第159話 ガラスの恋、或いは暗雲を裂く者。またの名をパノプティコンの歯車


 相手が新機構を作動するのを、黙って行わせるか。


 少なくともそんな選択肢は、この場にいる誰もが持っていなかった。

 少なくとも――――その強襲騎士の背部から、大剣めいたプラズマカノンがパージされたその直後には。

 その内部に蓄えられていたガンジリウムのプラズマ材料が本体へと吸い上げられていたときには。

 ヘイゼルとシンデレラは銃口を向け、プラズマの鎧を纏った人型たる【ジ・オーガ】の撃墜を試みていた。

 だが、


「――――――ッ、!?」


 散弾を操作しようとしたヘイゼルの銃口が、揺らぐ。

 そして彼に襲いかかった苦痛の感情が、レールガンを放った直後のシンデレラへと伝播した。


「ヘイゼルさん……!?」


 銃口を保てないほどの強烈な揺り戻しの異物感。

 己の皮膚の下を、おぞましき寄生虫が這い回っているような拒絶感。

 そして皮膚や胃、腸、性器などがそこに付いていることへのどうしようもない不快感。

 全てが綯い交ぜに――――に違和感を覚えさせるように、情報と警告の奔流めいて一足にヘイゼルの脳に襲いかかった。


「グリムの、バカ……野郎……っ! こんなこと、何度もやってりゃ……そりゃ、物も……食えなく……なる、だろうが……!」

「食べれなく!? どういうことですか!?」

「っ、あぁ……クソ、その話は……あとで……」


 それよりと――――言うが、もう遅い。

 一瞬の警戒の逸脱。

 一瞬の集中の散漫。

 その隙に既に、【ジ・オーガ】の変形は完了していた。

 いや、それを果たしてと呼んでいいのかは……他ならぬ対面しているシンデレラがそう感じていた。


(骨……? 骨組み……?)


 昏き空に佇む異様。威容ではなく、なのだ。

 無音に近い静寂さと寂寥さを漂わせて、戦場の片隅に漂う骨組みの亡霊――――とでも言おうか。

 削ぎ落とした、などという次元ではない。


 胸部装甲や頭部装甲などの一部を残して、機体は殆ど剥き出しのフレームと化している。整備中、或いは廃棄前ならそうもなろうか。骸骨騎士や死霊騎士と呼んでもいい。

 装甲という装甲を失ったアーセナル・コマンド。

 あまりにも頼りないその姿は奥の手とも思えず――しかしにおいて、否定される。


 死霊騎士の背後に漂う


 全身に纏っていたプラズマの肉を全て収束させ、鬼火で編んだマフラーの如く纏っていた。背部と肩部の装甲に、発電機を内蔵したそれらに接続するように、下げていた。

 燐火纏う死骨の騎士。

 強襲という頑健さも圧倒性も捨てて――――どこか寂寥としたシルエットで、プラズマの炎を棚引かせる騎兵ライダー


 変形というよりは、変身と言うべきか。


 フレームが剥き出しの骸骨的全身と、唯一纏った仮面めいた鬼面の頭部。

 僅かに装甲を残した胴部と、吸気口を有する腰部。

 手足には赤銅色の鋭いヒレを。背後にはプラズマのマフラーを。

 鬼火を纏った隻腕の死霊騎士が、暗き雲の下に不気味に佇んでいる。


「嬢ちゃん、時間だけ、稼いでくれ……なんとか……復帰する――……」

「……わかりました。できれば、わたし一人でどうにかしたいですけど……」


 言いながら右手のプラズマライフル/ブレード兼用の【ソウ・クリーヴァⅡ】と、左手の極超音速レールガン【ブランダーバスⅡ】を構えるシンデレラの顔は、苦い。

 プラズマの鎧が消えている以上、今までのような全身の力場はない。つまり、防御力は激減している。

 だというのに何故――――――先程までより、勝てるイメージを抱き難いのか。

 それでも牽制のために引き金を引こうとし、


「……サム」


 ある種の、答えは与えられた。

 エディス・ゴールズヘアがそう呟くと同時にサム・トールマンの【ルースター】は頭部と胴のみが残った大鴉たちの鎖を解き放ち――――その瞬間だった。

 火花が、四つ。

 先程までより、

 強烈な空振を伴った推進と共に、移動を済ませた死霊。

 宙に切り離された大鴉のずんぐりとした胴を、槍めいた羽が――【ジ・オーガ】の二つのマフラーが貫いていた。

 そして、


(ガンジリウムを……血を……集めてる……!?)


 蠢く樹根か。脈動する血管か。

 アーセナル・コマンドの胴部を貫いたプラズマのマフラーが蠕動している。奇っ怪な昆虫の産卵管めいた動き。

 吸い上げているとするなら――それはまさにプラズマブレードの特性だ。

 斬撃に合わせて、破壊した敵機の装甲やガンジリウムを熱して気化させるままに回収する。故に、電力さえ保つなら消費を気にせずに理論上は敵を殺し続けられる。

 文字通り。

 その身を一つの剣にしたとも言える、そんな形態。


 警戒が、最大限に跳ね上がる。

 これに射撃を行ったとて、先程の焼き増しにしかならないだろう。

 そして――その鬼の面が、


「――――ッ、このっ!」


 即座に切り替えたシンデレラと【グラス・レオーネ】は、その銃身を転換。庇いかかるようにプラズマブレードを抜刀し、最大限のバトルブーストと共に斬りかかった。

 プラズマライフルも、力場で覆われたプラズマを撃ち込むという意味ではブレードと同じであるが――純粋に出力面だけで見た場合、機体本体の力場も使用できるブレードの方が強力であることは間違いない。

 更に――――彼女は歯を食いしばる。

 シンデレラのその超常的力場操縦センスが、ジェット噴射めいて広がる筈のプラズマ刃を収束させ、光り輝く細身の刃として編み上げた。

 先程の、掴み取られたライフルの一撃とは訳が違う。刀身温度も、力場出力も、何もかもが。

 強固に収束したプラズマ刃を振り付ける。

 同じブレード同士の激突でも断ち切れると確信する刃は、しかし――――


(――――防、がれた!?)


 髑髏騎士が纏うマフラー――炎の翼と衝突し、拮抗に留まった。

 見れば、二つに別れていたプラズママフラーが一つに纏まっている。

 さながら、片翼。片翼の死霊兵士。

 おどろおどろしくも物悲しく寂寥としたフレーム姿の機体を彩るようにその肩で燃え上がる炎の片翼が、凝縮された光刃を防ぎ止めている。


(そうか……プラズマを外に置いてるから、一点に集められる量に制限がないんだ……!)


 全身に等量にまとっていた先程よりも、局地的な力場の圧力は上。

 あの移動速度の向上もそれが理由か。

 最強の矛も無敵の盾も、その場に応じて作り出せる。

 搭乗者の意志と殺意さえあれば、どのような攻め手も与えられる。

 意のままに振りかざされる破壊の刃。

 それが――【ジ・オーガ】の最終臨界ギア・フォース極光の魔剣アンサラー】。


(でも、それは……相手に傷を与えられる前提の力でしょう!?)


