第162話 鉄のハンス、或いは鋼鉄の歯車
泣かないで、と――――言ってあげたかった。
その人に。
自分よりも年上の、その人に。
孤独に傷付いて、孤独に立ち上がって、また孤独になってしまった金髪の女性のその背中に。
泣かないで――――――と。
その声は、届かない。
その手が届く、筈もない。
だから、ただ俺は、貴女から……不屈さを学んだのだ。
折れず。
曲がらず。
毀れることなく。
俺は、ここに、立ち続けよう。
貴女のように、立ち続けよう。
たとえ世界を滅ぼしても。
俺は、貴女たちの剣に成ろう――――――。
俺は己に、そう命ずるだけだ。
◇ ◆ ◇
迫る弾丸が、折り畳まれていく。
文字通りに。
局所的に発生させた力場の圧力によって、空中に静止していた弾丸たちが、折り畳まれて圧縮されていく。
紙屑のように。
くしゃくしゃに潰されて、丸められて、そして一斉に宙に浮かんだ停止から解き放たれたそれらが――――空を埋める豪雨めいて、全て、落ちた。
『何……だ……?』
その光景を上空から眺めるエディスが呆然と呟いた。
静かに両目を――――己のものになった狩人の両目を雲海に灯った光の巨人に向ける。
「外部を認識できている以上、カメラは使えているな」
『あ?』
「そこから壊す、と言った」
これまでただ無様に逃げ回っていた訳ではない。
解法は既に見付けた。
あとは、実行するだけだ。
(単純な話だ。その力場は、お前自身の炉を保つためのものでもある。……目を、耳を、手足を、肉を、鎧を削り切ってやればいい)
あの機体は強固なる力場を有するが、それは攻撃装置であると同時に生命線でもある。
自分の心臓を剥き出しに戦っているに等しい。
無論、簡単には砕けぬ心臓であるが――――鉛の心臓より硬いはずもない。
優位は、ここまでだ。
この先には――――彼らに死しか、待ち受けていない。
「三分か。……実に優れた機能だ」
『あん?』
「使い手に、負けたあとの言い訳を作る。なるほど、優れた機体だ。敗北後の配慮も行き届いている」
『――――――』
「あと何分だ? それとも、実力ではなく機体のためと言い張りたいか?」
挑発めいた言葉をぶつけるも、エディス・ゴールズヘアは冷静だった。
『指示通りだ。……全機、ヤツへ近接戦闘を仕掛けろ』
それは――彼にとっては未知のこちらの手札を明かすための意味もあるだろう。
そして他にも意味がある。
エディス・ゴールズヘアは、そのように合理的な兵士であるからだ。己の知る彼はそうだ。そうだった。
故に、小さく頷く。
触れれば焼き滅ぼされるプラズマの巨人と、機械解体用品めいた巨大なブースターペンチを持った妖花騎士の圧力に押し出されたように、一機の大鴉が突撃を開始した。
右手のブレード。
空を裂き、弾丸を超える速度で迫る鋼の巨人。
これまで俺は、それを、撃ち落とすしか防衛手段を持たなかった。
だが、
「大丈夫。……生き残らせて、みせるよ」
生身の拳を握り――そして、機械の手のひらを突き出した。
五指にて爆ぜる紫電。
同時、煌々と燃え上がりながらこちらへと一直線に迫るブレードが――――
『――――――――え?』
その大本から吹き飛び、コマンド・レイヴンの斬撃は空を切った。
大鴉と古狩人が、高速の影ですれ違う。
まるで避けようとしない機体へ斬撃を打ち込んでしまったと錯覚していたその
電波の声で、通り過ぎた彼へと呼びかける。
「そのまま俺の後ろに。距離を開けて。……大丈夫。君たちは、死なない。死なせない」
『え……?』
「早く! 次が来る!」
『りょ、了解しました!』
即座に反転した大鴉。そして、空を埋め尽くさんばかりに次々にプラズマ刃を抜き放ち押し寄せる大鴉たちを前に――呼吸を絞る/吸気を回す。
問題ない。
何も、問題はない。
か細い力場が、胎動する。不可視なる触腕が稼働する。
手のひらに、紫電が集中する。
触腕の圧力にて作った大気の真空。
放電は、常に、抵抗の最も少ない経路を最短で目指す。
故に――――こうすれば、減衰なく、誘導し、外部からの過剰電力供給も成立するのだ。
集中させた力場にてコマンド・レイヴンの力場を穿ち、ガンジリウムを満載にしたブレード発生装置への外部通電にて力場を暴走させ自爆させる。
(――――死なせない。ここでは、もう、誰も死なせない)
翳す手のひら。
弾ける紫電。
吹き飛ぶ武装。
『――――――!?』
あとはそれの繰り返しだ。
こちらへと抜刀して襲いかかる機体をただ無力化する。
向けた手のひら、放たれる電撃と共に――次々に押し寄せる大鴉たちが、プラズマブレードの根本から爆炎に包まれて武装解除をされていく。
その際に飛び散る破片を、【
さながらかのアレキサンダー大王が百の矢に身を晒してなお無事であったかの如く、或いはモーセが起こした葦の海の奇跡の如く、雨霰のように降り注ぐ破片は全て狩人と大鴉たちを避けていった。
