第肆話 堕罪府 / 大宰府

 此度こたび語りやすは、現世うつしよ浮世うきよのモノガタリ。

 此の世は地獄と云いやすが、其処に救いは在るのかどうか——。



 いろはにほへと ちりぬるを

 わかよたれそ つねならむ


 ここにうたふは平安の世に皆々が嗜みやしたいろは唄。


 人の世は移ろいゆくもの、はたまた虚ろいの多きものにございやす。

 誰ぞ 彼ぞ とこしえに生き永らえる者などござんせん。


 世にとどまりしは、人ならざるもの。

 魑魅魍魎、悪鬼、あやかしの類と。世を眺める理、そこに在る木や大海とおなじく物謂わぬものどもでさァ。


 はてさて、しかし——。


 人として世に生まれ落ち、然し生を終えながらも此の世にとどまり続けているものもございやすよ。



 おや、おや。ここにもまた戦の火種が。

 人の世に常に蔓延はびこるものとはなんとまぁ。


 先は、風の吹き抜けゆく草原地帯、あの針摺原はりすりばるも戦場と化しまして、少弐しょうに一色いっしきの旗の取り合いと相成り申したのも束の間の事。

 九州は南朝の主力、総大将・菊池武光。

 菊池は鬼よ、研ぎ澄まされた牙を隠した鬼の将よと。あの時は誰もが声に出しやしたなァ。

 先鋒の隊より颯爽と、朝の陽光照らす針摺原を、その光とともに刻一刻と鮮やかに変わりゆく隊形で攻め進みゆく。鶴翼、いんや魚鱗、いえいえ、これこそが菊池の『鳥雲の陣』でございやした。


 おんやぁ。なんぞワシの語りに不可思議なところでもございやしたでしょうか?


 いえ、いえ、ワシは所謂いわゆる、諸国行脚の破戒僧。

 救いも許しも教えもできず、こうして古今東西練り歩いては琵琶を弾き語り、諸国にて巷談俗説こうだんぞくせつを聞き歩きながら、師となる者とその道を探し求めておる……唯の身分無き根無し草でさァ。


 まこと、数奇な運命の下にうごめくはおたく少弐の一族でござんしょう。

 

 お気をつけなせぇ。

 どちらを取れど、"血"とはまことに難儀なものにございますから。


 その判断、決断には。しかと、御覚悟を持ちなせぇ。


「はて、天神様は何をお怨みなさるのか。まさかここ大宰府だざいふを本拠とす、少弐の一族の御方が知らぬはずはございますまいなァ……?」




***




 筑前の国を進み進みかば、始まりは飛鳥の時代にまで遡りやす、かの有名な『大宰府』に。


 時はそう、壇ノ浦の悲劇、あの合戦の後のことでございましたでしょうか。

 後世にはあの戦いでの平氏滅亡と言い伝えられておりやすが、実のところは数ヶ月の時を跨ぎ、依然この九州には逃げ延びた平家の落人を追う残党狩りの手が差し迫っておったのでございます。


 今や幾度となく訪れた戦火の中、その権威ある名の統治を奪い合う場所、或いは中央からの左遷させんの流れ着く先と化してしまいやしたが、古来よりこの都は華やかにして重要な役割を担う『とお朝廷みかど』とさえも呼ばれ栄えた場所でござんしてね。


「なんでぃ、なんでぃ。今や西海道の実権も幕府が握り、朝廷の権威ももはや有名無実ってなァ」

「あはれ、此の世はうつりにけりなこと。まこと花の色のごとしじゃ」

「……ンだからよゥ。おめぇのそのけったいな喋りはなんとかならねーのかィ」


 その道道を歩きゆくのは、白き布にてその顔を覆った小童がひとりと、語りかける声音がひとつ。


「ンでぇ? 一体全体、どう云ふ了見でこんな西国の都まで歩みを進めてきやがった? おっかさんの名残を今度は落人から探すってェのかィ? やめとけやめとけやぁい、途方もねぇぞ」

いな。ひとつ気になることと、お逢いしとう御方がおわしてな……。このようなうつつの世じゃ、きっとそこに御魂みたまがあるやもと」


 足音ひとつに声ふたつ。

 影はひとつに魂ふたつ。


「西国の地は全てが初めてじゃ。なにゆえ、かような美しき地を左遷の行く末としたものか」

「いやいや、道中散々に戦の焼け跡を見てきておいて、美しいってなァ……。俺っちには、ちぃとクソぼんぼんの感性がわかりかねらぁ」


 ふぅと息を吐く音がひとつ、夏も初めの風にけゆく。


「つーか、おめぇ元は座敷牢暮らしじゃねぇのかぃ。流刑も左遷も、軟禁も、動くか動かねぇかの違いで、そんなにつらみは変わりやしねぇよぅ」

「ふふふ、まことそなたは博識じゃ。わたしひとりではこの現世うつしよを歩くことすら儘ならぬ」

「……」


 からりとした声は、どうやらその小童の背負う、古びた葛籠より聞こえてくるよう。


 軽装の白装束に金色こんじきの掛絡、手には琵琶を抱え大きな葛籠を背負い、ひとり歩く姿は異質ながらも一見すれば旅の小坊主。道中、道しるべなくとも、かの著名な大宰府でしたら声をかけゆく誰もが存じておりやした。


