第130話 ブリンディッジ・シティ騒乱、或いは思索なる死神と敬虔なる神父


 保護高地都市ハイランドを構成する十三州――。


 ハイランド・ローレンシア州。――北米カナダ楯状地。

 ハイランド・ゴンドワナ州。――アフリカ卓状地。

 ハイランド・アウストラリス州。――オーストラリア卓状地。


 ハイランド・クマニア州。――東ヨーロッパクラトン。

 ハイランド・ノルディア州。――フェノスカンジア楯状地。

 ハイランド・エリクス州。――グリーンランド。

 ハイランド・アマゾニア州。――南米大陸:アマゾン楯状地・ギアナ楯状地。


 ハイランド・グレートセリカ州。――中国クラトン。

 ハイランド・アーリヤヴァルタ州。――インド楯状地。

 ハイランド・アラビス州。――アラブ・ヌビア楯状地。

 ハイランド・タイガニア州。――アンガラ楯状地。

 ハイランド・アンタルティカ州。――東南極クラトン。


 ハイランド・アルビオン州。――英ミッドランド・クラトン。


 中には州として指定されながらも、隣接する山脈――造山帯の噴火や頻発する地震によって可住領域の著しく限られた州もある。

 そもそも居住を前提として居らず市民や議員を持たないアンタルティカ州のような州もある。

 また、マグマ対流活発化に伴う全地球規模での温度上昇、海面上昇、旱魃、暴風雨やハリケーンなど気象現象の悪化やそれに伴う疫病や疾病の影響も強く受け、以前より農耕可能地や居住可能地が変化した地域もある。


 それ故――……多くはその州面積に対して都市領域が限定されており、また指定農地や指定緑地などにより、大都市に人口密度が著しく集中する傾向にある。


 このうち五州は【星の銀貨シュテルンターラー】戦争にて地上部が壊滅的な被害を蒙り、今なお深刻な重金属汚染に苛まれている。



 ◇ ◆ ◇



 七日に渡り、

 七機の衛星が、

 天空を七度巡り、

 大いなる七つの都市と城壁ごとに、

 戦を告げる七発の炎の杖を撃ち込んだ。



 降り注いだ三百四十三の聖弾――。



 故にこれを、【炎の七日間フレイムアームズ】と呼ぶ。


 一発が戦術核兵器を超える破壊力の齎した粉塵は、四十日に渡り天を覆い尽くし、降り注ぐ重金属雨は地表を逃げ場なく汚染する。

 また、高温の蒸気が引き起こす大規模な積乱雲による終わりのない雷雨が都市部を直撃。

 偏西風等の影響によって集中した雨雲のため、一部の都市は無数のハリケーンと豪雨により大きく床上まで浸水または沈没し、事実上の壊滅被害を被ることになる。


 彼らが逃れる先の箱舟アークは、なかった。



 ◇ ◆ ◇



 眼下に広がる雲海を眺めながら、三機の銃鉄色ガンメタルの古狩人が空を往く。

 その飛行高度に到達する雲はなく、行く手を遮るもののない青空が全周モニターに映し出される。

 見る人が見れば、いずれも軽装のアーセナル・コマンドと言うだろう。特にその小隊長機が両の大楯めいたプラズマブレード発生器しか装備していないあたりがその印象を強くする筈だ。


 ホログラム図表に示される指定空域。

 ハイランド・ローレンシア州――アシュランド郡、ブリンディッジ市。


 かつては北米大陸と呼ばれたその土地の北部に位置するその市は、温暖化によって農耕地域の変化したローレンシア州においては食料品などの生産地にして流通拠点として栄えている。

 北米大陸の中央部――大草原プレーリーの地下に存在するという軍事中心地:地下都市アナトリコンや、行政中心地ニュー・コロッサスにほど近いこともあって、その戦略的な価値は知るべきだ。


 まだ封鎖されぬ無線の中、軍用の衛星リンクを通じて音声と映像がコックピットに浮かび上がる。


『耐え忍んだ我々を置き去りに宇宙の彼方へと足を運び、今になって我らの下に現れた【蜜蜂の女王ビーシーズ】などに、我ら大いなる宇宙の仔らアステリアスの命運を任せることなどできない!』


 軍服を纏って拳を振りかざす男の瞳は、ある種の人間たちに共通するような据わったものである。

 つまり――とうに物語に組み込まれた人間。

 己の生み出した、誰かの生み出した、何かの物語に囚われてしまったという異様な眼光。

 男は、続ける。


『機に敏き者は、利にも聡い! 奴らは利さえあれば、あの忌まわしき【フィッチャーの鳥】への助力も行う……一体、それのどこに踏みにじられた我らの義憤があると言うのか! 我々は戦の利によってではなく、戦の義によってこそ立つものである!』


 その後も文言が続いたが……纏めてしまえば、つまり、残党勢力としての正当性の主張のようなものであった。

 録画か、それとも生配信か。どちらにせよ、それが今回の出撃の原因であることに間違いはない。

 それを前に、無線に溜め息が乗った。


「……何言ってるんですかねー、この人たち。ブービー後輩ちょっと翻訳してみてくださいよ」

「や、ちょっとオレも正直……」

「はー、やだやだ。脳みそが完全に火星にイっちゃってる人たち……っと今コレ差別用語になっちゃいますか。ええと、まー、オトギの国の人たちは幸せそうでよろしいことで。敵同士が協力しないってのはいいことですけど……」


 そのまま、己の後方左右を固める小隊の二機は取り留めもない話に興じ始めた。


 衛星軌道都市サテライトの残党による備蓄・流通拠点のブリンディッジ・シティに対する都市部テロ。シティ・ジャックとでも呼ぶべきか。

 その要地の戦略性を考え、周辺地域の強襲猟兵は非常事態対処を命ぜられ――自分たちも、宙間適応訓練を取り止めて任務についていた。

 既に周辺空域の封鎖や迂回が通達されているのだろう。途中で航路を変更して別の空港に向かう旅客機と、既に何機かすれ違っていた。


(……戦闘の緊張からか、やはり雑談は増えるか。今も助けを求める救助者のことを思えば止めたくなる気持ちもあるが……水を注してもな。ガス抜きは、できる内にしておいた方がいい)


 こちらが如何に深刻ぶって真剣ぶったところで、機体の速度が増える訳ではない。

 指定時間に指定空域に到達するという、それが肝心だ。可能な限り早くと言われぬ限りは、到達を早め過ぎるのも作戦への悪影響となる。

 定時に、定点へ――。

 何とも歯痒さがあるが、空軍の任務とは概してそんなものも多い。


(……被害状況は、どんなものか。敵の良識に期待するほど愚かなことはない。……せめて市民に手が出されていなければいいが)


 唸り声を上げそうになる内なる己を諌め、その首輪の鎖を握り締める。

 つい数ヶ月前までは平和に暮らしていたのが嘘に思えるほど、近頃の動乱は酷い。何一つ疑いがなく――後世から見れば、これが歴史の転換点だと評されるほどに。

 しかし、如何に歴史書で嵐めいた時代と語られようとも今そこには現実に市民がいる。記される歴史の一ページの中の文字は、推し並べて血と命のインクを持つのだ。

 今はただ、少しでも彼らの被害が少ないことを祈るしかなかった。

 あの戦争で起きたような虐殺や暴力が、吐き戻したくなる地獄の光景が、この世に再び顕現しないことを願うばかりだと拳を握り――――……気付く。


 祈る? 願う? ……この自分が?


 思わずそうしていたことに愕然とした気持ちが湧く。

 よもやそこまで、そこまで己の規範から逸脱したか?

 そうしてしまうまでに、己というものの根底は揺るがされてしまったのか? メイジーの死と、マーシュの正体と、シンシアへの想いで?


(……或いはかつて、その解放に関わったこともある都市だからか。俺にそんな感傷があるとは、我ながら思えないが……)


 少し己自身というものを覗き込んでから、小さく頷く。

 ……問題ない。確信が持てる。確信が持てた。

 己が彼らに関わったことがあるから気にしている訳ではない。仮に何の関わりのない都市であっても、きっと同様に考えるだろう。そして行うことは何にせよ変わらない。


 そんな、理念。

 そんな、在り方。


 シンシア・ガブリエラ・グレイマンという個人への想いの自覚から、己にもを生む感傷というものがまた芽吹いてしまったのではないかという懸念があったが――どうにもそれはないようだ。

 つまり己は、依然として己の要求水準を満たしている。

 そのことに、僅かに安堵した。

 刃を鈍らせるものを積むだけの余裕は、非才のこの身にはない。――――同時に彼女への想いがこの刃を鈍らせることがなく、故に今はまだそれを捨てる必要がないことへの安堵も。


「ねえ、先輩はどう思います?」


 無言で居すぎたためだろうか。

 短距離通信波に乗って、彼女たちの雑談の矛先は自分へと向けられた。


「彼らの物言いは今に始まったことではないが、それにしても……不可解ではある」

「不可解?」

「……」

「もしもーし、先輩? ケーキ食べられなさすぎて馬鹿になっちゃいましたー? お返事はー? かわいいエルゼちゃんのお耳がお暇してますよー? せんぱーい? せーんぱい? 先輩ー? ……このクソボケ猟犬野郎ー?」


 エルゼからの呼びかけも半ばに、再び思案する。

 戦時中に幾度も覚えた違和感。

 孤立する敵を殲滅する際――そんな任務内容のまま、逆包囲をかけられたときに。或いは、解放に向かった都市の地下に力場利用型の大型爆弾が仕掛けられていたときに。こんな感覚を、味わった。


(……保護高地都市ハイランド全軍が乗り気ではないにしろ、少なくとも徐々に正規軍へ宙間順応訓練は進められている。もう少し待てば地上戦力も減り、より占領は容易であったろうに……。しかし、その情報を知らぬと見るにしては……防衛線の侵入までの手際が良すぎる)


 仮にも、相応の防備で固められている重要拠点だ。

 軍内部の予算の問題があるにせよ、駐留する陸軍のモッド・トルーパーは力場によらない重装甲に改修されたものも多く、また、攻撃力という意味で言えば第二世代型アーセナル・コマンドの大半の力場を一撃で貫く大口径コイルガンも装備しており防衛には不足はない。

 正直なところ、占領の一報が届けられたときは信じられぬ気持ちも多かった――――そしてそれは、今もだ。


(【蜜蜂の女王ビーシーズ】への備えでもある宙間順応訓練にも停滞が生まれた。彼女らを異なる勢力や邪流と主張しながら――……結果的に彼女らに利しているとも見えなくもない。偶然か?)


 それを偶然と片付けることができぬのは、ウィルへルミナのその権能が故だ。

 今のところ条件については、彼女との直接的――或いは機体越しなどの有視界下による接触としか推定されていないため、細かくは不明である。

 だが、もし仮に今回の事案も彼女に関わるものであるなら、直接戦闘以外においては恐るべき技能と言う他ない。

 そしてこうした残党の過激な宣言によって、それらテロリストと彼女自身を異なる枠組みに置けるとすれば、この襲撃についても十二分な理があることになる。


(……こういうとき、ただの一軍人モブでしかないことが歯痒い。事件の中心に居られない――……そこで打てる手というものが、どうにも限られてしまう)


 そうしない方法も、きっと選べた。

 ただ、選ばなかった。

 鋭い刃は、寸分違わずその首を刎ねなければならない。そこに賭けは必要ではなく、勢いも不要であり、ただ理だけがあればいい。放たれるからには、確実に息の根を止めなくてはならない。仕損じてはならない。そこに人の命が関わる以上、過ちがあってはならない。


 それを見誤ったからこそあのように不用意にメイジー・ブランシェットの人生に踏み込み、そして様々なことに失敗をして、挙げ句に彼女のそれを終わらせた。

 全ては、己が為すべきことを誤ったせいだ。

 不確かな道を歩くが故に、刎ねるべき首を定めずに研いだが故に、勝利条件を曖昧にしたが故に、己が抜き放たれる瞬間を間違えた。


(……そうだ。苦難を前に、俺は多くを見誤った。実力の不足からも間違えた。……思えば俺がすべきだったのは、あの日、皆と共に【雪衣の白肌リヒルディス】を撃ち落とすことではない。誰か一人を宇宙に送り出すことではない)


 ずっと考えていた。

 何度も検討していた。

 どうすればマーガレット・ワイズマンが死ななかったのか。そして、的確な答えが打てたのか。

 やがて、答えを得た――――いいや違う。答えは初めからそこにあった。己自身はとうにそれであった。ただ、


(誰かにあれを任せ、そして、俺が衛星軌道都市サテライト本国を血祭りに上げることだった。それが最も合理的で、効率的な手段だった。……俺は目先の苦難に呑まれ、何もかもを間違えた。俺の視点には、余計な角度が多すぎた。己の有用性を、俺自身が理解しきれていなかった)


 理解している。実感している。

 己は、元来は非合理的な人間であり、感情的な人間であり、怠惰な人間であり、脆弱かつ凡庸な人間だと。

 そしてそれを取り繕うことにも気力がいる。あまりにも労力がいる。苦難や疲労を前に感情を波立たせられ続ければ、いずれ、それもできなくなる。

 故に――――。それしかない。


(そのためには、やはり、斬るべきものを明確に定めなければ話にならない。本物の我慢強い人間のように目標のない徒労に耐えられるだけの忍耐強さはない以上……俺はそれをすべきだった。あの戦争において、俺は、俺の運用を誤った)