そして斬りかかった機体たちは、勢いのまま、エディスとサムの機体から距離を開けるように――――こちらの背後に隠れるように、飛び去っていく。
「――――――……」
そして――――――十二機、その全てを鎮圧した。
一機も欠かすことなく。
一歩も動くことなく。
誰一人、殺すことなく。
制圧は、完了した。
『ブレードすら抜かず、だと……』
「この刃は外道に向けるものだ。醜悪な匂いを放つ貴官のような外道にだ」
『……弁舌屋か手品師に改業するか、
彼は、斬りかかるコマンド・レイヴンに紛れて攻撃を試みようとしていたのだろう。こちらが避ける、そこを突こうとするのが最も戦略的に叶っている。
だが、結果はこれだ。
エディス・ゴールズヘアは、無意味にその制限時間を浪費したに過ぎない。
「過去の関係を殊更に強調するのは、よほど、現在に自信を持てないためか? 実力も磨かず年若き兵だけを死地に送り込む……まさにあの戦争の貴官の集大成と呼べる進歩しか行えていないらしいな。……後方の椅子はそうも安らかだったか?」
『ッ、よりにもよって……テメエ――――――ッ!』
「己が行いを鑑みられずに激昂するなど、軍人として程度が知れよう。……幕引きだ。国に代わり、俺が懲戒処分を言い渡す」
言葉と共に、右のブレードを横一文字に構える。
対する光の巨人は、空を震わす猛烈な加速を――――何の機を衒うこともせずに一直線に、突撃を開始した。
つまり、
(……ああ、狙うだろう。彼らを)
こちらが避ければ、後ろの彼らをそのまま貫く。そういう動きだ。彼はそこまで織り込み済みで行動をしていたのだ。
無論、コマンド・レイヴンたちとてバトルブーストを用いるだろう。しかし、混乱の下で衝突事故を起こさないのか。或いは、ドミナント・フォース・システムによってそれは避けられたとしても、機動性で勝る【ジ・オーガ】に喰い破られる未来は避けられないか。
なるほど、流石はエディス・ゴールズヘアだ。
的確に――――実に的確に、どんな状況でも勝利への筋道を諦めていない。こちらを詰ませにかかっている。
――――――だから、都合が良かった。
即座に、奥歯を噛み締める。
瞬間――――古狩人も掻き消える。
バトルブーストの合撃。
雲海に弾ける強烈な空振。
プラスマ刃とプラスマ刃が激しく衝突した。
トラックに跳ねられた人体の如く、古狩人は円を描いて錐揉みに跳ね飛ばされる――――だが、
『ぐ、ッ――――――――!?』
苦悶の声を上げたのは、エディス・ゴールズヘアだ。
それを聞き流しながら、横回転をする機体を立て直す。
床に火花を散らすかの如く、空中に赤熱した飛行機雲を残しながら停止する。
三半規管への不調は、今の自分ならば受け流せる。生身の肉体がどう壊れようと、戦闘に影響はない。
そして、
『ぐ……ッ、う……ッ』
ふらつきながら空の向こうへと距離を取るプラズマの巨人。これでもう、あの速度でのバトルブーストも急角度や急転換を伴う形での連続バトルブーストも使えまい。
良き狩人の狩りは、全て、合理性に基づくものだ。
「近接戦は初めてか、
『ッ、何を――』
「受け止められれば、急減速にて自らを殺傷する。そういう技だ、それは。ブレードとは、そうだ」
ただブレードを相手に受け止められるだけの加速度ならば、対G機構によって保護はされよう。
だが、不可視の瞬撃の加速度のままの正面衝突。そのぶつかり合いは倍増する強烈なブレーキとなり、つまりはマイナスの加速度となって心身を苛む。
しかし、こちらは斜めに衝突し、衝撃を半身に受け流して回転した。平面方向の遠心力に変えた。
一方の彼は機体に直角に受けて、上体だけを置き去りにされるような衝撃を受けた。つまりは頭部と首を伸ばす方向と、遠心力によって下から頭部方向目掛けての加速度を――――人体構造的に耐え難いマイナスGを受け取った。
これだけで、或いは人は戦闘不能となろう。そういう技だ。そういう、殺すための技だ。
『この、程度で……ッ』
意気とは裏腹に、プラズマの巨人の飛行機動は精彩を欠いていた。
脳の血管は細い。眼球の血管もだ。常軌を逸して上向きの加圧を受ければ、どこかの血管が切れていてもおかしくはあるまい。
――――受け壊し。
敵の近接白兵のためのバトルブーストにこちらのバトルブーストをピンポイントに命中させることで、正面衝突と急減速によるマイナスの加速度を以って
技術というより、それは、神業に等しい。
だが、今の俺なら起こせた。
かつても敵の方向を絞ることで何とか実行していたものであったが、今は、より自在に精度を高めて履行できた。
今のこの身は、それだ。
かつてなら創意工夫と共に行うしかなかった行動を――己の意のままに、或いは意すら必要とせずに実行できる。一切の身体的物理的環境的制限なく、己の磨いた殺法を実行できる。
