第155話 聖剣の主、或いは錬鉄の秩序と灯火の善。またの名をパノプティコンの歯車


 その、鈴を鳴らすような少女の――しかし凛然とした良く通る声を聞いたとき、一体、人はどう思っただろう。

 そう、エディス・ゴールズヘアは考える。

 自分たちを抑えるように両の銃口を向けた白銀の聖騎士が、十字架の翼を背負った聖騎士が、広域無線で呼びかけるその様を見て。

 エディス・ゴールズヘアは、考える。


「貴方たちがしたいのは――――殺し合いなんですか! 焼ける人たちを助けもしないで! 撃ち合って! それが仕事だと言うんですか!」


 ある者は、現実が見えていない理想論者と言うかもしれない。


「違うでしょう! 貴方がたは……そうしたくなくて! そうされたくなくて! それで軍人になったんじゃないんですか! 誰かを、から守りたかったんじゃないんですか!」


 ある者は、自分も武器を抜いている不明勢力の戯言と言うかもしれない。


「この焼ける街で……守るべき人たちを戦いに巻き込むのが! 貴方がたが果たしたい役割だったんですか! こんなことが! こんな光景が! 何もかも焼けるこの光景が! 本当に得たいものだと言うんですか!」


 ある者は、巻き込まれただけの少女の癇癪と言うかもしれない。


 ――――否。いいや、否だ。


 疑心暗鬼と憎しみ、応戦しか頭になかった人々は、それで思い返すのだ。その言葉で。全てに――そして自分にも呼びかけるその言葉で。

 利ではなく。

 理だけではなく、情だけでもなく。

 燦然と輝く純白の善の声を前に、人は、覚まされずにいられない。


「両軍、戦闘を停止してください! 戦闘を停止して、市民の救助にあたってください! 思い出してくださいよ! を! ということを! 貴方自身も、貴方の大切な人も! 今、貴方の隣にいる方も……そうだということを! 誰かにとって、その人は大切な人だということも!」


 ――〈そうだ。働いている〉〈生きている――……人々が〉〈どんな場所でも、どんなときでも〉。

 ――〈ここにいるのは、生きている人々だ〉〈戦場にいるのは〉〈兵隊という記号ではなく、生きている人々だ〉。

 ――〈いつまでも覚えておいてほしい〉〈人は、生きているのだという……そのことを〉。


 己に与えられた、その言葉を胸に。

 少女は呼びかける。

 伝わると信じて――――否、伝わらずとも届けてやると金の双眸を尖らせて。


「どうして……どうしてお互いが守ろうとしているのに! 助けようとしているのに! わたしたちはここで撃ち合って、下では守りたかった人たちが焼けているんですか!」


 同じ国の、軍人たちが銃を向け合う。

 どちらかが、反逆をしている訳でもないのに。

 正義と正義は等しく対立する――訳ではないと、ある青年は言った。


 彼は、そこにある悪を見続けた。

 どう足掻いてもなくなりはしない悪意というものを、人間という種族が持つある種の獣性と残酷さというものを、それを打ち砕くために立ち続けた。

 故にその言葉もまた真理である。

 人は決して無辜ではなく、無実ではなく、無垢ではない故に……そこに初めから存在し明確に企図された悪意と悪行を前には――互いをという枠に入れることは愚かしいのだ、と。

 それは確かに、事実である。

 だが――――


「考えてください! 何故……今こうしなければならないのか! こうすることが本当に必要なのかを、考えてくださいよ! 誰かの言葉じゃなくて! 貴方の言葉で!」


 に――――互いに正しいことを行わんとするが故に対立してしまうことも、やはり、世には確かにあるのだ。

 善なる正解が仮に一つだとしても、くぐれる門が一つだとしても、そこに至る道は多くあるから。

 少なくとも保護高地都市ハイランド空軍が行う防衛も、大統領令に従った【フィッチャーの鳥】の行動も、どちらもそれ自体は過ちとは呼べぬのだから。


 ……いや、或いは、それも細分し検証すればを導き出せるだろう。

 本当のところ、やはり、等しい正義などというものはないのかもしれない。

 だけれども……それでは今は間に合わぬから。終わらぬから。止まらぬから。ここに居る全ての人々が、すぐ、その正しさの重さを共有できないから。

 故に彼女は、叫ぶのだ。


「本当に……本当にこんなことが! 貴方たちが軍に入ってまで、成し遂げたかったことなんですか!」


 或いはきっと、それでも、二人ともが――――語る価値観を根底では共通していたのかもしれない。

 そこにある無辜の死を止めろと。

 言葉を変えて、二人は同じ理念を叫んでいた。互いに、同じ星を見ていた。

 

 唯一つ、状況だけが違った。

 既に心を定めきった排除計画と、混乱が引き起こした突発的な戦闘は、違うのだ。

 ああ、だからこそ――――。

 この正義と正義は――掲げられる銃は収まらない。向けられる銃口は止まらない。


「っ、まだ――――」


 ここで銃を下ろして――相手が止めると、誰が思う?

 全ては、それだ。

 その恐ろしさだ。戦いは、ある種、それから生まれる。

 こちらがやめようとしても――――相手はやめないかもしれない。相手はきっと止まらない。そうしてくれるとは限らない。なら、備えなくてはならない。

 それが、戦いが続く理由の一つでもあった。

 そして今この争いは、まさに不理解によって引き起こされている。

 理解や共感は平和への無謬にして無欠なる理由にはならないものであるのも事実だが――――確かにそれがあれば、防げた争いもまた存在するのだ。

 故に、


「やめろと――――わたしは言った!」


 その機体の右腕だけが動き、エディスたちへと正面を向けたまま――――背面に目掛けて、二度、立て続けにプラズマ炎が放たれた。

 その炎は、撃ち合う二機が向け合うライフルのみを焼き溶かしていた。

 

「戦いをやめないなら……わたしが、それを止める! わたしの剣が、その弾丸を否定する! だから――――だから、思い出してくださいよ! 今も貴方がたの真下に居るのは! 焼けているのは! 貴方と同じ人間なんですよ! 貴方がたが守るべき人々なんですよ! 戦いを止めて、助けることをしてくださいよ!」