 互いの力場の衝突が生み出す閃光にバイザーが展開する中、シンデレラはその金に近い琥珀色の瞳を強めた。

 言うなれば、多対一の機体。

 自在に流動するプラズマの盾を以ってあらゆる攻撃を防ぎ、最高率の加速器で距離を詰め、その何よりも鋭いプラズマの刃で敵機を刻み、その躯の全てを奪い取って利用するための機体。

 敵を殺せば殺すだけ、その血を集めて鋭さを増す刃。


 恐ろしい――――確かに恐ろしい機体だ。


 だが、その特徴というのは高水準に流動する攻守堅速とも言うべき能力。限界に達した基礎能力を自在に割り振って持続的に振るい続けるという、ある意味ではの力だ。

 極まってしまえば何者にも揺るがせない武力として立ちはだかるであろうが、このような、一対一での不利からの突破力には欠けている。


「だったら――――」


 一度強めた力場をぶつけてプラズマ刃を強烈に弾き合わせ、宙返りをしながら聖騎士は左手のレールガンを腰のラックに収めた。

 一瞬の間。

 そして改めて――――機体の力場が集中する。その左手に現れるは、不可視の聖剣。


「これなら――――!」


 力場の密度という上では、圧力という上では、シンデレラの操るその刃は何にも勝る。

 単分子刃などという厚さすらも超越している。謂わば、陽子と中性子の繋がりを断てる――――或いはそれ以上の層子クオーク同士の結び付きさえも分断しかねぬ鋭刃である。

 その領域まで収束させた力場圧力には、如何にプラズマブレードといえども対抗は不可能。

 一足の空間跳躍。蒼炎を纏う髑髏騎士を一息に断ち切らんと、袈裟懸けに振り下ろし――――


「――――――!?」


 何たることか。

 止められている。

 防げないはずの不可視の刃が、プラズマに包まれるように止められている。


 その衝突の余波で光り輝くプラズマの内を見れる者がいたなら、知れるだろう。


 刀身である以上――分断を行わんとする以上、相手に突き立てる刃の薄さとは別に、剣の幅というものがある。

 それに、左右から挟み込むように干渉していた。あたかも白刃取りめいて――――振り下ろされる刃の側面からプラズマが叩きつけられ、力場の刃を乱されている。刃を進めようとする力を食い止められている。

 そして、


「同じ技は、二度も、通じねえよ」


 端的に告げるエディスの声と共に、痛烈な横蹴りが【グラス・レオーネ】の胴体に叩き込まれた。

 瞬間のG。衝撃のG。

 シンデレラの頭蓋が揺れる。

 近接格闘。

 ここに来ての徒手空拳。


 咄嗟に、不可視の剣を解除した。

 代わりに、敵を遠ざけんと反射的に聖騎士は右手のプラズマブレードを突き出し――しかしそれも、鬼火めいた炎の翼に

 直後、繰り出された拳。

 強烈な後方への負荷を受けた。首の骨が、頭部の重さに伸びる。


 聖騎士が立て直すより先に、そのまま連撃。

 組み付くようなタックルと、膝蹴り。

 更にはマフラーめいた炎の翼が巻き付くように、聖騎士のブレードとその力場を掌握した。同時、それらの力場の衝突の余波に揺ぐ機体本体の――その《仮想装甲ゴーテル》を貫く形で容赦のない拳が放たれた。

 二撃、三撃。

 幾度と襲いくる平面軸でのマイナスGが、ムチウチめいた衝撃としてシンデレラに蓄積する。


 何故、こうも――――いや、何かが噛み合わない。

 何かがおかしい。

 何かが、おかしいのだ。敵の機体以上に何かが。

 揺られるコックピットで歯を喰い縛るシンデレラの耳に、その声が届いた。


「居ねえだろ……格闘戦の、専門家。第五位グライフくらいか?」


 そうだ。

 ブレードによる近接戦闘とは、もし仮にその適性というべきものがあるとするならば、如何にして攻撃を敵へ自機から一足の距離に捉えるまでに近付いていくかと――その突撃を行う機先を見極めるセンス。

 有り体に言ってしまえば、『敵の射線を躱し続ける能力』と『超高速の機体で点を点に衝突させるための能力』としか言えない。

 通常、そこからの押し合いや斬り合いは視野に入れられていない。防ぎようのないブレードはそのまま敵を喰い千切るし――――仮に受け止められたとしても、巨大なプラズマブレード同士の衝突、力場と力場のぶつかり合いの中では、他に打撃を繰り出すこともできなければ出したところで衝突の余波によって機体が自壊するだけなのだ。


 つまり、


 そう、これは、未知だ。

 これまでのシンデレラの常識にはなかった、機体同士の真の意味での格闘戦のなのだ。

 つまり――


(大尉も……そこまでは、教えてくれなかった……。もしかして……大尉にもできないことを……?)


 確かに――見たことがなかった。

 万が一、鍔迫り合いという状況になってしまったらどうするのか。彼は、それで低減した力場に対して友軍からの射撃を浴びせさせ――そのために自機は速やかに離脱するべきだとしか、教導しなかった。

 ならば……。

 エディス・ゴールズヘアは彼よりも――シンデレラが手本とし、理想とする彼よりも上ということか。


「っ、う――」


 左手を防御に出そうとするも、容赦なくそれを払われるままに胴体への拳が来る。

 知らなければ、防げない。

 応じても、一歩が遅れる。

 つまりは、逃げられない。


「人型機体同士の格闘なんざ、レースやアリーナぐらいでしか起こらねえ。教えねえんだよ、今は、基本」


 それは、在りし日の技術。

 月女神が齎した技術。猟犬とその主しか持たない技術。

 アーセナル・コマンドを用いての、純粋なる完全近接戦闘技術。


「ナメただろう。さっきまでほどの力もねえと。近付けばなんとかなると。俺が、破れかぶれで最終臨界ギア・フォースを出したと」


 淡々と告げながら、拳の回転数が上がる。

 容赦なく、繰り出される。衝撃が続く。

 彼は、冷ややかに言い切った。


「――――――勝てるからだ、新兵ルーキー


 素質だけなら、シンデレラが上だろう。

 操縦の技量も、力場の操作感覚も、成長性もシンデレラが上だろう。

 だが――――に関してがそうだとは、決まらない。


 無冠の英雄。

 原初の駆動者リンカー

 始祖の接続者。


 教え子たちを戦場に送り出し続けた憤怒と憤懣は、伊達ではない。

 その苦難の日々に磨いた技量は伊達ではない。

 たった三分しか稼働させられない機体で、それでも――――と、実際に数々の敵機を撃墜していたのは伊達ではない。

 第十一位、エディス・ゴールズヘア。

 その偽りに彩られた撃墜スコアのうち――――――アーク・フォートレスの十六隻に関しては、


(強、い――――――……わかって、た――――――わかって、ましたけど――――――――)


 度重なる衝撃に脳と思考を揺らされながら、シンデレラは必死に頭を回した。

 ブレードを手放す。――――駄目だ。

 そこにある弾薬を吸い上げられて、強化される。

 ブレードを閉じる。――――駄目だ。

 そうすると同時にブレードと斬り結んでいた翼が【グラス・レオーネ】に襲いかかる。

 ブレードにもっと出力を回す。――駄目だ。

 今の打撃はかろうじて本体の力場で弱めている。これが力場の防御なく激突すれば装甲は砕け、ガンジリウムが流出する。そして弱まった力場ではあの羽に呑み込まれる。

 このままヘイゼルの復帰まで耐え続ける。――駄目だ。

 間に合わない。少しずつ、敵の打撃に力場の再生が追い付かなくなっている。そうなってしまえば、ブレードか本体防御のどちらかが破られる。そのまま、墜とされる。

 つまり――――


(――――死、ぬ?)


 派手なぶつかり合いもなく。

 超高速の剣戟もなく。

 単純な個としての硬さによって、打ち砕かれる。

 順当に。

 互いの経験と研鑽のままに。

 それが――――それが【極光の魔剣アンサラー】の真価。


 奇跡なく。

 奇策なく。

 ただ磨き上げた武と暴だけで、敵を打ち砕く。


 そんな――――――何者にも揺るがない、毀れぬ剣の如き力。


 それは、まるで、あの人のような力だった。

 だから、なおのこと――――……、と。

 と、思えてしまった。


「派手な技なんていらねえ。……悪いが、人型同士の原始的な技で死にな」


 叩き込まれる衝撃に、コックピットに赤く警報が明滅する。

 そして高い接続率が故に、シンデレラは機体に与えられるダメージをまるで己の肉体に加えられたもののように受けてしまう。

 痛みが、揺れが、思考を奪う。

 力場が削られる。思索が削られる。命が削られる。


(あ――――……)


 それはきっと。

 エディスが収束されたプラズマブレードの刀身を解き、シンデレラの命の針を零時に近付ける乱打。

 断ち切られた左腕と、骨組みの右手を無遠慮に叩き付ける。遮ろうとする【グラス・レオーネ】の左手を肩のアーマーで遠ざけ、巧みにコックピットへと肘を叩き付ける。

 これだけ局所的な衝撃を与えられていたら、コックピット内のケーブルなどが断線してしまうか。それともフレームが完全に拉げ、対加速機構の誤作動で潰されるか。

 揺らぐ脳と思考で、どこか、絶望を遠く感じた。それとも、遠ざかっているから、それは真に絶望なのだろうか。

 だが――――


 ――――――シンデレラ、と。


 声が聞こえる。聞こえた気がした。

 あの人は、名前を呼んでくれたあの人は、絶対に諦めない。絶対に立ち続ける。

 だから――――だから自分も、立ち続けなければならないのだ。

 あの人を一人にしないために。

 いつか、あの人が、本当の名前で生きていけるように。

 平和な世界の中で、人の営みを見て、穏やかに笑っていけるように。

 だっていい加減に――――いい加減にあの人が、報われたっていい筈なんだから。


(ま、だ、だ――――――――!)