断絶のこの身で叶わぬ未来予知も思考掌握も必要ない。
ただ自己の研鑽を発揮できる――それで十分すぎる。
「投降せよ。俺に近接戦闘を挑んだことがそも、誤りだ。マーガレット・ワイズマン、ユーレ・グライフ、マグダレナ・ブレンネッセル……それ以外は尽く死んだ」
『ッ、コイツ……!』
「全てを打ち砕いたから、俺は、ここにいる。……どうやら壊すまでもなく、貴官の
『て、めえ……!』
「曇ったその目で、一体何の未来が見える。これが最後の機会だ。速やかに投降せよ。――――でなければ、壊す」
そして、当然と言うべきか。
投降の返答は、為されなかった。
「そうか。……ならば、貴官を狩るだけだ」
吐息を一つ/吸気を一つ。
一見失敗に終わったこの迎撃とて、ダメージとして彼に蓄積された。それは、やがて、死に結び付くだろう。
獲物に出血を強いる。
俺の一挙手一投足は、獲物に出血を強いる。
毛皮を一枚削ぐように、鱗を一枚剥ぐように、戦闘における全てを以って獲物を追い詰める。
それが――――狩りだ。
どのような道筋を辿るにせよ、到達点は等しい。
死というその完成形に対して、刃という筆で絵図を描いていくのだ。
遅かろうと早かろうと、関係ない。辿り着けばいい。拘らず、淡々と削ぎ落としていけばいい。
常に十全に稼働させられ続けるこちらは、その競り合いにも勝るのだから。
鋭角に――――――相手が死ぬまで追い続ける。相手を殺すまで追い続ける。
猟犬は、狩人は、そういうものだ。
さあ――――――狩人の/猟犬の狩りを、開始しよう。
◇ ◆ ◇
幾度と戦闘を行いながらも未だ完全に無意識へと追いやりきれていない数多の戦闘経験たちを、フィーカの補助と機体との
或いはそれと同じように、己は、意に応じて先んじて斬るだけのものへと至った。
心も、未来も、読む必要はない。
現在を見れば、未来は見える。過去を見れば、未来は見える。
殺気とは、それだ。
如何ほどにその
殺すための動きは、ただそれだけで殺気になる。
なんのことはなく、今の彼がこちらを殺すためには、どこかで接近する。せざるを得ない。
そして接近して殺そうとするなら、そのための角度を取る。そのための位置取りがある。
無理を押して彼が如何に連続したバトルブーストを――不可視の幽幻の歩法を行おうとも、真実、こちらを殺せるルートというのは限られている。
ならば、
「――――」
揺蕩うように、空に歩を進める。
絶影の歩法が、超音速の疾風が、不可視なる殺意が吹き荒れるその空域へと慣性頼みの一歩を伸ばす。
風に流れるような身体運びで、狩人が空を進む。
瞬間――――雷撃めいて上空から強襲騎士が襲いかかり、細く引き伸ばした力場の触覚察知――よりも先立って構えていたブレードで、その集中させた力場で敵のブレードを迎え撃った。
否、迎え撃ったという言葉もおかしい。
置いたその場に、あちらが当たりに来た。
こちらはそのまま、受け流した。
『――――――――ッ!?』
強襲騎士の機体が、逸れる。
こちらは腕を払っただけ。あちらは、機体が回転を帯びて。つまりは、加速度による自傷を受けて。
仕掛けた彼こそ、ダメージが蓄積される。
彼ほどの腕ならば、斬りかかるにあたっては最適角度での衝突を考えるだろう。
先ほどの受け壊しを警戒すれば、なおそうするだろう。
こちらのセンサーの死角。対応可能領域の死角。攻撃失敗後にも再攻撃を可能とする軌道。
その角度を狙いに来るのは確実であり、故に――己はそこを僅かに外してやればいい。
バトルブーストによる緊急回避ではない。
先んじて位置取りのためにバトルブーストを行い、残りはその慣性に任せて動いたそのところで――その慣性を微かに塗り替える。
僅かな増速。或いは進路の微小な切り返し。それを行うための内部の流体駆動。重心変化。
それだけでいい。敵の機に――殺気にそれを差し込めば、ただそれだけでも決定的な機先の差となって現れる。
或いはそれはある種、バトルブーストという慣性無視の機動のその理念の通りに。
こちらは、ある意味では全ての機動がバトルブースト同然の意表を突く動きになっていると、言えるだろうか。
回避のための機動ではない。
これは、相手の領域を削り取る機動だ。
どう足掻いても攻撃を命中させられない、或いは極めて難しい空域へと足を運ぶための、ただそれだけの機動だ。
緊急回避は、極めて、必要ない。
『コイツ、動きが――――――』
見てから避けては、遅い。
避けようと考え避けるのも、遅い。
意よりも早く、動くのだ。
彼に限らず――――戦う人々の多くが、そこで仕掛けたいという機がある。そこで仕掛けるのが最上だという機がある。
それが殺気だ。
その殺気に先んじて、動くのだ。
その殺気を不意にするために、動くのだ。
敵の最善を潰し、リカバリーをさせぬまま、自己の最善の手番に回す。
それを可能とする距離を、間合いと呼ぶ。