 ともあれ――思考を打ち切り、浮上する。

 あまり沈黙を長引かせれば、戦闘に臨むエルゼやフェレナンドを緊張させてしまいかねない。


「……何にせよ、敵ながら見事な手法だ。アーセナル・コマンドという強襲兵器である基本を逸脱しない程度には、その愚かさも弁えられるものらしい。器用な狂気だ……実に感嘆に値する」

「言い方ァ!」

と褒めたが……何か問題が? エルゼ……ひょっとして、その、何か、緊張や不調が……? 大丈夫か、無理をしているのか……? 辛かったらすぐに伝えてくれ……俺はちゃんと配慮する」

「……………………………………コイツ」


 何か言いたげなエルゼに代わって、フェレナンドの問いかけがきた。


「言動はアレでも能力はそれなりってことっスか?」

「……言動はきっと、罪悪感の転化によるものだろう。あれだけの人間を殺した戦争の当事者と断ぜられれば、そんな形の精神安定しか図れないはずだ……。それは、能力の指標にはならない。ただ――」


 同時、コックピットに届いた友軍からの大規模な発令。

 赤から緑へと移り変わった浮かぶホログラムの文字は、武器の制限開封を意味している。

 コンバット・クラウド・リンクを通じて――広域に呼びかけられる戦闘開始の合図。

 つまり、


「強襲は元来、こちらの得手だ。その点が誤りに過ぎる」


 同時、こちらも速度制限を捨てる。

 奥歯を噛み締め、力場を全開に加速を行う。

 あとは、猟犬の時間だ。

 即ち――――襲いかかり、喰らい尽くすこと。


 アーセナル・コマンドという兵器に求められた、設計理念のその通りに。


 三機の古狩人オールドハンターが、戦場めがけて蒼穹を疾駆する。









 コマンド・リンクスという機体の設計理念コンセプトは、至ってシンプル極まりないものだ。


 硬く、強く、速い――――その達成を目指したもの。

 コマンド・レイヴンの六十五%増しのジェネレーターの生む電力と、ボーア半径の小さい異種原子という性質を活かした流体ガンジリウム高濃度圧縮循環装置。

 それらが許す単純にして強力な《仮想装甲ゴーテル》は、高機動と重装甲と高火力を成り立たせる。


 本来ならば、その制式武装は重火力機と呼んでもいい。


 機体背部の長銃身プラズマカノンと六連バレル・ガトリング砲、腕部の連装レールガンと磁場投射型グレネードランチャー、脚部一対の力場利用型の近接ブレード。更には腰部にウェポンマウントも有している。

 言うなれば、ロビン・ダンスフィードの火力とマーガレット・ワイズマンの速力を両立させる機体だ。

 それでいて力場も含めたその装甲がコマンド・レイヴンより強固であると言えば――如何に強力な機体であるかは知れるだろう。


 事実として、それは、第四世代型試作機【ホワイトスワン】を上回る総合力を発揮する。


 あの【ホワイトスワン】という機体は有機的な力場の利用を旨として設計された機体だ。つまりは本来、その力は量産性――――コストを抑えつつも十分な《仮想装甲ゴーテル》の成立と、その電力余分による火力の発揮を見込んでのものであった。

 無論ながらその性能自体も、個としてもそれまでの機体を凌駕している。

 要するに、正確に言うならばコマンド・リンクスはあまりにも費用対効果の悪い――――つまり、を、資金投入によって無理矢理に第三世代型で上回った機体と呼んでいい。


 故に――コックピット内のホログラム戦地ヴィジョンから、次々に光点が減っていく。


「……あーこれ、こっちの出番あったんですかねー?」

「……」


 呟くエルゼの言葉の通り――まだ僅かに距離のある青深き空域のその向こうの戦地では、今頃、まさしく圧倒的と言っていい光景が起きているであろう。

 超強襲攻撃型として作られたコマンド・リンクスは、おそらくあの、【アクタイオンの猟犬ハウンズ・オブ・エークティオン】という作戦や戦法の正当なる後継であろうか。

 単機または少数機ながらに敵の警戒線を圧迫し、防衛線を強襲突破し、その衝撃力を以って混乱と動揺を与える。


 コマンド・レイヴンが敵の少数機を削り殺して防ぐという盾の機体ならば、コマンド・リンクスは迅速かつ少数にて敵要地や拠点を速やかに壊滅させる槍の穂先だ。

 それは例えば今回のように、占領型の都市部テロに対しても有効に使われるだろう。陽動としても、本命としても。ある種の空挺団や高速騎兵のように。

 それが、この結果だった。


「呼ばれた意味あります、これ? 無駄足じゃないですか」

「オレは……まだこの機体に慣れてないから、逆にちょっと安心っスけどね……それに何か宇宙への適応訓練ばっかやってたから、重力がある中ってのが逆にどうも……」


 フェレナンドの言葉通り――宇宙上がり、或いは大地下がりという状態こそが最も危険だ。最新の管制AIによる補助があっても、そもそもの機動の考え方さえ異なってくる。

 チラと、二機を眺めた。

 どちらも制式の装備とは異なる軽装型は、まさしく狩人と呼んでいい風情だろう。

 背部武装を持たぬのは、こちらに速度を合わせさるためでも何か練習などのためでもない。単に、機種転換も半ばであり複数武装への十分な慣熟ができていないことと、機体自体に未慣熟のために装甲へと回せる電力を増やせるようにしたためだ。軽装であるが、逆説的に装甲は厚い。


「……ドミナント・フォース・システムについては、まだ現場で使えるほど慣熟できていない。緊急時のバトルブースト方向のみに適応設定を。……今一度確認しろ」

「了解っス! ノーフェイス3、限定的適応確認!」

「了解! ノーフェイス2、同じく確認!」

「ノーフェイス1――確認了解」


 二機の応答の確認し、


戦闘管制フロントアイ、こちらノーフェイス小隊。規定高度にて戦闘空域に進入予定。撃ち漏らしを片付ける」

『ノーフェイス小隊――戦闘管制フロントアイ了解ラージャ。……敵を詰めるタッパーの用意はないぞ、ジェントルマン』

「その場で喰らうので問題はない、フロイライン」


 こちらの緊張を解すためにか、齎される軽妙な言葉。


幸運を祈るグッドラック

通信に感謝をグッドジョブ


 懐かしさも感じる要撃管制機とのやり取り。

 宇宙ではそも範囲が広すぎるために電子戦アーセナル・コマンドや飛行要塞艦が前線での管制を努め、空中浮游都市ステーションでも防衛計画の関係上アーセナル・コマンドによる前線管制が多かった。

 そういえば、あの戦争においてリーゼも主体は管制だったな――と、ふと思った。彼女の場合は友軍のみならず敵軍も、おまけに生者のみならず死者をも、しかも完全に物理的にその機体の管制を務めるというあまりに特異すぎる存在だったが。