 拳を握り、強烈な衝撃の中でシンデレラは声を上げた。


「ヘイ……ゼル、さん……! さっきのは……!」

「接続率初期化のパスコードことか!?」

「初期化――――――」


 覚えがある。

 機体の設定時に、接続率を検査する。

 最適なものに目掛けて【一〇〇%】から落としていく。

 それが――それが、ヘイゼル・ホーリーホックにあれほどまでの力を出させたのだ。生身の技量をそのままに、機体大の人間のように。


「だが、んなことをしても……! もうちょっとだけ、耐えてくれ。なんとか――――」


 その反動なのか、ふらつきながら銃を構え直す古狩人。

 無理だ。

 注意を引くことすら、できやしないだろう。きっと彼では間に合わない。なら、自力でどうにかするしかない。

 ――――いいや、いいや、否だ。

 助けを求めたいのではない。自分は、助けになりたいのだ。あの人と――あの人が重んじる全てのもののために!

 だから、覚悟を決めた。


「意味が……ない、かも……しれませんよ……! わたしがやっても……! だけど――」


 シンデレラの接続率は、【九九・三七九%】。

 それを使ったところで、一パーセントにも満たない。あまりにも微細すぎる違いしか産まない。

 だが、だとしても。


「約束……したんです! 生きるって! 生き続けるって! って……あの人がわたしの名前を呼んでくれる限り! そうしてくれてる限り! わたしは――あの人にとってのわたしの名前は! それ以外ないわたしの名前は、そんな意味なんだって!」


 あの人とまた会うまでは、死ねないのだ。

 会ってからも、死ねないのだ。

 だったら――――ここで足掻くしかない。

 あの人を置き去りにしないために、足掻くしかない。


「これが――――ホンの欠片でも、ホンの少しでも! それに繋がってくれるなら――――」


 ホログラム・コンソールに触れる。

 警告表示――【使用者の処理能力に多大なる負荷が予期されます】【通常想定されない非推奨な動作です】【本当に実行しますか?】――承認。

 警告/要求――【最終確認です。実行の場合、パスコードの提示を要請します】。


 まるで悪魔との婚姻届のような再確認。


 そんなもの、今更恐れることはない。

 悪魔なんてものではない――――死神だ。

 死神と呼ばれる人の、伴侶になろうとしているのだ。

 だったら――――――今更一体、何が惜しいか!


Fortuna vitrea est ;運命とはガラスのように tum cum splendet輝くそのとき frangitur砕け散る. 」


 最初期に設定した、承認コード。

 その時は一体、何を思ってそんなものにしたのだろう。

 ただ、今は、それが最も合っていると自然に思えた。

 常に感じていた……父母からのように扱われて、自分から人間関係を嫌って、ただ漫然と生きていたときに出会った言葉。

 シンシア・ガブリエラ・グレイマンが、世界を見詰める目を言い表した言葉。どうせきっと、だからきっと、自分は守って貰えないし――――――幸せになんてなれないんだと思っていた言葉。


 


 その時の自分は、何を思ってこの言葉にしたのだろう。


 どうしようもなくただ心が死んでいくような中で――輝くことがない中で――砕け散るよりはいいと、思いたかったのだろうか。

 それとも、どんなにいいことや嬉しいことがあっても、それは見せかけで、すぐにもっと嫌なことが起こると言いたかったのだろうか。

 もしくは、どんなに幸福なことがあっても、所詮はそれもなくなってしまうと言いたかったのだろうか。


 今では、判らない。

 それは、判らない。


 



 告げる――――――。


Sedでも――――」


 祈りだった。

 動き出した運命に。掲げられた正義に。その先の未来と自由に。

 ほんの少し恥ずかしくて、馬鹿馬鹿しそうで、人目を避けながらコックピットで、それでもおまじないのように設定した言葉を。

 その時は、ただのおまじないでしかなかった言葉を。

 

