【180万PV感謝】機械仕掛けの乙女戦線 〜乙女ロボゲーのやたら強いモブパイロットなんだが、人の心がないラスボス呼ばわりされることになった〜
第140話 分断、或いは最悪の次善。またの名をパノプティコンの歯車
第140話 分断、或いは最悪の次善。またの名をパノプティコンの歯車
ミッシェルの父は、戦争から帰ってくると、必ずミッシェルを膝の上に乗せるようになった。
銀色になった左手は少し怖いけど、これで釘も打てるんだぞ?と笑った父の顔が面白くて、少し好きになった。
今日もいつものようにソファで、膝の上で、テレビを眺めていた。
「ねえ、ダディ?」
「しっ」
いつも必ず笑いながら覗き込んでくれる父は、今日は、ミッシェルの方を見ようともしなかった。
「なぁに? だぁれ?」
「……すごい人だよ。パパがミッシェルの側にいられるのは、この人のお陰なんだ」
少女を抱きしめる父の指先に、強く力が入った。
その声は優しかったけど、顔は今まで見たこともないぐらい怖くて……ダディを遠くに連れて行かないでと、少女は願った。
或いは、どこかで。
皿が割れる音がした。未だに古式ゆかしい白磁の皿に料理を載せて提供するダイナーだ。
長いカウンターに座した人々が視線を向けるその先を、彼女も眺めて――――ワナワナと手を震わせた。
「……大丈夫? 怪我は?」
「店長。あの、この娘、あのときの――……」
「ああ。……ああ」
何とも言えぬ鎮痛な空気が、遅めの朝食を取る人々の集まったダイナーに張り詰めた。
声も出さずに、食事の手を止め、皆が画面に見入っていた。
或いは、どこかで。
長距離輸送トラックの運転手がラジオの音声を上げた。
彼女は、バックミラーに吊るされるラミネート加工された手作りの紙の勲章を悲痛な目で眺めていた。
或いは、どこかで。
仕分けロボットのメンテナンスばかりで退屈な郵便局のカウンターで、目掛けをかけた老紳士が椅子を蹴り倒しながらテレビに詰め寄った。
或いは、どこかで。
軒先に常に掲げられている連盟旗が、倒された。
或いは、どこかで――……。
音声と、映像が伝えてくる。
『そう。理由は判ってる、でしょ? アナタたちには、ここで死んでもらう。……そうね、死にたくないとは言わないのは流石ね』
既に何度目になるか、繰り返し、その映像は流される。
それを映したテレビのニュースキャスターも、手に口を当てて黙り込んでいた。
或いは十字を切り、縋るように手のひらを握り合わせていた。
『……やっぱり、どう考えても、これしか……ないかぁ』
全てを悟ったように呟く少女の声は、半ば、殉教者じみている。
『
そうして、音声が乱れる。爆発に全てが塗り潰される。
それは、一人の人間の死を伝えるには十分だった。
◇ ◆ ◇
白き円卓に映された戦場の光景――。
卓上に置かれたデバイスから投影された映像に、人々は声を失った。
そこに映されていたのは、あまりにも悍しい国家による一人の英雄に対する暗殺であった。
「国家の暗闘のために……我が妹、メイジー・ブランシェットは死したのです……! 孤独に……! 婚約者たるハンス・グリム・グッドフェローに再び
そう、彼女の異父兄たるマクシミリアン・ウルヴス・グレイコートは拳を握る。
その怒りは、円卓に向けられていた。
円卓と、それを囲む人々と、更にそれを取り囲む世界に向けられていた。
「これは……」
ヴェレルの隣に座っていた首相が、口髭を揺らしながら狼狽するように声を上げる。
大統領も、似たようなものだ。
マーシェリーナ・パースリーワースは僅かに眉を上げただけでそう表情を変えてはいないが、それでも十分衝撃を受けているようであった。
「ゾイスト特務大将……これは……一体……!?」
「……」
顔を真っ青にして言葉を上げるアームストロング大統領であったが、それは、ヴェレルとしても想定外だった。
受けていた報告とは、違う。
メイジー・ブランシェット及びロビン・ダンスフィードは、出現したアーク・フォートレス【
目の前に映し出された映像は、むしろ全く真逆のものであった。
(……)
そう――……疑問には思っていた。年若くもあれほどまでに自国に尽くした少女が、そんな裏切りを働くかと。
しかし、同時に合理的ではあったのだ。
【
そのためにも【
だが……。
投影される英雄の姿は、そんな合理とは異なっている。
そして、
「国家の英雄に対しこのような処遇を図る……そんな【フィッチャーの鳥】に如何ほどの正義があるでしょうか! 二十歳にも満たない! 青春の全てをこの国に捧げて尽くした……そんな私の妹が、何故祖国に殺されなければならなかったというのだ! 己が守り、愛した祖国に!」
