第27話▼日通でのバイト・弁当と通信費は自分もち
クロネコヤマトを退職してすぐに、日本通運の日雇いのバイトで食いつなぐことに決めた。理由は、即日で給料をもらえるからである。たしか週払いだった。それだけ家計はひっ迫していたのであった。
2016年のエイプリルフール。大阪駅のすぐ近くの日通ビルにて研修が行われた。ビルなんて名前がついているが、大阪大空襲から燃え残ったんじゃないかと思われるぐらい外壁が土色のヒビだらけ古臭い建物だった。床は公立の小中学校で見られるような木のパネルが一面に敷き詰められていた。
研修を受けている最中、突如縦揺れが起こり、座席から突き上げられ、身体がほんのりと宙を浮いた。いくらすぐ隣にJRの路線があるからって、電車が通っただけでこんなに揺れるとは、この建物ボロすぎだろと思っていたら、どうやら違っていて、教官が座席の下に隠れろと指示を出した。そういえば、吊り下げられている蛍光灯までもが揺れている。その日、三重県南東沖にて震度4の地震が発生し、たまたまそれに居合わせただけであった。
こうして私の新しい職場での生活が幕を開けたのであった。
日本通運大阪支社は中津という場所にある。大阪駅から徒歩10分ほどの位置である。
私としては居住地の喜連瓜破から近い場所に配属されたかったのだが、そうは問屋が卸さなかった。そもそも私が応募したのは引っ越し部門なので、取り扱いは支社が行っていたからだ。乗り継ぎがなかったので通勤は楽になったが、交通費の負担はわずかに増えてしまった。もちろん自費なので、昼食代と同等の値段を無駄にせざるを得なかった。
中津には観光名所としても有名なスカイビルという高層ビルがある。全面ガラス張りで屋上に特徴的なテラスを持つハイセンスなデザインのビルだ。ちなみに『Nier Automata』を開発した『プラチナゲームズ』がテナントに入っている。
そんなオシャレビルを尻目に日通の大阪支社へと向かう。支社とはいうもののこちらは無機質な倉庫と、事務や従業員の休憩のための建物、そしてだだっ広い平屋の荷捌き場があるだけだ。いずれも昭和中期の遺物のような建物で、スカイビルとは月とスッポンだった。ちなみにその建物の男子小便器には水を流すためのフラッシュバルブもなかった。もちろん自動水栓などではなく、一定時間が経つと水瓶から水が流れる古臭い仕組みであった。なのでトイレが混みあうと、直前に小便をした人の臭いがダイレクトに感じられた。
日本通運大阪支社では海外向けの引っ越しの荷物を取り扱っており、近畿一円をカバーしていた。国内向けの荷物は細かくエリア分けされている一方、海外は一地方に一カ所で集中して受け持つ仕組みが確立しているらしい。
なのでお届け先が、もしくは集荷先が県外になることはざらにあった。もちろん日雇いのバイトが大型トラックを運転するわけがないので、移動の際はただトラックの助手席に座っていることになる。感覚的には兵庫県南部が一番多く、その場合は片道1時間弱は何もせずに給料を稼ぐことができた。最も遠方の場合は私の故郷である滋賀県北部まで荷物を引き取りに行ったこともあり、その場合は往復4時間程度は気楽なドライブを楽しませてもらえる。今まで私が携わってきた仕事には待ち時間が発生したことは皆無で、少しでも手を止めるとその分だけ仕事が滞る類のものばかりだったから、ボケっとしていてもお金がもらえる仕事というのはとても新鮮だった。
朝の朝礼が終わると、トラックの運転手と他のバイトとの組みわけが行われる。壁に掲げられたホワイトボードに自分の名前を探し、その隣り合った他人の氏名を記憶に留めて、荷捌き場で合流するだけだ。
トラックの運転手を見つけたら、まずは集荷に向かうのか、配送するのかを尋ねる。集荷の場合は荷物をトラックに積み込む必要がないからだ。
「今日はまず配送をするから、そこにある荷物を荷台に積んでおいてくれ」
私が勤めだした4月は引っ越し業者にとって繁忙期である。もし現場が大阪北部や兵庫県南部のような近場だった場合は、少なくとも一日に2軒はこなさなくてはならない。なので次に現場はどこなのかとトラックの運転手に尋ねる。
「和歌山市だよ。ちょっと遠いから昼はここに戻ってこれないかもな」
遠方の場合は私は心の中で小さくガッツポーズをする。これで約半日は助手席で待機するだけで済むからだ。
荷捌き場にはお客さんから引き取った荷物が大量に保管されている。荷捌き場とはだだっ広い屋根付き駐車場であり、屋根を支える柱が林立しているだけの無機質な空間だ。荷物の仕切りには『巻き段』と呼ばれる段ボールを薄くした素材をロール状に巻いた素材を用いられる。まるで腕に包帯を巻くようにして、お客さんの荷物を家具や段ボールもろとも巻き段でグルッと巻き、即席の仕切りとしているのだ。
荷物を運び出す際には仕切りを破る必要がある。巻き段を無残にカッターで切り裂いて、人海戦術でトラックの荷台へと積み込んでいく。その際は担当のトラックの分け隔てなく、近場にいた従業員全員が協力して荷物を担ぐのだった。
担当する荷物を積み終えると、日雇いのバイトはトラックの助手席に乗って発車を待つ。運転は当然、トラックの運転手が行うので、それ以降のバイトは気楽なものだった。
「客の住所、分かる?」
初仕事の際に、運転手が聞いてきた。私の隣の席には先輩の従業員がいて、発注書のような書類を見ながらスマホに住所を打ち込んでいく。
「路地、狭いですね」
とストリートビューに映し出された景色を運転手に見せた。
「ちょっと貸して」
と運転手がストリートビューを操作する。
「この路地からだったら、トラック停められそうやな」
「ちょっと現場から離れてしまいますね」
「そこの新人が駐禁を切られんようにトラックを見張って、キミが台車で荷物を運べばええやん。時間はかかるけど、なんとかなるやろ」
「分かりました」
(……なるほど、現場に着く前からどのようにトラックを駐車させるのかまでシミュレーションをしておくのか。行き当たりばったりじゃ、やっぱりダメだもんな)
などと私は納得した。こうした情報を前もって知れるのもスマホやGoogleのおかげかと思うと、これらが起こしたイノベーションの効果は計り知れないなと思った。なにせ、大阪の片隅の引っ越し業者までもがこれらの文明の利器に依存しているのだから。
「それじゃあ、到着までナビ頼むわ」
「はい。案内開始しますね」
と、先輩はGoogleマップのルート案内機能を開始した。
「え……ちょっと待ってください。トラックのナビは使わないんですか?」
と私は運転手に尋ねた。
「こっちの方が便利やろ。あと、トラックの地図は古くて役に立たんしな」
「いや。でもそれプライベートのスマホ……」
「ここではそういう風になってんのよ」
私は愕然としてしまった。
国内の流通業者の最大手の日通がGoogleマップに依存しているのも驚きだが、それよりもそれを従業員のスマホで賄っているということが信じられなかったからだ。
(じゃあ何か? 交通費だけじゃなくて、仕事で使うナビの通信費も俺らで払えと?)
最大手でこのざまである。
世界経済の中で日本が凋落してアメリカが一人勝ちする理由も、日本からブラック体質の企業が根絶されない理由も、この出来事によってある程度垣間見ることができたような気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます