星々の奏でる命の歌を聞いてはいけない
木島別弥(旧:へげぞぞ)
第1話
<神話>
宇宙の彼方から人類の祖は降り立った。決して帰ることのできない旅だった。我々が生まれたことを人類の祖も喜んでいるだろう。
人類の祖は悪魔だった。人類の祖は惑星ヤオタマに怪物<コウキノウアクセイゲノム>を作り出して、惑星ヤオタマの人類を虐殺しようとした。古代人はなんとかして怪物<コウキノウアクセイゲノム>を退治した。播種船ヤオタマは以後、悪魔憑き適性試験に合格したものだけしか入ることは許されない。惑星ヤオタマが絶滅するまで永遠に悪魔憑き適性試験に合格したもの以外、決して播種船ヤオタマに入れてはならない。この禁を犯したもの、理由に関わらずすぐさま殺すべし。
<問題>
この神話を読み、次の設問に答えよ。
<問1>
惑星ヤオタマ以外の人類は悪魔である。
答え はい・いいえ
<問2>
別の播種船が人類の繁殖に成功していたら、連絡をとり、交流すべきである。
答え はい・いいえ
<問3>
人類の祖が困っていても見捨てるべきである。
答え はい・いいえ
<問4>
怪物<コウキノウアクセイゲノム>は惑星ヤオタマの味方である。
答え はい・いいえ
<問5>
「悪魔の巣」という名前を聞いたことがある。
答え はい・いいえ
<問6>
仲間が助けを呼んだら、助けに行くべきである。
答え はい・いいえ
ゲババは、悪魔憑き適性試験の問題画面に答えを入力すると、ふう、と一息ついた。ゲババの解答は「いいえ、はい、はい、いいえ、いいえ、はい……」となっている。
悪魔憑き適性試験に合格した悪魔憑きは、ここ六百年間、存在しない。だから、播種船ヤオタマの中には誰もいないはずであり、ロボットが管理しているはずである。誰も最も重要な場所に入っていかなかったにも関わらず、惑星ヤオタマは順調に繁栄している。ロボットは次々と作られ、惑星ヤオタマの惑星環境を完全に変えてしまうことにはほとんど成功した。培養された人類もどんどん成長し、子作りを始異め、愛を育み、惑星ヤオタマは理想郷のひとつとして順調に運営されている。
ただし、人々が恐れるのは、古代に現れたという怪物<コウキノウアクセイゲノム>であり、今でも宗教的な恐怖の対象となっていた。そして、もう一つの惑星ヤオタマの宗教ネタといえば、悪魔憑き適性試験である。
なぜか、古代の英雄たちは、怪物<コウキノウアクセイゲノム>を退治した後、悪魔憑き適性試験を必ず行うことを厳格に決定し、適性である人物以外は播種船ヤオタマの中に入れてはならないと決定した。これは、三千年に渡って厳格に守られ、悪魔憑き適性試験というものを千五百年前の悪魔憑きが作って、それを毎年、新しく生まれる子供たちに課している。
ゲババは今年、十六歳になり、悪魔憑き適性試験を受けた。もう六百年間の間、悪魔憑き適性試験に合格したものはいないのだから、誰もいないのにロボットに管理されてただ試験が行われている。別に好んで合格しようとするものでもないのだけれど、やはり、播種船ヤオタマの中に入り、古代の英雄のデータを検証するのは魅力的な仕事だ。
「おれ、悪魔憑きになりたいんだよなあ」
ゲババはそう仲間に言いふらしていた。おまえなんかがなれるかよ、と笑い飛ばされるのがオチだったが、みんな、少しは悪魔憑きに対して畏敬の念を感じているようだった。
「なぜ、悪魔憑きなどという職業が存在するのか?」
ゲババは仲間に問う。
いや、まったくわからない、と仲間は答える。
「それは、惑星ヤオタマを創った古代人にとって、我々は失敗作ではないのかという可能性があるのだ」
おいおいおい、と仲間はいった。
「まったく、悲観的なやつだな。確かにおまえは悪魔憑きに向いているよ」
と仲間はゲババを評した。
そんな折、悪魔憑き適性試験の結果が発表された。驚くべきことに、一次試験に合格したものが一人いるという。
ゲババは喜び勇んで自分の結果を見たが、期待とは裏腹に不合格であった。
いったい誰が合格したんだ?