その兄たる男は、そう、大衆に向けて拳を握る。
それは或いは政治家の行うパフォーマンスじみてもいるし、たった一人の妹を――もうこの世に一人しかいなくなった唯一の肉親の死に腹の底から怒る兄の顔にも見える。
「どうして、我が妹メイジー・ブランシェットは死ななければならなかったのか! 人を護ろうとしたその最後に、祖国に背中を撃たれなければならなかったのか! 人を護ろうとしたあの子は、こう死ぬべきだとでも言うのか! それがこの国の掲げる理念や理想の姿とでも言うのか!」
真偽はどうあれ、それは少なくともヴェレルでさえ、嘘はないのではと思わされてしまう言葉だった。
つまりは――。
「なんてことを……」
記者たちからざわめきが漏れる。
広場の周囲を警護する兵士も、顔を見合わせている。
放送を聞いた民衆も、きっと、そうだろう。
それはあまりにも強い説得力として突き付けられる。
――決定打、だった。
糾弾と是正。【
彼らが明らかにしようとしていた【フィッチャーの鳥】が為した不法行為――――秘匿衛星兵器【
しかし、作られた。
それは国土を焼いた神の杖【
もしも映像が真実だったなら。
メイジー・ブランシェットは、その死の最後の瞬間まで勝利への意思を捨てなかったのだろう。
自分の死が何を齎すか。どんな勝利を掴めるか。
彼女はそこまでを読み切って、その一手を打った。己の命と引き換えに――――そう、仲間に勝利を齎した。
(……むしろ、それこそが卿らしい。私にはそう思える)
きっと、本当にどうにもならないとき。
その全てを――――責任も何もかも、全てを背負ってしまう。背負って進んでしまう。そして、それでも皆のために勝ちを目指す。
それが、“英雄”メイジー・ブランシェットの行いに思えた。
(いいや……)
そう、ヴェレル・クノイスト・ゾイストは内心で首を振った。理由は、二つ。
一つ目は、これが真実だとしても国家の防衛を担う者として行わねばならぬことがあり、この不法を加味した上でそれでも為さねばならないことがあるということ。
つまりは、この状態での解体より軟着陸を図らねばならぬということ。
二つ目は、これが真実だとしたなら、この勝利はメイジー・ブランシェットが掴み取ったものなどではなく、むしろ――――
「――――リーゼ・バーウッド」
ざわめきを割くように、一人の男の声が零された。
まさに。
ヴェレルが内心で鋭い目を向けていた男が、混沌とした会談の終焉の場に声を上げた。
白いスーツに身を包んだ癖毛で長身の美丈夫――――コンラッド・アルジャーノン・マウス。
「彼女が、諸君らのリーダーと伺いましたが……相違はありませんかな?」
「……君は?」
「失礼。ラッド・マウス大佐……【フィッチャーの鳥】の中の、更なる特殊任務部隊の指揮官を努めております」
そして男は鷹揚に、声を上げる。
周囲から降り注ぐ視線は歓迎の目線ではなく、むしろ、今すぐにでも断罪を行うべし――と訴えるような目であるというのに。
彼はそれを涼やかな微風の如く受け流し、よく通る甘く囁く声で言った。
「この映像に関してですが……まず、我々としても意味合いが薄い。……謂わば敵性兵器と敵対勢力が戦闘していることに、介入する必要性が存在しない。仮に我々がメイジー・ブランシェットの抹殺を図るならば、より消耗した場面で行うべきではないのでは?」
「……焦りに付け込む意図があったとしたら? 映像の中には、そんな言葉もある。そして、我が妹メイジーをこれ以上英雄視させないという意味付けもできよう」
違う。
ヴェレルは内心で首を振った。
それだけでは説明が付かないことがある。
いいや――――最悪の懸念によって説明がついてしまうことが、ある。
「先程の話からも判る通り、ゾイスト特務大将はこの国の行く末を真に憂いている御方……ここでこのような兵器を見逃したとあらば、【フィッチャーの鳥】はそもその存在意義を問われる。果たしてそんな選択肢は、選ばれるべきものかな?」
「だから――――だから私は言っているのだ! このようなことを行う部隊に、一体何の正当性があると! 一体その憂いに、何の価値があるのだと! 貴様たちはそれだけのことを行っていると! 国民に秘匿し! 英雄を殺し! そのことを何ら表に出さない……そんな貴様らに!」
激高の熱と、沈着の静。
二人の男の対立した表情がカメラに映し出される。
灰色髪の青年はその金の双眸を吊り上げて――癖毛の美丈夫はその表情を揺るがすことなく。
だが、真偽はどうあれ、事の趨勢は決したかに思えた。いや、これで決してくれていたなら或いはどれだけよかっただろう?
