第111話 我が赴くは、或いは天の光、またの名をホワイト・スノウ戦役


 その日は、清々しいほどに風が強かった。

 そう、カリュード・カインハーストは回想する。


 終戦――というより、正しくは、本国の降伏を知らされた日であったか。

 本土決戦に移行するか否か、という瀬戸際。

 宙地貿易における最終流通拠点になっていたボウルを改装しての最終防衛線の構築。首都防空隊や議会近衛兵団まで投入しての決戦は、何者かによる首脳陣への爆破テロによって首都陥落――という形で終了を迎えた。


 カリュードら懲罰部隊は、隊を二分する形で戦線に投入されていた。

 フレディ――フレディ・“ピュトーン”・オールドマンは首都防衛線の最外郭における保護高地都市ハイランドの迎撃の一番槍。

 そしてカリュードらの隊は、地球に再降下しての敵大基地への強襲活動及び大都市への破壊工作であった。


『ふざけるなよ……! 恩赦はどうなるんだ……!』


 既に壊滅状態にあった地上戦線の装備を掻き集められるだけ集めての襲撃前に届いたその知らせに、機体を前にした駐留地の仲間の一人が叫んだ。

 懲罰部隊とは、一般的な受刑を受けた囚人――更には軍規違反に及んだ軍人や、敵軍の捕虜になった者や、敵前逃亡者や亡命者や勾留された政治犯によって組織された攻勢部隊だ。

 戦場での一定期間の従軍を以って懲役を短縮されたり、或いは『格別の戦功』によって恩赦を受け取ったりする。

 高い規律の下でのによってを取り戻し、を育み、を得ることで――という名目で編成された集団。

 敵軍のみならず自軍からも疎まれ、防疫や埋葬、戦地での一番槍や膠着した戦線での突破口などの損耗率が高い戦場へと投入されていた。


『もうなんだっていい……帰れるんだな、これで……こんな場所から……やっと……』

『帰れる訳なんてねえだろうが! オレたちはまた刑務所に逆戻りだ! それならまだいいぜ! 下手したら、処刑されるかもしれないんだ! 保護高地都市ハイランドの連中がオレたちを許すもんか! 見せしめに殺されるに決まってる!』


 重金属汚染によって廃棄された都市の中、砂煙に紛れた仲間たちの言い争う声が聞こえる。

 隊のメンバーは、徹底抗戦と降伏で二分されていた。

 徹底抗戦と言っても、内実は、そこまで聞こえのいいものではない。彼らに本国に対する思い入れや帰属感は無きに等しい。単にみすみすと殺されないように武力を以って逃げ回ろう――というだけだ。

 慌てていた、或いはこんな状況でも規律を押し通そうとしていた監視役の軍人たちは既に私刑や何かで排除されたのだろうか。

 外套を被って腰を下ろしたカリュードの前で、そんな言い争いは随分と続けられている。


 吹き荒ぶ風の中で、道端に投げ出されていた紙の書籍のページが捲れ上がる。

 幾度の雨によってふやけて、そして干乾びたページは固く縒れている。風に滑らかに装丁が開かれていくこともなく、大口径の弾丸の雨に晒された人体のように揺れ動くだけだ。


 そんなものを眺めつつ、ふと、思い出していた。


 アレは幾度目の交戦だったか――……。

 レッドフード――第一位の超越者ダブルオーワンメイジー・ブランシェット。

 幾度と撃ち落とされながらもその戦い方を分析し、ようやく一矢を報いた。撃破は叶わなかったが、偶発的にあちらの機体の駆動系が停止し――そして洋上の孤島へと墜落した。

 そんな、揺蕩う孤独な戦場でのことだった。


『昔のカリュードさんのことは知りませんけど――……今のカリュードさんのことしか知らないんで言っちゃいますけど、カリュードさんっぽくないですよ。そういう場所にいるの』


 幾度とその部隊への追撃を行ったカリュードを撃墜し、そして生き残ったカリュードとも生身でも幾度と顔を合わせた少女。

 肩ほどの茶髪を風に靡かせて、波に反射する陽光に目を細める――狼狩人ウルフハンター駆動者リンカーを務めるメイジー・ブランシェットが、ふと、そう言った。


『そうは思えないな。……前に言った通り、俺は、記憶喪失だ。本当の俺は、そういうのが相応しい極悪人なのかもしれない』

『でも今は違うじゃないですか。……やめちゃいません、そういうの。それでこっちに来ましょうよ。うちの船、まともな駆動者リンカー足りないから……カリュードさんなら多分大歓迎ですって! 私からもイチオシしますからきっと!』


