【180万PV感謝】機械仕掛けの乙女戦線 〜乙女ロボゲーのやたら強いモブパイロットなんだが、人の心がないラスボス呼ばわりされることになった〜
第157話 真冬の昼の悪夢、或いは民衆。またの名をパノプティコンの歯車
第157話 真冬の昼の悪夢、或いは民衆。またの名をパノプティコンの歯車
墜落したコックピットの中の全天周囲モニターは全て黒く潰され、彼女は、微かに灯る警戒灯以外の明かりがない中にいた。
棺桶めいている。
息苦しく、ヘルメットを外した。結いていたゴムも千切れて、エルゼの桃色の髪が踊る。
肉体を座席に縛り付けるためのベルトにはガッチリとロックがかかっており、どうも、墜落の衝撃でどこかがおかしくなったのかもしれない。
痛む肋骨をさすりながら、ぼんやりとした頭を起こす。
『この巨人の大きな手は――――戦う以外にも使える筈でしょう!? こんなに……こんなに大きな手なんですよ! 色々なものが掴める手なんですよ! あの日のわたしの命だって助けてくれた、大きな手なんですよ! だから――――差し伸べてくださいよ! そこにいる人たちに! 今、苦しんでいる人たちに! 貴方の手を! 誰でもない貴方のその手を!』
無線から聞こえる甲高い少女の声。
一度は同じチームを組んでいた一般人の少女。
金細工のような金髪の、あの少女。
「随分とまあ、立派になって……」
感慨深そうに淋しげに――或いはどこか悔しげに、エルゼ・ローズレッドは呟いた。
その目は、彼女自身の姉を見るときの感情に近い。
届かないもの――――だ。
両親からも期待され、周囲からも優秀だと言われて育った姉だ。エルゼはハイスクールの途中に飛び級で大学に進学したが、姉はもっと早くエレメンタリースクールの時点で大学進学適性試験に合格していた。それにエルゼとは違ってスポーツもできたし、スタイルもよかった。人とのコミュニケーション能力にも優れていた。飛び級もせず、結局普通にハイスクールを卒業していた。
そんな姉が進学してからディベート&スピーチサークルの繋がりで、家を訪れた人間が数名いた。
エルゼとそう変わらない身長の白衣の銀髪女性と、灰色髪の気難しそうに眉間に皺を寄せている青年と、鴉羽のような黒髪を伸ばしたアイスブルーの瞳の青年。
姉は人気者ではあったが、家に誰かを呼ぶこともなかった。そういう意味で、珍しいものではあった。……その時のエルゼは野暮ったい眼鏡と部屋着だったので迷惑極まりなかったが。
姉と同じく幼少期から大学進学適性試験に名を残していたという二人に、姉は殊更に話しかけていた。特に年齢が近い黒髪の青年の側にか。心から楽しそうに。ようやく同類に出会ったように――――嬉しそうに。
その時、ふと、姉もこの家でもずっと孤独だったのだろうなと……訳もなく悔しい気持ちになったのを、エルゼは覚えている。
そして――――トイレに立ったときにふと言葉を交わしたその黒髪の青年は、入学した大学の四年生だった先輩は、やがて戦地にてエルゼの上官となった。
初日に。
彼らが定期便と呼ぶ砲撃が直撃して、オペレーション車両は煙に包まれた。眼の前で人間が完全に血煙に変わり、その血液と臓物を頭から被った。
混乱の中にあるエルゼを宥めたあとに出撃した青年は、医療用テントにてベッドに座る――――上も下もぐちゃぐちゃだったので色々と死にたくなっていた彼女へ、戻るなり手榴弾を差し出しながら言った。
――――〈耐えられないと思ったら、使うがいい〉〈褒められたことではないのを理解している〉〈だが……容認するしかない。是認と推奨と容認は別だとしても〉。
――――〈こんな場において貴官は、己の尊厳を幾度と脅かされるだろう。戦場とは、そんな究極の場だ〉〈尊厳とはある種、選択肢だ〉〈選べる自由があることが、人間の心を安定させる〉。
――――〈貴官は壊せる。自分の命も、敵の命も、或いは味方の命も〉〈……まあ、味方にそうしようとしていたら俺は撃つしかないのだが〉〈それでも選べる。君の人生から多くの選択肢が失われてここに来たかもしれない……これからも何かを強いられることも多いかもしれない。だが、君は選べるのだ〉。
覚えている。
そう、医官の目を盗むように手榴弾を手渡したあの青年のことを。
あのクソボケ小隊長――当時は中隊長だったその青年との、落ち着いた場での会話はそれが三度目だった。