amor meus私の恋は non frangetur砕けない――――――!」


 あの日の祈りは――――決意となって。

 だから、これが、


 この恋だけは、神様にだって壊させない。




 ◇ ◆ ◇



 多分、それは、夢だった。

 都合のいいだけの、夢だった。

 ここではないどこかで――――どこでもない場所で。

 何かから、何もかもから、遠く離れたような場所で。

 すべてが入り混じって、何もかもが混ざり合って、白昼夢にして走馬灯の如く流れるそんな場所に……シンデレラは、ありのままの姿で漂っていた。


 そして、一人。

 黒髪の青年が、一人。


「シンデレラ。……君か」


 本当は、きっと、こうして繋がることがないその人が。

 そこに居た。

 傷だらけの身体で。

 もう塞がった傷も、できたばかりの傷も、その全てを身体に宿したあの人が。


 歩み寄った。いや……歩み寄ったのか、互いの間の虚空が縮まったのかはわからない。

 それでも――――。

 彼は見上げるシンデレラの頬に手を添えて――シンデレラもその手に手を重ねて。

 そこに居るのは、確かだった。


 穏やかな、アイスブルーの瞳。

 既に、左目しか残されていないもの。

 右目を、奪われてしまったもの。

 差し出してしまったもの。


 それを見ると、涙が出そうになる。

 その痛みに涙を流そうとしないこの人が、それでも立ち続けられるようになってしまったこの人が、どこまでも痛ましい。

 何もかも、差し出してしまえる。

 求められる施しへの祈りへと、この人は、何から何まで差し出してしまえる。

 そして――ほんの少しだけ幸福になった人たちを見て、この人は、それ以上に幸福そうに目を細めるのだ。

 眩しい、お星さまのような、人だった。


「どうか、しただろうか?」


 これ以上、何も、差し出してほしくない。

 この人の形のまま、ここに居てほしい。

 そう願いたいが――――……それはこの人の人生を、決定的に否定することを意味してしまうのだろう。


 だから、どこまでも――――いつまででも。


 絶対に隣にいるのだと。

 どこまでも一緒にいたいのだと。

 そう、絡めた指に力を籠める。

 伝わってくれるだろうか。これまでの何よりも、どんなことよりも、貴方が大切なのだと。


「大尉……」


 本当に。

 ただ貴方さえ生きていてくれれば、それでいいのだと。

 見上げる気持ちは、伝わってくれるだろうか。


「シンデレラ」


 彼がふと、頬を崩した。

 何か――と眉を上げるシンデレラに、黒髪の青年が微笑む。


「そう言えば、ちゃんと、返事をできていなかったな……と思って」


 そう言って手を離して――その名残惜しさを感じる中で、片膝を突いた彼がゆっくりとシンデレラの手を取り、改めて口を開いた。


「愛してる」


 掛け値なく真っ直ぐに。

 唯一残された蒼き左目を逸らすことなく。


「君を、シンシア・ガブリエラ・グレイマンを、愛している」


 彼は、そう、恭しくシンデレラの手の甲に額を当てた。

 騎士がそう誓うように。

 ダンスへと誘うように。

 或いは指輪を嵌めるように。

 シンデレラの左手に改めて口付けをした彼は、見上げながら、宣言した。


「■■■■は、生涯、未来永劫、あらゆる時の狭間で――それが無限の地平や虚空の彼方であろうとも」


 絶対の。

 それは、絶対の。


「そこに、俺が居なくとも」


 嬉しくて。

 悲しくて。

 寂しい――――それでも揺るがない、絶対の愛の言葉。


「俺は、君だけを愛している。……他の誰でもない、君という個人を」


 ……だから、きっと、それは夢。


 見たいもの。

 そうであって欲しいこと。

 そして、そうであっては欲しくないことの。

 そんなものを見ただけの、夢に思えてしまってならないのだ。


 ……きっと、だから、夢なのだ。


「どうか、泣かないでくれ。……美しい娘よ」


 そして改めて立ち上がった彼は、そう、シンデレラの目尻に口付けをした。

 優しいだけの、キスだった。

 慈しむようなキスだった。


 だから――――。


 離れようとするその腕を引きつけ。

 その唇を、思いっきり――――――シンデレラから、奪った。

 彼の目が驚愕に見開かれる。


 同時に、シンデレラの目も――――



 ◇ ◆ ◇



 打撃が続く。

 かろうじて死霊騎士の攻撃を弱めている聖騎士の持つ力場の厚みは、刻一刻と薄まっていく。

 それは事実として弱まりではあったし、同時にエディスは油断なく、それがシンデレラの起死回生の一手のためのものと考えていた。

 プラズマブレードの強化に回したのか、それとも、また先程のように不可視の剣に頼るのか。或いは尖衝角ラムバウを叩き付けるか。

 何にせよ――――もう、終いだ。

 遠からず均衡は崩れる。

 ブレードが保てなくなるか、それとも《仮想装甲ゴーテル》を保てなくなるか、いずれにせよ終わりなのだ。


 かつて見送った民間人登用者の少年少女たちのような年齢の駆動者リンカーを撃墜する。


 そのことに――――……思うところはあった。

 だが、エディスは、決めていた。

 兵士として、第一に守るものを決めていた。そのためだったら、あらゆるコストを踏み倒す気だった。

 歯を食いしばる。

 そして――――そんな気持ちを振り切るために勢いよく繰り出した右腕が、


「な、に――――?」


 何の予兆も感じない。

 何の攻撃も撃てる隙間もない。

 そんな密着状態。

 だが、骨組みの【ジ・オーガ】の右腕は、振り付けた勢いそのままに切断されて宙を舞う。


 くるくる、と。


 どこか他人事のように呆然とした気持ち。

 直後――――エディスは総毛立つ。

 


「ちぃッ!」


 舌打ちと共にプラズママフラーを翻して側方へとバトルブーストを行った死霊騎士は、辛くも死線を逃れた。

 見送ったあちらに、宙に生じた蒼い燐光。

 ――と言おうか。

 蒼き光と共に、聖騎士の周囲に発生した凝縮された力場の剣閃。空を断つ不滅の一撃。

 それが――――聖騎士の左手の動きに合わせて、舞う。

 断絶が吹き荒れる。連続空間斬撃が、猟犬の牙の如く死霊騎士を追いかける。


(――――っ、この土壇場で……コイツ……!)


 容赦なく空を断ち切る不可視の剣の檻。剣の領域。刃の聖域。斬撃空域。

 骨組みの【ジ・オーガ】に一瞬遅れて宙に翻った蒼い燐光と共に、無数の透明なる一閃が空域を切り刻む。

 白銀の聖騎士の左手が翳される。

 その掌が照準するように――否、事実として照準だ。

 その腕部やマニピュレータから指向性を持って放たれる力場が凝縮され、飛翔する【ジ・オーガ】に喰らいかかるように空間に生ずる断裂めいた刃として容赦なく降り掛かっていた。

 その最大投射距離は、尖衝角ラムバウに等しいか。


 不可視にして最高強度の斬撃によるカウンター。


 つまりは、その本質は、接近などを許さぬという刃にして盾だ。

 剣士殺しの剣だ。近接殺しの刃だ。

 迂闊にバトルブーストを用いれば、その瞬間に自ずから衝突して両断されかねない。そんな致死の罠だった。


(目覚めさせたか……! 駆動者リンカーになって半年も経っていねえだろうに……どんな成長なんだ、コイツは!)


 最早、シンデレラ・グレイマンもこの世界の最強の一角と呼んで誤りはあるまい。

 どんな相手の防御も貫く最強にして不可視の連続剣閃。

 間違いなく近接白兵戦闘や近接射撃戦闘においては無比の破壊力を誇る。あのユーレ・グライフの戦闘勘でなければクロスレンジでの回避はままなるまい。彼に劣るとはいえ、敵の迎撃レーザーをプラズマブレードで捌けるエディスであるからこそ辛くも応じられているにすぎない。

 おそらくは、黒衣の七人ブラックパレードでさえこの少女の距離では敗北も有り得る。その領域まで至っていると確信する。


 ミサイルに追い立て続けられる戦闘機めいて、紅きプラズマのマフラーをはためかせた【ジ・オーガ】は回避を続ける。

 剣の檻を、斬撃の罠を躱し続ける。

 足を止めれば、或いは進行方向を誤れば、その瞬間に潰される。汎拡張的人間イグゼンプト殺しの力がなければ、その空域に居るだけで未来視と共に葬られかねない究極の斬撃の王。


(やってくれるじゃねえか、女英雄ヒロイン――!)


 エディスは、それでも勝てると――負けないと考えていた。負けられないと、考えていた。


 眼の前の二機、もしくはそのいずれかでも倒す。そうして、狩人としての実力を証明する。保護高地都市ハイランドに見せ付ける。

 この街の騒乱を収めるのは、そう考えるのは、現状では不可能だ。エディスらも騒乱の一部となってマウス大佐にその役目を担わせようとしていたことも、この二機によって不可能となった。

 もう、人々は知った。誰が善を担っていたのかを。その位置を横取りすることは、不可能となった。

 ならば、あとは――――混沌としたこれからの世界のために【狩人連盟ハンターリメインズ】は必要な力と理解させ、多少の無理は呑み込ませる。それしかない。

 通信途絶を利用して、【フィッチャーの鳥】こそが都市部の騒乱を抑えたのだと、そんな形に持っていく。そう、新たな物語を打ち立てていく。紡がせる。


(恋だのなんだのと……そんな生易しいもんで戦ってるんじゃねえんだよ、こっちは!)


