第129話 辿り着く一つの答え、或いはハンス・グリム・グッドフェローとハロルド・フレデリック・ブルーランプ


 久方ぶりに出会った彼は、子供めいた矮躯ではあるものの隙のない立ち振る舞いであり、相変わらず壮健そうだった。

 ……いや、強いて言えば心無しか筋肉が落ちているか。

 十分な訓練を詰めていない、と見てもいいだろう。


「……意外だったな。貴官がまさか、そうするとは」


 彼は自負心が高い人間であり、【狩人連盟ハンターリメインズ】であることにも相応のプライドがあるふうに見受けられた。それがこうも、その道のキャリアを捨てることになる振る舞いをするのは想像し難いというのが本音である。

 だが、


「任務上で死ぬ覚悟はできてる。……ただ、誰かのいいように使われて死ぬのは御免だ。軍人なら、判るだろう?」


 その言葉が、端的に表していた。

 あの指揮ぶりからも伺えるように、ハロルド・フレデリック・ブルーランプという男は生粋の軍人だ。

 故に――仮にとはいえ同じ軍人として、こちらも同意しかできなかった。


「頷けるところだ。職務で命を賭けるからには、最低限、上手に使って欲しいと――――そう思う。それが俺たちの本音だ。と……それが最も必要な言葉だ。それ以外の言葉は求めていない」


 彼が頷き返す。

 そうだ。すべからく兵士の持つ精神は、それだ。死ぬことが怖いのではない。他に使い道や活かし方があるのに、安易に死なせられることが最も怖いのだ。故にそれに繋がりかねない迂闊な作戦や提案や指揮官については凄まじいほどの軽蔑と殺意を抱く。そういうものだ。

 そう目線を交わしていると、


「は、生憎と前線症候群のアンタらの気持ちは判りませんがね。まあ――――……」


 煤けた銀髪のジュスティナはそう肩を竦めながら、しかし、


ってのは我慢ならねえですよ。ええ。そして


 強烈にその隈の深い双眸を尖らせた。

 爛々と。

 狂犬に近いほどの、抜身の眼差し。


 それを恐ろしいとは、自分もハロルドも思わなかった。

 命令により人を死なせる立場であり、同時に上からの命令によって死なせられる立場である。それが故に、自分と彼と彼女の間には奇妙な価値観の連帯すら生まれていた。

 しばし見詰めあったのち、ハロルドが吐息を漏らし、


「面通しが穏当に叶って安心したぞ。……少なくともこれで僕らは協力関係になれそうだな」

「背任行為をする気はない。協力というのには、些か語弊があるだろう」

「あァ、それで別に構いませんよ。こっちも証言して貰いたいだけなんでね。……ちと、河岸かしを変えましょうや」


 相変わらず打ち解けはしないが、しかし、少なくとも互いを敵視するような空気が作られなかったのは幸いだろう。

 将軍の娘とは思えないほどにぶっきらぼうな物言いで、華奢な身体に似合わないほどに威圧的に歩く彼女を追いながら――隣を歩くハロルドに目をやる。

 彼はすぐに、その眼帯の横の紫の瞳でこちらを見上げてきた。


「……なんだ、グッドフェロー」

「いや、貴官がこうしてるのは……先程のものだけが理由だろうか、と思って」


 ラモーナから、僅かばかりに聞いた。

 ハロルドは、フレデリックという双子の弟と共にラッド・マウス大佐の部隊に所属している。

 それなのに――やはり先の理念はさておき、僅かには疑問が残る。

 そうしてずっと眺めていると、こちらからの視線に耐えかねたようにうんざりと彼が口を開いた。


「……僕の立場は危うい。その保身のためもある」

「保身?」

「フン、どこかの誰かがまさか戦艦を鉄槌に使ったからな。指揮官として僕の方にも色々と言われた……ということだ」

「……すまない」

「流せ、グッドフェロー。兵隊の嫌味だ。オマエはオマエにできる最大をやった。僕のオーダーの通りに――……」


 そこで何か恐ろしいものでも思い出したかのように彼は目を伏せ、一度瞑って、再度口を開いた。


「ただ、これみよがしに僕を挙げる材料まで押し付けて来てな。間違いなく、アイツらを利用していいように僕を切り捨てる気だ。……飼い殺しで、ただ使われて殺されてやるのも御免だろう? 使われるだけ使われて、くだらん政治ゲームで墓場に送られる気はないし、あの能天気どもをその墓場送りの札として使わせるのも癪だ。……くれぐれも、それだけだ。オマエが気に病む理由はない。僕も別にオマエなんかのためではない」

