第160話 狩人狩りの聖者、或いは銀腕の代理人(前編)
その声は、まさに、底冷えする死神の声だった。
造反者殺しの
あの大戦に縁深き者なら、耳にしたことがある筈だ。
かの【
大勢での勝利に伴った緊張の緩和に伴った――或いはそれまで戦力収集のために見逃されていた友軍による軍旗違反。そして、地上での大規模敗戦によって統制が乱れた敵軍による戦争犯罪。
それらを取り締まるべく、法の女神の剣として働いた処刑人。
そうだ。
友軍殺しという汚名を、英雄という勲章で打ち消させるために行われた懲罰の執行者。神罰の代理人。
『繰り返す。武装を解除し、速やかに投降せよ。でなければ――――強制力を執行する』
それは、死の宣告に等しい。
後に死ぬか、ここで死ぬかを選べという言葉に等しい。
初めて理解する。
彼と真の意味で敵として対峙することが、こうまでも、恐ろしいとは。
サム・トールマンは――静かに、その背を震わせていた。
最強に挑む、そのつもりだった。その領域に辿り着かんと願った筈だった。
しかし、共にその理想を掲げた少女は帰らず……あまつさえ最強というその力によって汚れ仕事を背負い込み、そしてまさについ先程、隔絶した力の差を見せ付けられた。
そこで、来た――――圧倒的な死の重圧。
口腔が乾いている。
サムに判ったのは、それだけだった。
一方――――エディス・ゴールズヘアは、違った。
(……大規模なプラズマ兵装の使用?)
その灰色の眼差しを強め、彼は、冷静に脳を回した。
(見られたか? ……いいや、そんな訳がねえ。そうならグッドフェローは、その場で取り押さえにかかった筈だ。あの街に居たなら、そこで仕留めにかかってる……)
淡々と告げられた言葉を咀嚼する。
ハンス・グリム・グッドフェローへの対応は、単純だ。少なくとも戦場で口に出された言葉に嘘はない。法的な意味合いを持つ勧告について、この男はご丁寧にも逸脱しない。そういう奴だった。
その点から、彼の背景を透視しようと試みる。
僅かに黙し、逡巡した。どの程度の確信と共に――そしてどんな命令に基づいて、どう行動しようとしているか。
それに対して、どう応ずるべきかを。
(いつまでも出てこねえと思えば、街を離れてやがったとはな。……その間に本国と通信をした、ってところか? なら――……だったらどこまでを伝えてる? 俺が使ったところまでは、もう……か? それとも、砲撃を見たのは通信の後か?)
思考が回る。
寸暇も惜しんで、兵士としての脳が動く。
(いや……そうなら、何を根拠に動いてる? 別の形で何らかの交戦規定でも受け取ってやがるのか? 状況証拠から俺たちが兵装の主と考えたか? それとも、まさか、国はこれに乗じてこっちを消しにかかってる?)
必要以上に相手に読み取らせないという断絶的な態度を前に、コックピットのエディスは口を噤む。
(いや……何でもいい。ここは大人しく投降しかねえ。下手にやり合うより――『確かに禁則処理だが』『こちらは急迫不正でやむを得なかった』と運んで、水掛け論で長引かせる。相手が【
そして、兵士としての合理性から判断するならば、ここで張る意地もなかった。
あの場でシンデレラ・グレイマンやヘイゼル・ホーリーホックを撃墜することには大いなる意味があったが、既に本国と通信を行い最新の情報を伝えた上で指令を受けた男とやりあっても仕方がない。それは明白に、
その点で、エディス・ゴールズヘアは軍人らしい思考を失ってはいなかった。たとえグッドフェローという死神を前にしても、乱す心は、彼にはなかった。
ここは、コンラッド・アルジャーノン・マウスの持つ伝手と政治的な圧力に任せるがいいか。
ハンス・グリム・グッドフェローの弱点とは、そこだ。
明白な法の逸脱を行えない。彼の首には常に首輪が巻き付き、その鎖が垂れている。彼自身が、その、法という鎖を引き千切る手段を選べないのだ。仮にあのレヴェリア会談を見てメイジー・ブランシェットの暗殺疑惑に思うところがあろうとも、法の枠を超えて刃は向けられない。
彼の教官を務め、そして自身も軍人として士官として過ごしたエディス・ゴールズヘアには、サムのような焦りはなかった。
それから、集積したプラズマ・マフラーを解除しようとした――――そのときだった。
ふと、エディスの脳裏を過るものがあった。
(……チッ。寄生虫のロックウェルが)
法廷。裁判。
まさについ先日、そこに、足を踏み込んだ男がいた。
眼の前のグッドフェローと――そして、ヘンリー・アイアンリングを。その二人を引き摺り出して暗闘を行おうとした政治的軍事屋。
軍法の場に政争を持ち込める男が、居るのだ。
これは、単なる二勢力や三つ巴の戦いではない。より複雑に、多頭に、そこには力学が付き纏う。
(シュヴァーベンがくたばってるってんなら、ゾイスト特務大将の太鼓持ち程度は怖くねえ。奴だって身の程を弁えるだろうよ。だが……あっちにはフレデリックを出してる。そう簡単に母艦が落ちるとも思えねえ)
元々は、あの、マレーン・ブレンネッセルを抱えたゾイスト特務大将への一手の筈だった。
彼女を護衛に置いたままにゾイスト特務大将がコンラッドを排除にかかった際に――【
