第128話 法の剣、或いはハンス・グリム・グッドフェローとライラック・ラモーナ・ラビット

 仮想空間を投射する全周コックピットが映し出すのは、星星が遠く瞬く宇宙だ。

 銃鉄色ガンメタルの狩人は三機一体となり、一機の人狼に喰らいかかっていく。

 紫電が散る。刃を開いたプラズマブレードがその炎熱を解き放ち――そのまま、急角度で敵機の側面を飛び抜ける。フェイント行動。


「フェレナンド……反応が遅いぞ」

「すんませんッ!」


 それに合わせる筈だった銃撃は遅れ、敵機の撃破に繋がらなかった。

 単なる狩人狼ワーウルフではないほどの装甲値を設定しているため、よほど上手く戦わねば撃墜は難しい。

 更に、


「エルゼも、慣性制御が甘い。迂闊な加速はその倍の減速時間が必要となる。それは浪費だ」

「――っ、はい!」


 そんなフェレナンドのフォローを行う筈のエルゼも遅れていた。理由は、回避にかかる出力の無重力下と有大気下での違いからだ。

 宇宙に慣れた人間が地上で上手く戦えないのと同様、逆もまた然り。その辺りの機動の慣れを変えていかなければ、戦場に出したところでみすみす死を招くだけだろう。

 更には、コマンド・レイヴンからコマンド・リンクスへの機種転換も合わさり――彼らの負担となっていることには、十分に想像がついた。


 だからこそ、限られた時間で訓練を全うせねばならなかった。


 少なくともありがたいのは、火器管制系や操縦系に関してはコマンド・レイヴンもコマンド・リンクスも共通箇所が多いこと。おかげで機種転換に伴う問題は、機体の出力に関する慣れという部分にのみ限定されてくる。

 結果、ほとんどがフォーメーション訓練に合わせて同時に行うものとしていた。

 これまでで、概ね、座学的に宇宙空間の特性については説明した。あとは実践ということだ。当然、デブリーフィングが最も大切になってくる。


「フェレナンドは、腕が上がって味方を良く見れるようになってきた。それが逆に、少し味方を気にし過ぎた動きにもなっているな。……今後は適宜ドミナント・フォース・システムも取り入れた上で訓練を行うので、それを理想の動きとして覚えさせていこう」

「了解っス!」

「エルゼは、普段の安定した回避力が無重力では枷になっている。加速度の方向的に、宇宙では特に減速に注意しなくてはならなくなる。推力と装甲力の割り振りシステムをもう少し活かしてもいいだろう。……見極めて受け止める、という段階に進んでもいいかもしれない。簡単な宙間マニューバについては後ほど訓練を行おう」

「了解……です……」


 タオルを頭から被せてベンチに腰掛ける二人は、普段と異なる環境に消耗も多いのだろう。

 無理もないな……とこちらも腕にパックを突き刺して補液を行いつつ、もう一人を見る。

 一般に仮想敵機――軍として見るときにアグレッサーは優れた実力を持つ者を当てることになっている。武術がそうであるように、受け太刀の側に高い練度が求められるためだ。それ故、


「あのね、おーぐりー。……わたし、みんなの役に立ってる?」

「ああ。……しかし、君は……」

「わたし? まだ、へっちゃらだよ?」


 一際に汗を滴らせる彼女の消耗は、誰の目にも明らかだろう。元より、本来の彼女の戦闘スタイル――高性能な専用機を元に戦闘を行うという【狩人連盟ハンターリメインズ】――とそれは、あまり、合っていないと言えた。

 僅かに黙し、


「ラモーナ。これは、訓練だ。限界状況を想定する訓練は、そのときに行う。つまり、君に、無理をしてほしくないと俺は言いたい」

「でも、わたしは別に……無理なんてしてない……よ?」

「ならば、生体データのログを。提示して貰えるか?」


 そういうと、彼女は答えなかった。

 沈黙が満ちる。

 そして――目を背けながら、長髪を汗に濡らした彼女は言った。


「……おーぐりーに、言われたくない」

「ラモーナ?」

「おーぐりーにだけは、無茶って、言われたくないよ……おーぐりーはよくて、どうしてわたしは駄目なの? わたしが、子供だから? わたしはおーぐりーの足手まといなの?」

「……」


 彼女の目が、こちらの腕の補液装置と――腰に備えた栄養補給装置を捉えた。

 本来踏み入れるべきではない適合率に足を踏み入れた代償。機械に存在しない器官の動かし方を脳が忘れるという後遺症。

 その後、通院にて、回復傾向の兆しがあるとは言われていた。しかしながら今、ハンス・グリム・グッドフェローは文明の差し伸べる手がなければ餓死する存在として間違いあるまい。教育に悪い、とはこのことか。


「俺は備えているからだ。そして、状況が違う。先程も言ったが、限界状況の訓練ならばこうして君を止めはしなかっただろうが――今はそうでない、というのが一つ。そしてその限界状況の訓練になれば、君にも同様のものを求めるだろう」

