第134話 レヴェリア三頭会談へ、或いは死すべき命運


 その声明が発表されたときの反応は、火を見るより明らかだったと言っていい。


「危険じゃないですか、こんなの! 相手が待ち構えている中に、むざむざと生身で飛び込んでいけという話でしょう!?」


 格納庫の中、諜報班から共有されたホログラムメッセージを前にしたシンデレラが金髪を揺らしながら叫んだ。

 それは、その報告が知らされたときの兵たち全ての言葉を代弁していると言ってよかった。

 その言葉は、マクシミリアンとて頷くところだ。しかし既にそれはもう、織り込み済みだった。


「ああ……だとしてもこれは、出席しなければ決定的に保護高地都市ハイランドの敵だと民衆に印象付けることとなる。そうなれば争いは【フィッチャーの鳥】と【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】のものではなく、保護高地都市ハイランドと【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】という形に変えられていく。……出るにせよ、出ないにせよ、どちらにせよ我々は窮地なのだ」

「そんな……」


 死したと思われていたパースリーワースの血族がここに来て現れるなど、出来すぎているとしかマクシミリアンには思えなかった。

 こんな手札を温存していたとは、諜報員たちからも情報を得ていない。

 生きていると知っていたなら――【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】もそれを旗印として使おうとしたであろうし、何より不可解だ。こんなタイミングで現れるよりも、【フィッチャーの鳥】にとってはもっといい場面があっただろうに。

 本当に、偶然、生存が確認されただけなのか。


(いや――……それとも、成人を迎えるまで待ったか。ならば頷ける。パースリーワース家の婿があのストロンバーグで死したという情報もあったが……それに関連していたのだろうか?)


 何にせよ真実は闇の中であり、そして、最悪であるというのに誤りはない。

 これで【フィッチャーの鳥】は大義名分を得た。

 あの【蜜蜂の女王ビーシーズ】はどうあれ公共の敵と認定できたものであろうが、派閥的な政治暗闘の意味合いもあった【フィッチャーの鳥】と【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】の争いは違う。

 人類史上最大の大戦の直後という極めて限られたタイミングと奇跡的なバランスで大きな内戦に発展せずに成り立っていた暗闘に、大きすぎる一石が投じられた。


「ここからは、対応を間違えれば暗闘ではなく粛清となる……パースリーワースの名を無碍むげにはできない」

「そんなに、なんですか……?」

「ああ。不敗の神話の立役者だ……比喩ではなく、称号ではなく、実益としてそうなのだ」


 それは、かつて敵方にいたからこそ判るものだった。


「彼の演説が民衆の心に徹底抗戦の日を灯し――そして戦時中も精力的に彼は各地を飛び回った。衛星軌道都市サテライトの侵攻に呼応した民族原理主義者や独立主義者が地域を独立させようとするときにも直接会談でそれを収め、分断戦略を行う衛星軌道都市サテライトを前に国家内の団結と融和を説き、更には空中浮游都市ステーションに本拠地を置く多国籍企業体などにも戦略的ロジスティクス・システム構築への協力を呼びかけた」


 軍隊とは、金がかかる。

 ものがかかる。

 人がかかる。

 彼はその、何たるかを理解していた。

 そして今日の企業共同体の先駆けとなるような、大規模ロジスティクス・ネットワークを形成したのだ。


 つまりは――【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】が国家軍隊の一部である【フィッチャーの鳥】とこうまで戦えているという、その源流を作ったに他ならない。

 文字通り、比喩ではなく、勝利の立役者なのだ。

 当時は敵軍としてそれを分析していたマクシミリアンをして、彼は保護高地都市ハイランドの存亡にあたり救国の英雄を努めたと評価していた。


保護高地都市ハイランドの戦略的な作戦行動は、衛星軌道都市サテライトの爆撃を前に本来ならばもう行えない筈だった――……彼はそこから立て直したのだ。戦略的な輸送や移動が可能なように。……それがなければ、かの黒衣の七人ブラックパレードもそも戦いに赴けてすらいないだろう」

「そんなすごい人が……。でもその方は、亡くなられたんですよね? どうしてですか?」

「それは……」


 マクシミリアンも元は衛星軌道都市サテライトの市民であり、肌感覚というものが若干異なるために正確な伝達は難しい。

 何より、

 可能な限り言葉を選んだ上で、マクシミリアンは口を開いた。


「……彼が亡くなったのは、停戦の二週間前のことだ。十二月十日。終戦の――勝利の目処が立ってきたその時に、一部の政治勢力が憲兵隊内部の素行不良者たちを抱き込んで彼にスパイ容疑をかけた。その取り調べの中、彼は、持病の発作を抑える薬を取り上げられて亡くなったと聞く」

「なんてことを……!」

「だから、だ。だから民衆からは悲劇の英雄として今も語られ、そして政府関係者や議員たちにとってはその勇姿以上に後ろめたさや弱みのような意味合いもある。或いはパースリーワースというその名は戦時中よりも強い力を持つだろう。……その妹婿が、戦後しばしの間、政界を牛耳っていたようにな」


 そんな男もまた、ストロンバーグにて死亡する。

 詳細は明らかになってはいないが、仮にも婿とはいえパースリーワースの名を持つ者が死したというのにそれが大体的な非難や報道をされぬ辺り、おそらくは不名誉かつ非合法的な行為が関係する死であったのだろうが……。

 或いは、セージ・トビアス・パースリーワースの死にはその妹婿も関連していたという話さえあった。

 ともすれば、彼もまた別の派閥から殺されたのかもしれない。真相は不明で、今なお一部の陰謀論者が思い出したように語る程度のミステリーではある。


「じゃあ、マーシュさんは……」

「娘はそのまま憲兵隊に身柄を抑えられ続け、戦後のどさくさで消息不明になっていた。当時、十四歳――生きてはいないか、それとも生きていたとしても到底会話ができる状態にはないかと思われていたが……」


 血筋も家名も利用価値がある。また身柄そのものも、十代の少女離れした美貌から十分に価値を見出されてしまうだろう。

 彼女の保護を行いつつ婚姻を結ぶこと、或いはもっと直接的に下劣に――戦時の混乱でにすることも難しくない。裏社会のネットワークを通じれば、少なくない額の富を得ることだってできるだろう。

 既に商品か、従属物か、死体になっている。

 【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】の結成にあたって、マクシミリアンらはそう見做していた。


 だが――彼女は生存していた。そしてまた、表舞台に姿を表した。


 ホログラムレポートに添付された演説の動画を見れば、マーシェリーナ・パースリーワースには特に際立った外見的な問題点は見られない。

 火傷痕も切創も打撲痕も、薬物による眼孔や口唇周りの荒れも、栄養失調状態の身体変化もなければ、その動きには関節周りへの変形や損害が生じている様子もない。

 少なくとも数年は健康的な問題はなく生活を送れてきたのだろうと、そう判断させるには十分だった。


「大尉は、マーシュさんのことを守ってた……?」


 そのホログラムレポートの動画を見ながら零されたシンデレラの小さな呟きに、マクシミリアンは眉間に皺を寄せた。


(……何故そこに君の影が見え隠れするのだ、ハンスよ。今回の立役者は君なのか? ……家を失い、家のせいで幸福を失った少女に、再びその家名を名乗らせたか? いや……君がそんなことをする筈がない。君だけは、しないだろう。……となれば、君への恩義から彼女は今回の行動を?)