それは、本来ならば爆弾や人質めいて――……だが事ここに至っては、逆にシュヴァーベン特務大佐の命を保証する盾となってしまっていた。
よほどのことがない限り、シュヴァーベンは、戦場では死なないと見ていい。他ならぬコンラッドの一手が、そんな意味を生んでしまっている。
(……最悪なのは、シュヴァーベンを頭に立ててロックウェルがこっちの締め付けに来ること。そうなりゃあ、ヘンリーの坊主とさっきの俺の分で【
完全なる政治的な闘争となってしまうと、幾らコンラッド・アルジャーノン・マウスがその身分と手腕にて軍部に深く根を張っていると言っても……現時点では、些か分が悪いと言えなくもないのだ。
この戦役は、奇跡的に成り立っている戦役だ。
大国内部での――それも民主主義国家内部での、軍部同士の分裂を伴った衝突。あの戦後の政治権力闘争の意味も相俟って、かろうじて水面下での殴り合いという状態に建前を付けられている。
故に、この機に動き出すためにはコンラッドでさえ取り零すところがあった。常に最適解を打ち続けられる訳ではなく、どこかで冒険や拙速を伴わなければならない場面がある。まさしく、フレデリックを送り出したように。
万全なら――……ゾイスト亡き後の権威を掴むのがコンラッドである算段は高いとしても、現時点ではこちらも制約を受けている。いや、弱点じみた勘所があるというか。
(……ったく、事実、あのシュヴァーベンのハゲ野郎が居たら【
その一つが、時間だ。
この戦役のすべてが終わる前に、コンラッドが玉座に座ることが間に合うのか――――という問題だ。
この星暦でも有数の、大軍を大軍として運用できる男。
そんなコルベス・シュヴァーベンを押し退けてまで頂点の椅子に座るのは、難しい。いや、最終的にヴェレル・クノイスト・ゾイストという後ろ盾がなくなったシュヴァーベンはその山ほどある問題行動からどうとでも失脚させられるだろうが、果たしてこの危難に対して本国がそれを許すかという点と――何より、あのシュヴァーベンは前線の将兵の支持が強いという点。
不信が残るような形で即座にその座を奪うのは、コンラッドとて難しいのだ。少なくとも、一定の支持を取り付けるか混乱に乗ずる形で【フィッチャーの鳥】という勢力を手中に収めなくてはならない。
故に、
(ここは、あの街と違って通信も広域には届かねえ……やるなら今だとも、言える)
エディス・ゴールズヘアは、計算する。
既に単なる前線士官ではなく、隊の副官として高級将校が持つような視点と共に。
彼は、軍人だ。
目的のためになら、どこまでも冷徹になれる。そんな面を磨いた。そんな、歴戦の軍人だった。
【ジ・オーガ】は、未だプラズマのマフラーを纏っている。
この形態にとっては両腕の損傷はさほど問題にならず、機体性能は上。圧倒的に砕けぬ個という意味では、相性でも上回る。
果たして、彼の選択は――――――。
◇ ◆ ◇
眼帯に覆われた右目の分、視野が遮られている。
コックピットを覆う全天周囲モニターの向こうに広がる空には、魔界の沼から生じた瘴気やおぞましい昆虫の群れめいた暗雲が蠢いており、フィーカによってピックアップされた中心映像では複数機のアーセナル・コマンドが編隊を組んで滞空している。
僅かに大気の香りを嗅ぐように鼻を上げ、それから、眼帯で覆われぬ方の瞳を一度閉じた。
自分は、再び、空に居た。
ヘイゼルが出撃したあの後に個室に現れたウィルヘルミナ・テーラーとの、ある種の会話とも交渉とも取れぬようなやり取りの後に。
そこで得てしまった機体に乗り込むことのやむを得ない必要性から――――古狩人に搭乗した状態で、大戦時に利用された地下通路区画を移動して街の外へと離脱。
大気の流れからガンジリウムを含んだ雲が薄い領域を定め、所要を済ませ、一時的に確立された本国との通信から新たに与えられた任務に従う。
そのうちの一つが、これだ。
「――――サム・トールマン、エディス・ゴールズヘアだな」
集団を形成したある種の造反者。騒動を齎す部外者。
その鎮圧と処刑が、己の役割だ。
あの戦時中と変わらない。
可及的速やかに――――パースリーワース公爵、アームストロング大統領、モルガン首相の安全を確保すべく。
あらゆる戦闘行為とその助長となるものの、粛清を。
あの街に混乱を齎すものへの、予防を。
つまりは、死と殲滅を。
「速やかに投降しろ。市街地上空での戦闘行為についての問責がある。都市近傍での大規模なプラズマ兵装の使用について、幾つかの法令に抵触している。機体を捨て、大人しくこちらの指示に従え」
言いながら、ホログラム・コンソールに触れた。
それに基づいて、今口にした事態は、明白に撃墜許可に当たるものだった。
既に調べはついている。こちらが後にしたあの市街地の空域に存在した機体の中で、大規模プラズマ砲撃が可能な機体は一機しか存在していなかった。
「繰り返す。武装を解除し、速やかに投降せよ。でなければ――――強制力を執行する」
考える――――軍にも、ヘイゼル・ホーリーホックの復帰は知らせた。あの街には、彼が居る。居てくれる。ならば既に市内に突入した戦力については考える必要はない。