 そして果たして、駆け付けた都市近傍の空にて。


『ノーフェイス小隊、市街地を離脱した狩人狼ワーウルフが三機ほどそちらに向かっている。方位は――』


 散々に追い立てられたのだろう。

 レーダー上を蛇行する――おそらく出力が低下したらしき一機――を庇うような編隊。いや、もう、編隊と呼べるほど斉一性のある動きはできてはいない。所詮はテロリストと言うべきか、この数年間を演習もできずに過ごした影響は大きそうだった。

 そのことにも違和感。

 仮にも重要拠点がそんな相手に?――という疑いと、強襲的に攻め込むだけなら素人のアーセナル・コマンドでも可能という思い。そして言葉だけは勇ましいわりに早々に離脱するという不可思議な点も、ひとまずは飲み込んだ。


「投降せよ。武装を捨て、緩やかに投降を。投降の意思があるなら、武装を捨て針路を維持せよ。……繰り返す。これ以上、無益極まりない戦いの必要はない。武装を捨てて投降せよ」


 そう命を惜しむならば伝わるだろうかと、呼びかける。

 既に趨勢は決した。自分が何かしようともしまいとも、烈火の如く広がる友軍たちの攻撃によって彼らの命運は確定している。

 そして、エルゼもフェレナンドも射程の短い有視界戦闘装備しか積んでいない。この通信が部隊の生存を脅かすものではないと考えつつ、更に広域周波数で言葉を続ける。


「帰りを待つ人はいるか? いるなら、身元引受人として再会は叶う。つまり、国家がコストを払って貴官の代わりに探す。案ずることはない。再会は叶う。……速やかに投降せよ。結果の見えた戦いに意義はない」

『そんな手になどかかるものか……! 我々は卑劣なる貴様ら怯懦の民ではない! そしてこれは敗走ではなく、戦い続けるための転戦だ! 我々に恐れるものなどない!』

「……そうか」


 ホログラムコンソールを操作し、小隊内へと通信を切り替える。


「……発言の前後の接続が不明に聞こえる。俺は何か聞き逃してしまったか……?」

「武器を捨てたら騙し討ちをされる――って言いたいんじゃねえっスかね?」

「そうか。……なるほど、そうか。それは恐ろしいだろうな」


 頷ける。

 信じて投降した先に虐殺されるなど、避けられて然るべきだ。彼らは、そんなものに直面する機会でもあったのか。このような虚勢を張るのにも痛ましささえある。

 その点については十分に言い含めねばならないだろう。


「おそらく、誤解がある。……こちらは油断に付け込む意図はない。貴官が油断しようと、そうでなかろうと、武装があろうとなかろうと俺にとっては何一つ変わらない。通告はただ手間なだけだ」


 重ねて、


「繰り返す。武装解除を求め、その隙に撃墜する意図ではない。……これが最終警告となる。どうか、速やかに投降を。貴官らの本国は戦火を免れているのだ。家族も貴官らの帰りを待っているだろう。どうか、生きているなら、如何なる形にせよ本国の家族に一目だけでも――――」


 そして。

 結局、彼らはその遺体や一部ですらも家族との対面もできぬ形に、焼け消えた。



 ◇ ◆ ◇



 市街上空に近付く機体が電波を拾った。

 まずは音声だけが流れてくるそれの大元は、テレビの映像であるのだろう。


『見ての通り、あの忌まわしき【星の銀貨シュテルンターラー】でさえ使用された。……これは極めて奇跡的に喰い止めることができたが、事態は予断を許さないものとなっている。今こそ我々は――』


 ゾイスト特務大将の声。

 議会での証人喚問のようなものか。結局彼ら【フィッチャーの鳥】は、あの衛星軌道爆撃については公表を選んだらしい。

 というより、【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】の息がかかった政治家が議題に挙げさせたか。彼らは彼らで、政治的な暗闘も行っている。

 だが、


(……そう来たか)


 聞くにそれは、【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】の有利を意味しない。


(あくまでも――……【フィッチャーの鳥】がそれを再生したのを奪取されたのではなく、【蜜蜂の女王ビーシーズ】が使ってきたという形に持ち込むか。随分とやり手だな。……真実を公表されれば、途方もない問題にもなるだろうに)


 思考しつつ、迫る敵弾を躱す。

 そこまで集中が必要な攻撃ではない。練度は低く、何よりこちらの機体は優れている。

 半ば揺蕩うような集中のまま、事態の対処は可能だ。ひとまず、勧告にしたがわぬ一機を両断した。


(……己たちの居場所を守るため、か。表沙汰になれば、ゾイスト特務大将だけではなくどこまで波及するか判らない……そんな保身もあってなのだろう。そして政府も一部官僚が軍出身である手前、それも強く追求もできないか)


 大規模な組織的な隠蔽。

 戦略的な意義から、合理から、軍にはそんな体質があることは否めない。それがその本来の役割を保つためには必要なものですらある。全てがオープンにはできない、と。

 それは頷けるところだし、仕方のないところではあると思っている。政府に機密全てを明らかにせよと宣うのは、脳に花が咲いた人間のみが持つ思想だろう。

 とはいえ、それが許されるのは、その社会的な役割において――つまりは軍の設立理念の合理性の下だけだ。

 逸脱するならば、首を刎ねられて然るべきだろう。

 それは法廷で決着を付けるとして――……今考えるべき問題は別にある。


(……犯人を【蜜蜂の女王ビーシーズ】と名指ししていない。明言を避け、あくまでも残党勢力――……今回の残党勢力のような者たちとでも思わせるかのような口ぶりだ……)


 その辺りの苛烈さが見えなかった。


(まさか【フィッチャーの鳥】は、【蜜蜂の女王ビーシーズ】と直接的に争う気が……ないのか……?)