昔よりも、人に寄り添おうと話していたことがやけに記憶に残っている。軍への所属を通じて己自身をそう改善したように――――或いはそうするためにあのサークル活動に所属していたように。
「あのときは……だから『選んでここにいるんだろって言いたいのか』とか、そんなのいいから『そんなこと』にならないように守ってくれとか、ちゃんと慰めろとか……色々と思いました……けどねえ……」
懐から取り出した手榴弾に――チェーンまでつけてあれからずっと持っているそれに、一度口吻をした。
機体の《
抉じ開けようとしているのだろう。
大昔の実話を元にした映画で、墜落したヘリのパイロットが引き摺り出されて殺されたまま街を引き回されていたという場面を思い返してしまう。
そしてそれは、遠くないエルゼの未来だろう。
……そういう事例も、実際にあった。
「別に今更……清い体って訳でもないけど……。それはごめんですね……」
自嘲するように手榴弾片手に笑ってみせる。
そういえば、できた恋人はどいつもこいつも碌でもないやつばかりだったな……と思う。
入学を機にファッションを改めても、体型まで変わる訳じゃない。エルゼ目当てに近寄ってくる奴は、問題がある奴ばかりだった。多少まともだった戦地でできた相手はどこかに転戦してそれっきりだし、士官過程では戦場を知ってしまったせいかどいつもこいつも尻に殻の付いてる奴に見えてそんな気にもなれなかった。
異性関係はクソ。
生活態度もクソ。
家族関係もクソで、仕事もクソ。
家を抜けてこんな場所で撃ち落とされる始末。
これが自分の死に様か……と、これまでの人生を振り返って笑いが出てくる。
姉とは、姉が家を出てからは昔のような微妙な関係ではなくなり旅行に行く程度の仲にはなった。
妹が戦没者名簿に並んで、姉は悲しむだろうか。
両親は――――どうかは知らないが、多分、葬式では大いに悲しみに包まれるだろう。そういうのが大好きな人たちだ。その後メディアに余計な悲しんでますアピールとインタビューをしなければいいなと思う。
それから――
「……生きてるんですかねえ、先輩。生身で無茶をしてなきゃいいですけど」
多分、ま、初恋の二人の内の片割れだった男のことを。
近くでよくよく見たらコイツだけは絶対ないな……と思えたが、それでも、だからこそ心地よかった。もしかしたらこのまま生き続けて夫婦になることがあるんなら、案外、そんな感じの相手が丁度良かったのかもしれない。
その男が理想としていたような姿が――輝けるその在り方を示す少女が、今、空に居る。
彼は、それを見て何を思うだろうか。
喜ぶだろうか。羨むだろうか。それとも――――
「本当は、誰よりもそういうものを信じたくはなかったですよね、先輩は」
そう呟く。
彼が語ったいつか――――。
全ての兵器が名を失くし、戦いが歴史の一文となり、その生々しい記憶で語られなくなるいつか。
誰か個人が、誰か一人が、英雄や救いの神のように語られることがなくなるいつか。
普通に生きて普通に死ねる、多くの人が脅かされることがないいつか。
「随分とまぁ、仏頂面の割にはロマンチストでしょうもない男だなんて思いましたけど――――――」
死が目前に迫った今、悟りのような気持ちで考えてしまう。
「……確かに。そんないつかのために死んだと思うと、少しはマシな気持ちになりますね。……いやでも、クソッタレかな」
あれは、彼なりの散りゆく者への葬送と鎮魂の言葉だったのだろうか。
案外――いや、だからこそ本気で想ってそうだ。本気でそう想って、本気で備えてそうだ。半分の目では冷静にそれが不可能と考えながらも、それでも考えて目指しそうなのがあの男だ。
クソボケ男。
そのクソボケのおもりをしなくてよくなると思うと清々したし、寂しくもあった。あんなのが初恋の半分なのは人生の汚点とも言っていいが……。
死ぬ間際ぐらい別のことでも考えたかったな、なんてピンを抜き――
『――――んぱい、ローズレッド先輩!』
何度も通信を行っていたのだろうか。
うるさいそんな声が、割り込んだ。
「あー、ご無事で何よりですねブービー。怪我は?」
『い、一応は何とか……機体も……結構酷いっスけど。オレは無傷っス!』
「……そりゃ結構」
あんな跳ね飛ばされ方をして、何一つ怪我を負ってないというのは驚きだ。
「そうですか。一応言っとくと、それから降りないほうがいいですよ。間違いなく
『いいっ!?