避難民の救出も、彼は実行してくれているだろう。
ならば、自分が担うのは、こちらだ。
あの街に向かおうとする波を食い止め、そして、明確なる軍紀違反を行った
あの都市部で起こるさらなる炎の、未然の消火を。
(まずは……少なくとも彼に咎がある旨を、知らせなくては)
つまり――――それに協力することは、国家からは不法行為への連帯と看做されかねないということをコマンド・レイヴンたちに通達すべきだ。
「それまでの戦闘については……治安維持行動としての一定の見解の下に、是認はできずとも容認はされるものだろう。……だが、市街地での大規模なプラズマ兵装の使用はその領分を逸脱している。その事実について、戦技教官を務めた貴官が知らぬとは言わせない」
更に、告げる。
「その行動を以って――貴官らには、現状、重大な嫌疑がかけられている」
こちらの言葉に、エディス・ゴールズヘアは言葉を返さない。
その骨組みめいた機体は既に両腕の先を失っていた。シンデレラとの戦いで、そうなったのか。
彼女は無事か。
いや、ヘイゼルがいる。いるのだ。だから、無事だ。彼が仕事を仕損じることはありえない。この世の誰がしくじったとしてもヘイゼル・ホーリーホックは完遂する。彼は、そんな男だ。
そうだ。ハンス・グリム・グッドフェローには不可能なことでも、ヘイゼル・ホーリーホックならできる。彼ならやり遂げる。彼は、そういう男だ。そういう、信頼のできる、男なのだ。誰よりも。
不安に包まれそうになる胸を、深呼吸で鎮める。
全身の痛みは、
(とは言っても、争いたい訳ではない)
撃墜に関してはあくまでも最終手段である、ということは、こちらが再三に主張を続けて軍に何とか了承させた。
だから、まだ、余地はある。
突如として現れた闖入者たるこちらへ、宙に陣形をとったコマンド・レイヴンたちは警戒するように銃を構えようとしている。
いきなり仲間の首を差し出せと言われて――大人しく呑み込める兵は居まい。
それを鎮めるために――――何よりも無用な混乱を生みかねない彼らに街を目指させないために、口を開く。
「貴官らも、現状、街を目指すことをやめてくれ。今現時点のキャパシティではそれに正しく応対する余裕も猶予もなく……そして、貴官らのその行動を是とする法的な根拠が存在していない」
そのまま、続けた。
「【フィッチャーの鳥】は大統領の指令によって行動したと聞く。……だが、大統領は象徴的に七軍の長ではあるが、では、何を以って長と呼ぶか知っているだろうか」
答えは返らない。
彼我に、睨み合うような空気が、漂う。
「昇任や勲章の授与。そして、開戦の宣言や派兵の命令についてであるが――……これらはいずれも内閣または連盟議会による可決の末に、その追認という形での指令や発令をとっている」
だから、形式上の最高指揮官なのだ。
「くれぐれも、大統領がただ兵を出せ――と言ったからといってそれが何か法的な根拠になるものではない。その時点で、貴官らの動きについては著しく法的合理性が問われる事由となっている。理解はできるか?」
答えは返らない。
彼らは、そんな格式張った話ではない――と思っているのか。
だが、大切なのは、そこだ。
全ては、法に基づく。
国民の持つ主権を国家に仮託することで権力は生まれ、以って、暴力装置である我々にも権限が付与される。
それを抜きには語れない。民主主義的な法治国家とは、そういう仕組みだ。まずは、法があるのだ。その法が現実に即しているのかを決めるのも、また、法廷に拠るものとなる。今回の権の是非を問うならば、また、己の行為が正しく法がそれに追い付いていないと言うならば、やはりそれは法廷によって定められなければならない。
逸脱は、許されない。
「正しさと正しさの衝突ではない。まず、そもそも貴官らは、なんら法的な正しさを所持していない」
理解できるかと、呼びかける。
彼らは、答えない。
今にも銃口を向けそうな気配のまま、空域に留まっている。
爆弾を解体するような心地で、更に告げた。
「だが――……元はと言えば、その決定をしたのは貴官らではなくゾイスト特務大将だ。おそらくは現場での騒乱や混乱を鑑みた上で――逼迫する事態に対しての良心的越権行為であったのだろうが……生憎ともう、その特務大将は既に亡い。彼の望んでいた統制も実現できず、同時にその責任の追及もまた難しい状況だろう」
そうだ。
ここにいる彼らは、あくまでも指揮系統に従っただけと、そう言えるのだ。
無論のこと、例えば人道的規範に対しての反抗――軍規にも規定される大量虐殺や捕虜への拷問などは、命令者がどう強権的に指令しようとも実行者も責に問われるケースが多い。それが通例だ。
命令に従っただけならば無罪とは、ならない。法廷においては、責任能力があるなら、人は機械ではなく最終的には己の責の下で行動をしたと定義されるのだ。
だが、今回のケースであれば――法的には越権に当たるかもしれないが、止むに止まれぬ人道的な見地から実行したと……そう言えなくもない。おそらく、ゾイスト特務大将はそう主張し、そしてその分に関しては後ほどに法的な是非を問うつもりであったのだろう。
だが――彼は、もう、いないのだ。
