第8話〇ラプトルの肉とリミ

 知らない人のために前もって説明しておくと、大阪にはUSJ(ユニバーサルスタジオジャパン)という全国で第二位の規模のテーマパークがある。某ネズミの国では、テーマはディズニーアニメ―ションであるが、USJではオープン当初ハリウッド映画を主に取り扱っていた。しかしUSJはたちまち集客が低迷し、テコ入れとして日本のサブカルチャー文化、俗にいうクールジャパンを取り入れることとなり、それが今日の躍進へとつながった。近年、ハリーポッターエリアに加えて、ニンテンドーのマリオブラザーズのエリアが新設され、開園から20年経った今でも非常に人気な観光スポットである。


 田舎者は地元の観光名所に遊びに行くことなどないが、大阪に住む人はUSJに遊びに行くことは結構あることだと思う。2016年当時、私が暮らしていた大阪のシェアハウスでも、たまに住民たちが徒党を組んでUSJへと乗り出すことがあった。一斉に20人ぐらい集まって赴くので、ちょっとした修学旅行のようなものだ。

 前回、私はシェアハウス内でも賑やかなグループと付き合うようになったことを述べた。私はそのグループを通じてUSJに遊びに行くこととなった。私は17歳の頃に高校を辞めたと同時に数少ない友達との付き合いを一切絶ち、以後、約8年間ぐらい地元に友達がいないという非常に孤独な生活を送っていたほどの陰キャだったので、いきなり2,30人でUSJにくり出すイベントへと参加することに舞い上がってよいものやら、不安に逃げ出したくなるやら、何が何だか分からない状態となってしまった。 ……『シェアハウスは陽キャが住むもの』と言及する人がいたとしたら、その人はにわかだと思われる。実際は私のように陰キャすぎるがゆえに自分自身の性格やライフスタイル、人生を変えようと、ショック療法的な感じでシェアハウスに住むことを決断した人は一定数いるはずだ。


 だがどれだけ自分を変えようと思っても、根っこは変わらないものだ。幼い頃から人付き合いの苦手な私は、夢中になっているゲームに集中したいがためにわざわざ家に訪ねに来てくれた友達を追い返したこともあるぐらい一人でいる時間が好きであり、他人を思いやる気持ちが欠けていて、むしろ他人と一緒に過ごす時間は落ち着かず、苦痛で仕方がないと感じるような人間なのだが、いくら寂しすぎる人生を変えるためにシェアハウスに暮らし始め、USJ団体ツアーに参加しても、最初のアトラクションを体験したら、もうとっとと独りになりたいと思い始めていた。仲良くしたい人はいるのでお近づきになりたい、話しかけたいと思いつつも、どうしても集団から外れて離れて歩いている方が落ち着くというジレンマを抱えながら、しばらく住民たちと園内の行動を共にしていた。


 20代の男女が集団でテーマパークを訪れて、まさか絶叫マシンに乗らないなんてことはあり得ない。当時、『フライングダイナソー』という、椅子に座らず宙吊りになってブンブンされるアトラクションが新しくオープンしたばかりであり、それを体験することが一同にとって一番の目的だった。

 反面、私は絶叫マシンが苦手だったので、はっきり言って辞退したかった。私の一番の目的は『みんなとUSJに行った』という事実であり、その目的は既に達成されている。もうこれ以上他人と一緒にいると陰キャゲージがマックスになって頭とハートがパンクして正気を保てなくなってしまうので、正直、絶叫マシンに乗るぐらいなら近くのカフェで一人で一息つきたいと考えだしていた。だが当たり前だが途中離脱なんて許されない……私は鬱々とした気分になりながら、仕方が無しに一行と絶叫マシンエリアへと歩みを進めた。

 しかしながら更に悪いことに、そのマシンには既に1時間超の長蛇の列が出来上がっていた。まぁそりゃ、オープンしたばかりの目玉アトラクションなのだから、私たちだけではなくUSJに訪れる人たちの多くがこのアトラクションを目的としていたのだろう。私は、一時間以上も立ちっ放しの上に、まだ名前ぐらいしか知らないような人たちと一時間も会話を持たせることなんて、無理! と思い、すぐにでも逃げ出したい気持ちになっていた。