 彼女は担った。

 この場での、暴力を。法を。保証を。

 お前が戦わずとも、備えずとも、構えずとも――その命は保証されるのだと。

 知性を得た人間たちへと神が齎した法の如く、この戦場に法理ルールを授けた。


「この巨人の大きな手は――――戦う以外にも使える筈でしょう!? こんなに……こんなに大きな手なんですよ! 色々なものが掴める手なんですよ! あの日のわたしの命だって助けてくれた、大きな手なんですよ! だから――――差し伸べてくださいよ! そこにいる人たちに! 今、苦しんでいる人たちに! 貴方の手を! のその手を!」


 そして、一心に呼びかけた。


「それが、できる筈なんだ! 貴方がたは! 貴方がたには――――には! 今、その力があるんだから――――――――!」


 その言葉は巧みではなかったかもしれない。

 冷静ではなかったのかもしれない。

 しかしその無垢なる正義は――確かに、人を奮わせるものであったのだ。

 いつしか、都市の上空で散る銃口の明かりは、乏しくなってきていた。

 

(……不味いな。これを前には、何をしても霞んじまう)


 エディスは、小さく呟いた。

 この戦場が成り立ったのは、不透明な混乱と疑心暗鬼だ。撃たれるかもしれないという恐怖。止まらないだろうという恐怖。それが、一度向け合わされた銃口から弾丸を吐き出し続けるきっかけになった。

 なら――それを覚まさせるものが、あるなら。

 覚まさせ、そして、引き金を引かせぬものがあるなら。

 途方も無いを実行可能なだけの実力があるなら。

 

 道理を押し退ける無理。


 あの青年がここに居たなら為したであろうことを――――あの青年よりも犠牲が少なく、あの青年よりも高らかに謳い上げ、あの青年よりも高精度で行う。

 これが、極点か。

 と――――エディス・ゴールズヘアは、そう思った。自分たちのような兵士とは違う。どれだけ英雄や英傑になぞらえられても、己たちとは違う。

 この輝きには、至れない。

 この圧倒的な輝きには、届かない。


(とんでもねえもんを育てたな、グッドフェロー……それともお前は、になりたかったのか?)


 奇跡的に――――奇跡的に成り立った論理と光景だ。

 これが一方の侵攻や明確に指揮された作戦なら、そう呼びかけても止まるまい。

 だが、コンラッド・アルジャーノン・マウスが作り上げた舞台だからこそ……戦場の霧がそうしたからこそ、ここで互いに銃を向けあっているというこの場面においては。

 彼女のその在り方は、何よりも燦然と輝くのだ。

 灯火や――――聖剣の如くに。


 あの青年が秩序の旗の下に立ち続ける男だと言うのなら、彼女は、善の旗を掲げ続ける少女だった。



 ただ……それを呑み込めるかは、別だ。


 正しさではなく、過ちが故に。

 悪意と策略の――――その上に。

 コンラッド・アルジャーノン・マウスや、エディス・ゴールズヘアの目指す先にとってそれは、混乱の収束は、ただ望ましくなかった。

 正しく言うなら、彼ら以外の手でこの混乱を収束させられることが――――こうも鮮やかなる善の名においてされることが、望ましくなかった。

 故に、エディスは即座にプランを変更した。


『武装したからの発砲を確認。交戦規定に従い、迎撃するぜ。気を付けろ! 次は本体に当てられるぞ!』


 着せることだ。正しさの皮を。

 正しさに聞こえる皮を。

 被せてやるのだ。

 一瞬、止めてしまった手を――――覚めてしまった頭を。その瞬間に悩ませ、迷わせる言葉を。一種の道理を。


 それだけで、無垢なる善は瓦解する。

 はげしい――――苛烈なる断罪の炎ではないが故に。


「っ、どうして――――どうしてまだ、争いを! 止めてくれたんでしょう!? 貴方がたには、それができたんでしょう!?」


 彼にはできぬこともあれば、しかし、彼女だけでもできぬことがある。

 悪意を斬り捨てる無慈悲なる応報の剣は此処にはない。

 善を塗り潰す悪意は、ただ、何者にも揺らがぬ漆黒なる応報の刃でしか拭えない。

 善を為そうとするならば――――それはどちらかだけでは、足りないのだ。


『撃ち込まれたら無事じゃあ済まない! 足を止めるんじゃねえぞ!』


 エディスは、重ねて通信した。

 平均的な多くの人の脳は、現実を解釈して真実にするだけだ。見ようとしているのに都合のいいところ、見たいところをまず広いにかかるのだ。

 なら、それを流し込めばいい。

 弾丸で弾丸を撃墜する、高速で飛び交う敵の武装のみを狙って破壊するなどの偉業より――――エディスの言葉の方が、よほど、信じやすいのだから。

 結局のところ、賢にはなれない大方の人間の論理とは、己の感情に名前をつけたいだけの現象にすぎない。彼は知っていた。

 故に彼らはその恐怖に従い――――鈍くはあるものの、多くの兵たちは再び武器を掲げ直していた。


(騒乱が起きたのを収める……そのプランに変更はねえ。ただ……やるのが俺か、ボスかの違いだ)


 当初の案なら、エディスとサムがその役目だったが――それをシンデレラに奪われてしまうなら、エディスとサムもまた争乱の側に向かう。シンデレラからバトンを奪い、大佐に引き継ぐために。

 そうでなくては、不味いのだ。

 ここで支持を集められなければ、不味いのだ。

 あの男は、きっと――――ガンジリウムの真実を公表する。エディスの元妻も、寄生鉱製生物の感染者として民衆から扱われる。


「どうして――――……戦いを、やめてくださいよ! できたでしょう!? 一度は! 皆!」

『なら、まずお前が武器を捨てるんだな……所属不明機!』


 そして、エディスとサムの機体から弾丸が放たれる。

 都市の上空に、中隊規模を凝縮したような砲火がまきおこる。斜め十字を描く背部スラスターユニットが応じ、シンデレラも回避機動を余儀なくされた。

 連続するアサルトライフルのマズルフラッシュ。

 妖花騎士【ルースター】の引き連れる鎖で繋がれた鋼鉄の死霊たちが、呵責なく白銀の聖騎士を攻めたてる。

 

「貴方がたは――――まだ、争いをっ! ここには、人がいるんですよ! 生きている人がいるんですよ!」

『だから、所属不明機なんざ見逃せねえのさ』

「くっ――――」


 その手数と砲火を前には、流石の彼女も戦場全域の戦闘のコントロールなどできやしない。

 否、通常の戦闘すら怪しい。

 【狩人連盟ハンターリメインズ】の上位者には、それだけの圧力があった。

 それでも、


「っ、そんな手段しか――――ないと、言うのなら!」


 金髪の少女は、歯を喰い縛った。

 勧告が受け入れられない――その悔しさを想った。己ではなく、彼の。

 あの、焼け落ちた空中浮游都市ステーションマウント・ゴッケールリの日を想った。

 あの日、双方に呼びかけた彼を想った。

 あの日――――あの日、自分に力があれば。

 彼はああして、……ああも人が死ななくても、済んだのではないのか?