 戦場では敵味方であるが、既に、顔見知りのような距離感にはなっていた。

 奇妙な――本当に奇妙な関係だ。

 衛星軌道都市サテライトのその社会構造故に疎まれていた地球の貴族の血を引いていた軍人の麾下に混じっての戦闘から、彼女とは縁がある。

 その軍人も部隊も壊滅したが、カリュードは奇跡的に一命を取り留めて彼女の母艦である【黄金鵞鳥ゴールデンギース】号に収監された。

 その時は艦内の航空機を奪って脱出しただけで会話の機会もなかったものだが、続くレッドフードの快進撃と共に接触――戦闘の機会も増えた。生身で撃ち合ったこともあれば、逆に地球圏での反政府勢力やマフィアから彼女を庇ったこともある。そんな中で、僅かばかりの親交が芽生えていたのだ。


 初めは警戒されていたし、敵味方に分かれての戦い故に受け入れられる筈もなかった。

 年頃の少女故の危機感と、懲罰部隊出身という身分故に激しく銃を突き付けられて拒絶されたこともある。

 それでも不思議なことに、生身で幾度か顔を合わせている内にある種の友情めいたものが生まれるようになっていた。だが、その上で――彼女からのその誘いは、受け入れがたいものだった。


『いや……迷惑がかかる。もし俺が記憶を取り戻した、となると。俺は、それが……恐ろしい』


 知らぬ間に懲罰部隊に命ぜられていた記憶のない不確かな自分への不信感。

 そして懲罰部隊として、己が戦地で命ぜられた任務をこなせてしまったことへの罪悪感。

 地球降下に伴った疫病により罹患した味方部隊を生きたまま焼き払うこともした。或いは一度は占領した地域を戦線後退に伴って破棄する際に、病院や大橋を爆破することによって撤退援護を行った。

 他にも、挙げればきりがない。

 そんなことを任されるような部隊に――とされてしまったかつての己を思うと、到底、彼女のような人間の傍には近付けないと思っていた。

 だが、


『大丈夫です! あなたが本当は悪い人でも、酷い人でも、そのときは――私が絶対止めてみせますから!』


 少女は太陽のような笑顔で――その深い青色の目を細めて、屈託なく笑いかける。

 敵軍の男と二人きりだというのに怯えることもなく。銃を向けることも、拘束することもなく。

 助け合ってこの苦難を乗り越えようと手を差し伸べてくれたその少女に、ずっと何とも言えない心地を抱かされていた。


 泥の中に咲く蓮のような少女だ。大輪の向日葵のような少女だ。


 この世に汚泥と夜空しかなくなったときにも、空の星を見上げられる少女だ。

 たとえ戦争の中にあっても人としての当たり前を捨てることなくただ真っ直ぐに生きられるだろうその笑顔は――ああ、上手くは言いようがないが、太陽よりも眩しいと言って過言ではないだろう。


『……何故俺にそこまで世話を焼くんだ、メイジーさん?』

『世話……世話を焼いてるんですかね、これ? むしろこっちに寝返ってくれって言うのは厄介事を押し付けてる類なのでは……? ううむ……ううん……』


 急に腕組みをして、眉間に皺を寄せるメイジー・ブランシェット。

 その移り変わる表情が彼女の魅力を更に押し上げているのだろう。誰もがくすんだような顔をしている懲罰部隊での日々を思えば、それはより一層鮮烈なものとして内側に染み込んでくる。