「全機、サム・トールマンに対しては仕掛けるな。自衛のみに注力し、必ず集団戦を心がけろ。寡兵は各個撃破を狙うのが常だ。散り散りに避けるな。雲には近付くな。視程を維持せよ」
『りょ、了解!』
「狙われた際は誘導兵器を射出、バトルブーストで距離を開けろ。くれぐれも生半可な迎撃や遅滞戦闘は行うな。おそらく突進速度が別物だ。その際は退避に集中しろ。それ以外の機体は散開しつつ覆うように掩護射撃。中隊を四つに分け、他の回避時にも常に誰かが射撃を撃ち込む態勢を維持せよ。ドミナント・フォース・システムを起動し連携管理を」
『承知しました!』
自己の一部として掌握された管制システムが、即座に思考を反映して連携パターンをコックピットに浮かび上がらせる。
「近接戦闘しか持たぬ者は、次々とターゲットを変えることで集団を混乱に追い込む。回避対応に飽和させ、集団維持を破綻させて狩るのだ。三機ごとに一塊となり、回避方向を統一せよ。その最小単位を損なうな」
指示を飛ばす――これで少なくとも、一機に注力できる。
海よりも深く思えるほどの大いなる蒼穹に住まう怪物たちのように、膨れ上がった雲が緩やかに空を流れる。
飛行機雲を、或いは赤熱した大気を纏った強襲騎士と。
静かに潜るように揺るぎなき
こちらに対しての位置取りを変えようとしてオーバーシュート同然に膨らんだ彼へと、距離を詰めるためだけにバトルブーストを行う。領域を抑えにいく。或いは空域を絞るために。それとも、こちらが、相手がどうときても応じられるであろう位置取りへ。
そうすれば、あちらは、こちらが応じられぬ位置へと逃げたがる。
そこへ、また飛び込む。
如何に慣性無視の軌道だろうと、それが幾度と行えようと、逃げようとする限り――逃げる軌道にしかならぬのだ。
空に広がった大雲と共に、彼の飛翔領域を狭めていく。
一種のゾーンディフェンスめいていた。領域の奪い合いか、押し付け合いか。
或いは雲中に逃げ込むという手段も彼とて行えるが……果たしてそれで低減されてしまう力場で、こちらの斬撃と張り合えるか。その速度の機動を続けられるか。次の受け壊しに耐えられるか。
鋭角に、追い続ける。
『こい、つ――――――!』
攻守逆転。
今度は、追いかけるのは、狩人だ。
バトル・ブースト後の慣性力も使った緩やかなる足運びで、追い詰める。
距離は開く。速度の差で、開かれている。
だが、彼の飛ぶ空は狭められている。
こちらへと喰らいかかれる角度には、逃げられない。
距離が開けば、当然、彼の位置で取った移動量がこちらの角度に対して与える影響は少なくなる。
簡単な三角関数だ。直角移動によってある角度を変えようとしても、十メートルでの位置と千メートルの位置では必要量が百倍となる。加えて、その距離からでは急速接近にも多量の推進が必要となる。離れれば離れるだけ、逆説的に彼は追い詰められてしまう。
そして――三分間。
その制限がある以上は、そして兵装が近接兵装である以上は、彼はどこかで機動を直してこちらに斬りかかるしかない。
彼は機動の加速度に苛まれるその中で、逆転の兆しを取り零さぬように動くしかないのだ。
そしてこちらの動きは、敵の攻撃に合わせてから回避する――――つまり決定権を敵に奪われたものではない。
自発的に、先んじて動く。
動きながら、それを修正する。
そして修正しながら、敵の攻撃には応じられる心構えでいる。
激しく飛び回る炎熱の強襲騎士と、緩やかに歩むように空を進める
反転の一瞬。
急加速の一瞬。
雲の谷間で追い立てる先の機体が消えるのに一拍をおいて、こちらもブレードの刃を開き――
「そこか」
そして――――――――――鋭角に、狩人が斬りかかった。
激しい空振。
再びの空中衝突。
バトルブースト同士の接敵。
旋風じみて横回転する狩人は赤熱した雲を纏いながら停止し、対する光の巨人も回転しつつ発光を強めながら静止する。
受け壊しに、対応した。
エディス・ゴールズヘアは、三度、同じ殺法にはかからなかった。
空中で、狩人と巨神が睨み合う。
僅かな静止。
互いに、機を、伺うように。
二体の機体は、向き合うそのまま、静かに互いの呼吸を読んだ。
如何に仕掛けるか。
如何に受けるか。
如何に躱すか。
そして――――同時に動き出す。大鴉たちの満ちた空域に目掛けて。
不確定要素。計算を狂わせる他者という存在を取り込むために/それを阻むために。
奇しくも、向かい合った形で二機のアーセナル・コマンドは機動を行うことになった。
先んじて動いた方が、負ける。
しかし、そのまま時間が過ぎれば、やがてこちらの友軍に達する。達してしまう。
そうなれば待ち受けるのは死と蹂躪。
それを防ぐためには、最適な一閃を放たねばならない。
そんな――――焦りを引き出させるような、睨み合いであった。
だが、
「――――――……」