 軌道修正を行う。

 どんな形にせよ、コンラッド・アルジャーノン・マウスを玉座に付かせる。何を利用しようとも。

 そうするだけだと――――対する白銀の聖騎士の姿を眺め、彼は、言葉を失った。


「貴方たちが、ここにいる人たちの命を踏みにじるというなら……」


 赤熱する。

 少女の言葉に合わせて、赤く。

 白銀の聖騎士の右手が、赤熱する。

 機体内部の流動を制御したシンデレラの意思が、力場の流れが、機体内部を流動するガンジリウムをその手腕に集める。

 その熱に、右手が、赤く燃える。


「あの人の祈りを……誰も聞き届けてあげようとしないあの人の祈りを、踏みにじるというなら……」


 それは――――単純な方程式だ。

 力場には、指向性の付与が可能だ。しかしそれは、必ずエネルギーのロスを伴う。

 ならば、最硬の剣を作るならば……。

 指向する必要なくという――ただそれだけ、たったそれだけの理屈。

 ただそれだけで、を塗り替える理屈。


「あの優しい人が……あの人が、泣かなきゃいけないというなら……貴方たちが! そうすると言うのなら! 多くの人の命を! 想いを! 祈りを踏み躙るというなら!」


 先程よりも強く――――先程よりも硬く。先程よりも眩く。

 蒼い燐光を放つ聖剣が、その手に生じた。

 己の力場をただ収束して作る不可視の剣ではない。

 それはこれまでに二度、周囲のガンジリウムを集積して編み上げたあの剣と同等の最強の幻想。

 内なる力だけで、白銀の【グラス・レオーネ】は、その無垢なる聖剣を――――改めて掴み取ったのだ。


「そんなもの! わたしは……――――わたしが!」


 宙から引き抜かれ、中段に構えられた聖剣。

 その剣が、改めて頭上に掲げ直される。

 透かすように。

 照らすように。

 それは、願いだ。願いであって、祈りであった。


「あの人の――――になる!」


 蒼き光を携えた聖剣が、そして――――――一息に振り抜かれる。


「まずは、その暗雲やみを――――――――断つッ!」


 瞬間、甚大な不可視の波動が生ず。

 蒼く輝く燐光が、暗雲に包まれる都市上空に膨れ上がった。



 大地には、怒りと憎しみの炎が広がった。

 恐れが、それを起こしてしまうと言うなら。

 闇が、その不法を許してしまうと言うのなら。


「……あ」


 誰かが、足を止めた。

 足を止めて、空を見上げた。

 そんな人々が、都市の中で、幾人も現れた。

 彼らが見上げる先には――――光。

 宵闇の如き暗雲に包まれていた筈の空が、人々の中の原始的な恐怖と本能を煽り加熱させるような闇と雲が、裂けている。

 一太刀で断ち切られたように、裂けている。

 雲が、闇が、裂けている。


 ああ――――……


「晴れ……てる……」


 その光の中で空に佇む――聖剣を携えた白銀の聖騎士がいた。

 雲を晴らした、聖騎士がいた。

 善を執り成す、聖騎士がいた。


 ……かつて、ある記録があった。発電所の送電不良によって闇に包まれた都市の中で大規模な強奪や暴動が発生したという、そんな記録が。

 未開の地などではない。ニューヨークという大都市で、闇に乗じた犯行や疑心暗鬼による不法行為が積み重なったという歴史的な記録がある。

 闇は、恐怖を加速させる。

 人の中の、獣であった本能を刺激する。

 ならば――――――これは、これは、つまり。


「…………ッ」


 エディス・ゴールズヘアが、コックピットの中で舌打ちをする。

 都市部上空を覆い尽くした暗雲と雪は聖剣の一撃に蹴散らされ、その中に含まれていたガンジリウムもその形を保てないほどに吹き飛ばされるか切り刻まれるか……なんにせよ、電波的にも都市を覆っていた筈の暗闇が晴らされたのだ。

 核分裂反応や中性子線放射、ガンマ線放射などという次元ではない。

 物体を構成する分子の、その更に原子核の、その構築を行う陽子や中性子などの強粒子ハドロン――を作る物質の最小単位たる層子クオークすらも切り刻む無比なる聖剣。文字通りの


 それでも厳密に定義するなら、層子クオーク同士を結び付けるを媒介する膠着子グルーオンは決して断ち切られない。

 奇妙なことに距離をどれだけ隔てても層子クオークは常にを持ち続けるという法則が故に――それをなおも無理矢理に引き剥がさんとすれば、その距離の分だけエネルギーは増大していくというそんな性質がある。

 そして、それら離れるクオーク同士が持たざるを得ないエネルギーよりもだと言うように、エネルギーは質量へと転じ、離れるクオークの間には――膠着子グルーオンで結び付けることのできる新たなるクオーク・反クオークが生成されていくフラグメンテーションという現象が発生する。

 無から生じる有じみた、エネルギーの質量変換。

 それらが加速し、無数の重粒子バリオンが生じ、急速に都市の上空の雪雲は押し退けられ――大穴を開けたかの如く、街を光が覆っていた。



 銘を――――――暗雲の斬裂者クラウドブレイカー

 闇を切り裂き、光を齎す聖剣だった。



 彼は、苦々しく拳を握った。

 こうなっては、通信途絶の中での行動など出来やしない。軍用の通信衛星が撃墜されたとも知っては居たが、必ずしも通信は衛星を経由するものだけではない。少なくとも、単純に機体から発する電波は郊外まで届きかねないだろう。

 混乱の中にあったという建前は、成り立たない。

 都市の騒乱も、闇を取り除かれたとあっては、これまでのように加速はすまい。


 最早……彼の目論見は、潰えたのだ。


 眼前の敵機の撃墜よりも――――現状の解決を望んだ一人の少女によって。



 ◇ ◆ ◇



 身を翻して都市から暗雲の空へと離脱する二機のアーセナル・コマンド背に向けていたプラズマライフルを、聖騎士が下ろす。

 初期化状態は、十秒。

 その持続なら――……おそらくは問題ないと、そう、シンデレラの感覚は告げていた。気持ちの悪さや消耗はあるが、今の所、急に身体のどこかがおかしくなるような感覚はない。


「ったく……まさか一人で追っ払っちまうとはな。随分と強くなったじゃねえか、シンデレラの嬢ちゃん」

「……」

「嬢ちゃん……?」


 だから……伺ってくる無線の声に応じられなかったのは、初期化に伴った脊椎接続アーセナルリンクの後遺症によるものではない。

 シンデレラは口を噤み、呆然と考えていた。

 あの、接続率を書き換えた――その瞬間のことだ。


 奇妙な……奇妙な夢を見た気がする。

 幾度も行われる世界の終わり。何度も迎える世界の終わり。

 そんな果てしない悪夢の中で、最後に出逢う声。

 最後に差し出される手。

 最後に見る、一つの背中。


 どんな時空の彼方だろうと。

 どんな地平の果てだろうと。

 その人は、必ず、そこに居た。


 ――――――……のか?


 何度も。

 何度も問いかけてくれた、あの人は。

 ずっと、どこまでも。どこででも。

 何人ものシンシア・ガブリエラ・グレイマンに手を差し伸べてくれたあの人はきっと、見知らぬ人ではなくて、なんかじゃなくて――――……。


「どうした、シンデレラの嬢ちゃん?」

「いえ……その……」


 言葉にできず、シンデレラは口を噤んだ。

 ……おかしな話だ。

 自分は、今ここにいる自分しかいないというのに。そんな色んなどこかに居たみたいで――――……。

 あの人が、同じようにここにしか居ないはずのあの人が、色んなどこかにいるだなんて。

 どんな時間でも、どんな場所でも、そこに居てくれるだなんて。どんな世界でもどんな未来でも、絶対にそこに来てくれるだなんて……。

 何よりも、


(……それが、全部、大尉だなんて)


 不思議とそれが――――そこ来たあの人が全て、自分の知っているあの人であると、思えてしまうなんて。

 奇妙すぎることだった。

 ここの自分以外の自分というだけでも信じられない話なのに、それ以上に、もなく常にあの人がいるというのは……。


(……まるでわたしが、それぐらい、大尉に愛されてるって思いたいみたいじゃないですか。なんですかそれ)


 とんでもない誇大妄想に思えてならない。

 そう内心で呟き、


(愛っ――――――、――――――――!?!?!?)


 ぼっ、と。頬が熱くなる。

 いや、違くて。

 いや…………いや。

 そりゃ……嫌いではないですよ。そんな風になんて思ってませんよ。そう思うわけないじゃないですか。あんなに近くにまで近付けて。嫌いとは言ってませんよ。一言も。言うつもりもありませんよ。当たり前じゃないですか。

 でも別に大好きとは。そんなことは。そんなこと、別に、まだ一言も――――――――――…………言っちゃってた。言っちゃった。大好きって。

 大好きですって。


 ……いや、違くて。

 違わないんですけど。違わないんですけど。違わないんですけど、こう、でも違うじゃないですか。

 違うじゃないですか。こう。違うんですよ。

 そりゃあ……た、確かに嫌いじゃないですよ。告白もしましたよ。色んなこと言いましたよ。でもこう、違うじゃないですか。違うんです。違うんですよ。違いが判らないと駄目なんですよ。わかりますか? 駄目なんですよ。違うじゃないですか。違うんですよ。


 違うじゃないですか。好きって言うのと……いや、大好きって言うのと、それに愛してるって返された上で好きって言うのは。違うじゃないですか。別じゃないですか。

 違うんですよ。違うんです。

 それは、だって、つまり、愛してるって言ってくる人に大好きだって言っちゃうってことですからね。全然違いますよ。違うんですよ。とにかく。

 どう違うかって……それは……いやだから、こっちの好きをわかった上で愛してるって返してきちゃえる人に、それを踏まえて、また、好きですって言うんですよ。言っちゃうんですよ。それは……危ないんですよ。危ないじゃないですか。きっと。色々と。とにかく。すごく危ないんです。何されるか判らないし……何されてもいい、みたいになっちゃうじゃないですか。してください、みたいな。そんなふうに。駄目です。ハラスメントですよ。