 しばし黙して考えるマクシミリアンであったが、答えは出ない。

 分かることは、一つだ。

 故に、締め括るように言った。


「何にせよ、保護高地都市ハイランドという国にとってパースリーワースの名がどれほど重いかは理解できただろう? その名を元に呼びかけたということは、お前たちの旗印を明確にしろということであり――」


 つまりは、


「これで収まらないというなら、という意志の現れだ。そういう大義名分まで用意した上での最後通告だ。……盤面をそこまで進められた」

「マーシュさんを利用してる、ってことですか?」

「どんなやり取りがあるかは不明だが、結果的にはそうなっている。おそらく確実に【フィッチャーの鳥】はこの機に仕掛けてくる。大軍を差し向けたりはしないだろうが、な」


 役者が上だったということだろう。

 あのウィルへルミナ・テーラーも【雪衣の白肌リヒルディス】という【フィッチャーの鳥】の弱みを握った巧みさがあったが、この一手はそんな状況すらも揺るがすものだ。

 これでは仮に【フィッチャーの鳥】の超法規的な不法行為の証拠を明らかにしても、パースリーワースという多くの支持を持つ名を無視して事を進めれば世論が割れる。


 明らかなる自明な一部組織による市民への裏切り行動としてではなく、保護高地都市ハイランドに悪意を持つ者がでっち上げたフェイクのニュースと受け止める人間も少なからず現れ――――そうなれば世論は二分されるだろう。

 分断を避けるための【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】が、国家内部での決定的な分断を推し進める一手を打たされることとなるのだ。


 民衆の多くは、事実を捉えない。いや、捉えられない。


 民衆の悪ではない。

 直接的にそれを目にできる人間と、そうでない者の違いだけだ。伝聞でしか事実を認識できない位置の人間に、そも事実を見ろということが誤りなのだ。

 事実は一つしかないが、真実は人の数だけある。

 彼らの視点が現実をどのような角度で切り取るかによって、その人間の内での都合のいい真実が作られる。


(……それを避けるには、可能な限り要素を減らしていっての余地を奪うしかない)


 そう、マクシミリアンは頷いた。


 人間――というより生物は元来、本質的に、何かと何かを結び付けて考えることが好きだ。

 そういう本能がある。

 どうにもならない生存の本能だ。

 ある色の毒キノコを食べて生存した者が再び同じ色の毒キノコを食べて死することがないように、という生存的な本能が磨かれた。擬態や警戒色なども、そんな獣の本能に根付いたものである。


 そんなある種の獣性ともいえる関連付け。連想。比喩。パターン分け。単純化。同一視。カテゴリ分類。


 その手の野生的な……原始的な本能や機能から離れられるのは――進化、つまり脳の基質的なハード面の変化というあまりにも遅すぎる歩みとはまた別の、より高速に変化して柔軟に対応していく社会的な進化――――つまり、意識ソフトだ。

 こんな本能の超克は、高度に細かなパターンの違いを認識できるだけの知性か、或いは本能の上のレイヤーにある理性に主眼をおける者でないと難しい。

 そして、それは、稀だ。

 この無意味な連想ゲームに陥るは、生物である以上は逃れられない宿痾しゅくあなのだ。そして多くの人間は、この宿痾しゅくあから逃れられないものだ。そも平均値が、そうである故に。


 それとも或いは、元来異なる何かと何かを結びつけていく汎拡張的人間イグゼンプトというのは、このの一種なのだろうか――……。


「何にせよ……我々としても、この会談に出席する他ない。注意すべきは二点――――辿と、だ」

「……!」


 そしてマクシミリアンの翳した手の先で、ホログラムレポートが浮かび上がった。

 会談が行われるレヴェリアの周辺図表。

 そして、会談までに取りうるルート。

 敵出現予測地点や迎撃ルートなどが記されている。


「まだ草案の段階であるが……これほど大体的に演説を行った以上はメディアの注目も受けるため、現地での殺傷というのは極めて難しく――つまりは到着前に亡き者にすることが、彼らとしても望ましいものだろう」

「……呼びかけたけど来なかった、という形にしたいってことですか?」

「そうだ。それに対しては各種のメディアに先手を打ってルートを公開するということである程度の手を打てるものだが、『防衛上の観点』から移動ルート上へのメディアの排除を謳われてしまえば、そうも行かなくなるだろう。更に、例の残党軍の仕業に見せた狂言襲撃という選択肢も残されている」

「……!」


 特に【フィッチャーの鳥】が、【蜜蜂の女王ビーシーズ】とも表向き無関係である残党を動員することも、あのブリンディッジ・シティの騒乱を思えば十分に視野に入れられる。


「我々が単なる反政府勢力ならば、替え玉の指導者をあえて送り込んで撃墜させ、と訴えかけることもできるが――……そうした先に待つのは分断だ。つまり、組織の理念として行いようがない。相手はそれも織り込み済みで仕掛けてきている」


 或いは【蜜蜂の女王ビーシーズ】の側はそれを行ってくるかもしれない。あちらは元より、国家によらない一勢力の側なのだから。


「この恐るべき冴えた手によって、【フィッチャーの鳥】は盤面を塗り替えた。……出席を断れば多くの人間の支持の下に疑いなく我々を撃滅できること。そして仮に、我々やウィルへルミナ・テーラーが【雪衣の白肌リヒルディス】を公にしたところで、保護高地都市ハイランドとの停戦の意思もない危険集団のでっち上げと思わせられること。更に、パースリーワースの名の下に――【蜜蜂の女王ビーシーズ】にも正当性を与えられることだ」

「正当性?」

「少なくとも保護高地都市ハイランド全体への敵意はない、と。テーブルに付くことは可能な理性的な相手だと。決裂するにせよ何にせよ、民衆もまた『テーブルで交渉可能な相手』と見做すかもしれないし……ここに来て、衛星軌道都市サテライト本国は完全に置き去りになっている」

「……?」


 その肌感覚は理解できないかと、マクシミリアンは補足する。


「今の本国の自治政府もさておいての交渉の主体だ。これが、完全に保護高地都市ハイランドの言いなりになっている自治政府と――……少なくとも三勢力の内の一つと重きを置いて数えられる者とに関して、民衆はどちらをより支配者として望ましいと考える?」