「そうか……そう言われるなら、以後、そう扱おう」

「それでいい。さすがは、兵士向きだ」


 ほんの少しだけ緊張が溶けたように頷いた彼が、口を開く。


「オマエは、メイジー・ブランシェットの……復讐か?」

「メイジーの……? いや、もう死んでいる以上は何も関係ないが……確かに、貴官と同部隊であるブラック特務中尉とトールマン特務中尉による死とは聞いたが……今ここで、それが何か関連はあるのか?」

「いや……」


 そう問えば、ハロルドは僅かに思案した。

 それから少し考えた後に、言い直した。


「フン。では、アレか。つまり……さっき言ってた愛しい女のためか?」

「俺が?」


 腕を組んで居丈高に振る舞う彼へと、小さく首を振り返す。


「……いや、違う。全くそれとこれとは関わりなく――単にこれが見過ごされるべきではないと、思ったからだ」

「そうか。……前々から思っていたが、オマエ一体、何になろうとしている?」

「?」


 何故だか咎めるような口調になった彼が、こちらを見据える。真っ直ぐに――揺るぎなく。

 覆われたメッキを削り剥がそうというのか。

 それとも鉄槌を打ち付けることで値踏みをするのか。

 片目――――或いは鍛治神がそれを持つというが、


「法秩序や理念は、オマエを活かしてもくれなければ助けてもくれない。それは公正ではなく、平等でもない。まさか、本心からとでも言うつもりか?」


 こちらを鑑定するような、或いは是正しようとするようなハロルドの目線。

 自分は、それにまた首を振った。


「俺もそうとは思わない。法は決して完全ではなく、現に過ちもあまりにも多い……法は尊ぶべきものであるが、それは必ずしも速やかなる無謬の正義であることを意味しない」

「……」

「だが、同時に……俺は思う。人の感情や善意による防護や守護や救済は、儚い。優しさは眩しく尊く、称賛されるべきものであるが……その大元の感情が僅かに損なわれただけで、助けの手が及ばなくなる。不確かすぎる」


 善意を信頼していない、という話ではない。

 感情を疎んでいる、という話ではない。

 それらを甘く見て嘲っているという話ではない。

 ただ単に――


「感情は変わる。諦観や嘲笑や蔑視からではなく、それはどうしてもだと思っている。身体の状況、社会の状況、環境の状況――……満腹なら差し出せた筈の施しも、飢餓の中で出せるとは限らない。腕があれば抱き止められた筈の身体も、その腕が無くなれば手を差し伸べられるとも限らない。……そうできるのは、一握りの尊き人間だけだろう。……恨みでも諦めでもなく、それは単になのだ」


 僅かに、拳に力が入る。


「そして、そうなったときに――もしそれが完遂されずに損なわれてしまったときに。止まってしまったときに。届かなかったときに。足りなかったときに――――優しさなどこの世にはないと……あれは初めから優しさではなかったのだと、そこに確かにあったはずの善意が否定されるのは……あまりにも悲しいことだ。それは手を差し伸べる側にも差し伸べられる側にも、どちらにとっても悲しく……そして、断じて避けられるべきことだ」


 そうだ。

 一度は手を差し伸べたという事実も、それを差し伸べた優しさも、それによって助けられるべき人の心も、いずれも断じて踏みにじられていいものではない。

 すべて、打ち捨てられていいものではない。

 正しさは何も救わないかもしれないが、救いは、のだ。

 故に――


「優しさも、救いも、護りも、それは。職務観念や法秩序など、


 そうだ。

 己を再びこの世に取り上げた、あの医師たちのように。

 そこには確かに優しさはあっただろう。彼らの善良さもあっただろう。疑いない愛があっただろう。

 だがそれは、

 彼らは果たして赤子以外を相手にもそう在れるか。或いは自己の家庭が不全のとき、職務から正当な報酬が支払われて居ないとき、そこに同じ優しさはあるだろうか。

 それは失われるのか? それともそんな愛など初めから存在しないのか?


(いいや――それでも彼らの中には、ある)


 その時にはなくなってしまったとしても、確かにある。

 失われようとも、減ろうとも、損なわれようとも、それは確かにあったのだ。

 あまりにも眩しく、あまりにも輝かしき献身はあったのだ。慈愛はあったのだ。それは確かに、この世にあったのだ。


 だからこそ、そんな優しさが決して否定されないためにも――――。


 それ自体が失われたと言われないためにも。

 その想いが届かずに終わらないためにも。

 確かにそこにある筈のそれを、損なわれることなく健全に活かせるようにするためにも。


 必要なのは、ただ、感情ではない。


「例えば法秩序は、現実はどうあれ理念としては平等だ。と定められたものだ――――それが定められているものとそうでないものには、天と地ほどの差がある。ではなく、の差だ。……向かい続けるということが、何よりも大切なのだ。理念という、そんな明らかなる自明の下の自浄作用とも呼ぶべきものが、大切なのだ」