(うー……)


 嫌じゃないんだけど。

 嫌じゃないんだけど、なんか、こう、負けた気がして。

 別に……嫌じゃないんだけど。望むところなんだけど。嬉しいんだけど。でもこう、なんか、こう、違うんですよ。何とは言えませんけど。とにかく。違うんです。


 ぶんぶん、と頭を振って追い出す。


 そんなときだった。

 通信は【アグリ・グレイ】――――マクシミリアン・ウルヴス・グレイコートとローランド・オーマインから。


『……戦闘が終了したばかりで悪いが、我々も離脱を行いたい。退路には【フィッチャーの鳥】が待ち受けているだろう。君の戦力が必要だ』

「逃げるんですか、ここから」


 口を尖らせながら、シンデレラは言う。

 暗雲が晴れたと言っても、街ではまだ煙が立ち昇っている。ヘイゼルの鎮圧がどの程度まで及んでいるかは、シンデレラからは判らない。

 マクシミリアンは、重い口調で返答した。


『……これ以上この場に留まったとしても、状況の改善は見られないだろう』

「なんですか、それ。街の人を助けたらどうですか? あの人たちに手が足りてないなら、それは立派な改善じゃないですか。それとも……それこそ、わたしたちがおかしなことをしていないって証明になるんじゃないんですか?」

『そう上手く運べばいいが……結局のところ、それは場の決定権を我々ではなく保護高地都市ハイランドの上層部がどう判断するかに委ねてしまうことを意味する。つまり……状況によっては彼らの判断の下に、我々は断罪されかねないということだ。複雑な政治的な判断の末に、彼らが手のひらを返して我々の排除を計画した場合……逃げようがないことを意味するのではないかね?』

「……」


 マクシミリアンの口にする懸念に、シンデレラは口を噤んだ。そうしない――――という保証は確かにない。

 国はあの【フィッチャーの鳥】の不法を黙認していた。

 彼らなりの必要性や必然性はあるのだろう。だとしても、それは、ある種の前科だ。それが繰り返されないとも限らない。そうなったときに殺されてしまってからでは遅いと言われたら、シンデレラも頷かざるを得ない。

 だが、それでも認めがたいものではあった。しかし……


『それに……エーデンゲートに向かった艦隊の件もある。あちらでの戦闘続行と証拠確保のためには、我々がここに残っていることは不都合にすぎる。仮に保護高地都市ハイランドがこの場で二心なく我々を取り扱おうとしても、我々の側が現状の法のその線の先で活動をしているのだからな』

「……わかりましたよ」


 アーサー・レン、アシュレイ・アイアンストーブらは宇宙にて【フィッチャーの鳥】と【蜜蜂の女王ビーシーズ】の取引の証拠を抑えるべく動いている。

 エーデンゲート近くで万一戦闘が発生してしまった場合――ここにシンデレラたちが残ることは、彼らの行動の妨げになってしまうだろう。

 ぐ、と拳を握る。


(大尉……ごめんなさい……)


 本当なら、彼と話していたあのときのままなら……この騒動が終われば彼の下に残れる筈だった。

 だけれども、マクシミリアンがとったあの強引な排除とこの都市部で発生した戦闘を前には、もうそんな当初は目指せなくなってしまった。

 無念のまま、目を閉じた。

 あの人を――――また、置き去りにしてしまう。一人にしてしまう。抱き締めてあげることも、できなくなる。


(離れたく……ないなぁ……。大尉と、ずっと、一緒にいたい……どこにも行かないで……ずっと一緒に……)


 もういいのだと。

 貴方だけが戦わなくていいのだと。

 そうでなくとも、ただ、貴方のそばにいたいのだと。

 寄り添っていたいのだと、胸が苦しくなる。

 でも、


(……そのためにも、わたしも、やらなくちゃいけないことがあるんだから)


 ゆっくりと、瞼を上げた。

 マクシミリアンから示された離脱ルート。

 おそらく、待ち構える【フィッチャーの鳥】との衝突も有り得るルート。

 それをコックピット越しに遠く眺めつつ、ふと、視線を移した。先程まで共に戦ってくれた、その人へ。

 もしかしたらこの先も――――と、僅かに考えつつ。

 だが、


「お兄さんは保護高地都市ハイランドの軍人だぜ? 誰が離れていこうと、お兄さんだけはグリムの野郎と別のところには行かねえよ。俺は、最期までアイツのそばにいる」

「ヘイゼルさん……」

「で、まあ――……そうなると嬢ちゃんの処遇をどうするかって話だが――――」


 古狩人が、ショットガンを握る方と逆の空の手をひらひらと振った。


「悪いが、普段やらねえことをやったからお兄さんも限界でね。……ここから、を追っかけることなんざ出来やしねえさ」

「ヘイゼルさん……!」

「行きな。……この街の方は、お兄さんがよ。その後は、まぁ……精々、俺と戦場で当たらないことを祈ってくれ」


 コックピット越しに……あの訓練の日々に向けられていた彼のウィンクを思い出す。


「――――ありがとうございます、ヘイゼルさん!」


 コックピットの中で大袈裟に頭を下げれば、彼はその機体で肩を竦めるようなジェスチャーをした。


「あいよ。結婚式には呼んでくれな」

「大尉と相談します! あっ、違っ、いえっ……けっ、結婚なんて気が早いです! すっ、するなんて一言も言ってないのにっ! ハッ、ハラスメントですっ!」

「あいあい。……ま、素直になんなさいな」

「わたしはいつでも素直ですっ! 変な言い方をしないでください!」


 そう吠えかけながら、混乱を平定した聖騎士は空に遠ざかっていく。

 そういう変なところも相棒の青年に似てるなあ、とヘイゼルは肩を竦めた。

 それから煙草を取り出し、彼は街を見下ろす。

 ハッキリ言って不調のままに吸うのは完全に愚かしい行為なのだが、機体に生身の感覚を引き摺られすぎないためには必要なことだろう。


(……街の方の救難は、まぁ、ボチボチか。どっちも、しっかり集中して……。まぁ――そうだろうよ。クーデターをしたくてしてる訳じゃねえんだ)


 シンデレラのあの言葉の時点で、この件については決着がついていたと言っていい。

 彼らの持つ疑心暗鬼を、彼女が彼女自身をとして扱うことで解決させた。エディス・ゴールズヘアが意図的に水さえ差さなければ、もっと早く解決していたのだ。

 そして今は――その法としての役目を、ヘイゼルが引き継いだ。武装を用いて救助ではなく撃墜を行おうとするならばそれを裁くと――――善因には善果が、悪因には悪果があるように、人がまず法に対して素朴に抱くを担った。

 そして、出だしの混乱さえ落ち着いてしまえば指揮系統を取り戻した保護高地都市ハイランド軍にそれを投げ渡せばいい。あくまでも緊急避難、残りは法的に正当な彼らの出番で義勇兵めいたヘイゼルはお役御免だ。

