【レポート】近接戦闘兵装の戦いについて【怪文書】


 そのを受け取ったときのコルベス・シュヴァーベンの反応は、こうだった。


「……何を言っとるんだコイツは」


 或いは、それに呆れて話題に出した婚約者の言葉から興味を持ち、伝手を通じて読んだある貴族の少女はこう言った。


「なるほど!!!! 実に完璧な理論ですわ!!!!!」


 或いは、軍内部のスパイを通じてその文章を目にした敵軍のアーモリー・トルーパー使い――――ガッチガチのタンク使いであり、低速の重装甲故に近接戦闘を天敵と見做している元レース競技者はこう言った。


「なるほど参考にな……いや、ならねえよ。そんな化け物がそうそう居てたまるか!!!」


 賛否両論だった。


 賛もあった。いいね?



 ◇ ◆ ◇



戦術レポート「近接戦闘兵装に限定した戦闘について」

 ――ハンス・グリム・グッドフェロー著、より



 参謀本部からの近接戦闘兵装の戦闘ドクトリン及びマニュアルの作成の要請に応じて以下を作成する。


 今回の文書については、執筆者の戦訓を活かし、他の兵士への近接兵装戦闘技術の共有を目的としたものである。

 近接戦闘兵装は、各アーセナル・コマンドに搭載されているものの、それを主体とした攻撃というのはあまり一般的ではない。

 しかしながら任務中、武装の残弾切れや積載量の関係からそのような戦闘が発生することもまた避けられない事態として存在している。

 各員の、有視界戦闘時のやむを得ない近接戦闘兵装の使用においてこのレポートが一助となることを強く願い、また、同様の近接兵装戦法を敵が恣意的に行ってくる場合を想定し、その行動原理の共有を行い、各員のその生存のための助けとなることを強く望むところである。


 以降、近接戦闘兵装利用の理念及び原則――そしてその戦時における連携技術についてを記載していく。



 まず戦場では、如何に主導権を握るかというのが大切になってくる。

 これは俗にいう地の利であったり、天の時というのもそうだ。基本的に近代戦において防衛側に比べて攻撃側が有利とされるのも、この主導権を取れるからに他ならない。

 その上で、プラズマブレードや力学的ブレードないしは力場利用型ブレードでの攻撃を行うということは、武装の『射程距離』を手放すことによって敵に『攻撃開始の主導権』を渡してしまうことになる。


 なので無視する。


 弾が飛んでこようが飛んでこまいが、それは『近づくまでの時間』『攻撃に入っていない時間』としてどうなろうと気に止めない。

 その上で、強制的に主導権を書き換える。

 これが肝心である。


 詳細について説明すると、以下だ。


 まず、互いに一定の射程距離がある武装を使った場合には、射程が大きく違わない場合については、基本的に『撃ち合い』の様相を見せる。

 ここでは、『自分も敵も攻撃を実行できて攻撃に被弾する』という状態が多くを占め、その中で如何にして『敵の攻撃を躱して、或いは射線を切って、或いは装甲で受けて』『攻撃を当てるか』が大切になってくる。

 ここでは『①攻撃可能な機会』と『②回避必須な機会』の綱引きが行われ、②の実行によって①が脅かされてしまう(つまり攻撃機会を損失する)ことや、逆に①によって②が損なわれてしまう(つまり不必要な被弾をする)ことが起こる。

 基本的にはそれぞれの実行はそれぞれの喪失を伴い、いずれにせよ、戦闘上においての損益が発生する。


 卓越した駆動者リンカーとなると、この①と②を至短時間や同時に行うことも可能となるが、ここではそれは一旦無視する。

 そして忘れてはならないのは、長く戦いを続けていればその綱引きの判断の誤りというものが増えることだ。

 これが戦闘においてのダメージとして累積する。

 以前の高機動兵器に比べてアーセナル・コマンドが決定的に異なっている点は、一定度の損傷を耐えられることであり、その点においてこのダメージという観念が重要となってくるのは言うまでもないだろう。



 さて。遠距離戦闘が可能な兵装に比べて、近接戦闘兵装の場合は、斬りかかるその瞬間以外はどの時間も『まるで攻撃ができない時間』であるために、この綱引きを考える必要がない。


 つまり、①の機会はそもそも喪失してしまっているために、そこでいくらでも回避機動を行って良い。

 即ち、回避が損失とならない。

 その上で大半の敵のみが残弾という概念を持つために、回避=敵の残弾を減らす=攻撃手段を損失させる=完全なる利益という構図が出来上がる。

 近接戦闘兵装において、回避することは、ただ、利益なのだ。

 無論、これに耐える頑健な肉体を養うことを抜きにして考えてはならないが。無人機と異なり、この駆動者リンカーの消耗というのも重大な問題である。ここでは特には触れないが。


 さて、その上で、接近時において――こちらの攻撃時においては、こちらが強力な破壊能力を持つために、敵は①の選択肢は取りようがない。ダメージレースでの不利が確実であるためだ。

 となると、強制的に、②→①の方程式を取らなければならないこととなってくる。

 つまり、こちらの攻撃によって敵の対応を決定させることができるのだ。


 これを指して、『強制的に主導権を取る』と言おう。



 その上で、以下のような状況を攻撃側のこちらは認識した上で仕掛けられる。


 A「角度的・機会的に敵の回避が予測され、直撃が難しいことは理解しつつ、攻撃後に敵の射線を切ってその反撃を躱せる位置からの攻撃」

 B「前者とは言い切れず、あわよくば直撃を狙える攻撃」

 C「明確に角度的・機会的に敵への直撃が見込める攻撃」

 D「接近前の敵反撃が予測される状況での攻撃(つまり失敗攻撃)」

 E「角度的・機会的に敵の回避を可能としてしまい、かつ攻撃後に敵の射線を切って離脱できない位置からの攻撃(つまり失敗攻撃)」


 熟練の敵であれば、こちらと同様の判断基準を持つためにそれぞれの見極めを十分に行ってくる(つまり欺瞞が通用しない)ものであろうが、そうでない大半のものにとってこちらの攻撃は、