「ほんと……?」

「ああ。避けて通れぬことから無闇に君を遠ざけはしない。それは同じ軍人として約束する。そして第二に、俺が無茶をしたというふうに見えた状況は――つまりそんな限界状況訓練がそもそも設けられるほどの状況、必要とされる先の場面……要するに実戦においてだ。だから今とは状況が違う、と言える」

「……」

「それとこれとは話がまた違うということだ。……理解はしてもらえるだろうか」


 言えば彼女は口を結び、


「やだ」

「……やだ?」

「ヤだから、嫌」

「ヤだから嫌」


 哲学か、それともトートロジーか。

 そんな理屈を使いこなせるようになるなど一部の政治家も脱帽だろう。将来有望という奴だ。上手く加工すれば政治的な弁舌向きにもなるだろう。何とも成長著しく目を張るべきだろうか。

 ……という戯言はさておき。

 ラモーナはベンチの上で体育座りになって身体を丸めてしまった。梃子でも動かぬ、という奴か。

 口には出さないが、子供っぽい一面なのだろうか。仲間外れにされたくない――というのは頷けることではある。いや、それだけではない。そんな児戯めいた領域を過ぎた彼女の献身性の高さが故か。


 目配せをすれば、エルゼが動いた。

 頼りになる。流石である。


「さーあんな強面仏頂面唐変木は置いといて、こっちで女の子同士の話をしましょうねー」

「……おーぐりーのこと、悪く言わないで」

「…………………………………………」


 エルゼがバッと凄い目でこっちを睨んできた。

 無実だ。

 何も悪いことはしていない。きっと何か誤解がある。

 となれば、頼るべきはもう一人の……


「……なんか大尉とローズレッド先輩って、わかり合ってる感がすげえっスよね」

「オネスト少尉?」

「……いや別に、何でもねえんスけど。オレは訓練に戻ります」


 フェレナンド?

 置いていかないで? 大尉を一人にしないで? フェレナンドくん?

 フェレナンドくん? どうしたの? なんで?


 そして悲しきかな。三人が取り残される。というか心情的に取り残されているのは自分だ。

 話に聞くサークルクラッシュするサークルみたいな雰囲気だった。ドラマで見た。まさかの。どうしてと聞きたいが、多分ナレーションとか付かないから誰も解説してくれない。

 エルゼは笑顔のまま、さっさと何とかしろと言いたげにこちらを見てきている。見てきているというか、これは完全に笑いながら睨んでる。こわい。


(……正直なところ、ここで無理をされてもいいことはない。しかし――例え無理をしてでも、という心意気や習慣付けが生死のやり取りの差を分けることもまた事実だ。そのバランスを、如何にするかが問題だろう。どちらにもメリットもデメリットもある)


 しばし、思案する。

 信頼関係という意味では相手の言動の不必要な否定は望ましくないが、しかし、それを超えた領分についての線引きをしなければ不公平となる。

 ラモーナの態度はどうあれ他者からは子供っぽさと見られてしまいかねず、それを是正しないのは隊として不公正だろう。かと言って頭ごなしに否定していたら、彼女の側でも反発を生むことになる。


(俺が、どうすべきか……か)


 その全ての妥協点を――そして、上官として可能な合理的な解決を。

 あまり人間関係は得意でないにしろ、指揮官としてそうとも言ってはいられない。軍が己に求めるオーダーなのだから。

 僅かに考え、改めて口を開く。


「ラモーナ。そのままでいいから聞いてくれ」

「……なに?」

「確かに現実において、無茶や無理を通さねばならない場面はあるだろう。俺も良く知っている。……そういう意味では、それに普段から備えようとした君のその心がけは立派であると言えよう。大したものだ」

「……」

「本来ならば無理を押すものではないし……俺は頑として止めたいところだが、君のその心がけを無にするのも忍ばれる。だから、可能な限りそれを……今日だけはもう少しだけ続けて貰えるだろうか? 君がそう願うというなら、そうしてくれるというなら、俺は、より良い提案をしたい。少しの間、聞いてくれるか?」


 伺えば、彼女はその長髪を揺らして顔を上げた。

 そして――


「……指揮?」

「ああ。あくまでもこの小隊の隊長は俺だが、不意の撃破に伴ったり――或いは戦地においてのやむを得ないトラブルによったりして、組み換えがあることも事実だ。そんなときのために、君には、二人への指揮を行って貰いたい」

「……」

「機体の動きはまた別になるが……戦況を確認して、指示を出す。つまり、二人への万一の役にも立つし、君にも無理なく振る舞える訓練プログラムを用意している――ということなのだが……これならどうだろうか?」


 可能な限り、合理的な落としどころのつもりだ。

 説得は今後行っていくとしても、できるだけ彼女の意思を汲んだものになる。そして役にも立ち、また、過度に足を引っ張って小隊に不平を抱かせないもの。

 指揮指南に関しては、管制AIによる補助もある。

 これはラモーナとエルゼたちの、どちらにも役立つものであろう。


「おーぐりーは、やっぱり……わたしの味方なんだね」

「ああ」


 そう誓った以上は、可能な限りその通り行おうと決めている。


「でも……駄目なら駄目って、言って。おーぐりーのことをね、困らせたい訳じゃなくて……あのね? わたし、おーぐりーの力になりたいの。本当だよ? おーぐりーが嫌だったり、困っちゃってたりするなら、言ってね? おーぐりーの嫌なこと、したい訳じゃないの。……おーぐりーのことが、心配だったの。おーぐりーの役に立ってあげたいだけなの」