「……その点では貴官らは背景を知ることなくゾイスト特務大将による指揮系統に従った行動を実行しているだけであり、不法行為と断ずるのは些か難しい」
そう。
だから、此処で集まっているだけの彼らは、それだけでは断ぜられる罪はない。
そう告げる。
君たちはまだ、罪人ではないのだ――と。
どうか早まらないでくれ――と。
そして、
「つまり――……ここで行うのは、改めて貴官らへの通達だ」
改めて己は、この先の街を庇うように大盾めいた右のブレード発生機を翳した。
「越権行為だ。大統領からの言葉だけでは、貴官らが行動するに何の法的な裏付けも有していない。そしてヴェレル・クノイスト・ゾイスト特務大将は既に亡く、彼のその指示について如何なる補足も実行されなければ法的な根拠を付け足すことも不可能だ」
ここまでなら――――線の上だ。
ここまでなら。
ここから先は、違うのだと――違うことになってしまうのだと、それを理解してくれと、告げる。
「……街を目指すことをやめてくれ。貴官らへの助けを求めるときには、改めて、そう、通達される。……今、貴官らがあの街に向かうことは、このような観点から余計な混乱を生むことになってしまうのだ。そして俺は、そうなったら止めなくてはならないのだ。どうか――……心からどうか、市民を思うならこの場で足を止め、残る友軍にもそう伝達してくれ」
彼らは、動かない。
「貴官らも、市民を想って軍人に志した筈だ。どうか――どうか貴官らのその祈りの果てがこんな形ではなく、正しく報われるように。在るべきものが、在るべき場所に迎えるように……」
彼らは、動かない。
どちらの意味でも。
睨み合うように、此処にいる。こちらを睨んでいる。
だから――――一度、目を閉じた。
あの娘を想った。
きっとあの街でも正しいことをしようとしていた、あの金糸の髪の娘を想った。
何にも替え難くこの世で最も愛おしい少女を、想った。
あの日の背中を、あの輝く金髪の人を思った。
そして、ゆっくりと、言った。
「……この中に、子供を持つ者はいるか?」
不意の質問に、困惑か――……僅かに、息の詰まるような緊張が揺らいだ気がした。
「ならば、初めて、貴官がその子息を抱き上げたときに――この世に生まれた赤子を抱き上げたときに抱いたその感動を……どうか、思い出してくれ」
己の原初ともなった、その記憶を追憶する。
生まれ落ちた日のことを――――――己のような人間はそれを記憶できたが、彼らは不可能だろう。
だが、違う形で、知っている筈だ。
人がそこに居るというのが、この世に居るというのが、どのようなことと共に行われたのかを知っている筈だ。
「あの街にいるのは、彼処にいるのは、そんな人々だ……人とは、それだ……貴方が子供を抱き上げたときに抱いた感動を、どこかの誰かも抱いたのだ。人は、命は、そうなのだ……貴官らが子息に向けた愛と感動を、あの街にいる人も、その親から向けられたのだ……」
拳を握る。
自分は、親になったことはない。だが――――。
あの日の、自分の命を祝いだ医師たちの顔を。
タオルに包んでくれた看護師たちの顔を。
この世界の父母の顔を。
覚えている。忘れたことはない。あれが、命なのだ。あれが、人一人が生きるということなのだ。生まれるということなのだ。
だから――――――失われては、ならぬのだ。
「どこかの誰かは、決して記号ではない……! 命は、数字ではない……! 命は、だから――……だから命は失われてはならないんだ……! それを思い出してくれ……どうか、思い出してくれ……! ほんの一欠片でもいいんだ……!」
名もない人など、この世にはいない。
そのどれにも、人生がある。
何にも替えられない人生がある。
「一つ一つが……! その一つ一つが……! どこかの誰かが喜んだ……どこかの誰かが祝福した、大切な宝石なんだ……! 失われてはならないものなんだ……!」
二度と戻らない。
二度と還らない。
それは、取り返しが付かない。
だとしても――――
「このままでは……より多く……それが失われてしまう……! だから、速やかに……速やかにこちらの指示に従ってくれ……!」
まだ。
まだあの場には、居るのだ。命が。人が。そこに居るのだ。いつだって、そうだ。
当たり前に――――命は命というだけで、尊いのだ。
それを、数字にしてはならぬのだ。
「誰かのために戦おうと思ったなら……君たちが良心からその道を選んだのなら……その願いの果てが、こんなものであっていい筈がないだろう……!」
どんな理由から軍に志願したのかは知らない。
愛国心なのか、義侠心なのか、復讐心なのか、功名心なのかも知らない。
だが――――――だとしても。
だとしても彼らがこれまで流してきた汗は、命は、歩みは、今日この日に散らされるためのものではなかったはずなのだ。
その帰結が、こんなものであっていいはずがないのだ。
「全機、警戒空域からの一時撤退を。……頼む。俺に、この剣を抜かせないでくれ」
頼むと――――そう、項垂れるように呼びかけた。
やがて、それぞれの顔を見合わせるようにコマンド・レイヴンが動く。
銃を構え続けようという気配は、薄れていた。