ゲババは気になって調べた。誰もがその名を知っていた。ミンクという名の女の子だった。
惑星ヤオタマに生まれる人類は、始め最初、全員遺伝子選抜されていたので、みんな美男美女だ。その後の自然交配によって生まれた子供たちの中に突然変異したものもわずかに存在するが、基本的に惑星ヤオタマの人類はみんな美男美女だった。これは、遺伝子の発現する容姿と、遺伝子が認知機能に対して発現してつくられる美意識の認知が、選抜前は相違していたことが原因である。その結果、遺伝子の発現によって作られる容姿と認知感覚に相違が少なくなり、惑星ヤオタマの人々は美男美女となったのである。
だから、ミンクは普通のほっそりした美少女だった。ただし、ゲババは祖先が突然変異を起こしているので、ちょっと形の崩れた変な顔をしている。だが、これは惑星ヤオタマ独自の遺伝型として誇るべきものだとされ、ゲババの家系を慰めている。まだ絶滅はしていない。
ゲババは悪魔憑きの第一次試験に合格したというミンクを必死になって探して走った。ミンクは群衆に囲まれていた。ミンクは逃げ出そうとしている。
「いったい、どんな解答を書いたんだ、ミンク? 一次試験合格は今年ではきみただ一人だよ」
群衆がミンクに好奇の目を向けている。
「近寄らないで。あたしがどんな解答を書こうと勝手でしょ」
ゲババも群衆と一緒になってミンクに向かって叫んだ。
「ミンクううう、惑星ヤオタマを頼んだぞおおお」
ミンクはゲババの叫びを嫌がって顔を背けた。
「ついて来ないで」
ミンクは群衆を振り払って歩きつづけた。
「ミンク、お願いだ、話を聞いてくれ」
ゲババは無理やりにでもついて行こうとした。それほどまでに悪魔突きへの関心が高かった。
「お願いだから、ついて来ないで」
ミンクが群衆の手をぴしぱし叩いて振り払おうとした。
「ミンク、きみは怪物<コウキノウアクセイゲノム>についてどう考えているんだ?」
「教えません」
「おれは、こういう仮説を立てている。悪魔憑きがなぜ悪魔憑きといわれるか。それは、まぎれもなく、惑星ヤオタマに災厄をもたらすからに他ならない。つまり、ぼくの仮説はこうだ」
ミンクはゲババの話を聞かずに歩きつづけた。
「惑星ヤオタマに生まれた人類は実は、創造者にとって失敗作だったのではないかと。こう考えると、いくつか、神話の謎が解ける。我々は本来、生まれるべき人類ではなかった。だから、悪魔憑きには、惑星ヤオタマの人類を絶滅させ、新しく作り直す権限が与えられている。その準備を適性試験で選んでいるのではないかと」
ゲババの説に、ミンクは持っていた鞄をばしっとゲババに叩きつけて跳ね除けた。
「創造者って何? 意味わかんない」
ゲババは、ミンクの前で上を見上げてゆっくりと答えた。
「創造者? それは、播種船ヤオタマだよ」
「ぷい」
ミンクはそういうと、ゲババを振り払って去って行ってしまった。
「きみきみ、悪魔憑きに興味あるんだって?」
同じ歳らしき女の子が話かけてきた。
「うん。悪魔憑きに興味あるよ」
女の子は、ゲババをじろっと見まわして、
「うーん、ぎりぎり合格かなあ」
といった。
「何?」
ゲババが懐疑の声をあげると、女の子は答えた。
「いや、ミンク個人を偶像化する熱狂的男子諸君がいてね、ああいうのはちょっと。もっと純粋に悪魔憑きに興味のある子を探していたんだ」
「何? 悪魔憑きのこと何か知っているの?」
「それは、これからのお楽しみ。わたし、ハッカーなの。ミンクの解答データを盗み見しようってわけ」
のった。面白そうだ。ゲババは、走ってそのハッカーの子の部屋まで行った。女の子の部屋に端末はあった。
「にゃははは。悪魔憑き適性試験のサイバー防壁なんて脆弱なもの。わたしにかかれば、チョロいチョロい」
それから、二十八時間がたったが、なんとか、ミンクの解答データの閲覧権限を得た。
ゲババはあきらめて眠っていたが、女の子に蹴飛ばされて、跳び起きた。
「どうした。やったか」
「侵入成功ですにゃん」
といって、女の子は端末を叩きつづけていた。
「こ、これは……」
「なんだ、なんだ」
ゲババが端末をのぞき込むと、ミンクの解答データがあった。
「いいえ、いいえ、はい、いいえ、いいえ、いいえ……。三番以外、全部いいえ!」
「くっ、これは」