 そのために。

 あの人が叶えたかった想いをその胸に。

 今ここで立ち上がり――――そして、それが悪意によって妨げられるのであれば。

 あの人の祈りを曇らせる悪意があるというなら。

 あの優しい人を心のうちで涙させる悪意があるというなら。


「わたしはその……悪意を断つ!」


 右手の折り畳み型のプラズマライフル、ソウクリーヴァⅡが銃身を折る。

 プラズマ刃を抜き放ち、白銀の聖騎士は、赤銅色の強襲騎士と青薔薇の妖花騎士への突撃を開始した。



 ◇ ◆ ◇



 基地内は、騒然としていた。

 押し寄せる暴徒を前にバリケードが作られ、弾薬庫への着弾により出火している。

 あのまま此処へ至ったなら、格納庫に辿り着く前にどこかで死んでいたのではないかと、そう思う。

 今は――――この地上で最高の狙撃手に連れられて、衝突らしい衝突もないまま、一時的な野戦病院の如く退避者が訪れた格納庫の一角でストレッチャーに載せて運ばれていた。

 応急手当を受けて、ベッドに寝かされる。

 破裂した右眼球の摘出手術も、全身の至るところに受けた骨折の治療もすぐにはされない。この場ではできない。

 鎮痛剤と止血剤を処方されて、戦力的な価値からか念の為に他の人と区別された別室に押し込まれて、軍医からは絶対安静を言い含められていた。

 既に、彼は次なる患者の下に向かっていった。


「いいか、絶対に安静にしてろよ!」

「ああ、善処する。……――何するんだ。痛いぞ」

「善処じゃなくて確定だ、このバカタレ! じゃないと、もっともっと痛くなるんだよ!」

「……だが」

「『だが』も『いや』もヘチマもねえ! 安静ってのは大人しく動かねえことなんだよ!」

「大人しくとは、具体的にはどう……」

「うるせえ! このワーカーホリック! 前線症候群!」

「痛い。酷い。酷いぞヘイゼル」


 ここまで肩を貸して付き添ってくれたヘイゼルにそう言われてしまうと、黙るしかない。

 警報のサイレンと、飛び交う無線音声。

 幾人も担ぎ込まれる軍人や民間人の負傷者。或いは、遺体。飛び交う怒号や嘆きの声。

 ここに来る廊下にまで、包帯を巻かれた人々が寝かされていた。

 まるで戦時中のように――……いいや、まさに戦時中なのだ。

 左手でグラナータを握り締めつつ、一度目を閉じる。


「ヘイゼル」

「ああ!? まだ何かあんのか!?」


 部屋の天井を透かすように眺め――――


「音がするんだ。……シンデレラの、音が」

「グリム?」

「あの娘が飛んでいる音がする。判るんだ。あの娘が今、そこにいる。最も恐ろしい場所に、それでもいる。あの娘が……戦ってるんだ……」

「……機動音で、かよ。そんなぐらいに――……」


 判るよ。

 だって、何度も何度も、聞いたのだから。想ったのだから。君のような耳がなくても。

 彼女が生きてくれていたことへの安堵と、そして――


「もう一つ、頼む。……あの娘を、助けてあげてくれ。今の俺ではできないから――……」


 悔しさに震える手を、握り締める。


「俺の代わりに、シンデレラを、どうか……助けてあげてくれ。あの娘はきっと、どんな場所だろうと、正しいことをしようとしている筈だから……」


 本当なら――――本当なら。

 傷付いてほしくなくて。そうさせたくなくて。それでも彼女がそうするなら、隣に居てあげたかったのに。

 こんな己では、それはできない。

 己は弱すぎた。才無きただの人の身でその領域まで翔ぼうとするには、弱すぎた――――。


「頼むよ、ヘイゼル。お願いだ……」


 彼もまた、本調子ではないというのに。

 友誼に甘えて、死地に赴かせてしまう。

 己のその非才が、恨めしかった。また――――死なせるのか。危険に晒すのか。力が、ないが故に。


「ったく。あいあい、言われるまでもねえが……一応はこう言っておくか? ――しょうがねえな、相棒。請け負ってやるよ。俺は黒の請負人ブラックナイトだからな」

「ああ。……すまない、ヘイゼル」

「気にすんな。俺とお前さんの仲だろ? 大人しく寝てな、相棒。例の救助者ってのを助けたら、あの嬢ちゃんの方に向かう」


 彼は、しっかりと頷いた。

 そして、踵を返し――――


「相棒」

「なんだ」

「あの日のことだ。……あの、燃えた空の街のことだ」


 僅かに、部屋に沈黙が満ちた。


「母艦の防衛をしてた。俺は、あの場には、居られなかった」

「ああ、そうだろうな。あの艦長のやりそうなことだ」

「だから……いや、だけど俺は、その要求を蹴ってまで動こうとは……。それのせいで――」

「ヘイゼル」


 一度、首を振る。

 その後悔が、或いは、彼という精密機械を鈍らせたのか。


「あの時点では、同時に母艦への襲撃も考えられた」

「……」

「死者には、恨み言もあろう。だが、彼らはもういない。何も言わない……言えない。貴官を咎められるのは――そして、咎めているのはただ貴官自身だ」

「……」

「……何が悪いと言えば、あれを企図した人間が悪い。火を消せなかったことを悔やむより、次こそ火を消すことを思うべきだ。君が、それを仕事にしているなら」


 そう告げれば、項垂れるような彼は一度大きく息を吐いた。


「……あの日、本当はお前さんがやりたかったことをやってくるぜ」

「ああ。……俺でなく貴官なら、できただろうことを。そしてきっと――あの娘がしようとしていることを」

「……惚気すぎだろ、お前さん」


 ヘイゼルが、静かに拳を差し出した。

 こちらも、応じる。

 軽く打ち合わせて、それで、最高の狙撃手は再び戦場に戻る。アサルトライフルを担いだ背中が、コンクリートの廊下を遠ざかっていく。


 己の手を、じっと見た。


 足りなかった。まだ足りない。まだ届かない。どこまでも足りない。己の力だけでは、まだ、果てしなく遠い。

 もっと――――捨てなくては。

 何もかもを。己が、人間であるということも。全ての執着も、感傷も、感情も捨て去らなくては。


 ただの一閃に、ならなくては。


 法秩序とその判例のみを行動原理にした――――応報の剣にならなくては。

 必要な一貫性、はそこまでだ。


(人格の、電脳化か……)