『んー……なんだか悪い人だって思えなくて。何度も顔合わせしてるのもありますし……』

『その分、何度も銃口を向けたってことだろう?』

『でもほら、誰も死んでませんし! カリュードさん、殺さないようにしてくれたんですよね! 約束、守ってくれてて……そこらへんもほら、いい人だなーって』

『……』


 笑いかける彼女自身が、そんな人間なのだろう。それとも、そんな人々に囲まれているのか。

 だから――……本当に、心の底から魅力的に思えた。

 自分が今居る灰色の風景を捨てて、彼女やその仲間の居る色彩ある場所へと移る。

 そのことは、本心から、魅力的だった。

 ただ、できないと、思っていた。


 そんなカリュードの内心に気付いた様子もなく、彼女は照れくさそうにほにゃっと頬を崩しながら続けた。


『あとその……カリュードさん、なんだか、その……少しだけ似てる気がして……』

『君の仲間に?』

『いえっ、えーっと……その、私の婚約者の人に……直接はあんまり喋ったことはないんですけど……その、なんとなく……へへへへへへ……』

『そうか……婚約者――か』


 僅かに、カリュードは黙した。

 南洋の潮風も、どこか遠ざかっている気がした。


『……』

『カリュードさん? どうしました?』

『いや、そうだな。……君の言葉はとても嬉しい、メイジーさん。ただ俺も――俺にも、仲間はいる。絆があるとは言えないし、まともな人間たちとも言い難い。それでも、ここまで一緒に戦ってきたんだ。……彼らを見捨てられない。劣勢になった今は、なおさらだ』


 思い入れや同情がある訳ではなかった。

 その人格を評価している訳でもなかった。

 ただ――共に死地に趣き、それを乗り越えた。それだけは紛れもない真実だった。

 そう答えれば、彼女は、


『ほら、やっぱり、カリュードさんは優しい人だ』


 そう――笑う。

 その言葉が、その笑顔が、酷く胸を掻き乱した。

 そんなことはないのだと、そう綺麗なものではないのだと――或いは力づくでここで彼女を組み敷いてしまえば伝わるのかと思い、それから、そうして彼女の期待や信頼を裏切ってしまう想像の中の自分の姿に怯える。


 ああ、なんてことはない。


 カリュード・カインハーストが彼女の下に向かえないのは、自分が彼女たちを裏切って傷付けてしまうことが怖いのではなくて――……。

 そうしてしまう自分を彼女に見られたくないという、そんな、あまりにも身勝手な理由なのだ。

 だから、たとえ己の凶行を止められるだけの実力が彼女にあるとしても、その下には向かえない。

 そんなカリュードの内心を知ってか知らずか、彼女は屈託のない笑みのまま片手を差し出してきた。


『じゃあ、約束です。戦争が終わって――二人とも無事でいて。そのときは、私のところに遊びに来てください。住んでる国が違ったって、今までの記憶なんてなくったって、私はカリュードさんの――』


 そして、記憶は遠ざかる。

 あれは、あのマスドライバーを巡る激戦の前のことだった。

 それから彼女は――【黄金鵞鳥ゴールデンギース】号の仲間の下を離れた戦いで、史上最大の損耗率を記録した作戦の中でのたった六人の生き残りの内の一人となり……。

 カリュード・カインハーストは、奪取されたマスドライバーに変わった増設ブースターを利用した重力戦線脱出作戦の殿を務めて、また、宇宙に上がった。

 そして彼女が宇宙に出ると同時に、入れ替わりのように地上に降りてきていた。それきり、顔を合わせたことはない。


 その戦いも――……終わったのだ。


 停戦協定が結ばれるまでは、戦いは終わってはいないだろう。だが、誰の目にも明らかだ。

 衛星軌道都市サテライトは負けたのだ。

 一方的な高高度爆撃を行っても保護高地都市ハイランドの心を折ることはできなかった。

 その新兵器を奪って使い返したところで、切り崩すことはできなかった。

 新たなる兵器を投入しようとも、数や装備の質で凌駕しようとも、その歩みを止めることはできなかった。


 新たなる宇宙の民の建国の神話は、一人の星の乙女が齎した伝承によって駆逐された――――。


 この先、如何に戦おうとも。

 彼らは決して折れることはない。止まることはない。既に戦争というものに対して、保護高地都市ハイランドは、不屈の神話を得てしまったのだ。

 そうであれば、


『……十分に働いたから、必要な義務は満たしただろう。俺は投降するよ』

『カリュード、オマエまで何言ってる!? アタシたち懲罰部隊が投降したらどう扱われるか判るか!? 暴れるだけ暴れたんだぞ!?』

『暴れ回ったからこそ、そんな俺たちが投降することの意味を――向こうも考えると思うけどな』


 そう言えば、仲間たちが一斉に目を向けてくる。

 随分と長く――長く戦ってきた者もいる気がしたし、或いはつい先日部隊に組み込まれたばかりの者もいる。

 そんな彼らが、カリュードの言葉の続きを待ち侘びていた。


『古い故事にあるらしい。……長く辛い戦いが終わったすぐ後に、ある皇帝の部下たちが反乱を企てていた。戦いは終わったというのにだ。慌ててその皇帝は軍師に相談したそうだ。何故彼らはそうしようとしているのか――と』

