第12話〇4・16地震の日④~南阿蘇脱出路探索隊
徐々に夜が明けていくのが分かる。フロントガラスに付いた無数の水泡が乱反射し、世界は輝いて見えた。
夜通し運転席にてヒーターの調整をしていた私。午前6時過ぎにエンジンを吹かすと、みんなが一斉に起き出した。もしかしたら眠れていなかったのかもしれない。車の狭い座席で足を折り畳み、寒さに震えながら入眠することは困難だ。みんなが寝ているだろうから自分も静かにしていようと思っていたのだろうか?
皆が起床したのを見計らって、再びラジオを点けた。私のスマホに入れているアプリはFM局しかかからない。軽快な音楽を織り込みつつ地震の被害情報を伝えてきた。テレビのニュースのような重苦しい雰囲気ではないことが逆に救いになるのだなと感心させられた。
「やっぱり、昨日に通った橋は崩れ落ちたらしいな」
全長100mほどの、深い谷を渡る立派な架け橋である。にわかに信じられなかったが、ラジオではそこで消息不明となった若者を探しているというトピックを何度となく伝えてくる。どうやら真実らしい。
「じゃあ、やっぱり熊本方面に行くことは無理そうだな」
私たちのメンバーの一人であるカズさんは、実は今回の旅で熊本城を拝むのを楽しみにしていた。しかしながら実は、私たちが九州に到着する前々日、14日にも大きな地震が起きて、熊本城の一部が損傷してしまっていた。私とカズさんは、九州に向かうフェリーに乗り込む前に既にそのニュースを耳にしていた。私たちがフェリーに乗り込み、海の見える窓辺のテーブルで休憩していた際、カズさんは、「どうせ九州に行っても熊本城見れないな~。あ~あ、旅の楽しみが一つ減っちゃったよ」と残念そうにしていた。まさかあれが本震ではなく前兆だったとは、当時は考えも及ばなかった。
私たちは車の中で車座になって、今後どうするかを話し合った。
「とりあえず旅行はもう続けられへんな」
私たちは阿蘇の東にある高千穂へと向かい、そこから折り返して阿蘇を西に抜けて熊本へと向かう予定だった。
しかし熊本へ向かうためには、例の崩れ去ってしまった橋を渡る必要があった。南阿蘇の西側は深い谷によって分断されていた土地柄だからだ。
「じゃあ、東に向かって高千穂に行くのはどうや? 予定通りちょっと観光して、それから帰ったらええやん」
と私が提案すると、「こんな状況で観光なんかでけへんわ」とツッコまれてしまった。まあ、たしかにそうなんだけど……ゴメン、リミ。リミが日本に滞在しているうちに絶対に見たかったと言っていた高千穂峡を、結局見せてあげることが出来なくなっちゃった……
「それに、今さっきラジオで流れていたけど、高千穂の町に掛かる橋も崩落する可能性があるからって、これから点検のために通行止めにするらしいぞ」
高千穂町は"天孫降臨の地"と呼ばれ、日本書紀などにおいて神様が地上に降り立ったという言い伝えで有名な神話に所縁のある町だ。人口は1万人ほどで、かなり山深い場所にある。しかしながら九州を代表する観光地の一つなのでとてもアクセスがよく、山と山の間に高速道路のような立派な橋がいくつも掛けられていた。なるほど、たしかにあのような橋が崩落し、巻き添えになったとしたらとても命はない。落差はゆうに100mはある。私は半年前程に独りで九州を観光した際にその橋を通った。崩落の光景が生々しく浮かび、独り肝を冷やす。
「熊本へ向かう西側がダメ……高千穂に抜ける東側もダメ……南側は高い崖に囲まれていてとても逃げ場はない……私たちが来たのは西側。北に向かうのも西側から回り込まないといけない……じゃあ、どこに逃げればいいの?」
女子たちが不安そうに呟く。
「真ん中に聳え立ってる阿蘇山、突っ切れないかな?」
「あんな山道を車が通れるのか?」
「草千里ってあの辺に無かったっけ? 車でも通れるんじゃないの?」
「今さっき、外に出て空気吸っている時に、阿蘇山の周辺も通行止めになったらしいぞ。落石か何かが道を塞いだらしい。阿蘇山突っ切るのも無理だな」
「ダメか~」
スマホで開いた地図を眺めつつ、議論が紛糾する。あまりの救いの無さに漏れてくるのはため息ばかりだ。
するとあることに気がついた。
「道路情報に切り替えると、東側の山際が赤くなってる。これってどういう意味?」
それは渋滞を示すものだった。
「……もしかしたらこの道だけが活きていて。みんなそこから北側に逃げようとしているのかも?」
「もしそうだとしたら、この南阿蘇村から外に出られるってことやんな!?」
皆で顔を見合わせた。
