第捌話 鵲剋癡山

 此度こたび語りやすは、現世うつしよ浮世うきよのモノガタリ。

 此の世は地獄と云いやすが、其処に救いは在るのかどうか——。




 肥前国ひぜんのくに(現在の佐賀県)、筑紫山地つくしさんちの連なる山々のひとつに天山てんざんと云ふ山ありにけり。

 筑紫つくしとは元々、筑前・筑後の境となる山におわした荒ぶる神を『人の命尽イノチツクスの神』と呼んでいたのが始まりと云われておりやす。峠を往きかう人を多く取り殺していたと云ふその神を祀り、筑紫つくしの神、ひいてはその山々や地域を筑紫と名付けたそうな。


 古来より、此の国の人々は勧善懲悪、徳を積みし者への救いの御噺が好まれておるようで。

 ……ならば逆を返さば如何なものか。

 仇討ちの精神の美しきに、慈悲なく威厳を持ちて調伏ちょうぶくせしめしまつろわぬ民の平伏せし姿に、なんぞ忘れちゃあおりませぬでしょうか?






 べべんっ、とひとつ琵琶の音。


 静かなる山道を歩きゆかば、滝壺近くにて倒れ臥す女人がひとり。


 息を吹き返したそのものに、湯を与え水を拭える布を渡さば。ぽつりぽつりとその女は語り出す。

 どうやら上の川沿いで、気性の荒き翁に乱暴されかけ。もつれるうちに二人ともが此の滝へと落ちてしまったという。



「そらァまた。此度はえろう大変な目に逢いましたなァ。命が助かりし事、御仏のお導きでしょう」

「……お坊さまには感謝いたします」


 懐から差し出だした手拭いをそのまま預け、湯の入った竹筒を腰の辺りに下げる坊主を、女は不思議に思ったのかそのまま眺め見るばかり。

 それもそのはず、大きな葛籠を背に負いながらも、坊主がそこに荷物をしまおうとする挙動が全く見られないのだ。


 さて、とその視線に気づいたか、坊主は女の方へと向き直ると口を開く。


「なんぞ、危うい目に逢うてまだ心細うございましょう。ワシでよければ、山中のお供に参りやしょうか」

「ぜひ……助けていただいたお礼もしたく。私の住まう小屋が山の上にあります。こんな山奥でしょう? せめてものご恩として、もしよろしければ本日はそちらにお泊まりいただければと。ところで、見たところおひとりの上、やけに大荷物のようですが……お坊さまは何かをお運びなのですか?」

「ええ、まあ……ね」


 ふふふ、と笑う坊主と女の視線は合わずして。


「あなた様こそ、こんな山奥に……おひとりで?」

「ええ、今はひとりでございます」



 ——かちかち、カチカチ。


「これは、何の音でしょうか?」


 拍子木を打つような音が山にこだますれば、女は身震いし坊主にそうっとその身を寄せる。


 ——かちかち、カチカチ。かちかち!!


 その顔の大半を白布で隠した坊主は、女の柔肌が当たろうとも微塵も臆せず怪しく嗤うのみ。


「おやまぁ、あなた様は山にお住まいと先刻聞きやしたが。此の音をご存知ありませんで——?」




***




 さて時は遡り平安末期の御噺にございやす。

 大宰府より筑後の川へと寄りし白き鬼子の小童は、道中現れし魑魅魍魎やいくぼとけをぞぶりぞぶりと喰らふ葛籠を携え、その筑紫の山々沿いに足を進めておりやした。


 さぁさ、どこをどう進んだやら。

 京を目指し歩むはずが辿り着きしは肥前国。


 それもそのはず、小童は地図なぞ持ちませぬ。葛籠の鬼も、現世うつつよ 浮世うきよの行脚なぞ、もちろんしたこともござんせん——。


「ンあぁ! 腹減ったァ。おい、クソぼんぼん、一体ここは何処の山道でぃ? ったくよゥ、だからァあの道は右に進めっつったろぉが!!」

「然し、わたしの好きな方へと進めと云うたのはそなたであろう」

「こんのォ、謝るなってェ言やぁ屁理屈が回るようになりやがって。そもそも、何で北野で地図をもらわなかったんでぃ」

「……団子が美味での、忘れておって」

「句を詠む前に、やることやりやがれってンだ! このやんごとなきクソぼんぼんが!!」


 ——かちかち。


「ンぁあ? おめぇ今なんて」


 ——かちかち。


「……わたしは、何も」


 ——かちかち。


 かちかちカチカチかちかちカチカチ!!!!