その証明のように、顔色を変えずに美丈夫が口を開く。
「さて。それより、質問に答えていただきたい。諸君らの真のリーダーはリーゼ・バーウッドなのでは?――と」
「……何が言いたい」
なに、簡単なことだ――――とラッド・マウスは手のひらを天に向けた。
「メイジー・ブランシェットの名を借りずとも、リーゼ・バーウッドという英雄がその反対運動を企図したと言えば一定の支持も得られるものと思えますが……だが一体、何故それを頑ななまでに伏せていたのか……」
それは死刑囚の弁護人が、一切動じることなく言葉を発するように。
「この場に彼女を呼ぶこともなく、或いは呼べずとも指導者を誤魔化したのは……すなわちリーゼ・バーウッドを擁すると明かすことが、諸君らにとっても不利益を齎すからではないかな?」
そして、と彼は一度目を閉じてから言った。
「コックピットの映像システムは、外部カメラで撮影した映像をAIと画像プリセットによってリアルタイムで補正することで成り立っている……これに関してまさに大戦中、敵機のそれに手を加える
その程度の証拠では、喉元に刃を突き付けたことを意味しないとラッド・マウスは口角を上げた。
それどころか――。
その刃を返して、逆に喉笛を裂いてやるのだと。
「そう、リーゼ・バーウッドの優れた電脳技術であれば、この映像のような精巧なシミュレーションを組み上げることも困難ではなく――つまりここまで彼女の名を伏せたのは、全てはこのためであったのではないかね?」
糾弾の刃は、疑念の剣として振りかざされた。
「詭弁を――」
「……詭弁、と。さて……ならば何を以って詭弁ではないと言うか? 生憎とこちらは高度な軍事機密のためにこの場では開示はできないが……連盟国家司法裁判所や第三者機関での解析を行うというなら、正式な要請が為されるなら、戦闘映像データも喜んで差し出されましょう。……いや、むしろこの件に関しては、国家の法廷によって明らかにすべき案件なのではないかね?」
「……ッ」
「このような――戦争の傷も癒えきらぬ中での闘争ではなく、法と誓約において解決を行うのが、人として、軍人として、国家としての在り方だ。それは、この円卓に集いし方たち全ての共通した理念では? 今の映像の真偽、正式に多角的に解析するこそが正しい道ではないかな? それとも……そうすることに何か不都合でも?」
ジロリと、コンラッドの視線が灰色髪の青年を捉えた。
その狼狽を見て、また人々の持つ印象は塗り替えられただろうか。
何にせよ、
(……呑める訳があるまい)
ヴェレルは、静かに瞳を閉じた。
先ほども考えた通り、彼ら【
司法判決やその解析などを待つとなれば、長期に渡るのは必然だろう。その長期間の内に軍事的組織を維持できるのかという問題と、何より一度この会談を経てからの再武装蜂起は大きな障害になってしまうという問題。
判決が出るまで留め置かれ、そしてその判決が自らに利する訳ではないという状況で――――どれほどの人間がそれを座して待てるだろうか。ラッド・マウスからその刃を向けられた時点で、もう、状況は殆ど彼らの劣勢なのだ。
(彼らのうちにどれほど法に従う理念の持ち主がいるとして――……或いはそれは、殉教にも見えるだろう)
国家への不信から立ち上がったのであれば……ここに来てその国家により判決を待てというのは、断頭台に登れという宣言にも聞こえるだろうか。
(……何より)
それは、或いは這い寄る蛇の甘言か。
国家の不正を信じたくない者に――或いは国家秩序に反する勢力を認めたくない者にとっては、これ以上ない真理として提示された一つの論だ。
人は信じたいものを信じる。それに真実という名を付ける。
事実は一つとしても、真実は解釈者の数だけ存在するのだ。現実は数学の式のように簡潔には表されない。そこには幾らでも不確定要素が根付き、そして、陰謀論の蔓延る余地が生まれてくる。
反転する。
敵味方に別れて妹と戦った悲劇の男は、妹の死さえも利用する人非人に。
国家の英雄たる少女は、そんな兄をも見捨てられずに付き従った従属者に。
国を憂いて行動した者たちは、欺瞞と詐称を以って国家を転覆させる陰謀を持った扇動者に。