 例えばあの【フィッチャーの鳥】のように、他にも見える裁判の事例のように、法を恣意的に運用することもありえる。実際に存在している。

 決して理念は強くない。この現実を前に、理念はあまりにも頼りがない。或いは一部の心ない者は、それを指して欺瞞的な虚構だとか無意味な理想だとかと称して、実現していない以上は嘘や誤りである――と言うかもしれない。

 だとしても、だ。

 という理念があるならば――今は及ばずともそれは必ず辿り着く。あまりにも遥かな果ての星であろうとも、それはいずれ必ず辿り着く。辿り着くまで目指し続ける。


 目指すということは――


「故に、人は、言うのだ。祈りからだけではなく……――――と」


 理念という骨子は、果てしない星を目指すためのものだ。現実の汚泥を眺めて湧いた感情が、それでも鉄格子の窓の先の星の光を見上げさせるものだ。

 例えば、医学の始まりが、人を癒やしたいと願った誰かの想いであったように――――。

 科学の始まりが、より良い生活のために謎を解き明かしたいと思った誰かの祈りであったように――――。


 その感情をこそ大切にするために、紛れもないシステムは必要なのだ。


 


「……そうか。オマエという男は、むしろ、救済者などではなく――……」

「何か?」

「……いや。そうだな……」


 彼が、小さく首を振る。

 僅かに思案したハロルドは――……今度は急に、話題を変えるように意地の悪い笑みを浮かべた。


「……ああ。? なあ、グッドフェロー」

「……………………関係ないだろう、それは」

「……フン。オマエも人の子か。少し安心したぞ」


 懐かしいと言えば懐かしい、彼からのマウンティング。

 すっかりこちらの弱点を見付けたようにニヤニヤと笑ってくる彼へ、一体、どう答えたものか。


「……誤解がある。特定の誰かのために、ではない。それ以外の人も、どんな人も、苦難にあるならば等しく手が差し伸べられるべきだと思っている。俺は偽りなく、心からそう願っている」

「フン? 愛しい女のためにではない、と? 素直でないのは流行らんそうだぞ、グッドフェロー?」

「俺は極めて素直だ」


 ずっと素直だ。

 素直でなかったことなどない。

 そして本心以外を口にすることもない。いや、口にした時点でそれは本心と見做していい。

 だから、己のこれは、特定の誰かに向けられたものではない。限定的な感情ではない。


「ただ――――……」


 ――


「……そうなったなら、そんなときは、そんな助けは、あの娘の下にも余さずにちゃんと届いてくれたらいいと……そうも思っている。強いて言うなら、それは、ある」


 全くどちらも真実で、どちらも己の中にある。

 むしろ、己の中にそんな願いがあるからこそ――他の誰かもきっとそうなのだろうなと、思っているだけだ。その人たちもきっと自分と同じぐらいには、自分をどう差し出しても、たとえ世界を焼き尽くしても、何を殺してでも生き残って欲しいと想っている人がいる――……と。


 そう答えると彼は肩を竦め、そしてまた、悪戯っぽく笑いかけてきた。

 挑発的である。

 案外これが、ハロルドの素の性格なのかもしれない。


「フン。しかし、意外だったな。まさかオマエにもそんな相手がいたとは。……あの赤髪のバカが言っていたオマエのガールフレンドとやらか?」

「いや――……貴官も知っているだろう。シンデレラ・グレイマンだ」

「そうか、シンデレラ・グレイマンか――――……シンデレラ・グレイマン!?」


 眼帯の横の半眼を見開いた彼は、


「グッドフェロー、オマエまさか……護衛にかこけて、その女に手を……」

「出してない。出すわけがない。俺をそんな目で見るな。俺とシンデレラをそんな目で見るな。シンデレラをそんな目で見るな。いくら貴官と言えども超えてはならない領分がある。……それにその時期は、別にそんなつもりではなかった」

「そ、そうか……すまない……」

「ああ。確かに彼女は素晴らしく、魅力的で、健気で、聡明で、可愛らしく、とても強く、優しく、在り方が美しく、頑張り屋で、すごく立派だ。彼女を巡って多くの男が争うだろう。それは確定的に明らかだ」