 『既に攻撃態勢に入っており、その後の回避機動が取れないと予測できるもの(攻撃機会)』。

 『既に攻撃態勢に入ってしまっていて一撃での大きな損害が見込まれるために回避せねばならないもの(回避機会)』。


 との判断しかされないものであるために、このギャップを利用して、こちらの攻撃を直撃させる・敵の攻撃を回避する・敵の回避直後を狙って攻撃する、などの戦法を取れるものである。

 なお、A-Eの見極めについては十分な訓練やシミュレーションによって養われる他、このシミュレーター訓練においては近接戦闘兵装の利点として、『やらなければならないこと』を極めて限定するために動作の反省と修正の機会が増加するものというのが挙げられる。


 つまり『手段を極端に単純化することによって、その手段の正誤についての判断及び修正を簡素かつ容易とする』――即ちPDCAサイクルを回すことを非常に容易とすることが、近接戦闘兵装に限らず、武装を限定することの強みであろう。


 また他の兵装と異なり、敵の力場を一撃で破壊せしめる力を持つため、『敵の攻撃を受けながら攻撃した』という状況でその後の仕切り直しにならないことも多い。

 つまり、別の火器を用いている際には本来ならばそこでしなければいけない『敵へ与えた損害と敵からの損害のレート』の見極めをする必要がない。そこに関しての細かな評価を行わなくてよく、己の行動についての正誤判定が行いやすい。

 被弾しつつも『それでも最終的に敵を撃破=ダメージレースに競り勝った』ので『その一連の行動を成功と見做していい』という形にて、その攻撃を評価することができるのだ。


 無論ながらこれを正解とするのは、一対一の場合に限られる。

 或いは生存や人道的な観点を抜きにすれば、この『正解』については敵軍との戦力比のレートによって正誤を分けてもよいだろう(十倍の敵がいる場合、その機動で十機倒せるなら正解として良いなど)。


 言うまでもないが、これらの理論はあくまでも近接戦闘兵装の使用上の利点であって、各員に近接戦闘兵装のみの使用を強要する訳ではない。

 近接戦闘兵装の利用の際は、斬りかかるためのバトルブーストの使用・プラズマ利用型の場合はその収束のための力場利用などがあるために否応なく自機の《仮想装甲ゴーテル》が削られてしまい、また敵機に接近するためにその生存率というのは低下するものだ。

 その点についての留意が必要で、あくまでも最後の手段として認識されたい。



 他に、連携面においての効果についても記載していく。


 まず、近接戦闘兵装を使用した場合には極めて連携が行い難い。

 というよりは、射撃兵装がと評価するべきだろうか。

 どのような点からそう判断されるかについても記載を行うが、その前にまず結論から告げる。


 近接戦闘兵装の利点の一つとして、この『連携が行い難い』という問題を――ものであるのだ。


 というのも――



 ◇ ◆ ◇



 航空母艦の艦橋に、ミチミチとした音が響く。


 二の腕くんの声だ。

 二の腕くんと海軍の黒制服くんの声だ。

 そして紙束くんの声だ。


 その主は勿論、禿頭――まだ火傷も海賊傷もない――一人の頑健たる中佐である。ハゲの中佐である。ハゲのコルベス・シュヴァーベンである。


「ぐぅぅぅ、くっ、ううっ、ぬぅ……文章にされてしまうと、理論的には正しいと思わされるのが癪だ……」

「ならいいじゃないですか。兵士の底上げになって結構結構」

「黙れロックウェル! 理論的には正しいのに出力結果がおかしいことが問題なのだ! 理論的には正しいから余計に腹立たしい! 第一この間もアヤツは――」


 そこから始まるおじさんの愚痴に、もう一人のおじさんは肩を竦めた。

 或いは――そのホログラムレポートを、貴人からの恋文のように眺める癖毛の美丈夫が窓辺にて笑った。


「……ふ、ふ。天才では辿り着かない、鍛えた者が到れる理論ということ――か。君は、あくまで研鑽の果てにそこにいると。……見上げたものじゃないか、鉄の英雄」


 目を細める彼は、再びそのレポートに目を落とした。

 或いは敵軍の、修道服に身を包んだ銀髪の少女。

 薄暗い部屋中に怨敵の戦闘機動を、出撃記録を、その顔写真を貼り付けながら狂気的な瞳で呟いた。


「……これを活かせば。一太刀。せめて、一太刀……」


 ベッド以外の足元という足元を埋め尽くした紙面。

 その中心にて床に座る少女は、いつまでもレポートを眺めている。


 そしてある茶髪――俗に赤毛と言われるそれを、目深に被った赤いフードに隠した少女は、


「ハンスさんは……レポートの字体からも……いい匂いがするなあ……ハンスさんの匂いだぁ……ふへ、うへへへへへへへへへ」


 ご丁寧に全て紙に印刷したそれへと、頬擦りをしながら満面の笑みを浮かべていた。こわい。

 それを隣で眺めた銀フレーム眼鏡の青年が、呆れたように呟く。


「全部フォント同じじゃねえか。機械じゃねえか」

「うるさいなあ……供給が足りてないんですよこっちは。これはハンスさんからの貴重な手紙なんですよわかりますか? ちょっとハンスさんと一緒に戦ってる時間が長いからって偉そうに言わないでくださいよ。うるさいなあ」

