第9話〇4・16地震の日①~いざ、九州は南阿蘇へ

前置き※最近本シリーズを更新できていないですが、引退したわけではないです。ただ単に今月は仕事が忙しかっただけです。(ASMR1本、YouTube用台本10本、ゲーム2本)3月は比較的に暇なのでお仕事お待ちしてま~す♪


 2016年4月、その時までに私は大分県は阿蘇地方を2度旅している。

 一番始めは2013年の秋。当時、私は実家の仏壇店の仕事で大分県中津市の寺の修繕工事を行っていた。ちなみに私の地元は滋賀県である。なぜ滋賀県の仏壇屋が大分県の寺を直していたのかというと、一言でいうなら仏壇屋は仏壇では食えなくなったことと、業界は狭いということに尽きる。多くの仏壇屋はスプレーで漆を吹き付けるが、私の実家では昔ながらの刷毛で手塗りで製造していたので、仏壇が売れなくなった昨今、それでも漆が使われている神社仏閣の修繕工事に携わるしか食い扶持がなかったのだ。(ちなみに今まで携わった物件は、東京上野東照宮、上総一ノ宮玉崎神社、御堂筋南御堂、大阪服部天神宮、高野山金剛峯寺中門などである)

 そして大分の寺と実家を繋いでくれたのは、その寺が京都の業者に修繕を依頼したからである。文化財関連事業において、京都ブランドはそれほどまでに強い。

 その京都の業者とつながりのある滋賀の問屋の主人がウチの親父と修業時代を共にしたということで、色々あって私が出張工事に赴くことになったという、バタフライ効果のようなご縁があり、修繕工事に携わらせてもらった。

 当初、私以外に4人の人員で切り盛りしていたが、最終的に私一人だけが残り仕上げを任せられることとなった。住み込みで働いていたので諸々の荷物を運ぶ役目も任されていたので、車を自由に使えた。しばらく休みをもらっていなかったので私は2,3日休暇をもらい、その間に車を使って旅行を楽しむことにした。

 大分から湯布院に抜けて阿蘇に至る道を、『やまなみハイウェイ』という。地平線こそは見ることは出来ないが、荒涼とした台地に延々と伸びる道を走ると、まるで非日常的な世界に吸い込まれていくような感覚を味わうことが出来る素晴らしい眺望のドライブルートである。私はこの場所をいたく気に入り、後の傷心旅行の際にも引き寄せられるようにこの場所を訪れることとなった。

 

 二度目の訪問は2015年秋。シェアハウスに暮らし始める直前の頃である。その頃の私は家業を諦め、あらゆる挑戦に失敗して傷心のままフラフラ旅に出た時であった。西日本を宛てもなく彷徨い、なんだか宮本武蔵の辿ったルートみたいだなと一人悦に浸って、旅の途中で宮本武蔵が『五輪の書』を書いた祠にお参りにいったような、そんな旅の最中である。以前に大分で過ごした、また、やまなみハイウェイを走っていた頃がとても美しい思い出として残っていたので、自然とその場所に吸い寄せられてしまった。その前日、大分県由布院の由布岳に宿泊していた私は、宿泊していたユースホステルのオーナーから、「関西からここまで来て登山が好きなら、『久住山』に登ってみな。九州で一番高い山だよ。きっと何かを感じると思うよ」と言われていたので、やまなみハイウェイに辿りつくとその最中にある久住山へとアプローチした。麓から約6時間かけて頂上に立つと、視界は360度開かれていて、紺碧の空と秋草に萌える大地以外に遮るものなど何もなかった。白く煙る息を吐いた私は、「生きてる……」とだけ呟き、人生はただそれだけで良いと思うと、涙が溢れ出しそうになった。ツラいことがあった過去よりも、不安でたまらない未来よりも、今、無事に生きていることが全てなのだと思えれば、その刹那、人生を覆っていた暗い影が全て吹き飛んだ気がした。私は再び生きる勇気をもらい、久住山を後にした。(ちなみにその旅はそれから登山の旅となって、最終的に屋久島の縄文杉を見て帰った)


 長すぎる前置きであったが、とどのつまり何が言いたいのかというと、私にとって大分、阿蘇地域というのはそれだけ思い入れのある地域だということだ。一昔前はお金が無くて、今ではコロナが原因で行けやしないが、チャンスがあるならいつでも行きたいと思っている。