チラと、前に目を向ける。
墜落に称してブラック・アウトした全天周囲モニターに光が挿していた。亀裂だ。
つまりは、開かれつつあるということだ。
ガスバーナーでも持ってきたのか、轟々という音と共に少しずつ赤い光が広がっていた。
「まあ、目前ってとこですかね。安心してくれていいですよ。仲間に無様な死体を晒す気はないんで。纏めて吹き飛んでやるから、精々あたしの墓に『勇敢に戦った』って刻んどいてください」
『なっ、いやちょ――――迎えに! 迎えに行きます!』
「……飛行能力は?」
『え、いや――』
「ってことは《
衛星を経由したコンバット・クラウド・リンクは不通になっているが、短波通信でのそれはまだ不調で低速になってはいるものの機能しているようだ。
フェレナンドの機体状態も、エルゼ同様に酷いものだ。
救出に向かっているそのときにアーセナル・コマンドから撃たれれば耐えられまい。そういう意味では、エルゼの機体よりも酷い。
『いやでも、救援――救援を』
「とっくに出してます。どこも手一杯。こっち助けに来てる余裕なんざねーですよ」
『だっ、だけど……』
喰い下がろうとするその言葉に、猛烈に腹が立った。
「あたしがもうそう判断してるんだから外野がゴチャゴチャ騒ぎ立てるなって言ってるんですよ! 全部試した! 殻付いたブービーに考えられることなんざとっくに考えた上での結論なんです! いちいち言わせんじゃないですよ、あたしだってそこまで間抜けじゃないんだ!」
『あ……』
「……死ぬ間際に仲間に暴言吐かせて嫌な気持ちにだけはさせないでくださいよ、ブービー」
沈黙が満ちる。
即死ではなく、せめて別れを言い残す時間が彼女にはあった。それだけで他の
せめて、新人野郎の傷にならない程度に――かつ妙に恨みを引き摺ったりしない程度に。
何か言い残してやれることはないか。
そう考えている、そんなときだった。
『いいっスか、オレには夢があるんです!』
「……なんですか急に」
こっちはそれどころじゃないってのに……。
気を使おうという気が失せていくのをエルゼは感じた。
せめて末期ぐらい、静かに迎えさせてほしい。
『息子とサッカーすることっス!』
「…………は?」
『結婚して、家庭持って、芝生の庭で息子とサッカーしてえんスよ! テレビ見て戦術がどうのこうの言ったり、クラブチームに入った息子に色々とアドバイスしたり!』
「そりゃ結構なことで。……言っとくけど、親が子供の人生に勝手なヴィジョン作ってるのってマジ無責任だから本当やめてくださいね。子供からしたら迷惑極まりないんで。それだけは言い残してやりますけど」
経験談だ。
結局それでエルゼも姉も、親の希望通りには育ってやらなかったのだから。
『その辺は――――そうっスね! 確かに良くないっス! うん、健やかに育ってくれればそれでいいっスね! もし病気になっちゃったら、お父さんパワーを送り続ける感じで!』
「……暑苦しそうで煩いですねぇ、それ」
暗にうんざりだ、と告げる。
そうしている間にも、前方の赤熱が酷くなって来ている。このままだと十分以内には破られるだろうか。
『だから――――ローズレッド先輩も諦めないでくださいよ!』
「は?」
『今から……今から何とかそっちに行きます! というか行ってます! 最中っス! こう、なんか……なんか夢とか! 目標とか! とにかくここで死んでなんてたまるかよって……そういう感じで! とにかく粘って!』
「あ?」
今日日、根性論で何とかできる問題なんてこの地上に存在しないが?