「そんな……動物の群れじゃないんですから……」

「いいや、人間の多くは動物だ。そして衛星軌道都市サテライトはその成立から、強いリーダーシップが求められる。……終戦の最中に心ある艦長が人民を逃した方舟が、帰還と同時に弱者とは思えぬ会談をすればどうなるか」

「……!」

「置き去りに逃げた、という声もあるだろうがな。……だからこそ【フィッチャーの鳥】の暴虐を前に駆けつけたという形にできれば、一転して支持を集めることも可能だろう。直接的な武力行使では保護高地都市ハイランドに比せない彼女らにとっても、これは旨味があることだ。……それも罠の一つかもしれんがね」

「そんな……」


 直接的に敵を倒すのが軍人の仕事ではない。それは、兵器や武器の役割だ。

 軍事とは、政治の一形態だ。

 今回の一見は、まさにそれを色濃く反映したような一手と言わざるを得ないだろう。


「我々の勝利条件は二つ。……無事にその会談に出席することと、その会談の最中に壊滅的被害を受けないこと。そして同時に二分したもう一つの隊で、エーデンゲートにおける二者の取引の現場を抑える」

「判りましたけど……でも出席は勝利条件なんですか? ここで『戦いをやめろ』って言われたら――結局は負けてしまうんじゃないんですか?」


 そう。

 結局のところ、その交渉の中で、パースリーワースの名の下に『国家内での衝突をやめろ』と言われてしまえば不利になるのは【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】の側だろう。

 だが、


「……いいや、だ。説明はできないが、会談を無事に遂行できれば我々は大きく有利を取ることができる」


 マクシミリアンは、そうとだけ言った。

 その拳には、深く爪が食い込む程に力が籠められていた。


「……そこで君には、この会談に同行してほしい」

「わたしが?」

「勿論、私も同行する。……エーデンゲートには、アーサー艦長とアシュレイ・アイアンストーブに向かって貰う。何にせよ、スパロウ中将の護衛が必要となる。腕のいい駆動者リンカーが必要だ」

「それなら……アシュレイさんとわたしが逆でもいいんじゃないですか? あまり、そういう堅苦しい場には……正直、どう振る舞っていいのか判りませんし、わたしがどんな助けになれるのかも判りません」


 本職の軍人ではない、という負い目からだろうか。

 首を振るシンデレラへ、


「君のその、類まれなる直感に賭けたい。如何なる暗殺手段が行われるか、我々だけでは読み切れないところもあるからな」


 マクシミリアンはそう返した。


「そんなふうに……わたしに背負わせるなんて……」

「怖じ気付くかね?」

「そんな言い方っ! いいえ、逆にこれを何事もなく終わらせられたら……その時は争いが収まるということでしょう?」

「ああ。……そうだ。【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】が如何なる形にせよ存続さえすれば、【フィッチャーの鳥】は壊滅的な打撃を受ける。その手筈になっている。……この戦いを終わらせるために、だ」


 それは、希望ある未来を描いた言葉であるというのに。

 どこか――どこか強い憤怒と悲哀を感じさせ、シンデレラは何も言えずに口を噤むしかなかった。


 シンデレラの承諾を確認した後に、彼はまた細かなブリーフィングを行うと言い残してその場を去る。

 その時、


「そして、あの男を――」


 マクシミリアンが僅かに呟いた声は、誰に聞かれることもなく通路の静寂の中に溶けていった。



 ◇ ◆ ◇



 再び、所定の宙間適応訓練を行い――それも大詰めになっていたときだった。

 訓練施設から一人呼び出された執務室にて、ホログラムウィンドウと向き合う。

 余人は部屋には居らず、恰幅の良い初老の上級将官と自分が向かい合わせにされていた。


「俺たちが……会場の警護を、ですか?」

『そうだとも。この役割は君をおいては他にいないと思うが……これほどの大役、ということだ』

「正式な辞令ですか?」

『いや、そう、難しく捉えなくていい。何も今、命令として伝えている訳ではないからね』


 会談の話は聞いている。

 冴えた手を打ったものだと、そう分析していた。

 それはさておき、


「それは陸軍の仕事ではないのですか? また自分たち五十一空軍は空中浮游都市ステーションへの防衛契約に基づいた駐留軍であり、本土防衛に関する空軍は別にいる筈ですが……」

『今、統合任務部隊に編成されようとしているだろう? それと同じだ。そして――今こちらの有する最大の駆動者リンカーが誰か、私から君に説かせるというのかね? サー・グッドフェロー?』

「……は」


 自分に関しては問題はないし従うところであるが、部下たちをそこに付き合わせるのは憚られた。

 彼らの腕前に対する心配ではない。

 終戦後に入隊してきた駆動者リンカーの中では有数の実戦経験を持ち、信頼している。戦時中で見ても一定の水準に達していると言っていいだろう。

 しかし、今まさに宙間適応訓練を行っていた。

 無重力に慣れたところでまた重力下の機動に戻れとは、あまりにも難題がすぎる。というよりも、ハッキリ言えば何も考えていないと思えた。紙の上では右から左に動かして終わりだろうが、戦場ではそうは行かない。そこを見誤ると書類上の数字が増えるのだ。死者という名の。


「確認ですが……我々は今、宙間適応訓練を行っています」

『それが?』

「それが、とは? 調整はもうお済みということでしょうか? つまり――当官の軍法会議の際に、【フィッチャーの鳥】のロックウェル特務大佐が上官となっていたと聞き及んでおりますが……そちらからの意向と?」

『……』

「また、兵の死傷率に関するデータはご存知かと思われますが……宙間適応訓練自体が、そも、地上から宇宙に昇った際の死傷率の逓減を目指したための措置であります。確認ですが……その上で最終段階の訓練を取りやめ、急遽有大気下での任務に従事せよと仰っている、と」


 相手は、答えなかった。

 笑顔が僅かに翳った気がした。


『大尉、その……君は今まさに……ロックウェル特務大佐たちからの訴追を受けているのではないかな?』

「弁護士ならば手配しておりますので、ご安心を。実績がある方です」

『……、……君の所属はどこかね? 君は【フィッチャーの鳥】に属したのかな?』

「書面上は、ロックウェル特務大佐が上官と聞いておりますが。……法的にも。でなければ軍法会議の正当性の問題にもなる」

『まだ統合任務部隊は組織されていないよ。……宇宙に上がっていないとは、そういうことだろう?』

「では何故、ロックウェル特務大佐が訴追を? 確認ですが、法的に――つまり命令的にはどのような扱いが?」

『……』


 溜め息が、一つ。

 溜め息を吐きたいのはこちら側だ。

 命令なら、従う。命令でないなら従う義務もない。そんな契約だ。それだけの話でしかない。


『【フィッチャーの鳥】は、今回、パースリーワース公爵に呼び立てられた側だ。つまり、ある種の被告じみている扱いなのだ。……警護を彼らが担うのは無理筋だと、理解はできるだろう?』