【フィッチャーの鳥】の支持者や、国家権力の支持者にとってはそれこそが甘美な真実となるだろう――――。
そう、分断だ。
必殺であったはずの糾弾は、今まさに、これが決定的な分断を引き起こす致命の刃に変わったのだ。
ヴェレル・クノイスト・ゾイストは内心で嘆息する。
あの日に懐に忍ばせて、イレーナを前に抜けずに終わった拳銃を思い返す。
だから――あの日、リーゼ・バーウッドを殺しておかなければならなかったのだ。
(……詰みか。いずれにしても)
必勝を狙ったであろう――しかしこう返された刃は、彼らに絶対的に有利な世論を形成するに至らなかった。
結局、その札を切る前の不利な立場を脱してはいない。
今後の処理は、このままならば、【フィッチャーの鳥】に有利な形で終わっていくだろう。
国家に対する、決定的な不信感と共に――。
チラリと、スティーブン・スパロウを見た。
この【
その情報を偽装していたが、リーゼ・バーウッドならば既に突き止めていても不思議ではあるまい。
もし、それを明かされたら……確実に自分の首は飛ぶ。大勢が決したことによって、自爆覚悟でそれを突き付けられることもあり得る話だ。
(それとも、自分一人だけ落ちる気か? スティーブン)
白き円卓に座した彼から、言葉は返されない。
何にせよ。
これで――――終わりなのだろう。【フィッチャーの鳥】は大きな痛手を負うことなく、そしてそれ以上に最悪の形で会談は幕を下ろす。
奇妙な感慨が訪れる。
元より、【フィッチャーの鳥】――ひいては対アーセナル・コマンド戦術の当て馬としての【
だが一方で、これほどの運動を行われるまでに自分たちの組織が摩擦を起こしたことも――それ以上にこの擬似的な内紛によって生じた間隙に本当の被害が出たことにも、ヴェレルとしては悔いる想いもあった。
或いは、それが、国家のために正されるべきなら……大人しく潰えてやる理由はないにしろ、最終的には呑み込める事態であったかもしれない。
(……だが、結果は、これか)
内心で静かに嘆息した。
多くの人を巻き込み、多くの人命を挽き潰し、それでもヴェレルの喉元に刃が突き付けられることはなかった。
それを呑み下すつもりはないが、しかし、これが正しい形での終わり方であったのだろうか。
或いは陳腐な言葉を使うなら――これを運命と呼ぶか。
何より……。
決して無視できない懸念が一つ、生まれてしまった。
(……それだけは、私が取り除かねばならないだろう。どのような形になるにせよ、それだけは――)
そう、空を見上げる。
その時――――強烈な空振が空に響いた。
かつての【
突き上げられるような衝撃。
噴火活動。
まさに最悪のタイミングで、しかし会談の議論の終息を待つように――天を焼く炎のうねりは、吹き上がった。
すぐさま、避難指示などが行われるだろう。
特に要人とあっては、万一も許されずに真っ先に保護が行われる。
つまりは、幕引きだ。
……ああ。分断は、決定された。
◇ ◆ ◇
――――――いいや、まだだ。
そう、歯を喰い縛る。
電子制御された鋼の肉体に籠もる中で、電脳を自在に制御する相手との戦闘とは自殺行為や不可能を意味するだろう。真実、無為な抵抗だろう。
だが、敵がその殺意を向けるなら――そして己が此処にいるなら。その背後に、人々の命がかかっているなら。
諦めてなどやる理由は、毛ほどもない。
(リーゼなら――いや、リーゼと同じ力ならどこかに電波の投射元がいる。必ず、見通し距離内に存在している)
機体は今、衛星を介した軍事通信網から独立した。
アンテナを破壊していない以上は物理的なスタンドアロンではないとしても、ネットワークからのクラッキングが極めて難しい状態だ。
となれば相手が取るのは――――直接的な接続による通信確立か、それとも、こちらの電波受信装置に向けて電磁波を投射することによる通信確立かだ。
それならば、打倒は可能だ。
相手が何であれ、自分と同じ場にいるなら――殺せる。
「フィーカ。重視項目を変更。音響センサーによる索敵の比重をあげろ。発射音を録音、音紋ごとに到達時間をカウントせよ」
指示を飛ばしつつ、機体のテールブースターに通電。
狩人のロングコートのはためく裾めいて二股に別れたそれは、ガンジリウムタンクにして推進剤を積載した燃料タンクであり加速装置だ。
