第13話〇4・16地震の日⑤~ミエナイチカラ
「結局、北に向かう道もダメだったか……」
ラジオからニュースが飛び込んできた。私たちが目指していた道の渋滞が伸び、7,8時間は停滞に巻き込まれるだろうとのことらしい。すでにガソリンは1/3を切っている。これ程の大地震であればガソリンスタンドが営業を取りやめることがあるというのは東日本大震災のときに経験した。もし渋滞に巻き込まれる前にガソリンスタンドで補給ができなければガス欠で進退が極まってしまう。そんなリスキーな選択は冒せなかった。
「でも、もうここ以外に阿蘇から帰れる道はないんやろ? じゃあイチかバチかで突っ込むほかないで」
「そのイチかバチかで失敗したらどうするんや? レッカー車なんか来ぉへんぞ」
私たちは大型スーパーマーケットの広い駐車場に車を停めて、再び作戦会議を開いていた。案の定、スーパーは営業していなかった。ショーウィンドウは暗く、ひと気すらなかった。少なくともこの地域は停電しているらしく、役場ですら照明が灯っていなかった。もしかしたらすぐ近くにあるガソリンスタンドが閉鎖されているのもその影響なのかもしれない。どこまで行ってもガソリンが補給できなかったら詰みである。どう行動するか、よくよく考えないといけない。
「……あれっ? ここも道がありませんか?」
私はスマホに映し出されている地図の、南阿蘇の東側の山際を差した。そこにはか細いながらもたしかに道が通っているように見えた。だいいち、県道のマークがある。
「見てくださいよ、これ。大分県の豊後竹田まで繋がってますよ! やった、これで帰れますよ」
「どこそこ。聞いたことない。本当にそんな山道に突っ込んで福岡まで帰れるの?」
「竹田は大分市まで繋がってるんですよ。僕、ちょっと前に九州を旅行したときに、この竹田っていう町に寄ったからよく覚えてますもん。『ラムネの湯』っていう、日本で一番の炭酸泉が湧いている温泉もあるんですよ」
サルがその温泉に入りたいなと茶々を入れて、それどころじゃないだろうと皆で突っ込んだ。
「僕、仮にも大分県にちょこっとは住んでいましたし、このへんも初めてじゃありません。若干の土地勘があります。この道を抜ければきっと阿蘇を抜けれますって。信じてください。いや、もうこの道以外にありえないですって。それとももう一泊、この町で車中泊しますか?」
私の圧に押されて、差し当たってその道を使うことを検討することにした。我ながら博打を打ったものである。
本当に道があるのか真偽のほども分からないのに突っ込むのは無謀ということで、付近の住民を捕まえて話を聞くことにした。
「ああ、そこは林道のような道だよ。車がすれ違えないほど細いし。今は落石とかで道が塞がっているかも?」
「落石で塞がっているって情報があるんですか?」
「いや、可能性の話だよ」
私たちは再び車中で議論を交すこととなった。
「普段から誰も通らないような道なら、絶対に今も渋滞なんか起きてませんよ。行きましょう!」
「いやいや、あの大地震だよ。岩が落ちて道が塞いでる可能性があるし、走っている途中に巻き込まれでもしたら危険だって。それに車もすれ違えない林道やろ? 道が塞がっていたからって、Uターンも出来へんやん」
「う~ん。それは……」
議論は慎重派の優勢だったが、喉の渇きと尿意がこれ以上慎重になることを許さなかった。
「とりあえず行ける所まで行ってみよう。その時はその時だって」
私たち一行は賭けに出ることにした。車を走らせ、北東にむかう。
その最中、市街地の路面に横たわる大きな黒い蛇のようなものを発見した。よく見るとそれは切れた高圧電線のようだった。
「こ、この電線を車で踏み越えても大丈夫かな……?」
「停電してるんだろ? ……きっと電気はもう通ってないよ」
「どうする。踏んだ瞬間にビリビリってきたら」
「俺ら全員、爆発して死ぬな」
乾いた笑い声をあげつつ、電線の前で慎重に停車し、徐行でゆっくりと踏み越える。虎の尾を踏む心地というか、地雷原を超えるかのような心臓が縮み上がる感覚がした。結果、何も起こることがなく、無事に電線を超えることができた。
郊外は、なだらかな坂道の続く地帯だった。両脇に木立が生い茂り、東側は山際になっている。ゆっくりと走っていなければ見落としそうな脇道が、私たちの目指していた林道への入り口だった。
「……まるでお化けが出てきそうなぐらい、暗くて不気味やな」
「じゃあ、帰るか?」
「ここまで来て、それはないわ」
引き返せるかどうか分からない道に残りのガソリンを託して突進した。