そう言ってやりたくなったエルゼを遮って、彼は続けた。
『先輩がここで死んだらオレの夢はどうするんスか! 仲間が死んでまで、呑気にボールなんて蹴ってられる訳ねえじゃねえっスか! 先輩も、大尉も! そうなったときにはオレが息子との写真撮るのを手伝って欲しいんスよ! グリルパーティーに招待するから、オレも、パパの大切な戦友だって紹介して――……』
「……」
『だから――――……ええととにかくだから、諦めずに! 機体を立て直してそっちに向かいます!』
やけに無線の背後でガシャガシャとうるさい音が鳴っていたのは、とっくに走り出してるためだろうか。
間に合うわけがない――と思い。
同時に――――無性に腹が立った。
「ブービー」
『なんスか、ローズレッド先輩』
「アンタあたしに気があるんじゃないんですか?」
『えっ、あっ、いや――――――いやそれはこう、いや』
しどろもどろに言葉が窄まっていく。
あんな態度をされてたらそのうち嫌でも気付く。エルゼは職場恋愛なんて御免だし、まるっきりタイプでもないために目を瞑っていたが……それでもここに来てそんな煮え切らない態度なのは、どこまでも腹立たしい。
「その口でよくあたしに『息子との写真を撮ってくれ』とかブッこきますね。戦友? はあ? あたし以外の誰かと家庭でも作る気なんですか? アタックもせずに? それでいて『諦めるな』? はあ? よく言えますね? テメーは女一人口説くこと諦めてるのに? あたしに諦めるなって? ナメてんの? ねえ、ナメてますよね?」
『え、あ、ローズレッド先輩? そ、そこはこう……個人の勝手な目標に巻き込むの何かスゲー気持ち悪いし不味いかなーって配慮を……』
そこで煮えきらず変に押さないところが、或いは彼の良さなのかも知らないが――――今更だ。
「配慮? 死にかけのあたしにグダグダと説教垂れてる時点で配慮もクソもありませんよ、このクソブービー。せっかく悟ったような気持ちだったのに台無しにしてくれちゃってまあ……」
『せ、先輩?』
「だから――――――ああもう、目標できましたよ!」
その勢いのまま、一気呵成に怒鳴りつける。
「これが終わったらその先輩先輩うるさいアンタの口を思いっきり塞いでやります。せめて口説く女のことぐらい名前で呼べってんだ。あたしはローズレッド家のどなた様か、じゃなくてエルゼなんですよ!」
『え、あ、ええと……!?』
「うるさい。つべこべ言うな」
クソみたいな人生の、クソみたいな戦場で幕を下ろそうとしているときに、クソみたいな夢を語られる。
それだけでも万死に値する行為だ。
腹が立って腹が立って腹が立って――――だから、これまで人生で味わってきたクソッタレという気持ちをぶつけてやろうと思った。今までは形がなくてぶん殴れなかったものが、ちょうど良く現れてくれたのだ。
「約束通り生き残った分だけキスしてやるから、グダグダ言わずにとっとと迎えに来てください!」
『マ――――マム、イエス・マム!』
「オーケー。……クソッタレ。こっちはこっちで生き延びてやりますよ、このクソボケブービー」
痛む身体を噛み殺して、ホログラムコンソールに振れる。主電源は落ちて《
ひとまずは
それから、機体の全体像をタッチする。
「……フェレナンド」
『はっ、はい!?』
「結構ピンチなんで、王子様待ってますよ。……これで助け出してくれたら、まぁ、ついでにお姫様抱っこぐらいはされてあげますから。……あと、まぁ、手の甲にキスも」
『了解っス!!!!! マッハで行きます!!!!』
無線の向こうのガシャガシャ音が強まった。
「はーあ……なんなんですか本当。こっちは産む予定もその気もないってのに……あのガキ男。あたしの好みはもっと物静かで落ち着いた年上の男だっつーの……」
残りの人生をくれてやる気にはなれないが、まあ、十分程度の時間は知人のよしみでくれてやっていい。
大掛かりな冷却装置を必要とする超伝導電力保存装置から、常温超伝導保存装置に切り替えられているのが幸いしたのか。機体の再起動は難しいだろうが。
それと、推進剤の残数もあり、冷却材も残ってる。
「下手にやって、ここに対装甲火器を撃ち込まれたり――なんて、知ったことじゃないですよね」
そこにある道具を使って人を殺すのは、あのクソボケ小隊長の得意技だ――なんて考えつつ。
エルゼ・ローズレッドは、機体のホログラムコンソールに触れた。
◇ ◆ ◇
そのデモは、もう、意義をなくしていた。
始まりは、【フィッチャーの鳥】への横暴への糾弾を行うものや【
避難所で起きた発砲を皮切りに、紛れ込んだ反政府派の工作員や混乱に乗じた窃盗犯――やがて強盗犯と化した――たちから伝播した凶暴性により、単なる暴動へと発展した。
フランス革命で民衆が殺戮や陵辱に及んだように。