「大丈夫だ。理解している」

「おーぐりー……」

「さあ。役に立ってくれるというなら、そろそろ休憩も終わりになるぞ?」


 手を差し出せば、彼女はベンチから腰を上げた。


「ラモーナ。それとは別に……エルゼを困らせてしまった分は、ちゃんと謝るんだ」

「……うん。ごめんなさい、エルゼさん。子供っぽいことして……ごめんなさい……」


 それを鷹揚に返すエルゼには救われる。

 機体に戻って指揮用のプログラムのセットアップに向かったラモーナを尻目に、それまでは笑顔だったエルゼがボソリと呟いた。


「はぁ。……これだからメンバーが増えるのって困りものですよね。エルゼちゃんが理解のある副官でよかったですねー?」

「ああ、感謝する。……今回の件で、色々とパーソナリティは伺えた。彼女には機会を見てこういう際の協調について説明していく。それまでは苦労をかけるだろう」

「いいですよー。その分、先輩が指揮さえちゃんとしてくれるなら。それが上官の役目でしょう? ……それに懐かしいですしね、こういうの」

「懐かしい?」


 前大戦でエルゼを副官にした覚えはないが――……


「シンデレラちゃん」

「――――」


 不意の名前に、息が止まる。

 それを半眼で眺めたエルゼは言葉を続けた。


「まあ、ひょっとしたらまた民間人登用も含めて、大規模な動員がかかるかもしれないから……ですかね? そういうときのために先輩も慣れておきたい、的な? それともエルゼちゃんたちに慣れさせる的な?」

「ああ。ことの運びによっては、今後もまたそんなこともあり得るかもしれない。その備えの面もあった。ラモーナがどんな娘かは、概ね良く把握できたところだ。フェレナンドに関しては――……判らないが」

「んー、なんでしょうねブービー後輩は。食あたりでもしたんじゃないですか? なんですかね……末っ子ポジション取られて嫌だったとか?」

「そうか……そうか?」

「じゃないですか? 子供っぽいじゃないですか、ブービー後輩」


 そうかな……。そうなのかも……。


「……それで、エルゼちゃんに何をさせる気です?」

「いや、特には。……先程は助かった。ただ、彼女への言葉に嘘や方便があったわけではない。本当に貴官らには、俺以外の指揮官による指示にも慣れて貰いたいだけだ。今後の生存の助けにもなろう」

「……いっそ嘘とかご機嫌取りがあった方がマシな気もしますけどね。だから女衒野郎なんですよ、先輩」

「…………」


 肩を竦めたエルゼは、そのまま下から挑発的にこちらを見上げてきた。


「まあ、というか――……そもそも、先輩が居ないときに別の指揮官の下にもついてましたけど?」

「それは……確かにそうか。そうだったな。……ただ、理由はもう一つある」

「っていうと?」


 どちらかといえば、こちらが本命と言っていいだろう。

 あのウィルヘルミナの能力については、まだ完全に細かな部分まで理解が及んでいない。しかしながら、戦闘においてある種の恐怖がその引き金になってしまっている面もあるだろう――――アシュレイの大量破壊以後に、ウィルヘルミナに乗っ取られた機体が生まれたことを加味すればそうだ。

 そしてそんな技能があろうがなかろうが、変わらない理由がもう一つ。

 それらを総合し、


「基本的に戦闘とは最悪を想定することだ――とは、貴官も良く知るところだろう。そして、最悪というものは往々にして人の想像の外からくる。備えているところからは来ない。……故に、戦闘においては最悪の上限値を増やすのが望ましい」

「なるほど……例えば乙女心連続殺人鬼の上官が無闇やたらにタラシこんだいたいけない女の子とギスったりしたとき、ですかねー?」

「………………」


 なんでそんなこと言うの?


「で、最悪の上限値って……想像付きますけど、どんなものですか?」


 少しだけうんざりしたように伺ってくるエルゼへと頷き返す。

 一つだ。

 元より己にできることなど、一つしかない。


「宙間機動に習熟した人間との戦闘――――いくつかのマニューバを見せる。つまり、


 そうだ。

 奇しくも己などが人類の上位に入るというなら、その力を完全に発揮すれば他に類せぬ恐怖と最悪となるだろう。

 この世に九人の――更にもう残り少なくなった、

 徹底的な殺傷性というものを、ただ叩き付ける。


「何をしてくれても構わない。……


 今まで友軍である彼らにぶつけたことはない――――ハンス・グリム・グッドフェローの全力というものを。


「……はぁ。そっちの顔の方がよっぽど似合いますよ、この全自動人斬り包丁」


 ……ねぇ、なんでそんなチクチク言葉使うの?