 考えてから、あの【雪衣の白肌リヒルディス】が敵の手中にある以上は無理もないのかとも思った。交渉の余地を残そうとしているというのか。

 しかしそれでも――それでもきっと、もう遅い。

 相手の良識になど期待せずに、線を超えたその首を刎ね落とす。

 それが自分には最善に思えたが――……大将や政治中枢の見える視点はまた異なるのだろうかと口を噤み、戦闘を続行した。


 その後も幾度と援護を続けていれば、やがて市街地に到達する。

 灰色の構造物や建造物の間から幾つも立ち上る黒煙を眺めれば、この都市に与えられた運命は読み取れる。

 まだ、消火は終わっていない。

 というより、消火を簡単に終わらせないために複数箇所に火を放ったのだろう。食料や物資の集積場と、市街地の病院施設や居住施設へと合わせて。


「っ、これは……!」

「クソ……! アイツら……!」


 僚機たちが、コックピットで息を飲んだ。

 彼らは、上空から街が焼ける光景を見るのは初めてであっただろうか。ならば無理もないことだった。

 無差別爆撃や都市攻撃・絨毯爆撃は、ある時点の研究では――とても費用対効果が悪く、敵の抵抗意思の破壊効果も薄く、第三国や自国民からすらも批難を浴びるために、あまり戦略的な意味はないとされている。士官学校でもそう習うだろう。


 だが、それは、その時点では……だ。


 技術の進歩や確信は、問題を克服することだ。問題を克服し、その上で理論が本当に正しいかを検証することだ。

 つまるところ、都市爆撃が無意味と語られたのにはいくつか理由がある。


 一つ――――殺しきれないこと。つまり敵にとっては脅威であり恐怖であるが深刻ではなく、やがて慣れのうちに避難が行われる日常となること。

 故に。

 避難が成り立つという前提を覆し、確実に殺傷せしむるという効果を与えれば、真の意味で無差別爆撃は無意味なのかが判断される。


 二つ――――コストがかかること。つまり爆撃を行う友軍に出る被害や武器弾薬の消耗が、敵の戦力基盤の破壊に対して有効に繋がらないこと。

 故に。

 武装のコストを減らし、その破壊性を増やし、そして友軍が迎撃被害を受けぬように生存性を高めればいい。


 三つ――――それが批難を浴びること。つまり自国の人民や第三国の人民から糾弾され、作戦の履行に不手際が生じてしまってそれ自体がリスキーになること。

 故に。

 第三国の協力を必要とせず、彼らからの制裁を問題とせず、そして自国民が何の疑問も抱かなければいい。


 これを高度に実現したのが――あの衛星軌道都市サテライトの社会構造と支配、そして【星の銀貨シュテルンターラー】だ。

 故に彼らは特にこうして、居住地への攻撃を得手としている。そういうものを疑問と思わぬように、思想教育をされている――……或いは正確には、社会環境と憎悪と戦争環境がそうであったと言うべきか。


(そう育てられた通りに……か。反吐が出る)


 とはいえ、あの開戦において、彼らは誤った。

 その行使には、余分が多かった。宣戦布告のルールを破り、都市へと人民を巻き込む攻撃を起こすのならば、徹底すべきだった。殺し尽くすべきだった。

 あの高官が宣言を出せぬほど、立ち上がる人民が現れぬほど、まさに保護高地都市ハイランドの本土の全てを焦土にするまで確実に殺戮を続けるべきであったのだ。


 そこに、可能なだけコストを抑えて勝ちたいとか。

 生き残った保護高地都市ハイランド市民や資源を使いたいとか。

 大地を手にしたいとか、土地が欲しいとか、そんな人民たちの欲望が後押しになっているとか。


 そんな――――――ありとあらゆる感情的な余分。


 全てを無視できなかったのが、何よりの彼らの過ちだ。殺そうと刃を抜いたならば、殺し尽くさなくては理屈が通らない。

 彼らは答えを誤った。

 彼らは、本質から目を背けるべきでなかった。

 確定できる要素以外は取り除くべきだという、基本的な事実を無視した。確定の及ばぬ何かや誰かに期待をし、祈った。あまりに愚かだった。


(……とはいえ、そも、あの戦争に至るまでが彼らの事情という余分で構成されている以上は、そう簡単にことを運べる訳がないが。それでも――……初めから地球は資源収集の土地にすると割り切って全土を焼き尽くし、意を唱える国民は全て端から殺して取り除けばよいものだろうに)


 そこまで考えつつ、改めて都市に目をやった。

 もうもうと立ち昇る黒煙。地に広がったコンクリートの蟻塚めいたビルのいくつかが砲撃の影響を受け、また、撃墜された敵機がまるでゴミ箱に崩れ落ちる酔っ払いのように腰から突っ込んだマンション。

 表通りに幾重にも折り重なった車の群れと炎。


 彼らの余分が引き起こして、その余分が後を引き、そんな余分が今も動かすものによって生まれた被害。

 一体、何度、そこにいる人の命が脅かされねばならないというのだ。

 その当たり前の日常が壊されねばならないというのか。

 うんざりする気持ちと共に、我ながら……と思った。


 ただ、矛盾的であって矛盾ではない。

 その差が判らぬのは、蒙昧だけだろう。

 見極めるべきだ。何事においても。


「大尉! 救助に向かっちゃ駄目なんスか!」

「……特に指示が出ていない。待機せよ」

「でも……だってあそこに、人が……! そこまで指示を受けなきゃいけねえことなんスか! これは!」

「……」


 フェレナンドが叫ぶ。

 それに応答するよりも先に、


空域内全機オールステーション、こちら戦闘管制フロントアイ。高速で接近する機影が二個群――例のとんがり帽子の新型、【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】だ。第四世代型にあたる。注意せよ』

『帽子と帽子でおあいこだ。なあ? 迎撃に向かう。……アンタはどうする、首狩人リーパー


 軽妙に語りかける誰かは、かつて、戦場で共同した生き残りなのだろうか。


戦闘管制フロントアイ、こちらも一機は対応可能だ。ただし、僚機には残弾に懸念がある」

『ノーフェイス1、迎撃を求む。僚機は現在地上空にて待機せよ』

「ノーフェイス1、了解だ」


 通信を打ち切り、すぐに無線チャンネルを変えた。


「ノーフェイス2、聞いたな? ノーフェイス3と市街地上空に待機」

「了解でーす! あ、で、その……救助活動でもやっておきます?」

「……安全の確認が取れるまでは上空待機だ。まだ降りるな。敵機が現れた際は遅滞に努めよ。くれぐれも撃破は狙うな。今の貴官らでは残弾に不安がある」


 念を押せば彼女の何か言いたげな沈黙と共に、それを継ぐようなフェレナンドからの通信が入った。


「……大尉、あの!」

「なんだ?」

「街の人、助けちゃ駄目なんスか……!」


 眼下を眺めながらそう漏らしたフェレナンドも、おそらくは己と同じ気持ちなのだろう。

 だが、


「繰り返すが待機せよ。別途の指示があるまでは決して降りるな。……救助活動中は《仮想装甲ゴーテル》も使えん。昔、よくやられた手だ」

「え……?」

「あっ……」

「……伏兵の対装甲火器の餌食にされる。優しい者ほど死んだか、或いは緊急作動した己の力場で弾け飛ぶ市民たちを見て狂ったか」


 一度、言葉を区切る。

 同じ思いだ。全く忸怩たる思いだ。

 こんなことを引き起こす奴らを片端から皆殺しにして、今燃え盛る建物の中で助けを待つ市民の下に手を差し伸べたくなる――――だが、


「気持ちは分かるが、確認が取れるまでは着陸を強く禁ずる。……貴官がより多くの市民を殺害する、として用いられかねない。……理解したか?」


 こちらの言葉に、異議は返されなかった。

 それを確認してから、飛ぶ。



 足元に過ぎ去っていく灰色の都市と黒煙を眺めつつ、思う。


 大戦中――衛星軌道都市サテライトが幾度と行なった手だ。

 戦況が不利に傾く中で、その発生件数は増加した。撤退時の遅滞戦闘の一環で都市の病院部や人口密集地や避難所への破壊工作を行い、そして都市部からのその撤退の間際に、市民への救助を行おうとしたこちらの友軍を歩兵規模の伏兵にて殺す。

