第161話 狩人狩りの聖者、或いは銀腕の代理人(後編)
奇しくも――――という言葉を使って、いいだろうか。
奇しくも、その使い手は唯一無二だった。
奇しくも、あの大戦で出会うこともなかった。
奇しくも、平常ならば成り立たない戦闘だった。
奇しくも今このとき、ハンス・グリム・グッドフェローとエディス・ゴールズヘアは、近接ブレード戦闘以外の装備を持ち得なかった。
マグダレナ・ブレンネッセルが再現したマーガレット・ワイズマンや、キリエ・クロスロードとも違う。
奇しくも……。
奇しくも二振りのプラズマブレードのみを頼りに空戦を行うという、己にとっても――――――この世界にとっても初めての戦闘だった。
「各機、撃つな! 自衛以外での攻撃を行うな!」
加速圧を総身に受けながら、空に漂うコマンド・レイヴンたちへと叫ぶ。
この場を離れろ――――とは、今度は伝えられなかった。そうした瞬間に彼らが標的になりかねない。
そうさせぬために、そして何とか彼らの撤退の隙を作るために、何度とて己から二機へと挑みかかるしかない。
噛み締める奥歯。
全身を軋ませる加速度。
僅かに空の青が覗くほどに雲に満ちた空域が、矢のように一直線に後方へ流れていく。
顎を開いた右手のブレード。死霊騎士と妖花騎士目掛けて、牽制機動と共に斬りかかる。
プラズマブレードとは、原則的に一撃必殺の武器だ。その源流を大口径プラズマカノンの試作品に持つ兵装は、敵の外部装甲を気化させ――内部流体装甲もフレームもまとめて焼き切り、徹底的に破壊し尽くすための兵装だ。
その刃の射程においては、逃れられない死を与える。
そんな摂理を以って、己は、近接ブレード戦闘のドクトリンを作り上げた。文字通り――この世界のブレード使いすべてにとっての。
こうしたら、こうなるから、こうすべし――――。
実際の使用感と、己の中にある前提知識と、人間の心理と、無数の犠牲者の末に作り上げた術理だ。剣の法理だ。それをこの世界において纏め上げた。
(――――――)
敵機二機への接近機動を取る。
棚引く飛行機雲を纏い、幾度と軌道を切り返して、バトルブレードを用いれば一息に斬りかかれるそんな間合いに目掛けて
一撃必殺のプレッシャーを以って相手をコントロールする。それがこの兵装を扱うにおいての、最も基礎的であり深奥と言ってもいい理念であった。
敵が動く。
骨組みめいた死霊騎士と、人妖花めいた妖花騎士が。
大小に膨れ上がった黒雲と白雲が大挙して空域を埋め尽くした曇天に、動く。
動かそうとしたのだから、当然、動く。
周囲に滞空するコマンド・レイヴンに目掛けて彼らが攻撃を加えられぬように抑えにかかった――そのつもりだった。
いや、その意味では、成功であった。
ただ、予測を超えた動きだった。
「……!」
攻めかかるこちらに対して敵の複数機が応じる方法は、主として三つだ。
一つが、分散して個別に退避すること。
一つが、一機が迎撃に向かい残りが散開すること。
一つが、その場に固まって応射をすること。
だからそれは、ある種の予想外だった。
噴炎が二つ飛ぶ。
二機が足並みを揃えて、同時にこちらを目指す。
骨組みの死霊騎士はプラズマ・マフラーを翼めいて広げ、青白き薔薇めいた妖花騎士は身の丈を超えるペンチじみた対機解体工具の刃を開いて。
一直線に、こちらへと接近する。
(……! 研究済みと、いうわけか)
そしてそれは、正解だった。
敵集団を散らせる。混乱に叩き込む。各個撃破を行う。
それが、プラズマブレードの戦術なのだ。
だから、一塊に攻めかかるのは正着と呼んでいい。そこから敵がこちらに対して如何なる攻撃を仕掛けるのか、機体同士の機動が干渉しないのかなどの問題はさておき――正しいのだ。対処法として。
そして、妖花騎士の前方の空が歪んだ。
大気が湾曲し――赤く燃えた。
断熱圧縮によって赤熱する大気と共に押し寄せる力場の円錐=マッハコーン。
バトル・ブーストに回すはずの電力を、機体を動かすためにも用いる分の出力までをもすべて対空力防御の投射のみに回した力場の鉄槌。力場の長槍。
それは牽制であり、攻撃だ。
その領域に飛び込めばこちらの
あちらは、その術後を狩ることが可能となる。手本のような近接ブレードに対するカウンターである。
言葉にすれば容易いが、現実、果たしてどれだけの人間がそれを行えるか。
実行者自身が急速回避を行えなくなるリスク。そして、投射した力場の破壊圧力に友軍やその攻撃を巻き込むリスク。空戦で常に移り変わる敵の進路を的確に狙わねばならないリスク。
故に、効果的なれど多くの
避けるためにバトルブーストを持ちいざるを得ず、結果、使用回数を一つ削られる。
狩人が跳躍する。
敵の赤熱する力場の長槍を避け、そこへ――――――死霊騎士とその炎の羽が喰らいかかった。
「ッ――――――」
咄嗟に翳した右のプラズマブレードとプラズマ・マフラーが衝突し、雲海の切れ間に閃光が放たれる。
正しくは……衝突にさえ、ならなかったと言っていい。
斬り結ぶと当時にこちらのブレードの力場が引き剥がされ、宙に発散するプラズマを吸い集められた。
即座に、敵の逆太刀が来る。
それを、かろうじて左のブレードで受け逸らす。また、その刃も剥がされる。
その勢いに釣られるように、
それを見逃すエディス・ゴールズヘアではない。
燕の如く翻った鋭いプラズマ・マフラーの斬撃。
一撃目にてこちらのブレードのプラズマを回収した煌々と燃え上がるプラズマの片翼が、こちらを斬裂すべく突き出された。
受けれぬ太刀。
喰らえぬ太刀。
故に、
(この一撃――――そこしか勝機はない)
奥歯を噛み締め、意趣返しとばかりに全力の
推進を止め、機動のためのすべての電力を回した。
しかし、敵のプラズマ・マフラーの有する強靭なる力場はそれすらも穿ち、迫る。
機動のための電力までもを消費した狩人へと。
空に足を止めたこちらを射抜かんと。
斬り結べぬなら、
それは、エディス・ゴールズヘアの想定の範囲内であったのだろう。
その上、彼は更にもう一方のプラズマ・マフラーを構え直し二撃目も油断なく番えている。
故に――――こうするしかない。
「フィーカ!」
『
こちらに呼応したフィーカが、推力の割合すべてを推進剤に切り替えたバトル・ブーストを開始させた。
故にそれは、敵が想定するこちらの通常戦闘機動よりも速く――――
持続性を無視した投入量。
安全性を無視した加速量。
古狩人が、一心に加速する。
右目の傷口が開き、全身の骨が悲鳴を上げ、それでも――こちらの加速に応じたエディスが放たんとする次撃を前に、勝利を確信した。
あえて斜め前方へと飛び込むように、繰り出されていた一撃目のプラズマ・マフラーへと肉薄。
炎の周囲に密集した力場に、
バトルブーストを補助する筈の赤熱するマッハコーンの半分が破砕され、遠ざけられていた空気がなだれ込む。
故に、
(ここしか――――――ない!)
