第参話 濡衣塚

 此度こたび語りやすは、現世うつしよ浮世うきよのモノガタリ。

 此の世は地獄と云いやすが、其処に救いは在るのかどうか——。




 斬らるるは 袖も衣も露に濡れ



 筑前国ちくぜんのくには石堂川。

 そのほとりで、夜な夜なおなごのすすり哭く声がすると云ふ。



 元寇げんこうは神の御風みかぜと共に去り、しかしながらも東洋貿易又は東国進出へのかなめは何と云えどもこの博多。

 虎視眈々と、諸国の猛将どもが狙っておるとは伝え聞いておりやす。


 へぇ、ワシは旅の僧とは云えどもとどのつまりは破戒僧。

 救いも許しも教えもできず、こうして古今東西練り歩いては琵琶を弾き語り、諸国にて巷談俗説こうだんぞくせつを聞き歩きながら、師となる者とその道を探し求めておるんですよゥ。


 西国には、年に一度は足を運ぶようにしておりやす。ええ、もう幾度目になりやしょうか。ちょいと博多の七堂にお参りを。


 嗚呼、こちらの菓子箱ですかぃ?

 なんのことはありんせんよ、すこぉしばかり甘味がお好きな姫さんがおりやしてね。土産と云っちゃあなんですが、諸国行脚の最中さなかに見つけためぼしいものを、いつも此処ここいらに立ち寄る際には御供えするんでさァ。




***




 普賢堂、辻の堂、石堂、奥の堂、萱堂、脇堂、瓦堂。

 七つ其々のお堂を巡り参らば、もう川原はすっかり夕暮れ刻である。


 夕闇に染まり、静まり返った川原の砂利道を、背負った大きな葛籠を物ともせずに軽快な足取りで歩きゆくのはひとりの白装束の坊主。

 足音を忍ばせば背後にもひとつ、忍び足。


「空也ァ、おめぇ気づいてるのかぃ?」

「はいな」

「ンならさっさと相手しねぇか、俺っちはもうそろそろ我慢の限界だっての」


 おのれにしか聞こえぬひっそりとした声音で背中から語りかけられ、その坊主はくるりときびすを返し、わざとらしく小首を傾げてみせた。


「どぉしたんかいな? えらい小さなお侍さまですなァ」


 顔半分を白布で覆った坊主が突如振り返った事にびくりと肩をあげながらも、背後に着いてきていた男児が果敢に返す。


「なんだ、お坊さまはめくらじゃなかったんか」

「生憎と、なァ」


 ニヤリと嗤えば、あからさまにその男児は慄いた。

 しかしぎゅっとその拳を握って、もう一度坊主を睨みつけ口を開く。


「ますます怪しい奴め、祟りだなんだと皆は言っとるけどお前じゃないんか」

「ほぉ。祟りと、そらァ初耳で」

「最近、ここいらに嫁いだ娘が、川原で惨い殺され方をしとるんじゃ。衣はびしょ濡れで、腹が裂かれて……。皆祟りと言うが、おらは見たんじゃ。誰かが川原で人を斬るところを! あっ、あの時は怖くて逃げてしもうたが、明後日はおらの姉さまが嫁にいく日じゃ、なんとかせねばと」

「……それが、今日此の地に辿り着いたばかりのワシやと云いなさるのかぃ?」

「だって! その葛籠っ!」


 男児は必死の形相で坊主の背に負われている葛籠を指す。

 よくよく見れば、身なりも貧しくはない。大方此の博多のどこぞの商家の息子といったところか。


「お坊さまがそげな大きな葛籠を持ち歩くなんて、見た事ねぇ! 死体でも運んどるに決まっとる」

「おやまぁ。此の中に人の骸が入っておると、そう思っておりやすか?」


 ならば、と。坊主はよっこらせ、と葛籠を降ろしその蓋に手を掛ける。


 かたり——。


「あっ、あれ?」

「ほぅらね、とんだぎぬでございやすよゥ」


 蓋を開けたそこは、もぬけの殻・・・・・。見れば見るほど只の葛籠であった。


 つい近づいてまじまじと見てしまったが、同じくあらためて近くで見れば。なるほど、この坊主に女を力づくで殺せそうとも思えない。

 顔を隠しているのが怪しいことには変わりないが、陽の光を浴びていないような皮膚の白さに、まるで女のように細い手足。葛籠を開けたその手にも、侍や刀に心得のある者特有のまめがない。