「………………あァ、うん、悪い」

「ふへ、ふへへへ……大っきな大っきな身体を縮めてチマチマとタイピングしてるハンスさんかわいいなぁ……へへへ、えへへへ、うへへ、ふへへへへへ……おっと涎出た」

「…………………………」


 なんで戦友が、十歳近く年下の少女からそんなヤバげの執着を向けられているのか。年齢が逆、性別が逆或いはどちらも同性なら事案である。

 制圧者は、憲兵に本気で通報すべきか悩んでいた。



 ◇ ◆ ◇



 参謀本部より注釈の要請があったために、下記にて追記する。

 以下に、具体的な戦闘技術及びその心構え、修練方法についてを記していく。

 回避行動や接近行動についての技術、及び近接時の注意点を記すため、参考にされたし。


 まず多く聞かれたのが、連携についての利点は理解できたが、必然的に陣形上で突出することとなるため一時的に敵に囲まれるという懸念について。

 つまり、その際の多数戦闘についてどう立ち回ればいいのかということに関してだ。

 近接戦闘兵装の利用時に特に注意したいのは、目標とは別の敵機から殴り付けられないかということだろう。


 他に解説を求められたのは、敵の視認方法だ。

 敵との戦闘距離が離れるに従って、距離の増大によって敵の弾丸を目で追えるようになるというのは諸君も知っていることだろうと思うが(戦地にて体感せずとも、過去の戦争の映像で曳光弾を観たことがある者がいれば想像できるだろう)、近接戦闘ともなるとそれが難しくなる。

 当然のことながらバトルブーストや、そも高速で飛行するアーセナル・コマンドとの至近戦闘になるとこの捕捉というものがが非常に困難である。

 自機が誤って敵を追い越してしまった場合や敵機に回避された場合、如何にしてそこから再照準を行うべきか――という点についての説明を行うこととする。


 この視認のテクニックは後述するとして、まず、多数の敵機との戦い方だ。


 基本的に、近接戦闘においては、突出している敵を狙うことが望ましい。

 常に角張った敵の角を削りに行く――というような印象で戦うべきだろう。それが集団戦の秘訣だ。

 反面、奥まった敵を狙うのは望ましくない。全機の火力を集中させやすく、蜂の巣にされる可能性が高くなる。

 一方で突出している敵は、その敵機の機体によって敵の友軍機の射線が封じられやすい。狙い目である。

 図持すると、下記となる。


 ※∨字型の布陣(鶴翼)

        /  )

      ◯    )

   /  )   \  )

 ○    )    ←● ※火力を集中させやすい

   \  )   /  )

      ◯    )

        \  )


 ※∧字型の布陣(楔形)

   /  )

 ◯    )

   \  )  /  )   ※一定角度から

       ◯    )←●  敵機自体が遮りになる

   /  )  \  )

 ◯    )

   \  )


 なお捕捉するならば、近接戦闘時の楔形の布陣においても、敵との邂逅高度が異なる場合――つまり先頭の一機が友軍機の射線を塞がない角度での攻撃が可能な場合や、先頭を管制役として火器管制を共同しミサイルを使用された場合などでは、射線に関わらない火力の集中は可能であるため注意が必要だろう。


 さて、もう少し、具体的な戦闘の流れについて上記の図に基づいて説明を行う。


 先に挙げたような楔形の突出者に有視界戦闘で攻撃を仕掛けた場合に、それが空戦の場合、最も予期される敵の回避方向は上側或いは斜め上または下側である。

 直下方はGの関係で行われない。そちらに逃げる際は、必ず姿勢変更が行われるので察知しやすく、基本的に無視していいだろう。

 そうして上下軸で射線をずらせば、敵も共同攻撃というのが行いやすくなる。戦闘機の共同火器管制能力が発展してからの伝統的な陣形であり、おそらくは僚機たちは左右にブレイクして取り囲むようにくるだろう。


 上下軸の戦闘機動について論ずるとこのようなレポート形式では紙面を多く占めてしまう点と、また近況では地上戦闘の発生の方が多いため――戦力充足のためのモッド・トルーパーの増産と空戦ではそも《仮想装甲ゴーテル》を消耗することも無関係ではないだろう――以後については状況を地上戦闘・地表戦闘に限定して記載する。

 また近接戦闘兵装の使用については、原則として地上及び地表戦闘が推奨される点も付記する。言うまでもなく大地という大きな障害物によって戦闘可能領域が限定されること、機動の緩急がつけやすいこと、そして障害物等により敵への接近が容易であることが理由である。 



 さて、では、上記を念頭に置いた上で先の図に基づいての戦闘の一例を示していく。

 

 まず楔形陣形で、こちらの攻撃に対する先頭の敵機の回避に関して、左右に移動することは友軍機の射線を封じてしまうためにあまり行われない。行われたならば、残る孤立したもう一機に対して友軍と火力を集中させての攻撃の機会と考えるべきだろう。

 ただし、あまり、というのはそれが隊長機ならば生存のために十分に行われる可能性があるためだ。そちらへの移動は友軍機の射線を封じてしまうことになるが、逆に言えば、背後を友軍機の射線に収められる。つまり、近接戦闘兵装を持ったこちらに背面から襲われる危険性が減る――という利点がある。


 更に自機が友軍と共同できない場合においては、つまり自機単独での戦闘においては、また状況が変化する。この左右方向への回避を敵から完全に意図的に行われると少々厄介なものになる。

 というのも、



   /  )

 ●    )

   \  )  ↑  

            ○    ←△

   /  )

 ●    )

   \  )


 


  ● ―     ○

  |       /   \

       ←△

   /  )

 ●    )

   \  ) 

 


 このように、敵に囲まれる構図となるためだ。

 こうなった際に取り得るのは、最も近い敵の隊長機に襲撃をかけつつそのまま離脱して仕切り直しを狙うか、それとも敵の僚機を狙うかであるが……ここで隊長機を狙うのは通常ならば得策ではない。

 確実に、



   /        \

 ●      △   →○

   \    ↑   /

   