狩人の半身だけ、纏う空気が赤熱した。
その機体半身への空気抵抗が生むエアブレーキ。
敵の目測を誤らせる強制ブレーキ。
そこに――――合わせるように回転を乗せ、飛び込みながら痛烈な回し蹴りを打った。
黒鉄の流星と、骨組みの死霊。
旋風じみた狩人の蹴撃が、骨組みの死霊騎士の脚部の先端を真横から跳ねる。
敵機は横倒しの回転を開始し――――ああ、機体脚部を始点にするということは、頭部が逆方向へ激しく回転するということだ。
そして、死の二点。
重力に抗うために機体を上向きに押し上げていた力場。
重力の存在とそのベクトル合成によって上体が遠く投げ出されながら崩れるような運動となり――――上体が最も長い回転半径を辿るという有重力下運動。
つまり、その遠心力は駆動者の下部から頭部方向へ最も強く働く。
受けてはならぬ方向の、加速度。
縦軸マイナスのG。
人体が最も耐えられない圧力。
まだ、これで――――終わらせない。
狩人のロングコートの裾めいたテールスラスター・ユニットが踊る。推進剤が散る。
回し蹴りの勢いのまま、更に翻る狩人のロングコート。縦方向の回転へと変換。そのまま、足を跳ねられ横倒しに向かう死霊騎士の上体へ――――打ち下ろす。
二連蹴撃。
疾風めいた胴回し蹴り。
加速の上乗せ。回転の増速。マイナスGを用いた
大空から死霊騎士が撥ね落とされる。巨人同士の格闘戦が空を割り、風を裂き、命というものを粉砕にかかる。
だが、
(……仕損じたか。加速度が足りなかった)
眼下の雲へと撃ち落とされつつあった死霊騎士は、その強靭な力場によって回転を相殺しつつ、落下の勢いを巧みに乗せた反転巡航機動に移行していた。
即座に慣性力へのカウンターを入れて機体を立て直したエディス・ゴールズヘアは、やはり流石か。
だが、つまり、それだけ体内の血流と全身への加圧の被害を受けたということだ。
そこに追撃を行おうと操縦桿を握り締め、呻く。
痛覚を遮断してなお、強烈な不快感と灼熱感が全身を覆っていた。それのために、機先を逃してしまった。
片目から頬に垂れる血に、臍を噛む。
(おそらくは、今のが、唯一の勝機だった……)
眉を顰めたまま全天周囲モニターで目を走らせる。残るもう一人――――サム・トールマンは、即座にこちらへの強襲を行うつもりがないらしい。コマンド・レイヴンたちとこちらを同時に視野に入れる位置取りを取り、接近を試みてはいない。
それが厄介でもある。気を抜けば、横から襲われる可能性があるということだ。
彼の介入を許さないほどの速度で、エディスを撃ち落とすしかない。
(……)
近接戦闘術は、これまで、あまり使う機会が少なかった。秘められていた。意表を突く攻撃だった。
だが……痛覚遮断を行った上で、あのギャスコニーと暴徒の襲撃によって消耗した体力は、完全に殺しきれる一撃に繋がらなかったのだ。
(純粋なる近接格闘戦の腕は、こちらが上と言っていいが……)
ユーレ・グライフという怪物を間近で見ることができたこと。そして、時にブレードさえも使い物にならなくなった場面でも敵を殺す経験をしたことが活きたと言える。
こちらは、密着時に優位を取ることや最終的にブレードを当てるため、或いはレースで良い位置取りをするためのテクニックなどではない。
完全なる無手でも敵機を殺害し続けるためのテクニックなのだ。ユーレ・グライフの飾り気のない徒手圧殺とも違う殺戮技巧。その点においては、軍配はこちらに上がったと言えよう。
しかし、つまり――――――二度目はない、ということだ。
文字通り手負いの獣と同然に、彼は襲いかかるだろう。
彼を殺すことはできず、彼の中での僅かな油断というものだけを殺す形になってしまった。
大小不揃いの雲が飛び散った眼下の空に広げられたプラズマ・マフラーの翼は、煌々と輝きを増していた。
(相手よりガンジリウムの流量が多ければ、斬り結ぶそのままに奪うこともできる――か。そしてその分、より強度を増していく)
モニターの向こう。雲だらけの空を飛ぶそれは、マフラーを折り畳みWの形を取りながら火の鳥めいて飛ぶ。凄まじい速度で雲間に遠ざかり、そして、反転する。
継戦での出力の低下を極限するのがこちらの戦闘法と言うなら、戦闘の経過と共に出力を強めるそれは己の天敵と呼んでいい。
つまりは、確実に敵を墜とせる場面以外でブレードを抜いてはならない。そういう相手だ。
だが――
(防御しないことも、できない……!)