「……………………」

「確定的に明らかだ。……何か?」

「いや……僕からは別に……。何も言ってないぞ、グッドフェロー……」

「そうか」


 確定的に明らかなのだ。

 だって攻略対象が多いというのはそういうことだし。確定的に明らかだ。彼女は魅力的なのだろう。

 いわゆる主人公として、多くの男との恋を紡ぐ。それも頷けるところである。

 そうだ。彼女の魅力と言えば、まずはあの、とても闘志に満ちて輝く――


「そうか。……ところでシンデレラ・グレイマンの歳は」

「十五歳と……二十四日だな」

「……………………………………そ、そうか。ぼ、僕と同い年か……そ、そうか…………そうか…………」

「そうだ。奇遇だな」

「………………あ、ああ」


 ハロルドが、頬を引き攣らせる。

 別に彼を恋愛対象にした訳ではないというのに反応がオーバーだ。別に彼女の年齢が理由になった訳ではない。そういう病気ではないんだから。

 彼は眉間の皺を指で摘んでから、言った。


「節度を持て、グッドフェロー。……くれぐれもそのへんは判っているな? 判っているよな? 判っているな?」

「……言われるまでもないが」

「そうか……ま、まぁオマエなら……」

「それに、俺の片想いで……想いを告げる気もない」

「………………何か悪いものでも食べでもしたか? オマエみたいな男がそうとは、その、意外がすぎるぞ。いや、本当に……そうなのか?」


 そうだ。

 嫌だろう、彼女も。なんだかんだと、こちらも三十手前だ。どう考えても彼女から恋愛対象にはならない。なるとしても、本当に偶然で、若い一時の気の迷いのようなものであり……多分冷静に落ち着いたら、そうとは思われない可能性が高い筈だ。

 無論、自分は――


「叶うなら毎日三時間ぐらいないしは最低でも一時間は電話でやり取りがしたいし、出会ったら四六時中彼女を抱きしめていたいと思うし、もしできるならずっと何でもなく名前を呼びたいし、呼んだときにこちらを振り返る彼女はきっとかわいいだろうし、何かにつけて口付けをしたいと思っているし、記念日は常に忘れず彼女がそう望むなら全て祝いたいし、顔を合わせるたびに抱きしめたいし、彼女が望むならそれこそどんなことでも叶えてあげたいと思うし、それこそそう言ってくれれば世界全てだろうが敵にしてみせるし何もかも焼き尽くすし何を殺してでも絶対に守りきってみせるが――――……流石に言えないものだからな、そんなことは」

「言ってるじゃないかオマエ」

「好きが溢れてしまった。許してほしい。恋という行動力だ」

「………………………………誰だコイツ。オマエ、本当にあのグッドフェローか?」


 そうだが?


「不安になってきた……こんな恋愛ぽけぽけ大型犬野郎で……大丈夫なのか……?」

「無論だ。……案ずるな。。――――俺の機能性も有用性も、それとは全く別のものだ」


 そう問われたら、答えは決まっている。

 初めから自分はそんなものだ。

 そうあろうとして、その通りに在れるものだ。

 だからこそ、


「ハロルド・フレデリック・ブルーランプ特務大尉。……メイジー・ブランシェットとこの件に、何の関連がある? ?」


 肩を崩して力を抜いたハロルドのその首筋へ――問いかけた。



 ◇ ◆ ◇



 黒山羊の卵めいた宇宙船の中で、金髪を汗に濡らしてシミュレーターに向かい合う青年が一人――。


 処分については、軽い。軽すぎた。いくつかの証言をすることと引き換えに、ヘンリー・アイアンリングは簡単な出撃停止措置だけで追求を免れていた。

 だが――聞いてしまった。

 ゲルトルードと、サムの会話を。


 ハンス・グリム・グッドフェローが婚約者である少女を亡くしたこと。

 そして、それがよりにもよって憧れのメイジー・ブランシェットであること。

 何よりも彼が今、法的な追求をされていることを。


(まさか、オレのせいで……?)


 軍部が正確な情報を把握したがっていると――決して不利にするためではなく、公平に判断するために嘘偽りのない証言が欲しいと言われた。

 無論、それが方便ではないと思ったから、ただ正直に話した。そして、自分が抱えるには重大過ぎるものだと思ったから、話した。

 だというのにそれは、よりにもよって、ハンス・グリム・グッドフェローを追い詰めるために使われた。


 十年来の婚約者を失い、きっと、傷心の中にいるはずの彼に。


「……君ではなく、グッドフェロー大尉が狙いだろうな」

「大尉、を――?」


 証言を済ませたことにより、いくつかの書類の作成に立ち会うだけで解放された直後――ラッド・マウス大佐からは、そう言われた。

 遠隔地での戦闘に出ていたが故にヘンリーの査問に間に合わなかった彼は、僅かに状況がよろしくないとでも言いたげに眉を顰めつつ、答えた。


「考えても見給え。……彼は既に最新鋭の軍艦を二隻沈めている。それも、限られた予算から作られた……今現時点で、【フィッチャーの鳥】及び保護高地都市ハイランド連盟に最も被害を与えているのが誰かと問われたら、皆揃って間違いなくあの男を指す筈だ。……或いは状況証拠から見れば、ともすれば彼をスパイとして疑うこともあり得るのではないかな?」