      \   / 

       →●


 このように、取り囲まれる構図に持ち込まれる。

 こうなってしまうと先程に挙げたような、元来的に不利である鶴翼形に――しかも自機の背面及び側面を取られた状態で突入することになってしまうので非常に致命的な事態となる。

 これはなるべくなら避けたい。

 となると敵僚機を狙うことになるのだが、その際にどちらを狙うかの問題となる。

 先に答えを言うならば、この際、図面下側の敵友軍機は狙うべきではない。

 というのも、


 ※パターン①

   ●

 /   \

      /   ( \ ↓

      △      (   ○ 

             ( /

 \ ↓ /

   ● 


 ※パターン②

  ● ―   ―  ○

  |     /   |

    △

     (   \

     (  → ●

     (   /



 やはり、取り囲まれる形になるためだ。

 この、背面と側面を敵に抑えられてしまう形になる機動は避けるべきだろう。

 近接戦闘兵装の場合は射撃兵装と異なり、背面と側面に対して攻撃するすべがない。必ず正面を敵に向け直さなければならない。つまりどこかで旋回や回旋を行う必要があり――旋回ならばその背面に付かれて追い立てられることとなり、回旋なら足を止めたそのタイミングを狙われることが有り得る。

 更にこの図のような位置状況の場合、どちらに機動しても必ず一機は背面に取り付いて来ることになる。そんな状況はまず避けねばならない。


 一方で図面上側の敵を狙った際、敵機はまず肉体にかかるGの方向性から、『後ろに逃げて距離を空ける』ということが難しい。推進力の関係からも、あまり有効な機動となりえない。

 また、敵から見て斜め前方への機動も行い難い。というのも、敵の友軍機のいずれかとの衝突コースに入ってしまうためだ。

 これを避けるためには通信などによる連携、或いは衝突防止装置による判別が必要となってくるために、敵は最も移動が容易く間合いを取りやすい斜め方向への急速戦闘機動が行えない――或いは動作に入るまでに時間がかかることになる。


 ※衝突パターン①


 → →●  ○

   △

     \

 ● 


 ※衝突パターン②


 ↓    ○

 ↓ △

 ●   \

 ● 



 更に、攻撃のそのままに離脱して仕切り直しをする際に、敵の陣形をという点が挙げられる。


 △

   \

   ●   ○


   ●


 これは、仕切り直したあとの攻撃に繋がるものである。

 攻撃自体は失敗となってしまったが、敵の弾丸を浪費させることができた上に、陣形による不利・有利が変化していないために悪くない結果となる。

 このように複数機と戦う際には『常に突出した敵機を狙うこと』『敵機の移動ルートを重ね合わせて使こと』『敵機を突出させる形を維持すること』を念頭においての機動を原則とするように心がけて欲しい。



 さて、更に補足だ。


 通常ならば隊長機を狙うべきでない、と言ったのには理由がある。

 通常ではないのは、どのようなケースか。


 敵の隊長に急速に接近している場合、敵はここでバトルブーストを一度使用していることが考えられる。

 つまり、ここからこちらが更に隊長機へとバトルブーストなどを用いて急速の攻撃を行った際は、二連続で使わせることとなり、射撃戦を主体に構成している機体は基本的にこれが限度となるために『墜としやすい』。

 こちらが接近時に空戦理論により高度→速度変換を行った急速機動での襲撃を行うか、それとも三連続のバトルブーストが可能であるならば――つまり敵より一度分上回れるならば、この隊長機はここで撃墜できるためだ。


 このように、空戦エネルギーの利用などから如何にして敵より一回分多く急速戦闘機動を取れるかというのが大切になってくる。

 そのような点を心がけ、やむを得ず近接戦闘兵装を使用する際は、必ず敵に最終的に追いつけるように『自機だけが急速戦闘機動を取れる状況』の確保に努めて貰いたい。



 次に、回避方法についてだ。


 前方の――つまり視界上の敵に関しては、見えるからいい。おそらく皆が恐怖を感じるとしたらまず後方からの射撃だろう。

 この対処法について記載する。


 まず、呼吸を読むこと。

 次に、だ。



 ◇ ◆ ◇



 二の腕くんが叫んだ。

 おじさんも叫んだ。


「急に超能力になるぬぅわぁぁぁあ!!」

「急に大声出さないでくださいよ」

「さ、さきほどまで……さきほどまで『フン、理屈はいいが戦いがそう簡単に行ったら苦労せんわ。これだから英雄サマは……』と思ってたらなんだ!? 急に超能力の話になってきたぞ!? ええい、ハンス・グリム・グッドフェロー……! キサマは戦いに関して話すのだけは、まともな口数でわかりやすい男ではなかったのか!」


 哀れビリビリに引きちぎられた紙の束を拾い集めた俳優じみた容姿のキャスパー・ロックウェルは、それらにチラと一瞬だけ目を通して、


「……なるほど」

「なるほどではない、なるほどでは! 急にこんな超人じみたことを書いてどうする!」

「超人なんじゃないですか。……いや、でもあとの方を読むと理屈は判りますよ。そこだけは」

「そうだ理屈は判る! 判るが、一見したら急に超能力者の話になったようなものだろう! これではこの段階で読むのをやめる人間が出てくる……キサマの理屈が伝わらないではないか! ええい……誤解されて終わったらどうするというのだ!」