 すると突然、一人の女性が集団の輪から離脱していった。彼女はリミといい、20代前半の台湾人女性である。他のメンバーに事情を尋ねると、「絶叫マシンが苦手だから皆が終わるまで待ってる」とのことである。当時は3月中頃、時刻は夕方だった。まだ肌寒い中、女性を独り残して少なくとも一時間は延々と待たせるのは、何とも後味が悪いように思えた。

 私は一念発起して、絶叫マシンの行列に並ぼうとするみんなに「抜けて、リミと一緒に待つ」と告げた。後日、リミと比較的に仲の良いカズさんから「あの時、カバ(私)が抜けるって言ってくれてよかった。俺たちもリミを一人にするのは悪いと思っていたから」と感謝してくれた。元は私自身が抜ける動機を探していて、リミを一人にさせないというのは二の次だったように思えるが、あの時、自分に正直な行動をしてよかったと、今でも素直に思う。


 私はリミと合流し、事の経緯を説明した。リミは了解して、私との園内散策にしばらく付き合ってくれることになった。

 私は内心、焦っていた。先ほど、私は地元に友達がいないほど孤独だったと説明したが、実はほんの少しの間だけ彼女がいた。だから童貞ではなかったし、何度かデートはしたことがあったから、女性の扱いがまるで分からないというわけではなかった。ただ、その彼女とは後ほどひどい別れ方をした。私は女性不信に陥るほど精神的に落ち込み、それが回りまわって仕事を辞めて大阪に移り住むことへとにつながったぐらいなので、よく知らない女性と二人きりにさせられるというのは、まだ失恋の傷が癒えきっていない自分にとってはある種絶叫マシンに乗るよりも不安にさせられた。私は、早まったことをしてしまったのかなと軽く後悔した。


※以下、実際のリミの日本語はもう少したどたどしかった


私「……せっかくだし、何か見て回ろっか?」

リミ「そうしよう。どこに行きますか?」

私「リミは行きたい場所とか、ないの?」

リミ「私、みんなの付き添いで来ただけだから」

私「そっか……」


 女性の方から要望があってエスコートするという流れになれば、何も考える必要もないし、場所選びに失敗する可能性もないから楽だったのに……リミ、もっと自分を出していこうぜ。と私は内心舌打ちした。

 リミがちょっと困った素振りを見せたので、ここは私が引っ張るべきだと判断した。中途半端にどちらも大して行きたくない場所に連れていって気まずい沈黙が続くぐらいなら、せめて私だけでも心底楽しんで、彼女を巻き込む方が結果的にマシかもしれないという思いからだ。


私「じゃあ……食べたいと思ってたものがあるんだけど、付き合ってもらっていい?」

リミ「うん。いいよ。それってどんなもの?」

私「へへへ、それは……"ラプトルの肉"だよ」

リミ「ら、ラプトル……それってどんな動物なの? 牛? 豚?」

私「見てからのお楽しみ。 ……行こう!」


 シェアハウスの住民たちと別れたジュラシックパークエリアと、通称・ラプトルの肉が売っている湖畔のエリアは非常に近くて、ものの数分で目当ての屋台を見つけた。


リミ「これが、"ラプトルの肉"……?」

私「そうだよ」

リミ「普通の、骨付きの肉みたい。あっ、でもすごく大きい……」

私「多分、鳥の脚だか何かだと思うから、安心して食べていいよ」


 実際の商品名はターキーレッグという。つまり『七面鳥』の脚である。軽くスモークされているので香ばしく、味も良かった。


リミ「おいしかった。でも何でカバはこのお肉のことを、"ラプトルの肉"なんて呼んでいたの?」

私「なんでだっけな? 誰かが言ってたんだよ。 ……そうだ。俺が中学生のときだ。卒業旅行がUSJでさ。その時に男子の間でこの肉のことをラプトルの肉って呼んでたんだ。それを覚えてたんだよ」

