第154話 戦火の中で、或いは銃声。またの名をパノプティコンの歯車


 煌々と燃え上がる炎と、膨大に立ち昇る黒煙。

 少なくともその光景は、彼にとって、今の職業につくにあたっての原初とも言える記憶を呼び覚ます。


「なんなんデスかねえ、これ。案の定、またやってるじゃねえかよ……クソッタレ」


 煙草のように咥えたロリポップの柄を唇で挟んだストロベリーブロンドの青年が、焼ける街を苦々しく見る。

 似た光景は、彼も、幾度と目にした。

 最悪なのは――……その時は、あの戦争のときはそれが終わりだと思っていたことだ。あれが最後で、その後は、しばらくは起きることがないと。あれが終わりになるように祈りながら、彼は戦っていた。

 だというのに、起きた。


 たった三年。


 それがこの世に火が取り戻されるに足る時間であったというのか――――或いは、消えきらなかったあの戦いの残り火だというのか。


「ったく……何のためにオレらが戦ったと思ってるんですかねえ?」


 そこに居ない誰かに呼びかけるように、青年は皮肉げに肩を竦めた。

 今、彼を諌める人物は居ない。

 根は陰気な癖にあれこれと口煩いコミュ障少女も、遊びの一つも知らなそうな褐色肌の軍人も、常に余裕そうな微笑を浮かべていた銀髪のお貴族様も――誰もがもう、旅立った。

 そのまま、脱出がてら伴っていた避難民たちが言い争っている間に割って入る。


「まーまー、落ち着いてってコトで。騒いでもしょーがねーんですよ、こういうとき。おわかり?」

「でも、こんなことになってるのに……警察は……!」

「ハイハイ、こーいうときは大体一回警察署に集まって、武器庫開けたり何やりしてるんでまあ待ってやってくださいな。サボってるワケじゃねーんで」


 やれやれ、と肩を竦める。

 歴史的な会談と謳われていたがためにわざわざ足を運んでみたはいいものの、まさかこんな騒動に巻き込まれるとは。それも、あの年にまさに焼け落とされた自分の故郷の側の都市で。

 まあ、子供の頃から転々としていたので故郷というほど思い入れがないが――――……気分のいいものではない。まして、その会談で宿敵であったはずの男が想い人の兄であり、かつ、その少女が確実に死んでしまっていると明らかにされたらなおさらだ。


「あの……もしや、昔警察に……?」

「あー……まあ?」

「では……貴方は、セージ・オウル――」

「……人違いデショ」


 避難民の一人に話しかけられたのに、肩を竦めて背を向ける。

 こんな状況で保護高地都市ハイランドの軍人――元・軍人だが――と明かすのは幾ら何でも自殺行為だ。

 暴徒が来たときに差し出されかねない。仮にどれだけ負傷者や民間人の世話を焼いてやっていても、だ。

 そういうのも、見た。

 あのときは衛星軌道都市サテライトの軍人だったが――……あの国にしては珍しく規範的で規律的で占領下の民間人たちに誠実に接していた彼らも、戦地解放に伴って正体をタレ込まれた上で私刑に遭って街頭から吊るされていた。あんな程度に、民衆が勝手な連中だと知っている。


 ――――〈別に、多分、皆……本当はそういう人って訳じゃないんですよ、きっと〉〈でも……なのに、そういう人になってしまう〉〈それが……戦争が怖いところなんだと思います〉。