林道の実態は、噂ほどはひどくなかった。道端に細かく砕けた石が散らばっていたりしていたが、十分注意して避ければ何てことはなかった。途中、ガードレールなどの無い区間があり、すぐ片側に急峻な崖が迫っていた箇所には肝を冷やした。山の斜面を拝むと、地震の影響で大量の倒木があったが、有難いことに道を塞ぐものは一つとしてなかった。分岐が数多くあり、地図を見ながら出なければあっという間に迷いそうな道のりだったが、私の誘導とカズさんの運転でスムーズに進行することが出来た。
そして小一時間後、私たちはついに林道を抜けた。歩道のついた舗装路。それを分断する古びた線路。その線路は私たちが目指していた豊後竹田を通る、JR豊後線のものに他ならなかった。
「やった、抜けたぞ!」
「これで帰れる!」
「バイバイ! 阿蘇山」
「ただいま、大阪!」
皆に安堵の表情が戻った。
とりあえず飲み物が飲みたい、何か食いたい、トイレに行きたいということになり、最寄りの駅に車を停めることにした。たしか『清水』という駅ではなかっただろうか? 無人駅であったが運よく駐車場に公衆便所が備えられてあり、しかも断水していなかった。それだけで私たちは狂喜乱舞した。水が飲める、乾きが癒せる、口がゆすげると。
それだけではなく、自動販売機がすぐ目の前にあり、私たちは神を崇め奉るかのように群がり飲み物を購入した。水道と自動販売機が使える……地震による被害は、阿蘇・熊本が特にひどかったらしく、大分県南西部は意外と平気だったようだ。自動販売機を設置していた酒屋の店主さんたちが、私たちのあり様を見てとても不憫そうにしていた。
「飯はどうする? この酒屋さんにもちょっとしたお菓子とか置いているそうだけど」
「どうせなら大分市まで行って、美味しいもの食べよう」
時刻は午前11時に差し掛かろうとしていた。自動販売機の冷たい飲み物をがぶ飲みしたことで腹はチャポンチャポンだが、ぼちぼち空腹で頭が回らなくなるころだ。人心地つくために街へ向かおうと、皆が車に乗り込もうとしたときだった。
「コウさんとリミが戻ってこないな」
「駐車場の奥に二人しているけど、何してるんだろう?」
私たちの視線を察してか、リミがやってきて事情を説明した。
「さっき、コウさんのお父さんとお母さんから電話が掛かってきた。昨日の地震のこと、台湾でもニュースになってる。私たちが阿蘇にいるって知ってたから、心配でかけてきたらしい」
たしかに私たちは昨晩にコウさんの両親とビデオ通話していたので、私たちがどこにいるか知らないはずがなかった。まさか昨晩、娘が楽し気にバーベキューしていた場所が大地震の震源地になるだなんて思いもしなかっただろう。異国の地で娘が被災したと知って心配でないはずがない。
コウさんが電話を終えて戻ってくると、両目の周りがにわかに赤く腫れていた。今まで気丈に振舞っていたらしかったが、家族の声が聞けて安心したに違いなかった。
「……俺も家族に電話するわ。無事だって」
「俺も」
「俺も~」
みんな、車から出て各々の家族に電話を始めた。私は急に胸が締め付けられた。その苦しみを気取られないように、息を殺して、家族に電話する友達を助手席からぼんやりと眺める。
「……カバは家族に電話しないの?」
既に車の後部座席で落ち着いていたリミが、私に尋ねた。私は心臓が小さくビクッと震えるのを感じた。
「……俺は、いいんだよ」
つとめて冷静に振舞い、そう答えた。
不思議そうにリミが見つめてくる。
そんな目で俺を見ないでくれと思った。
私は家族を捨てて大阪に来た。
今まで家族に養ってもらった恩があるのに、だ。
二十代半ばを過ぎても自立できない自分。
四半世紀地元で暮らしても、友達が一人も出来ず孤独に生きていた自分。
自分は誰にも愛されない。自分は恥ずかしい人間なのだ。
そう思い込んで生きてきたのは、家に縛り付けたのはお前たちのせいだと。
両親を散々なじって家を飛び出した。
全部、精神病にかかって、それをケアしてもらえなかった両親のせいにした。
自分の責任を、全部棚に上げて。
私は恩知らずなのだ。私は恥を知らない。
私はきっと地獄に堕ちる。
家族を傷つけて去っていった。
家族から見捨てられても当然なのだ。
だから今さら、家族に心配してもらえるなんて思ってはいけない。
これからは一人で生きていかなくてはならない。
そう決意して、あのシェアハウスに入居した。
なのにどうして、涙がにじみ出てしまうのか。
心が叫んでいるんだ。寂しいって……
フロントガラスの向こうで、照れくさそうに笑みを浮かべる友人たちが見える。
ちがう……やっぱり違う。
私は、みんなと違う。
みんなには、心配してくれる家族がいる。
私には、いない。
私にはもう愛してくれる家族なんていない。
私はひとりだ。
みんなと違う。
理解してくれる人も、一人もいない。
やっぱりそうだ。
私はどこまでいっても、独りなんだ……
……急に、真っ暗な世界にただ一人取り残されたような感覚に陥って、クラクラした。
その刹那、
「♪~」