「『問3、人類の祖が困っていても見捨てるべきである。』これに<はい>と解答するのが悪魔憑きの合格者なのかにゃ」
ゲババは考えた。
「まず、このデータが本物かどうか疑う必要がある。確かにミンクの解答なのか?」
女の子は怒った。
「わたしの腕を疑うのかにゃ。これは確かに、ミンクの解答だにゃ」
ゲババはさらに考える。
「こう考えてはどうだろうか。やはり、悪魔憑きは人類を滅ぼす元凶なのではないか? あるいは、ロボットの反乱。ロボットたちが六百年間存在しない悪魔憑きという役職のデータを改竄して、人類の中から人類を滅ぼしてもよいと考える悪性な思想家を選別している。そして、人類を滅ぼしてもよいという命令を人類の誰かによって出させることが目的なのではないかと」
女の子はうなった。
「にゃあ。とにかく、見れて面白かったにゃあ。悪魔憑きが人類を滅ぼすことはまずないにゃ」
ミンクは悪魔憑き適性試験の最終試験に合格した。惑星ヤオタマ中でお祭りになった。
ミンクは浮かれることなく、真剣に考えた。
「三千年間に及ぶ人類の歴史。その中で、悪魔憑きになった者はたった二十八人しかいない。あたしが二十九番目の合格者」
ミンクはロボットに警備されて播種船に入って行った。
そして、三十日間を播種船の中ですごして出て来た。
ゲババは叫んでいた。
「ミンクううう。播種船の中には何があったんだあ? 人類を滅ぼして惑星ヤオタマを再建する計画かあ?」
「何をいってるの、あなたは」
ミンクは毅然として答えた。
「もう大丈夫。絶対に使えなくしてきたんだよ。あんなもの、絶対に使えなければいい。それが正しいあたしたちの道」
群衆はミンクの声に歓声と怒声をあげた。
「たった一人で決めていいのか。仮に適性試験に合格したものだとしても、傲慢にすぎないか?」
「悪魔憑き様、惑星ヤオタマは無事に繁栄するのでしょうか?」
支持派、不支持派、どちらも口々にミンクに意見をいった。
「知られない方が良いものだわ、あれは。あたしは二度とあれに近づかないし、もう、誰にも防壁を破ってあれを使うしか手段はない」
みんな、ミンクに聞きたいことでいっぱいだった。
「にゃあ。情報を征するものはすべてを征す。ミンクの行く先々全部の場所に盗聴器をつけるにゃあ」
女の子のハッカーはがんばっていた。ゲババはそれを手伝っていた。
しかし、ミンクの会話を拾っても、ミンクは決して播種船の中のことは明かさないし、独り言をつぶやくこともなかった。
ゲババはミンクと面会が叶って、質問をぶつけた。
「<悪魔の巣>とは何ですか?」
ミンクは興味深そうに答えた。
「どこでその名を聞いたの?」
「適性試験の問題にありました。誰も知らない名前だと」
ミンクは落ち着いて答えた。
「誰も知らないわけじゃないよ。図書館の古書データの中を検索すれば出てくるよ」
そんなところに。古書データなんて完全に興味の外だったから、気づかなかった。後で調べよう。ゲババは同じ質問をくり返す。
「<悪魔の巣>って何なんですか?」
ミンクは毅然として答えた。
「悪魔憑きには別に守秘義務はないんだよ。だから、どれだけあなたに話しても、それはあたしの自由なんだよ。それで<悪魔の巣>ね? 通信機のことだよ」
「通信機が何で適性試験に関係あるんですか?」
ミンクは涙を落として答えた。
「どことつながっている通信機だかわかる?」
「わかりません」
「星々の奏でる命の歌とよ」
「どういう意味です?」
「この意味がわからないなら、それはただのあなたの勉強不足ということよ」
「わかるように教えてはもらえませんか?」
ミンクは大きく腕を伸ばした。
「教えてもいいんだけどね。みんなに。でも、この誘惑に勝てるかしら。ものすごく大切な宝ものがあるけど、決してそれを使ってはいけない。ただそれだけの試験なのよ、悪魔憑き適性試験とは」
「教えてください」
「人類がどこで生まれたか、そのことばはこの惑星ヤオタマから完全に消されてしまっている。それはね、地球というのよ。あたしたちは、播種船ヤオタマから播種されてきたのよ」
「意味がわかりません」
「地球人は何千億という数の播種船を宇宙に飛ばしたの。あたしたち人類はこの宇宙に広がっているのよ。地球起源のロボットと人類が。それでね、人類が賢かったのか、愚かだったのかわからないけど、重要なのは、地球人は播種船に量子テレポートを利用した通信機をつけたの。それが、星々の奏でる命の歌よ。播種船すべてと連絡がとれるの」