 そう呟いた戦友の少女の言葉を、彼はそれほど呑み込めやしなかった。

 人は悪ではなく、状況が人を悪にする。

 そう思えるほど――……彼は人類を愛する気はなかった。彼女も、何度も相談に乗ってくれた知人からの受け売りだと言っていたが。

 そんな回想。

 そんな感傷。

 やれやれと手のひらを上に向け――――片目をピンク色の髪に隠した彼は、勢いよく背後を振り返った。


「マズいっすねぇ……何人か来る。多分、足音的に軍人かねぇ……」


 そう呟くと、周囲の避難民たちは顔を見合わせた。

 保護して貰えるのでは――というにわかな期待と。

 暴徒に間違われて撃たれるのではないかという恐怖。

 或いは、その軍人こそが不法を働く暴徒であることを案じる不安。

 それらを前に、彼は白けた目を向けて……それから、幾人も負傷者がいることに後頭部を搔く。中には相当の重症もいるのだ。


 結局彼が、その軍人に接触を図ることにした。

 何かあったときに、まあ、自分なら何とかできると言い含めて――――そして邂逅したのは、三人の軍人だった。

 百九十センチ弱の大柄の女。

 百六十センチそこそこの赤髪の青年。

 そして、何の冗談か天使めいた機械の羽をその背面に展開した黒人の男だ。

 ひとまず常識的そうなその三人は、彼の姿を見付けて、言った。


「おや、また民間人が。幸いというか、何というか。貴方お一人でありますかな?」

「怪我人が一人いるんで、医療キットを貰えますかねぇ? あと、できれば処置を行って貰いたいもんですケド」

「怪我人! それはそれは……! では、すぐに手当を。どちらに?」


 よし、と胸を撫で下ろしながら彼は進む。

 この都市の途中で拾った、最も重症そうな女の下に。


「両腕とも重症で、片腕は原型がないんで……瓦礫に潰されたのかよっぽどの流れ弾でもあったのか。ハッキリはしねーですけど、意識は一応ある感じで」

「それは……なんともよろしくない状況でありますな。すぐに見ましょう」


 そして、その怪我人を目にしてすぐ――


「……ドム、マートン。一般人を下がらせてください」


 表情を変えぬまま、長身の女性――レモニア・ミスリル・ナイフリッジは平坦な口調で呟いた。


「あいあい、スプラッターは刺激がちょっと強いからな」

「皆さん、治療を行いますので少し距離を。見ていて気分がいいものではありませんよ」


 避難民を押し下げながら、三人は余人には伝わらぬ短波通信を交わす。

 明確に――として目を細めて。


か、レモニア』

『……正直、十秒保たせられたら上出来でありますな』

『怪我人で? お前に? そんな馬鹿なことが?』

が同じ、でありますよ。おまけに駆動者リンカーとの二足草鞋……他に言う必要がありますかな?』

『……ジーザス。か』


 機械化された破壊工作特殊部隊。

 当然、身体の機械化が原因で脊椎接続アーセナルリンク不良からアーセナル・コマンドへの搭乗は叶わなくなってしまうのが通例であり――――……つまり、というそれが意味することは一つだ。

 生身のままその中でも見劣りしないどころか、完全義装展開された改造兵士すらも上回る唯一の人材。

 変装、情報収集、尾行、潜入、武器作成、破壊工作、徒手格闘、煽動、射撃――――そのどれをとっても頂点に君臨した人外。

 ぼんやりと瓦礫の街に佇んでいた血染めのエプロンドレスのメイド服の女は、拭われない頬の返り血も歪めて――ゆっくりと笑った。


「あら。顔が違うから、誰か気付きませんでしたわ。ショウコ・オニムラ」


 白髪赤目。どこかウサギめいた配色の絶世の美女。

 しかし、ウサギはウサギでも首狩りウサギだと、彼女は知っていた。

 ナイフも銃も拳も用いずに完全機械置換の破壊工作員数十名を無力化する存在は、彼女の記憶をどう洗っても他に出ない。更には潜入中、生身のその歩法だけで不意の遭遇となったアーセナル・コマンドを自壊させていた。