 ――――〈うん? 人格改変?〉〈ああ、まあ、そういうリスクは伴うと思えるだろうねえ〉〈結局のところ人がどうして電脳人格に忌避を感じるかとしたらそこだ〉。

 ――――〈一点目。機材上の問題での変質〉〈要するに磁気や静電気、或いは機材の劣化によるデータの破損だけど〉〈ははっ、同じじゃないか。人体と。まさか、君まで人間の脳を絶対不変の装置と思う愚は犯さないね?〉。

 ――――〈それで、改変の危険だけど〉〈考え給えよ。何故、人格の電脳化が難しいか〉〈感情と生理反応と生命維持と記憶と諸々がごっちゃになってそこに手をつけられないからだよ。ピンポイントに拾えないんだ〉。


 ――――〈この内、生理反応と生命維持は脊椎接続アーセナルリンクで十分なデータが集まったからノイズとして除去できるとして〉〈それ以外は無理さ。まだ無理なんだ。電脳化が不可能なのは、電脳化による自己同一性の担保の崩壊、ロジックエラーに繋がってしまう部分を切り離せない……特定部位を狙えないことだ〉〈だから、君から遵法精神のみを取り除いたは、できないんだ〉。


 ――――〈君の暴力は、君の理念に紐付けられる。として〉。


 ――――〈君の人格と暴力は不可分だ。どちらかのみを使うことは、どこの誰にもできない。君が、真に毀れぬ剣であるならば〉。


 ……ああ。

 迷うな。揺れるな。

 己は果てを目指して――――その果てすらも飛び越えて、翔ぶのだ。翔び続けるのだ。


 かつての戦友たちと共にした一つの


 それを胸に、翔ぶのだ。

 あとの一切は些事で、ただ、己の抱いた余分でしかない。


(……シンデレラ)


 ――――大尉。

 ――――好きです。

 ――――貴方が、好きです。大好きなんです。


 その声が、幾度とリフレインする。

 同じ気持ちだ。

 誰よりも抱き締めたい。その言葉が嬉しい。ただ彼女が笑うだけで世界に色がついた気持ちとなり、その色鮮やかな感情は、どんな楽器が鳴らす音よりも多彩に自分の世界というものの色彩を豊かにする。

 その柔らかな肢体を胸の内に掻き抱き、いつまでも口付けを交わしたい。

 寝る前も彼女を想い、寝るときも、起きてからも彼女を見ていたい。いずれこの世を去る日が来るならば、どうか、永劫のその果てまでも彼女と共に居たい。

 この感情をなんと呼ぶのかは、知らないが。

 それでもきっと――――あらゆる彼方で、あらゆる果てで、あらゆる時空の地平で、あらゆる世の先で、俺がこう思うのは彼女ただ一人だろう。それ以外には存在しない。自分の鉛の心臓は、シンシア・ガブリエラ・グレイマン一人を思う。それが永劫の先だとしても。

 だけれども、


(……すまない、シンデレラさん)


 小さく、首を振った。

 傷付いてしまうあの人が生きていける未来のためなら、生き続けてくれる未来のためなら、そして彼女だけでなく――また巻き込まれてしまう少女がいるなら、そして己が彼女を想うようにを想うなら。

 自分のこれは、差し出そう。

 灰は灰に、土は土に、彼女のものは彼女の下に。

 鉛の心臓すらも弾に変え、己というものを使い切ろう。

 なるのだ――――全てを削りきった刃に。なるのだ。


 そう思えば、今すぐに彼女の下に駆け出したい気持ちも収まる。こんな場所でベッドに横になるしかない己にも、ある程度の諦めが付く。

 しかしながら、


「……しかし、やはり……万一に備えたほうがいいか?」


 鎮痛剤のおかげで、倦怠感以外は失われている。

 そうなると、随分、手持ち無沙汰な気がした。

 周りは戦闘状態で――――自分はこんな状態でも動けるように備えている。果たして、ここで寝ているのは正しいのだろうか。

 安静というのは、そう備えていない人間向けの言葉ではないのか。


(医官に確認を行い、やはり、機体での待機程度は行っておくべきか。戦場なら、怪我人なので見逃してくれという言葉も通じないし……激戦なら負傷兵も戦闘に参加するという事案も今まで多くあった……これなら安静の範疇では……? いや、安静とは呼べずとも……後ほど出撃させられかねないのなら、今待機していてもいいのでは?)


 鎮痛剤などの中枢神経系に作用する薬品と脊椎接続アーセナルリンクの相性は、悪い。接続酔いリンカードランクを引き起こす。

 だが、備えている。

 ならば、やはり、機体に乗り込む程度のことをしても……許されるのではないだろうか。怪我に響かない程度の機動をするだけなら、平気なのではないか。

 これまで戦時中に、負傷者も動員されていた作戦を想起する。最終的にああなってしまうなら、予め今から機体で備えておきたいのが本音だ。

 一度、腹から息を漏らし、


「――――――何の用だ、ウィルヘルミナ・テーラー」


 そう、包帯に覆われぬ左目で、背後のドアを睨んだ。



 ◇ ◆ ◇



 ――OHI-X001A/B【ジ・オーガ】。


 偏向力場放射ワイヤーを尾や長髪の如く棚引かせた鬼顔を持つ強襲騎士。重火力の粛清騎士。

 その設計理念は、アーセナル・コマンドの本義の再興。

 即ちは単機による圧倒的な火力の継続的発揮による火力制圧、近接急速戦闘機動による既存兵器を凌駕する強襲。

 その管がそのままガンジリウムタンク及び力場発生装置となっているワイヤーは、紐状特有の稼働力を有して力場の指向性付与によるエネルギー減衰を低減し、機体の有機的な加速を補助する。