「じゃあ、その菓子箱も……?」


 男児の視線は坊主が手に持つ小さな花模様の菓子箱へ。


「こいつはただの御供え物で、南蛮の砂糖菓子でさァ」


 どうやら菓子を口実に女を騙くらかすとでも思われていたようだ。


「はてさて。ここいらでひとつ仲直りといきやしょう。よかったら束の間、この旅の坊主の茶飲み相手にでもなってくんせぇ」


 菓子箱の中身は色とりどりの金平糖。

 すっかり毒気の抜かれた男児は渋々といった様子で坊主に誘われるまま、川のほとりを歩いてゆく。


 そこに佇むは、玄武岩の自然石。上に大日如来、左下に天鼓雷音如来、右下に宝幢如来を表す梵字の彫り込まれた巨大な石碑。


「……ご存知ですかぃ? これは濡衣塚ぬれぎぬづかと云うんでさァ」




***




 時は聖武天皇の御代みよ御噺おはなし

 筑前の国司として都より下向げこうしたのが佐野さのの近世ちかよと呼ばれる御人。妻と娘を連れての下向であったそうですが、奥方は筑前で病に伏されお亡くなりに。そこで近世は此の地の女を後妻とし、一子を授かったそうな。


 世の常と云いましょうか、嫌ァなもんで。後妻は美しいその近世の一人娘、春姫のことが疎ましくて仕方がなかったのでございやす。

 ちまちまとした嫌がらせもありやしたが、とうとう女は業を煮やしたようで。

 地元の漁師どもに金銭を渡し、嘘の証言をさせたんでさァ。


「春姫さまが、たびたび釣衣を盗みなさるので大変困っている」とね。


 もちろん近世は半信半疑。然し乍らその夜、云われるがまま娘の寝所を覗き見れば、なんと寝ている娘のすぐそばに濡れた釣衣がかけたままに。


 逆上した父は聞く耳持たず、泣きながら無実を訴える春姫を一刀のもとに斬り伏せてしまったんでさァ。


 さて、その翌年よくとしのこと。

 近世の夢の中に一人の女が現れ、二首の歌をんだそうな。

 はっと目が覚めた近世は、夢の中の女が娘の春姫であったこと、そして無実の罪で娘を斬り殺してしまったことを悟ったのでございやす。


 後悔せども、振った太刀の軌道は戻りやしやせん。もちろん、春姫も。


 深く悔いた近世は、娘を罠にはめた妻を離縁し、出家して石堂川のほとりにこの塚を建てたのでございやす。そののちに肥前に隠棲いんせいし、生涯娘の魂を弔い続けたと伝えられておりやす。


 この出来事が、今で云う『濡れ衣・・・』の由来であるそうな。


 今のこの塚は、以前の場所より移しかえられたものでござんしょう。

 ええ、ずぅっと前の、川のほとりにぽつんとあった濡衣塚はねェ、今のような石碑などは無くてねェ。こちらは先の南北朝時代に建立されたものでございやす。


 もとの川原の場所? なぁに、聞こえやしやせんか?

 ほぅら、おなごのすすり泣く声が——。




***




「もし。何故そなたはそんなに泣くのか」


 己の身の上を話し終え、なおその嗚咽が止まらぬ姫さまに、小童はたいそう戸惑っておりやした。


 筑前に入り道無き道を歩きゆけば、ふと川原に辿り着き。夕刻前に水を汲んでおこうとそのほとりに近づいたところ、この女に出逢ったのでございやす。

 事情を聞けば、もう自分は生者ではなく、しかし口惜しさと父を娘殺しの咎人とがびととしてしまったことを憂いておいでのようでした。


「父上は、わらわのせいで地獄逝き。遠く離れた御山におわしては、その恩情を訴えることもできませぬ」

「おめぇさんは、おとっつぁんのことは怨んでねェって云うのかィ?」


 かぱりと開いた葛籠からは、通りの良い声がひとつ。

 涙で袖を濡らしながらも、女はしかと頷きやした。


「ンならでぇじょうぶだろォ。多少の責め苦は在れども、出家してどこぞの山で毎日毎日祈ってたんなら、そのうちささっと輪廻の輪の中に戻っちまうよゥ」


 それよりも、と夜風の吹く中、葛籠は唸りやした。


「おめぇ、なンで成仏できねェんだァ?」

「人々が、濡衣塚の祟りを未だ信じておるそうじゃ。人のおそれは強い念となり、妾をこの地に留めておる故……」


 よよよ……とまたしても女は泣き始めたんでさァ。

 小童には、人の、特に年頃の女の機微なんぞ全くもってェわかりやしやせんが、それでも——。

 

「わたしでよければ、毎年ここへ参ろう。そなたが浄土へけるまで、そなたの祟りが無いことを諸国にて語って歩こう」


 しかして、この塚に祀られた春姫は、その無罪と性根の麗しきことを人々に知られゆき。彼女の魂を弔う人々の想いにより、今や時は流れ立派なこの塚へと移りたもうたのでございやす——。