「そんな……! そんな、馬鹿な話が――――!」


 思わず激昂に拳を握るヘンリーへ、彼は冷静なままに告げる。


「そうとも。馬鹿な話だ。……信じる人間など居ないだろう。しかし、

「――――!」

「それに、君とて心当たりがあるのではないかな?」

「心当たり……?」


 なんのことか判らず、しかし直後、答えが齎された。


「っ……」

「……君との戦いのログを見たが、彼女は彼に対する想いを口にしていたな。彼のかつての部下は、しかし、脱走をした上で彼を疎んでいる訳ではない。……そしてあの、アシュレイ・アイアンストーブという大被害を齎した者は彼のかつての戦友だ。ロビン・ダンスフィードも言うまでもない。さらに調べるところによれば、敵の前線指揮官であるマクシミリアン・ウルヴス・グレイコートという男は――――彼の大学の同期らしい」

「な……」


 言われてしまえば、あまりにも状況が整い過ぎている。

 だが、


「大尉が……大尉がこの国を裏切るわけねえだろうが!」

「大丈夫さ。私も判っているとも。しかし……あまりにも彼の縁者が多すぎる。まるであたかも、彼が望んでその輪の中心に入ろうとしているかのように――……」

「……ッ」


 そう言われてしまうと、ヘンリーに否定の言葉は出せない。まるでこの騒動の中心人物たちに彼がかねてより接触を続けていたとか、揃いも揃って彼と関わりのある人間ばかりが【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】に与しているとか、そう思えてしまうのは無理もない。

 ……確かに。

 確かに状況だけを見れば、ハンス・グリム・グッドフェローがこの保護高地都市ハイランドの獅子身中の虫とも思えなくもない。それも、容易く内から宿主を喰い破れてしまうだけの圧倒的な暴力の持ち主で。


「私や君のように考えるものばかりなら良い。……しかし果たして、どれだけの人間がそうだろうか。或いはその程度で済めばいいだろう。事実はどうあれ……彼に嫌疑をかけるには十分すぎる」

「……!」

「そうして、政治的な圧力によって彼を飼い殺したり――葬ろうとしたり、意のままに操ろうとしたりする者は確実にいるさ。そう、確実に。間違いなくそんな男はいる」


 一体、それが、誰を指すのか――――。

 しかし、ラッド・マウス大佐は紛れもない確信の下にヘンリーへとそう告げていた。

 そのことが、のように。


 そして今、そんな会話を振り返りつつ――ヘンリーがシミュレーターに向かい続けているのは、また別の理由だ。


(……大尉が、アナトリアで、ああして戦ったのは……婚約者を――守るためだったのか)


 軍でも、伝説的に語られている。

 たった一人で、《仮想装甲ゴーテル》もなく、バトル・ブーストも使用できない機体で街に襲いかかった敵アーセナル・コマンドの半数を仕留めた鉄の男。

 機体の殆どが砕けながら、武装を失いながら、素手でも抵抗を続けた鋼の決意の持ち主。

 その時は神話の英雄か、それともプロパガンダとして生み出された伝承かと思った。


 だが、それが、民間人の婚約者の少女を守ろうとしたのだったら――――。


(メイジー・ブランシェットは、確か、民間人でも管制オペレーターとして働いていたこともあったって……そう取材記事に書いてあった。いくら博士の娘って言っても、そんな場面で良くも戦いに迎えるって思ったが――)


 もし、互いに。

 大切な婚約者を守るために動いていたならば。


 ……筋が通る。


 あまりにも、筋が通る話だ。

 そんな……それほどまでに大切だった婚約者を失った彼は、どんな失意の内にいるだろうか。

 また、あのヘンリーがシンデレラと再び戦った日に彼らは邂逅して、戦闘に至ったと聞いている。

 結果は引き分け――――あの確実に敵を仕留めるメイジー・ブランシェットも、絶対的に相手を両断するハンス・グリム・グッドフェローもお互いを倒せなかった。


 それどころか、後ほど回収された街の映像からは、メイジーの機体が沈み行く大尉の機体に対して手を伸ばそうとしていることも確認された。


 きっと――本当はそんな二人が殺し合ったなんてこともなくて。

 何かの行き違いとか、それともまた別の事情があったのではないだろうか。

 その後にメイジーがアーク・フォートレスを止めようと現れたということも、その裏付けである気がした。


「クソ……クソッ、よくも……!」


 ヘンリー・アイアンリングは、恋という感情はまだ知らない。

 乞われて交際をすることもあったが、それなりに上手くやっていたつもりではあったが、しかし、俗に言われるような身を焦がすほどの想いは判らなかった。

 だが、もしも――――。

 もしも自分などではなく、本当にそんな気持ちで想い合う二人が居たとして。それが離れていても互いを想いやっているとして。そんな、あまりにも大切な気持ちがあったとして。