どうやら――――説得は、叶ったのか。
(ああ――――……ああ、ありがとう――――……)
目を閉じる。
誰も殺さないで、済んだ。
一人の命も奪うことなく、その献身を踏みにじることなく、終わった。
それは、万に勝る祝福だった。
そして――
「……」
改めて、エディス・ゴールズヘアとサム・トールマンに向き合う。
彼らは、何を選択するだろうか。
彼らもまた、彼らなりの正当性の元に……そこにいるのだろうか。
(……何故、市街地であんな戦闘を)
一度息を吐ききり、気持ちを切り替える。
シンデレラ・グレイマンは、この世で最も愛しい相手だ。誰よりも大切で、生きてほしい人だ。
ヘイゼル・ホーリーホックは、無二の戦友だ。彼が俺を撃つ日が来るなら、その銃口もまたやむを得ないと思える戦友だ。
だけれども――――そう思う俺のそれは、眼の前の二人には関係ない。
彼らなりの正当性があり、彼らなりの論が通り、そして戦闘に及んだと言うなら――……そのこと事態を咎めることは、俺にはできない。
生きたいと願う祈りは、或いは二心なく職務の遂行を行おうとする意識は、また等しく尊重されるべきものであるのだ。
たとえ――サム・トールマンが、メイジー・ブランシェットの暗殺の疑惑に関わっていたとしても……だ。
「エディス・ゴールズヘア、そしてサム・トールマン。先程の通達の通りだ……貴官らの明白なる越権行為と危険行為については、査問が行われるべき事柄だ。言い分もあるだろうが……現時点でこの混乱状況において、明確に禁止されていた兵装使用については、
ゆっくりと、続ける。
彼らは、動こうとはしない。明確に。その意志の下。
「ついては、機体という証拠一切を離脱させることが許可できない。もしもあの行動が交戦規定の第一義に従ったものであるなら、あまりに不躾な嫌疑となってしまうが……どのような隠蔽工作が行われるか、現状では不明である。証拠保全の観点から速やかに今ここで乗機を捨て、その後の沙汰を待ってほしい」
そうすれば、少なくともこちらから――彼らは無用な混乱を生む行動は行わなかったと、そう付け加えることができた。
だが、
『ゲロ吐いてた新兵が、随分と一端の口を聞けるようになったもんだな。グッドフェロー』
「……教官。俺は貴官に、敬意を抱いている。嫌疑は嫌疑にすぎない。どうか、武装解除と共に同行を」
『無茶言うなよ、猟犬』
あの訓練の日々のように鷹揚なトーンのまま、彼は続けた。
『ヴェレル・クノイスト・ゾイスト特務大将が死んだ。それは何故だ?』
「……現状では不明だ」
『ああ、そうだろうな。だが――……そこに来てのお前さんの登場だ。
「……」
『特務大将が殺されて……そこに来て、処刑人の登場だ。なあ――――このまま大人しく投降して、俺たちの行き先はどこだ? お前の登場が、答えなんじゃないのか?』
その言及の波紋が、広がる。
彼と自分ではなく、この場に。
一度は銃を収めてくれようとした兵士たちにまで。
広がる――――――猜疑心が。
「止せ。……何のつもりだ、エディス・ゴールズヘア」
『見ての通りだ。
「……」
それは確かに、筋が通る言葉だった。
論理ではなく――――感情の。
口にしている彼がそうだとは思えない、しかしこの場に居る者たちに生まれてしまう感情の。
『あの会談で、国は、丸く収めることに失敗した。既に失態を重ねてる。ここから取り戻そうと言うのなら――俺たちが造反を行ったということにして埋めない保証がどこにある?』
突き付けるような言葉に、思わず、口にしていた。
「……それを、貴官が言うのか? メイジー・ブランシェットを殺害した……貴官たちが?」
まさしく、メイジーを秘密裏に葬ったのが、彼らだ。
だが……
『あのフェイク映像の話か? 中立性はどうした、ルーキー。婚約者の死は応えたか?』
「……」
『だが――……アレに限ったことじゃあない。【フィッチャーの鳥】は表沙汰にできないことだってやってきた。あの会談によって世論の潮流が変わるなら、国にとって俺たちは不都合だろう。ここで全部消さない保証が――どこにあるってんだ?』
会話の流れが、誘導されている。そんなふうに思える。
それはエディス・ゴールズヘアの立場なら抱いても仕方がない疑念であり――――その一方で、どこか白々しささえ覚える言葉。
だが、それを一太刀で切り捨てることは不可能だ。
そうした途端、こちらに従おうとしていた兵たちにまでその不安が伝播してしまうであろう。
「……コックピットの記録映像がある」
『リーゼ・バーウッドの改竄が疑われるそれが、か? なあ、リーゼ・バーウッドってのは本当に死んだのか?』
「――――」
思考が、凍る。
真実は知らぬが、少なくとも己は、リーゼを殺害した。
あれだけこの国のために戦った年若い少女を、俺が、殺した。戦友を。あんな、年頃の、少女を。俺とこの国が。
大切な、戦友を。
書や学問の代わりに、殺人を教えられた少女を。
それでもこの国に果てしない献身を捧げた、あの娘を。
きっと、彼女には、何か考えがあったのだろう。
最後まで、きっと、この国の旗の下に死んだのだろう。
それを――――――――それをお前は、なんと言った?