 二の腕くんが吠えた。

 長袖くんは叫んだ。

 机くんは理不尽な暴力に大声をあげた。


「……伝え方に怒ってるんですか? 伝わらないことに怒ってるんですか?」

「両方だ、両方! クソッ……私の下に来ればこんなものの書き方などいくらでも鍛えてやれるというのに……やはり忌々しい男だ……! これだから英雄気取りは……!」


 そのままブツブツと呟き始める禿頭の悪役プロレスラーめいた中佐を余所にロックウェルは紅茶を啜り、


「今度はなんだこれは! 伝わると思っているのか! ええい!」


 紅茶くんは飛んだ。

 紙束くんも飛んだ。

 長袖くんは辞世の句を詠んだ。いや詠めなかった。酷たらしく爆発四散した。


「……ハゲのおじさんのツンデレは気色悪いだけなんですけどねぇ」


 ロックウェルの言葉に何一つ返されることなく、ハゲゴリラのうめき声が艦橋に響いていた。



 ◇ ◆ ◇



 呼吸とは何か。


 アーセナル・コマンドの運用する大口径の火器を用いた射撃には反動を伴い、更に内燃機関での燃焼ペースや装弾ペースの違い。他に、リロードなどが入る。

 多数機に取り囲まれた場合、あり得るのは十字砲火や背面からの射撃だろう。

 互いに運動している場合、そして常に射線を切っている場合、中々敵の初弾を受けるということはない。徐々に弾丸が自分に近付いてくる、という形になるだろう。

 この際、敵の射撃には固有のリズムやペースがある。

 これを呼吸と称し、あとは、それを把握すればいい。


 次に――脳で見るということだが、折角の全天モニターなので直接の視認の方が合理的に感じるだろう。

 それは確かにそうだ。

 旧来の戦闘機パイロットがそうしていたように、ドッグファイトにおいては、レーダーそのものより如何にして敵を肉眼で捉えるかが大切になってくる。


 しかしながら、そこにはある弱点が付き纏う。


 即ち、首を大きく後方に向けた姿勢では急加速度に耐えられないという点。つまり、バトルブーストへの制限を受けてしまう。

 射撃戦ならばアーセナル・コマンドは多少は持ちこたえることが可能となるが、これが、接触を伴うほどの至近距離・近接戦闘においては大きな不利となる。

 如何なる状況であっても、常に最大のバトルブーストが可能となるように備えるべきだろう。


 そのために、肉の目ではなく脳の目で後ろの敵を見るべきだ。


 後方一般からの射撃は、必ず、自己の前方に向けて飛んでいく。

 ここで、大まかに敵がどの位置・どの方向から射撃を加えてきているかは判る筈だ。

 そして自機が前方めがけて移動しているのであれば、後方からの敵の射撃位置は、それまでに自機が既に通過している点であろう。その時、視界上にどんな障害物が存在していたかも大まかに記憶・把握できている筈だ。

 なのであとは、それらを擦り合わせて、大まかに敵の位置を読めばいい。

 そして、通過時に障害物が存在していたならばその障害物を盾にするとか、そうでなくても敵から直角に近い動きをして射線を切る。


 このとき、敵を見るよりも先にバトルブーストを行った方が早い。そのため、頭部を動かすことは推奨しないというわけだ。

 やることはこれだけだ。


 勿論、コックピットにはホログラムの投射装置があるために、これに自機と敵機の位置や地形を映すことも重要だろう。おそらく、実行している者にとっては今更言われるまでもないことだろうが。

 しかしながら、これについては、やや異を唱えたい。

 無論それを初めから意図的に行い、それに慣熟――つまり苦にせず行えるようになっているならば、問題ない。


 そうでないなら、そこに逡巡や理解のための思索を交えてしまうなら、それは避けるべき事柄だ。

 というのも、人間の反応速度というのは思考を行えば行うほど下がっていく。

 直感的に判断可能なこと以外については、近接戦闘を行うにおいて、避けることが望ましい。


 そんな視覚に頼らなくても、例えば道を歩いていて細かな音や振動から背後の状況が把握できるように、人には視界外の物事を統合して認識する技能が備わっているのだ。

 これを、――と便宜上は定義する。

 目で後ろを見ようとするよりも、慣れてしまえば息を吸うように行えて、余計な思索も不要となる。

 一瞬が文字通り生死を分かつ近接戦闘兵装の戦いにおいては、このように、とにかく自己の判断速度が最大化する手段を行うべきだろう。


 シミュレーター訓練で、反応速度の計測は可能だ。どちらかより自分に合った手段を実行して欲しい。



 次は近接戦闘兵装使用時の、戦闘判断のための情報収集についてだ。

 つまりは飛行能力やバトル・ブーストによって高速化した戦場で、如何にして敵を視認するかという話だ。


 まず、、脳……いや、心で追う。思考ではなく

 そして敵の移動ではなく挙動を追う。つまり、現在ではなく

 些か抽象的になってしまったが、これが肝心だ。


 細かく解説する。


 人間の目というのは、大きく二つの機能を有している。

 即ちは静止視力と動体視力だ。

 そしてどちらにも大切なのが、目のピントを合わせることだ。このピントを如何に合わせられるかが、静止視力と動体視力でも肝心となっている。一流のスポーツ選手や武闘家、トップクラスのEスポーツ選手はこのピントを合わせる能力が優れている。