だが――――その認識は、互いで僅かに異なった。
こちらは最適角度での衝突を考えずとも、良いのだ。
開く左のブレード。吹き出すプラズマの炎熱。
遠間のまま振り付け――――――プラズマが、触手めいて
『な――――――!?』
力場自在制御。
回避と機動に全力を注ぎながら、ただ意思一つで超能力めいて力場を操り、唸りを上げるプラズマブレードを叩き付ける。
並走。並行機動。同航戦。
敵機との位置関係を変えぬままに巻き起こる白兵戦。
吹き荒れるプラズマは意思を持った炎の如く、エディス・ゴールズヘアの【ジ・オーガ】が纏った力場の嵐の最も弱い部分を連続的に攻めたてる。
『なんで、押し負ける――――!? 出力は、俺の方が高い筈だろうが――――!?』
不要な力場は、全て剣に回していた。
触覚や繊毛めいて宙に投射して警報装置や察知装置代わりに用いつつも、残りは全て剣撃に割り振った。
【
今の俺は、フィーカという汎用的な管制仮想人格を、つまり専用の仮想人格を用いていない点を加味してなお、彼らよりも
まさに――――彼らに敵う道理はない。
縦横無尽な剣戟が続く。
振り翳される触腕めいて駆動する左のプラズマ刃を前に、【ジ・オーガ】は防戦一方になるしかない。
サムの【ルースター】は、援護に動かない。
或いはゴールズヘア教官を庇って接近してくれれば、纏めて葬れるが――――……流石にその程度の危機察知能力はあるのか、かからない。
ならば、いい。
「エディス・ゴールズヘア」
『っ、なんだ――ハンス・グリム・グッドフェロー!』
叫び返すその声へ、告げる。
「祈れ。――――貴官の命運はここに決した」
横向きに移動する二機が向き合い炎と炎が吹き荒れるそのクロスレンジの中で、古狩人の右腕が駆動する。
プラズマブレードの、顎が開く。
「
凝縮される炎熱。弾ける紫電。
同時――プラズマの巨人の前面にて花開いた左の刃。プラズマの傘。ブラインド。カメラ潰し。レーダー潰し。
直後の突撃と共に、繰り出す右の刃。
逆の袈裟懸けに振り下ろされるプラズマの炎刃は彼の機体目掛けて叩き付けられ――――しかし、
『そうするだろうよ、お前なら――――!』
攻め立てられてなおもこちらの右刃への警戒を絶やさなかったエディス・ゴールズヘアと【ジ・オーガ】の不可視の装甲は、真正面からこちらの刃を受け止めた。
流石は歴戦。流石は高性能機。
その力場を完全に防御に回せば、さしもの古狩人のプラズマ刃でさえ致命傷を与えることができない。
勢いよく振るった刃が、強烈な力場の抵抗に鈍らされて削られる。故にこそ――――――
「
――――その必殺は相成った。
振り抜く刃。同時、巻き起こるは二重の爆発。プラズマの嵐。力場の殺傷空間。
この刃は、
それは、防ぐからこそ――――プラズマ刃を固める力場を削るからこそ、吹き荒れる。
集中させた【ジ・オーガ】の力場防御によってプラズマを覆う力場が剥がされ、以って、圧縮されたプラズマは解放される。
斬撃のその後に、敵機装甲近くで容赦なく炸裂するプラズマの奔流。
そして同時――――敵の力場圧力が弱まったからこその超至近距離電磁物理的クラッキング。
己の剣を押し固めていた力場を、その制御に回していた電力を、力場喪失と共に転換。敵機の手足に繋がる真空の糸を通して、外部から流し込み力場を過剰暴走。
己の身を守る筈であった力場の鎧を、こちらのプラズマ奔流を指向する銃身として逆利用。
結果――――――超至近距離で密着してプラズマ砲撃を行ったも同然に、敵の力場の更に内部で力場に押し出された砲撃が花開く。
敵の力場全てを過剰電力により強制利用させることで、力場を用いた移動の余力を封じ――――回避を許さず。
こちらのプラズマを四散させぬための覆いとして敵力場を用いることで――――――防御を奪う。
更に敵装甲のガンジリウムを呑み込み膨れるプラズマの炎にて――――――殺傷性を上げる。
相手の血を、肉を、強さを、命を呑み込んで煌々と燃え上がる業炎の魔剣。
それが、【ジ・オーガ】のプラズマ装甲を巻き込むままに――その半身を削り取った。
「――――――こういう使い方も、できる」
宙に舞う強襲騎士の装甲。骨子。
だが、まだ死んでいない。
いいや、殺していない。
今の俺なら――――――
ようやく、その領域に辿り着いた。
それが許される領域に。
究極の殺人性を得たことで、己は、それを支配下に置いた――。
「投降は?」
一言。
ここで
今の俺ならば、それができる。
果たして――――
◇ ◆ ◇
サム・トールマンは、考えていた。
恐ろしい道だった。
最悪の道だった。
しかし彼には、それしかもう残されていないように思えた。
戦闘の最中から、彼は、それを考えていた。
故に人妖花めいた青白い【ルースター】はそのブースターペンチの刃を広げ、二機に目掛けて突撃していた。
(すまない……すまない、教官……!)
