第11話〇4・16地震の日③~ラジオと車中泊
私たちはコテージのオーナー夫妻に促され、近くにある公共施設へ避難しようと車を発進させた。
コテージは主要道から山際に奥まった立地に合った。周囲は幅の広い棚田に囲まれている。ライトをハイビームにすると、その棚田の石垣が崩れて大きな岩が道を塞いでいた。見通しの利かない中、なんとか避けて車を幹線道路に移す。
避難場所はものの数分で辿りつけた。駐車場が眩い光に満ちている。それは大勢の乗用車のライトによるものだった。私たちと同じように避難してきた、近隣の住人によるものだった。
その施設は簡易的な日帰り温泉施設のように見えた。駐車場の隅に平屋建ての建物が二棟連なっている。内部を覗き込むと真っ暗で、棚などが崩れてグッチャグチャだった。駐車場の入り口には数台の消防車両が停まっており、いつでも出動できるよう消防団員か隊員かが慌ただしく道具の点検をしていた。
私たちは駐車場の隅に車を停めた。人々の動線となるようなところに停めると、ひっきりなしに車両が出入りするので、ライトなどによって眠れないと思ったからだ。
駐車場の外では大勢の人が出歩いていた。おそらく、7,80台は既に収容されていたが、そのドライバーと同じ数だけ出歩く数があるように思える。その心境は分からなくない。不安なのだろう。もしくは興奮していたのかもしれない。今後のためにも、何かを紛らわすためにも、人々は情報や自分にも出来ることを探そうとしていた。
「……辺りがどうなっているのか聞いてくる」
日本語が分かる私とカズさんが社外へと出て聞き取りを開始した。残りのメンバーは気づまりにならない限りは車中に待機して暖を取っていた。
行き交う人に情報を尋ねても何も得られなかった。みんな現状を把握するのに必死で、私たちはあまり相手にされなかった。だが翻ると、よそ者といえどもここに留まっていても追い出されはしないと聞けて、安心した。
私はカズさんと別々に情報収集を行っていたが、彼の口から、
「大変だ。俺らが渡ってきた橋が落ちたらしいぞ……!」
信じられない話だった。その橋は落差50m、幅100mはありそうな堂々たる大断崖を跨ぐ立派な建造物だった。その橋が、私たちが渡ってからものの6時間ほどで崩れ去ってしまうだなんて……
「そうなると、西から逃げて熊本に行くことは出来ないな」
南阿蘇村の西側は大きな断崖によって外界と区切られている。崩れたと噂の橋は、西側に通じる唯一の交通路であった。
「ということは、東に向かって高千穂に通じる宮崎県へ逃げるか、それとも東から更に北へ向かって、阿蘇町を抜けて大分県に戻るかだな」
「いやいや、待て。その橋が落ちたっていうのも噂でしかないんだ。一度引き返して、本当かどうか確かめてもいいんじゃないか?」
「そんなところに近づくのは危険だって……!」
議論が紛糾する中、私はスマホを取り出して、
「……ラジオをつけましょう」
と、アプリを起動してラジオを流した。当時の私は好んでラジオ番組を聴いていたので専用のアプリを入れていたのだった。私は熊本のFM局を選択する。一同、ラジオから流れる緊急の特番に耳を傾けた。
「……橋が崩れたってのは本当らしいな」
「それどころか、誰かが崩落に巻き込まれたらしいぞ」
「うわぁ……ゾッとする。ついさっき私たちも渡ったのに……」
「今、見に行ったら俺たちも落下するな」
「お前だけ落ちてろ……!」
何の寄る辺もない中、ラジオを聴けることにほんの少し救いを感じた。暗闇に閉ざされた世界の中を必死に逃げてきた、目の前のことも把握できな私たちに、事の全容が分かるような情報を止めどなく流し続けてくれる。それだけで少し生きた心地がつく。災害時にはラジオをつけろという意義を身をもって実感できた。
私たちは夜が明けるまでこの駐車場で待機することにした。まだ酒に酔っていること、疲れていること、怖い事、情報が足りていないことなど、理由は様々だが、一番の問題は街灯がついていないことだった。どこかで送電線が切れているらしい。この場所へ来る道中も、慎重に、徐行気味に車を走らせてたどり着いた。道には岩石などの障害物がところどころで見られた。下手に焦って逃げようとして事故に遭ったら、それこそ詰んでしまう。皆、自分の席のリクライニングを倒し、車中泊に備えた。
ラジオは時折軽快な音楽も流してくれた。無音のままでいると、車外から漏れてくる車のエンジン音や砂利を踏みしめる音が聞こえてくる。その音が耳障りだと思ったので、私はメンバーに断ってラジオを点けっぱなしにした。USBからスマホのバッテリーを充電できる車種だったので、その点は問題なかった。