 なので、これを捨てる。

 敵にピントを合わせる必要はない。その時間が無駄であり、続けていると目が混乱してくる。

 これが、目で追わぬということである。


 では、どうするか。目で見るとは何か。


 爬虫類や昆虫などは、その静止視力と引き換えに強力な動体視力を持つ。特に昆虫については、複眼から、そもそもピントを合わせるという機能さえ存在していない。

 それと同様だ。

 周辺視と呼ばれる技術がある。あえてピントを外すことで、対象物の周辺のものも同時に視認する技術だ。

 これに慣れれば、前を向いたままに目の端にあるものの形や動きなどは十分に追えるようになる。細かい文字などの把握は難しいが、戦闘上での対象の認識には問題ない。


 おそらくこの周辺視に関しては、夜間戦闘――基礎教育過程においての、歩兵としての夜間戦闘時に全軍のどの兵も解説を受けたことがあるはずだ。

 これを使う。

 特別な身体能力が必要されるものではなく、人間なら誰しもが持ち合わせる力だ。難しい話ではない。


 敵を目で追おうとするから振り切られる。バトルブーストの慣性無視が強烈に作用する。

 ただ大まかに眺めていれば、敵機或いは少なくともその残留物などからどちらの方向に向かったかは解るはずだ。


 これがということと、過去を視るということだ。



 その際に注意して欲しいのは、あまり平面的にものを見過ぎないことである。

 平面的に――つまり、全てを周辺視かつ瞬間視しようとすると、敵機以外の不要な情報まで取り入れてしまう。

 なのである一定の領域まではピントを合わせつつ、しかし目標を常に目で追おうとするのではなく、大まかに必要なものだけを見ることを心がけて欲しい。

 半立体的に見る、と自分は称しているがこれで伝われば幸いだ。……伝わるだろうか。


 とにかく、敵をあまり目で追おうとし過ぎないことだ。

 これが戦闘機での戦闘や射撃戦と、近接兵装戦闘の異なる点だ。


 そして、敵の機動そのものではなくその挙動を視る。

 挙動には――――例えば敵が射線を気にして射撃をしていたならばそちらに友軍機がいる=そちらへのバトルブーストはない、ウェポンラックを稼働させていた=直後に攻撃に移るつもりなのであまり長距離の移動はない、或いはその時の機体の向きから耐えられる圧力方向=予期される急速機動の方向など――――様々な情報が含まれており、その後の敵機の行動を察知できる。

 これに基づいて、未来の敵位置及び敵行動を判断すること。


 それを、未来を視ると呼ぶ。

 当然その判断は敵の過去の動きを認識する必要があるために、過去を視ることも必要である。

 そしていちいち秩序立てて頭で思考するのではなく、心でその判断を行う。思考を交えてしまうと時間がかかるからだ。


 あとはこれを殺せるまで繰り返す。


 何も難しいことはない。

 殺せるまで殺す、それだけだ。敵はまだそこにいるのだから。



 ◇ ◆ ◇



 手を繋ぐ男女の可愛らしいイラストを描き、鼻歌を歌い、目を輝かせてページをめくっていた赤フードの少女の手が止まった。


「……うん?」

「なんだよ、アホの子」

「いやハンスさんが何言ってるのか急に判らなくなって」

「……あん?」


 これですよ、と差し出された紙束を掴み取った青髪の青年は、


「別に難しいこと書いてねえじゃねえか。なあ?」


 そう肩を竦めて、背後から歩み寄った黒髪の色男に紙束を投げ飛ばした。

 散らされた花弁じみて空中に無数に飛び散ったレポートは、しかし、何か見えざる手に集められたかの如く――逆再生の如く積もり重なり、煙草をふかした男の足元に集積される。

 それを拾い上げ、一瞥。


「んー……? ……ああ、こういうふうに書いたのか。なんだかんだアイツ、言語化が上手いな」


 それを今度は、電動車椅子の少女の元まで運んでいく。

 電動車椅子――と呼ぶには些か奇っ怪だった。超近未来的な現代彫刻と言おうか、深海魚と多足類と溶けた猟犬が合わさったような意匠の戦闘用ロボットが、大きな車輪を出して車椅子に変形している。

 更に、椅子ではなくお姫様抱っこだ。

 ダボダボと袖を余らせた白衣の少女を、触手と腕と粘液が混ざったような腕が抱き上げている。

 長い黒髪で片目を隠した少女は、紙束を腕時計デバイスでスキャニングし――


「お兄様たちには、戦いがこういうふうに見えてるんだね……。そうなんだ。すごいね……! リーゼとはちょっと違うかも……」

「いや、お兄さんも改めて言われたら……まあちょっと違うが……なるほどな。グリムには世界がこんなふうに視えてるのかね」

「あァ――……まあ、やり方ってのは人それぞれだろうよ。アイツが持続力があるってのも、判る気がするぜ」


 三人ともが頷く。

 それを眺めた赤フードの少女は愕然とした。


「えっこれ、おかしいの私の方なんです……? おかしいな、私の方が常識的じゃないのかな……? 私が一番常識的の筈なんだけどな……おかしいな……」


 そしてまたレポートを受け取り続きを眺め、顔を近付けたり遠ざけたり――――赤いシャツを着た黄色い熊がそうするような表情を浮かべ、


「えっとこれ……剣豪……?」


 そう、眉を寄せた。



 ◇ ◆ ◇



 ……重ねて参謀本部から再三の詳細の解説を希望されたために、再度の追記を行う。


 まずは前述したA〜Eの判断について、如何にして行えばよいのかという疑問だ。

 つまり己の攻撃が有効なのか、有効でないのかの見極め。敵からの反撃が予測されるのか、予測されないのかの見極め。それをどうやってしたらいいのか、という問いかけだ。

 この判断基準について解説する。


 以下に、詳細について記載していく。



 これに関しては、シミュレーター訓練を繰り返し行って間合いの判断に励むしかない。

 自機の持っている速度と、敵機体の相対速度。

 そして敵の移動ではなく挙動の確認。

 これらを総合して、思考ではなく感覚で判断する。判断できるようになるまでやる。


 コツは、加速度を見ることだ。


 例えば車を運転していて車間距離を保とうとしている場合、自然と彼我の相対速度について把握するだろう。

 そこでは、相手の加速度についての認知が行われる。おそらく無意識的に、運転する人はそれを行っている。

 敵の挙動というのも、同じだ。

 加速度を見るということは、そこに込められた力を見るということだ。そして、を見るということだ。

 重い物体には、特有の加速の仕方がある。つまり加速度を見れば相手の重さも見られる。

 そして相手の動きの重さを見られれば、必然、それが何を行おうとした挙動なのかにも判断が及ぶ。なんのための予備動作なのか、そして、それが素早いのか遅いのか、焦っているのか落ち着いているのかなどである。