もう、それしか道はない。
不可能であると――こうなっては、最早、それを選ぶしかないと思えてしまった。
傍受不能なレーザー通信を起動する。
そして彼は、言った。
「死んでください、教官……!」
「サム……」
「貴方の命は、害なのです。……死んで、ください。殺しに行きます。どうか、俺の手で、死んでください」
「……ああ」
――――――完全な切り捨て。
全てをエディス・ゴールズヘア一人の暴走という形で処分し、【
そのためにも、サムの手でエディスを殺す。
エディスを殺し、身の潔白を証明する。それしかなかった。
最悪でも、グッドフェローにプラズマ兵器にエディスを殺させてブラックボックスもすべて葬る。それが必要だった。
「……ああ、クソ」
エディスからの無念そうな悲嘆。
亡きマーク・ベケットに代わって、サムの指導を行ってくれた教官だった。サムの武器を見出し、鍛え、最強となるための道を考えてくれた先達だった。歳の離れた兄のような人だった。
そんな人に、死ねと言う。
お前はもう役に立たないから、死ねと言う。
時間を稼いで、死ねと言う。
(すまない……すまない、ゴールズヘア教官……)
手に入れたかったのは、最強という称号の筈だった。
それが、彼女と二人で掲げた誓いの筈だった。
だが――――――共にそれを誓った少女は消息を絶ち、手に入れた力で国の英雄を暗殺し、挙げ句こうして、ついには溝犬のように無様な友軍殺害に身を窶すしかない。
挑みかかることもできずに、打算と陰謀のための下働きをするしかない。
(せめて――――――せめて、最速の一撃で)
僅かにエディスが時を稼いでくれれば。
ブラックボックスを残すという色気をグッドフェロー大尉が出してくれれば。
マーガレット・ワイズマンにも劣らないと言われた空戦機動能力で、かろうじて、己の組織の存続のための道を作れる。
まだ、役に立てる。
その一心でサムは加速し――――
「投降? 一つ聞きたいがな、グッドフェロー――」
『問答の時間はない。遅滞行動と判断する』
無慈悲な、死神の声。
その刃がコックピットへと突き出される。
細く絞った刃を。
力場にて絞った刃を。
人間一人分だけを焼き尽くすプラズマの刃を。
それは赤銅色の胸部装甲へと吸い込まれ――――
『――――――撃墜、完了』
コックピットの複合装甲と、エディス・ゴールズヘアの座っていた座席のみを焼き尽くし――――人間大に穿たれた穴だけで、一閃は終わった。
ただ、エディス・ゴールズヘアという存在だけが熱と共にこの世から消滅していた。
容易く。
呆気なく。
人一人が、この世から、失われた。
或いは――――推し並べて死というものはそうなのだと示すように。
「ゴ、ゴールズヘア教官――……」
呆然と、サムは呟いた。
彼の駆る【ルースター】とて恐るべき機体であるが、今の古狩人に――――いや、今の彼ではその古狩人の障害にならないだろう。
それほど、サム・トールマンはその精神的な不調の影響が大きい。対する古狩人は、肉体的な損傷を除いて問題は何一つない。
結果は、見え透いている。
『運動を停止し、投降しろ。……それとも後を追うか? 教え子を敗北まで導くとは、彼は実に優れた教官と称されてしまうが』
「ッ、グリム・グッドフェロー大尉……!」
たった今己の手で殺害した相手を軽んじるような言葉。
『……サー・マーク・ベケットも無念だろう。あの日守った部下が愚行の末に果てるとは。死後も恩人を貶める……それが貴官の望みか?』
「――――――」
淡々と恩人を侮辱するような冷めた言葉。
だが、そのあまりにも圧倒的過ぎる存在としての圧力を前に、サム・トールマンは唇を噛み締めるしかなかった。
それほどに、モノが違う。
存在としての、純度が違う。
完成形に近いのは、この男だった――――。
そうだ。
開戦から今まで、飛び続けた。あらゆる戦いに参加し続けた。特別な才を持たずとも、ただ、究極の錬磨の果てにある絶対的な実力と経験則――――猟犬の嗅覚。
そんな男が、仮に、
それこそが――――コンラッド・アルジャーノン・マウスが掲げる
専用機を持たぬが故に、真の意味で絶対的にサムたちへの有利を持つ訳ではない。
サムたちのように専用の補助人格によって保管された訳ではないその力も、
ヘイゼル・ホーリーホックのような特異な技能を持ちさえもしなければ、シンデレラ・グレイマンほどに機体を掌握できている訳ではない。未来を読める訳でも、思考を読める訳でもない。
だが――――この男にとって、それは、問題ではないのだ。
