賑やかな朝
朝六時を告げる目覚まし時計、かすかに聞こえる電子レンジの開閉音、熱さに呻く声。朝特有の気怠さに瞬きしつつも、
用意しておいたTシャツと制服のズボンに着替え、ボタニカル柄のカーテンを開ける。太陽はすでに仕事を始めていた。脱いだスウェット片手にリビングへ。狭いキッチンで慌ただしく動く背中を見て、また笑ってしまった。
「おはよう、父さん」
「あ、おはよ。トースト切らしてるからご飯でいい? 納豆あるよ。玉子焼く?」
「うん」
なにか焼いた後のフライパンを乱雑にキッチンペーパーで拭う父・
「皺になるだろ。またアイロンかけてないし」
「夏になったらね」
「季節関係なくやれよな。そんなんだから部下に舐められるんじゃない?」
「舐められてない!」
夜風の声を背中で受け止めながらリビングを出る。北側にある廊下は、春といえど肩を竦めたくなるほど寒い。洗面所もしかり。少し踵を浮かしながら歩いた。洗濯機の前には夜風のパジャマが脱ぎ捨てられている。
「ねー! もう出る?」
「十七分のバス!」
なら今から回すのは無理そうだ。葉一も六時半には家を出てしまう。寝巻きの洗濯は帰ってからすることに決め、乾燥が終わったばかりのタオルを取り出した。
「今日さ、焼肉行かない? 食べ放題」
ひょっこりと顔を覗かせた夜風。片手にはしゃもじ。葉一は水栓を引き、水の冷たさに肩を跳ねさせる。
「まじ? 帰ってこれるの?」
「昨日片ついた。今日は定時」
「おつかれさまじゃん。部活で腹空かせとく」
「よーし、予約するぞ!」
育ち盛りの葉一よりよほど喜んでいる姿を鏡越しに見る。つい笑ってしまったのがバレないように急いで顔を洗った。水はまだ冷たかった。
仕事で忙しい父が、こうして葉一と朝を過ごすのは珍しい。始発で出勤しているか、もしくは深夜に帰宅してまだ眠っているかが日常になっているため、せっせと弁当をつめる背中を見ると胸が高鳴りそわそわする。たったこれだけのことで、今日が楽しい一日になると思えるのだ。それに夕食も共にできるなんて……!
葉一はスプーンで納豆を混ぜながら、焼肉屋で何を頼もうか考え始めた。タンにカルビにハラミ、それとネギ卵ご飯大盛りで。
頭の中の焼き網を肉で埋めつくしていたら、ぐぅ、とお腹が鳴ってしまう。目の前にご飯があるというのに、欲求に正直すぎる腹だ。
「成長期だなぁ」
「もう終わったっつーの」
「え? そう? まだ俺のこと抜いてないだろ」
からから笑う父をひと睨み。「おー怖い」なんて感情と正反対のことを言いながら夜風は開けっ放しの自室へ入っていった。もう出掛けるのだろう。
炊きたての白米にでんと乗った目玉焼き。黄色よりも濃いオレンジに近い半熟玉子を覆い隠すように納豆をかける。納豆ご飯には箸が定石だが、忙しい朝はスプーンで一口を多くした方が早くて助かる。頭の中で噛む回数を数えながら食べ進めていく。
ふと時計を見ると十五分を過ぎようとしていた。さっきまで余裕たっぷりだった父に呆れつつ振り返ると、ダークグレイの背中が忙しなく動いている。
「父さんのスマホ知らない!?」
「またかよー? この前もなくしたばっかじゃん!」
「いや今日は家にあると思う、たぶん。それに前もなくしたんじゃなくて置き忘れただけだ」
「同じだわ」
葉一はスプーンを咥えたままスマホを操作した。同時に鳴り出す曲名のわからないクラシック音楽は、何かの下敷きになっているのかくぐもっていて聞こえにくい。
「なんで家にいてなくすかなぁ……?」
「あ、ったー!」
「バス! バス! 遅れるって!」
「走る!」
「こけるなよ!」
使い古されたビジネスバッグ ――角の生地が剥げている―― を引っ掴み、大慌てで部屋を飛び出す夜風。大して広くない2LDKのアパートを駆けていく。
「いってらっしゃい! あ! 焼肉! 忘れんなよー!」
「おう! 葉一も気をつけてな、いってきます!」
ガチャガチャと、近所迷惑になりそうな騒がしさでドアを開ける音が聞こえた。きっと踵を踏んだまま出たんだろうな、と葉一は小さく笑った。
「こういうとこ、ほんと似てないな」
二人の部屋はそれぞれ同じ六畳だが、すっきり整った葉一とは違い、夜風の部屋は荒れている。敷きっぱなしの布団に、散らばる地図や本、それに洗ったワイシャツがくしゃくしゃな状態で部屋の隅にかためられている。刑事である父が忙しいことをよく理解している葉一だが、流石に今度の休みは掃除を勧めようと決めた。
葉一はリビングの西の出窓に置かれた一輪挿しの水を変え、昨日準備を終えた鞄を手に部屋を出た。
ミッドナイトテーブルにて 水鳥彩花 @mdraaa
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