 背部二門の大剣めいた大口径プラズマカノンは、その射撃直後にプラズマの圧縮に用いていた力場を解放し即席のバトルブーストに転用する。

 これらの連動によって、以って継続的な射撃と運動――――超高機動と大火力の連続発揮を可能とする。



 ――OHI-X003E【ルースター】。


 強化ヴォルフラミット・ガンジリウム鋼によって作られた無数の鎖と、加速器内蔵型の超大型ボルトカッターで武装した青薔薇めいた頭部を持つ妖花騎士。奴隷を養分に咲き誇る冬虫夏草めいた異形騎士。

 その設計理念は、単機による複数角度攻撃と敵機体の鹵獲使用による残弾の補充及び継続戦闘能力の確保。

 頭部の鶏冠や花弁めいた装置はすべてが増強された電波投射装置であり、一つ一つが蓄電装置キャパシタを内蔵した鎖と合わせて接続した敵機体への電脳侵入を実行する。

 元来なら外部からの電力供給による力場暴走にて強制的に敵機体を外部操作するというコンセプトの機体であったが、その駆動者リンカーであるサム・トールマンの技能によって、それぞれの機体と複数同時並列的に脊椎接続アーセナルリンクを実行している。これは、一つの脳で複数の肉体を同時に操作しているのと同義である。

 敵機体を弾薬庫・砲門・加速器として用いる電子戦機にして対エース用の対機戦闘機体。


 なお――――その駆動者リンカーであるサム・トールマンについては、軍の研究所からは以下の評価が行われている。


 空間識覚は、マーガレット・ワイズマン相当。

 電子制御技能は、リーゼ・バーウッド相当。

 並列処理技能は、ロビン・ダンスフィード相当。


 比喩でもなく、【狩人連盟ハンターリメインズ】最強の駆動者リンカーであり機体である。



 それは――――試金石、と言おうか。


 彼女にとっても。

 或いは、彼らにとっても。


「くっ――――――」


 降り続く雪の中での空戦。

 極超音速の飛翔が上空の空気を炸裂させ、暴風と轟音となって地上に降り注ぐ。

 大型のサーモバリック爆弾の着弾に等しいエネルギーが吹き荒れ、大気圧だけでビルの窓ガラスは室内へと飛散した。街の惨状が故に、悠長に外を眺める人間がいなかったのが幸いか。

 白銀の聖騎士のプラズマ刃が空を切る。


 その攻撃直後の力場逓減に目掛けて、衛星じみて機動する二機の連装銃が火を吹いた。


 二機が行うバトルブーストは、どちらも通常のそれを凌駕していた。

 その鎖にて支配下に置いた五機の大鴉を巧みに用いながらピンポールめいて空間を跳ね回る【ルースター】と、本体自身の類稀なる研鑽の末に連続バトルブーストを可能とした【ジ・オーガ】。

 青白い【ルースター】のそれは一個の巨大な不定形生物の脈動めいた力強い動きであり、対象的に赤銅色の【ジ・オーガ】のそれは生物特有の揺れや強張りのないどこまでも非生物的な動きだ。


 その二つが入り交じるからこそ、読み難い。


 嵐と凪――――或いは猛獣と幽鬼。

 片方の機動の印象に引き摺られれば、もう一方の機動に振り落とされる。

 その戸惑いを刺すように【ルースター】が制御する死人機のアサルトライフルが多角的な牽制として襲いかかり、【ジ・オーガ】の細身のレールガンが蜂の針の如く攻めかかる。

 ひと繋がりの巨大な花弁のその尖端に火が灯っているかの如き流動する熱烈なマズルフラッシュと、淀みのない機動のままに極当たり前とばかりに宙空から翻る静謐なマズルフラッシュ。

 稲妻じみた機動を取る白銀の聖騎士が、かろうじて射撃を回避する。


「っ――」


 流石のシンデレラも、防戦一方だった。

 単騎で複数機を相手にするならば相手の輪の内側に入らぬことと、敵のどちらかに接近し壁と使うこと――――そう、指導を行ったグッドフェロー大尉から教わっていた。

 だが、近付けない。

 大型の背部高機動ユニット故に【グラス・レオーネ】の方が通常速力・瞬間速力共に上回る筈であるというのに、運動性は【ルースター】と【ジ・オーガ】が上位だった。

 慣性力故に直線的な機動となってしまう白銀の聖騎士を僅かに躱すように、踊るように、揺蕩うように二機は雪の降る空を飛ぶ。


 強いていうなら、天候、その影響もあるだろうか。


 駆動者リンカーとしての覚醒を果たしたシンデレラが戦った大半は宇宙だ。微小なデブリはあれ、大きく環境の変動しない空間。対して地上は、気象と天候が目まぐるしく移り変わる。寒冷時や温暖時の空気密度変動によるバトルブーストの飛翔距離の変化は、かつての燃料由来の航空機の空気密度に対しての燃料効率とは異なってそれほど強く共有されない。

 それを知るのは――エディス・ゴールズヘアが戦技教官を務め、そして元航空機パイロットであるが故だ。

 その、僅かなる環境条件に対する差の積み重ねが双方の機動に現れていた。


(未来を読んでいる訳でもないのに――――)


 シンデレラの、最も驚くのはそこだ。

 二機とも直前に未来を変更する。シンデレラの銃口が未来においての直撃軌道へとにいけば、彼らはそれに応じて機動を変化させる。

 同じく、彼らもまた未来予知めいてシンデレラの先へ照準する。いや、違うのだ。

 驚くべきことに――と言おうか。それとも、当然の技法であると言おうか。シンデレラを、に向けて追い立てている。彼らの定める未来目掛けて誘導するように弾丸を放ち、その未来を刈り取りにかかっていた。


 地上から見上げる先の曇天には、三機の流星が衝突している。

 華やかに――――しかし淡々と。

 容赦のない砲炎が花火めいて炸裂し、弾丸が光線めいて断続的に降り注ぎ、応じるプラズマ炎が彗星めいて尾を棚引く。

 文字通りの火花を散らせるような一瞬。その積み重ね。


(このままじゃ――――また、向こうで戦闘が……!)


