裂く音が聞こえて来て、男は顔を上げた。

 するとその女性が、ドレスの袖を肩の所で引き千切っているところだった。


 突然の奇行に茫然としていると。


 「ごめんなさい。気が付かなくって。痛かったでしょ?薬が無いの。これで我慢してちょうだいね」


 何と女性が、ドレスを袖を男の傷ついた腕に巻き始めたのだ。

 同様に血で染まった太ももにもキツク結んでくれた。


 「あ、ありがとう……」

 「やっと話してくれた。私はエトゥワーレよ。貴方は?」


 人と話すことに慣れていない男は、何とか勇気を出して礼を言ったのだが、そこから会話が始まってしまった。


 「ロシュ」

 「ロシュ?それだけ?」


 「ああ」

 「ふふ、そう言えば寒いわね」


 言うが早いが、小枝を拾い集めた女性が、鼻歌混じりに小枝を使って何かを地面に描き出した。

 そして手を止め、厳かに歌い始めたと思った次の瞬間には、積み上げられていた小枝が音を立てて燃え始めた。


 茫然とする男の顔を見た女性がクスリと笑い、楽しそうに言う。


 「教えてあげましょうか?」


 それから二つ目の魔法を教わり、男が水を出すことに成功した時、外が静かになった。


 「雨、止んでしまったわね」

 「ああ……」


 晴れ渡った青空を見上げた女性は、お尻を払うと、大樹の外へと出てしまった。

 陽光に照らされ風に舞う金色の髪を、男は今でも覚えている。

 その胸元に揺れていた青空よりも青い宝石の事も……


 「ねぇ、これからどうするの?」


 物思いに耽っていた大男は、あの時の女性の声が聞こえたような気がして、急いで顔を上げた。


 垂れ下がった金色の髪を耳に掛け、男の顔を覗き込んでいた少女と目が合う。


 「雨が上がったら出て行く」


 それが二人の出会いであった。

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