 それは挺身隊めいた残存歩兵が行うこともあれば、監禁や拷問や洗脳などで転ばせたこちらの市民に行わせることもあった。

 酷い話では、そんなことが幾度と繰り返されたために、それに恐怖した友軍が解放した民間人を誤射する事例まで生まれたことだ。中には戦闘のストレスから恐慌に陥り、止めようとした友軍さえも撃つ者すらもいた。


 それとも、確か……元は戦況悪化を伴わずとも、そんなことを行う人物があちらにいて――それが広がったというものだったろうか。


(……華々しさのない戦場とはそんなものだ。いや、推し並べて戦場とはそんなものだ。だから――……可能な限り人は戦いになど出るべきではない。こんなことは、行われるべきではない)


 そうして心を壊してしまった兵士を幾人も見た。

 特に民間人からの登用者は、そして祖国の解放への高い志を持っている者は、その傾向が酷かった。

 ある程度割り切った軍人たちでさえも強いショックを受けていたので、なおのこと、そう思う。だから彼らは戦いに出るべきではないと。理想が高い分だけ、失墜の痛みは凄まじい。


 ……自分も一度、そんな攻撃に遭遇した覚えがある。


 ただ残念ながら、仮にそれで緊急に《仮想装甲ゴーテル》が展開して市民を吹き飛ばしてしまっても、それと自分の作戦遂行能力の間には何ら関わりがない。

 物理的な影響はなく、つまり、何も問題はない。

 そうした。そうできるようにして、己はそうなった。


(死者はあらゆる理由にならない。……そうでなくてはならない。そこに何一つの例外もない)


 どれほど親しい戦友だろうと、憎からず思った婚約者だろうと。敵に洗脳されてこちらに銃を向けた市民だろうと、恐怖と疑心暗鬼に駆られた民間人上がりの友軍だろうと、それが己の家族であろうとも――……。

 何も変わらない。変わってはならない。

 己に対しては、それはあまりにも無意味な攻撃と言わざるを得なかった――そのときも、確かその敵の本隊にも背後から喰らいつき、その尽くを壊滅させた覚えがある。


 時期的には、マーガレット・ワイズマンと出会う以前だったかと考え――それから程なく、こちらに急行する敵機が有視界戦闘範囲に到着した。

 近未来的な海棲生物じみた色の装甲と、サメの頭部めいた意匠がいくつも施された機影。

 第四世代型――――【角笛帽子ホーニィハット】。


『その首斬り痕……大戦ぶりとは久しいな。ウルフパックの生き残りとして感謝するぞ。仲間の仇に会えるとは』

「そうか。こちらを知るなら投降せよ。加減はできない」

『それを……望んでいると言った!』

「……そうか。無益なものだ」

『無益かどうかは……私が決めるッ!』


 勇ましい叫びと共に吐き出されるプラズマライフルを回避する。

 ウルフパック――……正直全く覚えもないが、敵のエース部隊というのも確かにいた。彼はその生き残りなのだろうか。そんな部隊とは都市部の解放の中で、戦闘する機会も多いものだった。

 確かに――……敵にもこちらで言う黒衣の七人ブラックパレードめいて語られる部隊もいくつかはあった。

 ただ、今はない。全てない。

 それが答えだ。


「……内心は自由にせよ、行動としては投降を薦める。貴官の意識と現実には著しい差異がある。結果の見えた戦いほど無価値なものもないだろう。……死の間際に喚き散らしても、それは貴官にとっても遅すぎる」

『喚き散らすのは……どちらになるかな、嵐の裁定者ストームルーラー!』

「俺でない以上、貴官であろうな。明白な論理だ」


 事実、今のように鍛えてはいなかった前世でさえあの死を迎えるときにも――特に喚きはしなかった。つまりは実証済みだ。

 ただ、そうと彼に伝えるすべはなかった。

 何事かを口にしながら撃ちかかり、そして程なくして彼も死んだ。断末魔はプラズマの焼夷に掻き消された。


か……だが、矛盾的であって矛盾ではない)


 このような勧告を行っているが、自分は特に期待もしていないし、願っても祈ってもいない。

 受けてくれたらいいなと思うが、駄目ならそれまでだ。酷く残念だが、彼らにも彼らの自由がある。

 踏み越えたなら殺す。それはもう、だ。


 そして、理性では先程までのように合理的な殺戮を掲げられるとしても――――きっと同じように無差別爆撃の末の勝利を行うと宣言されれば、己はこれまでそうしてきたように、それに対して異を唱えるだろう。

 仮に、それが最も効率的だとしても。

 しかし――……


(俺がそこで異を唱えるのは、己の中の方向性と合致の多い――法治の理念やこの国の掲げる理想に従うと決めているからだ。そうでなければ――……己の感情と食い違ってなお従うに足ると思える契約があれば、俺とて無差別爆撃も呑み込むだろうな)


 自認する。

 誰かにそう言われるたびに思う。

 己は優しくない。優しくないと判るからだ。

 必要性や効率性や合理性の下に、内心や感情とは別に、あんな無差別殺戮の方法についても論ぜられる人間に――先程まで投降を呼びかけていた相手を殺せる人間に、優しさがある訳がない。


(効率的であり合理的であり効果的ならば……それは、特に、何の感慨もなく実行される最適にしかならない。武力や破壊に制限規定がつけられさえしなければ、最大限の効力を発揮することだけが――重要なことなのだから)


 やがて、


『こんなときに攻めてくるかね、コイツらは。お構いなしかよ』

『結局はテロリストなんでしょ、コイツらも。……やることはどいつもこいつも同じよ。反吐が出る』


 共同した友軍たちは、投降を叫ぶ敵を撃ち殺していた。残念ながらこちらも戦闘中に制止の時間がなかった。

 どうにも、彼らは珍しく【フィッチャーの鳥】の中でも、かつてからの戦争参加者らしい。

 その怒り、なのだろう。

 住まいを焼かれ、故郷を焼かれ、家族を焼かれ、恋人を焼かれ、戦友を焼かれた――――その、怒りだ。


『案外アンタが呼んだんじゃねえのか? なあ、首輪付きの猟犬サン?』

「同窓会に呼ばれたことはないんだがな……」


 言えば、戦闘管制さえも笑った。

 笑いに包まれた。凄まじい笑いに包まれた。……そんなに笑わなくてもいいんじゃないかな。それは酷いんじゃないかな。笑いすぎじゃないかな。

 その声を聞きながら、考える。


(【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】が……このタイミングで? 残党と……呼応するかのように?)