 まことしやかに、と畏怖を以って語られた現代の外宇宙的神話存在。

 この手の工作部隊では、知らぬ者はいない。邪神の眷属或いはその写し身としてさえも、半ば冗談で――半ば本気で称されている女だ。


「……今はレモンちゃんでありますよ。その赤は模様替えで? 随分と珍しい姿でありますな、千両役者クローリングカオス

「ふ、ふ。私は親から授かった名を捨てていないというのに……酷い呼び方をされるのですね」

「……」


 親しげな会話の次の瞬間には胴と頭を引き千切られてもおかしくない。これは、そういう次元にある。人間大のアーセナル・コマンドか、それ以上と考えた方がいい。

 その左腕は千切れかけていて、右腕も銃創に血塗れる。

 彼女が負った手傷を前に、安堵どころか――……その時点で、レモニアは最悪の予想に行き着いてしまって顔を顰めた。この女に正面からここまで傷を負わせられる存在が居るとしたら、彼女の知る限り二人だけだ。


(……上回れないから、あえて片腕を犠牲に弾を受け止め――着弾の衝撃を利用して爾後の回避を図った、ということでありますか)


 レモニアの予想は、半分までは正解だった。

 更に加えて――――左腕に受けた弾を相手に撃ち込み返したのだ。

 骨格・腱・筋肉・神経・血脈・皮膚――……早撃ちの速度で勝てないと踏んだマグダレナは、その類まれなる掌握能力と制御能力を用いて自分自身の肉体を文字通りのとして扱っていた。

 即ちは、頭部に撃ち込まれた弾丸が頭蓋骨を一周して飛び出たという奇跡的な事例のように――――両の腕を用いてそれを再現したのだ。


「……には、流石に手こずったでありますか?」

「……さて。なんのことでしょう?」


 白々しい言葉だった。

 マグダレナに勝てるとしたら、で上回るか、で上回るかのどちらか。

 対サイボーグを成り立たせる全人類でも両手で数えられるほどしか居ない素養のその上で、人体をここまで破壊する武器を用いているのは――……。

 かの“拳銃使いガンスリンガー”スティーブン・スパロウ空軍中将か。

 それとも“死神猟犬ティンダロス”ハンス・グリム・グッドフェロー空軍大尉か。

 その二人しか、この地上には存在しない。


「同行を求めてもよろしいですかな。罪状は――……口にする必要がありますか?」


 静かにレモニアは腰を落とした。

 0−100ゼロヒャクの初速最高加速が許されるサイボーグでも、果たして目の前の女相手に食い下がれるかどうか。

 二十数年間、演劇に関わるもの以外で一切の荒事や武術の経験がないというのが信じられない規格域外イレギュラー

 前大戦の最中、自分を監禁していた五人の男の首級を手土産に唐突に軍に志願してきたという――――正真正銘の怪物だ。

 最悪なのはその本体性能以上に、人体の生物学的な機能すらも利用する魅了・煽動能力であるが――……。

 しかし、返答は、予期せぬものだった。


「従いますわ。ただ、一つお願いが」

「……なんでありますか?」


 その両手が使い物にならないと示すように、彼女は軽く腕を振ってみせた。

 それから、首に架けられたシルバーのチェーンをまだかろうじてマシな右手で指し示す。


「胸のロケットの写真を、血に濡らさないでもらえたらと思って。とても大切な方のものなので。私の血で穢してしまうのは憚られまして……」

「……どなたのもので?」


 一瞬、罠かと考えた。

 だが、そこにあったのは、


「――――我が唯一無二の主、ですわ」


 花が綻ぶように、貞淑かつ寂寥とした……同性でさえ思わず見惚れるような笑みだった。

 意外な気持ちになる。

 この女に、そんな相手が居たとは。

 首からチェーンで繋がれ、その豊満な胸の谷間に挟まれた銀色のロケットペンダントを手に取り、血を拭って中身を開いてから――……レモニアは思わず天を仰いだ。


(いや、一体何をどうしたらこんな化け物からそこまで気に入られるんでありますか……)


 覆い被さった屈強な機械化兵士三名の腕を、笑いながら身動ぎだけで解体した人型の邪神――だというのに。

 そこに挟まれた2枚の写真。

 被写体は、つい先程まで共に行動していた青年。

 鴉の翼めいた黒髪と冷徹なアイスブルーの瞳。おそらく正面からマグダレナの殺害が叶う内の一人――ハンス・グリム・グッドフェロー。

 それもおそらく隠し撮りの。

 隠し撮り。なんで。怖い。

 無表情で円盤状の焼き菓子をハムスターのように頬張ってる休憩中らしき写真と、おそらく兵士たちの前で毅然と話をしている写真。隠し撮りというのが本気っぽくて凄まじく怖い。