 それを、誰かが、踏みにじるというなら――。


「ふざけ……やがって……!」


 自分がそれを持ったことがないからこそ、それはあまりにも大切なものだと判る。

 だからこそ、そんな綺麗なものを餌にしていいわけがないと思う。それは絶対に許せないことだと判る。

 もしも。

 そんな愛を失って失意の彼にまで――汚い手を向ける者がいるとするならば。


「ふざけやがって……!」


 思い返すのはあの日、自分の尋問を行ったあの憲兵だ。

 飄々とした態度で、ヘンリー・アイアンリングを完全に陥れた。

 それどころか、その薄汚い狙いが……自分も憧れであったエースパイロットの――――そんな少女が愛した男を陥れるために向いているというなら……。


 それは、断じて見逃していい事態ではないだろう。


 何者がそうしているかは、知れない。

 だが、きっとそんな何者かに繋がる人間は――ヘンリーも、知っているのだ。

 そうだ。


「ジュスティナ……バルバトリック……!」


 静かに、拳を握る。

 目の前のシミュレーター画面上には、上位撃墜者ナンバーズの撃墜の最速タイムを示す文字が踊っていた。



 ◇ ◆ ◇



 そして、ハロルドとジュスティナ――自分たちが向かったのは、VRパーソナルテーマパークと呼ばれるところだった。

 テーマパーク、とは名ばかりのそう広くはない個室。

 しかしながら投影型ホログラムなどを交えて仮想空間の再現を行うそこは、確かにテーマパークではあるだろう。


 専用のシートが連動し、まさしく映画のその光景の中に飛び込むような上映であったり……。

 或いは、かつての世界の風景や現実の世界の風景を旅することもできる。

 勿論、全く架空のゲーム空間の中に進むこともだ。


 ……それを、ちょうどいい防音室として使っていた。



 辺りに蔓延るのは、遠く暗き海の臨む漁村――煤が混じったような粘ついた風が流れるような光景。

 死んでいく丘。死んでいる海。

 或いは、何か遠く昏きものが訪れる絶海。


 それを見下ろせる尖った丘の上に、自分たちはいた。さながら――冒涜的な何かに立ち向かう狩人のように。

 そしてまさにそのである一人……ハロルド・フレデリック・ブルーランプは、その身に加えられた儀式の秘匿を口腔から解き放っていた。

 すなわちは、彼らという存在の嘘偽りない開示。


「……それが、僕たちの身体に行われた行為だ」


 話し終えたハロルドが、そう締め括る。

 彼ら【狩人連盟ハンターリメインズ】に行われた人体改造手術――――平凡なる人の身で、汎拡張的人間イグゼンプトという才能を凌駕するための措置。

 脳改造。人体改造。

 彼らの、設計思想コンセプト


「クソッタレ。……イカれてやがりますね。反吐が出る」


 それを聞いたジュスティナは、忌々しそうに吐き捨てていた。

 どうやら思ったよりも――悪い意味ではなく――彼女は、正義感が強い人間らしい。確かに憲兵という専門職は一定の規律への追従性……つまりはある種の口煩さが求められる職種だ。周りの兵たちに迎合して法令違反や命令違反を呑み込まない程度の人格が求められている。

 ともあれ、


「……ラッド・マウス大佐と、ローズマリー・モーリエ上院議員に繋がりはあったか?」


 自分のそんな言葉に、ハロルドは片眉を上げた。


「上院議員? いや、それは判らないが……」

「そうか。……」

「何かあったのか?」


 ジッと、こちらを見据える瞳。

 言うまでは逸らさないと言いたげなそれへと、僅かに頷き返す。


「……一つのビジネスとして、彼女が雑談に挙げていた。例えば人間の人格の電子的な複製が可能となったら、何が起こるかだ」

「……続けてくれ」


 促されるままに、口を開く。


「既に脊椎接続アーセナルリンクという技術によって、人間の脳信号を纒めることはできた。……正しく言うならば、脳の信号を機械の信号に翻訳することか。それが我々が使うアーセナル・コマンドという兵器を、こうまで容易く人々に扱える道具に変えた」

「……」

「そしてこの信号は、双方向的なものだ。……ならば理論的には、。とは言っても、運動器への信号というものと感情や意識というものはまた別だ。前者は簡単な反応だが、後者は未だに解き明かし尽くせないところであり……とな」