「は。当然かと」

『そして……パースリーワース公爵の作った場なのだ。それがどれだけ政治的に重要な意味合いを持つかも、理解可能だろう?』

「は。存分に」

『では――……我々は、疑いなく最高の防備を整えなければならない。我々こそがその確かなる防衛を担わなくてはならない。そのためには君の力が必要だ。保護高地都市ハイランドは【フィッチャーの鳥】ではなく、あくまで彼らはその一部だということだ。……理解はできたかね』


 相手の言葉に、頷く。


『では――……』

「部下の命を有用に使うのが上官たる自分の役割です。自分からでは、宙間適応訓練の最終段階にある彼らではその――と提言するしかありません」

『……話は聞いていたかね? これは、我々にとっても大きな意味合いを持つ――』

「はい。……?」

『……ッ』

「というより、まさにその意味合いに対しての大きな瑕疵となりかねないという話をしておりますが。……再度の説明は必要でしょうか?」


 画面の向こうの机上で拳が握られていた。

 それを眺めつつ、午後からの訓練内容をどうすべきか考える。今から有大気下での機動に転換し直すことはできるだろうか。細かな会談の日取りはどうか。役割はどうか。連携が必要な部隊は。どれだけの規模か。警備体制の割り振りはどうなるだろうか。

 時間はあるのか。急速の場合どのような方法を行うべきか。そんな訓練の先例紹介やマニュアルはあったのか。

 コマンド・リンクスのシステム内に補助プログラムはあったか。信頼性はどうだろうか。挙動の確認をどうしたものか――……。


 脳内でざっと絵図を引き、外殻を作り上げる。


 必要とされるもの、想定されるもの、確認しなければならないこと、現状のリソース――……一人でブレインストーミングを行っているようなものだ。

 可能ならこの会話をすぐにでも取り止めて、ノートか何かに書き殴って整理したい。

 しかし、どう動くにせよ、正式な命令として届かない限りは難しいものだろう。でなければ現状与えられている命令への違反となる。職責に関係ない板挟みは避けたい。


『……なるほど。サーと呼ばれるだけあって、英雄と言われるだけあって、君は実に度胸があって勇敢らしいな』

「恐縮です」

『勇敢な騎士殿は、あまり、政治が得意ではないのかな。今回のような手を打っているが、【フィッチャーの鳥】という組織もそう長くは続かないだろう。……会談の結果によっては、その規模の縮小も大いに考えられる』

「は。……それに一体、何の関係が?」

『……仕える主を選ぶべきではないかな、という話だ。彼らが一時的に君の上官になっているのは、君を訴えるための方便ではないのかね? いいか、よく考えたまえ。彼らは君を訴えようとしているのだぞ。その意味を――』

「それでも、今は上官でしょう。


 心理的には異なるとしても。

 その指揮系統を飛び越えて勝手に行動していたら、軍隊は立ち行かない。

 戦場でのよほどの例外を除いて、あくまでも命令は指揮系統によってだ。そうでなければ行動の責任の所在が曖昧となり、法的にも武力的にも憚りが出てくる。


『……何が言いたいのかね? 何か不満があると? それとも見返りが必要という話かな?』

「いえ。命令は指揮系統によって行われるべきであるという話と、そちらの要望に応えるには現在の訓練内容からして懸念がある……という話しかしておりません。こちらがむしろ、どのような話なのかを問いたい所存です。あくまでも我々は、命令に従っているに過ぎない」

『……』


 相手が再び、深い溜め息を吐いた。

 それはこちらの気持ちだ、という気分になる。

 こっちを飛び越えて勝手に政治的な思惑で統合任務部隊の結成を計り【フィッチャーの鳥】の指揮下に入れたかと思えば、今度はそことは違うことをしろと命令外で伝えてくる。そこでどんな政治的な牽制をしたいのかは知らないが、知ったことではない。


 飲め、というのには無理難題だ。


 難しい話をしている訳ではない。実行には懸念があり、それでもやるしかないならやるだけで、やるからには正式に命令として回してこい――というだけの話だ。

 自分はともかく部下にとっては、責任の所在を明確にされなければ今後どのような批判や悪影響が及ぼされるか知れたものではない。

 或いはこんな態度が、その、悪影響になるかもしれないが――……。


『たとえ自らの部下ではなくとも……沈み行く船に乗るのを止めるのは、人道というものではないかね? それに私は君と同じ大学の予備士官候補課程出身でね。かわいい後輩への気遣い、というのもある』

「軍人である以上、あくまでも与えられたチケットの通りに船に乗るだけです。……海軍では、沈む船とも行動を共にするものも多いと聞きますが」


 戦略的には無駄と思うが、それも感傷の一種なのだろうか。自分は特に持たないものではあるが。感傷で死んでも敵は減らない。

 何にせよ、ただ、やるならやるで正式に命令を寄越せば従うだけだ――としか言いようがない。


『……我々は海軍ではなく、空軍だ』

「はい。……それも空中浮游都市ステーションへの駐留軍です。十分に存じております」

『……』


 目の前のホログラムの中の初老の男性が、笑顔のまま、声を僅かに震わせながら言った。


『……いい軍人は、中の政治にも敏感であるものだよ。人の繋がりは、思わぬ力になるものだ。……大切な物資が届くか届かないか、行動の是非を問われたり要望が通ったりするか否か、などね』

「は。……質問ですが」

『何かな?』

「そのいい軍人の、敵機の撃墜率は如何ほどでしょうか? 彼らの生存率は? 被弾率や損耗率、キルレシオなどもお伺いしたい。もし正確な数字がお分かりでしたら、部下の今後のためにも是非とも参考にしたいものですが……」

『……』


 返答は、なかった。


『……君の態度は理解したとも、サー・グッドフェロー』

「恐縮です」

『だが以前、君はパースリーワース公爵――彼女の父母も乗る航空機を護衛したそうじゃないか。追撃を行う敵機からの救援に駆けつけた……と。その時の縁だと、公爵側からも指定があったのだ』

「護衛……?」


 その言葉に、指折り数える。

 護送対象を明示された上でのエスコート。

 情報流出を警戒された上での匿名へのエスコート。

 どちらにも覚えがあり、そして前者ならばジュヌヴィエーヴの縁もあるため流石に忘れる訳がない。

 そんな条件から記憶を反芻し――……


(……ああ。護送対象は秘されていたが、あれがそうだったのか)


 あの【鉄の鉄鎚作戦スレッジハンマー】以後に違反部隊の処罰任務にも従事していた頃だろうか。

 その時もそんな粛清じみた任務を終えた帰路にて、友軍からの緊急救援要請を受けた。そのまま、敵機に追い立てられる重要護衛対象を載せた輸送機への掩護を行った。

 よくあるといえばよくある任務でもあった。

 荷馬車を守ることと荷車の中身を知ることは関係なく必要はない、と考えていたが――……それがあのパースリーワースだったとは。


 そうなるとその後、街で偶然出会ったあの高官も――つまり娘のピアノに誘ってきた彼らとその娘が、パースリーワースの一家だったのだろうか。

 ジュヌヴィエーヴとは、意図せず再会していた訳だ。

 情報漏洩リークを警戒してか、彼らは名乗らなかった。名乗らなかったし、その場での身分の追求を避けていた。

 だから己も言及しなかった。だが、そうだとは……そこで話していたら何か変わったのだろうか?


