第4話〇高野豆腐とマル
第三話にて当時暮らしていたシェアハウスがどれほど不潔かについて述べたが、それに関してもう一つ逸話がある。
実は私が引っ越してきたその日、必要な物をスーパーで調達して戻ってきた折に、玄関前でシクシクと泣いている女の子がいたのだ。彼女は細く、肌は白く、ヨーロッパ系の人種にも関わらず背丈は日本人の小柄な女の子ほどしかなかった。パリッとしたイカつめの黒のレザージャケットを羽織っているにも関わらず、うわ言を呟きながら涙する様はちょっと異様で、そして弱弱しい印象を受けた。数人のシェアハウスの住人が彼女を取り巻いて、慰めの言葉をかけていた。私も放っておけず、彼女がなぜそんなに泣いているのか確かめようと、彼女の泣き言に耳を澄ますと……
「こんな……こんな不潔なところだと思わなかった……写真に騙された……」
と呟いていた。何だか馬鹿らしくなって、差し伸べようとした手を引っ込めて、部屋へと帰った。
後日、当シェアハウスのウェブサイトに載せられていた内観の写真を確認した。たしかに実際よりも遥かにキレイな状態で撮影されてはいるが……まぁ、詐欺とまではいえない範囲だし、あるあるの範疇を出ないなと思った。あの娘が余程世間知らずなのか、初めて物件を借りるようなまだ幼い年齢だったのか、それとも欧米では物件を良く見せるような写真を掲載するという文化がないのか……真相は一切分からなかったが、彼女を慰めようとしてた住人たちは、「そのうちに慣れるよ」とか「住めば都だからひと月、ふた月は我慢して暮らしな」とか声をかけていたので、まぁ、そのうちに落ち着くだろうと思い、直にその一件のことは忘れた。
私と彼女との交流が始まったのは、私が住み始めてから割と早い段階からだった。私が食事をしているところに彼女が寄ってきて、「この料理はなに?」と訪ねたのだ。私は料理の説明をしたあとに、「ちょっと食べてみます?」と彼女の分を取り分けて与えた。その料理は、『高野豆腐』だった。
私には大阪に知り合いがおらず、そのうえ家出同然で実家を飛び出して移り住んだので、かなり孤独な状態だった。シェアハウス内に知り合いが一人もいない状態は、顔見知りが誰もいない学校に身一つでポイと放りこまれた感覚によく似ている。転校生だったら転向初日に先生から紹介させてもらえるかもしれないが、約100人もの住人が暮らすシェアハウスにそんなしきたりなどない。自分のプロデュースは、自分自身で行わなくてはならない。さもなくば、ランドリールームや洗面台に向かうたびに、部屋から出て移動するたびに、キッチンで自炊するたびに、ダイニングで飯を食うたびに、見知らぬ人と遭遇してビクッとするような生活が続いて疲弊してしまう。
私は陰キャだったので、直接話しかけたりせずに何か別のことで興味を持ってもらおうと考えた。そして行き着いたのは料理だった。食事は毎日作るし、当時は働いていなかったので割と凝った物を作れた。素人レベルではあるが、一人暮らし満喫しています風の料理を作って、誰か一人でも気にかけてもらおうと試みた。そしてある日、『高野豆腐』を作って一人でモソモソと食べていた。なぜ高野豆腐をチョイスしたのかというと、昔、高野山に住み込みで働いていた経験があるので昔を懐かしもうとしたことと、このシェアハウスの住民の半数を占める外国人にとっては見た事もない日本料理であろうから珍しがられると思ったからであった。
私から高野豆腐を分け与えられた少女は、マルティナと名乗った。イタリアの、確かサルディーニャ島出身だと聞いた気がするが、はっきりとは覚えていない。覚えているのは、彼女の地元はかなりの田舎で、私の持つ煌びやかでファッショナブルなイタリアのイメージとはかけ離れた暮らしをしていたとのことだった。