『……』

『軍師は答えた。彼らは本当に終戦後に恩賞が貰えるか不安だから、今の内にその取り分を確保しようと反乱を企てているのだ――と。そこで皇帝は、軍師にどうしたらいいのかと聞いてみた』


 古き偉大なる大国の建国の神話。

 その言い伝えの、一端だ。


『軍師は言った。――貴方が最も疎み、最も嫌っていると周囲にも知れている人に恩賞を出しなさいと。そうすれば皆、そんな男でさえも恩賞に預かれるのだから自分たちも安泰だと見做すだろう……と』

『じゃあ……』

保護高地都市ハイランドも、これを機に、争いを速やかに収めたいと望むだろう。……俺たちが彼らに降り、彼らがそれを受け入れれば他の部隊も降伏しやすくなる。――きっと、そこまで、悪いことにはならないさ』


 カリュードのそんな言葉に、感化される者もいたのか。

 それでも未だ、言い争いは続いていく。

 そこに暴力を交えての粛清の嵐が吹き荒れぬならば、カリュードとしても事態の静観をするつもりだった。きっと――きっとどうあっても、最終的に隊は二分されるだろう。

 そんな中で、隣に腰掛けた野暮ったいまでの黒髪の少女が言った。


『……少し意外だった。カリュードは、戦うのかと思ってた。わたしと同じで、帰る場所もないでしょ?』


 名をルクレツィア、と言った。“読書家”のルクレツィアだ。

 年齢は十四歳で、父と夫を殺した罪で死刑判決を受けた少女だった。

 物静かで控えめな少女は、時折トラウマ由来の暴れ方をする以外は荒くれ者の多いこの懲罰大隊でも比較的穏健な方だ。


『帰りたい場所が見付かったんだ。……いや、行きたい先か。差し伸べてくれた手を、今なら取れると思ってな』

『ふーん』

『君にはないのか?』


 カリュードの問いに、少女は、指を絡ませながら答える。


『……保護高地都市ハイランドの人だけど、一人。投降を受け入れてくれて、ちゃんと取り扱ってくれた人がいた』

『なんだ、いるじゃないか』

『……なのにまたこうして戦場に戻ってきたから、どんな顔をして会えばいいか判らない』


 俯いた彼女を前に、カリュードは笑いを零した。

 彼女にとってはあまりにも深刻で笑えないことなのだろうが――……なんだか、自然と笑いが出てきた。

 戦って、戦って、生き延びても戦うだけ。

 終わりがあるとは思えなかった。いつまでも続くと思っていた。そんな日々の中で、ただ生きる以外に頭を悩ませることが生まれた。

 そのことが、なんだか、不思議に思えた。


『カリュードは、その人に会いたいから、戦いをやめようと思ったの?』


 マイナス思考のままにその膝に突っ伏したルクレツィアが、僅かに顔を上げて問いかけてくる。

 それに――カリュードは、首を振った。

 メイジー・ブランシェットに影響されて、戦いを諦めた訳ではない。

 本国の首都が陥落しているのにまだ戦い続けることに意義を感じられなかった訳ではない。


 びゅう、と風が通り抜けた。


 あの本が、また、ぱたぱたと張り付いてしまったページを揺り動かしている。

 その様を眺めつつ、思ったのだ。


『……読むんだな。こっちの人間も、これを』

『え?』

『知らなかったと、思ったんだ。……だから知りたくなった。直接見たくなった。それが多分、俺の理由だ』

『ふーん? 変なの』


 冷めた目を向けてくる少女に、苦笑で返す。

 その本は、記憶をなくしたカリュードの手元にあった本と同じだ。衛星軌道都市サテライト出身の作家が書いた、対してなんてことはない日常の話で、その中でのちょっとした葛藤を扱った話だ。