***




「……じゃあ、この塚の主は濡れ衣を着せられた怨念を振り撒き、嫁入りの女を祟り殺すようなものではなかったんか?」

「はいな、ワシはそう思うておりやすよ」


 夕暮れ刻を仄かに過ぎ……。

 塚のそばに腰掛けたるは坊主と男児がひとりずつ。

 色とりどりの金平糖はぱりりと噛むと、口の中に優しい甘さが広がるような。 


「姫さんはな、怨みつらみよりも、いとおかしげなるものや、甘味の方がお好きな可愛らしいお方でございやすよゥ」

「いと……? おかしげ?」

「ああ、忘れてくだせぇ。ちょいとした昔の口癖でさァ」



 日のすっかり暮れた頃、「しょうたろうやーい」と男児の名を呼ぶ女の声が。


「ああ、姉さまだ! いけん、お坊さまの話につい聞き入ってしまった」

「いえいえ、こちらこそ、長話に付き合わせてしもうて」


 ざっざっと砂利を踏む音がひとつ、ふたつ……。


「……さァ、おいでなすったかな」


 女の背後にひとつの影あり。

 足音ふたつと、行燈の灯に照らされ反射するは一筋の太刀。


 ばさぁああああっっ!!!!


「お、お坊さま!!」


 男児と女を背にするように、飛び出した坊主は肩から一太刀ひとたちをそのままもらった。


「はよぅ、姉さまを連れて行きねぇっ。お役人さまと大人を連れてきぃ」

「……っでも!」


 刀は坊主のはらわたあたりで止まり、唇の端から赤い筋を溢しながら坊主は振り返る。


「ワシはそないにもちませんでェ、今生のお願いや、姉さま守って幸せにおなりや」

「正太郎っ!」


 姉の言葉にはっとしたのか、男児は姉の手を取ると必死に踵を返し走りだす。


「坊さま! 待ってて、すぐお役人さまをッ!!」


 走り去る音に安堵の表情を浮かべれば、「ちいっ」と目の前から舌打ちの音が。


「感謝しますわぁ、袈裟斬りやと掛絡に穴ァ空かんですみますからなァ」

「……なんでッ!? 刀が抜けねぇ! それに何故死なん!?」


 視線の交わらぬ恐怖、一寸たりとも動けぬ恐怖。


「濡衣塚の祟りと称して、辻斬りをしてたのは旦那で間違いございやせんね?」

「だっ! だったらどうした!!」


 まずい、まずい、何か此の世のものではないものと相対しているような——。

 男は冷や汗をかきながらも、背筋が凍りつくような何かを感じ、必死にその呪縛を解くと、脇差を空いた手で抜き突き出した。


「だから……掛絡に穴ァ空くと、ちぃとばかり面倒でしてねェ」

「なっっ!!!」


 指先でつぃっと撫でるように、その刀は坊主に届く手前で止められている。


「姫さんはなァ、うら若きおなごが夜な夜な無体にされ斬り殺されるんが、かなしゅうて仕方ないと云っておりやしてね」

「うっ、うるせぇ化け物!! 死人が! 死人がンなこと言うわけねぇだろぉが!」


 坊主はふぅとひと息吐くと、ゆっくりした動作で嗤い返す。


「はいな、そしたらァ刀、返しますわ」


 ——ぴんっ。


「なっ、あっ、がっががが……」


 指先でその切っ先を弾けば、脇差がぼきりと折れてひょうととび上がり。

 ——そのまま男の脳天へ。


屍人しびとに語る口はなし。しかし彼らに手段はあり、ってなァ」


 どたり、と倒れ伏した男の身体をひょいと避け、坊主は後ろを振り返る。


「いや、おめぇよゥ。ぜってぇ斬られる必要なかっただろォが、この大莫迦やろうがっ」

「いやぁ、ワシとしたことが。避けれなんだァ」


 嗤うその声に被さるように。ちっ、と夜風に響くは舌打ちの音。

 後に残るは坊主がひとりと葛籠がひとつ。


「でェ? そいつ、喰えばいいのかァ」

「いんや、今回はおあずけや」

「……ンあァ!? なんだとぅ!? 死体それ置いてくのかよゥ!?」


 だってなァ……。

 坊主はふふふ、と嗤い。いつの間にかその肩から斜めの傷は癒え。


「……これで、祟りの濡れ衣は、晴れやしたでしょうからなァ」



 手を合わせ去りゆく姿は闇に消え。

 後に残るは花模様の菓子箱と、人の争い、両成敗と成ったあと


 其の後すぐにお役人が到着したものの、下手人は死亡、斬られた坊主の大量の血の跡は川原で途切れ。

 まるで揉み合いののち、脇差が塚に当たって折れたおのが刃に伏した男と、命からがら川へ歩いたものの坊主は絶命し、何処どこぞへと流されたかのような……。




「ちぃっ、本当おめぇは、嫌ンなるくれェのお人好しだァ!!!」


 がんなり声が響き渡る。

 

 斬らるるは 袖も衣も露に濡れ

 のちの汚名は 血で濯ぎゆき


 泣き濡らすその手に 一輪の花と琵琶の音を。


 誰ぞ、もう貴女を恐れやしやせんよ——。

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