「!?」


 一斉に鳴るは、まるで拍子木のやうな音。

 それは小童と葛籠を取り囲むようにして、段々と大きくなりゆきやす。


 ……かち、かち。


 ざわざわと、山が揺れたように感じた小童は、急ぎ葛籠を抱えその最後に聴こえた弱々しい音の方へと足を進めやした。


「こ、これは……」


 ……かち、かち、かち。


 そこに居たのは、白黒まだらの模様をした、不思議な小鳥でございました。

 地面に落ちたまま、飛び立てぬ様子の鳥に辿り着いた途端、先程までのざわめきがピタリと止んだのでございやす。


「呼んだのは、そなたか……?」


 動けぬ鳥に声を掛け、近づかば


「……怪我をしておるのか」

「ほぉん。こいつァ狸と兎の競い合いで、石っころをぶつけるまとにされたんだと」


 葛籠の言葉を聞くなり、小童はそっと琵琶を置き、その白布をほどいて動けぬ鳥を両の手にすくい上げやした。

 見たところまだ幼鳥にも見える鳥。巣から落ちた小鳥は、人の手が触れれば親鳥が見放すとも伝え聞いておった小童は、慎重にその身を運び近くの小川へと向かったのでございやす。


「少しだけ、辛抱してくれぬだろうか……?」

「ほんっとーに、おめぇはよぅ……」


 静まり返った木々の間に響き渡るは、ひとつ、舌打ちの音。

 小童は人はもちろん、動物の傷の手当てなぞ、したこともございやせん。然し乍ら一生懸命、その傷口を洗い、千一坊より授かりし傷薬をそっと葛籠の助言に従い塗っていったんでさァ。


 するとみるみるうちに、白黒の幼鳥は元気を取り戻し。


 ——かちかち! かちかち!


 そう啼きながら、翼を広げ。ふわりと羽ばたくと数度頭上を旋回し、上空をすうーっと翔けていきやす。


「ありゃァ、かささぎ、カチカラスだ。山を抜ける道を教えるからついて来い、とさ」

「かち……からす?」

「おぉよ。京はおろか、本州には棲んでねぇ珍しい鳥だ」

「何にせよ。元気になりしこと、いとめでたし」

「だからよぅ、その話し言葉は……おっっ!!?」


 ずてんっ!!


「あなや!」


 なんと、頭上を見上げしまま、安心し気の抜けた小童は思いきり山道の石に躓いたのでありまさァ。


「おい! おいクソぼんぼん! 怪我は?」

「……すまぬ、そなたに泥がついてしもうた」

「……っっ!! ンなの良いって云ってンだろぉ!」


 白き膝小僧にぷつりぷつりと浮かび上がるは、あかき血のたま

 ほうとそれを眺めたままの小童に、呆れたように葛籠は語りかけやした。


「幾ら不死の身だろぉが、痛えンだろ。ほら、薬だ、薬つけとけやぃ」

「然し、いづれ塞がるものならば、放っておいても良きものかと」

「……頭から喰っちまうぞ、俺っちの云う通りにしやがれってンでぃ」

「むぅ……」


 小童を待ち、その身を案ずるやうに頭上で旋回し飛ぶはカチカラス。

 葛籠の放つ悍ましい気配に根負けし、渋々ながら千一坊の傷薬を塗った小童は、その一瞬とも云える傷の塞がりように至極驚いたそうな。


 ——かちかち、かちかち。


 勧善懲悪、それは一見すれば美しき義のある敵討ち。

 然し、それが後々の世に遺恨と変わらば——果たしてそれは美しいと云えるのでございやしょうか?


 兎よ、狸よ。

 なんぞ、道を踏み外してはおりやせんでやしょうか——?




***




 この山にはそれはそれは美しく可愛らしい、兎が棲んでおったそうな。

 兎は遠き山よりこの地に訪れ、山に住み畑仕事をして過ごす老夫婦のおきなおうなにたいそう可愛がられて棲み着いたという。


 いつしか、山にはその兎を追って一匹の狸がやってきました。


 兎は時折、翁に着飾られ楽しそうに街へと降りてゆき、その愛らしさと披露する舞で小銭を稼いできていたそうです。


 さて狸は兎のぬ間を見計らい、まるで畑の不作を祈るかのような狸囃子たぬきばやしを歌い、姿も見せず畑を荒らしてはせっかく植えた種や芋をほじくり返しては喰い荒らしてゆきます。

