10-4 限定された世界

     ◆


 朝、五人で粥を腹に入れて、そこで私たち三人と、二人の猟師は別れた。

「お達者で」

 ガラッグがそう言って微笑み、クラグがランサと固く握手していた。

 馬を駆けさせ始めて、しかしすぐに足を止めなければならなかった。

 間道とも言えない道だったが、真ん中に一人の男が立っている。顔に見覚えがあった。つい昨日、私たちを誰何した男だ。仲間はどこにいるのか、もしかして隠れているのかと思ったが、周囲に気配はない。

 本当に優れた技能集団だと、全く気配を消して、どこでも、いつまでもそのままでいられる。物音を一つ立てないし、風が吹けばそれになびく草と一緒になびくような連中である

 だが、昨日の感じだとそこまでの技量ではないし、今はちょうど兵を埋伏するのに都合が良さそうな要素が周囲にない。

 つまり、一人で待っているのか。

 私が馬を止め、男は地面に立っていた。

 視線がぶつかった次に、男が勢いよく膝を折り、体を折って額を地面につけるようにした。

「昨日の無礼をお許しください。あなた様こそが、私どもの求めるお方でありました」

 これにはさすがに私も眉をひそめてしまった。

 背後ではサリーンとランサが困惑しているようだ。

 そんな三人の様子を気にした様子もなく、男がまくし立てる。

「私どもは今はないハンクラー王国の再興を願うものです。各地に散った、出自を同じくするものを糾合しております。そして、王室の血筋を引く方を探しております」

 どこかで聞いた話。考えたくないが、まさに昨日、猟師から聞いた話そのままだった。

「知らない」

 私がそう答えても、男は額を上げようとしない。それなのに声だけは威勢がいいのだ。

「いいえ! あなたこそが、私どもが求めているお方です。その腰の剣を見ればわかります!」

 反射的に手が柄に触れていた。

 この剣はナロフが使っていたものだ。私の親から受け継がれたものではない。ナロフがどこで手に入れたのかも、私は聞いたことがなかった。

 単純によく切れるし、頑丈だと思っている程度だった。そんな大層な剣というのは信じられない。

 私がどうとも答えずにいると、男が顔を上げ、その顔が涙で濡れているのを見て今度はギョッとしてしまった。

 泣くほど嬉しいというのは話で聞いたことがあるし、見たこともあるが、私が実体験したことがない感覚だ。

 主君を得ることの何がそんなに嬉しく、精神を高揚させるんだろう。

 ちょっとだけ考えたが、やめた。

 どうでもいいのだ。

「知らない」

 私は背後を振り返り、何かを思案している顔のサリーンと仏頂面のランサに合図した。

 馬腹を蹴り、男の横を抜けようとすると、いきなり立ちはだかってきた。手綱を引くと、馬が竿立ちになる。姿勢を整え、本能的に男を睨み付けていた。

「どいて」

「どきませぬ!」

 困った、と思ったが、私は馬を降りていた。

 男の顔が喜色でいっぱいになる。

 その顔面が歪んで、体が横にすっ飛ぶ。手加減した回し蹴りだったし、死なないだろう。受身も取っていなようだが、修練が足りない。

 ちょっと、とサリーンが声を発した時には私はもう馬上に戻り、馬腹を蹴って今度こそ馬を先へ進ませた。よくわからない男のことを考えるのはやめた。

 追いかけてくることもあるまいが、私は自然と馬を疾駆させていた。背後から二つの気配が付いてくる。遠駆けの調練でもサリーンとランサは私に遅れずついてくるのが常だ。

 太陽が真上に来て、傾いてくる。

 馬は休ませながら、それでも駆け続けた。水は水筒から、馬に揺られながら飲んだ。

 ここらだろうと適当な目安で馬を止める。すでに太陽は稜線に沈もうとしている。

 小川がすぐそばを流れており、しかし人家などは無い。いや、建物らしい影が遠くに見えるが、すでに死んでいるような気配を放っていた。周囲も原野に見えるが、おそらく何年か前には一面の畑だったのだと見て取れる。

 国が荒廃し、人々は戦いに明け暮れ、田畑にまつわることを受け持つ者がいなくなれば、こうして人間の作り上げたものは自然な状態に戻っていく。

 馬に水を飲ませ、体を洗ってやった。それからは秣をやり、一面の草を喰ませておく。

 人間の食事は猟師たちから分けてもらった燻製の肉だった。猪の肉は独特の臭みがあるが、私はそれが好きだった。

 三人はほとんど言葉らしい言葉も交わさず、いつも通りの夜営となった。

 焚火に小さな鍋をかけ、小川の水を沸かしているのを中心に、三人が無言で向かい合う。

 それぞれが昼間の男のことを考えているのは私にはわかる。わかるけど、話題にするほどではない。

 亡国の王家の血筋などを探して国を再興するのに、どうして情熱を傾けられるのか、わからなかった。仮に国の再興が叶ったら、次はどうするのか。結局、今ある大小様々な領主のように、その国という領地を守るために戦わないといけなくなる。

 まさか、一度滅びた国を再び興した後、その国でこの大陸を再統一するのだろうか。

 それこそ、計り知れない、膨大な血が流されることになるだろう。

 国というのは一つの呪いに思える。血筋もまた、呪いだろう。

 私は傭兵だ。雇ったもののために最善を尽くす。命を賭けることもある。

 ただそれは、少なくとも自分のため、仲間のためであって、他人のためではない。国のため、民のために戦うということを、私は知らないし、知りたくもなかった。

 いろいろな人を見てきた。幸福の中にいるもの、不幸の中にいるもの、恵まれているもの、何も持たないもの、様々な立場の人間が、この世界にいる。

 その全てを導くなんて、夢物語だ。それは王と呼ばれるものにも、王の血筋を引くものにも不可能だろう。王も王族も、貴族だって、商人だって、人間なのだ。兵士も傭兵も、やっぱり人間にすぎない。

 不可能を不可能と認めるのが、何故できないのか。

 努力しても達成できないものがあり、大勢が協力しても達成できないものもある。

 私はサリーンやランサ、他の仲間たちを導いていくことはできる。ほんの数十人のことだ。しかし時に失敗し、時に脱落者を出すことになる。死ぬ者もいる。

 私の力量の及ばないものは、果てしなく、無限にある。

 手が届く範囲、掴み切れるものはほんの小さなものだけ。

「変な男もいたものね」

 沈黙を破ったのはやっぱりサリーンで、しかし私もランサも、すぐには答えなかった。

「傭兵が国王になるのは、笑えるけどね」

 サリーンの冗談に、ランサが今度は小さく笑った。失笑、というところだ。

 私の沈黙も、同意という意思表示だ。

 傭兵国王、傭兵女王というのは、話の種にはなるが、実際には悲惨だろう。いい印象は皆無に近い。

「これで休暇も終わりね。最後にいい土産話ができたわ」

 言いながら、サリーンが手元の枯れ枝を折って焚火に投げ込む。かすかに火の粉が舞い上がり、影が不規則に揺らめく。

「次の戦場はどこになるの?」

 そう言ってサリーンが私を見る。ランサも視線を向けた。

 次の戦場か。

「どこもかしこも、戦場じゃない?」

 私の言葉に、サリーンとランサがそれぞれの反応をする。

 しかし、本当にどこもかしこも、戦場なのだ。

 世界も、心の内も。

 勝とうが負けようが、戦い続けるしかない。

 頭上を見上げると、刹那、強い光を発して星が流れた。

 そしてその光は、あっけなく消えた。




(第十部 了)

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女傭兵セラと乱世の七人の女 和泉茉樹 @idumimaki

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