ただ、在るが儘に殺すという殺戮の化身。
この男にとって、それらの要素は武器足り得ない。この男はそれを必要としていない。十全にその機体を操れればそれだけでいい。
一二〇%ではなく、一〇〇%でそれでいい。
圧倒的な研鑽によって積み上げられた戦技を、決して揺るがす毀れず砕けぬ剣を、相手が砕けるまで振るい続ければいい――――という単純明快な殺法。
命を奪い取るまで永劫に駆動し続ける魔剣――魔犬。
狩人狩りの狩人。
不毀なる鉄剣。
鋭角の猟犬。
――――ハンス・グリム・グッドフェロー。
『投降せよ。今一度考えろ。……貴官のその愚行は、命を懸けるに値するものか?』
断絶に等しく向けられる声で、冷まされる。
仮にここでどう挑みかかったとしても――――無意味なのだと。
故に当初の打算から……否、もう、打算などなかった。ただ本心から、呟いていた。
「グリム・グッドフェロー大尉……投降、します……」
『……』
「教官……エディス・ゴールズヘア大尉は……その言動に強い錯乱が見られ……疑心暗鬼から、このような行動に及んだものだと……我々には、反逆の意思はなく……」
『……そうか』
全てをエディス・ゴールズヘアの責任とすることで、その本体たる【狩人連盟】へと類が及ばないように事件を締める。
あとは、政治的な領域の話となろう。
少なくとも……少なくともサムに向けたエディスの通信は、一応、その言い訳を成り立たせるだけに言葉を選んでいた。
彼の生体データさえなければ、グレーゾーンとして押し通せると考え――――
『その点については、後ほど、エディス・ゴールズヘアの証言と合わせて確認をする』
「……え!? きょ、教官は今――――」
まさにコックピットを貫かれ、焼き尽くされて死んだのだ――と。
そう言おうとしたサムの前で、感慨なさげな声が返された。
『両腕と脊椎接続だけを焼き切った。喉も潰したが、やがて回復するだろう。ブラックボックスも無事だ』
「そんな、そんな破壊が……」
『今の俺には、可能だ。最高の殺傷性とは、殺さぬことも選べるということだ』
そんな僅かな勝算すらも、踏み躙られた。
決定的に。
最強を求めるための気概を捨てた選択も、恩師に対する死刑宣告を告げる覚悟すらも無価値に――――――その男の暴力は、踏み均して行った。
『どちらにせよ、退役は免れないだろうな。……彼には、帰れる場所がある。そこに戻ることだ』
僅かに、死神が呟く。
その言葉を最後に、この空域での戦闘は――――終結した。
◇ ◆ ◇
ローズマリーの無菌室めいたラボに映し出される光景は、燃える都市の上空での戦闘を映し出している。
テロップには【レヴェリア市にて衝突が発生】の文字。
曇天の市街地上空で、煌々と瞬く光線はプラズマ砲か。
その健康被害や生理的被害などを取り上げ、テレビは、屋内への退避や防護措置の方法について呼びかけていた。
「すごい視聴率だろうねえ」
やれやれ、と癖を持って波打つ銀長髪のローズマリーはコーヒーを啜った。
続報らしい続報は、その戦闘発生について。
現実の都市のリアルタイム情報ではない映像を眺めつつ、欠伸をしたそのタイミングだった。
簡素なメッセージ。
後輩であり実験台であり成果物である青年からの連絡。
『擬似的な前駆起動実験は概ね順調。【
一瞥と同時、彼女の銀色の瞳は爛々と光を灯した。
「素晴らしい! やはりだね、後輩くん。前提条件さえ整えてしまえば君が最も強い……及ばぬからこそ飛び続けるというその精神性と研鑽に、あとは素質さえ与えてやればいいんだから! その点に関してキミを超える者はいないとも!」
ダボついた白衣の裾を翻して、彼女は、ラボも兼ねた自室の隅に向かう。
布をかけられた装置。
テーブルほどの大きさの直方体の表面は鏡面じみて磨けられており、ときに角度によっては金色に輝くとも見えるそれは、かの
それを見下ろし、上機嫌な彼女は謳う。
「――――――量産体制は整っているよ、
それこそが、彼と彼女の契約。
三つの釘めいた装置を脳に打ち込むことを持って至らんとしている果てへの道程。
即ち――それは、電子化された人格データを複製するためのシステムにしてシミュレーターだ。
ハンス・グリム・グッドフェローというデータを、聖火の如く継いでいくためのオリンピアの火。
「キミを以って戦争の歯車は変わる。さあ、我々で戦争を飲み込もうじゃないか。究極的に制御された法と善の観念に従った最終兵器で」
心底愉快そうに、ローズマリーは三日月に瞳を歪める。