 暗夜の下、そこかしこに散らばった戦闘空域。

 今はまだ動きが鈍く、互いに牽制飛行や牽制射撃に留まっている。だが、それが続いた先にあるのはまたあの激化する戦場だろう。

 それを――――防がねばならないのに。

 シンデレラは、その矮躯を加速圧に苛まれながらも歯を喰い縛った。

 対して、


(ちっ……上に目掛けて逃げてるだけなのに、まだ捉えられんとは)


 エディス・ゴールズヘアも、苦い顔で舌打ちを噛み殺した。

 実のところこうまで彼らが優勢である要因の一つに、シンデレラ・グレイマンの回避方向が定まっているということがあった。

 地上への流れ弾を気にして、彼女は常にエディスとサムの射角を上に向かせるような形での回避を図っている。ときに平行に、ときに接近し、ときに上昇を停止させ、それでも基本的に頭上を抑える形だ。

 また、彼女が射撃をするのは、必ず水平平面上に双方が位置したときだ。それほどまでに、他への戦いの影響を極限しようとしている。


(飛車角封じの二面指しで互角に取られるってのも、面白くねえ話だな。……長引かせたら保護高地都市ハイランド軍が態勢を立て直しかねない。決めに行くか?)


 エディスとサムに時間を取られることを彼女は苦々しく思っているであろうが、それはエディスとて同じだった。

 シンデレラに時間を使いすぎれば、彼らが負うべき戦場の平定という役割を他者に明け渡すことになる。

 それでは【フィッチャーの鳥】からの支持を集めることができないばかりか、保護高地都市ハイランドからはただの裏切り者として処分対象になってしまうことを意味した。

 そうなれば――――――――が来る。

 あの、情け容赦のない刃が。

 エディスが育てた駆動者リンカーの中で、今も変わらずに空を飛び続ける……おそらく最も出撃を重ねたあの男が。

 どんな状況でも、秩序の敵を確実に滅ぼすまで止まらないあの――――シミュレーションでは再現不能な殺法を持つ、無限の殺意を手にしたあの男が。


『サム! いつものやつだ!』


 遅れを取るつもりはないが、は常軌を逸している。如何な場面からでも首を刈り取りにかかる死神。

 その危機感は、【狩人連盟ハンターリメインズ】の全員が共有している。

 青白き【ルースター】に呼びかけると共に、エディスの駆る【ジ・オーガ】の肩部装甲が展開した。

 悪魔蝙蝠の羽めいた、刃じみた装甲板が骨組みフレームで繋がった加速装置。これは、【ジ・オーガ】の機動速度を跳ね上げると同時にバトルブーストの微調整を可能とする補助加速機だ。

 以って――――【ジ・オーガ】の姿が掻き消える。

 そしてレールガンの高速射撃が放たれるが、それでも【ジ・オーガ】は姿を現さない。


(プラズマ砲を撃ってないのに――――消えた!?)


 一度、その、絶影の歩法は目にした。

 プラズマ砲の射撃を行う際はエネルギーの関係で封じられてしまうバトルブーストを、つまり必ず姿を表した状態でなければ行えない筈の射撃のコストを踏み倒して、バトルブーストを絶やさぬままにプラズマ砲撃を行う【ジ・オーガ】を。

 それは、プラズマ収束に用いた力場を発射後に転用する技であった筈だ。

 だが、今回は都市上空ということを鑑みて彼はその背部のプラズマカノンを用いていない。だというのに――――何故。


「く――――――」


 青白き妖花騎士【ルースター】のみがシンデレラの眼前の都市上空にその機体を表している。

 姿なき宙空に紫電が散り、高速のレールガンが襲いかかる。

 かと思えば、四方八方からバトルブーストに慣性力を上乗せされたアサルトライフルの弾丸が襲いかかる。

 どちらも、射撃者の姿はなく。影はなく。

 ただ、砲炎だけが空に落とされている。そのままに、シンデレラの【グラス・レオーネ】に全周囲から弾丸が降り注ぐ。


(前は――――――やっぱり、本気じゃなかった……!)


 前回は、姿が見えずとて先の射撃を読んで応対ができた。だが、今回はできない。シンデレラの予測と軌道変化に応じるように、後付けで動きを修正されている。

 速度に優れるということは、つまり、そんな修正ができるということだ。先を読んだシンデレラの動きに対応して後付けで直せるということだ。

 そして――――そのために彼は間合いを維持していた。近過ぎたら、行動の修正が追い付かない。彼はシンデレラの攻撃に対して自機の軌道修正が可能かつ、シンデレラからそれへのさらなる修正が不可能な間合いを保っていた――――――恐るべきことに、常に超高速で飛び回るその中で。


 射手が不可視のまま、砲撃のみが空中から生ずる。

 また、敢えての圧力の如く、鎖を広めに伸ばした【ルースター】はあまりバトルブーストを使用せずにその射撃を継続していた。

 光線のように白熱した殺到する弾丸が、ついに、白銀の聖騎士の装甲を掠り始めた。


(こんなとき――――大尉なら……大尉なら!)


 本人が居れば、俺はもう撃ち落とされているだろう――と答えるかはさておき、シンデレラは常に脳に浮かぶ最強を思った。

 雲霞のように空を埋め尽くす敵機にすらも怯まない。

 ただの一刀にてあらゆる困難を斬り伏せる。

 あの、最強の剣を――――――己が手に携えた不可視の聖剣の、その鋳型となった青年を。


(近付けない――――でも、機動力ならこちらが上。だったら――――――)


 虚空で紫電が弾ける。放たれた赤熱する超高速初速弾。

 ついに仕留めかかられるというその瞬間、奥歯を噛み締めたシンデレラは一直線に加速した。

 一気に空に目掛けて。

 この戦場から脱するように。

 お前たちの相手をしなくても――――勝てぬなら、他に当たればいいのだと言いたげに。

 当然、


(わたしを抑えにくる――――――なら!)


