1-10
屋上への階段を駆け上がるのと同時に、喜びと嬉しさが一緒になって上がっていくのを感じていた。
その時、すれ違った二人の女子が「新倉先輩」と言っていたことにより、この先に『しおんにぃ』がいることを確信する。
階段を登りきり、あとは目の前に見える扉を開けるだけとなった。
早まる鼓動に握り拳で抑えながら、ドアノブを捻ろうとした時、小窓から屋上の様子が伺えた。
橙色に染まる屋上の中、男子生徒が一人立ち尽くしていた。
よくよく見ると、ヴァイオリンを弾き、リズムに合わせて体を、まるで赤子をあやすようなゆったりとした動きをしていた。
夕焼けに照らされて、黒髪に紫がかった色が浮かび上がる。
「しおんにぃ·····」
弾いている最中であったのにも関わらず声を掛けたが、いつもの威勢はなかった。
『しおんにぃ』の横顔がどことなく悲しそうに見えたからだ。
それは夕暮れ時だから、そう思わせるのだろうか。
次の言葉も掛けられず、立ち尽くしていると、こちらに体ごと向けた時に朱音のことを気づいたらしい、ぴたと演奏する手が止まった。
「·····ぁ、しおんにぃ。どうした──」
「──何しに来た」
歩み寄ろうとした足が止まった。
「何、しにって、十年以上会えなかった兄弟にやっと会えたのに、何もクソもないじゃんか!」
『しおんにぃ』の言い方に胸の痛みを覚えたのもあって、怒りをぶつけるがごとく、叫ぶ。
「しおんにぃだって、そう思わないの!? 廊下で見つけた時だって、俺と交換したストラップを付けていたから、俺、すぐにしおんにぃだって分かったのにさ·····! なんでそんな態度するの? 俺、何か·····──っ!」
聞いているのかいないのか、こちらに顔さえ向けていなかった『しおんにぃ』が突然、ゆらりと顔を向けたことにより、噤んでしまった。
それは、睨みをきかせた──朱音の目には、悲しみを含んだ目をしていた。
やっぱり。でも、どうして。
困惑している朱音の前に大股で寄ると、胸ぐら辺りを掴まれた。
さらにわけが分からなくて、瞳を揺らしていると、形の良い唇が開いた。
「俺には、兄弟はいないと言ったはずだが?」
「だ、だって·····しおんにぃって呼んでたし·····」
「しおんにぃって、呼ぶな」
「··········っ」
さらに目を吊り上げ、間近で言われるものだから、完全に言葉を失った。
どうしてそんなことを言うのか。
じわっと視界が滲む。
その時、『しおんにぃ』の顔が近づいてることに気づいた。
視界が揺らいでいるせいですぐに気づけず、そして、胸ぐらで掴まれているせいで、離れられずにいた。
「──俺のことは、」
『しおんにぃ』の言葉が途切れたすぐ後。
唇に柔らかいものが触れた。
目を見開いたのと同時に、離れた『しおんにぃ』が口角を上げたような表情が見えた。
「紫音と呼べ」
何をされたのかと考えるが前に、雑に胸ぐらを離され、その反動で地面に尻もちをつく。
その時、反射で目を瞑り、涙が零れ、クリアになった視界の先には、楽器ケースにヴァイオリンを仕舞い、何事もなかったかのように、朱音の横を通り過ぎていっていく紫音の姿。
震える唇に、これまた震えている指先で触れて、今になって彼にされたことが分かり、顔を真っ赤にさせ、倒れ込む。
どうして、どうしてあんなことを、しかも急に? 何故、「紫音と呼べ」だなんて言ったのだろう。
何もかも理解出来ない。
後ろに倒れ込んだ朱音は、両手で視界を覆い、日が暮れるまで悶々とするのであった。
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