 業を煮やした翁は、ある日罠を仕掛け、とうとう犯人の狸を仕留めました。


 此奴は狸汁にしてしまおうと、ひとり嫗に縛り上げた狸を任せ、翁はこの日も兎と共に楽しそうに街へと降りてゆきます。


 さて、心優しき嫗は晩飯の支度に勤しみながらも、ぐすんぐすんと涙ながらに語る狸の身の上話を聞いておりました。


「もう悪さはしねぇよう、畑仕事もこれからは手伝うよぅ。婆さんや、おれの縄を解いてはくれないかい?」


 それならば、と縄を解いた嫗を、なんと性悪狸は杵で殴り殺してしまったのです。

 そのまま嫗に化けた狸は、その晩の飯にとなにがしかの汁を出し、翁がうまそうに平らげたのを見るや元の姿に戻って嘲り嗤い歌いました。


 やぁい! 婆汁食べた、ばばあの汁食べた! 流しの下の、骨を見ろい!


 なんということか。云われるがままに流しの下を見やれば、そこには人骨が散らばっております。

 夕飯にと出されたのは嫗の肉だったのです。

 逃げゆく狸に翁はたいそういかりましたが、狸には足が追いつきません。

 悔しがる翁に兎は優しく強く微笑み「私はお二人にお世話になった身、このご恩は忘れませぬ」そう告げると、狸を懲らしめる復讐を考えたそうです。


 その可愛らしさに惹かれた狸を誑かし、金儲けを持ちかけた兎は山の中を歩きゆきます。誘わるるまま柴刈しばかりに行った狸は、その帰り道に後ろを歩く兎にひたすら話しかけてゆきますが。