 背後からの超高速初速弾の狙撃。

 そして、側面からの死人機からの集中砲火。十字砲火。

 だが、彼らはシンデレラがそれらを躱すことを考えている。回避を当然の前提として組み込み、その次手を用意している。

 故に――――――


 その白銀の聖騎士の背面に直撃する弾丸の軌道は、しかし、沿

 同時、【グラス・レオーネ】の右ライフルが放ったプラズマ炎が――襲いかかるアサルトライフルの弾丸を逆に呑み込んだ。


『な――――――――!?』


 敵機の驚愕――――――隙だ。彼らは、シンデレラの回避を前提とした次手を組んだ。つまりは、一手の損だ。

 上回るために、彼女は二つの策を使った。

 敢えて素直に背を向けて逃げるという行動により、敵のその後に取りうる行動を制限する。

 その上でなら、まだ、彼女の予測は先手が取れた。その予測により僅かな時間が生まれた。その隙に、力場を集中して形成した弾丸のレールを空に置いたのだ。

 そうして作られた敵の一手損。

 もう後がないそれを補うための行動など――――知れている。


『直接、落とす――――――!』


 エディスの駆る赤銅色の【ジ・オーガ】の肘から、鮫の背びれめいたプラズマ刃が形成された。

 白銀の聖騎士を背後からの喰らいかかる強襲騎士。

 対するシンデレラは機体の前後を反転させ、迎え撃つように右のプラズマブレード刃を構築。

 この、雪降る都市の上空にて――――ついに一騎討ちの近接戦闘の幕が上がる。

 何れにせよ、その邂逅は一瞬で幕を引く。

 そして、その決定戦を持つのは――――――の側だった。

 

(これも、布石――――――――大尉ならそうする!)


 ふわついた金髪の毛先が揺れ、コックピットモニターに迫りくる赤銅色の影を睨んだ。

 バトルブーストの攻撃。

 アーセナル・コマンド同士が衝突にかかるのは、瞬きの一間。

 それだけで、両機は交錯するというのに――……だがモニター上の強襲騎士の姿は、像は、まるで大きさを変えずにそこにいた。

 シンデレラに利があるとするなら――――一点。


『なっ――――』


 ――退


 コックピット内にすら自在に力場を展開する彼女は、マイナスGの影響を極めて受けにくい。が可能である。

 つまりは、本来なら人体が耐え難い頭部や頸部を伸ばす方向に荷重がかかるバックブーストでも前方移動と同じ加速度での行動ができるということだ。

 放たれた弾丸めいて前進する強襲騎士と、全くの同速度で後退する白銀騎士。


 埋まらぬ距離に、エディスの【ジ・オーガ】のプラズマブレードが空を切る。

 瞬間、下段に構え直した【グラス・レオーネ】のプラズマ刃が、

 

「貰った――――――!」


 真下から振り上げられた。

 切り飛ばされた赤銅色の左腕。【ジ・オーガ】の片腕を、プラズマの炎が焼き切った。

 だが――――


『仔細ないか、教官』

『助かったぜ。……随分と腕を上げたな。どっち側もだ』


 一点に密集させるように放たれたアサルトライフルの弾丸が、シンデレラのプラズマ刃の先端に撃ち込まれ力場を崩していた。

 本来なら、機体を断ち切る筈だった必殺の一閃は、片腕しか断てなかったのだ。

 それは、十分な損害と呼ぶには――――浅い。


『アイアンリングの坊主みたいなもんか、その機動』

『……問題ない。初見ではない』


 即ち、唯一のアドバンテージ――――伏せ札を相手に見せてしまったことを意味する。

 加えるなら、彼らはシンデレラと同一の機動を行う相手との戦闘経験があった。

 つまり、二度目はないということだ。

 そして――――


『教官殿……』

『ああ、使うか。お前さん、接続率は?』

『【六十二・一%】で相違ない』

『グッドフェローの奴と同じか。……なら、俺の何倍も伸び代があるってことだな』


 彼らもまた、伏せ札を持っていた。

 皮肉げに笑うエディス・ゴールズヘアの接続率は、【八十五%】。

 彼自身の元来の高すぎる接続率を制限した上で、心身ともに影響を受けずに行える限度として設定された数値。

 今、戦鬼はその鎖を引き千切る。


(何か――――――来る?)


 それは――各人に設定された解放キーだ。

 片頬を上げて、エディス・ゴールズヘアは宣言する。


Legum omnes我々は皆 法の servi sumus奴隷となる ut liberi esse自由である possimusそのために―――Dura lex悪法も, sed lexまた法なり. 』


 同時、サム・トールマンは厳かに口を結ぶ。


Ab uno disce omnes一から全を知れ. ――――Omnes una manet nox万人を一夜が待ち受ける, mors nomen tuum汝の名は死.』


 音声認証コードによる管制AIの権限承認。

 瞬間――――双方のコックピット内で、接続率が【九十%】を超えた。


 接続率とは、どれだけ自分の肉体同然にアーセナル・コマンドの脳制御が可能かという数値だ。

 そして、これが高いということはすなわち、人体の形状を大きく超える機体を操縦できないということを意味する。例えば四脚機を愛機に用いるヘイゼル・ホーリーホックは、実に接続率が【四二・七%】である。概ね四脚機や履帯機・揚力装置機体の使用者の接続率は【五十%】に留まっている――――否、留まらなければ接続後の脳障害のリスクが激増する。


 だが――――その両機は、明確に人の形を外れていた。


 本来なら、成り立たない筈の高接続率。

 それを成り立たせられるのは唯一、汎拡張的人間イグゼンプトだけであり――彼らはAIの補助によって、人為的にその山嶺に踏み込んだ。

 自身の脳に飼っている同一仮想人格の管制AI。

 そのAIに機体管制を任せ、そして、合わせ鏡のようにAI

 それ故に、常人ならば耐えられないモノへの接続も実現される。

 また、もう一点。


(動きが――――――読めない!?)