 やはり、違和感だ。

 これまでは、多少の難はあれ――しかし対【フィッチャーの鳥】を掲げるが故に、彼らとの差異を主張するが故に、さほど苛烈な行動を取りはしなかった。

 それこそ明白に彼らが攻撃側であり、民間居住地を戦場としたのはあの新型機の強奪騒動ほどだっただろう。

 そこまで形振り構わず、躍起になったということか。


(彼らも追い詰められているのか、それとも――……)


 しばし黙するも、答えは出ない。

 状況から鑑みるに彼らは、あの、【雪衣の白肌スノウホワイト】――スノウホワイト・リヒルディスというアーク・フォートレスの確保を目的としていた。

 それをウィルへルミナに阻まれ、決定的な戦略目標を喪失。勝ち筋を失ったために、他の手に出るというのも有り得ぬ話ではない。

 或いはこちらでは知り得ぬ何かがあったか。


 吐息を一つ。

 周辺空域の索敵情報を受け取りながら、ホログラム・コンソールに触れて戦域の情報を確認する。

 フィーカがいない――正確に言うならば彼女自体の消去は行われておらず、いわば、何故か言葉が通じなくなってしまった状態の――中ではこの辺りの処理も己が行わなくてはいけない。


(……シンシアが無事であればいいが。或いは、俺がこうして彼らの仲間を殺すことで、シンシアに叱責の矛先が向かなければいいが)


 案ずるのは、そこだ。


(それとも――……俺もあちらに、加わるべきなのだろうか。彼女を思えば)


 しばし考え――……やはり、首を振る。

 それは選択肢として有り得ない。

 もしここで彼女と己の間に、軍からの離反が妥当に思える程度の社会的な関係を構築していれば――――そうするのは当然であり憚りないものだと万人に主張できたかもしれないが。

 そして己も責務以上に心から、そうしただろうが。

 そんな関係は、彼女から望まれていない。

 己との間に契約が交わされぬ以上は、心理的にも社会的にも、そこには合理的にあらゆる履行の正当性が存在しないのだ。


 理を外れてはならない。己個人の感情から、それを逸脱してはならない。


(俺が立つのは、ただ、法の理念のその傍らでしかない)


 故に、やはり、変わらない。


 己という人間は、きっと、変わらない。

 求められたその通りに。

 己が望んだ、その通りに。


 己は一振りの――剣となるがそれ故に。



 ◇ ◆ ◇



 赤絨毯の敷かれた執務室内にて、ヴェレル・クノイスト・ゾイストは一つのホログラムと向き合っていた。

 青いホログラム。

 遠隔地からの通信手段。

 そこからは、実に愉快そうな――蕩けるように耳朶を打つ涜神的な青年の声が零される。


『は、は――……うちの社員がお世話になっているようで何よりさ。そうだろう、法の番人?』


 それは、【黒の法曹家ブラックローヤー】の社長。

 つまるところ、今、ヴェレルの秘書官のようなものを務めるマレーン・ブレンネッセルの雇用元の青年だ。

 彼女を通じて彼から、今回の残党による襲撃情報がリークされた。それは今の彼の雇用元とは、別の勢力という話であった。


「……何が望みかね?」


 結果的には、【フィッチャーの鳥】には大きく利したと言っていい。

 あの【音楽隊ブレーメン】との戦闘による壊滅的な被害と、【雪衣の白肌リヒルディス】の強奪に始まって危うくなった立場のその内に――それでも【フィッチャーの鳥】こそが対テロへの最前線であると示す戦果。

 ブリンディッジ・シティという保護高地都市ハイランドにとっても重要拠点が絡んだことで、強い支持回復の効果はあったのだ。


『おれとしては単なる雇われだから、大それた望みはないさ。そうだろう? ああ――我らに必要なのはささやなる日々の糧と、慎ましやかな寝床だけさ。それだけあればいいさ……まさしく、――……という、その通りに』


 敬虔そうな言葉を口にするその声は、妖しき娼婦めいている。

 ただ、ヴェレルは待った。

 長い人生の経験から、この手の人間への応じ方というのも彼は弁えていた。

 そんな彼の様子をしばし見詰めてから、通信の主は剽げたような声で言った。


『雇い主の方は、おたくらと揉めたくはないみたいでね。できる限り、仲良くやりたいのさ。そうだろう? 泣く子も黙る……かの黒き鳥たちの主に睨まれてどう生きればいいのか――……その福音は授けられないのだから』


 保護高地都市ハイランドの先鋭的な軍と、衛星軌道都市サテライトの怨念的な残党。

 それは、仲立ちのパイプを失ったものである。

 つまりは彼が、そのパイプを努めるということだ。


『やむを得ない行き違いからこちらで保護した連中もみーんな無事さ。ただ、怖いだろうねぇ……あんなふうに狙われてしまうと、彼らも無事に帰れるかが判らないんだ』

「……」

『それでも雇い主は、か弱い子羊を、送り届けてやりたいと言っている。その乗り物ごと、ね。は、は、まさしく慈しみだねえ――……』

「……望みは何かね?」


 変わらぬヴェレルの問いかけに、青年からは小さな笑い声が零れた。

 ヴェレルの何かが、彼の琴線に触れた。

 そんな声と共に、


『天秤の片方には、大地を焼ける恐るべき凶鳥が――……ならもう片方も釣り合わないといけない。そうだろう? 少なくとも、おれの今の主はそれをお望みだ。ああ――こう言った方がいいかな?』