 ◇ ◆ ◇



 別に消化器が上手く働かないだけで、味覚が壊れた訳ではない。つまり、味見はできるということだ。

 ちょっとチョコレートを溶かした特製のココアを差し出せば、ラモーナは嬉しそうに袖から少しだけ指を出しながら両手でそれを受け取る。

 微笑ましい。

 今は、ラモーナは、自分の同居人だ。当然幼い少女と言っても常識的には男女の住居は分けられるべきであろうが、ある理由から許可されている。


 言うまでもなく――彼女がウィルヘルミナの影響下に置かれないか、という点でだ。自分ならその対処も行えると考えられ、そして割り当てられた。


「……どうなるのかな、おーぐりー」


 今後のことについて、ソファに腰掛けたラモーナが伺ってくる。

 ふむ、と思案する。

 確かに、まとめるにはいい頃合いだろうか。


「今、場をかき混ぜられる権利を持っているのはウィルヘルミナだ。……しかしそれは時間と共に目減りし、また、逆説的に彼女自身が狙われるということを意味している」


 【フィッチャーの鳥】の負け筋は、言うまでもなく例のアーク・フォートレスの秘匿と再生に関してだ。

 マーガレット・ワイズマンは大きなアイコンになっている。生者として、勝利者としてのアイコンがメイジー・ブランシェットだとすれば――マーガレット・ワイズマンは死者と献身のアイコンだ。

 それを結果的に踏みにじった【フィッチャーの鳥】は、民衆から激しく支持を失うだろう。


 それは【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】も【蜜蜂の女王ビーシーズ】も【フィッチャーの鳥】も保護高地都市ハイランド連盟軍も承知の上で、全員が上手く立ち回っている、としか現時点では言えない。


 【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】は【フィッチャーの鳥】を潰したいが、現時点でなりふり構わない策を取ると【蜜蜂の女王ビーシーズ】に利してしまう。

 【フィッチャーの鳥】は明らかなる不利であるが、残党勢力という【蜜蜂の女王ビーシーズ】の存在からまだ己の存続価値を高らかに謳う用意がある。

 【蜜蜂の女王ビーシーズ】は双方から狙われつつ、逆説的にどちらかに手を貸せばもう一方への有効なカウンターとして働き、その力を得ることも不可能ではない。

 保護高地都市ハイランド連盟は、現時点の状況からどちらか片方に肩入れをすることが不可能という大義名分がある。


 つまり、


「うぃるま……」


 ラモーナが今まさに案じるその少女が、決定的な起爆剤を手にしているのだ。


「ねえ、おーぐりー。……うぃるまは、殺されちゃうのかな?」

「そうなる可能性は高い。彼女はあまりにも不都合な真実を知り、そして、現に残党の一員として行動を起こしている。……到底見過ごせるものではないだろう。【フィッチャーの鳥】からすれば、その居場所を確認すると同時に吹き飛ばしにかかってもおかしくないものだ」

「……」

「彼女は彼女で、おそらく交渉を行うだろうが……合わせて暗殺も考えられるだろうな」

「……」


 そしておそらく、そう簡単にも運ばないだろうが。

 その程度はウィルヘルミナも備える筈だ。

 とは言っても……彼女がここからどう動くかだ。そのヴィジョンが見えない。

 現時点でウィルヘルミナは、補給も難しい状況だろう。きっと決定的な優位が確定するまで、本国も彼女に働きかけはしない。むしろ完全な厄介者であり、最低でも静観を決め込むのもおかしくはない。

 如何に――――如何にこの中で立ち回るか。ウィルヘルミナがどんな手を打てるか。


 そう思案を飛ばそうとすれば、ラモーナは、違った。

 暗殺というその言葉が、彼女の琴線に触れてしまったのだろうか。


「……うぃるまは、我慢して、頑張ってたのに。どうしてこうなっちゃったのかな」

「我慢して、頑張ったからだろう。ここしか……介入できないと考えた。この混乱に乗じた形でないと、祖国の立て直しができないと考えた」

「……」

「実際、冴えた手ではある。例えば【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】と交渉を行うこともできるだろう。残党という部分を覆い隠し、有志の協力者として、かつて己たちが行った歴史的な愚行を衛星軌道都市サテライトの市民が止める――そういう物語を作ることもできる」


 そうするには、あの場で邪魔をされたことが引っかかるだろうが。

 しかしながら、【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】からしたら甚大なる被害を被った訳でもない。まだ、交渉の余地はある相手だ。些か自作自演的にもなるが、ウィルヘルミナが協力するという形にも持ち込める余地は十分にある。

 彼女がどちらに付くか。

 そして、どう動くかによって今後の趨勢は如何ほどにも変化する。そんな状況であり、つまりは――


「どちらからも狙われる立場になったが、どちらに対しての働きかけもできる……勝馬に乗れる立場ではある。その程度の義理を作ってからパイプを作り、祖国を少しでも有利な形で立て直したいというのも判る」