『公爵の側からも、強く要望があったのだ。……意味は判るだろうか?』

「彼女が何ら国防関係の官僚ではなく、指揮系統にないとは。……何にせよ、正式に命令をご発令ください。こちらから申し上げられるのは、現状での護衛は高いリスクを伴うということと、命令として発令されない限りは現状の訓練命令に対する背任となるということだけです」

『……そうか。もういい、大尉。君の態度は記録しておくよ』

「それはお手間を。……こちらでも会話は録音しておりますので、ご必要ならAIに文字起こしをさせます。提出先はどちらに?」


 答えは返らず、苛立たしげに通信が打ち切られた。


 結局、何がしたいのか不明だった。

 政治的な目論見があるにせよないにせよ、自分からできることはない。こちらに妙な探りを入れている暇があるなら、ただ、発令すればいいだけのことだ。

 まさか、自分から――とでも要望をしろと言うのか? たかがその辺の、掃いて捨てるほどもいる一大尉風情に? 自分が主体で? 上層部に?


 ……馬鹿馬鹿しい。


 政治的に何かを目論みたいというなら、止めはしない。自由だろう。いずれにせよ、発令をすればいい。それにかかるコストは、あちらが払うべきものだ。

 それもできないなら、諦めればいい。

 その筋も通さずに現場に投げられたところで、困る。

 自己の名の下に指揮系統の上位と――【フィッチャーの鳥】と論争をせよと要望されたところで、こちらには何一つ従う義務がない。

 軍事的な正当性の存在しない事態について、こちらが気を回す必要もなければ行動を起こさけなければならない合理性も存在しないのだから。


 あれから連絡が付かないマーシュがそう求めるならば、はさておき――……。


 そこを公私混同する気もなければ、こんな前例を作る気もない。あくまでも発令に応じるだけだと、部屋をあとにした。



 ◇ ◆ ◇



 そして訓練施設にて休憩を取る部下の下に向かえば、


「え゛……今度はまた大気圏下にっスか!? やっとこないだの戦いの影響抜けて無重力に慣れてきたと思ったのに!?」

「そうなる可能性もある、という話だ。上の思い付きなので何とも言えないが……あの分ではどうもその可能性は高いだろうな」

「マジっスか……嘘だろ……」


 当然、そんな反応だった。

 汗だくの身体にタオルを被せたフェレナンドはそのままベンチ上で深く頭を項垂れさせ、パックジュースを飲むエルゼは肩を竦めた。


「はいはい、文句言ってもペラ紙一枚で右から左に流されるのがうちら軍人ですよーブービー後輩。結局最後はこっちで何とかするしかないですからね。……でも先輩?」

「なんだろうか?」

「一応そこんとこは言ってくれたんですよね? 上からだからって二つ返事でいい顔してないです?」

「する必要がないし……どうもそのペラ紙一枚も出す気がないようだ」

「……何それ」

「俺からと要望した、という形を取らせたいらしい。そんなことを言い含められた」


 あの回りくどい言い回しを整理したら、そうなる。

 やれやれと、格納庫の中の機体を――無重力シミュレーターにて四方八方から支柱アームに支えられた機体を眺めた。

 この使用にも少なくないコストが発生していて、部隊の移動がされているというのに困ったものだ。おそらくはまあ、急遽の事案でありそこは同情すべきだろうが――


「は? なんですそれ? 馬鹿ですか? はあ? 発令の根回しもできねえ無能がこっちに丸投げすんなってーの。なんの為の肩書なんですか? というかそれめちゃくちゃ厄介なことになりません?」

「なる」

「勿論、先輩はそれを――」

「あくまでも命令を出せ、と言った。……すまないが、嫌がらせくらいはされるかもしれないな」


 あの手のタイプは、そんな公私混同をやるタイプだと見ている。それも多分――こちらにそんな話を投げてきたのも他に話を通してない独断専行で、だ。

 それで自分の手柄にでもしようと思っていたのだろう。その手の事例は何度か見たことがある。

 何故そんな人間がそのようなポストについているのか疑問でならないが、あれだけの戦争の後なので無理もないかと納得する。


「あー、何、あれかぁ……【フィッチャーの鳥】と別派閥で先輩の取り合い……的な? これだから戦果を挙げすぎられると困るんですよー、もぉー。エルゼちゃんを巻き込まないでくださいよー。慣れてますけどー」

「俺に言われてもな……。こちらからゾイスト特務大将に話を出しておくことは可能かもしれないが――」


 僅かに考え、


「そうなると、まさしく派閥争いにならないだろうか? 俺が、【フィッチャーの鳥】側の派閥だと」

「むっちゃ断ってるんで今更ですよ先輩……どう考えてもそうとしか聞こえないですって……」

「そうか。……そうなのか」


 別にそんな意図はないのだが……。

 単に、やるからには正式な手続きを踏めと言っただけなのにそうなるとは、人間社会や組織の煩わしさとしか言いようがない。

 或いはそんな煩わしさから身を守るためにも派閥はあるのだろうか。そうなると、卵が先か鶏が先かという話に思えるが……本当に面倒だ。仕事に集中させてほしい。


「面倒臭いっスね」

「面倒だな。斬って片付けられないのが、なお」

「……いや物騒なこと言わないでくださいって先輩。先輩の場合はガチで笑えないですから」

「俺は平和主義者だ」


 だいぶうんざりした気持ちになる。

 軍に従っているのは、だ。宣誓の通りに連盟旗の理念に忠誠こそすれ、何も軍そのものに忠誠を誓っている訳ではない。そこを履き違えられても困る。宣誓の文章に目を通しているのか甚だしく疑問だ。

 自分が必要とする技能と、立ち位置。

 その獲得のために軍に属することが最上である――というこちらの需要とあちらの供給。そしてこちらが差し出せる利益とあちらの需要においての取引と契約であり、そこに他に考慮に値するものなど存在しないのだ。


