第9話 部屋と螺旋状のカルマ

 喧々けんけんたる蝉の声がアスファルトに染み入る夏の朝のことでした。


 ネヴラ商店街の店々はとうに営業を終えてひっそりと眠りについています。すでに太陽は高く、鋭い朝日が白々しく錆びた看板を照らしあげます。行き交う人もなく死んだように静まりかえる商店街ですが、実はここには唯一24時間営業のお店があるのです。商店街の入口、ちょうど占い屋の向かいの一角。白と水色を基調とした清潔感のある外観に「洗濯屋」の文字。ガラス戸から見える店内には真っ白な衣類がハンガーに吊されて並んでいます。


 そこに、中年の夫婦らしい二人連れがおずおずとやってきました。


 40代半ばといったところでしょうか。汗をかいてはいますが青ざめていて、いかにも憔悴しょうすいしきった表情です。互いに目を見合わせて、覚悟したようにガラス戸を開けると、スッと、重さを感じさせずにドアは開きました。カラッとした涼しい風が夫婦の頬を撫ぜます。


「いらっしゃいませ!」


 カウンターの中で座っていた店員が、吸っていた煙草を灰皿に押しつけながら立ち上がりました。白い肌に黒い癖毛、ニカッと笑ったときに見える白い八重歯がいかにも好青年然としています。その姿を見て、今まで呼吸を忘れていたかのように、夫人がふうっと深く息を吐きました。夫の方も幾分緊張が解けたのか、ぎこちないながらも丁寧な所作で脇に抱えていた紙袋をカウンターに置きました。


「あ、お預かりですね?」


 爽やかに言った店員が紙袋を閲すると、中にはそこここに血のついたワイシャツが入っているではありませんか。途端に店員の顔から笑いが消えました。


「そっちのご依頼ですか」


 それが何かの符牒ふちょうだったのでしょう。無言で夫婦に椅子を勧める店員は、先程とは違った笑みを浮かべました。自分も椅子に座り直して、煙草を飲み始めます。


「あなた方みたいなご夫婦が、よくこの店を見つけられましたね」

「はあ……私どもも必死だったもので……」

「へえ、ウチみたいなとことは無縁な感じがするけどなあ。 何があったんですか」


 中年夫婦は顔を見合わせました。夫の方が、絞り出すような声で答えます。


「私どもの愚息が、大変なことをやらかしまして……。 人様のお子さんを裸にしていたずらした挙げ句、撮影した動画をSNSに投稿したらしくて……」

「ほう」

「SNSの投稿だけでなく学校にまで苦情が殺到しているらしくて……。 先日相手のお宅と学校の方へはお詫びに伺って、愚息は自主退学させました。 ほとぼりが冷めるまで、家にいさせるつもりでおります」

「それで? 俺たちには何を依頼されるつもりですか」


 頬杖をついた店員は上目遣いで問いかけます。涙声の夫人は今にもすがりつきそうな調子で、


「相手のご両親は十分納得しているわけではないんです! 場合によっては警察沙汰になるかもしれません。 それに、SNSは完全に炎上しています。 このままでは息子は将来、学校へも行けず就職もできません!」


 と訴えます。消えそうな言葉尻を引き取って、夫も頭を下げます。


「私どもではどうすることもできそうにありません。 どうか助けていただきたい。 私どもは二人とも公務員です。 退職金は多少当てになるでしょう。 金に糸目はつけないので、どうか対処してもらえないでしょうか」

「へへへ」


 少年のような無邪気な笑い声に、夫婦は顔を上げました。店に入る前にかいていた汗は冷え切って、下着が背に冷たく張り付きます。最初の爽やかな笑顔に戻った店員は、事も無げに言いました。


「いいですよ。 ただし、こちらの契約書の内容に同意していただけたら、の話です。


 一つ、当店はいかなる汚れも逃さぬ徹底洗浄を旨としております。ご了承ください。

 一つ、当店の洗濯方法に関しまして一切の苦情はお受けいたしません。

 一つ、お支払い方法は現金及び現物(貴金属、宝石、臓器等)のみです。カードや電子マネーは使用できません。


 以上の条件でよろしければ、こちらにサインと血判をお願いします。夕方までに契約書を持って息子さんご本人とご来店ください。」




 夕方、夫婦が息子を引き摺って再び店を訪れますと、薄暗い店内には真っ白な服を着た、女のような顔の店員がぽつねんとパソコンに向かっていました。眠そうな二重に色っぽい唇をしてはいますが、ガーゼの眼帯をしていない左眼をギロリと3人の客の方に向ける様は、昼間の店員の残虐な眼を彷彿ほうふつとさせます。