マルティナはその反動からかポップカルチャーや日本のオタク文化にハマり、日本には歌手を目指しに来日したという。知り合ってからしばらく経って彼女とカラオケに行く機会があり、自慢の歌唱を聞かせてもらったが、本当に伸びやかな素晴らしい歌声をしていた。既に日本語が堪能で、シェアハウスに住む外国人の大半が語学学校に通う中、彼女は語学ではなく自身のアーティストとしての活動に邁進していた。歌手としての活動だけではなく、芸術にもある程度含蓄があり、知り合って一年後ぐらいに大阪の天満橋の雑居ビルのワンフロアを借り切って彼女のアート作品主体の個展に招かれたときは、度肝を抜かれたものだった。私はシェアハウスの住民の中でおそらく唯一PhotoshopやIllustratorを扱える人間だったので、マルティナから個展で配布するための名刺を作って欲しいと頼まれたときは、その話を冗談半分で受け止めていたが、まさか本当に実行するとは思わなかった。一緒に暮らしている間は、彼女のユニークさと実行力の高さに、私は度々舌を巻いたものだ。
話は翻って彼女と初めて会話を交わした当初、高野豆腐を分け与えたころに戻ろう。彼女は高野豆腐をいたく気に入ってくれて私に作り方を教えて欲しいとせがんできた。
どうしてこのような地味な料理が気に入ったのかと尋ねると、彼女は「ヴィーガンなの」と答えた。完全菜食主義者のことであり、今となっては日本でもすっかり定着した風習である。しかし当時はまだ日本では広く認知されていなかったし、私自身、このとき初めてヴィーガンの存在を知った。
「豆腐なのにお肉みたいな食感で、すごく画期的!」
と、高野豆腐は彼女のニーズを見事に捉えたらしかった。
私は以前、お寺などの修復工事を手掛ける職人であったが、弁当にから揚げなどの肉が入っていると、「寺で肉食する気になれない」と、あえて敷地から出て食事をするなど、やや潔癖なところがあった。ヴィーガンに興味を持った私はそれ以降、いくつか完全菜食料理を作って彼女と食事を共にするようになった。スーパーで出汁を買う際には、鰹出汁ではなくあえてスティック状の無添加の昆布だしを選ぶようになるほどには、彼女との共にする食事を意識するようになった。
私は最終的に、(というよりは彼女の知り合いの半数ぐらいは)彼女の愛称である『マル』と呼ぶほどに彼女とは打ち解けた。「マルちゃんって呼ばれるととても可愛らしく聞こえるから好き♡」と照れた顔が印象的だった。
恋愛感情がなかったかというと、彼女のキャラクターが私にとってはあまり女性として好みではなかったのと、彼女に既に恋人がいたのでそういう関係には発展しなかった。
しかしながらある日、彼女から「二人きりで一緒に出掛けよう!」と誘われた。デート的なお誘いかと私は思い、「彼氏に誤解をされると困る!」と戸惑っていたら、ヴィーガン専用のレストランを開拓するために谷町九丁目から豊崎までの約9キロを延々と歩こうと提案された。
このように私とマルは、時折ヴィーガン食を共有し合うフランクな友達として過ごした。個性的で時折気難しいところのある彼女だったが、己の道を貫く行動力に感心させられたし、ボッチの私に声をかけて、何度も食事まで共にしてくれたことに今でも感謝している。
マルとの別れは、私と出会って約1年後に訪れた。「やっとあの汚い場所から引っ越せる!」と喜びいっぱいで、同じ大阪市内へと引っ越していった。そんなにイヤだったのか、マルよ……結局、あのシェアハウスに馴染み切ることは出来なかったらしい。
彼女が引っ越してからも何度か顔を合わす機会があったが、ここ数年は連絡することもなくなってしまった。彼女は今、どうしているだろう?
私は現在でもたまに完全菜食を意識して料理を作ることはあるが、その度にマルティナを思い出す。彼女はもう母国に帰ってしまっただろうか? 夢だった歌手デビューを果たすことが出来たのだろうか? 業界界隈で彼女の名前は聞かないから、もう歌手の道を諦めてしまったのかもしれない。まぁ、私みたいに仮名で活動するしがないライターもいるぐらいだから、彼女も私の知らないところで活躍しているのかもしれないが……
もし彼氏と結婚したならば、まだ日本にいる可能性もある。おそらくもう30歳ぐらいになっているはずだから、子どもの一人でも儲けているかもしれない。マル……子供が小さいうちは完全菜食を勧めちゃダメだぜ。と思いつつ、共に高野豆腐をつつきあった日々に思いをはせる。
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