「何か?」

「え、や、いや……これは……」

「何か?」

「…………アッハイであります」


 余計なことを言ったら殺す、とでも言いたげな柔和かつ凄味がある笑みを前にレモニアは黙った。


 希望の英雄メイジー・ブランシェットの婚約者。

 篝火の超新星シンデレラ・グレイマンの想い人。

 この混沌より這い寄る怪物マグダレナ・ブレンネッセルの主人。


 超重力空間でも展開しているのか、何かとんでもない人間関係の中心にいた。ちょっとお金もらってもキツい人間関係だ。怖い。もしこれ以上に広がってたらちょっと収集がつかないと思う。

 それはともあれ――……今のレモニア自身も、中々笑えない渦中に放り込まれてしまっていた。


(ゾイスト特務大将だけでなく、これで【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】のトップも落ちたとは……。よりにもよってその下手人の確保が自分でありますか……こんな政治的な案件を)


 要人警護に当たる以上は、身辺が洗われている。

 そんなレモニアたちが国家から疑いをかけられることはなく――――だからこそ、と考えるべきか。

 眼の前で薄笑いを浮かべる女が、何を考えているか読み切れず……苦々しくレモニアは眉間の皺を揉んだ。


「ところで、ショウコ……前大戦の主要者は、記憶を?」

「レモンちゃんであります。してますが、何か?」

?」


 あのメイジー・ブランシェットの盟友。

 【黄金鵞鳥ゴールデンギース】号が抱えた銃手。

 紛れもない英雄の一人に数えられる人物で、


「そりゃあ、復興支援のチャリティ団体のトップと……あと、でありますが――……」


 そこまで口にして、レモニアは止まった。

 マグダレナの赤い視線の先――――瓦礫に身を隠すように、聞き耳を立てていたストロベリーブロンドの青年。


「あら。


 捕食者のような笑みで、マグダレナが真紅の目を細める。

 一体、誰の差し金か。

 それでも少なくともレモニアも彼も、マグダレナというとびきりの異物の計画と人間関係に組み込まれてしまったようであった。



 ◇ ◆ ◇



 少なくとも……暴徒に襲撃を受けたというアリバイは、成り立つだろう。

 それが彼自身が焚き付けたウィルヘルミナ・テーラーの手によるものなのか、それとも純粋に暴力のままに無秩序に呑まれた者たちなのかは彼にとっては関係なかった。

 施設のその中で――たった先程まで呼吸をしていた者たちを無感情に眺め、今まさにその手の内で首をへし曲げた少女の亡骸を投げ捨てながら、美丈夫は同行者に声をかけた。


「戦況は?」

「宇宙はそれなり。一枚だけだと、アシュレイ・アイアンストーブを抑えるには難しいかも。ここは……五分五分でしょう、多分」

「ふ、ふ……そこまでとはな、灰の姫君は」

「ヘンリーとゲルトルートが居ればよかったけど。音信不通じゃあ、無理ね」


 ハンドガンをリロードしつつ、銀髪をツインテールに纏めた小柄なエコーはそう呟いた。

 コンラッド・アルジャーノン・マウスは、一度だけ興味深そうに頷いた。


「わたしも、出る?」

「……その未来で、ハンス・グリム・グッドフェローはそこにいるかね?」


 コンラッドの問いかけに、エコーは微かに頷く。


「いるわ。彼は、来る。そうなれば、必ず来る」

「ならば、我々は脱出を優先すべきだろうさ。……あの男と対するのは、最後でなければならない。それ以外であの男を敵に回すのは、明確な誤りだ。鋭角の猟犬の獲物になってはいけないのだよ」