 ガタッ


 椅子が倒れそうになるほど大きな音を立てて、鷹揚おうように店員は立ち上がりました。その背の高いことといったら。一般に高身長な部類に入る夫でさえ、見上げるほどです。目線の先には店員の胸元が官能的な凹凸を持って息をしています。きっと、一瞬のことだったのでしょう。それでも三人は、奥から出てきた朝の店員に声を掛けられるまで、呼吸の止まる思いだったのです。


「ああ、いらっしゃいませ!」


 相変わらず爽やかな笑みを浮かべて、朝の店員は会釈をしました。


「息子さんも来てくださったんですね。 じゃあ、契約成立ってことでよろしくお願いしますよ」

「これ、契約書と代金です……」

「預かりますね。 フユキ、コレ、確認して」


 契約書を渡されたフユキと呼ばれた巨軀きょくの店員は、ぬぼーっとした手でそれを受け取って、パソコン横の機器にかけながら何やら調べています。見た目からは想像もできないような、プロのピアニストもかくやと言うようなタッチでキーボードをタイプしています。


「先に今回のプランをご説明しますね。

 今回は、インターネット洗浄、交友関係洗浄を実施させていただきます。 インターネット洗浄につきましては、フユキが担当しますのでご安心ください。 今回は息子さんの人間性にもトラブルの原因があるとみて、人間性しみ抜きクリーニングも合わせてご提案します。 つきましては、息子さんを3日ほどお預かりしますので、ご了承ください。

 説明は以上です。ご質問はありませんね」


 なにやら聞き慣れぬ言葉ばかりが並びましたが、契約書にある通り、夫婦に選択肢などありはしません。互いに目を見合わせて、覚悟したように黙って頷きます。それを見た店員は、爽やかに微笑みました。


「ナツキ…契約書、だいじょぶ」

「わかった。 じゃあ、始めますか。 こちらが息子さんですね」

「はい、お願いします」

「俺はまだ納得してねえぞ」

「いいから! この人たちの言うことを聞きなさい」

「3日後、迎えに来るから……」


「では、お預かりしますね」






 3日後。

 夕立の中、夫婦は今日の朝刊を手に洗濯屋に急ぎます。被害者家族も含めたトラブルの関係者が昨日、全員不審死したという記事を見て、気が気でありませんでした。加えてSNSを見ると、息子のアカウントはおろか、拡散されていた動画やそれを引用した発言にいたるまで、全てが幻のように霧散むさんしているではありませんか。始めは安心していた夫婦も、いよいよ恐ろしくなってきました。取るものも取りあえず、小走りで商店街を目指します。靴の隙間から入った水がじゅぽじゅぽと不快な感覚で足にまとわります。


「いらっしゃいませ。 お待ちしておりました」


 夕闇の中、気味悪く浮かび上がる洗濯屋の灯り。街灯の少ない通りで夏の虫どもが軒下のガラス戸に群がっています。小さな羽虫を払いのけるようにして店内に入ると、いつもの笑顔で店員――ナツキと言ったでしょうか――が迎えてくれました。雨で顔に張り付いた白髪交じりのびんをかき上げながら、夫人が震えました。


「正人は、息子は……っ」

「もう仕上がってますよ。 こちらへどうぞ」


 ナツキは答えました。案内されるままナツキに連れられて奥へと参りますと、カウンターの奥には先程の店舗の数倍はあろうかという気持ち悪いほど真っ白な部屋。寒々としたその部屋の真ん中にはぽつんと椅子が置いてあって、こちらに背をむけて息子が座っているのが見えます。


「正人……!」


 駆け寄った夫人がはじかれたように椅子から飛び退いてその場にへたり込みます。それを見て、夫は血の気が引いていく感覚を覚えました。吐きそうなほど大きくなる鼓動にふらつきながらそこへ近づいていくと、粗末な椅子に座らされた息子は白眼をむいて涎を垂らしておりました。


「息子さんのこざかしい邪気と浅はかな思考が人間性に重大なしみをつくっておりましたので、洗浄してあります。仕上がりをご確認ください」


 どう贔屓目ひいきめで見ても一過性の状態でない息子を見て、言ってのけたナツキは、「これで今後この少年はトラブルを起こすまい」と満足げに笑いました。




めでたし めでたし

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ネヴラ商店街はあいているか kgin @kgin

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