「……まさか、僕ら【狩人連盟ハンターリメインズ】もいずれそうなると言いたいのか?」


 ハロルドの一つだけの視線に、首肯する。


「鏡写しの人格とは、そういうことだろう。汎拡張的人間イグゼンプトの人為的な再現を行うための、自己の状態について熟知した仮想人格AI――――それはつまり、無駄を省くことに繋がる。戦闘に関して、彼らに処理を担わせることで本体が感じる余計な情報を遮断していく。つまりは、人間そのものが持つ無駄な視点角度の否定だ」

「……」

「その先には、先にも言ったように……現行の技術でも可能な意識の電子化が待ち受ける。それが可能なように――と言って、誤りではない」


 ハロルドもジュスティナも、押し黙った。

 とはいえこれはまだ、あくまでも前提の話にしか過ぎない。本題はここからだ。


「そして、ビジネスになるのはここから二つ――――すなわちはと、それを行うに足る被験体の確保だ」

「被験……体……?」

「ああ。……電脳的な不老不死が実現されても、そんな極度に簡素化された人格と言われて喜ぶ者はほぼ居まい。そうなれば如何にして、自己の人格を保ったまま転写できるかという話になってきて――」


 視線をやる。

 ジュスティナはこちらに釣られて。

 そしてハロルドは、忌々しそうに。


「……つまり僕らは、いずれのそれを可能とするためのモルモットということか?」

「そう言える、というだけだ。以前俺にそんな話をした彼女とは、施術者が異なっているだろうからな。……ラッド・マウス大佐の真意は読めない。だが――そんな話は、大いなる利益としては相当に魅力的だろう。そう受け取る人間はいる筈だ」


 そう言えば、ジュスティナが壁を殴りつけた。

 防音壁が陥没し、アトラクションシートが揺らぐ。ちょっとした地震めいた揺れが訪れた。


「つまりは……それを餌に――……軍人をモルモットにして研究したそのクソふざけた不老不死とやらで、利権を稼ぐこともできるってことですか」

「あくまでも、ラッド・マウス大佐がそうしているとは限らない。そういうビジネスがある、という話だ。……双方向的な脊椎接続アーセナルリンクを悪用すれば、人格を転写させ続けた不老不死も現実的だ。付け加えるなら――」


 これは直接の関係がないと言おうと思ったが、二人の目線はそれを許さなかった。

 仕方なく、他者からの受け売りである言葉を続けた。


「……もう一つのビジネスは、宇宙開発だ。そんな転写が可能であるなら、人は生身の身体に限らず――或いは技術が進めば生身の身体を乗り換えながら外宇宙に進んでいけるだろう。この星に囚われる必要はなくなる」

「……」

「新たなビジネス。新たな資源地。……かつての大航海時代の開拓船団のように、星を飛び出して宇宙の海原を進むもの。脊椎接続アーセナルリンクの力があれば、そんなことも可能となる。……コールドスリープなどより、よほど確実な……遥か彼方の人類居住惑星への到達法だ」


 とは言っても、まだ、その理屈の利用には問題が付き纏うものではあるが……。

 しかし、一連の理論は、ジュスティナの助けにはなったらしい。


「んじゃあ、そこらへん絡みの会社だのなんだのを調べて何か出てくれば――ラッド・マウス大佐の奴がやらかしてる証拠になるってわけだ」

「……あくまでも理論だが」

「構いませんよ。そもそも、そこのブルーランプ特務大尉どのみたいな……脳に傷を負ったからの止む終えない措置だってんなら、科学技術の一つとして軍部も受け入れたでしょうよ。私のこの腕も、似たようなモンだ。それ自体はおかしな話じゃねえが――」


 ボリボリと、左手で彼女はその煤けた銀髪を掻いた。

 場面は、石畳に移り変わった。

 かつての古代文明の名残を感じさせる円柱の神殿がある海辺の都市の中、他に動くものがない中、三人は言葉を交わす。

 そこに潜む怪物を仕留めんとする狩人のように。

 あまりにも重く湿って、そして深海のように息苦しい風景の中で――会話を続ける。


? いくら軍部でもね、そんなことをしたってバレたら――それが表沙汰になったらクソ不味いってことにまでは手ェ出さねえんですよ。兵士たちが捕虜を嬲るのとは訳が違う……兵士自身をモルモットにすることなんかにァ、他ならねえ兵士がタレ込むリスクが付き纏うんです。全てたァ言わねえですが、ある程度の鼻薬を聞かされた奴らもいる筈だ……!」


