第14話〇読まなくてもいい備忘録 4・16のその後

 前回にて2016年の4月に、いわゆる熊本地震に被災してから分断された南阿蘇から脱出して大阪に帰るまでを描いた。

 その日の夜に福岡の博多駅前から深夜バスに乗って帰ったわけだが、前回ではその日に起こったことを結構端折って書いた。ぶっちゃけいうとドラマチックな展開に何も絡まない、どうでもいいことばかりしたわけなのだが、遠い将来振り返るときに忘れてしまうのも寂しいのでここに記しておくことにする。


・歯磨きはマクドナルド

 いたるところの交通網が分断された南阿蘇から山道を抜けて脱出。

 その後、はるばる50キロほど一般道を走って大分市へとたどり着いた。通りかかった竹田には『ソーダの湯』といわれる天然の温泉としては日本一の炭酸を含んでいる炭酸泉がある。以前に旅行したときに入浴して結構おススメだったので、今回どうこうしているカズさん、サル、ジョー、リミ、コウさんのみんなにも紹介したかったのだが、状況だけにスルーした。

 大分市にたどり着いたのは午後1時ごろだった。それまで何も口に入れていなかった私たちは空腹を感じていて、とにかく真っ先に見かけたマクドナルドへと入店。店内は混雑気味だったがボックス席をとることができた。みんな、安堵のため息をつきつつ腰を下ろす。

 昨夜はバーベキューの後で歯磨きをしたとはいえ、みんな口の中にねばついたものを感じた。ずっと水を飲んでいなかったのもあるかもしれない。

見苦しいのを承知で店内の小さな手洗い場で代わる代わる口をゆすがせてもらう。たぶん周りは怪訝そうにしていただろうが、もう私たちに怖いものなど何もなかった。


・日本一の温泉はとは?

 韓国人の青年・サルはとても観光好きで、日本にいる間はとにかく色んなところを見て回りたいと普段から豪語していた。

 私は前職の都合で日本各地を行き来していたので、時折サルに観光情報を教えることがあった。例えば大分市から出た後に通りかかった中津市では唐揚げが有名で、人口10万足らずの小さな町なのに(関東の人の感覚でいうと、青梅市や相模原市よりも辺鄙)20店舗以上の唐揚げ専門店が軒を連ねていること。その多くは肉屋を兼業しており、胸やモモ肉どころか鶏の肉体のあらゆる部位を選んでその場で揚げてもらうことができるといったことなどだ。私は仕事の都合で2か月ほど中津市に住んでいて、たまに仕事終わりにその名物を堪能していた。

 サルは中津市に寄りたがっていた。しかし一行の優先事項は、ともかく福岡に入って旅を無事に終えられる見通しを立てることだったので、サルは中津の本場の唐揚げのおあずけを食らうことになった。

 ちなみにサルは温泉に目がなく、今回の旅で黒川温泉を訪れたのはサルの意向だった。ある日、「どの温泉が一番?」と尋ねられて、私は答えに窮した。私も温泉は好きだが、人生で観光にじゃぶじゃぶお金を使えるほど豊かだった時期がなかったので、お気に入りの地元の温泉以外あまり知らなかったのだ。


(う~ん。一番か、一番は難しいな~。

 一番衝撃的だったのは屋久島の海中温泉だったかなぁ。岩盤から湧き出ている、満潮になると海に沈む……初めての混浴で驚いたな。みんな水着を着ていたけど。混雑しすぎていて、湯が汚かった……でも沈む夕日が水平線にかかった時に海がピンク色に燃える光景は圧巻だったな。やはりあれが一番か……)


 などと今だから思いついたものの、実は私は脳みそが若干バグっていて、例えるなら記憶の引き出し事態は多いのだが建付けが悪く、尋ねられた質問をとっさに答えられずにしどろもどろになるというポンコツぶりをよく発揮してしまうのだ。

 その時は富山県の立山にある標高3000mに建つ宿の温泉を答えた。まぁそこも断崖にたたずんでいて眼下には地獄谷という荒々しい岩場を望むことができる。まぁまぁのところなのだが、いけないのは露天風呂ではなくガラス張りの内風呂だということ。安全に配慮してそうなったのだろうが、たいていは湯気でガラスが曇っていて景色がよく見えない。


(まぁ、たわいもない質問だし、今さら訂正しなくてもいいだろう)


 などと思っていたら、サルは後日に富山県に訪れる機会があり、そのついでに私の勧めた立山の温泉へと向かったとのことだった。


「あれが日本一だなんて……俺、カバに騙されたな~」


 と言われて、軽くショックを受けた私なのだった。


・やべーインバウンド観光客の仲間入り

 午後3時ごろに福岡市へと入り、私たちはやっと胸をなでおろすことができた。すでにネットで夜行バスも手配できたので、あとはバスの時間まで暇をつぶすだけである。

 レンタカーを返却するにはまだ早かったので、福岡市からすぐ近くの大宰府天満宮を訪ねることにした。私にとって初めてだったので若干浮足立っていたが、それよりもすごかったのはサル、ジョー、リミ、コウさんの外国人組だ。あまりのはしゃぎっぷりに、「お前ら、さっきまで地震に遭ってめっちゃナーバスになってたやんやろ!?」と突っ込みたかったが、野暮だと思いそのテンションに付き合うことにした。