 娼婦めいて媚びた声が、一転する。

 雄々しく、男性的に。強権的に。

 ああ、つまりは、傭兵の交渉術。民間軍事会社などではない、後ろ暗さの中で息衝いてきた古き傭兵やならず者の振る舞い。


『――ハンス・グリム・グッドフェローの、その首だ』


 かの【蜜蜂の女王ビーシーズ】は、保護高地都市ハイランドの最高個人戦力の消失を願っていた。


 まるでそれこそが、彼らを決定的に滅ぼす一振りの破滅の剣であるかのように――。



 ◇ ◆ ◇



 高価そうな丁度に溢れたホテルの部屋の一室は、既に電灯を落とされて輝きを失っている。

 その中で浮かび上がるのは、青白い投影型のホログラムのみだ。

 微粒子に多角的な映像を投射することで擬似的にそこに姿があるように見せる、通信手段の一つであり――そこでは白髪の美貌のメイドが小さく肩を竦めていた。


『……探知されるとは判っていたでしょうに。営業熱心ですね。それとも、娯楽でしょうか?』

「は、は。楽しいねえ――……そうさ、それが人間さ。あの大将殿も、中々どうして軍人様じゃあないか」

『楽しそうで何よりです、社長様』

「はは、なぁ、迷惑だったかい? 居心地のよい職場に水を注したかい?」


 そう笑いかけるギャスコニーへ、マグダレナは僅かに小首を傾げて目を瞬かせただけだった。


『まさか。ご自分にそこまで影響力があるとお考えで? 如何に大路を走ろうとも、所詮は悲しき信奉者に過ぎませんわ』

「……は、は。痛いことを言うねえ」

『では、ご機嫌よう。ああ、退職金は規定通りいただきますので、念の為にお手続きのご確認をお願いします』

「ああ、ははっ、そこは万全さ。おれは、自分が死なないなんて思ってはいないからな――」


 肩を崩したギャスコニーへ、マグダレナは特に感慨のある目を向けなかった。

 それでいい、と思っていた。

 それがいいとも思っていた。彼女とは、ただ、雇用契約の間柄なのだ。彼女には、一つの例外を除いてそれだけが意味を持つ関係なのだ。

 そして彼が死ねば、マグダレナとの雇用契約は解除される。会社自体が潰れるので、当然だろう。


「それじゃあ、貞淑なる無貌の君。また会えるといいねえ――……」

『ええ、ご健闘をお祈りしていますわ』


 笑みこそは貞淑で慇懃であったが、それはどこか、さほど考慮に値しないと――そう言いたげな声だった。

 暗い一室の中で、通信が打ち切られる。

 別に通信は入らない。も、あの都市で、全てが撃墜されたのだろう。


 暗い部屋のベッド脇の鏡が、彼の姿を映し出す。


 腰まであった錆びた銀髪は、今は肩ほどに切り落とされている。切り落とす――というよりは、焼け落とされた。

 そして、その顔の片側もまた同じ。

 酷く引き攣った火傷顔。見る者は同情をも通り越して恐怖さえ感じるだろう。それはギャスコニーの得意な手法にとっては、明確なる妨げであると言っていい。

 最早、言葉や表情で精神的に他者を操ることはできなくなった。交戦のたびに、ギャスコニーの持つ武器を確実に潰されていく――だが。


「は、は――……象牙の塔は崩れ、白亜の城は焼け落ちる。法の秩序は脅かされ、やがて火の時代が訪れる」


 それでも、彼は、嗤う。

 己の顔につけられたその痕をこそ、聖痕とでも言いたげに。


「……そうさ、火の時代だよ、旦那。降り積もる灰すらも燃やし尽くしてただ焚べていくだけの火の時代だ。既に城壁の周りを六晩、聖櫃アークが回った。七度目の角笛はもうすぐだ。あらゆる古則も法規も城壁も、推し並べて打ち崩される火の時代の始まりだ」


 火傷――ああ、つまり、火だ。

 ジェリコの古壁が打ち崩されたように、やがて啓示の下に全ては崩れる。

 運命でもなく、筋書きでもない。

 ただ――答えをいくつも代入した先に待ち受ける方程式の結末と云うものだ。


「なあ、そこにあんたの場所はあるかい……旦那?」


 故に、悼むように目を細めて。


「あんたは人さ。天におわします御方はただ御一人……なあ、そうだろう? は、は――……人は、あの御方には、なれないのさ。あの御方に代わりはいない。それを証明しなくちゃならないねえ……」


 首から下げた銀の十字架に、口付けをする。

 銀――人狼を殺す唯一の弾丸。

 ああ、アーネスト・ヒルデブランド・ギャスコニーの心臓を撃ち抜く弾丸は、ただ信仰であるのだ。


「穢してやるさ、旦那。あんたはただの人なんだ。人間でなくちゃならないのさ。だが――」


 想う。

 徹底的に感情を廃した理性の剣とは、つまり、その、


「ああ、ははっ、優しい優しいハンス・グリム・グッドフェロー――……そんなにも人が好きになったかい? それともあんたはやっぱり、純粋な暴力そのものかい? ……いいや、そうでなくちゃならないよな。ならない筈さ。あんたはとうに、なんだろう?」


 目を細めて。暗いホテルの一室の中で、踊るように。


「行き先はどこだい? それともあんたは、辿り着いたかい? なあ――……どうせその人間性も崩れるんだ。今の内に笑っておきな。それともあんたは、笑えねえかな? 随分と、を見ちまったもんなぁ――」


 最も持続力に優れた黒き葬列者は、つまり、あの時間で誰よりも最も戦場の不義を目の当たりにし続けたということだ。

 それでも揺らぐことなく、揺れることなく振るわれる天秤の女神の剣。

 戦火がそれを作ったのか。それより、元来からそんなものなのか。ギャスコニーには判らない。

 だとしても、は一つだ。


「ああ――……殺してやるよ、ハンス・グリム・グッドフェロー。あんたを人に縛り付ける何もかも、穢して殺して殺してやる――――」


 そこに輝きがあるのならば、人は、それが本当に明かりなのかを確かめねばならないだろう。

 紛い物に、意義はない。

 そして或いは、唯一無二のそれを穢す。失墜させる。

 ああ――――エデンの園の蛇のなんと甘美なることか。知恵の実は彼らを死なせるためでも、苦しめるためでもない。くらきをひらき、或いは己こそがくらいと知るためのものだ。


 蛇はただ、彼らを疎んだのではない。


 ああ――――……何たる心地良さか。

 絡め取り、その頬に長い舌を這わせてやりたい。そうしたときにお前は、恐れるだろうか。それとも、それでも進むだろうか。

 ああ、ああ、殉教者よ。

 お前は人なのだ。お前は人でなくてはならないのだ。お前は、人でいいのだ――――。


 ああ、殉教者よ。

 世界の誰から疎まれようと、堕ちようと、苦難を前に膝を折ろうと、血の泥濘に塗れようと。

 


 肯定を以って――――或いは、否定を以って。


 衝突を以って、破戒を以って、失墜を以って、拒絶を以って、寛容を以って、憤怒を以って、慈愛を以って、敬意を以って、殺意を以って。


 おれは、堕ちゆくおまえすらを、愛してやれる。


「よお、常人ども。ははっ、なあ――――……」


 扉の向こうの廊下と、窓の外に満ちたる気配。

 彼は、片腕を広げた。

 あの戦いの折りの大気圏再突入の熱で、義肢との接続部分が焼けただれた。手負いの人狼は、隻腕隻眼の人狼になった。


 それでも――十字架を表すように、磔刑を表すように広げられる腕。


 その片手には、在りし日の獣を狩るための古式ゆかしい装彫をされた狩猟用ライフルとその先の銃剣。

 失われた右腕には、ただ、敬虔なる愛を。

 火傷を負った顔は引き攣りながらも妖艶に笑い――


?」


 一転。

 殺戮が、開始された。

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