『生きていて、【
「……教官として磨いたのは、陰謀論の素質だろうか?」
『陰謀論? ただ、状況証拠が揃いすぎていて――お前にはその不安を覆せるだけの根拠がない。違うか?』
兵を導くその素養を以って、疑念を増幅させるようなエディス・ゴールズヘアの言葉。
こちらの感情をも搔き乱す彼の言葉。
だからこそ、
「――――違う」
俺を動かすのは、理性だ。
そう在るべくしてそう在るように、作ったのだ。
取り零さないために。
橋を渡る死者たちが、昔日の彼らが、胸を張って戻れるように。
『……へえ?』
「言った筈だ。貴官らの軍事行動には、何ら法的な根拠が存在していないと。つまり、むしろこれを続けることが俺に撃墜の名目を与える行為だ。――――より正確に言うなら、既にお前たちを殺せる。この投降勧告の必要なく」
『はっ。それは、前提が外れてるだろうよ。国に理由がなくても、お前には投降勧告の理由がある。……この数を相手に戦うより、武装を解除して処刑する方が楽だろう?』
それも、道理だろう。
先程から彼は、エディス・ゴールズヘアは道理の上の言葉しか使っていない。巧みに。
この会話も、何かに誘導されているのかもしれない。彼の考えるように都合がよく。
だからこそ、己は進む。
ただ一直線に、進む。
「どちらでも同じだ。貴官らが武装していようが、いまいが、俺は一方的に殺害できる。その武装は何ら俺への痛苦にも痛打にもならない」
『……大きく出たな、新兵』
「厳然たる事実だ。機体性能が同等で、数だけを頼りに俺を殺すことはできない。真実、この勧告は無価値だ」
それこそが唯一の事実である、というふうに。
「その疑心暗鬼は、不要だ。そうするなら――――投降を呼びかける必要なく、俺は奇襲で壊滅させている。身を晒す意味がない」
己は、そう振る舞う。否、事実としてそうなのだ。
語る言葉は、全て、その時点の事実だ。客観的にも、主観的にもそうなのだ。
付け入る隙を与えないために――――己はそうなった。
考えるな。
ただ、在れ。俺はそうだとして、そう在れ。
『雑魚は黙って従え……そう言いたげだな、グッドフェロー。随分と上等な強者の傲慢だ』
「ならば、卑屈と感情のままに命を危険に晒すことは弱者の傲慢と呼べばいいか? 死の瞬間に泣き喚いたところで遅い。そのくだらぬ陰謀論で部下の命を不要な危険に飛び込ませることは、愚者か弱者の傲慢としか評せまい」
切って捨てる。
『これが
エディス・ゴールズヘアは、そう、コックピットの向こうで肩を竦めた。
「先程から感情を煽って何がしたい? 造反というのは嫌疑ではなく事実か? その一時の憤懣と反感が、一体その兵たちの何の利益に繋がるのだ? ……エディス・ゴールズヘア。貴官のそれは度が過ぎた扇動行為だ」
『そういう不安と反感が、あるってことだ。お前なんてのが連れて来られたら、そうもなるだろう』
「そうか。……なら、告げよう」
一つ、息を吸う。
厳然と――――口を開く。
「ここで俺を撃ち落としたとして、それで得られるのは勝利か? いいや、それこそが決定的な反目となる。その瞬間、貴官らは
『お前は――』
何か言おうとする言葉に、被せて言い切る。
「エディス・ゴールズヘア。……貴官のそれは、混乱の助長だ。彼らを巻き込み、何を企んでいる」
『……言いがかりを――』
「貴官の言動の果てに――この場で得をするのは誰だ? 今、まさしく嫌疑をかけられた貴官だけだ。そこの彼も、そちらの彼らも、既に銃を収めようとしていた。俺が攻撃を加える理由がない。もう一度言うぞ――――俺は諸君らに、この場からの解散と離脱、そして要請を行うまでの待機しか求めていない」
整然と言い切る。
打ち砕かれぬ剣とは、そういうことだ。俺は、それを組み上げた。それを組み上げるためにここにいた。
如何なる弁舌も、悪なる策略も、ただ打ち砕いて平らに均す。
あの街であれほどまでに追い詰められた状況ならいざ知らず――――この場面で煽動に敗れるほど、己は不見識でも脆弱でもない。
そうせざるべく、そうしている。
「エディス・ゴールズヘア。お前は最早、兵士ではない。――――醜悪なる
『――――』
「堕ちたな。……己の利益のために弁舌で他者の命を捧げさせる悪逆は、最も愚劣な政治屋の類いだろう。改めて告げる。……貴官らは離脱していい。残るのは、この男だけだ。俺は君たちを攻撃しない」
そう、空域の外を右腕のブレードの外殻で指し示す。
「……君たちの祈りの果てが、こんな場所であっていい筈がない」
その言葉に……兵たちが、コマンド・レイヴンたちが、一機一機と緩やかに空域から離れていく。
エディス・ゴールズヘアとて英雄と呼ぶに相応しい戦歴を持っている。【
だから――……一歩間違えれば、兵士特有の連帯感で、この場の彼らも俺に銃を向けたかもしれない。
だが、そうはならなかった。
いいや――――――そうはさせない。そうさせないために、俺という剣は在るのだ。
あの少女たちでは、あの輝かしき少女たちでは、ときにその光を惑わせ盲目なる道を選ばせるような甘言に立ち向かえぬ日もあるだろう。
