10-3 一夜
◆
焼かれた猪の肉はそれぞれに十分な量だった。
残っている肉は燻製にしたり、塩を擦り込んで保存するとクラグが話してくれた。
「実は奇妙な男たちに会ってね」
食事をしながらクラグの口から猟師の生活の話を聞き、私たちからは傭兵の生活の話をした後のことだ。肉はおおよそなくなり、炊いた米なども皆の腹の中に消えていた。
ガラッグがサリーンの淹れたお茶を飲みながら話し始めた。
「つい昨日のことだ。兵士のようだが、そうでもない男たちで、私たちはこの山のそこここに罠を仕掛けて、それを確認するために歩き回っていた。彼らも歩き回っているようだったな」
「この辺りに住む人がいるとも思えませんが」
サリーンの確認する言葉に、遠くから来たそうだ、とガラッグが応じる。
「クエリスタ王国の成立する時期に、滅びた国の末裔だと名乗っていた。まぁ、私からすれば、クエリスタ王国の時代でも純粋なクエリスタ生まれ、クエリスタ育ちなんて、ほとんどいなかったがね」
少しだけお茶を口に含み、ガラッグが先を話す。
「ともかく、彼らはその今はもうない国の王家の血筋を探しているという。クエリスタ王国の征服戦争の中で滅亡したと言われているが、実は逃げ延びたものがおり、普通の市民に混ざっていた、などというのだ」
「猟師によくそこまで話しましたね」
さりげなくランサが指摘を向けるのに、ガラッグは情けなさそうに笑って見せた。
「実は昨日まで、大量の酒を持参していたのだが、彼らに振る舞ってしまった。危害を加えられないように、という考えだったんだが、連中、まるで水のように酒を飲んでね。ついでに口も軽くなったのさ」
そいつは残念、とランサが落胆したように言う。
「ともかく、連中は王家の血筋を求めて、各地を放浪しているようだった。クエリスタ王国なき今、再び国を興し、正しい人間を皆で支えよう、という意欲に燃えているのだね」
「奇特な人もいるものです」
サリーンがそう評価すると、まさに、とガラッグもクラグも笑っていた。
「国があろうとなかろうと、人は生きねばならん」
茶の入った器を揺らしながら、ガラッグが頭上を見上げる。
「生きることが楽しいという時代もあれば、生きることが辛いという時代もある。難しいものだ」
彼の言葉には誰も答えず、それぞれが思考を巡らせたようだった。
黙り込む五人の前で、ただ焚火の中で木がパチパチと音を立てて燃えていた。
「あなたたちはここが故郷だというが」
クラグが口を開いた。
「俺も父も、故郷というものを持たない。流浪の身だ。誰かに仕えることもなく自分たちの才覚しか、頼るものがない。父はあと二十年も経てば、働けないだろう。実はそれが俺には怖くもあるよ」
「私のことで気を病むのはやめろ、クラグ。どこかの山に置き去りにすればいいだけさ」
父の言葉に、息子は答えなかった。答えようもなかっただろう。親子の間の情、信頼関係が私にさえも手に取るように感じ取れた。
生き方、そして死に方。
私たちが傭兵になると決めて、大勢のものが戦いの中で散っていった。
どんな死に方が正しいのかなんて、答えを知っている人間はいない。
敵の刃にかかるのが理想と考えるものもいれば、静かに暮らすうちに寝台の上でひっそりと息をひきとるのが理想というものもいるだろう。
大勢に見守れたいものもいれば、一人きりで死にたいものもいる。
これはどう生きるかという思考、逡巡に近いものがある気もした。
生きた先に死がある。
死ぬために生きることもできるだろうか。
「私の息子にも傭兵は務まるかな」
静けさの中にガラッグがそんな声を乗せる。
「筋は良さそうですけどね」
私もランサも無言だったので、沈黙を挟んでサリーンが社交辞令のように答えた。つまり向かないということだ。当のクラグに気にした様子はなかった。彼は食事の間の会話の中で、猟師の生活の面白さ、楽しさを満面の笑みで語っていたのだ。
彼の中には誇りがある。
いいことじゃないか。
休むとしよう、とガラッグが立ち上がった。素早くクラグが立ち上がり、手を貸してナロフの家だった場所へ入っていく。しばらくするとクラグが一人で戻ってきた。
「どうも、すみません。父は強がりますが、たまにはちゃんとした場所で休ませたいところでした」
「こちらとしても久しぶりに旨いものにありつけた」
ランサがそう言って立ち上がると「弓の稽古でもしようぜ」と言い出した。もちろんクラグにだが、すでに夜で稽古をする時間ではない。ただ明日の朝には、私たちと猟師の親子は別々の道へ進む。いや、戻るというべきか。
今しかないのだ。
二人の男が焚火の光の及ぶ範囲で、矢を適当な木に向けて射るのを私とサリーンは眺めていた。
「私たちの部族のこと、覚えているよね」
サリーンの問いかけに、私は頷いておく。
私たちの部族こそ、かつては国と呼んでもいい範囲を支配した部族だった。それはクエリスタ王国によって滅ぼされ、残ったものがここへ流され、生きてきたという話だった。
しかし王族の血について語る大人はいなかった。
集落では誰もが平等で、特別なものなどいなかったのだ。
目の目で一度、大きく薪が崩れ、火の粉が盛大に舞い上がった。
「昔のことでしょ」
私が答えるのに、サリーンはただ頷いただけだ。
今更、国だの何だの、そんなものに意味はない。国があるから生きていけるわけでもないのだ。生きる力は同志や味方の数ですらない。百人や五百人、千人が味方になっているとしても、敵の剣は手加減しない。射掛けられる矢の方から避けていくでもない。
ランサが真剣にクラグに弓の扱いを教えている。クラグも負けじといくつかのやり方を教えていた。傭兵と猟師では、矢を向ける相手が違うし、目的も違う。そこで二人の意見はぶつかるし、同時に認め合うこともある。
深夜になってやっと休むことになった。
盗賊に襲われた集落でも、既に廃墟だ、盗賊を心配する必要はない。街にいると逆に落ち着かないのだが、これくらいだと体から力を抜いて休めるのは不思議だ。
ナロフの家では部分的に屋根が落ちているので、星空が見える。
寝息の中で、私はしばらく空を見ていた。
時折、星が流れて消える。
星でさえも、いつかは消えてしまう。
ただ星は、なぜ生きているのか、自分がどう消えるのか、そんなことは考えないだろう。
強さと言えば強さだ。
ただ空で光るだけものに、強さも何もないか。
私は瞼を閉じ、眠りの中に落ちた。
周囲が燃えている。
私は炎に取り巻かれている。
あの夜の光景。
ナロフが盗賊を相手に剣を振るい、切り捨てる。
しかし彼は盗賊の剣に刺し貫かれて死ぬことになる。
分かりきっている事実なのに、この夢の中の私はそれを知らない。
目の前で、ナロフが数本の刃にかかり、落命する。
私は何かを叫んでいる。
自分が叫んでいる内容は私自身がよく知っている。
聞こえなくても、知っているのだ。
剣を取れ。
剣を取れ。
私はあらん限りの声で、そう叫んでいる。
剣を取れ。
剣を取れ……。
(続く)
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