(むしろ、問題は……)
運転席に座る私。車のガソリン残量を見る。示された残量は、約半分。おそらく20ℓもなかろうといったところだった。
車の窓ガラスを水滴が覆い始めていた。止めどなく出入りする車のライトが乱反射し、都会の歓楽街のど真ん中に駐車しているかと錯覚するぐらいに、煌びやかな光が車内へと差し込んでくる。水滴がつくのは中と外の寒暖差によるものだ。この場所は標高1000mの阿蘇カルデラの内側にある町。4月の中頃といえども、真夜中の気温はおそらく5℃を切っていた。車のヒーターをフル稼働にしても少し肌寒い。眠るには最低でもこのぐらいの室温は欲しいところあった。
しかし車のヒーターを入れ続けるにはエンジンをかけ続けなくてはならない。一応、エンジンを止めてもヒーターを起動できないこともないがバッテリーを喰う。バッテリーはエンジンの始動に欠かせない。もしバッテリーの容量が尽きてしまったら車を動かすことが出来なくなる。まさかこんな非常時にJAFを呼んでも、すぐかけつけてくれるわけがない。
寒いのに、私の背に冷や汗が伝う。まだ午前2時前。夜が明けるまでおそらく後4時間。その間、走行せずともエンジンをかけっぱなしにしたらどうなるだろう? もしかして残量は1/4を切るかもしれない……東日本大震災のとき、私は千葉県にいたのだが、ガソリンスタンドに長蛇の列が出来るのを見た。阿蘇を脱出できたとして、ガソリンを入手できるところまでもつかとても不安だった。
私はガソリンを節約するために、エンジンを点けたり止めたりをくり返すことにした。室内が暖まったらエンジンを切って、少しでもガソリンを残す。指先がジンジン痛むほど寒くなったらエンジンを点火してヒーターを点ける。夜通し起きて車内の温度を見守らなくてはならないので、カズさんが役目の交代を申し出てくれた。私は、体力の限界が来たら変わってほしいと告げて、皆が眠る中、独り起きてラジオに耳を傾けていた。
カズさん、ジョー、サル、リミ、コウさんがリクライニングを深く倒して眠っている。みんな、昨日での観光疲れと、ハッスルしまくったバーベキューと浴びるように飲んだ酒によって、グッチャグチャの状態のはずであった。今までハキハキと行動できたのは、命の危険によって覚醒していたからにすぎない。その危険が過ぎると、次第にみんな一言も発しなくなり、やがて眠りについた。私も目蓋が垂れてくるのを感じたが、頬の内側を噛むなどして耐え、慎重にヒーターの調整を行った。朝焼けを迎えるのが待ち遠しかった。
そんな最中、おそらく4時ごろだったと思うが、突如後部座席から××××が声をかけてきた。ここからは彼の名誉のために、名前を伏字にする。
××××「カバ(私)、起きているか?」
私「どうした? さっきエンジンをかけたときに目が覚めてしまったのか?」
××××「実はあまり眠れてない。やっぱりこの寒さでグッスリ眠るのは厳しい」
私「でも、寝ろよ。俺がこうして起きているんだから」
××××「だけど、このままじゃ寝れない……トイレ行きたくなってきた」
私「トイレ……? じゃあ、ドアをそっと開けてしてこいよ」
××××「そうなんだけど、でも……ゴメン。カバ、ついてきてほしい」
私「なんで俺も連れションしなくちゃいけないんだ? 俺は大丈夫だから、そこらの茂みでしてこいよ。一人で出来るだろ?」
××××「いや、無理……だいいち、"ションベン"じゃない……!」
彼がお腹をさすっているのを見た。
私「……マジかよ。よりにもよってこんなときに」
××××「お願い。一緒にトイレを探して……」
私「……ええい。漏らされるよりはマシだ! 分かった。一緒にトイレ探しに行ってやるから、頼むから我慢しろよ?」
私たちはトイレを探し求めたが、ただちに屋外の公衆トイレはないことが判明した。
××××「だ、ダメだ。もう出る……仕方がないからそこでする!」
彼は背の低い生け垣に覆われた棚田の畔に上った。
私「待てよ……! いくらなんでもむき出しのう〇こを放置するのはマズイ。まずは穴を掘って、この中に……」
私は靴の爪先で小さな穴を掘った。2,3年前に四万十川を三泊四日ほどキャンプしながら流れるツアーに参加しているうちに身に染みついた、野外に排泄する際の最低限のマナーである。
××××「トイレットペーパーは持ってないか?」
私「あるわけねぇだろう!?」
近いうちに土地の所有者が踏み抜かないことを祈りつつ、穴を埋め戻した。
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