 境内に設置された、寝転んだ大きな牛の像にみんなで抱き着いたのはいい思い出である。

 その後は近場の温泉に入って大宰府を後にした。


・長浜ラーメンの流儀

 夕食を食べてからでも余裕でバスの時間に間に合うので、私たちは福岡名物のラーメンを味わうことにした。

 実は福岡市のラーメンは『博多ラーメン』と『長浜ラーメン』の2種類がある。厳密な違いはよく分からないが、どちらも豚骨ラーメンであり、博多ラーメンよりも長浜ラーメンの方がスープがドロッとしていて、臭いもキツイ。

 私たちは長浜ラーメンの店へと入った。長浜ラーメンのルーツは、福岡市の漁港で漁から帰ってきた漁師や魚河岸で働く人々がササっと腹を満たすために、港の近くで屋台が立ち並んだことが由来だと言われている。私たちの入った店も漁港の近くだった。

 東京や大阪ではラーメンは一杯700~1000円は出さないと食べられないが、博多ではその限りではない。いい店を見つけることが出来れば一杯300円程度で済ませることが出来る。

 実は私は福岡市にも仕事の都合で2か月ほど住んでいた。当時、私は神社仏閣の外装や内装を漆で塗って修繕する仕事を生業にしていたが、福岡では新築された五重塔の朱い顔料を塗るという変わり種の仕事のために、父から京都の業者へと派遣されていた。そのときに私が受けた福岡の印象は、とにかく外食の値段が安いということで、ラーメン一杯300円も衝撃だったが、オフィス街の路上で売られる弁当が250円というのにも度肝を抜かれていた。色んな町へ出張に赴いたが、福岡市に住んでいたときばかりは食費を切り詰めなくても済んだのでとても良い印象を抱いている。

 なので私にとって飢えから救ってくれた博多のラーメンはとても思い入れのある料理だった。私はウキウキした気分で茹で加減カタメを注文し、出来上がるまでカレー屋の福神漬け感覚で置かれている高菜やザーサイをつまみ、届いたら一面が埋まるほどゴマをふりかけ、アホほど紅しょうがを山盛りにした。これらの副菜をどれだけ使ってもいいのが博多のラーメン屋の素晴らしいところである。

 あっという間に食べ終えると、次は茹で加減を『ハリガネ』で注文した。いわゆる替え玉というやつだ。今でこそ替え玉は日本全国一般的なものだが、元々は博多のラーメン屋が始めたことだと言われている。そもそも長浜ラーメンのルーツが漁師の食べ物だったわけだが、屈強な海の男がラーメン一杯で腹が膨れるわけがない。しかし単純にもう一杯注文すると、器に残るドロリとした特濃スープを捨てることになる。それはあまりに勿体ないとのことで、そのスープに新たな麺を入れることで成立したのが替え玉のシステムというわけである。私は母から「お米一粒だって残すな」と躾けられたので、スープがすっかりなくなるまで替え玉に絡めて味わい尽くすというのを、博多でラーメンを食べるときのモットーとしていた。

 ハリガネを注文したので、ものの1分ほどで替え玉がやってきた。日本全国どのラーメン屋でも麺の茹で加減を選べる店が多くなったが、本場の博多ではバリエーションが違う。ハリガネとは麺がポキポキ折れそうなほどの茹で加減のことで、カタメことカタよりも固いバリカタのさらにワンランク固めの茹で加減のことである。

 ハリガネを食べ終えてもまだスープは残っている……私はただちに『粉おとし』を注文した。粉おとしとは、ハリガネよりもさらに固い、まるで乾麺についた粉を落とすために湯にくぐらせる程度の固さのことである。私は、博多のラーメンは固いのに限ると思っているし、なによりも私が完食するのを待っている皆のために一刻も早く茹で上がるものを選んで注文した。

 暗号みたいなオーダーを吐いて、あっという間に替え玉を流し込む私の食べっぷりを見て、一同絶句していた。けど、かまわない。このように豪快に食べるのが私なりの博多・長浜ラーメンの流儀なのである。



 ……そんな一日を送って私たちは夜行バスに乗車し、大阪への帰還を果たした。

 あまり眠れなかったのでクラクラしながら梅田のバスターミナルを降りて、シェアハウスのある喜連瓜破へと向かう……そのバスターミナルが、近い未来の職場になるなど思いもよらぬまま。

 シェアハウスの敷居をまたぐと住民たちがにわかにざわめきだした。九州で大地震が起こったことはもちろん全国的なニュースになって知られていたし、私たちが現地に赴いていたことも周知の事実であった。

 管理人さんが神妙な面持ちで事の経緯を尋ねてきて、報告を終えると私たちは食堂に集まり、お土産の菓子をつまんでそれぞれの部屋に散っていった。

 刺激的な九州旅行はこうして終わりを迎えたのだった。

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