読者の方の中には全く状況が分からない人もいるだろうから、ここで整理してみよう。
阿蘇町は阿蘇カルデラの中にある町である。カルデラとはざっくりと説明すると火口のことだ。太古の昔にバカでかい火山があり。それが冷えて固まって人が住めるような土地へと変貌した。火口に町があるということは世界的にも稀なことである。
阿蘇山は死火山ではない。太古の昔に造ったバカでかい火口の中心部に、『阿蘇山』と呼ばれている小さな活火山があり、現在でも噴煙を上げている。そのたもとにあるのがよくポスターなどに掲載されている美しい草原、『草千里』だ。
つまりバカでかい火口の内側の窪みに町があり、その中心部には小さな火山がある。窪みは深い谷やゴツゴツとした地形によってざっくりと北側、南側に分けられる。北側が阿蘇町であり、南側が南阿蘇村などだ。
そしてその地形を上空から見ると、キレイな円形になっている。私たちは現在、時計でいうと"8時"のあたりにいる。
そして"9時"にある西に向かう道は橋が落ちたことによって向かうことが出来ず、"4時"にある東側へ向かう道も封鎖中。文字盤から逃れて南側へ逃げようとしても、この土地は火口の内側にある町なので、急峻な崖によって囲まれているため道なんかない。
そんな中、"3時"にあたる箇所で渋滞が発生していると表示されているのだ。阿蘇の東側はひと気が疎らだと聞いていたので、私たちはてっきり道なんかないと思い込んでいたが、もしかしたらその"3時の道"を通って北側へ抜けられるかもしれない。
「この道を通れたら、大分県に戻れるな!」
「待って。その大分に向かう道も真っ赤になってるよ。ここでも状態が起きているってこと?」
「おいおい。2,30キロほど真っ赤だぞ。ものすごい渋滞や」
「今、ニュースが入った。阿蘇町を訪れていた人たちが北へと逃げているらしい。そのせいで渋滞が起きていて、抜けるのに何時間かかるか分からないらしいんやって」
私はガソリンの残量を確認した。もう半分を切っている。昨日、ガソリンは満タンに近かった。つまりこの車は、一日乗っていればガソリンが半分に減る。ということは、今日一日の内に営業しているガソリンスタンドを見つけられないと、ガス欠で動かなくなってしまう。そうなるともちろん、車中泊なんて出来ない……
「……ともかく、ガソリンのあるところまで行くのが先決やて」
「それに、もう喉がカラカラやな。何でもいいから飲み物が欲しい」
「ここでジッとしていても何も変わらへんし、とにかく役所かどこかへ行こう? 東側にある、北へ向かう道が本当に通れるか通れへんか、役所で聞くのが一番やって。通れへんかったとして、それを知らへんと向かってもうたらガソリンの無駄になる。ガス欠だけは絶対に避けたい!」
十数分に及ぶ会議の末、方針が固まった。
1・役所に行く
2・脱出できそうな道を教えてもらう
3・飲み水や食べ物を探す
4・営業しているガソリンスタンドを探す
皆が起床してから小一時間後の午前7時頃。辺りが十分に明るくなったので私たちは出発した。
なだらかな凹凸に富む丘陵地帯を進む。片側一車線の道路の両側はのどかな畑作地帯であった。4月らしい陽光が大地を温めだし、春めいた陽気を漂わせてくる。つい気が緩みそうになるが、ところどころ路上に散らばる岩石や看板等の倒壊物をよけなければならないのでドライバーは手に汗を握る。ガス欠もそうだが、パンクしても車は走行不能になる。間違っても路上にある物を踏まないように、徐行よりも少し早い速度で慎重に走行していた。
「おい。あれ見てみぃ。店があるで!」
その店は道端にポツンと佇んでいた。辺りに人家もない田舎道の傍らにである。需要はあるのかと疑問が浮かぶが、広い駐車場を兼ね備えている。その駐車場の広さに似つかわしくない小さな建前だ。おそらく個人経営の雑貨店なのだろう。コンビニのような建物に寄り添うように生活感のある一軒家が建てられている。
「もしかしたらあそこにまだ水とか食べ物があるかも!?」
「ちょっと寄ってみようや」
私たちは店の前に車をつけた。そして早々に気づいた。店内に灯りはなく、窓ガラスはことごとく砕けていて、そこから伺える内部は商品棚が倒れ込みグッチャグチャの状態だった。
私たちが立ち尽くしていると、くたびれた中年男性の店主がやってきた。
「何か用か?」
「あの……僕たち観光客なんですけど、水とか食べ物があったら分けていただけませんでしょうか? もちろんお金は支払いますから」
「もう売ったよ。あんたらよりも早く来た人に」
「も、もう何も残ってないんですか?」