 合理性の外にあるものに、義理はない。筋もない。


 そのだとしても――――だ。

 そんな余計な視点や角度は、ハンス・グリム・グッドフェローには不要である。入れるべきではない。

 それを過度に入れなくてはならないと言うなら、己とあちらの契約はこれまでだ。需要と供給の成立しない取引に合意の価値はない。


(その筋も守られないなら、最悪は軍を抜けることも視野に入れるべきだろうか。。……この騒動の結末次第だろうが)


 よほど忠誠心が高い軍人だと思われているなら、不思議でしょうがない。一言もそんなことは口にした覚えはないのに。……どう連想したのだろうか。想像力が豊かだ。作家にでもなればいいだろうに。


「おーぐりー、困ってるの……?」

「ああ。まあ、多少は……だが」

「そう。……おーぐりーを、困らせる人がいるんだね。わたしのおーぐりーを……。そっか。……そっか」

「ラモーナ?」


 彼女は俯きがちに、そのまま口を噤んでしまった。

 エルゼが目配せをしてくる。

 理解している、と頷き返す。


「ラモーナ。軍隊である以上、そこに人間がいる以上は避けられないことだ。人が三人集まれば政治が始まる、という言葉もある」

「でも……おーぐりー、嫌なんでしょ?」

「ああ。馬鹿馬鹿しい話だと思っている。……だが、筋さえ通されればまだ飲み込める話でもある」

「……難しいよ、おーぐりー」

「困ったことがあれば、正式に援護を願い出るので安心してくれ。これは単なる情報共有であり、君に何か求めている訳ではないということだ。……万一のその時は、頼りにしている」

「……うん、おーぐりーに困ったことがあったら何でも言ってね? わたしとおーぐりーは……仲間、なんだから」

「ああ。……君に対応を呼びかけたいときは、これまでの通りにそう願う。これまで幾度と俺を助けて貰ったときと同じに、だ。……そうだろう、ラモーナ?」


 そう、かがみ込んで目線を合わせて言えば彼女は嬉しそうにはにかんだ。

 ラモーナは、どうも、群れに対する帰属意識や執着が強いタイプらしい。彼女が何かするとは思えないが、もしラッド・マウス大佐を通じるような形で呼びかけられたら困る。それこそ、派閥じみた争いになる。

 そんな事態を避けられて何よりだ――と胸を撫で下ろせば、


「……すけこまし」


 エルゼ。

 部下のメンタルケアをしてるだけなのにそういう言い方は酷いと思うの。

 大尉はそんな悪い人じゃないと思うの。年若い女の子に変な声のかけ方をするような常識のない大人じゃないと思うの。大尉は好きな人が別にいるの。ガチ恋営業とかする気はないの。

 何とかしろってエルゼから訴えてきたのにそれは酷いと思うの。大尉が誤解されてしまうの。……エルゼ?


「いや、それにしてもびっくりしましたねー。パースリーワース公爵って……まさかマーシュさんがそんな感じだったとは」

「マジっスか大尉!? 知ってたんスか!? 知ってて公爵の御令嬢とお付き合いを!?」

「いや……何も……」


 聞いてない。

 そして連絡も貰ってない。

 こんなことになって、完全に寝耳に水だ。


「え……隠されてたんスか。……よく耐えられますね。なんか恋人にそれやられるのってかなりショックじゃないっスか? 恋人なんスよね? ローズレッド先輩が言ってたっスけど」

「いや……恋人でもない……」

「え」

「……ん?」


 なんでそうなる?


「ほらほらー、やっぱり違ったじゃないっスか先輩。大尉に限ってそんな訳ねえっスよ。そういう浮ついたこととか興味ない硬派なタイプなんスから」

「ははは。はははー? あたし恋人だって言いましたっけー? ねー? 二人が恋人になったらなー……というか当人にその話すんなって言いましたよねブービー」

「えっ、えっ、そうだっけ……!? やべ……」


 襟首を引っ掴まれたフェレナンドが、ズルズルと手摺り近くまで引きずられていく。

 ナイショの話なのかな。男女が二人っきりで顔を近付けているとドキドキする。ただ今は違う意味でドキドキしてる。欄干が近い。フェレナンドが階下に落とされるんじゃないかとドキドキしてしまう。……ハラハラか?

 ラブなのかな、二人は。どうなんだろう。恋バナかな。


「それとなくめちゃくちゃ探り入れられたし、なんかマーシュさんが健気な感じだったからあの二人さっさとくっついてくれって言っただけでしょーが! エルゼちゃんはよりにもよってあのポンコツバカ犬先輩との仲とか勘繰られたくねーんですよ!」

「えっ、あ、そういう感じだったんスか!? てっきり大尉に横恋慕したローズレッド先輩から、付き合ってるあの二人をそれとなく別れさせようとしてると思って……」

「なんで真逆に伝わってるんですかこのクソボケブービー!? だからエルゼちゃんはコイツ狙いじゃないっつーの! お金貰っても願い下げだってーの!」

「あ、それ照れ隠しじゃないんスね……よかった」

「何もよくねえって状況見て言えます!?」


 ……聞こえてるんだけどな。

 かなしい。エルゼは反抗期になってしまった。

 戦時中はあんなに相談に乗ったり元気づけたりしたのに。仲良くやってたと思うのに。

 とてもかなしい。

 慕ってくれてたと思ったんだけどな。かなしい。


「あ、あのね……おーぐりー?」

「……なんだろうか、ラモーナ」

「わ、わたしはその……お、おーぐりーみたいな人……いいと思うよ……? ほ、本当だよ……?」

「そうか、光栄だ」


 少女に気を使われてしまった。すごいかなしい。


「うわ朴念仁」


 なにが?



 ◇ ◆ ◇



 Q:どうしてフェレナンドさんは誤解したんですか?