 そう、一つも聞き逃しがないように神経を張り詰めさせつつ――――……ふと、口から深い溜め息が漏れた。


「……マーシュの嬢ちゃんにブチギレられねえかな。余計なことしやがって、って。でもなあ……でもなあ、相棒のことを思うとなあ……」


 やってることは完全に、意中の相手に別の想い人が居て、そしてその恋を破綻させるために片一方の背中を押して別の女とくっつけさせたというものだ。

 ハッキリ言うなら、最悪的な打算行為。それだけで嫌われてもおかしくない。

 だが――――だがそれでも、純粋に、相棒の恋を応援してやりたかったのだ。マーシュの気持ちは判っている、そして自分はマーシュに想いを向けている。

 それでも……そうだとしても、ハンス・グリム・グッドフェローの恋を支えてやりたかったのだ。


 ままならねえ、とシートに緩く背中を崩す。


 絶対に嫌われる。マーシュ視点じゃクソ野郎だ。

 クソッタレ。また本命にフラれる。

 一杯奢ってもらわないと割に合わない。アイツの金で高い酒を飲んでやる――――と、髪を掻き毟りながら、


「……アイツ、大人しくしてるよな?」


 ふと、ヘイゼルの口からそんな言葉が漏れた。



 ◇ ◆ ◇



 しくじった――――と。

 空を駆ける【ジ・オーガ】のコックピットの中で、エディス・ゴールズヘアは歯を喰い縛る。

 何としても、あの場で、やり遂げなければならなかったのだ。


 妖星【B7R】の破壊。


 それが、コンラッド・アルジャーノン・マウスの最終目的だ。否、彼とエディスの目的だ。

 そのためにも【フィッチャーの鳥】の掌握は不可欠であり、ひいては保護高地都市ハイランド本国の承認も不可欠だった。

 そのための場が、あのレヴェリア市だった。

 実際のところ、今現在も人が住まう【B7R】の破壊は簡単に進むものではない。相応の――本当に相応の必要性が求められた。

 そして、それに、最適の駒が集まった。


 ウィルヘルミナ・テーラー。


 彼女のその技能と、コンラッドに追い詰められた末にあの街で下した決断はエディスたちの選択のためには紛れもない福音であったのだ。

 紛れもない脅威。

 排除のための大義名分として。


 それは――――同じだった。


 終戦直後の軍将校によるクーデターの煽動。

 そして、国家原理主義者による反保護高地都市ハイランド運動の加熱。

 戦争によって乱れた治安の回復と、軍事費の削減。


 そんな必然性の下に【フィッチャーの鳥】が作られたことと。



 ……否。そもそも【フィッチャーの鳥】もまた、彼の計画のために組まれたものではないのか。エディスは、そうも考えていた。

 その中には時代の流れや戦争混乱による必然も含まれていて、そのすべてをコンラッド・アルジャーノン・マウスが誘導した訳ではないだろうが……彼はその類まれなる頭脳と話術とエコー・シュミットの演算を利用した情報収集によって高度に状況をコントロールし、ついには国家に【フィッチャーの鳥】という強権的な組織を作らせるに至ったのではないか。


 そうだ。【フィッチャーの鳥】そのものでなくとも、そんな方向性を。ある種、そんなふうなものを望んだのではないだろうか。

 玉座を。

 初めからあの男が座るための玉座を。彼自身がやがて戴冠するために、策略を以って作り上げた偽りの騎士団を。


 真相は、判らない。


 だが、何にしてもその最後の詰めは紛れもなくこの会談であり――――そしてあの都市部の戦闘だった。

 保護高地都市ハイランド連盟軍に十分な防衛能力は無しと内外にアピールし、混乱のままに場のイニシアティブを奪い、そしてなし崩し的に【フィッチャーの鳥】の存在の必要性とその行動を国家に追認させるという。


 そのために……首相、大統領、公爵の巻き込まれた事件においての解決を【フィッチャーの鳥】が行うという筋書きが用意された。

 だが、それは崩された。

 シンデレラ・グレイマンとヘイゼル・ホーリーホックという二名の特記戦力の奮戦によって、虚しくも打ち崩されてしまった。


(クソッタレ……! クソッタレども……!)


 ウィルヘルミナ・テーラーという存在がいない場合の、つまり当初のプランは三つ。


 一つは――――秘匿された決戦型アーク・フォートレスを利用したプラン。その甚大な破壊力を以って人々に忌避感を抱かせ、そのアーク・フォートレスの制御や作製には、かのグレイコート博士の【ガラス瓶の魔メルクリウス】が携わっていたことをリークする。

 そして、その【ガラス瓶の魔メルクリウス】そのものである妖星【B7R】の破壊を是認させる。

 その測り台として――――そして戦時中の情報収集から断片的に想定されていた決戦型アーク・フォートレス同士の共鳴を呼び越すために、潜入調査は行われた。


 もう一つは、保護高地都市ハイランドへのテロ行動を理由とするプラン。

 本来ならば国力が劣る衛星軌道都市サテライトがああまでも新機体を生み出し戦争中に猛威を振るったこと、そして大気圏での実証実験を行っていない【星の銀貨シュテルンターラー】がああも兵器として完全に運用されたのは、間違いなく【ガラス瓶の魔メルクリウス】というシミュレーターによるものだ。

 つまり、それさえ手にしてしまえば、また新たに大地を焼く火を作り出すことが叶う。

 それを防ぐためにやむを得ないとして破壊する――かつての大戦時の資料や残党たちの情報を総合することで、そんなシミュレーターの正体が明らかになったというストーリーを作り上げて。


 そして最後に……プランとしての実行は避けたいものであるが、まさしく【B7R】そのものの危険性を呼びかけるプラン。

 すなわちはあれらが鉱物生命体であり、そして寄生体であることを全世界に発信した上で破壊すること。

 しかし――そうなれば、エディスが守りたかった他ならぬアルテミス・ハンツマンが危険に晒される。

 妖星の破壊に留まればいい。

 だが、間違いなく感染者たちもおぞましい外宇宙寄生体の母体として取り扱われることは避けられない。


 それを――――ウィルヘルミナ・テーラーのおかげで組み替えることができたのだ。彼女が引き起こすだろう騒乱によって【フィッチャーの鳥】の地位を確固たるものに変えるという、そんなプランに。


 だというのに……その、詰めであったというのに……。


「……申し訳ない、教官殿……」

「……」


 サムの謝罪に、エディスはすぐに応じられなかった。

 もしも、サム・トールマンが本調子であったなら――あの結果はまるで違うものになっていただろう。エディスはそう考えていた。

 素質としては黒衣の七人ブラックパレードに匹敵する青年。

 彼ならば単騎でヘイゼル・ホーリーホックを抑えきることもできたであろうし、そうであればエディスはあそこまでシンデレラ・グレイマンの成長を遂げさせることなく撃墜を図れていた。そうも、思う。

 だが……


(……無理もねえ話なんだ。メイジー・ブランシェットの暗殺じみたものに駆り出されて、おまけにゲルトルートが音信不通になってりゃ……。撃ち落とされねえだけ、装置はちゃんと機能していたって思っていい……)


 なんとか、頭では、そう思おうとしていた。

 あの大戦から過ごした戦友であり、それ以前からも交流があったというゲルトルート・ブラックの未帰還。

 あの大戦に参加した兵士なら誰もが知り仰ぎ見る英雄レッドフードの暗殺に、自らの最高指揮官たるヴェレル・クノイスト・ゾイストの暗殺の容認。

 兵士を続けるのも難しいコンディションだった。それなのに曲がりなりにも僚機を務められていただけ――そして撃墜されなかっただけ上等だと、褒めてやるべきことだ。

 それでも――――……すぐに切り替えられない程度には、エディスも心の内にこびりついた感情があった。口を開けばそれが己から飛び出しそうで、彼は無言を保つしかなかった。


 そうして飛行している内に――やがて、彼女が晴らした空を超えて、再びあのガンジリウムを伴った広域通信障害の雲間の彼方に見える影があった。

 短波通信が入る。


『【狩人連盟ハンターリメインズ】の――――?』


 編隊を組んで滞空する十二機のコマンド・レイヴン。

 その肩に記されたペイントから、【フィッチャーの鳥】という推測はできた。

 おそらくは例の大統領からの指示に基づき、ゾイスト特務大将に命令されて集結した兵たち。


『その……レヴェリアから来たのか? 街はどうなってるんだ? 首相や大統領は、大丈夫なのか?』

「……ああ。そうだな――……」


 僅かに、エディスは考えた。

 この場で、どんなことを行うべきか。

 今から【フィッチャーの鳥】を現場に向かわせることにどれだけの意味があるか。それが、エディスたちの立場の不利を呼ばないか。


(……不利? 今更か。今更すぎるってもんだぜ、それは。だとして、ここからコイツらを集めて――何になる? 何ができる?)