 推論にしかならないので、自分からは特には口を挟めなかった。

 しかしながら、少なくない数の犯罪を見てきた彼女がそう確信するならば――一定の論理はあるのだろう。

 細かくは、証拠次第になろうが。

 ともあれ、彼女への光明にはなったらしい。あまりにも危険な――――光明に。


「……」


 もしそれが事実なら、探る彼女の生命は極めて危険だろう。将軍の――勇猛たる隻腕の将軍の隻腕の娘としても、それで見逃される事案ではない。

 己なら。

 或いは、彼女の命の助けに――


「フン。ジュスティナ・バルバトリック……僕と勝負しろ」

「あ? なんです?」

「オマエの腕を確かめてやる、と言った。……お誂向きの施設だからな。射撃のスコアでも何でも、僕と競え。もし僕に負けるようなら――必ず僕を伴え。ここまで来たら、僕も協力する他あるまい」

「へえ、こまっしゃくれたガキかと思えば騎士気取りですかい、特務大尉どの。……私のことを守ろうとするのは旦那しか覚えがないんでね。つまりはまあ、容赦はしねえって意味ですよ」


 そうして。

 二人の間で、どうも、ゲームによる決着がつけられることになったようだ。

 体感型のゲームというなら、確かにその助けにはなるだろう。実際、軍も、それで高いスコアを出したものを兵にスカウトするという行為をやっていたのだから頷ける。


「てぇ訳で、アンタはどうぞお引き取りを。グッドフェロー大尉どの。……憲兵の私と、係争中のアンタが連れ立ってるのは目立ちますからね」

「……」

「グッドフェロー、ここは僕に任せておけ。……オマエはオマエにできることをするんだ。そうだろう?」


 そう言われてしまえば、確かに挟める口はない。

 生身での戦闘力も一応それなりの水準にあると自負しているが、あの海上遊弋都市フロートでハロルドが行ったような芸当は己にはできず――……彼が人為的かつ限定的な再現とはいえ、あの汎拡張的人間イグゼンプトたちの模倣者というのであれば、自分よりもよほど総合的には得手であろう。

 そうして促されるままに退出し――……自分の後を追って部屋から出た彼が、ポツリと口を開いた。


「オマエ、その、よかったのか……?」

「何が?」

「メイジー・ブランシェットの件だ。……その、婚約者だと」


 ハロルドから、聞いた。

 彼が、【麦の穂ゴッドブレス】というアーク・フォートレスの破壊任務に従事したときに――その機体が、翼に大穴が空いていたのだと。

 そんな損害を与えた状況から、交戦者が敗れるのは考え難いと。

 そして、箝口令の上で一部の者にしか――つまりはこちらなど――伝えられていないが、メイジーは【狩人連盟ハンターリメインズ】との交戦の末に死亡したという事実があること。更には、公式にはアーク・フォートレスとの戦闘で死亡したと報じられていること。


 それらを総合したならば、見えてくる状況がある。


 虚偽の中に真実があり。

 或いは虚偽を活かすために、そこに真実を織り交ぜているなら。


 つまり――メイジー・ブランシェットはアーク・フォートレスと戦闘に及んだ。

 そこからそれをそんな段階まで打ち砕くほど奮戦し、そして――……。


「疑惑でしかないのだろう? 状況証拠と懸念だけを下にして、怒るというのも奇妙な話ではあるし――」


 拳に力が籠もる。

 それを努めて呑み下し、告げるのは警句だ。


「……既に失われた死者のために今を生きる生者へと怒りを抱いて、そのことに何か意味はあるのか?」

「――――」


 そうだ。

 ここで怒ってしまっていては、筋が通らない。

 ここで怒りを露わにするなら――思うのだ。この世界の肉親を奪った者たちへの報復を。民間人を殺害した者たちへの報復を。友軍を殺した者たちへの報復を。報復に次ぐ報復を。

 本音で言えば、今すぐに、疑念の中心にいるラッド・マウス大佐の喉元へと拳銃を突き付けて――真実を吐くまで生きながら嬲り殺してやりたい気持ちとて、ある。

 だが――……


「俺はあらゆる死者を己の行動の基準にはしない。メイジー・ブランシェットの復讐などする意味も必要性もなければ、今後も一切行うことはない。彼女は死に、そして、己の中では終わった話だ。……終わったのだ。死者はただ、

「……」

「もし彼女が婚約者ではなく――……」


 言いかけて、首を振る。

 それだけは、己は口に出してはならぬ言葉だろう。


「……いや、これは過ぎた話だ。忘れてくれ。関係がない」

「そうか」

「ああ、そうだ。……彼女はもう、想い出の中にしかいない。つまりは俺に対する一切の物理的な拘束力も持たず、またその関係性から法的な拘束力も持たない。……そしてそう思うということは、俺の中で心理的な拘束力すらもないということだ」


 そう頷き返せば。


「……やはりオマエは、あのグッドフェローだ」


 ハロルドは何故か、少し悲しげにそう呟いた。

 案じられる必要は、ないだろう。

 己はもう完全に割り切っているし、そう在れる人間になっている――――そうしているのだから。


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