「……難しいよ、おーぐりー」

「つまり、彼女は必ずしも殺される訳ではないということだ。……超法規的な措置もあるかもしれない。或いは、君にああしたような――その能力の解析のために、どこかに収監されて研究されるか。死ぬとは、決まっていない。今のままなら」

「……うん」


 この状況でも、被害に遭っていても、ラモーナはウィルヘルミナを案じているのだ。

 本当に――この娘は優しい少女であると思う。


「俺も、本音で言えば死んでほしくはない。……そも人の命は、容易く失われていいものではない」

「おーぐりー?」

「彼女の力についても――……現時点で裁くことができないならば、法的には罪には問われないだろう。その意味では、それを理由に殺すことも不当になってしまう」


 再現性があるなら超能力は十分に法的な処罰の対象にもなると聞いたことがあるが、詳しくないのでわかりかねるところだ。

 しかし、本音として彼女に死んでほしくないのはそれもまた真実ではある。

 少なくない交流をして、少なくない程度に言葉を交わした。断じて彼女が死ぬべきかと言われれば、自分は、違うと言うだろう。単にハンス・グリム・グッドフェローの感情としてはだ。


 勿論、それとは別に――――彼女がその感情と利益からあの爆撃を起こすということについて、斬るべき相手だとは思っているが。

 しかし、


「もし……彼女が大人しく投降するならば、その時は、その時だろう」

「おーぐりー?」

「法的な定めに従うならば、命を奪うことはないということだ。俺も、それ以外も、懸念しているのは彼女が新たに世界を焼く火にはならないかという点においてであり……その懸念が避けられるのであれば、命は奪われない筈だろう。少なくとも――そうであるのなら、だ」


 逆説的に言えば、そうならなければ……


「そっか。じゃあ、うぃるまが話を聞いてくれたら……殺さなくて済むんだね」

「……ああ。その可能性は、あまり高くないとは思うが」

「……」

「俺は彼女と会話をして、その上で――……それが難しいと思っている。すまない、ラモーナ。君を慰めたいが、気休めは言えないんだ……本当にすまない」


 それを押して保護するには――彼女の理念と行動は、劇物が過ぎたと言える。

 ああして動こうとするものは、きっと、止まらない。

 他でもない自分がそうであるように、おそらく彼女は絶対的にその道を譲らない。


 いつか辿り着くべき――或いは忘れてはならない理念について語ることはできても、実現不可能な現実について誓う口はない。

 残念そうに口を結んだ彼女は、それでも、


「でも、慰めようとしてくれたんだね。……嘘も、言わなかったんだね」

「……」

「おーぐりーは、優しいね」


 そう、笑いかけてきた。

 飲み終わったココアのカップを受け取り、もう一杯を作るためにキッチンへ向かう。


「……俺が優しい訳が、ないだろう」


 温められる電子レンジの音に、呟きは掻き消された。



 ◇ ◆ ◇



 そんな日々を過ごしながら、だ。

 昼食の時間を他にあてられるようになったというのだけは、利点だろうか。

 ランチのため店に入っていく人々と街並みを眺めつつ、


「はい、はい。……はい、先生。はい、もしそうなったときは……はい、よろしくお願いします。はい」


 そう言って、弁護士との通話を打ち切る。

 軍の法務の出身で、在任中にも軍法会議での弁護人を努めたことも多い人物。以前紹介を受け、そしてその仕事ぶりを知り、個人的に連絡を確保している人物。

 今は退役しているが、法廷に呼び出すことは軍法制度として認められている。

 彼女に連絡をとった理由は、無論――


(……あとは、あの状況でのジャマナー・リンクランクが行った不当なる虐殺行為への証拠か。今後もそんな虐殺に加担させられる恐れがある――そして再び虐殺に加担させられた場合、それを断ったときにあり得る身体的な被害についてとすれば――)


 考える。

 どう落ち着けるべきか、考えている。


(……つまりは、俺の存在だ。今後もそんな行動を行わせるかもしれないジャマナーと、それに抗命するばかりか法的観点から虐殺への不服従――及び虐殺の制止について強制力の行使をも視野に入れている直接の上官の存在によって、彼女は強い板挟み状況にあった。ジャマナーに従えば小隊の上官から武力排除をされる恐れがあり、従わなければジャマナーから排除される可能性があった……そう言えるだろう)


 シンシア・ガブリエラ・グレイマンによる統一軍事法典第102条『脱走』及び第132条『軍事物品の処分』他という違反にかかる、軍法会議についてだ。

 罪科の軽減のために、それにかかる弁護について考えていた。如何にして情状酌量の余地が出てくるか、という話である。


(つまり、彼女からすれば、どちらにしても命が危なかった。本来の正当なる軍事行動や作戦上のものを超えたレベルで、彼女はあまりにも不当に命を脅かされてストレス下にあった。……そして洋上である以上は他に脱出の手立てはなく、やむを得ない措置だった。……こう運べば、論は通る)