「商品にならないものは捨てる」
(そんなバカな……)と思ったが、それ以上追及することができなかった。店主の顔面は土のように艶がなく、やさぐれた印象だった。下手な絡み方をすると殴られそうだと思った。私たちはすぐに退散した。店主は店の内部に入り、瓦礫を撤去していた。すでに店の脇には小高い瓦礫の山が出来ていた。
事前に調べたところ、昨夜の避難場所から南阿蘇の役場までは車で約10分ほどの距離だった。しかし例のごとく慎重に車を走らせていたので2倍の時間をかけて、ようやく到着した。
役場の正面入り口は消防車両が陣取っていた。駐車場は満車に近く。住民がひっきりなしに往来している。誰もが必要な物を手に入れようと、情報を手に入れようと、自分に出来ることを探そうと奔走しているのが見て取れた。
私とカズさんの日本人二人組が役場へと向かい、受付を捕まえて情報を聞き出そうとした。役場の中はまるでラッシュアワー時の駅のホームのように混雑していて、肩をぶつけずに歩くのがとても難しかった。ただでさえ狭い廊下にホワイトボードのようなものを出して、一面に阿蘇地域の白地図を張り出し、赤ペンや写真でリアルタイムの情報が書き出されていた。その地図を見ようとする人だかりに遮られて、通路を前に進むことさえ困難だった。
背の低いパテーションの上にはよく分からない書類が山積みになっていて、その向こう側で働く職員たちの姿を隠していた。時折、両手に書類を山積みにした職員が新たな書類の生け垣を形成していく。書類の保管場所を変えようとしているらしいが、なぜそれを今やらなくてはならないのかが理解できなかった。私たちはその書類の生け垣を新たに盛ろうとする職員を一人捕まえて、南阿蘇から脱出できる道はないか、ラジオから流れてきた情報は真実かどうかを確認した。
「……結局、何も分からんかった」
私たちは南阿蘇村だけでなく、他二か所の役場や支所らしき場所も回った。そこで判明したのは、やはり西と東の道は通れない。北に向かう道が通れるかどうかは誰も知らない。むしろ実際に見に行って、通れそうだったら電話して教えてくれ、というものだった。
「実際に行ってみなくちゃ分かんないってことだな」
私たちは不安を拭えぬまま車を東へと走らせた。時刻は既に午前10時。ガソリンはもう1/3を切っていた。水と食料はどこからももらえなかった。
「俺らは部外者やもんな。我慢せなあかん」
パニックが治まれば誰もが人に優しく出来るのかもしれないが、現状ではまだそれは不可能のようだった。何の寄る辺もない私たちは、まるでフワフワと川面を漂う木の葉のような心細さを誰しもが抱えていた。昨日まであんなに賑やかな一行だったのに、車中はずっと静かで空気はどんよりと暗かった。
三件目の役場訪問を終えて、私は限界を迎えていた。もしかしたら一瞬寝落ちしたのかもしれないが、基本的に徹夜してヒーターの管理をしていたので、意識は覚醒していても瞳が乾き、目蓋が垂れ落ちて仕方が無かった。運転をカズさんに交代してもらい、私は助手席に横たわった。後ろの席に了解を得てリクライニングを倒すと、ものの見事に空高く輝く太陽が視界に入ってきた。目を閉じても眩い太陽光が差し込んできて、目蓋の裏側に血を透かした薄ピンク色の世界が展開されるばかりで、こんなの眠れるはずがなかった。
私は仕方がない起きて、ぼんやりと辺りの景色を眺めていた。
(……もし地震がなかったなら、最高のドライブ日和だったんだろうな)
紺碧の空と緑の大地を区切る屏風のような阿蘇山。青・緑・茶色の三色のストライプが視界の向こうまで延々と続いていた。混沌とした状況の役場とは異なり、鼻歌でも歌いたくなるようなのどかな光景と雄大な自然が共存する素敵な景勝地の只中に私たちはいた。いつまで経っても光景が変わらないので、まるで海原を滑るように移動する船の上にいるような錯覚を覚えた。
改めて、人間は自然には敵わないと思わされた……地震が起こったからなんだというのか? 山中で暮らす鹿やイノシシは今頃のんきに草を食んでいるころだろう。だけど私たち人間は、地震が発生して半日が経とうとしているのに未だに混乱の極みの中にいる。生態系の頂点にいる気になっているが、実際はライフラインが破壊されると水や寝床にすら困る。これほどか弱い生物は他にいないのではないか?
そんなことを思いつつ、私たちを逃がしてくれない阿蘇の岸壁を、私はうっとりと眺めていた。
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