 そう呟いて、彼は歩を返した。

 かろうじて難を逃れたような形で大統領たちに合流するのか、それとも別に狙いがあるのか。

 何にせよ――――ひとまず、襲撃に逢ったためにすぐに通信が行えなかったというアリバイが成立するだけの状況は整った。

 つまり、この都市で【フィッチャーの鳥】が何を起こしてもそれはコンラッドの責任ではないのだ。強いて言うなら、状況が悪いと言い張れる。

 その男が全てを掌握するための階段は、着々と出来上がりつつある。

 折り重なった死体の中でうつ伏せになったヴェレル・クノイスト・ゾイストの死体に一瞥すらくれずに歩き出したコンラッドの背を一度眺めて――――エコー・シュミットは、足を止めた。


「……随分遠いところに来たのね、


 ポケットに仕舞った古びた硬貨コインを――錆びついたそれを天井の明かりに翳し、少女はまた仕舞う。


――――。……そうね。ええ、そう」


 そして、自戒のような警句と共に。

 エコー・シュミットは、再び歩き出した。

 淡々と。

 どこまでも、進むように。



 ◇ ◆ ◇



 既に、多分、理由はなくなっていた。


 都市の防空を任ぜられた保護高地都市ハイランド空軍にとって【フィッチャーの鳥】は仮想敵の一つであり、大統領令によって呼集された【フィッチャーの鳥】にとって空軍は作戦目標の完遂を阻む障害でしかなかった。

 大統領は象徴であり首相ほどの内政権限を持たぬものであるが、形式上は六軍の将である。戦前ならばそれでも明確に優先すべきは内閣府令と主張できたかもしれないが、戦後に自己の権限の増大を図る大統領によってその境は曖昧となり、また、首相の死亡によって指揮系統が混乱したため法に拠る停止命令を発令することができなかった。

 更に、総大将の暗殺によって血気はやる【フィッチャーの鳥】というのが状況を悪化させる。


 一体どちらから撃ったのか、というのは、最早、既に重要ではなかった。


 交戦規定に示された武器使用条項の第一義に従い、空軍側の機体は自己防衛のための応射を開始。

 双方の間で戦端が開かれれば、あとにあるのは如何にして敵機を無力化して事態の沈静を図るかだけであり――総大将の死亡を伴った【フィッチャーの鳥】は保護高地都市ハイランドへの強烈な不信感を強め、無制限に都市部に雪崩込む【フィッチャーの鳥】に対して保護高地都市ハイランド空軍は防空行動を実行に移す。

 結果――――。

 アララト山の噴火によって生じた噴煙により、夜も同然に暗きが落とされたレヴェリア市の上空は花火の如く火砲が飛び交い爆発が咲く戦場と化した。


 噴煙に含まれたガンジリウムによる電波障害と、通信衛星の撃墜に伴う通信障害がそれを加速。


 雪が舞う都市は、戦場の霧に包まれた。


 そして――――


『ヴァイパー2、交戦開始エンゲージ! ヴァイパー1の指揮を継いだ! 繰り返す! ヴァイパー1は撃墜された!』


 無線音がコックピットに鳴り響く。


『ソーサレス01、避難施設の誘導を開始――――、っ、駄目! 誰か上を抑えてください! 避難所に流れ弾が当たりました! 市民目掛けて……! 誰か、援護をお願いします!』

『クソッタレ、あの屍肉喰いの鳥どもが! 最悪だ! 被害状況を確認する! アイツラ病院に落としやがった!』

『メーデー、メーデー、メーデー! こちらは通信社だ! 通信社のヘリなんだ! 頼む! 撃たないでくれ! 頼、ひっ、うわぁ――――!?』


 混戦状態で鳴り響く。

 かの百目の巨人ヘカトンケイルでさえも、その目を回すであろう市街地戦。

 至るところから黒煙が立ち昇り、戦火が住居を塗り潰す。放たれたプラズマ砲が、大地に衝突するに伴って力場を失い、道路を舐めるようにプラズマ炎が広がり住居や人を呑み込んだ。