 考え、頷く。

 そんな方向性で進められれば、最善なら、おそらくは重くとも除隊処分止まりで終わるだろう。

 彼女のその命が、不法行為を行っていた軍から脅かされることは、なくなるのだ。


(……あれだけの虐殺だ。軍の側でジャマナーの査問も行っていた以上、当該戦闘に関わる情報についても保存がされていると思いたいが。……証拠隠滅のために消されていないことを願うばかりだ。この間のあの憲兵の口ぶりでは、俺の抗命が知れている以上は――こちらの言動については保存されていると見てもいいだろうが)


 そのように、いくつかの懸念はある。

 しかし、可能な範囲でできることは実行していた。


(……フィーカに命じて、俺の分のログは残してある。情報機密の取り扱いについて抵触するだろうが、通例的に、このような状況においての証拠確保は個人的な生存権の面からもやむを得ない事態だろう。……無論、軍人が個々に生存権を主張していたら軍事などは立ち行かないために一定の制限は致し方ないとされるが――それでも最低限の人権については、如何に軍人といえども保証されねばならない。それは過去の判例からも明らかだ)


 信頼性が高い金庫へ、当該のログデータは保存してある。どこかで自分が死んでも、彼女さえ無事ならば弁護士を経由して伝わる。

 法の専門家に自分からの細かな指示は必要ない。

 決定的な証拠さえ用意すれば、あとは向こうが上手くことを運ぶ。紛れもなく、専門なのだから。


(……情報の取り扱いで別に俺が有罪になるかもしれないが、その件はその件で甘んじて受け入れればいい。君の生存に比べれば、些事だろう)


 小さく頷く。

 彼女には約束した。守ると。ならば、果たす。疑いなくそれは果たされねばならない。

 秩序ある健全なる社会の構成員としての領分を踏み超えることなく、かつ、軍人として許される中で彼女の存命に力を尽くす。

 それが契約というものであり、約束というものだ。

 誓うというのは、そういうことだ。それは別に彼女に対してだけではない。誓うことは、そういうことだ。


(シンシア。……少なくとも君は、これで、最悪だけは免れる筈だ。生きてさえくれていれば、どんな形になっても、君はやり直せる。君の生きていく場所は、開かれる。生きてさえ――……居てくれたなら)


 目を閉じ、拳を握り締めた。

 あとは、彼女に生き抜いて貰うしかない。戦場に出てしまえば、己はその時の必要性によって法的な求めに応じて戦わねばならないだろう。

 可能な限り、その助命に尽力したいが……そも彼女が生き残れるとは限らない。自分についても、そうだ。

 あとは、祈るしかできないことだが――――自分はそれを行わないと決めていた。だからただ、拳を握るしかなかった。


 そして、もう一つ。

 もう一つ、己が行うこと。行うべきこと。

 行おうと、していること。


(軍の中ではもう既に何らかの決着がついた話を蒸し返して告発する――告発者か。それを行えば、到底、軍人を続けられはしないだろうが……タイミングがある。【フィッチャーの鳥】の切り捨てに国家が移るその瞬間ならば、おそらく、大事にはされまい。……逆なら、それでも、そのときはそのときだ。何にせよ見過ごす理由はない)


 ずっと考えてはいた。

 ジャマナー・リンクランクのあの軽すぎる処分と、そして見聞きした【フィッチャーの鳥】の不法行為について。

 見逃してなどはいない。

 急迫不正の状況から一時的に呑み込むことはあれ、危険に対しての優先順位をつけることはあれ、己は己の内で全くそれを許してはいないのだ。

 戦闘状況であるためにその処分に関してそのときに喰らいかかりはしなかったが、戦いがじきに終わると言うなら何ら例外ではない。


 法に従い、秩序に従い、法廷で決着をつける。

 それは連邦最高裁まで縺れこむ重大な訴訟となろう。

 それがシンシアへの助けになることにも繋がるかもしれないが、それは状況的な偶然に過ぎない。


「……やはり俺は、優しくなどはないな」


 そう呟く。元より知れたことだが、改めて自覚する。


 ラモーナに以前告げた言葉に何ら嘘はない。


 真実、それが善意の献身ならば報われるべきだと思う。それが【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】にせよ、【フィッチャーの鳥】にせよ、その他にせよ同じことだ。

 そのために自分は自分の責任において、可能な範囲で、可能なだけの支援をする。そんな気持ちは嘘偽りなく固まっている。

 だが、彼らのそれが法に悖る行為であるならば――


(国家の法に保証された制度を使うことに対しての忌避感はない。その範疇において、そしてその法理念の内においての行為に何ら躊躇いはない。……それがゾイスト特務大将の願いに止めを刺すことになろうとも、彼らの想いがどうあろうとも、すべからく斬り殺せる。そこに何も例外はない。……飲み込んでいたのは、必要性からだけだ)