 そんな私に、シェアハウスで暮らし始めて4か月目の2016年4月に割安で阿蘇に旅行できる耳寄りな情報が届いた。なんと日頃から親しくしてもらっていたグループが阿蘇に旅行に行くとのことだった。言い出しっぺは、本記事第8話で登場するリミらしい。20代の台湾人女性である彼女だが、ビザが切れて台湾に帰国する日が近づいていた。帰国したら家庭を持つ彼女は、ぜひとも帰国する前に日本を堪能し尽くしたい。そのために『高千穂峡』に訪れてみたいという、何とも渋いことを言い出したらしい。そしてそれに便乗する形でサルとジョーは黒川温泉を、コウさんはワンピースのファンだったので当時ワンピースとコラボしたゴーイングメリー号を設置していた長崎ハウステンボスを、そしてグループのリーダー的存在であるカズさんが、運転手役として同行することになったらしい。(カズさん、ジョー、サル、コウさんを知らない方は、第7話参照のこと)


私「運転手のためについて行くって……車で行かはるんですか?」(滋賀県なまり)

カズ「その方がみんなの行きたい所が回れるからってお願いされたんだよ」

私「大阪からとなると、ごっつい大変ですね」

カズ「ううん。車は福岡でレンタルするんだ。だから福岡から出発して、北九州をグルリと回る形になるね」

私「それにしてもカズさんがずっと一人で運転するっていうのは……」

カズ「いや、ジョーが国際免許を持っているみたいだよ。だからジョーと交代しながらになると思う。現に、俺は別府からしか同行できないんだ。福岡から別府まではジョーが運転する」

私「あれ、福岡からついて行かないんですか?」

カズ「4,5日の日程の旅行にずっとついて行くのは無理だよ。仕事があるから。俺が休みの日にみんなと別府で落ち合うことが出来るから、それまではジョーに頑張ってもらうってことになった」

私「……ジョーが運転って、大丈夫なんですかね?」

カズ「問題ないでしょ。免許はあるし、香港でも車に乗っていたって言っていたから。だけど日本で車を乗るのは初めてな上に、長距離ドライブになるから不安そうにはしていたけどね」


 そこで私はピンときた。


私「じゃあ、カズさんが抜けた後は俺がジョーに代わって運転しますよ」

カズ「えっ、カバ(私)も一緒に行きたいってこと?」

私「あ~……今さらついて行きたいって言ったら迷惑ですかね?」

カズ「ううん。いいと思うよ。宿泊先の予約もまだだし……でも、仕事とか大丈夫?」

私「現在、絶賛無職です!」


 無職であることを大っぴらにすることは気恥ずかしかったが、恐らくあのシェアハウスに住む住人は約半数が無職だったので、だいぶんハードルが下がっていた。シェアハウスに人が何を求めるか、それは人それぞれだが、人生第二のモラトリアムを楽しむために滞在する、仕事を辞めた日本人が多く見受けられた。何とも面白い傾向である。

 内心、カズさんにちょっとウザいと思われたかもしれないが、なんとか阿蘇界隈を安く旅行できる機会を得ることが出来た。大阪から別府までのフェリー代はお一人様分丸々支払う必要があるが、レンタカー代はメンバーで割れるのでかなりお安く済む。

 おまけにリミが南阿蘇村で一泊何人泊っても1万円のコテージを見つけるなど、宿泊費に関してもかなり安上がりで済むことが期待できた。

 かくして私とカズさんは2016年4月15日(金)に大阪南港で落ち合い、フェリーに乗って大分県別府へと赴いた。

 私たちがフェリーターミナルから出ると、ややあってジョーの運転する乗用車が迎えに来てくれた。こそから運転手はカズさんにバトンタッチして、一行は由布院へと向かった。

 由布院は『湯布院』とも書く。別府に並ぶ九州随一の温泉街で有名である。韓国人の青年であるサルは、温泉が大好きだった。しかし湯布院の温泉宿はどこもべらぼうに高く、おまけに気軽に日帰り入浴できる施設も少なかった。温泉巡りは温泉パスポートのある黒川温泉に任せて、みんなで温泉街を散策するなどして楽しんだ。


(……イライラ)


 私は行動を共にして早々、メンバーと共に過ごすのが少し苦痛に感じるようになった。

 というのもみんな自由過ぎて、時間配分やスケジュール通りに動くということが出来ずにいたからだ。沖縄の人に対する偏見と捉えられるかもしれないが、いわゆる『なんくるないさー精神』で、多少予定の時間がずれ込んでも今が楽しければいくら遅れても良いという認識がメンバー間で広がっていた……私を除いて。