 巻き起こる爆発。飛翔する曳光弾。

 飛び散る薬莢。加速度を経て自動車を潰す。

 敵味方入り乱れた鋼の巨人たちが都市の上空を飛び回り、《仮想装甲ゴーテル》に逸らされたその大型の火砲の流れ弾が中の人間ごと容易く施設を粉砕する。

 あの【星の銀貨シュテルンターラー】戦争のような地獄が、そこに顕現していた。


 バンドワゴン隊――六機。所定の上空監視飛行中、一機被撃墜。現在、対空戦闘実施。コマンド・レイヴン運用。

 ヴァイパー隊――六機。隊長機撃墜。現在、基地防空戦闘実施中。コマンド・レイヴン運用。

 エンプレス隊――三機。基地防護及び基地防空実行。現在、即応猟兵モッド・トルーパー部隊を牽引。コマンド・リンクス運用。

 ソーサレス隊――三機。戦闘領域圏内の重要施設の避難誘導。交戦中。コマンド・リンクス運用。

 エスパーダ隊――三機。休憩のまま格納庫まで帰還できず。未出撃。コマンド・リンクス運用。

 ノーフェイス小隊――三機。現在、隊長機が召喚中の音信不通により二番機が指揮を引き継ぐ。現在、対空戦闘実施。


 二個強襲猟兵中隊――――この大きさの、本土以外の都市の防衛に出されるとしては異例と言っても規模の部隊。


 二機の被撃墜と四機の未出撃を加え、残数:十八機が全方位から都市部に集中する同型最新鋭第三世代機に対しての防衛を余儀なくされる。

 既に赤いアラート警報は鳴り続け、白煙を伴うミサイルの嵐が都市上空で炸裂する。


「ブービー! 怪我は!」

「無事っス! それにしても……めちゃくちゃっスよ、これ!」

「わかってます!」


 左右の操縦桿を握り、フットペダルを踏み込むエルゼは冷や汗を流した。

 指揮が――――保たれていない。

 この未曾有の避難民やデモ隊から発生した武装蜂起は基地にも及び、誰一人としてこの戦場で大局を見て指示を出せる者がいない。

 結果、基地防衛と都市防空と避難誘導の三方に分かれるような形となってしまって、そこに各個に敵が集中している状況だった。

 全天周囲モニターで闇の中で上がる火の手を見ながら、エルゼは歯を喰い縛る。


(どれ――――どれから!? 基地防衛を止めたら脱出用の輸送機が飛び立てない! モッド・トルーパーも連れていけない! 都市防空が削れる訳がない……なら避難誘導を削って……そこを切り捨てるしかないですけど、でも現に流れ弾と敵機が……救援信号も!)


 保護高地都市ハイランドの各地から集められた彼らは、最新鋭のコマンド・リンクスを下賜される程に腕利き揃いだ。その中では、ヴァイパー隊の隊長機が前大戦帰りで冷静に動ける側だったが……落とされてしまっている。

 ソーサラー隊の隊長は、前大戦での民間人徴用者で技能枠。エルゼよりも十近く年若い彼女は、大規模部隊指揮よりも直接戦闘を得手としている。

 バンドワゴン隊は、何かトラブルがあったのか全体に動揺が見られる。拾いたくない情報でも拾ってしまったというのか。


 本来なら――――こんな場でこそ最も輝く英雄は、居ない。


「クソッ、大尉が居てくれりゃあ……」


 エルゼの内心を読んだかのように呟くフェレナンドを前に、だからこそ彼女は口を結んだ。

 その隊長もまた――生死不明なのだ。

 この武装蜂起に巻き込まれている。おそらく、誰でもない彼自身がこの惨状を前に無力感を噛み締めているに違いない。

 だからこそ――


(落ち着け……あたしはオペレーターをしてたんだから……落ち着け……落ち着いて……)