その加速を以って――――己の身体にかかるGの圧力から、機体操作状況を掌握。
コックピット画像へのクラッキングは実施されているかもしれないが、少なくとも、機体の制御系統は乗っ取られてはいない――まだ。それを確認する。
『マッピングを? ですが、偽装も――』
「いい、負荷をかける」
電脳掌握者との戦いは、即ち悪夢の幻覚を見せる敵との戦いと言っていい。
如何にしてそこが現実であると知るか――――如何にしてそれが現実でないと知るか。その悪夢を破綻させるか。
全ては、それにかかっている。
こちらの持つ現実に対する解像度と分解能を上げることで、敵に悪夢を作り出すことに対してのコストを跳ね上げさせる。
『
「想定内だ」
そうだ。
偽装音声を作るよりも、音声系統を潰した方が早い。当然、そんな対策は取られるだろう。
だが、それはつまり、情報だ。
敵はこれをやられたくないという――――情報だ。
己の行いが決して誤った方向性ではないという確認だ。
執拗にミサイルが撃ち込まれる。
白煙を上げて襲い来るそれは、決して一撃必殺の武器ではない。
その爆炎と衝撃により《
かつてリーゼ・バーウッドはそれに紛れさせる形で直接接続を行うための有線ドローンを飛行させていたが、この相手がそれをそれを行うかは不明だった。
何より――――彼女がそれを行ったのは武器の確保のためだ。一機を仕留めるならば、そうするとは限らない。
(だが、このミサイルのどこまでが本命かではない。……その全てが偽りだとしても、真実だとしても、俺のやることは変わらない)
重くのしかかる灰色の空と所々が白く彩られた寒々しい大地、景色を全方向に映し出すコックピット内を見回す。
懸念――否、注意事項は三点だ。
一つは、己の生体制御に関する部分の支配権を奪われていないか。これが最も恐ろしく、しかしシステム最深部であるが故に陥落までの猶予がある。そして何より、その効果的な殺傷という一点を以って実行されないなら掌握されていないと見做すことができるもの。
二点目は、機体操縦系統について。
コックピットの内部音声や映像出力は、シミュレーター訓練のために外部からの起動や入力を受け付ける比較的浅い位置にある管制システムだ。一方の機体そのものの電子制御による操縦系統や維持管理システムは、より深い位置にある。こちらまで乗っ取られていないかを確認することは、非常に重要な事項である。
三点目は、《
外部からの電力供給によって発現するという補助システムは別にして、この制御系も比較的セキュリティが高い部分だ。その中でも順序としては、力場の低減感知・力場出力の変更・力場の指向性の管理となっており――だがこれも駐機中などの不意の誤作動を防ぐために外部からもシャットダウンする機構が設けられており、操縦系統に比べれば甘いと言える。
これらが、どの部分まで彼女の――いや彼女と同じ力を持つ敵の掌握下に落ちているのかを把握しなければ、戦いもままなるまい。
そしてその侵食度は時間と共に増していく。
戦闘の片手間でクラッキングを進めることに、造作もあるまい。敵がリーゼ・バーウッドと同等なら。
「雲に突入する――――現在の光学情報からの到達予測時間と、《
『了解しました。しかし、干渉される懸念があります』
「俺がいる。問題はない」
頭の中で正確なラップを刻むのは、訓練によって磨かれている。己の体内時計の増加減は自己の持つ技能の一つだ。
機体を反転させ、空を覆う縞模様のガウンのような雲を目指す。輪郭がぼやけるそれは雪雲だ。ならば、力場を目減りさせるのには丁度いい。
合わせて――指示を飛ばす。
「《
『
全身の毛穴が拡張するような違和感と共に己の肌感覚が変異したことを認知する。接続率を変更し、機体との連動性が上がったことの証左。
これで、ミサイルが真実であれ偽装であれ――力場が減衰した、或いは変動がないことを計器上で偽ろうとしてもその正しい力場の基準を知るために演算が必要となる。
可能な限り、相手の情報処理への負荷を与えること。
幻を作ろうとする者には、現実を見詰める視点を増やすことでしか対処はできない。
「――――偽りの現実は、高く付く。それを教えてやれ」
考えていた。ずっと。どうすれば殺せるのかを。