瞬撃。
彼我の距離を無にする強烈な加速。桁違いの出力。
咄嗟に受け逸したプラズマの刃が掠め取られる。
死霊騎士は、その加速のまま飛び去った。
戦法を切り替えられた。
ヒット・アンド・アウェイ。
つまりは、一撃必殺のその場面を引き当てるための追撃戦であり消耗戦に。
(……斬り結ぶことが許されず、機動速度・斬撃出力・力場密度の切り替えが自在に可能なのは恐るべき力と言っていい。……尋常に正面からでは、俺も、勝ち目はないだろう。そして、こちらはブレードで撃墜してもならない。原型を残さなければならない)
或いはそれは、不可能に近いとも言っていい条件だろうか。
だが――――何にせよ、退く理由にはならない。任務として付与された以上は、全うしなくてはならない。
エディス・ゴールズヘア、サム・トールマンの撃墜。
それが叶わぬなら、最低でもコマンド・レイヴンたちの離脱を援護し、彼らから他の【フィッチャーの鳥】に都市空域への立ち入り禁止を呼びかけさせる。
いずれにせよ。
戦うしか、選ぶ道はない。
己の道は、いつも、そんな道だけだ――――全天周囲モニターに空域を映し出すコックピットで、空遥か敵機を補足しながら奥歯を噛み締める。
「フィーカ。加速倍率を三〇〇パーセントに修正」
『
「任せた」
『
「感謝する」
勝手知ったる、というものか。
開戦からの度重なる戦闘の末に、フィーカもこちらの戦い方というものを存分に把握している。
そしてコマンド・リンクスという機体は、こちらがアーセナル・コマンドに求めるだけの能力全てを持っている機体と言ってよかった。
機動性・加速性・頑健性・持続性・冗長性――――全てが高水準に纏まった
(懸念は負傷だが……条件は十分すぎる)
フィーカが戻り、機体も最新鋭。
あとは、こちらが行うだけだ。
一度、大きく息を吐いた。鉄錆が混じったような吐息。錆びかけの吐息。死にかけの吐息。
もしも生きて帰れたら、ヘイゼルに殴られるだろうか。緊急事態のために医師の安静呼びかけを振り切ったが、ヘイゼルが医師のように呑み込んでくれるとは限らない。
無敵の機体などいない。
いいや、無敵だとしても関係ない。
殺すまで殺す――――それが、狩人の狩りだ。
雲中のガンジリウムの散乱によって、レーダーは散漫なものになっていた。有視界下戦闘。それを決定される。
コマンド・レイブンたちの集団は動かない。
サム・トールマンの機体は未だにそちらに注意を払いつつ、こちらも抑えられる位置取りでいた。あの接近速度の機体相手では、生半な援護射撃が却って危険を生むと認知しているのか。それとも、今の彼にはそれを通すだけの技量や調子がないのか。
エディス・ゴールズヘアの死霊騎士は、その輝くプラスマのマフラーを棚引かせながら大雲を避ける形で大きく旋回をしてきた――――
敵機に正面を向けたまま、機体を側方に撃ち出す。大きく膨れ上がった雲に目掛けて。
『逃げられると思うか、
エディスの死霊騎士が、機体自身の背後に翼を向ける。
同時に正面に。プラズマの翼を槍の穂先めいて繰り出しながら、骨組みの死霊騎士が突撃を開始する。
こちらは、頷いた。
己の血で、猟犬の嗅覚は鈍らない。そう作り上げた。作り上げられた。そして、それを為したうちの一人は目の前の彼でもある。
雲に飛び込むことを、彼は逃げると言う。
更に、そこに飛び込むよりも先に仕留めようとする。
ああ、狩人よ――――お前の一挙手一投足は、お前を追い詰めるための罠だ。情報という名の、獲物なのだ。
敵の殺意を血の如く啜る。
それが、猟犬のための素質だ。
(逃げるためではない。――――逃さぬためだ)
突き込まれる攻撃に、正面上方へのバトル・ブースト。
迫るプラスマの槍を躱す。
瞬間――機体を半回転。進行方向へと機体側面を向けるような機動を取り、急減速を開始。平面マイナスのGを左右方向のGに変えるためのマニューバ。
エディス・ゴールズヘアとその乗機は、それでも鋭角の軌跡でこちらを追従してきていた。読めている。彼は雲中を厭った。つまり先程の突撃も、こちらを殺してなおも雲に突入しない手立てを持っていると。もう一発バトル・ブーストをする余裕があったのは、読めている。
こちらは、大いなる雲を正面に捉えるような軌道に。
エディスは、急加速でこちらを追跡するような形に。
だが、こちらは急減速を行った。彼がこのままこちらの軌跡をなぞるように追従を試みれば、速度の差で彼は確実にオーバーシュートする。
故に、先読みするしかない。
先読みして、こちらの行き先にあたりをつけて、そこに目掛けて同時にバトル・ブーストを用いるしかない。
機動マニューバ――――横向き急制動からの派生。
エッジブレイク――機体正面へのバトルブースト。つまり、このまま最大の加速で前方の雲に突撃する形。
バーティカル・エッジブレイク――横向き急減速からの上方へのバトルブースト。つまり、エディスの射線を直角に切る位置関係の構築。
スライディングターン――機体上体を横に引き倒しながら頭部方向への加速を行う。進行方向の完全逆転。つまり、エディスとの
クイックバックステップ・アンド・ムーンサルト――頭部を中心とした後方宙返りで機体後方への離脱。つまり、雲から離れる機動。
バーティカル・アサルト――機体下方へのバトル・ブーストと同時に脚部のみ上方ブースト。縦回転を行いながらマイナスGを抜いて機体下方に逃げるマニューバ。つまりは、これもエディスの射線を直角に切る位置関係の構築。
既に印象づけた。
雲中に逃げようとしていると、印象づけた。
その状態で繰り出すは、外側方へのバトルブースト。
減速してまで進むことを避けようとしていた筈の進行方向へのバトルブースト。急減速の意味を自ら失わせるミス・マニューバ。
そのレースでの使用者の名を関して、こう呼ばれる。
