第19話〇女子と食卓と言語交流会

 インに日本語を教え始めて数週間が経ったころ、私は色んな意味で首が回らなくなっていた。

 そもそも私はコミュニケーションが得意な方ではない。初対面の人とはそれなりに打ち解けることができるが、関係を長続きさせることが苦手という厄介な性格をしている。

 というのも、私は頭の回転の速い方ではない。会話のキャッチボールも得意ではない。とっさに何かを尋ねられたら、「えっと、えっと……」としどろもどろになって、答えを出すころには相手は退屈しているか、違う人と話し始めているというのが幼い頃からザラだった……私は人とはワンテンポ遅い世界に暮らしている。

 そこで私が身につけた処世術は、おもしろいトークのネタや会話のデッキを揃えておいて相手を退屈にさせないというものだった。過去の失敗談や珍しい体験談は数知れないので、初対面の人が相手だとかなりの確率で私自身に興味を持ってもらえる。

 だけどその会話のデッキ、トークのネタが尽きてしまったら、たちまち何を話していいか分からなくなってしまい。頭の中は軽いパニックに陥ってしまう……何気ない話が私にとって一番難しい。


イン「……どうしたの。カバ?」

イン「日本語教えているとき以外、ずっと無言だけど」

イン「もしかして私に日本語を教えるの、負担になってきてる?」

イン「今日はここまでにしよっか」


(……こりゃあ、まずい)


 このままではいずれお互いに疎遠になってしまう。親しい人たちが去ってしまって寂しさを紛らわせるためだとか、仮にも女の子と食事を共にしているので少しテンション上がっているからだとか……インとの交流を止めたくない動機はいくつもある。

 そのなかで最も大きなウェイトを占めていたのは、『ここで彼女をほったらかしにして彼女の生活が立ちいかなくなってしまうと後味が悪い』という保護者的な気持ちと、『自分のような人間であっても仮にも誰かにものを教えている、役立てている』という感覚が、これまでの人生で削り取られてきた自信をにわかに回復させているという感触を得ていたからだった。

 インが日本語を一つ覚えると、自分も笑顔になれる。次回に顔を合わせた時に以前よりも日本語が通じるようになっていると、授業の終わりに感謝をされると、胸の底から何か温かいものがうずく感覚がするのだ。この確かな手ごたえを、私はまだまだ味わっていたかった。

(まぁ、以前に習ったことを忘れていることもしばしばの、困った生徒だったのだが)


   ×   ×   ×


ユリ「カバくんって、最近インちゃんと一緒にご飯食べてるよね?」

 そう尋ねてきたのはユリさんだった。私より2つほど年上で薬学部卒の才女である。仕事に少し疲れて、今までと違う世界を見てみたくてシェアハウスに入居したくちの日本人だ。


ユリ「ふ~ん。日本語教えてあげてるんだ。偉いね」

カバ「まあ僕は英語教えてもらっているんで、ギブアンドテイクみたいなとこありますけどね」

ユリ「それ、いいね! 私も興味あるかも」


 この会話を交わした約2年後にユリさんはシェアハウスを卒業し、仕事を辞めて、ワーキングホリデーを利用してニュージーランドに長期ステイすることになるのだが、この時点で既に英会話を学んで世界に飛び出したいという兆候が伺えた。


カバ「じゃあ、よかったら俺らのレッスンに参加してみない?」

ユリ「うん。仕事で遅くならなかったら参加してみようかな」


 私は内心、密かにガッツポーズをした。

 インとの会話のネタに尽きたのなら何のことは無い。新しい風を吹き込めばいい話なのだ。

 しかも新たに参加してくれるのは、京都では有名な薬学部を卒業した、スマートかつ人当たりの良いお姉さまである。

 テンション上がるなという方が無理である。

 さらにレッスンの当日の共用ダイニングにて……


カバ「ユリさん。今日のレッスンが始まりますけど参加しますか?」

ユリ「あっ、もうそんな時間? ゴメン。私、行かなくっちゃ」

オラ「ユリ。何しに行くの?」

ユリ「英会話のお勉強。あと、インって子に日本語を教えに」


 ユリさんとお喋りしていたオラが私たちの集まりに興味を持ちだした。

 オラは金髪を後ろで束ねた髪型と知的な眼鏡姿が印象的な、20代のポーランド人女性だ。しっかり者に見えるが、あどけない顔立ちをしており妹系の印象も受ける。しかしポーランドの大学で(たしかワルシャワ大学?)日本の宗教、特に神道を研究していたという、これまた滅多にお知り合いになれない才媛でもある。