だから、己は、揺らがない。
打ち砕くために。彼女たち真に善なる者だけでは対抗し得ない悪を打ち砕くために。揺らがず、毀れず、欠けず、曇らず――――――徹底してそれを叩き潰して真っ平らに踏み均すために。
俺は、善の味方なのではない。
悪の、敵なのだ。
こちらは、俺の領分だ。
『……随分と口達者になったな、グッドフェロー』
「貴官を手本に、部隊の長として過ごした。……ゴールズヘア教官。何を思って先程の言動をしたのか――――貴官は、不安だったと、そう思っても仕方ないという余地を残している。そう答えることもできるだろう」
『……』
一度、言葉を区切る。
それは――或いは僅かに、信じたいという気持ちがあったのかもしれない。
「……何を思ってそうした? そして、投降の意思は?」
問いかけに、
『――――不安だったから、さ』
彼はそう、余分な言葉なく返した。
あくまでも感情の筋を……ある種の大義名分を通すように。
「……そうか。投降を――」
言いかけた、途端だった。
その死霊騎士の半ばから断ち切られた右腕部の肘から、魚の
死霊騎士が躍りかかった。
咄嗟に、左腕のブレードで受ける。力場とプラズマの衝突に、強烈な閃光が生じる。
「ッ……これが貴官の意思か!」
乱心か、奇襲か。
少なくともどれだけ苦しくとも建前だけは確保したから、速やかにこちらを撃墜しようとしたのか――と考え。
しまった、と――――。
「全機――――速やかにこの場を離れろ! ここに留まれば――」
叫びかけるその最中に、死霊騎士の痛烈な蹴撃が側面から襲いかかった。
咄嗟に大盾めいた右のブレードで防ぐも、装甲が軋む。横方向の加速度と共に機体が揺らぐ。
それでも勢いを受け流し、敵の蹴りを反らすと同時に――側面を晒した敵の腰部目掛けて膝を繰り出した。
衝突音。曲げた左肘で受けられた。互いの装甲が甲高い音を立てる。
(――)
石火の一幕、抜き放ち斬りかかる右のブレード。
だが、敵のマフラーがプラズマ刃を受け止めた。散る火花。放たれる閃光。こちらの刃を斜めに受け逸らされた。
カウンター――剣を流されて隙を晒すであろう狩人の上体目掛けて跳ね上がるプラズマ・マフラーの光刃。
そうは、させない。
テールスラスターを振り下ろすように畳みかける遠心力で、機体の重心を後ろに。全身ではなく腕だけで振り下ろすような斬撃へと変化を使い、隙を消す。
否。それでも、間に合わぬか。こちらを捉えるか。
振り下ろした右ブレードが一瞬前に抑えていたその空間へと、こちらの胴部へと、流れ込むようにしなるプラズマ・マフラー――――――の動きに合わせて、
同時、歯を喰い縛る。強烈な回転加速圧。背骨が軋む。
急転換。急回転。
側方へ上体を折り畳んだまさにその機体頭部をプラズマの翼が掠め――直後、死霊騎士の中心へと叩き込まれた横軸回転の変則胴回し蹴り。
(――――)
テールスラスターによる加速を上乗せした一撃であったが――……いや、それも先端のない両手でブロッキングされていた。
あまり機会もなかったが、機体での近接格闘戦闘も収めている。否、生身を鍛え上げた一環で、それを脊椎を通じた操縦にフィードバックしている。
それをこうも防がれたことに、警戒の度合いを上げた。だがそれは彼の反応がというより、機体性能がこちらより何段か上のためだろう。
そして――距離が開く。翼じみてプラズマ・マフラーを広げたエディスが、言った。
『此処に留まれば、お前と共同して俺を墜とすか……俺と共同してお前を墜とすか、それしかなくなる――か?』
そうだ。
最悪の一手だ。最悪にして、醜悪な一手だ。
彼らに選べる道は二つ。エディス・ゴールズヘアはそう絞った。
すなわち、ハンス・グリム・グッドフェローとその乗機を完膚なきまでに破壊し――――コンバット・クラウド・リンクにデータがアップロードされないこの状況でブラックボックスごと葬るか。それとも、潔白の証明のためにこちらと共にエディス・ゴールズヘアを撃ち落とすか。
そして後者の選択肢を彼らが取れば――――その瞬間、サム・トールマンとその機体が彼らを殺害するだろう。
(流石に……今の俺では、二機を抑えられるとは……)
おそらくはあの人妖花めいた【ルースター】という機体は、多対一の戦闘を得てとしている。
つまり、これは、彼らの戦闘に有利な場を作るという妙手。首元に追求の刃がかかった状況でも、エディス・ゴールズヘアは勝利への道筋を捨ててはいなかった。
何が、彼にそうまでさせるのか。
あの――――洒脱で鷹揚で兵の信頼が厚かった彼が、どうして、そうも人を駒のように使う道を選んだのか。
「ハンツマン教官――……アルテミス・ハンツマンは、今も貴官を待っているだろう。この行動は、彼女の想いを踏みにじることにもなる。……棺にあの人を縋り付かせたいのか」
『……お前がアルテミスを語るなよ、グッドフェロー』
「語らせるな。貴官がすべきはその威圧ではなく、己の愚劣極まりない行動を鑑みることだ。……武器を下ろせ。無意味な争いをやめろ」
