第26話▼さらばクロネコ、奇妙な勤務形態

 天神橋筋商店街は南北に長い。全長は2.6kmもある。

 なのでクロネコヤマトの事業所が天神橋筋商店街内にあるといっても、場所によって最寄り駅は変わる。

 天神橋筋商店街の南側には南森町駅、北側には天神橋筋六丁目駅、中間地点には扇町駅が最も利便性の良い。

 当時の私は喜連瓜破に住んでいたので、利用できる路線は谷町線。

 なので南森町駅で降りれば乗り継ぎなしで天神橋筋商店街へと赴くことができる。

 しかし職場は扇町駅が最も近い。

 なので200円程度の運賃が余計にかかろうと、扇町駅を利用することが多かった。

 当時はマンガの描こうと絵の練習に打ち込んでいたので、出勤時間ギリギリまで家を出たくないというのもあったからだ。


 扇町駅周辺は、すぐ関西テレビの本社ビルが間近にあることもあってか、飲食店の激戦区だ。

 大阪は食い倒れの街と呼ばれているし、たしかにマズい店に出会ったことはない。

 その中でも扇町にある店は特に安くて美味い店が軒を連ねているように感じる。

 だからどれだけ普段の生活が貧しかろうと、バイト先が交通費を出してくれなかろうと、どうしても何日かに一度は店先から漂う食欲を刺激させられる匂いの誘惑に敗北して、暖簾をくぐってしまうのだ。

 その中でもとあるカレー屋が当時の私のお気に入りだった。

 店の名前は忘れてしまったがその店と出会った影響力は今なお続いている。

 たとえばその店では野菜を細かく刻んで煮込んだキーマカレーが主流であるが、現在の私がカレーを作るときは、同様のキーマカレーを作る。

 その店の独特のスパイスの香りと刺激が忘れられなくて、現在の私は市販のカレールーを滅多に使わない。普段はオリジナルでブレンドのスパイスを使用している。

 そのうえその店では『らっきょうの酢漬け』がセルフサービスだった。以前の私であれば福神漬け以外の付け合わせを知らなかったのだが、現在ではらっきょう一択である。


 そんなささやかな楽しみもあり、また仕事に慣れたこともあり、あまり儲からなくてもクロネコヤマトでのバイトを満喫していた私なのであったが……

 1カ月半が経過したころ突然、私はセンター長に呼ばれ、事務室の奥へと通された。


(……なにかマズいことしたっけ?)


 事務室に向かう間に、最近犯したミスを色々と思い出していた。

 班の中で仕事を終えるのが一番遅かったことだろうか? 雨の日に荷物の箱を濡らしてしまったことだろうか? 帽子を忘れたのを誤魔化したことだろうか?

 なんにせよ、ネガティブな事しか頭に浮かんでこなかったので、先制攻撃をしかけた。


「あの。もしかしてクレームでも入ってきたのでしょうか?」


 と開口一番、センター長に尋ねる。

 センター長はにこやかな顔をしながら、


「いや。働きぶりは悪くないよ」


 その一言で私はホッと胸をなでおろした。

 今ここで仕事を奪われるのは困る。なにせ、次の仕事を探す暇もないぐらい貯金が底をついてしまっているからだ。


「できれば君には継続してここに勤めてほしいと思っているんだけどね」


 その言葉を濁した語り口に、思わず身が固くなる。


「……継続するつもりでおりますが?」


 センター長はやや私から視線をはずし、俯きつつ、


「うん。出来ればそうしたいと思っているんだよ。だけどね。ウチのちょっと変わったルールでね。まずは最初に2カ月は仮採用ということで働いてもらっているんだ。それは事前に説明したよね?」


「はい。お伺いしました」


「それでね、君はもうじきその二カ月が経過する。よく頑張ってくれたと思うし、ウチとしてもそのまま続けて欲しいと思うんだけど……」


「だ……だけど、何ですか?」


「……情けない話だけどねぇ。今は年度末でしょう? で、今年度に人員を採用するための予算を、使い切ってしまったんだ?」


「よ、予算を使い切った……!?」


 天下のクロネコヤマトだよ? そんなことある? と思った。


「で、君には申し訳ないけど一旦契約を終わらせてもらって、4月の頭まで休んでいてほしいんだ。今が3月の頭だから、2~3週間は仕事に入れなくなっちゃうんだけど……それでもよかったら、ウチに残ってもらえないかな?」


 一瞬、目まいがした。

 これは本気で言っているのか? 本音では辞めさせたいのか?


 ともかく前述したとおり、私の貯金は底をつきかけている。

 とてもじゃないか半月近くも無給の期間を設けるわけにはいかない。

 私はもやもやした気分を自宅に持ち帰り、次の出勤までウンウンうなりつつ、頭を悩ませ続けた。

 そして次回出勤時の昼休み、お気に入りのカレーを食べてスプーンを置いた際に、私はきっぱりとクロネコヤマトを辞めようと決心した。どうせ儲からないし、こんな提案をされるようでは先がない。

 生活費を切り詰めなくてはならないため、その日以降、そのカレー屋を二度と訪れることはなかった。

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