 そうだ。

 彼らが法秩序とその理念に対して超えるべきでない一線を踏み外すと言うならば、こちらはその首を刎ねる。

 無論なるべくは穏当な形や着地点を考えたいところではあり、そうすべきだが……それとは別に己の中での斬首への躊躇いは既になかった。

 故に、自覚する。


 そんな――――会話相手の首を社会的にも物理的にも刎ねることも視野に入れられる男が、一体、どう優しいと言うのか。


 彼らの献身への応答を、生存の約束をしつつ、戦地で助けることは誓いつつ――全くその首を刎ねられる。助けることと殺すことの間に矛盾はない。

 そんな男の何が優しいというのか。

 ラッド・マウス大佐の下で処刑人を努めていた頃と変わりない。それが戦友であろうと、恩人であろうと、何であろうと殺しきれる。

 決別のその日までは、、全く以って命ぜられるままに彼らに協力もするし最大限の努力はするとしても……だ。


(……そういう人間になれるようにして、まさにその通りになった。己の機能性に疑いはなく後悔もない。……だが同じだけ、彼らから『優しい』などと言われることへのどうにもならない心苦しさも、ある)


 吐息を一つ。


 だとしても――やらねばならぬなら、やるだけだろう。

 そう呼べる彼ら彼女らの心こそが善良であり、そんな善良な人間たちへの助けになれることをしていきたい。それしか報いられるものはないのだから。

 そこまで考えつつ、


「……死にたくなければ、余計な考えは捨てろ。この位置からでも俺は貴官を殺傷できる。結果の見え透いた早撃ちに興じる勇気があるならば、すべきは職業訓練所への訪問だろう」


 足を止め、背後から近寄っていた気配へと呼びかける。

 物取りか。それとも何らかのスパイや刺客の尾行か。

 果たして――


「相変わらずの切れ味ですね、英雄どの。……ああ、確認に来ただけです。前に言っていた言葉に、その後、変更はありませんかね?」

「貴官は――……」

「勿論、お望み通り司法取引もクソもないですよ。単にアンタに善意の証言を求めるだけだ。……言っておきますがね、英雄どの。これは少なからず政治的な意味合いも含みますよ」


 右腕の無骨な機械義肢。黒髪が複雑に入り混じった銀髪の女――ガンジリウム汚染症状。銀の前髪の下で、深い隈の中に爛々と浮かぶ荒んだ獣のような瞳。

 華奢な容姿と裏腹な低い掠れ声。嘲笑。現実へ斜めに構えながら、いつでも冷酷に牙を剥けるような欺瞞的かつ挑発的な潜伏態度。

 ジュスティナ・バルバトリック。

 マクレガー大将の娘で――――かつての上官デイヴィッド・マクレガー空軍大尉の妹だ。


「お綺麗で、平等に、ただ法秩序のために――ではない話だ。実直なお犬サマのお嫌いな、パワーゲームの一つなモンだ。……アンタさんは、それでも協力することは、できるんですかね?」


 吐き捨てるように笑う彼女へ、頷く。


「……そう条件を付けなければ貴官も捜査を進められないが故に、呑んだのか?」

「――」

「善意と秩序だけで法を用いられないのは、正義感あるものには過酷だろうな。同情する」


 言えば彼女は目を逸し、忌々しそうに舌打ちを返した。


「……チッ。いちいち人を見透かすような目をするんじゃあねーですよ、英雄サマ」

「見透かすまでもなく明白なことを、咎められても困る」

「…………クソ男が。態度が悪い野郎ですね。戦闘に繋がる嗅覚ってヤツですか? ったく……んで、あのときの言葉から変化は?」


 そんなものは決まっている。

 ハンス・グリム・グッドフェローにとって、口に出る言葉は全て偽りなく真実だ。でなければ、わざわざ口を開く価値がない。


「ない。……それが法秩序に悖るならば、質されるべき事柄だろう。その点について協力は惜しまない」

「……誓えます? アンタに、誓う神はいないように見えますが」


 疑い深そうにその三白眼を向けてくる彼女の前で、思案する。


「軍人なら入隊時に、神と人民と国家への宣誓をする。誓う神はいると見た方が妥当だが?」

「……は。相変わらず、弁舌レスバは得意でいらっしゃる。いちいち的確に耳に痛い物言いで、無口ってのは、女を釣り上げるための方便でらっしゃいますかねえ?」

「……………………」


 ……なんでそんなにチクチク言葉を使うの?


 怖いなあって思った。

 頑張ってる人だって判るからそんなに悪印象はないけど、怖いと思う。いきなり喧嘩腰は良くないと思う。もっと穏やかに会話した方がいいと思う。

 ともあれそこは彼女のパーソナリティなので、自分に言及の権利はないとして――……


「……神にも、法にも、名誉にも誓おう。そこに如何ほどの価値があるかは不明だが、貴官らが価値を見出すならば俺も喜んで宣誓するところだ」

「……」

「もしそれで信用できないなら――……」


 少しだけ、考えた。

 そして思った以上に自然と、その言葉は己の口を出ていた。


。彼女がこの先も生きていく世界のために、俺は誓おう」


 言ってから、自分でも驚いた。


 愛しい少女。

 愛しい、少女……。

 愛しい――――――……少女。


 言いながら考えていたのは、あの、小さくも気高い金糸の髪を持つ少女の背中で――――


「…………………………なに急に惚気てるんですか」

「近頃、そう、自覚させられることが多かったので。せっかくならばと。……そして今言葉にしたらなんだかやけにすんなりと腑に落ちて、自分自身、若干ながらに驚いている。そうか――……と。そうか。俺はあの娘が好きだったのか。そうか。やけに胸が苦しいと思ったら、そうか。そうだったのだな。そうか……そうか。これを愛しいと呼ぶのか……そうか、俺は、シンシアが愛しいのか。だからこんなに抱きしめたいのか。そうか……そうか」