 かなりゆとりのあるスケジュールと組んでいたのならそれでも良い。だけどその日の予定は、『由布岳に登る→湯布院の温泉街を散策する→黒川温泉に入る→阿蘇山大観峰に行く→余裕があれば高千穂に行く→南阿蘇村で宿泊』という、どだい無理な物だった。そのことを指摘すると由布岳登頂はあっさり諦めて、温泉街散策に時間を費やすことにした。温泉街を発つのは午前10時の予定。しかし現在、午後11時。終いにはここでお昼ご飯を食べようという話まで出る始末。


私「このままでは高千穂に行けなくなるし、阿蘇に着くのは夜になるぞ」


 と釘を刺すと、「それじゃあバーベキューが出来なくなるな!」ということで、ようやくメンバーが折れてくれた。宿泊予定のロッジにはバーベキュースタンドが用意されてあり、みんなそこで酒盛りするのを楽しみにしていたのだった。


 温泉街から出る際、私はカズさんに運転の交代を申し出た。


私「僕、以前にこの辺に住んでいたことあるんで、土地勘があるからきっと早く着けます」


 この旅行は母国に帰るリミやコウさんにとって最後の旅行となるはずである。なら余すことなく願望を叶えてあげたい。リミが高千穂に寄りたいのなら高千穂に寄れるだけの時間を作ってあげたい。そんな思いから少しでも時間を節約しようと躍起になった。

 その結果、午後1時頃に着いた阿蘇大観峰にて、メンバーみんなで戦隊もののポーズを取ったり、チアリーディングにある中心にいる人の足を持ち上げてジャンプさせる技のようなものを小一時間ほど行ってビデオに収めるという謎行動を行い、私が節約した時間を見事に吹き飛ばしてくれた。まぁ、アラサーにも関わらず青春っぽいことを味わわせてもらえて有難かったが、これでリミの一番の目的である高千穂行きは翌日に持ち越されることが確定した。(このへんに順応できないところが、私が青春時代を陰キャとして過ごさねばならなかった由縁だと思われる。つまり、暗い青春は私にとって必然であったのだろう)


 その後は日が傾きつつある中、黒川温泉にて2,3か所温泉を巡り、そこでも人がいなければ大はしゃぎ、人がいれば厳かに堪能しつつ、早々に切り上げて暮れなずむ阿蘇の街並みを走り抜けて、日が地平線の彼方に沈んだ頃に大きな峡谷を跨ぐ阿蘇大吊橋を渡り、南阿蘇村へと入った。


 ロッジに着いた頃には西の空と大地の境界が朱く燃えているような時刻であった。標高1000mほどもある阿蘇カルデラ地域は4月にも関わらず通り抜ければ思わず身体がブルルと震えるような冷たい風が吹き渡っていた。人家が疎らな辺りの光景と合わせて、なんだか秋の北海道に来た気分になった。


 バーベキューの準備を始めた頃は足元が見えるかどうかというぐらい薄暗くなっていたので、調理が出来るか心配であったが杞憂であった。バーベキューのために宛がわれた施設には屋根とベンチが付いていて、ランタンが垂れ下がり明るさは十分だった。観光オフシーズンだからなのか私たち以外に宿泊客はおらず、バーベキュー会場全体を私たちが独占できた。私たちは寒さを紛らわすために酒を煽るように飲んで、ゲラゲラ笑いながら男子は男子同士でのしかかったり、おんぶしたり抱っこしたりダイブしたり組体操したりカラオケをしたりとやりたい放題で、女子はそんな男子のバカ騒ぎを顔を真っ赤にして笑いながら眺めていた。私もヤケクソになってその乱痴気にまざっていた。途中、コウさんのご両親からビデオ通話をすることとなり、みんなでスマホに向かって「コウさんのお母さん、お父さん。娘さんも僕たちも、みんな元気でーーーす!! 何も心配しないでくださーーーい!!」などとかましたときなど、ご両親はどのような気持ちで見ていたのかご心中をお察しする。まぁ、別に男と女が一つ屋根の下のコテージで眠るからといって、私たちは神に誓って怪しい行為などしやしないのだが。


 ともかく私たちは日付を跨ぐまで賑やかな酒池肉林のパーティーを行い、片付けもそこそこに眠りにつくことにした。

 コテージにはロフトがあり、そこが就寝スペースとなっていたが、6人が川の字で眠るには狭すぎた。なので男子の中では私だけが女子に混じってロフトに、残りの男子は1階の居間で雑魚寝という形で消灯した。

 酒が回り、意識がクランクランする中で微睡みの中に落ちようとしたその頃、2016年4月16日午前1時25分。

 マグニチュード7.0、震度7の地震が南阿蘇村を襲った。

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