 浅く加速する呼吸の中で、前線での管制担当者であった頃を思い返す。

 あのとき皆は、どう戦っていた。

 あのとき自分は、どうしていた。


「――――っ、全機、基地に集中してください! 防空も避難誘導も取りやめて!」

『ノーフェイス02!? だけど――』

「エンプレス隊、モッド・トルーパーを集めてください! 全機、基地上空に誘い込んでモッド・トルーパーと射線を合わせて対処を! 現存の敵上空勢力を飽和火力で無力化! その空隙をついて再展開する形を取るのはどうですか!」


 エルゼの声に、各機が応じた。


『エンプレス隊、了解したよ!』

『ヴァイパー隊、このクソッタレどもごと行きます!』

『ソーサレス隊、承知しました! 指揮下に入ります!』


 ガンジリウムを巻き込んだ雪の飛沫に通信を乱されつつ、呼応して動き出す古狩人と大鴉たち。

 あとは、少しでも全体を見通せる場所まで上昇すべきかと――――そう考えたときだった。

 上空からの急襲。

 一機のコマンド・リンクスが、一直線に突出して迫りくる。突っ込んでくる機体の持つレールガンが、その手の撃ちで紫電を放つ。


(マズっ――)


 落下速度を加えたその砲撃を受ければ、流石のコマンド・リンクスの装甲も撃ち抜かれるか。

 咄嗟に宙で足を止めて力場を全開にするエルゼを庇うように――――その真横を、煌々と輝くブレードを展開した機体が通り過ぎた。

 フェレナンド機が、腕部のブレード出力を振り絞る。


「させる、か、よぉぉぉぉぉぉ――――――――――ッ」


 延長されたプラズマブレードの力場とプラズマ刃がレールガンの射線に割り込み、弾丸を融解しつつも逸らす。

 かろうじて、エルゼのコマンド・リンクスは弾丸に肩口を抉られるだけで踏み止まった。

 そのまま、フェレナンド機がブレードを抜き放つままに敵機へと直進する。応じて、エルゼも機体の背部二門のガトリング砲を展開。


 ――――フォーメーション:αアルファ


 敵が応じてブレードを抜いて受け止めるにせよ、回避するにせよ、その低減された力場を目指して確実に決める。あの隊長の下で学んだ連携。

 それが、敵機を撃墜する。

 そう思った――――その時だった。


『先に抜いたのは、アンタがただぜ?』


 困ったように肩を竦めるような声と共に、闇夜を裂く光線が一条――――奔った。

 横合いから殴りつけられるように。

 フェレナンド機が、揺らぐ。

 大出力のレールガン。ブレード展開中の力場では、防ぎきれない。

 撃ち抜かれたフェレナンド機が、錐揉みに落下する。

 腕が吹き飛んだ。それは見えた。そこだけは。見えた。


 損害の程度は? 駆動者リンカーの生存は? 出力が大きい? 敵? 正規の兵装ではない? 何故?


 そう――――眼の前が真っ赤になるような感覚と共に、墜落に向かう友軍機の救助に向かおうとするエルゼへ――


『……申し訳ない。だが、容赦はしない』


 そんな言葉と共に、強烈な着弾の衝撃が襲いかかった。

 いつの間にか、バンドワゴン隊のレーダー反応が消えていて――……背後を振り返りながら、ああ……と思った。

 それは、あまりにも冒涜的な機体だった。

 ジャラと、大きな鎖が鳴る。

 鶏冠のような、薔薇の花弁のような装甲板を立てた機体。人妖花がその厳しい鎖で繋ぐように、コックピットが潰された大鴉を――――友軍機たちを引き連れていた。

 そしてその、囚われの死したる鴉たちが人妖花を中心に空域に展開する。まるで一つの生き物のように。

 それで分かった。

 は、


(…………ぁ、そっか。これが、そっか。死――……)