 汎拡張的人間イグゼンプト殺しの狩人――――。


 その面目躍如と言わんばかりに、突如としてシンデレラは未来の把握が困難となった。

 未来予知ではなく、未来予測。

 それは、そこにいる人間の思惑も含めた上でのだ。

 人と繋がり合うことでに接続し、以って彼女たちも特定の、脳が焼かれはしない程度の未来を見る。

 条件の一つが失われてしまえば、加速度的に不確定となったそのは増大し――――彼女たち自身の生体防衛反応によって、未来を見ることを止めてしまう。


 そんな予測を含めて成り立っていた五分五分。


 それを取り上げられたシンデレラは、如何にこの戦役を通じて急速に技術を磨いたとしても戦い始めて一年も経ていない少女である。

 故に、辿る未来は決定された――――――――


「――――よぉ、騎兵隊の到着だ」


 嗄れ声。ハスキーボイス。

 男女の耳朶に残るそんな声と共に、響いたのは一発の銃声だ。

 両手にショットガンで武装しただけの量産機が――銃鉄色の古狩人が、戦場の中間目掛けて弾丸を放っていた。

 それだけで、赤銅色の【ジ・オーガ】が姿を表した。


『お前さん……ヘイゼル・ホーリーホックか?』

「ボインの奥さんは壮健かね、教官殿」


 色気を含んだ片笑い。


『……元嫁だ。人の妻を馴れ馴れしく呼ぶんじゃねえ。復帰したとは聞いてはいなかったが、丁度いい。所属不明機を――』

「ああ、悪いな。【フィッチャーの鳥】はクビにされてるもんでね。いわゆる一つの義勇兵、ってやつだぜ? お兄さんは」

『……』


 ここに来ての文字通りの遊兵――――それも勢力不明の。

 そんな鬼札であるヘイゼル・ホーリーホックを前に、双方が停止せざるを得なかった。彼は、それだけの力だ。

 彼の持つアーセナル・コマンドの撃墜スコアのうちの十分の一は、それが生身の作戦行動の内に行われたと言えば――その脅威度も知れるだろう。


 ハンス・グリム・グッドフェローのようにアーセナル・コマンドを作業用アーモリー・トルーパーで撃破することを、重機で戦車を破壊する行為と言うならば――――。

 ヘイゼル・ホーリーホックのそれは、弓矢や投石機やパチンコで戦車や戦闘機を沈めるのと等しい。

 人体を拡充するアーセナル・コマンドへそんな男が乗り込めば、一体どうなるか。


 メイジー・ブランシェット、マーガレット・ワイズマン、リーゼ・バーウッド、アシュレイ・アイアンストーブが機体戦闘においての強者と称するなら――――特にロビン・ダンスフィードとマグダレナ・ブレンネッセル以下の下位三名は、そも生身の人間としての戦力が強すぎるが故に駆動者リンカーとしても強力であるという、そんな存在だった。


「いよぉ、シンデレラの嬢ちゃん。随分と久しぶりだな。……あの海の街以来か?」

「ヘイゼルさん……貴方も、戦いに来たんですか?」

「ああ、そうだ。お兄さんみたいな戦争屋ってのは、どこででもやることは変わらねえのさ。よくわかってるじゃねえか。請け負った任務をやるのが、俺の仕事ってな」

「……」


 沈黙するシンデレラは、唇に力を込めた。

 彼の普段の人間性を知っている。親しみがある。――だからこそ、そうして歯車に徹そうとする彼へ思うところがある。

 己を撃ち落とされ、生身を失わされたこともさることながら……任務なら大量虐殺さえもできてしまうというそんなことが、悔しくなる。

 そうした睨み合いの中で、エディス・ゴールズヘアが口火を切った。


『んで……お前は何をしにきたんだ、第八位の潜伏者ダブルオーエイト

「ははっ、知らねえのかい? 昔からこう言うだろ?」


 軽薄な笑いと共に、


「人の恋路を邪魔するやつは――――馬に蹴り飛ばされて爆発四散して地獄に落ちて悶え苦しむ、ってな!」


 二丁のショットガンを携えた黒き古狩人が、その両手を掲げた。

 二機へと銃を向け――そして、高らかに謳う。


「グリムの奴からの頼みだ。助太刀するぜ、シンデレラの嬢ちゃん!」

「ヘイゼルさん!? 大尉が――――!」

「ああ、悪いがメッセージカードまでは預かっちゃいないがな。……安心しな。アイツはああなっても別にキレちゃいねえよ。お前さんを助けてやってくれって、ただそうとだけ言ってやがった。随分と愛されてやがるねえ」

「愛―――、―――――――!?!?!?」


 多分動転しているだろうシンデレラの挙動を見ながら、コックピットのヘイゼルは笑った。

 年齢がだいぶ離れている気もするが、多分、二人ならいい形の関係を築けるだろう。天然ボケの青年を引っ張っていくには、しっかり者の少女が一番だ。

 二人がまた出会える場面を想像して目を細め、改めて睨む先は、二機の――――聞いたことがない駆動音のアーセナル・コマンド。


『古巣を撃つ……それがお前の答えってことでいいのか、第八位』

「ああ。請け負った仕事は何であろうとやり遂げる。――ましてや相棒からの頼みだ。俺がやらねえワケがねえ。アイツが人を頼るなんてのは、それだけでお釣りがくらぁ」

『……ったく。まあ、つまり、無許可の出撃ってことでいいのかね。――――なら十分に撃ち落とす理由だぜ、それは』


 大義名分、というわけか。

 エディス・ゴールズヘアなりにこの状況下で上手く立ち回ろうとしているのが読み取れた。

 つまりは、彼は未だにクーデターや武力蜂起ではなくあくまでも保護高地都市ハイランドの命令に基づいた鎮圧行動という形を取りたいのだろう。

 そう分析しつつ――――ヘイゼルは、嗤う。


「やってみな、教官殿。……生憎今日のお兄さんは、なんだよ」


 今まで、随分と気乗りのしない仕事に付き合わされた。

 それがどうだ。

 一番の戦友の頼みを聞いて――その戦友の愛する少女のために戦う。それほどまで、男冥利に尽きる戦いがこの世に他にあるだろうか?


 不調?――――関係ない。

 未確認機?――――関係ない。

 武装不十分?――――関係ない。

 初搭乗機体?――――関係ない。


 そんなものは、ヘイゼル・ホーリーホックが行う仕事の問題にもならない。

 飛び入りのギグは大歓迎だ。

 型式の決まりきったオーケストラではない、一夜限りのセッション。奏でるのはジャズか? ロックか? 鎮魂歌レクイエムか?


「行くぜ。――――――黒衣の七人ブラックパレード交戦開始エンゲージ


 二丁のショットガンを構える潜伏手が、遮るもののない暗夜の都市の上空に翼を広げた。

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