それは、大切な仲間だろうと関係ない。
全てを敵に回したとしても――――確実に首を刎ねられるように。決して破れぬように。己は、備えていた。
誰であろうと、関係ない。
剣がすべきは、斬ることだけだ。
「雲に突っ込むぞ。《
『承知しました』
相手からの電波投射を避けるのならば、目指すべきは上空ではなく地上だろう。見通し距離を下回れば、電波は物理的に届かない。
だが、それには問題がある。大地の位置を誤認させられれば、高速度を以って叩きつけられた機体は粉々になる。
余りにもリスクが高すぎる。
この敵は――――間違いなく、こちらを殺そうとしている。本気で狙ってきている。それが判る。こちらに剣を抜く暇も与えずに殺す気でかかってきている。
(やはり……強い……この機体でなければどうなっていたか……)
またも、ミサイルが続く。無数の白煙が続く。
到底一機が抱える弾数とは思えない。やはり、複数機を同時に管制して攻撃をしているのだろう。
熱源探知型か。
今の主流は、それだ。他にはレーザー照準。電波反射探知形式のものも存在はしているが、対アーセナル・コマンドにおいては機体特性から余り望ましいとは言えない。
思考が、飛ぶ。混ざる。判断を求められる戦いに、脳の計算力が暴走しかかっているのが判る。過集中。回転率だけが無闇に上がっている。
(肉体と機体を一体化させた――――更におそらくはあの、俺の中にある【
まだ《
多段式に執拗に喰らいかかるミサイルを、バトルブーストと通常機動を織り交ぜていく。雲までは、程近い。数秒。だが、遠い。
そこに、曳光弾のように空を裂いて燃える弾丸が混ざった。複数。拠点の対空砲火じみている。あっという間に進路を塞がれる。数秒が、伸びた。過ぎ行く弾丸に飛び込まれる雲は動じないが、こちらは違う。手数だけならロビンに並ぶ。つまりは、中隊火力相当。
どこから用意したのか。機体か、ドローンか。音のない空を、僅かな振動と計器音だけが響く空を、回る。
ついに雲に届くか。
最後の障害とばかりに襲いかかる渡り鳥の群れめいたミサイルを躱そうとした、その時だった。
天地が――――――――――――掻き混ぜられる。独楽よりも激しく空と大地が回転を始める。同時、立体音響が不協和音を立て始めた。
(これは――――――)
そう、リーゼが名付けていた簡潔にして最上の殺法。
機体の音声出力と映像出力をぐちゃぐちゃに乱すことで、操縦する
目と耳を奪うのではなく、目と耳を掻き混ぜることで脳を湯立たせるという悪魔の御手。
こうされてしまうと、九割は混乱で何もできず――残り一割も、五感が効かない状態で空間識覚だけで敵の攻撃に応対しなければならなくなる。触れることも見ることもできない攻撃へ。
世界が回転している。地球よりも早く回転している。
そして、
(
恐れていたそれが、来た。
天地の区別ができなくなる。己がそこにいるのか判らなくなるという錯覚。機動の齎すGによって地球の重力が塗り潰されるが故の感覚喪失。
今、どう圧力を受けているのかは判っても本当の意味でどこに向かっているのか判らなくなるのだ。
かつての航空機パイロットを、訓練にて最も死亡させた恐ろしい悪魔。上下を誤認したまま海面や地上に叩き付けられる。この速度域では、混乱から立ち直るまでの間にそれは猛然と襲いかかる。
免れるには、機動を取り止めるしかない。
そして、足を止めれば何が起こるか――――
『
◇ ◆ ◇
眩しいな、と思っていた。
全てを背負って、抱えて、歩き続けた少女のことだ。
光の海から溶け出したような、美しい金色の髪を持つ少女のことだ。
気高く在り続ける金色の瞳と、あどけなさの中に抜き味の刃のような冴えた美貌を持つ少女のことだ。
研ぎ澄まして、磨いて、擦り切れて、やがて彼方へと飛んでしまった少女のことだ。
俺よりも、歳上だったあの娘のことだ。
彼女がどうしてああも戦い続けたのかは、きっと彼女にしか、判らない。
自分では、それは、判らない。判ってあげられない。
人一人が抱えた想いは、きっと、他の誰にも真の意味で分かち合うことはできない。だから自分は、彼女が何故そうも戦ったのかまでは本当のところ判らない。
判ってあげられたら、代われたのだろうか。