 A:「『手料理で攻めてみるとかどうですかね?』って機械油で取っ手が炭化したローズレッド先輩のフライパンと異物の写真を見せられて、おまけにマーシュさんに手料理として『魚と野菜と果物とナッツと牛乳をミックスしたスムージー』を勧めたって聞いて、すげえ女の陰険な嫌がらせかと思ったんで」



 ◇ ◆ ◇



 ホログラムでの会談が終わる。

 艦長室に座した俳優めいた焦げ茶色の髪の男は、やれやれと肩を竦めて――そして同じくホログラムウィンドウの向こうの剥げ頭へと問いかけた。


「さて、どうしますかねえ?」


 今回の三頭会談に際して行われた【フィッチャーの鳥】内部での会議。

 様々な条件や前提の確認を行った上で、ヴェレル・クノイスト・ゾイスト特務大将は、言った。


『……くれぐれも、卿らも余計な手配はなきように』


 そんな言葉だった。

 この機に、敵に仕掛けるなと言う。

 案外【フィッチャーの鳥】がそう長くはないと、その主本人が考えているのかもしれない。思い詰めたような表情だった。

 そして、その投げかけをキャスパー・ロックウェルからされた通信相手は、


『動くな、と言われたら動くなということだ。ロックウェル』

「おや。……まさかイケイケハゲおじさんからそんな言葉が出るとは」

『ハゲとは違うのだよ! ハゲとは! だから私は剃髪であって禿頭ではない!』

「ええー? ほんとぉー?」

『嘘をついてどうする! ハゲは隠すからハゲなのだ! 隠さなければハゲであっても恥ではない! 私に後ろめたいところはない!』


 このおじさんまた髪の話してる……。

 そうも髪の話題が出るあたり、やはり実際は相当頭皮の侵食が進んでいるのではないかとロックウェルは思っていた。シュヴァーベン本人は否定するだろうが。

 ハゲと言う方がハゲという話があるが、ハゲでないと言い張る方がハゲである。つまり極めて怪しい。ハゲとハゲでないことに強く拘っているあたり、非常に怪しかった。なんの話だろう。

 咳払いを一つした縦に海賊傷の刻まれた火傷顔のおじさんは、


『……フン。ここで何かを起こしたときの批判の矛先がどう向くかなど知れているだろう。我々がパースリーワースを用意したものではない以上、どうとでも使える。……言ってしまえば、これを機に保護高地都市ハイランドからの尻尾切りも可能ということだ。あくまでも【フィッチャーの鳥】が勝手に行ったことであり、本国は無関係だとな!』

「はあ。……悲しきは勢力争い、ですねえ。せっかく敵の親玉が雁首揃えて来てくれるというのに」

――というのがそも軍人にとっての汚点なのだ! こうなってしまった以上は、ある程度のルールに従わなければならない!』


 意外にもマナーがいいのだな、とロックウェルは目を丸くした。

 てっきり、この機にまとめて叩き殺してやれば良いのだ!――と威勢のいいことを言うかと思っていたのに、半ば裏切られた気持ちになる。


『問題は、間違いなくとどの勢力も見るということだ。木っ端のカス共もそうだ! どうせやることもないデモ隊の連中共もこれ幸いと集まってくるだろう……そこで何かを起こせば、暴徒に早変わりだ! 我々がすべきはその暇人のクズ共の取り締まりと、暇人のクズ共に火を放つカス共の取り締まりだ!』


 言葉は過激であるが、要するに、つつがなく会談を終わらせる手配をしろ――――とシュヴァーベン特務大佐は言っていた。

 このおじさんの苛烈さの方向性を見誤っていたな、とロックウェルは内心で脱帽しつつ、


「流石。……案外大佐より上も似合ってるかもですねえ、特務大佐殿」

『おためごかしはやめろ! それよりも我々がすべきは、あのクソ宇宙人エイリアン共の摘発だ! 周辺地域の捜査に人員をもっと注ぎ込め! くれぐれも何事も起こさせるな! 多少強引でもいい!』

「あ、ハゲのおじさん。……それあっちの狙いじゃないですか?」

『何がだ! そしてハゲではない!』


 認めないなあ……。


「いやほら、それで強引に摘発したところを映してこう言うんですよ。『このように』『フィッチャーの鳥は』『残酷である』――って」

『知ったことか! くだらぬ評判を気にして、会談をブチ壊されてどうする! ならば言えばいいのだ! 会談の発表を境にこれだけの不穏分子が存在しており、我らはそれを事前に押し留めた――とな!』

「なるほど。印象操作、ですかねえ」

『そこはお前の仕事だろう、ロックウェル!』


 くれぐれも上手くやれ――と投げられて、通信は切られた。まあ、その辺りは事実としてロックウェルの担当ではあるのだが……。


(……さて、私はどうするべきですかね)


 思った以上に自分の派閥が追い詰められている、とロックウェルは吐息を漏らした。潮時ではないか、と。

 いっそ、これを機に全てを焼き払ってしまえ――と言われたならば、どれだけ安心できただろう。

 それを言わないということは、言えないということは、つまりはその力がないということだ。その立場がないということだ。


 コルベス・シュヴァーベンは必要さえあれば――そして可能ならば人民の肉楯すらも行う男だ。

 逆説的に言うなら、と言っていい。

 ここで秘密裏に敵の首魁全てを葬って終わりにはできない。その程度の民主性も倫理観も人道性も残されている――いいや、程度に組織の秘匿は破られた。


(問題は、周りもそう見てくれるかということです。……もしここで下に短気を起こされて、勝手に『』なんてやられたらどうなるか――多いんですよねぇ、歴史的に。この手の節目には)


 心底うんざりと腹から吐息を吐き出した。

 特に【フィッチャーの鳥】は急増の部隊と言える。事実として質が悪い兵士も取り込みながら成長しており、育ち過ぎてしまった過剰なエリート意識が何をしでかすか判らない。例えば空中浮游都市ステーション衛星軌道都市サテライトの駐留軍が素行不良を起こしたという話は日常的に聞かれている。

 どうしても急進的に事を進めなくてはならなかったが故の弊害。

 これまではそれを本隊には関わりない連中のことだと黙認していたが――……それに巡り巡って悩まされるとは。人が見たら、自業自得と言うだろうか。


(……くれぐれも勝手な動きをしないように言い含めておかなければ、ですかね。ああヤダヤダ……自分とこの作った物語で自家中毒を起こすなんて、まさに衛星軌道都市サテライトの末路と同じじゃないですか)


 それともそれは、人類の宿痾しゅくあなのだろうか。

 そう悲観したくなる己を首を振って追い出し、ロックウェルはホログラムウィンドウに向かい合った。


(誰が抱き込んだかも知れないパースリーワースのお嬢さんに状況を丸投げするのは下策。かと言って、結論が出されてしまってからテーブルをひっくり返したところで趨勢は覆し難いものですし――ふむ。貸しと恩ぐらいは作っておかないと、今後の私の立ち回りにも関わってきますね)