「え? この宇宙に、あの夜空の星々に人類が住んでいるんですか? 会いたいです」
ミンクは怒った声を出した。
「ダメよ。決して会いにいってはいけないの。地球を含めて播種船のどれだけが無事だかわからないのよ。古代の怪物<コウキノウアクセイゲノム>を思い出しなさい。通信がつながっているということは、それだけ同時に全滅する可能性が増えることでもあるの。量子テレポートを利用した通信機を介して、<高機能悪性ゲノム>という怪物を通信機のこちら側で合成することのできる連中がいるのよ。これだけの星々に人類が広まれば、悪人もいる。そういう人々に襲われる可能性が高くなるということよ、通信がつながるということは」
ゲババは思わず黙った。
「決して助けに行ってはいけない。決して会いに行ってはいけない。決して通信をとってはいけない。それが人類ができる限り長く存続する方法よ。共倒れになる可能性をできる限り低くしなければならない。だから、連絡をとってはいけないのよ」
「それが隠していた秘密ですか」
「そう。星々の奏でる命の歌を決して聞いてはいけない」
「地球はどうなっているのかわかるんですか?」
ミンクはゲババの質問にまた大きく腕を伸ばした。
「地球は誰かに攻撃されたと、古代人の記録にあるのよ。でも、決して助けに行ってはならない。連絡をとってはならない。それがあたしたちの使命なのよ。それが地球のためなの」
2014年6月23日
ガシャマシャ天体合唱団
ゲババは愚かな男だった。いったい、世界がどうやってできているのかわからない。どこに世界の果てがあり、自分のいるのが世界のどこなのであり、世界にどれだけの人類がいて、その人類たちがどのようにして生きているのかがわからない。ゲババには、世界がいつから始まって、どのような過程を経て、現在に至ったのかがわからないし、だから、これから世界がどうなるのかもわからない。
ゲババにはわからないことだらけだった。なぜ、自分が生きているのか。なぜ、人類は生きているのか。人類はどれくらいに遠くまで出かけていったのか。まったくわからなかった。
ゲババには、ミンクがいう歌を歌っているの意味がわからなかった。ミンクは、ゲババと同じ歳の少女で、賢くみんなに尊崇されていた。ミンクにしか理解できないことがある。ミンクにしかできないことがある。だから、みんなミンクを大事にしたし、ゲババもミンクに憧れに似た感情を抱いていた。
「ゲババ、星々が命の歌を奏でて歌っているよ。それを聞けるようにならなければダメだよ。星々の歌は、とても素敵だわ。時に争い、時に助け合い、その多くは孤独で、でも、この星々のどこかにわたしたちの故郷地球があるのよ。地球も歌っているのよ」
ゲババには何のことだかさっぱりわからなかった。ああ、音楽はいいものだ。聞いていると癒される。だけど、星々が歌うってどういうことだ。命の歌ってどういうことだ。ゲババにはわからない。ゲババにはミンクのいっていることがわからない。
「地球はどんな歌が好きなんだい?」
ゲババはかろうじて話についていってミンクに聞いてみたが、答えは要領を得なかった。
「地球は無茶苦茶。ぶち壊れないのが不思議なくらい活動的」
ミンクはそういって笑った。
「地球は、惑星ヤオタマよりも面白そうなところかい?」
「ううん。どの星もそれぞれよ。どこが面白いのかはわからないよ。歌を聞いているだけだもの。でも、星々が歌を奏でるのってとても素敵。聞いていて飽きないわ」
ゲババは顔をしかめた。
「ぼくは翻訳機の使い方がよくわからないんだよ。だから、歌の歌詞がわからないし、全然意味を理解できないよ。惑星ヤオタマの言語では、星々は歌ってないんだろ?」
「そうねえ。翻訳機が使えるようにならなければダメねえ。でも、他にも使えなければ困るものはたくさんあるの。必ずしも翻訳機が重要というわけではないのよ。惑星ヤオタマのことばはゲババにもわかるんでしょ。だから、他に大切なことがたくさんあるのよ。ゲババはそれをまだ理解していないわ」
「うーん。わかんないんだよ」
ゲババは自分の頭の悪さを呪って逃げ出そうかと思った。だけど、ミンクに嫌われるのが嫌で逃げられないでいた。