オラ「私も日本語のトレーニングを受けてみようかな」

カバ(いやいや、あなたすでに日本語、かなり完璧ですやん)


 しかし新しい風を吹き込むという観点でいえば、オラの加入も大歓迎であった。


カバ「ということで、これからこの4人でレッスンしていこう!」

イン「スゴイ! 先生が3人もいるだなんてメチャクチャ贅沢ね!」

ユリ「いや、私もみんなに教えてもらう側だから」

オラ「じゃあ、みんな先生で、みんな生徒っていうわけね」


 というわけで私たちは週に2,3度、定期的に集まることに決めた。ついでなのでその際には夕食は4人で作り、一緒に取ることにした。


カバ「1人分作るのも4人分作るのも手間的には同じだから、みんなでシェアし合おうよ」


 私は料理を振る舞うのが嫌いではなかったので、率先して献立作りなどを引き受けた。初回は何を作っただろう……オムライス、お好み焼き、カレー、シチュー、チャーハン、高野豆腐、煮物、ラタトゥイユ……色々思い当たり過ぎて、霞んだ記憶の中では特定できやしない。

 それでも私たちはその後数カ月間に渡って同じ食卓を共有し、異なる言語をお互いに学び合う関係を続けていったのだった。


カバ「……なんて名前にするかなぁ」


 初めての集まりを終えた後の自室にて、私はLINEの画面を眺めながら一人呟く。

 『ただ集まるだけではなく食事も共に取るということであれば、もし参加できなくなったのなら事前に連絡をしないと料理が無駄になってしまう』……そんな理由でLINEグループを開設したのだったが、グループ名にパッとしたものを思いつかない。

 なにせ、もはや日本語のレッスンでも英語のレッスンでもない、お互いの言語をごちゃ混ぜにした、食事も込みの交流会なのだ。『レッスン』のような堅苦しい単語や特定の言語を名称に使いたくはない。


カバ「あ~ッ! もう面倒くせぇ。『言語交流会』でいいや」


 私はLINEグループ名に、『ExchangeLanguage』(言語交換)と書きなぐって、満たされた腹を抱えつつベッドに横になった。


カバ「それにしても、すごいメンバーが集まったな」


イン……中国系カナダ人。お父さんがめっちゃ金持ち。中国語と英語が堪能。

ユリ……京都の薬学科卒。薬剤師。頭も性格もいい。

オラ……ポーランドの国立大学卒。もしかしたら修士。頭良すぎるうえにカワイイ。

私 ……中卒。高認合格。20代半ばまで親のすねかじり。元職人。現・無職。


カバ「俺が一番、ザコじゃん!!」

カバ「しかもいつの間にかハーレム……いや、女子会じゃん! 女子会の中にたった一人の男じゃん!」


 まぁ、私の経歴がけっこうアレなので、誰からも相手にされないのは分かってはいたが、なかなか棚ぼた的シチュエーションに胸が躍らないこともない。


カバ「だけどなぁ……」


 この女子会もとい言語交流会に集まった才媛たちを恋愛対象として見るのは、少々込み入った事情があって無理だった。


イン……なぜか女性として見るより友達や妹感覚で見てしまう。

ユリ……シェアハウス内の友達が告白してフラれたから、遠慮してしまう。

オラ……仲のいい男子がいる。入り込む隙はない。


カバ「たはは、せっかくの女子高の中の男子みたいな立ち位置なのに……人生とはうまくいかないものですなぁ」


  チャンスをものにできない持っていない自分に呆れつつ、それでもこれから生活が少しずつでも楽しくなるだろうという思いを馳せ、私は満足げに眠りについたのだった。

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