銘を――――アルテミス・ステップ。
『ッ、テメエ――――』
こちらが正面の雲に飛び込むと読んだエディスのバトルブーストを裏切る。
雲へと飛び込まんとするこちらを横合いから殴り付けようとしていたプラズマの穂先は空を切り、死霊騎士はその骨組みの機体の側面をこちらに晒した。
本来なら加速度はあちらが上のため、邂逅は一瞬も一瞬だろう。だが今は、推進剤を増加させ一時的に増速した。つまりは、側面をこちらに向ける彼と並行して走るような同航戦となる。
頭部を横に押し付けるような強烈なGに首が異音を立てる。左の首の筋肉が伸ばされ、右の筋肉が押し返さんと強烈に力が籠もる。
奥歯を噛み締め――――繰り出すは、一手。
「――――
敵機が揺らいだ。側方から殴りつけられて、揺らいだ。
そうだ。
これが、その機体の欠点だ。
『ッ、お前――』
「力場を密集させられるのが、仇となる。……どこまで防ぎきれる?」
『はっ! 教官相手に戦技を説くかよ、グッドフェロー!』
「貴官がそう感じるなら、既に技量は入れ替わっていると見るべきだろう。単純な理屈だ」
『抜かせ、猟犬!』
彼の側面を捉え続けるような同航戦のまま、雲をなぞるように飛び続ける。
エディスの機動方向は封じた。
彼とてアーセナル・コマンド用のマニューバを収めているであろうが、この状況では大きな意味を持てない。
必ず、こちらに来るしかない。雲には向かえない。全身を覆う力場を持たない、或いは持てても最小限であるというのがあの機体の問題なのだ。水滴を多分に固めた雲中には入れない。
あとは、機先の読み合い。
先んじてバトル・ブーストを行った方が追い付かれて喰い破られる。これは、そういう勝負だ。俺が今の彼へと斬りかかれば、それを躱した彼が――雲中への突入により減速と力場減衰を余儀なくされたこちらを返す刀で仕留めにかかるだろうし、先に彼がバトル・ブーストを行えばルートが絞られたが故の反応速度上昇から追い付ける俺が彼を仕留める。
もう、こちらがブレードで斬りかかれぬとは彼も考えてはおるまい。
死ぬぐらいなら、負けるぐらいなら、ブラックボックスごとエディスを葬ってもう一騎に向かうと。そう考えるだろう。その通りだ。
景色が側方目掛けて矢の如く流れていく。
同時に彼は、考えるだろう。
バトル・ブーストでの近接攻撃ではなく、この位置関係のままの
フィーカが、推進速度を必死に保つ。
こちらを超えた力場集中によって通常速度も頭抜けた死霊騎士を、側方への移動ながらに追い縋る。捉え続ける。
小さな雲が手足に当たって弾ける。それでも死霊騎士を白雲との間に押し付けるように、その形をなぞるままに進み続ける。林檎の皮剥きのように。
電力のリチャージは済んだ。
行おうと思えば、全力の力場投射を叩き込める。
果たして、
(――――引き伸ばしたな。防御を)
プラズマの円錐大盾で全身を覆うかの如く片方の翼を広げた。
同時、その大盾が回転する。進行方向へ側方を向けるように。いつでもフルブレーキは効かせられるという、そんなメッセージとして。
最も加速に向いた正面向きを諦めた。こちらを振り切れないと判断したか。先行量産型であるコマンド・リンクスの出力は、彼の機体に部分的に匹敵すると伝わったか。
そして、もう片方の羽が――――プラズマのマフラーが、並走するこちら目掛けて繰り出された。
当然、そう来る。
その瞬間、右のブレードを放った。
力場の加護なく、プラズマカノンとして放った。
一切の収束を行わずに射出されたプラズマとの衝突で、繰り出されたプラズマ・マフラーの力場が乱される。
そうだ。
それはあくまで、ブレードとの衝突を前提にしている。
相手の力場によって彼のプラズマ・マフラー自体の斥力力場が低減されたその上で、力場の加護を失った敵のプラズマブレードの刃を吸い集めるのだ。マフラーの力場が弱められなくては、プラスマの蒐集も不可能だ。何も力場での加護を受けていないプラズマとの衝突は、考慮されていない。
そして、
「冷却材を!」
『
狩人の全身が、白煙に包まれた。
機動のままに横に棚引いた。
それでも、熱された液状金属を急冷却するほどの冷却材だ――――寒暖差で宙に生じた突風、更に温度変化による飽和水蒸気量の変化で宙に生じた水滴が、プラズマ・マフラーの力場と衝突して圧を乱す。
重ねて、プラスマカノンとして噴射されていたガンジリウムも冷却により金属粉として銀の煙となって漂い、プラスマ・マフラーの力場を削り取る。
トドメに――
「フィーカ!」
『
集中させた
互いの力場の衝突に強烈な空振が走り、その衝撃波が空間に吹き荒れる――――同時、奥歯を噛み締めて行うバトルブースト。
余波で生じた一時的な真空。
ここならば、
残影すらも振り切るかの如く狩人が空を裂き――――迫るプラズマ・マフラーを紙一重で躱しつつ、そこに目掛けて振り下ろす左のプラスマ刃。
「――――こういう使い方も、できる」
まさしくそれは、敵の翼を断ち切る一閃となった。
同時、力場出力を変更。先程までの意趣返しのように宙に飛び散るプラズマの羽根を、こちらのブレードが収集する。
電力を注げば、その分、このブレードの力場は鋭さを増すだろう。抑え込むための力場も相応に必要となるが故に持続性に欠けるが、機体全身のガンジリウム圧縮円筒と蓄電装置の電力すべてを吐き出せば短時間の維持はできる。
つまり――――もう一方の翼も、今なら労せず断ち切れるのだ。
恐ろしい機体ではあるが、その身のガンジリウムをプラズマ・マフラーに完全集中させることが逆説的な弱点を生んでいた。
「諦めろ、エディス・ゴールズヘア。一度趨勢を崩されれば、逆転は叶わない。……それはあくまでも優位のまま押し切るしかない、ハリボテに等しい欠陥機だ」
片羽根をもがれた状態では、最早、ここからの逆転もままなるまい。