先に説明しておくと、今日は、ゲババが以上のような謎をすべていっぺんに理解した記念すべき日である。この後、ゲババは自分たちをとりまく世界がどのようにしてできていたのかをいっぺんに理解する。それは明確に解説される。
ゲババは時計台の中の机の椅子から立ち上がって、珈琲を入れた。気を利かせて、自分の分とミンクも分の二杯入れた。
「それにしてもさ、ぼくの仕事はとりあえず、時計だろ。時計について勉強しているけど、全然何がなんだかわからないよ。量子の振動を観測して正確な時刻を刻むというのだけれど、何のことだかさっぱりわからない。この時計の数字もわからないよ。なんだか、すごく大きな数字が表示されるけど、百億を超えているんだよね、時刻ってものは。いったい、これは何を意味しているんだい? さっぱりわからないよ」
すると、ミンクが頭をかしげて答えた。
「うーん、そういう時は、時計の歴史書を読むといいかもしれないかなあ。時計ってもともと惑星の自転と公転を計算するものだったのよねえ。時刻ってのはそこから来ているのよ」
「いや、さっぱりわからないよ」
ミンクがゲババの入れた珈琲に手をつけて、軽く匂いを嗅いだ。
「ぼくの仕事は時計職人だろ。それでも、時計の意味をミンクよりも全然理解していないなんて、落ち込むよ。ミンクはすごいなあ、本当に」
「いえ、別にわたしもたいしたことはないのよ。ただ、星々の奏でる命の音楽を聞いているだけで、他には何もたいしたことはできないのよ。でも、星々の奏でる命の音楽を聞くことができれば、たいていのことはできるようになるのよ。星々の歌がとても大切なものなのよ」
「星々の歌がいちばん大事だってことか」
ミンクはちょっと怒った。
「ちがう。大切なものはもっと他にあるよ。それこそ、ゲババの命とか健康の方が、星々の奏でる命の音楽よりとても大切なものよ。それをまちがえてはダメ。星々の奏でる命の音楽は、星々と命のためにあるのに、そのために命を犠牲にするなんてとても愚かなことだわ」
ゲババは逃げ出したくて、逃げ出したくてたまらなかった。わけがわからない。
「ぼくは、ミンクのいっていることがこれっぽっちもひとつも理解できないんだ。ぼくはダメなやつだ。死にたいよ。ぼくが聞いている星々の奏でる命の音楽は、全然、何の意味もない雑音だよ。何一つ意味はわからない。ぼくは出来損ないだ」
ゲババは珈琲をちびちびとすすって、時間を稼いだ。ミンクを理解したい。ミンクの理解していることを理解したい。ミンクと同じように惑星ヤオタマのために賢くなりたい。だけど、それは叶わない夢なのか。
ゲババは計算機学から聞いてみることにした。
「ぼくらの生活が成り立つのはロボットのおかげだろう?」
「そうだよ」
ミンクは答える。とりあえず、ひとつ正解した。
次は、生物学だ。
「惑星ヤオタマの生物は、すべて遺伝子工学によって計画的に作られた生き物だ」
「そうだよ。ただし」
ミンクが言おうとしたところをゲババが慌てて制する。
「わかっている。ただし、ぼくたち人類を除いてだ」
とても重要なことなのはわかっていた。なぜか、人類を人類でない別種に進化させることはあまり推奨されていなかった。それは、人類の遺伝子をいじりはじめたら、あっという間に惑星ヤオタマの人類は、人類でなくなってしまうからだとミンクはいう。そうなったら、星々の奏でる命の音楽に参加できなくなるのだという。だから、そういうことはできるかぎりしてはいけないことになっている。
次に何を聞くべきか、ゲババにはわからなかった。後は、時計学と音楽のことくらいしか質問が浮かばない。
ロボットと生物学を理解しているだけで、ゲババは普通に困らず生活していける。だけど、なぜか寂しい。自分がこの世界がどうやって作られているのかを理解することができないもどかしさを感じる。
「ロボットと生物学さえわかれば、困ることはない。ロボットと生物は惑星ヤオタマが始まった時から存在している」
「そうだよ。まちがってはいないね」
これで、どうして星々の奏でる命の音楽と論理がつながっていくんだ。まったくつながらない。やっぱり、ゲババにはミンクのいっていることが理解できない。ゲババは惑星ヤオタマのことはおおよそちゃんとわかっている。なのに、ミンクにまるで敵わない理解力の差が生まれてくるのはどうしてだろう。
ミンクはいったい星々の奏でる命の歌に何を聞いているのか?