去りつつあったコマンド・レイヴンたちが、宙に足を止める。戸惑っている。
まだ、銃を向けていない。こちらにも、あちらにも。
そして――――おそらくはあちらに銃を向ける可能性が高く、そうなったそのときには『
彼らを。
兵としての本分に従い、説得に応じようとしていた彼らを。
殺すのだ――――――エディス・ゴールズヘアが。教官が。あの訓練の日々、こちらを励ました彼が。
ギリ、と歯を喰いしばる。拳を握る。
恩がある。敬意がある。手本だった。戦う術を教えられた。あの海上都市への攻撃前の勧告も、通してくれた。教官で、恩人で、先達だった。
上官としての理想像と見ていた。
そういう付き合いに向かぬ己がそう振る舞うための、全てをくれた人だった。
だが――――――だが、そうだとしても。
如何なる目論見によっても、此処で、無辜なる命を奪うと言うなら。
或いは……あの街でもそうして、市民を犠牲にシンデレラとも戦ったというのであれば。
「そうか。……良く分かった。ならば――――――死ぬがいい。当方は、迎撃を開始する」
――――天秤は、定まった。
世話になった教官であろうとも。
あのメイジーの死にこちらを案じた青年であろうとも。
アルテミス・ハンツマンが、今もエディス・ゴールズヘアを想っていようとも。
それとこれとは、話が別だ。
『証拠保全と言ったが……さて、それで俺たちを墜とせるのか?』
肩を竦めるようなエディスの言葉。
ああ――――……或いはそれが決定的に、彼のこの行動を後押ししたというのか。
ブレードという装備では、敵の何もかも焼き切ることになる。ブラックボックスも消し飛ぶ。
ああ――――……そうなったなら、リーゼ・バーウッドの関与が疑念として挙げられるシンデレラ側の戦闘記録だけでは、あの都市部における彼女の正当性の証明が難しくなるだろう。俺は、それを避けねばならない。シンデレラを案じるならば。
そんな、天秤。
彼なりの合理と勝算。
兵士としての勝ちの目を見出した上での戦闘。
彼は決して自棄になった訳ではない。衛星とのコンバット・クラウド・リンクが成立しない――通信の暗闇たるこの場でハンス・グリム・グッドフェローを葬り、全てを闇に呑み込む算段と共に斬りかかったのだ。
その点は、流石はエディス・ゴールズヘアと言わざるを得ない。
だが……
「エディス・ゴールズヘア、サム・トールマン。貴官らは内側だけ殺す」
揺らがない。己は、刃は、揺らがない。
ブラックボックスを破壊せず。
こちらの指示に従った兵たちを殺させず。
証拠たるその機体を残して――――――それ以外を殺害する。
『処刑人らしい言葉だな――――――
「弁舌しか磨かなかったらしいな、
互いに斬り結ぶ形での再びのプラズマブレード。
力場の押し合いの中、敵のブレードが膨れ上がる。こちらのプラズマを吸われているのか。出力はあちらが上か。
なら、くれてやる。
武装への通電を取りやめると同時に、
いや、力場を利用して防御している。そして、咄嗟に身を捻って平面軸でのマイナスGを避けている。これは機体の力ではない。流石の操縦技量と言う他ない。
シンデレラやヘイゼルとの戦いでの消耗はあるだろう。
しかし、消耗という意味ではこちらも酷い。あの街で度重なった戦闘で、痛覚を誤魔化しても身体は傷付き、銃創もその身に刻まれれば、片目も奪われている。
そしてあちらは専用機。
疑惑でしかないが、メイジー・ブランシェットを殺すに足る力を持った専用機と
時間をかければ、こちらの通達に従ってくれた兵たちも巻き込まれる――――或いは何にせよ、纏めて葬られるかもしれない。そんな不利。不利だ。
だが、
(それは――――――俺が折れる理由にはならない)
――――――だから、どうした。
ただ、在れ。
己は不毀なる剣だ。
決して折れず、曲がらず、毀れぬ剣だ。
相手が何であろうとも――――――誰であろうとも。あの結末もこの結末も許せぬならば、己は、ただひたすらに立ち向かうのだ。
それがどれだけの強敵であろうとも、退く理由にはならない。
(想え――――あの街の人々を。立ち向かった人々の献身を。この旗を見上げる人を。想え――――――)
ならば、それを踏み躙らんとするものがあるならば。
己は、ただ一人になっても立ち続ける。
その旗の下に、剣を執り立ち続ける。
何もかも、関係ない。
俺が此処で立つと決めたのならば――――立ち続ける。
それだけだ。
大切なのは、それだけだ。
そのために、俺は、此処にいる。
故に、ただ、剣を執れ――――――ハンス・グリム・グッドフェローとは、それだ。
「今この瞬間に、貴官らの行き先は決定された。どこにも行かず、ここで死ぬ。お前たちに墓標はない」
唯一残った左目を尖らせ、モニターの先の敵機を睨む。
「――――祈れ。無念に死ぬ、貴官ら自身に」
ブレードを抜刀し、二機の狩人目掛けて機体を撃ち出した。
◇ ◆ ◇
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