私のスマホからマイケルジャクソンの『マン・イン・ザ・ミラー』が流れた。ツラかった時期に初めて聞いて、励まされた曲だ。着メロに設定していた。
「家族からじゃない?」
とリミが尋ねる。
「そんなバカな」
と、スマホを手に取り確認する。通知画面には『母さん』と浮かんでいた。
「出たら」
とリミが背中を押す。彼女は笑みを浮かべていた。リミは私の事情なんて少しも知らない。だけど私のスマホに家族から電話がかかってきたことを祝福しているかのような笑みだった。
出ないわけにはいかなかった。
せめて会話は聞かれないようにと、私は車から出て外で話した。
「……もしもし」
緊張しつつ受話器の向こう側へと語りかける。
すると切迫したかのような母の声が聞こえてきた。
「あんた。九州で地震があったようやけど、大丈夫なん!?」
私は困惑した。どうして私が九州にいると知っているのだろう? もちろん母には今回の旅行のことなんて話していない。数か月ぶりに声を聞いたぐらいだ。大阪に住んでいる息子が九州の地震に巻き込まれているなんて知りようがない。どうして私が九州にいることを知っているのか、どうしても分からなかった。
「九州にいるってことは分かってたんやで。あんた、Facebookにそう載せてたやろ」
「あっ……」
当時の私はFacebookを愛用していた。シェアハウスでも外国人とのやり取りに重宝していたので、普段から取りとめもないことを乗せたりしていた。今回も、旅行に関していくつか投稿していたのを思い出した。
「見てたのか。そんな投稿……」
「もちろんや。これでもあんたを心配してるんやで」
胸に空いた穴にアツアツの芯をぶち込まれたような衝撃が走り、訳の分からない震えが全身に生じた。
「大阪でいい友達が出来たみたいやね。お母さんは嬉しいで。そこでの暮らしが気に入ってるんなら、もう地元に帰ってこいなんて言わへんから……だから、せめて元気でいて? あんたが元気でいてくれたら、それでいいんやから。いいか。元気に大阪に戻るんやで? それで、たまにでいいから、あんたの元気な顔を見せに来てくれたら、もうそれで十分なんやから……」
芥川龍之介の『杜子春』という話を思い出した。
仙人になるために誰とも口を利かないという修行を始めた青年が、地獄に堕とされても口を利かずにいたら、閻魔大王に動物になった両親を連れてこられて、メチャクチャに痛めつけられるのを黙って見ていられなくなるという展開があった。
動物にされた杜子春の両親は、それでも息子に口を開くなと目で訴えかけてきた。息子の望みが叶うなら、自分が犠牲になっても構わないという思いからだった。
杜子春は親心にあてられて、思わず「お母さん」と呟いた。
杜子春は仙人にはなれなかったが、それでも満足だった。
無力でも、どうしようもない自分でも、つつましく力強く生きていこうと心に誓う。
私も、胸に空いた穴を埋めるために、もう何者にもならなくていいと思えた。
母の愛は、偉大だった。
「大丈夫だよ。もう被災地は抜けたし。あとは大阪に戻るだけ。実家にも……いつか顔を見せるから」
震える声でそう伝えて、私は電話を切った。
私は、真っ暗な世界にただ独りでないことを実感させられた。
そして私たちは大分市経由で福岡へとたどり着き、夜行バスに乗って大阪へと引き返していった。
狭い座席の窓辺で頬杖つきながら、ある光景を思い出していた。それは地震が起きた直後、避難場所に逃れ、ヒーターの管理をしながら車中泊をしていたとき、ラジオから懐かしい音楽が流れてきた。
それは子どもの頃によく観ていたアニメ、『地獄先生ぬ~べ~』のエンディングテーマ。B'zの『ミエナイチカラ』という楽曲だった。
ミエナイチカラで だれもが強く繋がっている
何も大したことじゃないよ そばにいても離れていても
昨日 今日 明日と
笑顔のあなたはいつでも この胸にいるよ
曲を流す前にDJが、「こんな夜中に地震が起きて、そのうえ停電にまで見舞われ、みなさん心細い夜をお過ごしでしょう。ですが目の前の光景に不安になってはいけません。皆さんの見えないところで、あなたの無事を祈ってくれている人が、支えようとしてくれる人がきっといるはずです。だから暗くふさぎ込まないでください。お互いを思いやる気持ちを忘れずに、このツラい夜を乗り越えましょう」
そんな前口上の後に懐かしい曲が流れたものだから、つい幸福に、能天気に過ごしていた小学生の時分を思い出した出来事だった。もう戻れない実家の光景が脳裏にちらついて、その時は切ない気分になった。
でも、今は違う。
私がどんなに見限られるような行動をしても、決して見捨ててくれない家族がいることを確信できた。
ぽっかりと空いた私の胸の内に、すっと一つ芯が通ったような感覚がした。
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