 その時、頭では無駄にあれこれは考えない方がいい。考えたとしても、それは、文字にならない感覚の集まりだ。運転中に、あまりごちゃごちゃと考えないのと同じだ。


 これを行う。

 それだけだ。


 日常生活で諸君らも行っていることであり、難しいことではない筈だ。

 能力は人間に備わっているので、あとは如何にして戦闘において慣れるかという問題になってくる。

 実戦は危険なので、シミュレーターを用いて行うべきだろう。戦えば戦うだけ、殺せば殺すだけ上手になる。


 なんにしても、斬り覚えることだ。



 ……再三ともなるが、更に重ねて参謀本部から要求されたために、レポートに追記する。


 如何にして敵の挙動とその後の行動を把握するか、という点についてだ。

 まず、繰り返すが、あくまでシミュレーターによって数を熟すことが大切だ。経験の蓄積とは、言語化されない情報についての蓄積である。更にその上で、後に理屈を付けていくと覚えが良い。

 それは敵の装備であり、機種であり、その時の損壊状況であり、或いは大気密度や空中での飛散物、または当時の地形状況などである。

 これらの条件の変化によって、敵の挙動に応じた加速度というのも変化していく。


 ただし、初めに理論から入るべきではない。これでは判断に思考を交えてしまう。

 再三書き連ねているし実戦に出ている者なら知っているだろうが、平時の思考はその六割が戦場で実行できれば良い方だ。戦闘時に隙にならない思考を行うためには、また別に緊張状態でも思考を続けるという訓練が必要となってくる。違う訓練が求められる。

 そのために、特にただ実戦での戦闘だけについて言うならば、自己の反射の幅を増やすことが大切だ。余計な思考の必要のない、雲耀の判断力を養うことが肝心だ。

 それ故に、まずは状況を限定して設定したシミュレーションを行って、そこから段階を上げながらも状況を広げていき、それぞれで『自己ができたこと』『上手く行ったこと』『できなかったこと』について改めて理屈で振り返って己に納得させながら定着させ、ついには状況を限定しないシミュレーターで行えるようにする。


 これがおそらく最も早い。

 それと、戦闘時は如何なる心持ちかと問われたために、蛇足になるが解説する。


 脳を透明にする。

 これをずっと続ける。


 これだけだ。

 繰り返すが、余計なことを考えずとも、シミュレーター訓練を繰り返し繰り返し行っていたら自然と間合いについては学習されて行く。心が覚えていく。

 あとは、それに沿って攻撃を行うだけだ。

 或いは、攻撃を行うという言葉さえ不適格だろう。行っている――とは、とても言い難い。そんな感覚である。


 自然と殺す。相手が殺せる。

 或いは、殺すという言葉も不要である。



 ……どういうことなのかちゃんと解説しろと参謀本部から強く言われたので、以下に、更に状態を記載していく。


 感覚として、脳が冷えていく。

 冷たい水に沈んでいくような、潜っていくような、そしてその湖面に乱れぬ月を映し出す心地だ。

 湖面のそれとは別に、月を水に沈める。これが脳だ。だから冷たく冷える。透明になる。

 この水面の月を如何に乱さぬかに、集中の持続はかかっている。潜るまでは容易いが、あとはそれをどれほどの深さで行えるかと、どれほどの時間続けられるかが大切な点だろう。


 これは――……おそらくはかねてよりスポーツなどで語られていた、ゾーンというものだろう。

 行うにあたって大切なのは『そこに余計に自分にさざなみを立てるものを交えないこと』と『如何に消費がなくその状態を維持するか』だ。

 前者については敵機を前にして自己が抱いてしまう殺意や敵意という感情や意思、そして思考そのものだ。

 そんな、己の集中を乱してしまう要因を極端に取り除くのが肝心である――というべきか。


 また注釈を求められても困るので、念のために、ひとまず、その心構えについても書く。



 まず、敵については考えない。


 そこにいる。

 殺す。


 それだけでいい。

 これで終わりだ。以上だ。



 ……もう少し詳しく語るならば、まず、人道的や軍事的にその敵対が不可避であるのか、そしてその戦闘が合理的に必要であるのかは確認の必要があるだろう。これは軍事行動なのだから、そこに注意をしなければならない。

 決して、それが避けられる状況で強制力の行使を行うことは望ましくない。

 殺害の必要のない状況で敵の殺害を行うことも望ましくない。人道的な観点から、それは強く記しておく。


 その上で、仮に、戦闘が不可避としよう。

 ここで、まず戦闘の条件を満たした対象については――。もう死んでいる者なので、それは自分の中に居ない。特にその対象については、それ以上のことを考えない。

 あとは、現実をそれに追い付かせる。

 自己の認識もまた現実を見ているものなので、自己の認識と現実が同じでないことには違和感がある。違和感が生まれる筈だ。認識に現実が追い付かないとおかしい。

 故に、殺す。

 そこに疑いはなく、他に考える必要はない。執着も不要だ。死んでいる者を、正しく死んでいる者にするだけだ。


 敵意は要らない。

 殺意も要らない。


 ただ、その現実と認識の天秤を釣り合わせるだけだ。

 

 それだけでしかない。

 対象に、特に何かの感情を抱く必要はない。それはただ集中を乱してしまうことに繋がるだけなのだから。


 怒りも、憎しみも、悲しみも、焦りも不要である。


 それは己の湖面を波立たせるものだ。

 なので、全て、切り離して行くべきだ。

 そうしなければ、死ぬのはこちら側になるだろう。余計な思考や余計な逡巡、余計な感情は必要ない。



 集中のための第一歩だが……。


 人間は、物を見るときに『色』を見ている。ゼンやブッディストの用語の『色』だ。それは意味というか、価値というか、印象とか……とにかくそういうものだ。何かを見るときにはそれが付き纏う。