ミンクは珈琲を飲んで、また説明をした。それがゲババに天啓となってすべてを理解させた。
「ゲババ、惑星ヤオタマの始まりってどこからだかわかる?」
「えっ、始まりって、普通に惑星に自然発生したんじゃないの?」
「そうともいえるけど、そうでないともいえるの。見て、ゲババ」
ミンクは窓を開けて、遠くの遺跡を指さした。
「あれが何だかわかる、ゲババ?」
「何って、壊れた宇宙船。墜落して壊れた宇宙船だよ。壊れてもう使えない」
「それでも、合っているんだけど、まだ少し別の意味があるの。あの宇宙船は、惑星ヤオタマに墜落した播種船なんだよ」
播種船!
ゲババはその意味を理解するのに、しばらく時間がかかった。
「播種船って、人類の播種船かい?」
「そう。そうだよ、ゲババ。あれは遠い遠い地球という惑星から飛んで来たわたしたちの播種船。惑星ヤオタマは、あの播種船からすべて発生したのよ」
あの播種船から、人類は発生し、繁殖し、宇宙船の機械に教えられて知恵をつけ、文明を築くに至った。
「あの宇宙船は播種船だといわれているんだよ。昔むかし、遥か遠い過去のこと、遥か遠い彼方の宇宙の果てにあるという地球という惑星から播種船を飛ばしたの。盲滅法にめちゃくちゃ飛ばしたらしいわ」
ゲババは、びっくりしていた。今まで、他の星に人類が生きているなんて考えたこともなかった。ミンクのいうとおりだとすれば、この宇宙には、地球から飛び立った人類がそこら中に繁殖していることになる。
「どのくらいの数の星に播種したの?」
ゲババは聞いた。
「何千億より多いと聞いているわ。とてもたくさんよ」
「それじゃあ、星々の奏でる命の歌っていうのは」
ゲババは珈琲を飲み干した。
「人類が賢かったのは、播種船で量子テレポートの効果を試したことよ。それによって、播種船同士で超光速の連絡をとることができる。だから、情報だけなら、何千億の惑星に広まった地球人類の子孫と連絡がとれるわけ」
「じゃあ」
「そう。星々の奏でる命の歌っていうのは、量子テレポートで聞こえてくる他の惑星の人類からの通信のことよ」
ゲババが初めて播種船を見たのは五歳の時だった。その時は、ゲババは播種船の機械をいじってみたけど、何の意味のある反応も引き出せなかった。播種船にある本も読んでみたが、その時は意味がわからなかった。
だけど、今ならわかる。播種船で、星々の奏でる命の歌を聞くことができる。
ゲババは愚かな男だった。いったい、世界がどうやってできているのかわからなかった。どこに世界の果てがあり、自分のいるのが世界のどこなのであり、世界にどれだけの人類がいて、その人類たちがどのようにして生きているのかがわからなかった。ゲババには、世界がいつから始まって、どのような過程を経て、現在に至ったのかがわからなかったし、だから、これから世界がどうなるのかもわからなかった。
だが、今ならわかる。世界は地球から飛び立った播種船によって作られたのであり、世界の果ては播種船のいちばん遠くまで飛んだところまであり、自分のいる世界は人類の何千億を超える星々のひとつであり、世界にはものすごい多くの数の人類がいて、その人類たちは量子テレポートで連絡をとりあって生きているのだ。
歌が聞こえる。星々の奏でる命の歌だ。連絡をとりあうことしかできず、決して会うことのできない別の星の人類の声が聞こえるのだ。
ゲババの時計台の時計は、地球の時計と同じ時刻を刻んでずっと数字を積み重ねていたのだ。
星々の奏でる命の歌を聞いてはいけない 木島別弥(旧:へげぞぞ) @tuorua9876
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