「……………………………………はあ、ええ、はあ。はあ。なる……なるほど? はあ、ええ、なるほど? はあ……ええと、はあ……ええと、はあ」


 ジュスティナは目を白黒させて、それから、完全に毒気を抜かれたように呆気にとられて――……やがて再起動して、その黒髪混じりの銀髪の後頭部を掻きながら言った。


「あー……んで、その、愛しい彼女さんにはご相談を? 協力して貰えるのは願ったりですが、ひょっとしたらアンタは、場合によっちゃ軍に居られなくなるかもしれませんよ。……まあ、そこまででなくとも人事評価に響くぐらいはあるかもしれない。生活水準は、下がりますかね。その辺、それとなくの相談などは問題ないもんで?」


 それは、妻として配偶者を持っていた者の視点からなのだろう。

 しかしながら、


「俺の生活水準と、彼女の生活水準は関係ないので問題ない」

「は?」


 なんだか信じられないものを見る目を向けられる。

 つまりは、配偶者に構わずに好き勝手するクソ野郎という目を。

 それには誤解がある。むしろ気にしちゃうマンだ。気にしちゃうパンマンだ。自分の想いに気付いてからは、その辺りは注意しているつもりだ。つまり――どう求められようが抱きしめないとか、お姫様抱っこをしないとか、髪や身体に触らないとか、そういう点で。彼女に知られるとか知られないとかではなく。無駄に気にしちゃうマンだ。


 というか、まあ、それすらにも至らない誤解だ。

 つまりは――――口に出すのもなんだかすごく恥ずかしいのだけれども、


「……片想いなんだ。ただ、俺が、そうしたいと思ってるだけだ。あの娘に想いを告げる気はない。……本当は、いっぱい二人で行きたいところもやりたいことあるが」


 多分、きっと、迷惑になる。


 こちらの独白を全て聞き、その上で今にも大量の砂糖入りブラックデロデロコーヒーを吐き出すように口を半開きにしたジュスティナが、


「……未亡人の前でパートナーのことを何度も口にできるツラの皮の男、というのは良く判りました」

「それは……その、申し訳ない。好きが溢れてしまった。自覚してなかった分だけ溢れてしまった。好きが凄い溢れてるんだ。すまない……本当にすまない。悪いと思うがそれでも言いたいぐらいに好きに溢れているんだ……すまない。愛で宇宙そらが落ちてきそうだ……」

「クソうるせえですねコイツ……張っ倒してぇ……」

「防ぐが、構わないか?」

「本当クソうるせえですね……神経逆撫で脳みそ夢小説マン……」


 眉間に凄まじく皺を寄せて、親の仇のようにこちらを睨みつけてくる。

 確かに――まあ、悪いことした。言ってる。それは確かだろう。どれだけ愛しいとしても。寝る前と起きた後に彼女の顔を眺めたいぐらいに想っており、その怒った顔もかわいらしいと思うし笑った顔は眩しいし泣いていれば抱きしめたくなるし何がなくても抱きしめたくなるが。


「いや、その、すまない。……本当に他意はなかった」

「……いえ、まあ、クソほどもデリカシーがないというのは以前からも十分によく。ええまあ。人の神経を逆撫でするのが大好きな男ですとも。あとクソボケですね間違いなく」

「………………」


 ……どうしてそんなにチクチク言葉を使うの?


 ともあれ――ズボンの裾で手を拭った彼女が、右手を差し出してくる。

 右手を。

 機械化され、そして、容易く人体を破壊するだろうその腕を――


「……んじゃあ、よろしく頼みますわ。クソ猟犬野郎。言っておきますが、これとあっちの件の追求への手心は別の話ですよ」

「問題ない。……よろしく頼む、ジュスティナ・バルバトリック」


 それとこれとは、別の話だ。

 そちらで己が裁かれることと、己が前に進むことにはなんら関係はない。すべきことを、するだけなのだ。

 そうしていると、路地裏から現れる小さな影。

 日に透かせば燃えるように輝いて見える赤紫色の髪。

 片目を眼帯に覆った、特徴的な――


「やはり、僕の言ったとおりになったようだな。バルバトリック憲兵中尉」


 ハロルド・フレデリック・ブルーランプ。

 蒼き骨組みの鬼火の鳥を駆る狩人。【狩人連盟ハンターリメインズ】の一人。

 かつて、己の上官を努めた――


「ブルーランプ特務大尉。……貴官が何故?」

「情報提供者だ。ラッド・マウス大佐に関しての、な」


 そう、彼は、吐き捨てるように呟いた。

 ラッド・マウス大佐の直属の部下である彼がこのことに参加する、それだけの理由が存在するのか――と。


 僅かに、何かが翳った気がした。

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