そんなふうにならなくてもいいよと、代わってあげられるのだろうか。
……俺は。
街でほんの少し擦れ違うだけの人が好きだ。
疲れながらも仕事に向かう人が好きだ。家族連れが好きだ。穏やかそうに笑う老人はどんな人生を送ってそこに来たのだろう。隣り合って笑う恋人たちはどんな幸せな気持ちでいるのだろう。
手渡しでお釣りをくれるパン屋さんが好きだ。
毎日それを焼いている人は、どうしてその仕事を始めたのだろう。楽しそうに子供たちがパンを選んでいるのを嬉しそうに見ているその人が好きだ。
その人の選択を導いた人生を思うと、ただ愛おしくなる。
運ぶ人が好きだ。
来る日も来る日も社会の動脈のように、色々なものを運ぶ人が好きだ。その血液は、今日も、どこかの誰かの――そして全ての誰かの手元へと流れている。
色々な街を見ている彼らに景色はどう映るだろう。何気ない、記憶にも値しないものなのか。それとも遠く望む山を見て、美しいと思ってくれるのだろうか。
自動販売機が好きだ。
魂が宿らないとは知っていても、それでも来る日も動き続けるそれが好きだ。いつかの日に役目を終える彼らがただ壊されてしまうのは悲しい。それでも、役割を果たすために動き続ける彼らが好きだ。
それらを作った人たちが好きだ。
少しでもより良く、もっと良く、もっと何かと改良を続けた人たちが好きだ。そんな彼らの努力の果てに自分はささやかな幸福を受けている。積み重ねの先に自分はいる。
この世界で誰と分かち合うことができずとも、ここに生きているだけで、先人たちの積み重ねの先にいるだけで、己は既に孤独ではないのだ。皆、好きだ。
ビルが好きだ。橋が好きだ。
そんな大きなものが作られていることが好きだ。今も作っていること、作っている人、作っていた人、作ろうとした人たちが好きだ。どこかがおかしかったら崩れてしまうそれが、ちゃんと立っているということ自体が好きだ。そうできるようにした人たちが好きだ。
きっと――――どこかで何かがおかしかったら、世界はここまで来られなかった。
それは誰かが踏ん張ったり、頑張ったり、或いは諦めたり、何事でもないように送ったり、崩したり、止めたり、それでも少しずつ確かに作られてきたものだ。
壊れそうで、壊れなくて、それでも壊れ物のようなそれが愛おしい。儚くて、美しい。
だから、続いているそれが好きだ。
そこに生きている皆が好きだ。
命というものが、好きだ。
それはどれも、かけがえがなく、大切で、失われてはならないものだ。
自分が見たあの未来の果てには、そんな人々の喜びは失われてしまう。そんな人々も失われてしまう。
そこでも強く生きていける人、そこでも幸福を見付けられる人もいるだろう。尊い人々だ。得難い人々だ。凄い人々だ。
だけれども、きっと。
そこに至るまでに失われてしまうものもある。
なくなってしまうものもある。
亡くなっていけないものがある。
だから――――――――だから。
俺は立ち続けるのだ。
俺は、立ち続けなければならないのだ。
常に――――――常に。それが大切で、愛おしく、守りたいから。
俺が、そうすべきと思ったから。
俺は――――――――――立つ。全てを斬り倒して。
それでも俺は、此処に、あり続ける。
◇ ◆ ◇
撃ち込まれるミサイルに機体の外部装甲が砕ける。
鋼の巨人を成り立たせる不可視の鎧は弱々しく、つまり連動する心臓の鼓動も弱められ、
衝撃だけが唯一の確かな感覚として、痛みのように己に与えられる。
『
叫ぶフィーカの声に現実に引き戻され、頷いた。
完全に詰みのような空間識の失調に、咄嗟に行った滞空処置に、合わせて行われた全弾発射。
全くそれは見事に、己という命を狩り取るだろう。
降り注ぐそれらは己を覆う鎧を撃ち砕き、完膚なきまでに破壊するだろう。
故にこそ――
「……ああ、終わりだ」
――――その必殺は、相成った。
「水冷は、済んだ」
飛び散る銀血は、灰色の冬空に散っている。
その気温や、或いは雲に含まれる水分によって急激に冷やされている。
コックピットに、再び画像が戻る。内部の正常化措置が機能している。つまり、全く、敵からの妨害を受けていない――――今は取り戻されている。
(固体となったガンジリウムは強力な電波の吸収能力を持つ……つまり、貴官からの指令は届かない)