鋭く強い刃であるが――――ただそれだけだ。
その刃が砕かれることを想定していない。一度流量が低下してしまえば、取り戻すことは極めて困難であるピーキーな機体と言っていい。
一体、何をコンセプトにしたのかは知らないが……現状の技術でそれを再現することは不可能であったのだろう。故に、こんな、不完全な継続戦闘の機体となる。
「これ以上続けたところで、結果が見えた戦いだ。……貴官のその機体は、推進剤を省いて流体ガンジリウムに替えた機体と推測する。……つまりもう、今以上の出力は生み出せない」
『……』
「俺の戦闘力は変わらない。先程よりも劣る刃で、こちらを打ち取ることは不可能だ」
互いに正面を向けあったままの軌跡の中、そう告げた。
未だに、不利はあちらだ。
ここからなら如何ほどにでも決着を付けられる。
それが理解らぬエディス・ゴールズヘアではあるまいと目を細め――――
『確かに――お前とやり合うなら、
「……何?」
『三分間だけ付き合ってやるよ、訓練生。あの日みてえにな』
その言葉と共に――骨組みの機体の全身を、プラズマの片羽根が包み込む。
そして生まれたのは、信じ難き姿。
「プラズマの……巨人……」
全身を一個のブレードに変えたように光を放つ人型が、そこに居た。
◇ ◆ ◇
不揃いな雲が作る空中の山々の谷間で、透明の波紋が連続する。
典型的な機動戦だ。それも互いの兵装が近接白兵戦に限定されているが故の、
戦闘機というものが空から失われたそこで――――互いに元パイロットが、在りし日の空の戦いを演じる。
加速圧に歯を喰い縛り、息を呑む。レーダー警報。背後を、抑えられている。
いつ来るか。
死線だ。
殺気とは、つまり、互いの呼吸の間だ。拍だ。殺せるタイミングで放つものは、全て、殺気を帯びる。否――それを、殺気と呼ぶのだ。故に機械だろうと達人だろうと、殺気はある。戦闘経験に裏打ちされたこちらの嗅覚はそれを捉える。
敵の姿が掻き消えると同時に、振り向きざまにこちらが抜いたプラズマブレードが弾けた。飛沫の如く散る熱光と、衝撃波。機体の速度が殺される。応じたカウンターの左の刃が空を切り、そして、右の刃は簒奪された。
相手は、また、空に消えた。届かぬ位置に逃げた。
決定的な場面までこちらを追い越すオーバーシュートがないようにジグザクに飛行するそれは、全身のプラズマもあってまさに雷めいていた。
それに比べれば、こちらは、無様に蛇行するように逃げるしかない。先ほどと違って雲に飛び込まぬように注意を払いながらも、決して直線的な動きにならないように、運動を多用する。そのたびにかかる旋回圧に歯を喰い縛る。
先程の形態よりも、全身を覆うプラズマの力場の分だけ敵機の機動力は上がっていた。速度の代わりに、自在なる機動性を確保した。
「……」
人機同士の一対一の空戦。
バトルブーストの回数と速度、移動距離の違い。
無論、どちらも相手が上だ。
かつての専門を言うなら、彼はパイロットとしても凄腕で新型兵器の教官に喚ばれるほどで――一方のこちらは訓練生。純粋な空戦技量にすら差がある。
無論、戦闘機ではなくアーセナル・コマンドというならこちらが経験で勝るが。
それでもこうなってしまえば機体の性能差は如何ともし難く、こちらの通常バトルブースト二発分であちらの一発に相当するか。そして、彼の方が上限回数が多い。
空戦で上回るのは、土台、無理な話と言っていい。彼の方が――――より上位の加速者であるのだ。
つまりは、凌ぐしかない。
力場で全身を覆うプラズマを抑えつけつつ――そのプラズマにて力場を生み出すための発電を行っているというのなら、必ず、限界はある。発電装置や機体フレームが、抱えた己がプラズマの熱に融解するという限界がある。
尋常なる勝ち筋は、その一点か。
あとの全ては、己の死しか導き出さぬであろう。
あとは、如何に凌ぐかだ。
「《
奥歯を噛み締め、フィーカに命ずる。
敵にプラズマ刃を奪われずに防御するには、これしかない。
だが……
『電力で、力場出力を補う……か』
「……ッ」
『猟犬特有の戦い方だが……それがいつまで保つ?』
ブレード殺し。
そう呼んでいい、その力。
切り結べば切り結ぶだけ相手の刃を奪い、鋭さを増す。
これを前に近接戦闘を成し遂げられるものが居るとしたら、それは紛れもなく頂点と呼んでいいだろう。
恐るべき力だ。
そして――先ほど目にした断面を剥き出しに斬り落とされた【ジ・オーガ】の両前腕を見るに、きっとシンデレラはこれにも互角ないしは勝利したのだろう。
こんな圧倒的な機体にすらも、彼女は、事実上の勝利を遂げたのだ。
(……シンデレラさん。もう俺では、貴女に追い付けないかもしれないな)
彼女が、強いからだ。
このような特異機体にも。大軍にも。或いは、自分やヘイゼルのような
彼女は、勝てる。それだけの強さを持ってしまったから……あの光り輝く少女は、戦場から逃れられなかったのだ。戦場が、彼女を逃してくれなかったのだ。
俺は、あの人を、その因果から解き放てなかった。
誰よりも愛しいあの人を。
幸せになってほしかったあの人を。
俺は、守れなかった。
何も、できなかったのだ。あの人の運命に。
「……無謀か」
『ようやく判ったのか? 観察眼が錆び付いたか、猟犬』
「貴官のことではない」
『あん?』
言っても、伝わらぬだろう。
高速で過ぎ去る岩肌めいた大雲の表面をなぞるように飛びながら、操縦桿を握り締める。
己は、及ばなかった。及ばないということが、証明されてしまった。
(それでも、俺は――――貴女が戦わなくてもいいように……貴女たちが戦わずとも、生きられるように……)
だとしても、歯を喰い縛る。
(どこかの誰かが、どこかの誰かのまま……誰でもない一人として生きていていいように――――――!)