 かつての自分はそれを読んで、何を感じたのだろう。

 そしてこの本の主はこれを読んで、何を感じたのだろう。


 あまりにも遠く離れた天と地で、生まれたところも暮らすところも違う人間の間で同じものが読まれているのは、何とも不思議で――だから、奇妙に寂寞とした一体感を感じさせた。


 読んだ人は、どう思ったのだろう。

 遠く離れた実感のないお伽噺の一種か。

 それともそこに共通の、共感できる何か同じ悩みを見出したのだろうか。

 それを、たまらなく聞きたくなる気がした。


『ルクレツィアさん、知ってるか?』

『何を?』

『俺たちのいるこの大陸を横断するより、宇宙の方が、近いらしい』

『ふーん? なんだか面白いね、それ』

『ああ、不思議な気持ちだ』


 高度四〇〇キロメートルの孤独えいせいが引き起こした戦争は、本当に、決定的な断絶だったのだろうか?



 ◇ ◆ ◇



 滅んだ涜神の手のひらが、大いなる壁の如く戦場に漂う宙域。

 光が瞬くたびに爆発が上がる。

 それはアーク・フォートレスの残骸を更に砕き散らし、二つの推進炎が闘犬の喰らい合いの如き軌跡を残して暗夜を駆け巡る。

 流れ行く景色の中で、コックピット内の3D敵機投影装置に敵機が浮かぶより先に銃口を向けて――シンデレラは歯噛みした。


(っ、駄目だ――この人、強いッ)


 その長髪じみたワイヤーが稼働すると共に、猛烈に緩急を切り替えて移り変わる幽鬼めいた機動。通常のバトルブーストの枠にとらわれない曲線機動。

 直接的な戦闘が始まって数十秒。

 交わした銃撃は数度。

 しかしその数度で、彼我の差が顕著に現れていた。

 それは――単純な技量の違いではない。あれだけの激戦を経た【コマンド・スワン】の機体の限界が近かった。


 ……いや、認めがたいがそれ以上に。


 目の前の暗夜騎士が、ただ、強い。


「どうしたのかね、姫君。……希望の剣の担い手がこの程度とは、些か興醒めだ。星の希望を束ねる乙女がその程度であっていい筈がない……そうだろう?」

「っ、誰なんですか貴方は――――! わたしはシンデレラ・グレイマンです! 他の誰かじゃない!」


 叫び返しつつ、背部ウェポンラックからレールガンを抜き出す。向ける銃口。しかしそれすらも、脅威と思われていないのか。


「ふ、ふ、ふ……いいや違うとも。希望を背負い、闇を切り裂こうとしたのだ。ならばその尊き輝きに付ける名などは、決まっているだろう? 少なくとも多くの民衆はそう見做す筈だ。――ああ、と」

「何を……!」

。……私は待った。随分と待ったのだよ、星の乙女よ。待たされた時間は――私の方が長い。私はこの日を待ち侘びたのだ」

「訳の判らないことを――……!」


 怒声と共に照射するレーザーも、まるで当たらない。

 否、当たってはいるのだろう。だがそも、このレーザーは一瞬の一撃で敵を焼き切ることはできない。つまりは、冷静さを失っているということだ。

 それを自覚しながらも、シンデレラは応射を止められなかった。


 焦りが、あった。


 全周モニターの幾つもがブラックアウトしていて、コックピットにはジェネレーターや流動パイプからの異音も伝わってくる。

 あれ程の巨体に挟み込まれるという衝撃から、駆動系にも影響が出始めている。

 それでも――如何にそうなろうとも、シンデレラは機体を十全以上に扱える。僅かに力場で補い、或いは流動変化で補い、どれほどのダメージを受けようとも機体は損壊前と変わらぬ運動性を保つ。