抗議運動がしばしば、欲望に任せた略奪と化すように。
都市部での砲撃や衝突の爆音の中で、それでも集団ヒステリーに包まれる彼らは、蝗の群れのように松明を片手に通りに溢れかえっていた。
民衆とは、決して、無辜ではない。
「アイツら、俺たちを安い金で使いやがって!」
中には、あの大戦で本土爆撃から避難した者もいた。
「仕事を斡旋する代わりに関係を迫られたわ!」
彼らの恨みも噴出した。
州ごとの復興速度の違いや被害状況の違い。
厳密には
彼らは、鉄パイプで店のガラスを打ち壊す。
そんな彼らに対して殴りかかる者もいた。
「
移民や難民が雪崩込めば、急速に治安は悪化する。
多くは大人しく国営の避難キャンプで暮らしていたが、中には、不法行為に手を染める者もいた。
そんな余所者たちへ――始まりは防衛のための行動であったかもしれないが、これを機に積極的な排除を決断する者もいた。
「アイツらが安く使えるせいで俺たちの仕事が奪われたんだ! ふざけやがって! 叩き出してやれ!」
その中には、資産家への焼き討ちを行うものもいる。
口だけでも正当なる怒りを唱えてそう思い込もうとする者もいたし、ちょうど良く貴金属や金品や商品を奪い去る者もいた。
「何がデモだ! 頼んでもねえのに押し寄せやがって! てめえらが避難所を埋め尽くしてるんじゃねえ! 退け! この街のためのもんだ! 飯に手を付けるな! 死ね!」
避難所から引き摺り出されて、集団で蹴り付けられたり鉄パイプを叩き付けられたり、嬲り殺される人間もいた。
その中にも武器が出回り、しばしば、発砲音と悲鳴が聞こえた。
逆に、この街の住民でない者たちが私刑を行う避難所もあった。
「この街は軍事費も出してない癖に!
デモ隊だった者たちは家具でバリケードを作って、避難所への人の流れを制限していた。
街の非常事態に病院に出頭した非番の医師が、白衣を纏っていないために
その避難所を占拠した者たちの中でも、敵味方分けと粛清が行われた。
「おい、手をかせ! コイツは
憶測と推論で、シャベルやバールが血に染まった。
憎悪と恐怖は、それに留まらなかった。
自らの店舗にバリケードを築き、大戦時の武器を倉庫から取り出して立て籠もる人間もいた。
「アイツら次々と略奪して回ってるらしい! ここにも来るぞ!」
車両やレジカウンターなどが路上に広げられる。
続々と道にバリケードを並べて検問所を作り、近付く者には銃口を向けていた。
「畜生……逃げ出した宝石屋の一家が殺されたんだ! 夫と息子は街灯から吊るされて、母と娘は服を剥ぎ取られた! 何人か来てくれ……ここに来る前に処分する!」
誰が齎したかも判らない情報が疑心暗鬼と憤怒を加速させ、その服装だけを理由に階級付けられてバリケード近くを歩く者が射殺されもした。
或いは、逃げ出してきたと思しき一家に手を差し伸べて障害の中に避難させる人たちもいたが、その中には狂言避難もあり、開いたバリケードの隙間から暴徒が雪崩込む事例もあった。
そんな光景が、街のあちこちに溢れていた。
統制を失った人間たちは、疑心暗鬼と報復のままに獣と化す。
地獄と、人は言うだろう。
成層圏まで噴煙の広がったアララト山の噴火は、その後、何年にも渡って農作物の不作を引き起こすだろう。
この街の混乱は、その後、何年経って収まるのだろうか。それとも十数年やそれ以上に渡って、不信感を積もらせ続けるかもしれない。
ここに正義はない。
ここに法理もない。
ここには秩序がない。
全てを剥奪された人間たちによる、蝗害めいた破壊が広がっている――――――――だが、或いは。
(それでも、秩序の旗を掲げるつもりかな? ハンス・グリム・グッドフェロー――……)
コンラッド・アルジャーノン・マウスは、騒動を尻目に、そう目を閉じた。
そして、小さく笑う。
答えなど決まっている。あの男は、それでも、善と無辜の側に立つだろう。法と秩序を重んじるだろう。
ここで争う全てを殺してでも、彼は、最も弱き者と助けを求める者に手を差し伸べるだろう。
皮肉的に――――それまで守っていたものであろうとも。それからも守りたかったものであろうとも。
線を超えたなら、殺す。
命へと刃を向けたそばから、殺す。
それが、アレだ。
秩序と善が多くを殺すモノと化さない限り、その秩序の先にある者たちのために、旗の下に立ち続ける。
今まで守ろうとしていた者でも殺して、立ち続ける。
それでこそ――――――だからこそ、あの男はコンラッド・アルジャーノン・マウスのための復讐の道具となるのだ。
誤りの秩序を糺すために。
あの日滅びるはずだったこの国の運命の針を、戻すために。
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