私「『ジュラシックパーク』っていう映画、見た事ある? その映画のシーンで、ケージの中にヤギだか羊だかが閉じ込められいて、ラプトルっていう名前の恐竜に食べさせようとするの。だけど何も起こらなくて退屈していた主人公たちがちょっと目を離した隙に、その動物がいなくなっていて、あとには喰いちぎられた肉だけが残されていたってシーンがあるんだ。その恐竜がどれほど獰猛で、静かに得物を襲う不気味なハンターかっていうのを印象付ける場面なんだけど、この肉の形がそれにそっくりでさ。おまけにジュラシックパークエリアに近いところで売っているだろ? だからラプトルの肉だなんて名前がつけられたんだと思う」


 リミに説明しているうちに、私の脳裏に当時の光景が鮮明に浮かんできた。私にとって高校生活はひたすら灰色だったが、中学生の頃はまともな交友関係を持っていて、楽しい思い出も多い。まさか友達同士とテーマパークで和気あいあいと遊ぶのが、その後10年以上もお預けになるなど、中学生の頃の自分は思いもしなかっただろう……


リミ「……カバの話っておもしろいね。色んなこと知ってるし……よかったらもっとお喋りしたいな」

私「はは、そう言ってくれると嬉しいよ……でも、肉食ったばかりでお腹いっぱいだし、今すぐカフェテリアで休むっていうのもな~。よかったらちょっとの間、ぶらっと歩かない?」

リミ「いいよ。他にどんなおもしろいところがあるのか教えて?」


 私は、リミを連れて当時まだ比較的新しいエリアだったハリーポッターエリアなどを案内した。ハリーポッターの絶叫マシンは、住人たちが乗りに行ったフライングダイナソーよりもよっぽどマイルドだったので、私とリミでも楽しめた。お土産物屋を冷かしたり、建物やオブジェの作り込みに感心して見入ったり……二人だけだったけど充実した時間を過ごすことが出来た。まるで私の人生からごっそり抜け落ちた10代後半から20代前半の青春時代を取り戻したかのような感覚を覚えるほどだった。


私「そろそろいい時間だよな」

リミ「みんなの方が待っているぐらいかもね」


 などと話し合っていると、突如園内放送が流れた。フライングダイナソーが故障して、マシンが停止したとのことだった。遠目からでもマシンが空中で停止しているのが分かる。あの中に一緒に来た仲間がいるかと心配したが、ややあってLINEが来た。並んでいる行列がまったく動かなくなったから、もう少し時間を潰してほしいと頼まれた。


 すでに陽が沈みかけていて、背筋をゾクゾクさせるような風が園内を吹き抜けていた。私たちはカフェテリアに入り、しばらく二人でお茶をして時間を潰すことにした。

 非常に奇妙な感覚だった。私は会話を長持ちさせるのが上手い方ではない。人並み以上人見知りをするし、同じ人と長時間話すどころが同席しているだけでも苦痛に感じてしまう。おまけに私は女性慣れしているわけではない。知り合ったばかりの女性と二人で向かい合って延々とお茶するだなんて、相当負荷がかかるだろうと思った。

 だけどリミだけはずっと一緒にいても苦痛にならなかった。時々会話が途切れることもあったが、沈黙の最中も居心地が悪くなることがなかった。まるでずっと慣れ親しんだ人が傍らにいてくれている気分で、このような体験は初めてだった。


(あれ、もしかして俺、リミのこと…………)


 失礼ながらあまり女性として眼中になかったリミであったが、私の心の中の天秤がガクンと揺らぐ音がした。もしリミとこれからもずっと一緒にいれたなら、今後一生をずっと楽しく、お気楽に過ごせるんじゃないかと思うと、この女性は私にとってとても貴重な存在なのではないかと思えてきた。


リミ「あのさ、カバさん……聞いてほしいことがあるんだけど、いいかな?」


 ある程度話をしてゆっくりしている最中に、急にリミは改まった態度で話しかけてきた。彼女はこれまで浮かべていた柔和な笑みを消して、ちょっと思い悩んでいるような表情をしている。

 私の少ない経験上、女性が悩み相談を持ちかけてからお互いの関係が事態が大きく動くときがある。それも男にとって良い方に。仕事や将来に対する悩みを相談されたならそれを励ますことで、恋愛の悩みならひたすら聞いてあげることで、より女性から信頼されて、関係が発展していくことは往々にしてありえる……私はある種の期待感を持って、リミに話を促した。


リミ「ありがとう。実は……私の彼氏のことなんだけど」

私(恋愛相談か! ……もしもう別れたとしたら、俺にとって絶好のチャンスか?)