 あくまでも、組織に付き合って死ぬだけの気概はロックウェルにはない。

 まず、自己の生存を。

 そして、宿主の生存を。

 その視点は変わらず、人まずは自己と宿主に役立つ方向で物事を進めようと思案する。


「……ああ、私です。そうです。グッドフェロー大尉の訴訟内容について相談が――」


 静かに呼びかけつつ。

 それでも大船が沈み行く前に逃げ出すネズミのような心地を、キャスパー・ロックウェルは拭えずにいた。



 ◇ ◆ ◇



 黒いロングドレスに身を包み、溢れんばかりの豊かな長髪を波打たせた美貌の少女が、壇上で声を上げる。

 それは独唱のようでもあり、一つの悲劇めいてもいた。

 終戦の調印が為されたレヴェリア。

 そこに立ち会うことのできなかった父に代わってパースリーワースの名を背負った少女が立ち入るというのは、それだけで、何か筋書きの作られたドラマめいている。


 人は、物語を好む。


 物語と共に生きてきた存在だ。

 故に、その少女もまた――そんな悲劇や感動劇の類型に組み込まれた。無念に終わった父の理想を継ぎ、闘争に向かっていく世界を止めに現れたと、そう見做された。

 人は、そんな神話を好んだ。


 その――録画された映像が流れる室内。

 前時代を思わせる落ち着いた調度品の中でホログラムが浮かび上がる。


 それを尻目に、一応の護衛役として――ある名家に保護されていたというマーシェリーナと、そんなことを行えるに足る程度の家名を持つコンラッドの護衛を務めるという名目で呼び出されたエディスは、呟いた。


「これでアンタは、否応なく表舞台に立つしかなくなったが……良かったのかい、お姫様?」


 そんな彼の問いかけに、マーシェリーナ・パースリーワースは憂いがちな表情から僅かに口を開いた。


「……夜中にふと起きるわ。その時、私が何を考えているか分かる?」

「さてね。一体何を?」

「どうしたら朝まで飛び降りずにいられるだろう、とか。銃を持ってなくて良かったわ、とか……そんなことよ。目覚めてしまった夜は長いわ。笑い声が、消えないのよ」


 エディスの表情が固まる。

 彼女はそのまま、続けた。


「犬でも飼えばよかったかしら? 似たようなものは、しばらく近くにいてくれたのだけれど」

「あー……」

「たまに抱き締めると、抱き締め返してくれていたわ。眠ったままだったけど。……暖かかったわ」


 いい思い出を語るような口調ながら、その橙色の瞳は酷く冷めたような視線だった。

 マーシェリーナが、ホログラムの己に手を伸ばす。

 強い口調で、毅然とした態度で、如何にも貴族の娘であり――これからの時代の指導者に相応しく見せるような、映像の中の己へ。


「画面の向こうで私を見てほくそ笑んでいるかもしれないわね。――って」

「……すまねえ」

「あら、どうして貴方が謝るの? それとも、貴方も私に良からぬ欲求を抱いてらっしゃる?」


 途端にその冷たい美貌が、蠱惑的な表情を作る。

 男を誘う流し目。

 誘わなければ生き残れなかったという、そんな目。


「あいにくだが、嫁一筋でね。――いや、その、元嫁だが。……そういうお誘いはご遠慮願いたいね、公爵令嬢」

「令嬢、ではなく今は私が公爵よ。ゴールデンオーガ?」

「覚えとくよ。その気がありゃな」


 話していて、どうにも気分が悪くなってくるとエディスは思った。

 蠱毒だ。

 彼女は、蠱毒なのだ。戦争という人々の悪意の汚濁の中で作られた蠱毒。権力闘争や陰謀、支配欲や悪意のはらの中を生き抜いて生まれた一匹の虫。

 彼女の首輪は、外された。

 咽返るほどの女の匂いと染み付いてしまった悪意の匂いを漂わせて、その美しき獣は歩む。


 そして、そんな獣を解き放ってしまった主は――


「ふ、安心したまえ。既に粛清済みだ」

「そ」

「自分で手を下せず、残念かね?」

「……言ってもないことを勝手に代弁しないで。グリムとは大違いね。女性に好まれたいなら、見倣うべきよ」

「……そうかね。ふ、ふ。見倣うべきかな?」


 貞淑な笑いを零すマーシェリーナと、含みある嗤いを零すコンラッド。

 何故この二人に挟まれることになったのか。

 心底居心地が悪いと、エディスは内心で額に手を当てるしなかった。

 やがて、コンラッドが動く。


「さて……そろそろ頃合いかな」


 彼の視線に合わせるように新たに浮かび上がった青白いホログラムヴィジョン。

 それは遠隔通信であり――


『大佐。終わったけど』


 その電脳の窓の向こうに佇む狩人。小柄に不釣り合いなほどの巨大すぎる――解体工具めいた斧剣を担いで、大口径のハンドガンをぶら下げた銀髪ツインテールの少女。

 エコー・シュミット。

 ラージチャンバーのその二つ名の通りに、至近距離からの巨大な接射に穿たれた強化外骨格エキゾスケルトンたちが沈黙していた。

 水着ビキニの上にミニスカートと無骨なコートを被ったその軽装の少女が為したと思うには、あまりにも現実感がなく悪夢じみている。


『な、何故こんなことを! これは明らかな越権行為で――』


 ヒステリックに叫び上げるスーツ姿の中年女性。

 彼女を前に、椅子へと腰掛けて足を組んだコンラッドが微笑みかけた。


「ふ。……振る舞うのは、そうは得意ではないのかね?」

『何を――』

「既に分析から答えは出ている。誰の、どこから情報が漏れ出たのか。……それを辿れば、はそう難しくないのだよ。ウィルへルミナ・テーラー」

『……』


 信じがたい人格支配の権能。

 ハンス・グリム・グッドフェローからのその報告に対し、軍は未だに有効な理論を持ち出せてはいない。

 ライラック・ラモーナ・ラビットやあの衛星軌道での戦いを分析して、科学的な証明を行おうとしている段階であるが――――……コンラッド・アルジャーノン・マウスは違う。


「ああ、無駄なことはやめたまえ。……人格を無限に発散されてしまっても構わない、というならそれもいいだろうがね。……ふ、角度のあちら側に進んで自我を保てるとは思えないが。猟犬でさえ、鋭角の線引きをするものだ」


 得意げなその言葉と共に、画面が音声のみに切り替わった。

 エディスが最後に見たのは、敵意の眼差しを向ける中年女性であり、それはつまり――


『……わざわざ私を探し出して、何が目的だ?』

衛星軌道都市サテライトも一枚岩ではない。……君たちはあくまでも一勢力でしかなく、代表者や代弁者ではい。そうだろう?」

『わかりきった結論の問いかけか? 保護高地都市ハイランドの大佐とやらは、随分と閑職なのだな』


 先程までの女性の口調が変わる。発音から音程から、変わる。

 それが、ウィルへルミナ・テーラーという個人を再現したものなのだろうか。悪霊憑きめいた状況はエディスには些か信じがたいものであったが、他の三者は違うらしい。

 全員がそれを疑いないものとしているふうに見えた。少なくとも、内心はどうあれ外からは。

 そして、


「私なら、君たちを一枚岩にできる。……。それは、聞く価値もないことかな?」


 そう、隣で椅子に座した男は笑みを零した。

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