――まだだ。
まだ、ここではない。ここは終わりではない。こんな場所を終わりにする気はない。
戦うのだ――――――戦いのその果てに、戦いしかなくても。
それでも、戦うのだ。果てのその先に向かって。
それしか知らぬなら――――――そう翔べ。
そして、
「……!」
空の向こうのサム・トールマンにも僅かに目をやったときに、考えたくない光景が飛び込んできた。
コマンド・レイヴンたちが、その手の銃を構え直そうとしている。
こちらではない。
サム・トールマンに向けて。
彼らは、この戦いに――――ハンス・グリム・グッドフェローの味方として参戦することを決めたのだ。
苦戦するこちらを見捨てられず、銃を片手に援護をしようと決めたのだ。
彼らは、俺を、助けようとしているのだ。
(……ッ)
咄嗟に――フィーカに命じ、レーザー通信を起動する。
エディスたちには拾えぬ交信のまま、呼びかけた。
「……俺を撃て」
『!? ですが――』
「こちらからの許可だ。不法は問われない。……このままでは、貴官たちも凶刃にかかる恐れがある。少なくとも、あちらへ恭順する素振りを見せるべきだろう。向こうの役に立っている間なら、落とされもすまい」
二機を抑え込むつもりだったが、サムまでこちらに惹きつけられなかった。そして自分は、エディス一機にかかりきりで空中戦を強いられている。
尋常に戦えば、如何に第三世代型と言っても即座に喰い千切られよう。そんな最新型を相手に。
こうなってしまったのは、俺のミスだ。一撃で出会い頭に殺せなかった。即死させられなかった。そうなる負傷をした。その愚かなる怠慢のツケだ。
彼らを付き合わせる訳にはいかない。
『っ、わ、わかりました……では牽制射撃と、せめて射撃方向の伝達を――』
「必要ない。撃ち落とす気でやっていい」
『!? そ、そんな無茶を――』
無茶ではある。
最新型専用機の二機に加えて、最新鋭量産機の一個中隊だ。そうなれば、サムもこちらに完全に向かいかかるだろう。だが、
「複数機体との戦闘は、こちらの得手とするところだ。あくまでも彼らを友軍として――その通りに、通常通りの戦闘を実施してくれ」
むしろそうでなくては、こちらも、回避が行い難い。
『りょ、了解しました……それがグッドフェロー大尉の助けにもなるのですね……!』
「……! ああ……!」
話が早い。
エディス・ゴールズヘアの機体は、どうも、際限なくバトルブーストを可能とする機体に思える。
予期せぬ弾幕が加われば、その機動を制限できる。
時間を稼ぐことは、より、容易になる筈だ。勿論――こちらはより断続的に火力に晒されることにもなるが。
再び、意識を機動に戻す。
川に浮かんだ岩めいた雲たちを障害物に、二頭の蛇が喰らい合うような戦闘機動に注力する。バイタルサインは、あまりよろしくない。
『で、ですが……グッドフェロー大尉!』
「なんだろうか」
『か、勝って――いえ、せめて生き残ってください! 貴方も……貴方だって、誰かが祝福した大切な命なんですよ!』
「――――」
指を何度か動かし、操縦桿を握り込む。
「承知した。……ありがとう、皆」
奥歯を噛み締め――空を睨む。こちらを揺さぶるようにバトルブーストを連続させる機体を。
不利だ。
危険がある。
だとしても――――――。
殺させない。
殺させて、なるものか。
ただの一人も。
どの一人も。
殺させて、なるものか。
◇ ◆ ◇
全力を出せていないと――――エディス・ゴールズヘアは、己の機動をそう認識していた。
あの、シンデレラ・グレイマンとヘイゼル・ホーリーホックに行った際のような無制限の連続バトルブーストを実行できていない。絶影の歩法とあっては、流石のグッドフェローもこうも生き延びられない筈だ。
それを、行えていなかった。
いま現時点では、多少はバトルブーストを連続させるだけのブレード攻撃無効機体程度にしかなっていない。
理由は、判っている。
あの強烈な格闘攻撃で、揺るがされた。
死んでいたと、エディスはそう思う。
そこからも、そうだ。
どの攻撃も、即死を生むに等しい一撃たちだ。一挙手一投足が、殺人に最適化されている。
先行改修機とはいえ量産機で、次世代型のワンオフ機を撃墜しかけたのだ。文字通りに。
(なんなんだ、コイツはマジで……いい加減にしろよ)
格闘戦で完全に上をいかれた。この男がエディスのようにシンデレラ・グレイマンとのあの近接戦闘になっていれば、彼女に切り札を使われる前に殺していただろう。
徹底的に鍛錬された揺るがせない鋼の武。
紛い物に脅かせる鉄の英雄ではない、と告げられた気がした。
少なくとも、その際立った持続性と継続戦闘能力故に、戦闘回数という意味ではこの世の誰をも凌駕していた。メイジー・ブランシェットも、ヘイゼル・ホーリーホックも、ロビン・ダンスフィードさえも。
(だが――――そこまでだ。お前は、そこまででしかない)
雲間を映し出す全天周囲モニターを睨みながら、エディスはそう頷いた。
文字通りの桁が違う戦闘回数に及びながらも、グッドフェローは彼らほど隔絶した技量を持ってはいない。単純に、その豊富な戦闘経験に比例した技量でしかない。
成長率や素質は、常識の域を出ていないのだ。戦闘回数が非常識が故に技量もその領域に達しているが――……他の素質ある超越者が同じだけの経験を積めば、より隔絶した差として現れるだろう。
そこが、弱点だ。
あのヘイゼル・ホーリーホックやシンデレラ・グレイマンのような土壇場での覚醒は起こり得ない。つまり、決定的な差を前に覆せるだけの手段は彼にはない。
飛び交うミサイルやアサルトライフルの弾丸が、眼下の空を彩る。
その中心で踊る狩人へ、エディスは静かに語りかけた。
「味方に銃を向けられる気分はどうだ、グッドフェロー」