ハンス・グリム・グッドフェローからの提案。
その余分の何もかもを振り切り、切り捨て、光速度の果てに極光を目指すような青年の計画。
それが、いよいよ、結実の日に向かう。
「如何なる場合も法に逸脱することのない最高兵力――ああ、キミとボクは文字通りこれまでの戦争を駆逐できるだろう! なんたって、現存する最強の戦力のコピーなんだから!」
条件は、二つ――――。
一つが、あらゆる既存兵器と既存戦力を超える戦力であること。最強でなければ意味はない。そうでなくては価値がない。
もう一つが、
「あとは精神の電子化さえ済ませられれば、完成だ。……フフ、ハハハハ! まさか人格を削ぎ落とした自分のコピー品を、兵器として全世界に売るだなんて! まさしく人の心がないとはこのことだね! クローンは法で規制されているが、人格のコピーはそもそも法がない! 罪刑法定主義とは、法に定められぬものは裁けぬという意味さ!」
両手を叩き、ローズマリーは陶酔として声を上げる。
「装置からの人格への干渉は広義の傷害罪に当たるかもしれないが……キミはただ、装置の手も借りずに人間の生理特性と機能に基づいて自主的に自分自身の乖離を勧めているだけだ。そんなもの、法で裁ける訳がない!」
如何にして法に触れないかというのが彼のオーダーであり、少なくともすべての条件はクリアされた。
健全な脳に装置を埋め込んだ訳でもない。
装置によって人格を剥奪させた訳でもない。
そして、
「規制もできないさ、後輩くん。そうした途端に、それを禁じていない国家だけがキミという武力を有することになるんだから……一人だけ貧乏くじを引くなんて誰だって御免だろう? 法に従った上で、法の及ばぬ部分についての線引を決めさせる……いやぁ、キミは実に秩序に則った法治主義者だ! まさしく軍人らしい法との接し方だね!」
コピー可能な人格の電子化。
それを以って、完成する。
彼らの計画は完成する。
即ち――――――全勢力がハンス・グリム・グッドフェローという武力を抱え合うという状況だ。
既存兵器、既存戦力、既存人員からの置き換え。
育成の必要なく、人的資源の浪費もなく、労せず最強の力が手に入る。
完全なる人格AIによるアーセナル・コマンド制御。コピー品の無人機による戦力の代替。
戦争の歯車全てをハンス・グリム・グッドフェローに変えるという常識外れの暴挙だ。
そしてそれを以って成り立たせるのは、一つ――。
「
決して折れず、曲がらず、毀れぬ剣。
あらゆる危機を寸断し、あらゆる状況で勝利を掴む無比の鉄剣。
そして法と社会善を逸脱せず、法益に従い駆動する天秤の女神の剣。
全世界に無限に飛び散る――――――鋭角の猟犬。
何一つ、法は侵さず。
自由は侵害せず。
強制をすることもなく。
ただ自由主義的な売買契約によってのみその戦力は全世界に広められるのだ。
それはつまり、検討と選択の結果だ。
そして国際法の理念に基づき侵略戦争に従うことなく――自衛戦闘以外では使用不可な最終兵器は、かつての核兵器による相互確証破壊よりも安全かつ確実な抑止力として君臨するだろう。
徹底的な規定された歯車。
戦争から人間性を剥奪しきるための兵器。
「【
新たなる世界へと繋がる階段へと歩を進めたように、ローズマリーは心から満足げに頷いた。
人の死を減らす。
そして、社会の存続性を高める。
ただそのためだけに――――たったそれだけであり、そして人間が至上命題として掲げるそれに足をかけたのだ。
「あとは――――キミがやるだけさ。人間性を捧げよ。徹底した法の観念以外は削ぎ落とすんだ。いやあ、愉しみだねえ……
くつくつと笑う彼女は、改めて中継映像を眺めた。
決定的な分断。最悪の戦火。
平和のために設けられた筈の会談の破綻は、果たして、何を呼ぶだろうか。
スリルを楽しむ子供や傍観者めいたチェシャ猫の瞳で騒乱を見詰め――――不意にその銀色の瞳が、冷めた。
「……金箔も剥がれ、宝石も失い、何もかもを人々に捧げた最後に残るのは物語だ。名も知らぬどこかの誰かに救われたという物語だけが、あの街には残ったんだ。……全てを失った王子は、最後に、それを与えた」
どこか遠き瞳で、彼女は、火に包まれた都市を見詰める。
「キミは――――それほど捧げたいまでに誰かを、人間を、好きになったのかい?」
部屋の片隅では、契約の箱が静かに鎮座していた。
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