 ひょうと白布と頰を撫ぜるは東風こちの名残よ。

 その風にいざなわれるように見やれば、そこに残るは梅のかほりとひとつ大きな御社殿が。



「もし。何故なにゆえ鬼の子と、かような魂の形をした鬼がこの御社殿へと立ち入ろうとしなさるのです?」


 風がひとつ、そう小童に語りかけたのでございやす。


 これはこれは、と小童は両の手を合わせ三呼吸の間、拝の体勢(九十度の深い礼)をとりやした。


「鬼の子とは申しますが、わたしは父を知りませぬ。母は宮中の者であったと記憶しておりますが、こんな身上みうえの座敷牢暮らし。ゆえにまつりごとにはいささか疎うございます。"一栄一落いちえいいちらく是春秋これしゅんじゅう"、そんな現世に堕ちながら、幼き頃より僅かばかりに差し込む月の光をたよりに、幾度も幾度もかの御方の歌や漢詩にふれておったことを思い出したのでございます」


 風に、戸惑いの匂いが混じったことを小童と葛籠は感じ取りやした。

 御社殿、神所は元来けがれの立ち入る事を禁じております。


 禁じておるとはいえ、入れぬわけではありませぬ。元は半身とは云え人の身であり、また葛籠も同様に、そこらの悪鬼や魑魅魍魎どもとはまたなる存在でもありやしたから。


 鳥居も境界も、超えることなど容易たやすうございます。

 鬼の身または屍肉を喰らふとは云えど、穢れとはまた概念のひとつ。


 ええ、ええ。どれほどその手を血に染めた猛将達が、神仏に祈りを捧げに由緒ある社殿にその身を向かわせたことでしょう。


 梅のかほりの戸惑いに、空気がわななき——。


「よい、よい、飛梅よ。斯様かような身の上、その姿、少し話を聞いてみとうなったわ」


 社殿より、風に語りながらでたるは、童水干わらすいかんに垂髪の年の頃とおを前後の少年がひとり。


 ほぅっと葛籠が息を吐き、「こいつァ……」と呟けば、小童は白布をするりと解いて紅き眼でその御姿を見やり……深々と礼をしたのでございやす。


「……そのお姿でお逢いできるとは、至極光栄の極みにございまする」

「よい、よい。そのような。わたしも元は中流下流の貴族の出じゃ、数百年ののちにまでまつりごとの立場とやらはつかいとうない」


 崇める空気を少々気怠げにうけ流しながら、少年は呟き、そう告げやした。


「さてしかし、おほどかなりとは見えながら(おっとりとしてそうに見えるが)其方そちの中には揺らぐ炎が見えるようじゃ……なんぞ、祟りの仕方でも習いにきたか?」


 神仏の類と相まみえることなぞ、仏門に入りし修行の身でも、はたまた名のある高僧でも、実際にはなかなかお目にかかることなどございやせん。

 それがまた——神格をのちの世に受けたものであればなおのこと。


「紅の色なる梅の花、人を惑わす妖魔の薔薇、それらのくれないはお好きと伝え聞いておりまするが」


 小童の言葉を聞けば、はははと少年は高らかに笑いやした。


「よせ、よせ。騙くらかしの類は苦手じゃ。なんぞ、祟る相手にいかづちを……と云ふ輩かと思いきや、どうやら思い過ごしのようじゃのう」


 その尊顔の綻ぶさまに、あたりの空気もキィィインとその緊張が解けたような音が鳴り響いたのでございます。


菅公かんこう……いや、阿呼あこさまとお呼びした方がよいであろうか?」

「良きに計らえ……。ふふふ、この言葉、先の武士どもがようつこうておっての、一度口にしてみたかったのじゃ」


 なんぞなんぞ、と社殿の周りに集う神木神物の精達が、語らう二人を眺め見やる。

 よわいとおを前後に見えし子ら、実際のところはその生を受けてより何百年ののちの邂逅にございます。


 ええ、そろそろ貴方様もお気づきのことでしょう。


 これぞこの地、この場所。大宰府の天満宮。天神様として祀らるる御祭神。

 菅原道真公すがわらのみちざねこうの、のちの世のお話にございやす——。






「あゝ、嗚呼。やんごとなきクソぼんぼんと、稀代の天才、怖れられた右大臣が並ぶたぁ、平安の世が知りゃ真っ青だろぉなァ」


 かぱりと口を開く葛籠に、梅の木々がさわさわと吹きかけ語りかける——。

 此の世のものではなき者よ、しかし怨霊亡霊の類とは一線を画す者たちよ。


「さて世にも珍しき鬼の子よ、其方の聞きたいこととはなんぞ?」


 先ずは……と小童がその口を開く。


「あめつちうたと同様の、いろは唄の並びについてにございまする」


 ほぉう、と少年、阿呼はかぐわしい梅のかほりの中で妖しく嗤った。


 いろはにほへと ちりぬるを

 わかよたれそ つねならむ

 うゐのおくやま けふこえて

 あさきゆめみし ゑひもせすん


 小童と、少年の重なる声が響きゆく——。



「……して、『とかなくてしす』を隠したもふたのは阿呼さまでござりましょうか?」

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