 などと思ったが、


リミ「彼氏というより婚約者なんだけどね。台湾にいる。私、その彼のことが好きで好きでたまらないんだけど、でも私、彼の気持ちが分からなくなっちゃったの」

私「ふぇっ……婚約者? ……リミ、婚約してるの!?」

リミ「うん。実はそう♪」

私「いや、マジか……! 婚約してるのに、1年間日本で暮らそうって思ってたの?」

リミ「うん。絶対にやってみたいことだったから。結婚したら、もうそんなこと出来ないじゃない……でも、彼がそれを許してくれたのが、今の私にとっては不安なの」


 もしかしたらラブロマンスがこれから始まるのかと思っていたら、まさかの婚約者有り……こりゃ、どう転んでも私にお鉢はないと悟ることとなり、以降、私は半ば呆然としながらリミの話を聞いていた。


リミ「普通、婚約者が1年間も自分のもとから離れるのを許すって、ずっと会えなくなるのを我慢するって、考えられないことだと思うの。私は当然、彼から反対されるだろうと思って日本に行きたいと伝えたんだけど、でも、彼はすんなりOKしてくれて……私、大切に思われてないんじゃないかなって思っちゃった。これってどうなの? 男の人の気持ちが分からなくて……カバはどう思う?」

カバ「……まず、何でそれを俺に聞こうと思ったの?」

リミ「う~ん。よく分からない。でもあなたならきっと正直に、間違ったことを言わないと思ったから?」


 なんとも不思議な理由だったが、ともかくリミは婚約者のことが大好きで、依然、私が美味しい思いをさせてもらえるようなことには絶対になり得ないということは完璧に理解した。

 私は彼女に淡い恋心を抱いてものの1時間ほどで、諦めざるを得なくなってしまったというわけだ。


私「ちなみに彼氏が浮気しているかもって、疑ってるっていうこと?」

リミ「そ、そんなんじゃない! 彼のことは信頼してる。だけど、実際に会っている時間が長くて、私が台湾に帰ってきた時に、前みたいに愛し合えるかが不安で……」

私「帰ったら、すぐ結婚するの?」

リミ「うん! 早く彼の奥さんになって、一緒に暮らしたいって思ってる♪」


 ……そんなにのろけられると、むしろ清々しかった。


(まぁ、リミぐらい親しみやすい女の子を、他の男が放っておくはずないもんな。

 この子が幸せになってくれるなら、もういっか)


 私はリミを安心させるために、「好きになった女の子のやりたいことやワガママを叶えたり許すのが男の甲斐性だと思うから、婚約者はリミへの愛情が薄いんじゃなくて、何でも許してあげたいって思えるほど君を愛してるってことなんだよ」みたいなことを言った。


リミ「えへへ、私のこと、本当に愛してる……ありがとう。カバに話してよかった。

 おかげで心の中がすごくスッキリした♪」


 その満面の笑みだけで、今日のデートの報酬としては十分だなと、私は思うことにした。


 結局、フライングダイナソーは1時間以上再開されず、私とリミは都合3時間も待たされることとなった。ずっとカフェテリアにいるのも無理があったので、リミには当時行われていた『エヴァンゲリオン』のアトラクションに付き合ってもらうことにした。結構なグロ描写があったし、原作知らないと意味が分からない展開もあったので、原作を知らないリミは顔を青くしていて、付き合わせて悪かったと、今でも少し思っている。


 その日以降、私はリミをそういう対象として見なくはなったし、期待もしないようにした。それがかえって肩から力の抜けたほどよい友達関係となって持続し、普段から何気ない会話をしたり、週に1,2度はシェアハウスで一緒に飯を作って食うような関係へと進展した。

 そしてその交友関係によって、私はあるアクシデントに巻き込まれることになる。

 USJへと共に遊びに出かけたひと月後、2016年4月のことである。

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