『銃を向けるなら、敵と呼ぶべきだろう。その時点で味方とは到底呼べない』
「はっ……流石に割り切ってやがるな、猟犬」
片笑いを浮かべながら、モニターを横目に眺め――冷静な瞳のエディスは言い切った。
「サム。……そいつらに首輪を付けろ」
「きょ、教官!? だ、だが――……友軍で……!」
「ここで俺たちの味方をする、そのこと事態がおかしいだろうよ。ああ――まあ、グッドフェローの奴を不利と見たってんなら判らなくもねえが、どのみち邪魔だ。お前が使った方が、役に立つだろうさ」
宙を裂く砲撃は続いている。
爆炎が空に広がり、グッドフェローはその回避に集中していた。
確かに、それだけ見れば掛け値無しでコマンド・レイヴンたちは彼を撃墜にかかっている。そう見える。
だが……
「ま……待ってください! 我々は、友軍です! そちらの指示に従います……!」
「グッドフェローは、お前らを庇ってたってのにか?」
「っ、それは――」
言い淀むコマンド・レイヴンを前にエディスは小さく頷いた。
「……まあいい。なら、連携方法はこちらが指定する。ブレードを使え」
「――!?」
「波状攻撃を仕掛けろ。アイツを休ませるな。ドミナント・フォース・システムで衝突は避けられるな? 徹底して近接攻撃を仕掛けろ」
そう、ハンス・グリム・グッドフェローの殺し方とはそれだ。
卓越した戦闘経験による技量と鍛え抜かれた頑健なる肉体を持つも、限度がある。無限にバトルブーストを使い続けることもできなければ、常に最高出力を出し続けられる訳でもない。
彼は、巧みなのだ。
できる限り長く戦い続けるために、敵の心理や機動を利用したテクニックを使っているに過ぎない。
何もなく無限に飛び続けられる怪物ではない。
アレは、ただの、人間だ。
射撃戦では、そのテクニックを活かされてしまう。
次から次へと死を恐れずに連携した近接特攻を仕掛け続けられれば、常道ではないその攻撃を前には彼の経験も揺るがされる。
本来なら、それは、常道を外れた奇策どころか――次々にただ片端から一撃で斬り伏せ続けられるだけの無意味な特攻にしかならないだろう。
だが――――エディスの推測が正しいとしたら?
『どこまで堕ちたのだ、エディス・ゴールズヘア……!』
「……何の話だ。友軍と協働して、お前を仕留める。あの処刑人相手には、これだけやって当然だろうが」
『……』
やはりか。
連続した機体による近接攻撃は、斬り伏せて切り抜けるしかない。
そしてそれは、今のグッドフェローには選べない。
果たして、彼は機体を開けた空に移動させていた。集団に狙われやすく、しかし、万一の際の衝突事故も起きないような青空に。
『案ずるな。……ただ生き延びることだけを考えろ。君たちは、いつか、その手で誰かを救うだろう。どこかの誰かを、救うだろう。それは、明日を救うだろう。……君たちの命はそんな命だ。もう君たち一人のものではない。善き兵よ、生きることを考えろ』
穏やかに言い聞かせるような声。自ら磔刑に向かう聖者の声。
殉じるか。
善き民に、殉じて死ぬか。
繰り出される短剣を避けられず、無辜の兵を前に、死ぬか。
――――いいや、いいや、否だ。
グッドフェローはそうなれば、どんな相手だろうと斬り伏せて進む。アイツに、己が負けて終わるという選択肢はない。まず少なくとも、そこにいる
必ず、刃で応じる。
そうして片端から仲間を殺された彼らが、どうするか。グッドフェローを恨むか、エディスを恨むか。
後者なら、エディスとサムも、自己防衛のために撃ち落としたという大義名分が立てられる――――――だが、
『それに――――――――俺は、この程度では打ち砕かれない』
頑然と言い切る鉄の英雄。
それは、決して、折れぬと告げる響きだった。
何者もこの青年を砕けぬと、そう思わせる声だった。
或いはあのシンデレラ・グレイマンならばこの策にて打ち崩すことはできるかもしれないが――――ハンス・グリム・グットフェローは、これでも揺らがなかった。
それでも揺らがなかった。揺らごうとしなかった。
あたかも、彼女では拭えぬ敵を叩き潰すかの如く。
彼の技量では、そうなっての逆転は叶わぬというのに。
そして、
『
青遠き蒼穹に、魔剣が――――――開帳された。
◇ ◆ ◇
奇しくも――――という言葉を使っていい。
ハロルド・フレデリック・ブルーランプからその身の秘密を打ち明けられたときに、衝撃を受けたのだ。
コンラッド・アルジャーノン・マウスの作り出そうとしていた
この世界に生きる以上、やはり、目指す先は同じか。
そのことに奇妙な感覚を覚えつつ、呟く。
「……フィーカ、汚染を鑑み、念の為、コンバット・クラウド・リンクからの遮断を」
『
既にここには電波障害が立ち込めているが、万一もあり得る。それは深刻に軍用ネットワークへの電子破壊となってしまうだろう。処分もあり得る。
できる限り、使う気はなかった。
だが――――最早、
(猶予はない。……ここで解き放つしかない)
本来の計画の形とはまるで異なる。望む形のものでもなければ、材料も到達点も異なっている。否、そもそもからしてそれはあくまでも副産物に過ぎぬのだ。
だが、今、必要性が生まれた。
また、一時的に条件が整っている。
一度目を閉じ――……改めて開き、告げる。
「
脳に響く電気信号=電脳の同居人の声。
【ます、たー! ます、たー! ます、たー! ますたー!】――――兵器が、喜びを叫ぶ。
ホログラムとしてコックピットに浮かび上がった
力場が蠢く。
それは、あの、メイジー・ブランシェットのような。
暗殺された彼女の撃墜前の戦闘映像を幾度と見て確認した、力場の流動性を完全に制御する
「――――……」
不可視の領域が胎動する。
あのアーク・フォートレスが有していた恐ろしい力場掌握能力と操作能力が、こちらの操縦について十二分に認知したフィーカとの協働にて、ハンス・グリム・グッドフェローの操る古狩人への最適化を為されていく。