 ——カチカチ、カチカチッ。


「さっきからこれは、なんの音だい?」

「知らないの? ここはかちかち山、かちかち鳥が鳴いているのよ」


 そう云いながら火打ち石をならし、狸の背負う柴に火をつけていく兎。


 ——ボウボウ、ボウボウ。


「今度は、なんの音だい?」

「あら、今ボウボウ山を歩いているから。これはボウボウ鳥の鳴き声」


 兎に好意を持ってほしい狸はふうんと一声、知っているようなそぶりをし続けます。

 実は轟々と柴が燃えゆく音、気づかぬ狸はその背に大火傷を負ってしまいました。


 さて、復讐を完了させようと兎は火傷で寝込む狸を何度も訪ね、優しさを振りまきその回復を待ちました。


「狸さんや、漁へ行きましょう。良い船があるのです」


 火傷がようやく治った狸をそう誘い出し、兎は小川へと進みます。

 小川には船が二隻。食い意地の張った狸はより大きな船を選んで悠々と漕ぎ出してゆきました。


 小さな船の上では兎が美しく、楽しそうに歌い始めます。


 木の船すいすい、泥船ぶくぶく。木の船スイスイ、泥船ブクブク。


「なんだい、その歌は?」


 船が沖までスイスイ進み上機嫌な狸は、そう得意げに腹を打ち鳴らして問いかけました。


「この歌を歌えばね、ほぅら魚がたくさん寄ってきますよ」


 兎は、船の端をトントンと打ち叩きながらそう答えます。


 実は狸の乗っているのは泥の船。

 上機嫌に歌いながら船を打ち叩いた狸、もちろん泥でできた船は崩れ、あっという間に沈んでゆきます。


 あれよあれよと取り乱したのは沈みゆく狸の方。


「ど、どうして? 俺は何にも、君に云われた通り婆を殺したじゃないか」

「だって、あなた邪魔なんだもの」


 兎はツンとしてそう云い、助けを求め叫ぶ狸にを押し付け沈めると。


「ふぅ、片付いたっと」


 晴れやかな笑顔でそう呟き、それきり水面を振り返ることはなかったそうです。



 そう。実は、元は兎は狸とぐる・・だったのですよ。


 そうやって、いくつもの山々で人を騙し、その生活の蓄えを奪う。だけども兎は、もう狸と組むのもうんざりだったのです。


 卑しい、腹の膨れた狸め。言葉の美しくない生き物め。

 でもほら、御覧なさい。私は可愛いから、おじいさまもこうして愛してくださるの。

 可愛いかわいいと、街へと連れて行ってくれるのよ。

 だからほら、私が着飾るのに邪魔なおばあさまにはいなくなってもらったの。


 わたしの、思い通りにいかないものには消えてもらうの。

 わたし、何でもできちゃうんだから。



 しかし、兎には誤算がありました。

 翁が兎に向けた愛は、狸と同じもの。

 嫗が居なくなれば、兎を己が妻としようと迫ってきたのです。

 ただ、ただ、愛でて、綺麗なおべべを着せてくれる人ではなかったのだと。


 気づいた兎は翁を罵倒し、逃げ、追ってきた翁と崖上で揉みあいになり。


 ——真っ逆さまへ滝壺へ。




 ——かちかち、かちかち。


 ——かちかち、かちかち。





「ねぇ、お坊さま。どうしてお顔を隠していらっしゃるの?」


 いやに艶めかしい表情と動きで、女はそう云ふ。


「いやァ、ワシはそない表に出せるような顔やありませんでェ」


 ——かちかち、かちかち。


「お坊さま、よければ私がお供しましょうか? ほら、こんな世に私も一人は寂しいですから」

「いえ、いえ。めっそうもない。ワシは気ままに旅をしておる身、それにこう見えて、その実一人じゃぁありんせんよ」


 ——かちかち、かちかち。


「どう見ても、お一人じゃありませんか? ほら、私も今は一人、この山には未練もありませぬので」


 そうっと女のその手が坊主に触れ、腕を絡ませて。

 反対の手が葛籠に伸びゆく、その時。


 かちかち! かちかち!


「もう、さっきから何よ、この音は」


 ねぇ、お坊さま……。


 ——かちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかち。



「兎さんや、あんさんはこの山でいっとう怒らせたらあかん子らを……怒らせてしまったんでさァ」

「えっ?」


 ——かちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかち。


 ざわめきにも近い、拍子木の打ち鳴らされるような音。

 それは石をぶつけられし鵲の元に、久方ぶりに戻ってきた兎と狸への——深い恨みと。


 ——かちかち、ばあさんを、かち、殺した、かちかち、ユルサナイ。

 ——かちかちかちかち、かちかちかちかちかちかちかちかち。


 ——ぞぶり。


「あ、あ、あ、あああああああっっ!!!!!」

「この兎め、愛と金と欲を間違うたぁ、とんだあほんだらでぃ」


 坊主の首筋に刺さんとした千枚通し、それは手首より先ごと葛籠に呑み込まれ。


「うっへぇ。おめぇ、マズいな、欲に肥えた外道畜生の味がすらぁ」



 ——かちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかち。



盟神探湯くかたち、ご存知でございましょうか? もしその身が潔白であらば、探湯瓮くかへで沸かした煮え湯の中に手を入れようが、毒蛇の壺に手を入れようが、無事。それにて己が無実を証明すると云ふ、正邪の証の古き裁判方法にございまする。無実の者を殺し、煮るを謀り、また共謀しておった者すらも焼き、沈めたあんさんは……果たして無事で済むのでございましょうかねぇ」


 何百という白と黒、その翼のはためきに、何かを掴む手もなく兎はよろめく。


「あっ、あんたは! 坊主じゃ! 坊主じゃないのっ!!?」

「命尽の神のお膝元で、私利私欲のための殺生。そないなことはしたらァね、どうなるのでありんしょう……」


 泣き叫ぶ兎が、突かれ醜く皮剥がれゆく最中、その目に映ったものは。


「地獄にて、先の翁と、狸と共に……どうぞ恒久の刻の中を苦しみなせぇ」


 ——それは悍ましくも。真っ赤な、真白な、自分の欲しがった美しさ。


「ああああああっっっ!!!! どうして! どうしてぇええええっ」



 かちかちかちかち、かちかちかちかちかちかちかちかち。





 その山には、誰もいない小屋がひとつあると云ふ。

 言い伝えによれば、そこに住んでいた嫗の先祖は古きに旅の、琵琶を持った少年に食べ物を与え寝床を与えたことがあるそうにございます。

 またある時は、傷ついた鵲をその旅の少年に倣い助けていたとか。


 今やその小屋はどこにあるのか。

 それはだぁれぞ知りんせん。


 ただ、古い言い伝えによれば。


 鵲の啼く夜に、ぼうぼうと燃ゆる火が。

 まるで葬い人を送るかのように山に浮かび上がっていたとか——。



 鵲剋癡かちかちやま、そこはかちかち山と云ふ。



※※※※※※※※※



』とは仏教の用語で苦痛や毒を示す概念。「妄想、混乱、鈍さ」を指す言葉で別名を愚癡(ぐち、愚痴)、我癡、また無明ともいう。

 癡は貪、瞋と共に、渇愛につながる要素(三毒、三不善根)だとされて、それは生存の輪である十二因縁の一部となっている。


『かちかち山』の伝承があるのは、河口湖付近の天上山と言われています。今回は佐賀の県鳥であるカササギの鳴き声と天山を合わせて、九州を舞台に書いております。

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