ガンジリウム・チャフ――。
艦隊戦などでも利用されるそれは、遠隔地から通信でのクラッキングを行うリーゼ・バーウッドのような能力者の天敵だ。故に彼女は、直接接続型のドローンも並列して運用していた。
銀煙が視界に飛び散る。
それはやがて風に飛ばされ失われるだろうが――その一瞬が確保できればよかった。
「プラズマブレード――――――――――」
大盾めいたその武装は、内部に充塡させたガンジリウムを以って赤熱の刃を抜刀させる武器だ。
そこに――奥歯を噛み締め、弾ける紫電。
「《
過剰通電による熱と、解き放たぬプラズマによる熱と、その
大盾が朱く変色し――――遂には押さえつけることもできず、内側から弾け飛ぶ。
弾け飛び、銀色の煙を空中に解き放つ。
「こういう使い方も、できる」
最も恐ろしかったのは、過剰通電の行き先を操作されること。それで生まれる《
そうされたら、ともすれば、コックピットごと己の力で叩き潰されるかもしれない。
そのためにも時間が必要だった。敵の支配を確実に免れるという、その瞬間が。
「フィーカ」
『光学索敵実行――――敵機推定位置パターン分析』
「確率四〇パーセントでいい……まとめて消し飛ばす」
『了解です。……表示します』
寒々しい空と、遠くに街並みの見える大地。
ようやく明らかになったここは、先程、あの残党たちを撃破した場所だった。その残骸にクラッキングを行うことで、あれだけの弾幕を確保していたのだろう。
クラッキングによる誤認で完全にそこに誘い込まれていたことに恐ろしさを感じつつ、だが同時に安堵した。
コックピットモニターにそれが表示される前に、一度、目を閉じた。
何故、高速で飛行する兵器が近接戦闘兵装を有するか。
何故、プラズマブレードという兵器がこの世に存在しているか。
何故、他のプラズマ兵装よりも先んじて作られたか。
理由は、単純だ。
これらは全て、失敗作であったのだ。
プラズマ兵器の発想は、古い。
しかしながらその実用化には、困難が付き纏った。
携行可能な装置によるプラズマ生成に必要なエネルギー源。そのプラズマが発する熱からの銃身保護。何より、超高温故に大気中や真空中で拡散されてしまうプラズマを如何にして弾体として有意な射程まで投射するかという――それらの点が、実用化における問題だった。
高温故に強力な兵器は、高温故に射出できない。
結果、それは、撃ち出すプラズマ自体を蓄電池として利用し力場を生じさせる制御弾核の存在によって実用兵器として成立したが――――――それまでに。
その兵器は幾度と試作され、幾度と実験が行われた。
その内の一つが、今の己の手の内にあるブレード。
機体本体及び制御銃身の有する力場によって、その一定距離までプラズマを収束・保持させようという試みが、この兵器の本来の基本設計理念だった。
これは、斬るためのものではない。
本来は、至短距離・至短時間に撃ち出す為のものだ。
つまり、
「
――――――これは、プラズマ砲だ。
嘴が開かれたブレードの切っ先に、光が収束する。
それは大気を圧縮し、赤熱させ、電離させ、地に齎された極光の如く光を放つ。
己という人間が、この世に生まれてから最も慣れ親しんだ行為――即ちは射撃だ。
ホルスターから一瞬で抜き放つように、それは、刹那の神経パルスとなり駆け巡る己の内から発せられる攻撃の意思。
幾日も、幾日も。
己が行ったのは斬撃ではなく、銃撃だった。
アーセナル・コマンドがこの世に生まれる前から――。
アーセナル・コマンドがこの世に生まれた後も――。
反射と攻撃の訓練のために、己はそれを、磨いてきた。
ただひたすらに、射撃を行ってきた。
挙銃。照準。射撃。
最早それらの動作は、ただの一手。否、零手。二十余年の積み重ねは、至高の殺戮の域に至る。己の殺意は、即ち既に放たれると定められし弾丸である。
それを今日初めて――――鋼の五体にて、解き放つ。
「《
弾ける最後の紫電が、ブレード内部の高温のプラズマの手綱を外した。
「――――――藻屑と、消えろ」
そして、焼夷の銃撃は放たれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます