第136話 夜更け前、或いは叶わぬ祈り


 一人残された部屋の中で、無重力の透明感を持つ少女は長髪を揺らして鍋に向かい合っていた。

 ホログラム投射装置を外付けした携帯端末を寝かせたキッチン。普段は充電切れも気にしないそれを伴って。

 浮かび上がるオンラインレシピを眺めつつ、作り置きが可能な料理――――と検索したそれを、一人、料理する。


「……おーぐりー、喜んでくれるかな?」


 ポツリと、ライラック・ラモーナ・ラビットは呟いた。

 任務の重要性と秘匿性から部隊から外され、そしてハンス・グリム・グッドフェローという安全装置にして対処装置を伴われない彼女は、軍事施設への立ち入りも許可されない。

 彼は何でもないことのように言っていたが――……それがどれだけの説得と根回しの上で成り立ち、如何なる制約と許可の上で己が部隊に参加できているかは、兵たちの噂話から聞いていた。


(おーぐりーは、優しいな……)


 そんな彼は近頃、食事を取らない。少なくとも、ラモーナの前では取っていない。

 にて摂取しているそうだが――エルゼに聞いたところでは元来彼はかなりの健啖家で食道楽らしいので、ひょっとしたら、自分に纏わる諸業務のせいで忙しくて食事ができていないのかなと思っていた。

 だから。

 自分の作る料理で、少し、喜んでくれたらいいな――と思っている。


(美味しいって、言ってくれるかな?)


 初めての料理であったが、携帯端末の画像解析を通じてAIにより出来栄えを採点されたところ、上手にできていると判断して良さそうだ。

 失敗せずに、ちゃんと作れた。

 満足げに頷き、それから、それでも味覚的に合うのだろうかとか……実は嫌いなものが入ってやしないかと不安になって、無意味にまた鍋に向かい合ってしまう。


(……わたし、おーぐりーに酷いことしちゃったよね)


 出会いから、色々とあった。

 あんな言い方をしたり、あんな行動をしたり。

 今思えば――……なんてことをしてしまったのだろうと、引っかかる。

 それが原因で、嫌われたりしていないだろうか。

 それのせいで、受け入れられなかったりするのではないだろうか。


 そう思うと、あのときの自分が、恨めしい。


(……おーぐりー、わたしのこと、怒ったりしてないかな……? ホントは、嫌いになったりしてないかな……)


 好意を伝えているはずなのに受け流されているのは、自分が子供だからだろうか。

 いや。子供扱いをしないと、彼は言っていた。

 だとしたら――……彼にも想い人がいるというそれ以上に、嫌われてしまったからなのだろうか。

 そうなら、


(ヤだ、なぁ……)


 きゅっと、防護服の胸の辺りを握り締める。

 今までだって、人からどう思われていたのかを伺っていたところはラモーナにもあった。

 ちゃんとやれてるだろうかとか。

 子供だと思われてないだろうかとか。

 でもそれは、もっと――――もっとつよかったと思う。もっとつよく、自分というものがあったと思う。少なくとも自分自身への疑いは、なかったと思う。


 なのに、これは、なんだろう。


 心臓を差し出しているような頼りなさと心細さがあって、それが胸を締め付ける。

 今まで、自分が間違えているとは思わなかった。

 自分はちゃんとできてると、思っていた。

 なのに、これは、なんだろう。

 正解が判らない中を進んでいるような気持ちになるのは、なんなのだろう。


(……これが、怖いって、ことなのかな)


 怖くないかと――【狩人連盟ハンターリメインズ】の仲間に言われた。

 何を言われているのか、判らなかった。

 子供扱いされて、馬鹿にされている――いや、実力を疑われているのかと思った。


 でも、ああ、違ったのだ。


 怖いのが、きっと、当たり前なのだ。

 それを知らないことの方が、未熟なのだ。


(おーぐりーは、どうなのかな)


 彼も、恐怖を知っているのだろうか。

 それとも、恐怖を忘れてしまったのだろうか。

 或いは、恐怖は止まる理由にはならないのだろうか。

 彼は、どのように怖さと付き合っているのだろうか。


 聞いたら、きっと丁寧に一つずつ教えてくれる。言葉が足りなかったり言い回しが悪かったりすることもあるが、何かの説明を求めたときには、ちゃんと判るまで付き合ってくれると知っている。

 そのことを、嫌がりもしない。

 判るまで伝えるのが上官や先達としての義務と言っていたけど、それだけじゃなければいいと思った。それだけじゃなくて、自分にはちゃんと向かい合ってくれているんだって。邪魔者じゃないんだって。


(……会いたいよ、おーぐりー)


 まだたった数日だというのに。

 もう随分と離れている気がして、胸が苦しくなった。

 あちらもそう思ってくれているのだろうか。

 それとも、そんなことは考えないのだろうか。

 自分と違ったら嫌だな――――と、携帯端末を見たその時だった。


 着信。


 もしかして。

 同じ気持ちになって。

 何かの運命みたいに通じ合って、連絡を取ろうとしてくれたのだと胸が弾んで、


「……大佐ぱぱ?」


 そこに表示された名前に首を傾げつつ、それでも久しぶりで嬉しいな――――と、ラモーナは電話に出た。

 そして。

 多分それが、きっと、彼女の明暗を分けた。



 ◇ ◆ ◇



 赤土吹き荒ぶ荒野の中に、横這いに金網フェンスが伸びる。

 駐機中の航空機のアイドリング音。

 或いは飛び立っていく合金製の巨鳥。

 定期便か――それともレヴェリアの会談のために、急遽として弾薬を集めているのか。

 輸送機が飛び立っていくのを、銀フレームのメガネが見送る。


 空が遠い。

 その日差しは高く、天は白澄んでいる。

 つまりは冬の空だ。

 夏の――宇宙にそのまま繋がり落ちてしまう深青の穴の如き青空に比べればマシだと、見上げながら考えつつも舌打ちする。

 冬の、よりにもよってその誕生日が、葬儀となった女のことだ。


「……ボケ女が。クソッタレ」


 舌打ちを更に続けて。

 ネクタイまでも黒いスーツ姿で。

 銀フレームの奥の瞳は、片目だけが銀色に染まり――。

 その尖った青髪には、こちらもやはりいくつかの、銀色の房が入り混じっていた。


 ガンジリウム汚染――。


 あの超大型アーク・フォートレスの殺戮範囲を踏破し、そしてプラズマ炎が存分にバラ撒かれた戦域から生身での離脱を果たしたロビン・ダンスフィードは、少なくない汚染を受けていた。

 それでも、彼の歩みは揺るがない。

 『ただ前へと進めキープ・フォワード』と銘打った己の流儀の通り、シェリー酒を片手に空軍基地へと近付いていた。


(じゃあ、そのボケ女にまんまと命を救われたオレはなんだ? なあ?)


 自嘲を一つ。

 あの戦いから二週間以上が経過する中で、ロビン・ダンスフィードもメイジーと同じ結論に至っていた。

 あれが、あの場の最善だった。

 理屈は知らない――……だがメイジーは未来を読み、そう決めたのだ。そして今の彼は彼女の予知に従うような歩みをしていた。


 メイジー・ブランシェットは保護高地都市ハイランドの英雄だった。


 そのドラマ性になぞらえようとシンデレラ・グレイマンが戦いに駆り出されたそのように、彼女は、英雄なのだ。

 ならば――。

 


(お前がそこまでする価値はあるのか? なあ?)


 問いかけても答えは返らないが、しかし、ロビン・ダンスフィードのやることは決まっていた。

 シェリー酒と花束を両手に空軍基地のフェンスに近付き、やがて、それを見咎めた警備兵が声を上げた。 


「お前、そこで何をしている! フェンスから離れろ!」

「何って――……ああ」


 ライフルを向けられてのその問いに、ロビンは皮肉げに――そして自嘲を混ぜて、口角を上げる。


「衛生省のものでね。このあたりから、ガスの異臭がしたって話だが――」

「『黒服の男メンインブラック』気取りか? 宇宙人エイリアンがいるのはここじゃねえぞ!」

「……ハッ、アンタ話せるね。ご明察だぜ?」

「あ?」

「確かにオレは『黒衣の一員メンインブラック』だ。仕事中悪いが……ちっとばかり邪魔するぜ」


 そう赤土の大地で歩みを止めないロビンへ、警備兵が強くライフルの銃口を示す。


「両手を上げて、ゆっくりとフェンスから離れろ! すぐにだ! 何が目的かは知らんが、さっさと離れろ!」

「……何が目的か、ね」


 その問いに、


「『頼まれてもないのにWhat need I be so forward何故そんなことをするのかwith him that calls not on me? 』って?」


 一際、その皮肉げな笑みが強まる。

 黒いスーツ。葬儀服。喪服。或いは死装束か。

 生身一つで援護もなし。武装もなし。

 だが、だからこそ、彼にはちょうど良かった。


「曰く――――と答えるべきか? それとも、と答えるべきか? なあ?」


 戯曲の演目の如く口が回る。

 否、事実それは劇作の一説だった。

 戦争が起こる前に、幾度とロビン・ダンスフィードが足を運んだ劇の内の一つ。遥か旧歴より伝えられ、今なお演じられる演目。

 皮肉屋で奔放で諧謔的で冷笑的な小太りの小悪党の言葉。やがて戦友だった王子から友誼を絶たれた男の言葉。


「生憎と、――だ。悪いが道具を借りてくぜ。それが、古き城の男old lad of the castleの仕事なんでな」


 そして、銃声が響く。

 銃声が響き、シェリー酒の酒瓶が弾け、その破片が金網に衝突すると同時に連鎖的にフェンスの崩壊が始まった。


 ロビン・ダンスフィードは、単身、軍事基地への侵攻を開始する。



 ◇ ◆ ◇



 白銀の機体が青き宙を往く。

 身の丈ほどの大楯を背負ったそれはさながら聖騎士の凱旋であり、もしその高度に目撃者がいるならば、その機体を先頭に組まれた鏃の如き陣形に――機能的機械美の末の神々しさを覚えていたであろう。


 眼下に広がる雲海と、雲海を割って孤島めいて浮かび上がる山嶺。


 金糸の髪の少女が、頭上を蒼穹に覆われたコックピットの中でロザリオを握り締める。

 エスコートという大役を任されたことに、シンデレラには恐れがあった。自分がしくじってしまったその日には、全てが終わってしまう。そんなと恐れがあった。


 だが――幾度とルートを偽装して出発したスティーブン・スパロウが、まさか、ロビン・ダンスフィードのエンブレムを刻まれた機体にて合流してきたそのときには、そんな気持ちも変わっていた。

 それは、ある種の盲点だろうか。

 スティーブン・スパロウと判明していないにしろ、今回の会談にて呼び建てられた【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】の指導者。当然、そのエスコートには相応の機体が用意されるとは、【フィッチャーの鳥】や保護高地都市ハイランド連盟軍も想定しているだろう。

 彼らが狙うとすれば、単機で大軍と伍せるその腕利きの護衛たちの各個撃破――損害が多くなる――ではなく、護衛らがその警護対象と合流してから。


 そんな読みの下に、彼女たちはまんまと合流を果たした。ロビン・ダンスフィードを偽装して、合流した。

 その代わりに彼には機体が与えられなかったが――それでいい、と彼は笑っていた。仕事はやり遂げる、と。


『さて。……でも、どうせなら自分で動かしてみたかったね。私も脊椎接続アーセナルリンク手術をしておけばよかったな』

「中将が、ですか?」

『こう見えても銃の腕には自信があってね。アーセナル・コマンドは操縦技術というより身体拡張だろう? グレイマンくんほどじゃなくても、凄腕の駆動者リンカーになれたかもしれないよ』

「まさか……」


 青き複座機の火器管制席に座ったスティーブンは、シンデレラたちの緊張を解そうとしてか、茶目っ気有りげに微笑んでいる。

 これで、少なくとも第一関門の突破を果たしたと。

 そしてここでいう第一関門が、ほとんどすべての関門であると言っていい。あとは会談の場につくまでに殺害されなければ、その戦略目標は達成される。


(……戦いが、終わるんだ)


 久しぶりに見た大地と、空。

 二ヶ月ほどしか経っていないというのに、それは、悠久のときとさえ錯覚するほど。

 まだ殺される前の。

 皆と共にいたときの。

 そんな頃の記憶が揺り戻される。それは、脳の中の記憶の扉が開くということは、同時に被撃墜の際の恐怖まで共に開かれてしまって――どうにもならない震えとして、シンデレラの指先に現れた。


(……あのときは、こんなふうになるなんて思ってなかったな)


 大尉が居て、ヘンリーが居て、そこにフェレナンドとエルゼが加わって、マーシュもやってきたあの日。

 一度は皆で語らったというのに、あまりにも、互いの立場は離れてしまっていた。


(大尉は、マーシュさんのことを知ってたのかな。……マーシュさんは、どうして今になって――……大尉のためなのかな)


 彼女が、一体何故そんな立場に戻り、そして何をしようとしているのかはシンデレラには判らなかった。

 ただ、それでも言える。この会談でのマーシュの行動によっては【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】も大きく影響を受け、組織自体が完全に解体されるかもしれない。

 だが、だとしても勝ち筋が――少なくとも【フィッチャーの鳥】へと壊滅的な被害は与えられると、マクシミリアン・ウルヴス・グレイコートは確信と共にシンデレラたちに説明した。

 それは、つまり、どんな形にしろ終わりなのだ。組織が解体されるとしても――……紛れもなく勝利なのだ。


(もう、これ以上……仲間が死ななくて、済む……)


 カリュードのように。

 ライオネルのように。

 共に戦う戦友が、これで、無慈悲に散らされることはなくなる。

 そして何より、


(これで、大尉も――……)


 あの人が。誰よりも優しいあの人が。

 もう二度と、あのような怒りを表さなくて済む。

 そのことは、何よりの福音に思えた。


 だけれども――……


(……どうなるんだろう、わたし)


 ……ああ。自分は、帰れるだろうか。


 仮に【フィッチャーの鳥】を滅ぼせたとしても、このまま、反逆者として刑に処されないか。

 そう思うと、怖い。

 十五年で人生が終わることが、怖い。

 カタカタと指先が震える。震えが強くなる。

 銃殺刑となったらどうしよう。終身刑となったらどうしよう。それとも、この会談に合わせて、纏めて爆弾で吹き飛ばされたらどうしよう。

 本当に、怖い。改めて恐怖が指先に現れてきて――……それでもシンデレラは、首を振った。


(……でも。それでも。それでもわたしは貴方に、生きて欲しいんです。大尉)


 ギュッと、ロザリオを握り締める。

 あの衛星軌道のアーク・フォートレス【雪衣の白肌リヒルディス】と彼の戦いを見た。

 文字通りに串刺しにされ、その身を焼き尽くしてすり減らしながら戦う彼を見た。


 きっと、このままでは、いつかあの人は死んでしまう。

 戦いの果てに、死んでしまう。

 だってあの人は本当に、ただ備えているだけの人なのだ。そして絶対に諦めない人なのだ。


(……だから、わたし、貴方のためなら)


 更に指先に力を込め、ロザリオを握り締め――――その瞬間、脳裏に反響する声。


 ――――〈君がそう望むなら、俺が、一時はその名を預かろう〉。

 ――――〈大切に箱に仕舞って――いつの日か、君に返せるように〉。

 ――――〈君がそれをまた手に取れるだけの心を――想いを取り戻したときに、俺はそれを差し出そう〉。


 あの夜の寂しげなアイスブルーの眼差しを思い返し――シンデレラは一際強く、首を振った。

 穏やかでも、暖かでもない。

 ただ寂しげな、その瞳を。


(違う。そうだ……! こんなところでなんて、絶対に終わってなんてやらない……! 終わってなんてやるもんか……! 必ず――――必ず生きて、もう一度大尉に会うんだ……!)


 だって、まだ、聞いてない。

 婚約者がどうとか、誰が好きだとか、あの人の過去がどうだとかじゃない。

 何を知っているのかとか、何故そうするのかとか、何のためにそう在るのかじゃない。

 名前を返して貰うためだけじゃない。


 ただ、を、聞いてない――――。


 きっと。


 それは流星のように。

 受け止められなければ、どこかへ消えてしまう光。

 剣のように磨き続けるあの人が、誰にも言えずに抱えた人間性。

 それを、そのまま流れ星になんてさせない。

 誰も知らない物語になんて、させない。


(一人でどこかになんて――――わたしが、貴方を去らせてなんてやりませんから……!)


 そう強く頷き、シンデレラの琥珀色の瞳は水平線の向こうを見詰める。

 そうだ。生き延びるのだ。

 誰でもないシンシア・ガブリエラ・グレイマンが、それを掴み取るために――――。



 そんな彼女らを尻目に、秘匿通信回線が音を立てる。

 ローランド・オーマインと、マクシミリアン・ウルヴス・グレイコートの間でのみ繋がった音声。


「……話はついている。彼の警備シフトについても既に入手済みだ」


 その声は、低く、乾いて、感情というものがなかった。

 否――強い感情を押し殺した、鋼のような声だった。

 地獄の窯の底のように、嚇灼と煮えたぎる想い。


「――


 従者たる影めいた青年からは、了解の声は返らない。

 しかし二人は、同じだ。

 即ちは――――肉親の、仇として。



 ◇ ◆ ◇



 その航空機地の駐機場エプロンには、白いプライベートジェットめいた中型機と一機のアーセナル・コマンドだけが並んでいる。

 鈍く陰った曇天の下、滑走路を管理車両が走る。

 出発前の点検に整備士たちが動き回る駐機場エプロンを眺めつつ、白髪赤眼のヴィクトリアンメイドを伴った老軍人は静かに口を開いた。


「……卿は、これで戦いが終わると思うかね?」

「さて。ですが、貴方様は終わらせようとしているでしょう? それが如何なる形になるとしても」

「……」


 静かに、老いた銀獅子が目を伏せた。


「……私は、誤ったようだ。あの神の杖が起こした炎の恐ろしさに――……都市を滅ぼす鋼の巨人の危うさに、事を急ぎすぎた」

「……」

「知れてはいたが、戦争は、一人の手ではコントロールできない……否、確実にコントロールするためのシステムの普及を待つべきだった。この行為の責任については、他がどうあれ、私が取らねばならない責任だ」


 ドミナント・フォース・システムが広がってさえいれば――……。

 暴力は、完全に制御できるものとなった。

 あのジャマナー・リンクランクによる虐殺の防止や、或いは手に余った【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】に対する強制戦闘停止などにより、少なくとも――少なくとも第三勢力の介入のその段階には、止めることができただろう。

 予期は、していた。

 この二つの勢力の衝突、保護高地都市ハイランドの内乱のような形の戦いに残党が便乗してくるということまでは。しかし……


「……あら。それでは世の方が間に合わない――と貴方様は判断したから動いたのでしょう、大将閣下?」

「……」

「ええ、そうですわ。それは正しいのです。あのような残党たちやアーク・フォートレス――……貴方様が【フィッチャーの鳥】を作り、そして【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】を支援したことに何一つ誤りはないのですよ。この形にならなければ、もっと世界は早く確実に滅びていたでしょう」


 例えば【フィッチャーの鳥】による苛烈な摘発がなければ、あの残党の集団たちが――【衛士にして王ドロッセルバールト】がより勢力を拡大させていただろう。

 例えばその強行性への反発により【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】に兵が集まっていなければ、あの超大型アーク・フォートレスは【蜜蜂の女王ビーシーズ】の手に渡り、世界中にその火の構造が共有されただろう。

 どこかが崩れても、足りなくても、世を滅ぼす炎は燃え広がっていたのだ。

 そればかりは、完全に、ヴェレル・クノイスト・ゾイストという男の苦慮が齎した成果であろうと――マグダレナは評価していた。

 同時にそれは、この先の歴史すらも火に焚べるものだったとしても。


 故に、


「顔をお上げください、先を目指す只人の王よ。貴方様が繋いだ世界は、その分、生きながらえました。……


 そう――――曇天の下でマグダレナは、笑う。


「……悔いさせてすら、貰えないのか」

「それがお望みかと思われましたので」

「……」


 そしてそれは、あまりに残酷な結論だった。

 己が間違えていたと、誤っていたからこうなったのだと思えたら、ヴェレルにとってはどれほど幸福であっただろう。

 最悪に思える状況が、選べる中での最良と言われたその時――――ああ、思い知るのは、この世のただ救えなさだけなのだから。

 それでは未来に待ち受けるのは、もう、鉄と火の嵐としか思えない。

 それでも、


「ふ、ふ。……さて、貴方様がどのような決着をお考えかは、あいにくと使用人風情には判りかねますが――」


 粛々と腰を折るマグダレナは、ヴェレルに促していた。


「私、マグダレナ・ブレンネッセルは貴方様に雇われている。――――?」


 全てを喰い殺せるだけの破滅の白獣が、嬉々としてその首輪の鎖を差し出してきていることを幻視する。

 どう動くのか。

 何をするのか。

 どう使おうというのか。

 何をさせ、何を目指しているのか。

 それを嗤いと共に眺めている、そんな光景を。


 仮初としても、己の主を務めるに足るものを見せろ――と。



 ◇ ◆ ◇



 広大な宇宙の暗礁海域の中に、鈍く、蜘蛛の巣が張られている。

 否。金属でできた蜘蛛の巣の如きそれは水素収集翼であり、その船体下部にて畳まれた六本の足は加速補助推進剤噴射口である。

 暗黒の真空に住まう宇宙昆虫を思わせる外宇宙飛翔艦――【蜜蜂の女王ビーシーズ】。


 その船長室にて、軍服を思わせるブレザーを肩にかけた赤髪の少女は目を閉じる。


『は、は。なあ、御令嬢? アンタ、本気かい――?』


 地上に派遣した己の端末の一人と、アーネスト・ヒルデブランド・ギャスコニーとの通話。

 こうすれば、通信電波を辿られる心配はない。

 己と背格好の似た赤髪の少女を捕らえ、そして、あたかも影武者めいて使用する。

 彼女は、この会談に応じる気がなかった。

 というより、


「どうせこちらを滅ぼすための大義名分は与えられるだろうから、今更という話だろう」


 ただ、それだけの話だ。

 或いはかつての知己たるマクシミリアン・ウルヴス・グレイコートに偽物と気付かれてしまうだろうが――だからどうした、というところだ。

 ラッド・マウスからの恫喝がなければ、彼女とて会談に対しての誠実さを持ち、己本人が足を運ぶことも真剣に考えていたが――……こうなっては、ただ、今更と言える。


「奴らがこれを記念日の如く飾り立てたいならば、文字通り記念日にするだけだ。……そのために大戦の虚像を用いて彩りたいならば、私もそれに協力してやろう」

『へえ、ははっ、ああ――……そうしてくれるとおれとしても嬉しいねえ。これからしばらく、日々の糧を得られそうだ』

「フン、戦争屋が。……ですけど、その通りよ。この世界は消えない戦争の炎に包まれる。あれは、その、記念日となる」


 初めから決裂の決まった会談に意味はない。

 ならばせいぜい、その、飾り立てられた包み紙を派手に燃やすだけだ。高価であればあるだけ価値が出る。

 マーシェリーナ・ジュヌヴィエーヴ・パースリーワースという名が重ければ重いだけ、それは、吹き飛ばすに相応しいトロフィーとなろう。


『それで、おれは、何をしたらいいんだい?』

「……ハンス・グリム・グッドフェローの抹殺。アシュレイ・アイアンストーブの程度は知れた。となればあとは、ロビン・ダンスフィードと彼しか脅威はいない」

『は、は。……そうだねえ、結局あの男は、秩序の旗の前に立ち続ける番犬さ。――――そうだろう?』


 勿体ぶったギャスコニーの言葉に通話を打ち切り、そして幾ばくかのデータを送り付ける。

 ウィルへルミナとなった者たちがレヴェリアで集めた、現地や周辺の状況だ。

 今現時点で【フィッチャーの鳥】の摘発が過激化しているものの、事態が事態だからかあまり暴虐的にまでは発展していない。しかし市民は、いつ摘発されるか判らぬ恐怖を抱えているだろう。


 都合がいい――――少なくともウィルへルミナの能力のトリガーとしては。負の思念は、不可欠だ。


 そして同日、三勢力の首魁が集まることを市民団体が好機と見たのか、そうなっては表向き集まらぬ訳には行かぬと見たのか、それとも市民たちの純粋な感情の発露であるのかは知れぬが――【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】へのデモ、【フィッチャーの鳥】へのデモ、【蜜蜂の女王ビーシーズ】や残党へのデモも計画されている。

 無論ながら、それが法的な許可を受けられることはあるまい。警備上の観点から、どれも無許可になる。

 しかし、無許可でも止まるまい。そしてそれは確実に、警備体制への圧迫となることは確実だった。


(……騒ぎ立てたいだけの愚物たち。貴方たちが騒いだところで、ただ、無駄に警備の手間がかかるだけよ。それが私に利するとも思わず――――本当に、愚物たち)


 その利を啄む気ながらも、同時、ウィルへルミナは深い侮蔑の情を抱いていた。

 日を改めるか、大人しく現地に集まらずに抗議の声を挙げられる方がよほど厄介だというのに――彼らのその動き事態がを誘発するにも気付かず、自己満足の行動をする。

 己のくたらぬ感情の発散と、論理性の帰結と合理性の視点を欠いた群れた豚ども。前頭葉による抑制の効かない獣同然の愚者。

 衛星軌道都市サテライトの戦争の始まりがそうであったように――――彼女は、民衆というものを心底嫌っていた。


(それでも貴方は、その愚物たちの盾にでもなるの? オーグリー・ロウドックス……いえ、ハンス・グリム・グッドフェロー)


 あの彼の潜伏の日々の中で、すべきではない助けと共にウィルへルミナとの決裂を齎した場面が回想される。

 彼は、愚かな民衆をどう捉えているのか。

 嫌うか、それでも愛するか、それとも価値自体見出していないか、はたまた我関せずと生きるか。

 そのどれも有り得る気がして、静かに目を閉じ――


『やあ、こんにちは……。突然だけど、恋の話をしないかい?』


 突如として船室に映し出された純白の少女のホログラムに、彼女は冷たい目を向けた。



 ◇ ◆ ◇



 寒々しい軍艦の指揮所。

 青きホログラムレポートが浮かんだ船長室にて、二人の男が顔を見合わせる。

 海賊傷の火傷顔のプロレスラーめいた巨躯を持つコルベス・シュヴァーベンと、もみあげから顎までを短い髭が多いながらも俳優じみた優男の顔を持つキャスパー・ロックウェル。

 【フィッチャーの鳥】の中核的指揮官である彼らは、


「……もう既に揉め事を起こしてるのは何というか、流石というか……」

「フン。あの男ならどうなるかなど判っているだろう。あれは飼い慣らせるものではないのだ。ヤツに主人は存在しない。荒野あれのを進む猟犬だ」

「アクタイオンも遠くなりにけり、ですねえ」


 曰く、鹿に変えられた主を喰い殺したアクタイオンの猟犬たちは、己が主を求めて彷徨い、その悲しみに狂った。

 だが、もし仮に――主を喰らい殺したことに悔いることもなく、狂うこともなく、猟犬としての本分を全うし続けられる猟犬がいたならば?

 ハンス・グリム・グッドフェローとはだ。

 主を喰らい殺してなおも――狩りを続ける猟犬だ。ただ猟犬のその本分だけを全うする流浪の刃だ。

 首輪は付いている。しかし、そこに手綱はない。


 レヴェリア市の警備から外されながらも、それでも【フィッチャーの鳥】の持つ権限というのは奪われては未だにいない。他の都市には防衛戦力を配置させつつ、また、独自に市内で公安活動は行っていた。

 そしてその中で、齎されたレポート。

 ハンス・グリム・グッドフェローと、現地の指揮官の不仲。


「……軽く調べたが、家名以外で取り柄がない男だ。その椅子に座ったのも単なる内部政治と人手不足でしかない。顔に泥を塗られたのだから、この期に及んでなおも雪辱を狙うだろうな」

「ちょっとした小火のつもりでしょうが、火薬庫で火遊びは危ないよ……と。この大事にそんなことも判らない人間では、まあ、グッドフェロー大尉の対応もむべなるかなという話ですよ」

「無能も取り除けて、我々としても一石二鳥だ。……麾下の部隊をこちらで接収しろ。それなりに粒は揃っている」


 ヴェレルの言葉を外れはしない。勝手な行動をする訳ではない。

 しかしその中でも、十分に【フィッチャーの鳥】への地盤固めをすることを諦めてはいなかった。

 会談を吹き飛ばしたり、暗殺を行ったりはしないにしても……だ。

 そして、


「……で、ハゲおじさん的には良かったのですか?」


 ロックウェルの問いかけに、シュヴァーベンは片眉を上げた。

 現地の高級指揮官による情報のリーク。

 それはハンス・グリム・グッドフェローへの何らかの加害を――より状況を鑑みて言うならば、【雪衣の白肌リヒルディス】と引き換えに彼を取り除けという要求に半ば従うものであろう。

 それについては、


「軍人の役目は死ぬことだ。私も、お前も、グッドフェローでさえも。ヤツの首一つで争いが収まるなら、ヤツとてきっと望むところだろう。……あの凶刃を手放すにはいい機会だ」

「……」

「しかし、みすみす死なせるには惜しい。手放してからでは遅いのだ……狡兎の死に走狗を煮るのは、あまりに短絡的な愚か者の所業だ。新たなる狡兎が生まれる可能性、優れた走狗が次は生まれぬ可能性……それを考えられもせん頭脳家気取りの愚者でしかない!」


 強くシュヴァーベンは拳を握る。

 いつからかよく見るようになった古典的なフィクションの題材のように、魔王が滅んだあとに勇者が危険視されるのはそれが中世的な世だからだけだ。

 マフィアなどならいざ知らず、現代的な軍事組織にてそれは論ずる価値もない単なる愚か者の行動にすぎない。社会は、組織は、そこまで甘くはない。

 無論、内部の権力闘争や政治抗争のために英雄という肩書を持つものを排除する動きも出るだろうが――――生憎と、コルベス・シュヴァーベンにはそんなくだらぬ発想はなかった。


 彼は軍人だ。

 即ち、自国の敵を焼き尽くす者だ。

 どれだけ苛烈ながらも、彼はその基本から外れはしない。


「では……特務大将に持ちかけられた例の話についても、我々は余計な動きはしないということでいいですかね?」

「当たり前だ。まさか敵が、本気でグッドフェローという一個人と【雪衣の白肌リヒルディス】を引き換えになどはせんだろう」

「本気だったらどうします?」


 そんなロックウェルの問いに、


「その時は……あくまでも、全てが成ってからの話だ。取引が我々に利したと確認してからでいい。第一、本来なら利したところで応じてやる義理もない。なんにせよ少なくともそれまではヤツを監視下に置き、燃え移ることを避けさせろ。偽装した陸戦隊を送っておけ。護衛でも、排除でも、どちらでも可能なようにだ! 業腹だが……あの男は、貴重な戦力なのだから……!」


 そう、シュヴァーベン特務大佐は青筋を浮かべながら腕を組んだ。


「ひょっとして……それで殺さずに済むことを望んでません?」

「ふざけるなロックウェル! 叶うなら私の手であの男を絞め殺してやりたいくらいだわ! だが、ご丁寧にテロリスト共の要求に従ってやる謂れはない! これは治安部隊としての当たり前の責務だ!」

「……はいはい、そういうことにしておきましょうか」

「しておきましょうではなく、そういうことだ! 聞いているかロックウェル! 第一あの男は昔から――」


 また惚気が始まったと、ロックウェルは肩を竦めた。

 いっそのこと正直に【フィッチャーの鳥】に来いと言えばいいのに。まあ、どうせ彼は応じないだろうが。

 正式な命令書以外で動かすことはできず、そしてその名と価値故に正式な命令書を出すにも手間がかかる男だ――戦闘が可視化された今や誰もがその派閥の端に彼を求めるせいで、政治的な綱引きや根回しが面倒なのだ。

 そのためにも彼からの強い要望という名目が求められるが、当の彼自身がその手の取引には応じない。結果として今も、本土外の駐留軍という本流を外れた閑職のままなのだ。


「それで、どうします? 既に特殊部隊の手配は済ませていますが――」

「全員に強化外骨格エキゾスケルトンを着用させろ! これならば、あのけったいな女のとやらも通じん! くだらんオカルト紛いに対策を打たされるのは業腹だが、それが万能の力と思っている小娘を叩き潰すためなら喜んで実行してやろう!」

「ドミナント・フォース・システム様様ですねえ……」


 現時点で、ウィルへルミナ・テーラーの能力についての詳細は判別していないが、それでも少なくとも人格がジャックされるその瞬間にだけ脳波パターンが変化することが観測されていた。

 強化外骨格エキゾスケルトンであれば、脊椎接続アーセナルリンクを利用することで生体データを収集し、そして異変の直後には外部から制御を奪い拘束具に変貌させられる。

 戦場での同士討ちや重要警護目標への流れ弾などを機械的に避けるための仕組みであったが、それを活かせるという訳だ。

 いや――


(歩兵まで適用可能にした、か。これが後々に変な尾を引かなければいいですけどねぇ……)


 そう、ロックウェルは肩を竦める。

 あくまでもアーセナル・コマンド用だった本来のドミナント・フォース・システムの流用。

 歩兵単位ですらも完全に統制可能になった暴力ということには、彼としても奇妙な懸念をせざるを得なかった。


 暴力とは、本来、どこまで進んでも制御不能なものだ。


 だからこそ軽々と戦争も発生しなかったというのに――これが福音になるか禍根になるかは、今の彼を以てしても読み切れないところであった。



 ◇ ◆ ◇



 銃鉄色ガンメタルの機体に映された棘の生えた三日月のペイント――古狩人を思わせるコマンド・リンクスが、三機の編隊で都市部上空に差し掛かる。

 眼下の都市は、あまり近代的という様子ではない。

 そういう言い方は失礼かもしれないが、しかし、目立って高いビルなどはそれほど多くは見られない。

 どれも似た高さの長方形や正方形の――ただし角が取れて丸まった――建物がきっちりとした区画に沿って立ち並び、これがB7Rの到来以後に建築された都市であると理解させるには十分だ。


 まあ、これは、前世の住まいやこちらでの居住区にも由来するだろう。特に前世は首都だけあって、ビルに囲まれているのが日常の場ではあった。


 空から確認できる大きな地標や物標は、それでも一際大きなガラス張りのビル群とタワー。あとは大規模に開けている公園と、軍用基地。そして会談の場所となる、古来のパルテノン神殿を思わせる行政府だ。


 ハイランド・アルビオン――英ミッドランドクラトンや、ハイランド・クマニア――東ヨーロッパクラトン、ハイランド・ノルディア――フェノスカンジア楯状地からの近傍に位置しているアナトリア。

 マーシュは既に市街に入ったのか。他の皆はどんな経路で来るのか。

 もし仕掛けるとしたら、地中海を利用した大型潜水艦からのミサイルやアーセナル・コマンドによる強襲かと考えている、その時だった。


「見てくださいよ大尉!」


 フェレナンドの声に合わせて、機体の光学センサーが捉える映像を拡大する。

 空を眺める市民たち。

 ベランダや屋上にいる彼らは、こちらへと手を振っていた。


「あれ大尉のファンっスよ、きっと!」

「……いる筈がないと思うが」


 所詮、仕事で人殺しをしてるだけの人間だ。

 剣闘士にファンはついても、死体処理業者にファンはつかない。

 だが、


「んー、アレじゃないです? ここってあのレッドフードの初出撃のとこの近くですよね? そのときの先輩の戦いっぷりでも見てたんじゃないですかー?」

「碌に何もできずに、機体を半壊させていただけだ」

「………………こいつ」


 何か言いたげなエルゼの言葉に、首を振りたくなった。

 街を守ることもできず、むざむざとメイジーを戦いに駆り出すことになった。それが結果の全てで、それだけが紛れもない事実だ。役立たずの誹りを受けることはあっても、感謝される謂れは一つもない。

 更に自分の中途半端な奮戦が原因で、あの都市はガンジリウム・プラズマミサイルの爆撃を受けた。その汚染の結果、民は、己が故郷に帰れなくなったのだ。

 恨まれているだろう。文句の一つもあるだろう。

 おそらくはこれも、ただのミリタリーファンからのものだと思えた。


「どうするっスか? 手でも振り返します?」

「地域住民の心象改善……みたいなのも大事じゃないですかー? どうです、先輩?」


 二人の言葉へ、


「二人とも、任務中だ。それ以外は、行うべきではない」

「あ……了解っス」

「はいはーい。相変わらずお硬いですねー」


 吐息を一つ。

 ホログラムコンソールに触れ、


「……これから市街地上空での警戒コースを飛行する。市街地の上空だ。つまり、我々には万一の機体制御不能も許されない」

「墜ちたらとんでもねえっスもんね」

「マジで首が飛ぶやつですよねー。気が重いというか」

「任務の性質上、我々は病院の上空周辺や避難場所となる地点の上空なども飛行する。……くれぐれも細心の注意を払い、行動を行ってほしい。機体の不具合は断じて避けなければならないことだ」


 それらを反映させたマップデータを改めて共有する。

 生憎と空中浮游都市ステーションのようには、この辺りの都市はビルに内部人員の観測AIシステムや避難完了システムはない。つまり、見た目から予想がつかないほどに人が居ることも考えられるし、逆にこちらの接近についての注意喚起を行うシステムも存在していない。

 その上で――


「各自、現在位置で滞空し、機体の状態を確認せよ。特に腕部のマニュピュレーターについて重点的に、だ」

「――! 大尉、それって――!」

「おやまあ。先輩、本当に素直じゃないですよねー?」

「……何の話だ。俺は、機体状態の確認の指示しか出していない」


 ホログラムウィンドウ越しにエルゼがニヤニヤと視線を寄越し、フェレナンドは目を輝かせて敬礼している。

 なんとも賑やかなことだ。

 彼女たちの気分転換にもなり、市民にも多少なりとものサービスになるならそれはよかった。


 戦争兵器であり、会談のその日には戒厳令が敷かれるというのに……。


 戦闘機を見送る感覚なのだろうか。

 強烈な忌避感や嫌悪感というより、物珍しさや憧憬に溢れた目を向けられていると奇妙な心地になる。

 まだあの大戦の終結から三年しか経っていないのに――頭上をアーセナル・コマンドが飛行するということは、否応なく戦闘というものを意識させるというだろうに。


「大尉、どうしたんスか?」


 彼の問いかけに、


「いや――……」


 首を小さく振って、口を噤む。

 こちらへと手を振る人々。

 フェレナンドやエルゼの動きに顔を見合わせ、それから携帯端末を向けて余計に大きく手を振っていた。


(俺の言えたことでは、ないだろうが……)


 もうそれはとうに捨てたとしても。

 己の機能性からは、あまりに不必要なものだとしても。

 

 ああ――……叶うのならば。

 赦されるのならば。

 もしも己に祈りというものが赦されるならば。


 どうか――……ああ、どうか――――……。


「……穏やかに終わってほしいと、そう思った」


 この都市で当たり前に暮らすこの人たちが、傷付けられませんように――。


 そこに生きている人々が、日々を送る人々が、傷付けられることがありませんように。

 苦しめられることがありませんように。

 ただ、その人生を全うできますように。


 その顔を、機体越しに目に焼き付ける。

 一つ一つを、己の中に咀嚼する。


 如何なる形になるとしても――どんな終わりになるとしても。


 そこで生きている彼らが傷ついていい道理など、何一つ、存在しないのだから。






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