本来の己なら決して持ち得ない力。
意のままに、或いはそれさえも超えて――宙に波打つ。空気を歪める。焔のように。嵐の予兆のように。
降り注ぐ弾丸が、次々に空中に静止する。
不可視に
時間が停止したかの如く、虚空に足を止めた数多の砲弾。凍りついた戦場の鉄火。
その中心に、己はいた。
バトル・ブーストでの突撃を封じる空域結界。敵弾を利用した空中障害物の結界。
――――――これで、妨げられない。
ヘルメットと
奇妙な高揚感。
逸脱した全能感――――或いはその予兆。
今から己は、己の枷のあちらに向かう。
それを、喜んでいるのか。嬉しんでいるのか。愉しんでいるのか。
内なる獣性は、それが高揚と愉悦だと、思い込もうとしていた。
それでも……何にせよ、
「速やかに投降しろ。最早、貴官らに生存の目はない……本来とは違う粗悪な模造品だが、欠陥品たる貴官らを殺すには十分だ」
『随分と言うじゃねえか、猟犬』
「単なる事実だ。方向性が近似する以上、及ばぬ貴官らでは俺に対する勝ち目はない」
『近似……? いや、お前、やはり、まさか――』
何かに感づいたようなエディスの呟きに、頷き返す。
「見るがいい。――――お前たちの果てを」
ああ、それは、さざなみに似ていた。
或いは、遠き雷鳴にも思えたし、讃美歌でもあった。
生誕を待ち侘びる異形の泡の弾ける音や、粘液の滴る音色でもあったのかもしれない。
身の内の血潮が、奇妙に揺らめいていた。
これから――――己は一つの機能に近似するのだ、と。
即ち――――――。
こちらの操縦特性を把握した管制AI【プロフィシオ】。
常を超えた力場精密操作を可能とする【
そして、強制的に書き換える接続率【一〇〇%】。
その三種を束ねて――――至るべき場所は、一つ。
科学技術が、戦闘経験が、研鑽が、錬磨が、道程が、摂理が、理念が、全てそこへと指向される。
「――――
最後のキーたるその言葉を告げる。
己の身体が古狩人そのものの大きさに拡張されたような、薄ら寒い開放感。
灰色の雲塊に塗れた空の上で、ついに、己はそれに辿り着く。
機体が如何なる状態でも万全に扱えるという彼女らの力を、開戦から余人を超えた出撃回数によってあらゆる他者よりも戦闘経験を蓄積した【プロフィシオ】による管制補助と接続率【一〇〇%】によって疑似再現。
自分自身の状態に限らず万全を発揮するという点は、己の肉体に与えられた不調を己が機械だ――と機体との合一により踏み倒す。
そして、
それらの果てに、ハンス・グリム・グッドフェローは、今――擬似的に
「
彼女たちが自己と他者との接続の拡張を指すなら、己はどこまでも断絶だ。何とも繋がることのない空虚なる断絶だ。本来のハンス・グリム・グッドフェローというその断絶の内にある。
故に己は断絶のまま、自己の定義だけを拡張する。
己と呼べるものを拡張する。
争いの歯車と化せ。砕けぬ歯車に。決して砕けぬ歯車に――――いつの日か、全ての歯車を己に変えるために。
己は、それを、呑み込まねばならない。
異なる始まりから。
異なる経路で。
奇しくも、同じ果てを目指す。
――――――――――――――否、否、否だ。
こんなものは果てではない。
この程度が果てである筈がない。
俺は、ここでは、終わらない。
まだだ――――――――この先に、この向こうに、この遥か彼方に。その永劫の彼岸にこそ輝ける極光へ。
あの娘たちが。
どこかの誰かが。
全ての誰かが。
ただ当たり前に、そこにいる人として生きられるように――――。
使え。そのすべてを。何もかもを。
永劫を踏破し、彼方の空へ。
無限の地平の果てでも飛ぶために。
その彼方へ。
何もかもの向こうへ――――――――――――。
「
バイザーに閃光が灯る/失われた右眼を取り戻す。
機械の/肉体の視界を。
五体の損傷が消失する/ただの一部品であるが故に。
己はただ、一個の殺戮に変わる。
鉄と炎の嵐に。
斬撃と死の嵐に。
破滅と殲滅の嵐に。
『な――――……』
空域に磔にされていた弾丸が次々に折り畳まれる。
その内部に向かって。
自らを拉げさせていく。深海の重圧に粉砕されるように。不可視なる怪物の毒牙に咀嚼されるように。
或いは内側から膨れ上がる。外に向かって。おぞましき赤子が胎動するように。鋼鉄の胎を喰い破って生誕するべく。
何にせよ、全てが狂ったように嗤っていた。
磔刑のままに破壊されていくそれらは小刻みに振動する。甲高く身を捩っていた。嗤っていた。それとも怯えているのか、祝いでいるのか。
『ッ、それがお前が埋め込んだ聖釘の力か……!』
プラスマ塊がこちらを目指さんとするも、問題はない。
既にその歩法は不可視ではなくなった。
哨戒機の如く空中で足を止めた砲弾たちが、彼の行手を明示する。どう動こうとそれらに接触し、彼の行き先を己に伝えてくる。
届かない。
間に合わない。
それが理解る――――――ああ、貴様は既に詰んだ。
戦場の不協和音。
鉄火の協奏曲。
命なき者の甲高い絶叫/悲鳴/喝采――それとも歓喜。
万雷の破壊の歓声の中、切り替えは完了した。
「――――――――……」
宙に静止していた弾丸が、糸を切られたかの如く一斉に落ちる。止まった時が、雨の如く動き出した。
複合的に蠢く力場は狩人の周囲の大気を圧縮し、陽炎めいて光を屈折させる。
無色に燃え盛る炎じみて、或いはジェットエンジンから吐き出される熱風じみて、透明の濃淡を得た圧縮空気が己の五体の外で吹き荒れていた。
本義ではない模造にすらならぬ寄せ集めの再現品だが――――殺すには、十分すぎる。
伏して仰げ。
これが――
「
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