 あの、シンデレラ・グレイマンにぶつけるには不足している。それこそあれは、黒衣の七人ブラックパレードやエコー・シュミットでもぶつけない限りはどうにもできまい。

 だが、上手くやれば、あのヘイゼル・ホーリーホックを討ち取ることはできるかもしれない。特に通常の接続率との差分が多かったであろう彼は、中々に立ち直れまい。

 問題は、それをしてどうなるということだ。

 エディスたちがヘイゼルを取り除くからこそ意味があったのだ。確かに――いずれ敵になるなら、是が非でも取り除いておきたい。真空による音の断絶すらも克服したあの男は、間違いなくこの世で最強の戦力の一つだろう。

 しかし、今は、難しい。

 殺すのは容易く、しかし、それ以外が難しい。

 いくら不調と言ってもヘイゼル・ホーリーホックとの衝突ともなれば【フィッチャーの鳥】にも甚大な被害は出るだろう。そうなったら、まず、彼らからの支持を得られなくなる。エディスは恨まれ、その上役であるコンラッドも同様に。おまけに決定的に保護高地都市ハイランドからはと見做されかねない。


(リスクが、デケえ。……それとも、ボスは最悪、国とやりあってでもあの星を壊す気か? いや、最終的にはそうだとしても――――今この場では、不味いか)


 そうだ。最後のその時までは、保護高地都市ハイランドから追認を得なければ

 なんとか思考を回したエディスは、言葉を選びながら口を開いた。


「……そうだな。状況は、最悪だ。大規模な暴動と、衝突が起きた。大統領たちは――……すまん、判らない」

『なんだって!? 暴動!? それに、衝突!? その機体……戦闘か!? 何があったんだ!?』

「これは、【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】の所属不明機によってだ。……都市上空での戦いになった。何とか戦おうとしたが、押し切られた」

『そんな……アイツらが暴動を!? また!?』


 問い返す兵士は、あの、空中浮游都市ステーションマウント・ゴッケールリでの大規模衝突と大量死を連想しているのだろう。

 正確にはジャマナー・リンクランクの愚かしい指揮によって引き起こされた人災とも呼ぶべき虐殺劇であったが、その真相を知る者は少ない。

 つまりは、何も知らない彼らにとっては、シンデレラたちが属する【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】は未だにそれほどの危険集団ということだ。


「判らない……詳細は不明なんだ。ただ、火山被害に市民が避難した避難所から同時多発的に火が上がった……間違いなく組織的な行動だ」

『っ、なんてことを……! ゾイスト特務大将が俺たちを呼ぶわけだ……クソッタレ! そうだ、特務大将は――』

「聞いていないのか? そうか。そこまでは、電波が届いてなかったのか……」

『なんだ!? 何があったんだ!?』


 ショックを受けて考え込むような素振りの後、エディスは続けた。


「特務大将は……亡くなられた」

『なんだって……!? そんな――――そんなバカなことが……! 【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】の仕業か!?』

「それも不明だ。……ただ、現地は酷い混乱だった。通信障害のせいで、保護高地都市ハイランド空軍との同士討ちまで発生するぐらいに……今から彼処に戻っても、その危険がある。まずは、そのことを伝えるのと……騒乱の鎮圧にはもっと応援が必要だと考えている」

『同士討ち!? そんなことまで……!?』

「ああ。戦力として看做されてないというより――……完全に仮想敵として考えられていたと、そう見た方がいいかもしれん」

『敵……!? 俺たちが……国の、敵だって……!? そんな……!』


 真実の中に、一摘みの疑念を混ぜる。エディスが結局選択したのは、それだった。【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】は反政府組織だと、そして保護高地都市ハイランドはこちらを切り捨てにかかっていると。

 こうして疑念さえ煽れば、あの街でシンデレラ・グレイマンに感化された者たちは――少数派になろう。改めて反感を焚き付けられた上で新たに街に向かう者たちからすれば、それは、極限状態でどうにかしてしまった人間と思える筈だ。少なくとも彼女の勇姿が勇姿として宣伝されぬだけの手は打っておく。

 そして、あの街に【フィッチャーの鳥】を向かわせることは――――総合すれば悪くない。何事も起きずに救助を行えるなら、そこでも【フィッチャーの鳥】の手が多いことは良い。誰が救助に最も尽力したのか、市民に知らしめることができる。


 当初狙った効果は得られないが、それでも、まだ手の打ちようはある――――。

 エディスはそう、静かに拳を握る。

 友軍に銃を向け、指揮官を取り除き、英雄を葬ってまでも己たちの目的を果たそうとした。している。

 だからこそ、最後まで妥協できない。ここで止まれる線などない。どんな状況でも諦めずに己たちにとっての最善を目指すしかないのだ……と。


「あの街が危険なことには変わりないが……応援要請ができたなら、俺もまた街に戻る。これから戻るつもりだ……ここの通信はまだおかしいみたいだが、他に、どの辺りに部隊がいるんだ? 叶うなら、そこにも声をかけてきて貰えないか? 注意を呼びかけてほしい」

『あ、ああ――……いや、その機体で戻ろうなんて思わないほうがいい。俺たちが向かう。国から撃たれるかもしれないんだろ? 代わりに友軍への伝達を頼みたい。他の部隊は――――』


 これで、おめおめと逃げ去ったという評価も拭えるか。

 焼け石に水程度だが、離脱する理由付けもできた。

 こうして【フィッチャーの鳥】には、十分に嘘のない情報を伝えた上でまだその権威が保てるような形に運ぶ。少なくとも彼らが国から切り捨てられない程度には、役割を果たさせる。

 あの場を即座の戴冠の場にはできなかったが、席次からして、コンラッド・アルジャーノン・マウスは上を狙えなくはない位置にいる。あの男なら、挽回できる範囲だ。

 おそらくは――おそらくは生存しているならゾイスト特務大将の腹心であったシュヴァーベン特務大佐が後継者に名乗りを上げるだろう。逆説的に、その程度の階級でもトップに座れるという前例になってくれる。


 なら、まだ、どうにかなる。


 どうにかできる――とエディスは頷く。

 大きな軌道修正は余儀なくされたが、この国には強い混乱が降りかかった。それが収まるまでは、まだ、進みようがあるのだ――――と。

 そう思った、その時だった。


 ……一つ。

 一つ、大きな理由がある。

 まだ彼らが、保護高地都市ハイランドの枠組みの中で行動しようとしていることには、理由がある。


 何故、保護高地都市ハイランドの追認を得る位置を取りに行ったかの理由は一つだ。

 どんなものを並べ立てても、真実一つだけだった。

 それは――――……エディスの耳に、信じられない音が響いた。


『――――サム・トールマン、エディス・ゴールズヘアだな』


 降り注ぐ雪に入り混じってチャフのようにレーダー反応を潰すガンジリウムの中で、無線音が乱れる中で、それでもその冷静な声色は揺るがぬ響きであった。

 徹底してコンラッドが表舞台に立たなかった理由。

 他者の弱みも握れる情報能力と【狩人連盟ハンターリメインズ】という戦力を持ってなお、今日この日まで行動を起こさなかった理由。


 ――――曰く、秩序の猟犬。

 ――――曰く、鋼鉄製の理性。

 ――――曰く、抑止力の騎士。


 この国の法秩序においての最終線。

 世界すべてを相手取っても滅ぼしきれる最終兵士。

 その鋭角の嗅覚は、獲物を、逃さない。


 狙われたら――――――――だ、と。


『速やかに投降しろ。市街地上空での戦闘行為についての問責がある。都市近傍での大規模なプラズマ兵装の使用について、幾つかの法令に抵触している。機体を捨て、大人しくこちらの指示に従え』


 視界の向こうに。暗雲から湧き出るように。

 銃鉄色ガンメタルの古狩人が。


 死神が、いた。


「……馬鹿な」


 呆然としたエディスの響きが零される。

 なんで、よりにもよって、ここに。

 おまけに、どうして、そんな理由で。


 衛星軌道都市サテライトでの潜入任務のレポートは確認し、ウィルヘルミナ・テーラーが彼に対して並々ならぬ感情を向けていると確認していた。この街で彼女が騒動を起こしたそのときには、確実にその攻撃対象となると考えていた。

 そして、市街地上空の戦闘に我先に駆け付けなかった時点で――――どんな形にせよ、彼は、戦場に出てこられない状況にあると見ていた。


 なのに……。

 だというのに……。


『繰り返す。武装を解除し、速やかに投降せよ。でなければ――――



 戦場ここに立つなら、法理は一つだ。


 ――――死神それからは、逃げられない。

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