 クオリア、と言ってもいいかもしれない。或いはゲシュタルトと呼んでもいい。

 赤色の、赤いという『色味』。或いは聳え立つ構造物を見たときに抱く印象。男性で言うなら女性やその身体の部位を見たときに抱くもの。そんな、とにかく、『色』というものがある。

 まず、それを切る。

 そうすると簡単に集中できる。


 事実をただ事実、情報としてだけ受け取る。

 そこに余計な意味や価値や印象は必要ない。


 いわば、これは何かを見ると同時に『脳が勝手に補おうとしてしまう』ものであり――そこには印象とか奥行きとか価値などが絡む。単なる情報それ自体では終わらない。

 これは、脳の思考――つまり動作への余計な時間になってしまう。

 その全てを閉じる。己を冷やすと言い換えてもいいかもしれない。

 こうすると、妙に身構えてしまう己などもなくなり、肩に籠もる力が抜け、呼吸も自然となる。


 この、自然な呼吸は穏やかな集中に必要だ。


 そして何事にも、心を留めぬことだ。

 斬ろうとする必要も、おそらく、最終的には必要ない。斬ろうとしているその最中には、斬ることは心から離れている。吸い込まれるというか――……おそらく感覚としては、とか、そのようになるだろう。

 間合いと位置を脳で見ろと言ったのも、このためだ。

 思考することと判断することは、それぞれがまた、別のことである。基準と材料が十分に設けられた判断には、時として思考も必要ない。爆音を認識すると同時に地に伏せるように、或いは与えられた号令に疑いなく即座に対応するように、究極的なそこには思考は介されていない。


 見ることも不要となり、聞くことも不要となる。集中の果てには、そんな領域に辿り着く。

 いずれも、心に浮かんだ水面の月を乱してしまう。

 そんな乱れを消すのである。



 まず、敵の価値を切る。

 不必要な価値について認識しない。

 こうすれば、簡単に脳を透明にできる。あとは深さの問題だ。どれだけ潜っていられるか、どれだけの深さ潜っていられるかに戦闘はかかっている。



 そこで大切なのは、ではなく、だ。


 できたものを、できるものを、如何ににしていくか。

 これが戦闘を継続する上で最も大切なことであり、ためにを磨く。

 極度の集中や消費が予期される戦いにおいては、その技能を積み重ねることが大切だ。

 やろうとすることも集中を乱す。やらずともできるように、すべてを向けていくのだ。


 つまり、なんにせよ、鍛錬を重ねるしかない。

 肉体に与えられる苦痛や疲労は、己の判断能力を低下させるばかりか集中を乱していく。

 如何にその中で自己を沈めるかが大切であり、そうするためには、如何にその動作が自分にとっての負担にならないか――という領域まで鍛えるしかない。



 最後になるが、アーセナル・コマンドとは人間の身体を拡充する兵器だ。

 故に拡充される前の自己の肉体そのものを如何にして高めるか、全てはそれにかかっている。

 脊椎接続アーセナルリンクという技術によって、旧来の兵器よりも覚えねばならない事柄は減った。ただ自己を研鑽すれば、それだけこの兵器は強くなるのだ。


 己のすべてを殺傷性に指向する。


 大切なのはただそれだけだ。他にはない。

 あとの全ては余分である。

 一度捨てて、また拾い直せばいいだけのものだ。人間にはその力があるのだから。



 ◇ ◆ ◇



 なお、このレポートがデータベースに共有された際――及びスパイを通じて流出したときの反応は、こんな感じだった。


「貴公は何を言っているんだ?」


「これもう近接戦闘技術じゃなくて『近接戦闘(ただしハンス・グリム・グッドフェローに限る)技術』だろ……」


「世の理が乱れる」


「公用語で書いてあるんだろうけど意味が判らない」


「少しは理解できるけど、これが理解できるの普通じゃないってことなのかな……」


「こんなのと俺ら殺し合うの……? ほんとに……?」


「悪質なプロパガンダ。非現実なフィクションであり、戦闘意欲を挫こうとする卑劣な策略である」



 賛否両論だった。

 賛もあった。つまり両論だった。両論だ。いいね?





 なお、ある飛行戦艦において。

 ふわふわの金髪の少女と、廊下を歩いているときだ。


「大尉、連携については判ったんですけど……自分一人で戦うときのコツってあるんですか?」

「コツ?」

「遠くで射撃するのと違って、どうしてもすれ違いが増えると……その、目で追おうとすると酔っちゃいそうなんです……」


 ふむと少し考える青年を眺めつつ、金髪の少女はしばし黙した。


(二人っきりで特別訓練とかに……なるのかな。ヘンリー中尉もいないし……)


 黙した。


(と、特別訓練……二人っきり……)


 黙している。黙しているのだ。


(こ、これは大尉がおかしなことをしないかの心配だけですからね! そ、そうです……距離が近かったり……ひょっとしたら大尉はデリカシーがないから急に身体を触られるかもしれないし……そ、そう。その心配なんです! ハラスメントになるかもしれない心配です! それだけなんです! それだけ!)


 バタバタと手が動いたが、黙しているのだ。

 少し声に出ていたかもしれないが誰も聞いていないので黙しているのだ。いいね?

 そして長い沈黙が明け、


「そうだな。……まず、敵は目で追わずに目で見る。そして、脳で追う」


 言った。

 そして続けた。


「あとは……脳みそを、こう、透明にする。湖に沈めるんだ。沈めると冷える……透明になる……湖だから。冷える。冷たい。透明だ。ずっとやる」


 わたわたと。

 ほにゃほにゃと。

 心なしかふにゃふにゃと手を動かして。


 当然、少女は――――


「――――――――、――?、――?、――?」


 猫と和解した。いや、猫に共感した。猫になった。宇宙に浮かぶ猫になった。


(……にゃんこみたいで可愛いな)


 ある平和な一日。

 そして、怪文書についての記録である。

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