 走馬灯が脳裏を駆け巡り――――その人妖花が鎖で引き連れる友軍機が一斉にアサルトライフルを掲げ、マズルフラッシュが焚かれる。

 無情。

 全身を打ちのめされ、《仮想装甲ゴーテル》を失ってボロクズのように食い千切られた彼女の機体も、また、墜落した。

 二機――――赤銅色の強襲騎士と、青薔薇の異形騎士が空に残る。


 如何にフェレナンド・オネストやエルゼ・ローズレッドがこの戦役で歴戦に等しい経験を積もうと、越えられない壁というのは存在する。


 対一〇〇〇〇〇機ハンドレッドサウザンド・オーバー――――即ちは、単機で一方面軍を完全に壊滅せしむるための暴力を前には、出せる手はない。

 黒衣の七人ブラックパレードがそうであるように。

 これもまた、戦場にある不浄と死が形となったかの如きある種の災害である。

 故にこれは、必然であったのだ。

 だから、ただ彼女らの運命について一言言うとするならば……以外の言葉は、存在しないだろう。


『ゴールズヘア教官殿……』

『ああ。……判ってる。とんでもねえのが居やがるな』




 ただし、それは――――――




「こんな場所で――――――まだ戦いを続けたいんですか! 貴方たちは――――――――!」


 がそこに居なければの、話だ。


 その背に展開するはXの字を描く大型の背部スラスターユニット。それはさながら十字架に架けられたる主の写し身か、それとも天なる御遣いが背負いたる刃の翅か。

 燃え盛る都市を背負い、一直線に空を目指す白銀の聖騎士。

 その装甲は刃めいて磨き上げられ、精緻なるガラス細工のように精密に無数の装甲板が複合される。

 たとえ彼方の空であろうと、その輝きは見えるだろう。

 鋭角的な繊細さと強靭さが織り成す胴部装甲は、さながら劒刃甲冑と呼ぶべきか。


 銘を、【グラス・レオーネ】。


 吠え上げる硝子の若獅子。

 たとえそれが硝子であろうとも、吠え続けるその意思。

 決して砕けぬ――――そう誓った一機の聖騎士。


 その右手は不可視の剣を握り、その左手は不可侵の遠手を統べるレールガンを掴む。

 既に――――――――した。

 エルゼ・ローズレッドのコックピットへと殺到したアサルトライフルの弾丸を不可侵の聖剣は斬り伏せ、フェレナンド・オネストのコックピットを貫通しかけた弾丸は不可視の弾丸によって撃墜される。



 ああ――――と、燃え上がる街並みで誰かが空を見上げた。

 いや、祈る人々は、自然と彼女を見上げていた。

 そこにある灯火の輝きを、誰もが見上げていた。


 これこそが極光。


 生きとし生けんとする者たちの祈りを、その生命の輝きを束ねるもの。

 果てのその先までも執行される唯一つの善。

 ああ、其れは無謬にして崇高なるもの。

 即ちは、生命という――――――決して失われてはならぬものの、守護者。


 ああ、人よ、識るがいい。


 果ての空から至りて、絶望を踏破する者。

 白銀に輝く灯火の明かりにして、角灯ランタンに詰められたる聖火の主。宵闇を断ち切る彼方の一閃。

 これこそが――――遥かに輝ける使


「こんな場所で……まだその武器を収めないと言うのなら! それでも戦いをしたいと言うのなら! ――――わたしが、貴方たちの相手になる!」


 右手にプラズマブレード兼用のライフルを握り直し、白銀の聖騎士は二機の異形に銃口を向ける。

 彼女とて、知っている。

 それが単機で己に比すとは。

 己が目指したあの青年たちに比するとは。

 だが、だとしても――――――この街で、今も人々の命が失われるこの街で、生きたいと願う人々の祈るこの街で、彼女に撤退という言葉は存在しない。


 そうだ。

 命という線を前に、譲ってやる道はない。


 それが彼女が受け継いだ――――との、不文律なのだから。

 彼女も彼も、まず、その篝火を前にしたのだから。

 灯火の継承者は、絶望のうちにこそ煌々と燃え上がる。


「シンデレラ・グレイマン――――――【グラス・レオーネ】、交戦開始エンゲージ!」


 そう、金細工の髪を持つ少女は高らかに謳い上げた。

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