 しかし如何にそうできたとしても――完全に機体が機能停止してしまったならば、その限りではない。そしてそれは、遠からず訪れるような予感があった。

 ましてや、


「首輪となるならばそれもまたいいが――生憎と、倒せる敵を倒さぬという選択肢は私にもない。そうだろう? 軍人というのは、その有用性というのはそういうものだ」


 会話に興じつつ、目の前の男から伝わる殺意は一向に弱まろうとはしない。

 戦闘の疲労も痛苦もなく、驚異的すぎる集中力の下としか言えぬほどに――その害意は高い。

 一瞬たりとも気が抜けない。抜いたその瞬間に、


「ここで撃ち落とす――そんな選択肢を選ばぬほど、私は善良でも無能でもないのだよ! 姫君!」


 それは、来た。

 幾条ものワイヤーが宙に踊ると同時、目の前に現れた暗夜騎士。

 ブレード炎が迸る。

 咄嗟に受け止めた【コマンド・スワン】との間に激しい閃光が散る。鍔迫り合い。ヘルメットの対閃光シャッターが降りる。


「聞かせたまえ。……星の乙女よ。?」

「え……?」

「民衆か? 戦友か? それとも――愛しい男か?」


 押し込まれながら突き付けられる、言葉という矢じり。


「その末期の言葉は、一体、どこの誰に向けたものなのか――……それさえ聞けるなら、君の役割はそれだけでもいいのだよ」

「……ッ」


 何かの妄執を込めたようなその視線をコックピットの隔壁越しに感じて――肩部のレーザーを稼働。

 しかしそれが敵機を焼くよりも早く、鍔迫り合いを脱した暗夜騎士はアーク・フォートレスの残骸を盾に姿を消した。

 戦場に静寂が訪れる。不気味な――……静寂が。

 息を潜めた捕食者に狙われているような感覚のまま、アーク・フォートレスの残骸を背に周囲を警戒する。

 そんなときだった。


『……シンデレラさん、聞こえるか? レオは……助からなかったようだ。あんな奴でも、駄目なんだな』

「っ――」

『俺たちの小隊もここまでだな。ここで君とも、お別れだ。……その男は強すぎる』

「カリュードさん!?」


 小隊員から齎された通信。

 淡々と――悲壮な決意を告げるというよりも、その青年の声はどこまでも穏やかなものだった。


『何も、悲観した訳じゃない。……もう少しでここに、新型のアーセナル・コマンドが到着するそうだ。戦場で無謀なことではあるが、君はそれに乗り換えてくれ。俺はその時間を稼ぐ』

「――――!? え、いや、えっ……!? カリュードさん……!?」

『無茶に聞こえるかもしれないが、勝算はそれしかないんだ。……向こうに金色の機体が待機していた。おそらく、前にシンデレラさんが交戦したという機体だろう。君がそのまま喰い下がれば、あれが加わってくる筈だ』


 いつ、どこからまたあの暗夜騎士が迫りくるか。

 それを警戒しながら、シンデレラは通信を続けた。

 分かってしまったのだ。カリュードは、死のうとしている。処刑寸前の罪人が全てに対して晴れ晴れとした心地を持つかのように、彼は、これから起こる死を受け入れようとしている。

 それは、駄目だ。

 あんな化け物みたいな兵器との戦いも生き残ったのだから、そもそもあんな大戦を折角生き残ったのだから、それは、駄目だ。


『母艦からの援軍がどうなるか、判らない。【フィッチャーの鳥】の通信ジャマーの影響が残っているんだ。……おそらく、これが最も勝算が高い賭けになる』

「でも……無茶です! この駆動者リンカーと機体は、それこそ大尉たちみたいな――」

『だから、新しい機体を受け取った君がそれをやるんだ』


 彼の声はとうに覚悟を済ませてしまっていて、譲ろうとしない。何とか、説得しなくてはいけなかった。

 自分が――自分がそれを倒す。それを退ける。絶対に仲間を守る。守り切る。

 そうしたいと思っていたし、そうしなければと思っていた。だが残酷に――彼の通信のその奥で接敵を知らせる機械音声が鳴っていた。

 カリュードと、あの騎士が、会敵した。

 カリュードはシンデレラへと、位置情報を送信していない。そしてアーク・フォートレスの残骸がそれを遮っている。


「待ってください! 場所はどこですか! わたしとカリュードさんの二人がかりなら、きっと――」

『駄目だ。そうしたら、あちらも二人がかりでくる。……いや、おそらく三機目も控えているな。アレは油断のない敵だ。今後も、この戦いの主役となるだろう』

「待ってください! 待って! せめて一緒に!」

『……君には言っていなかったが、俺は、あのレッドフードと引き分けたこともある男だ』


 それが唯一の誇りのように、彼は笑った。


『不死身のカリュードという名を、示すときが来たのだろう。……狩人ハンターという二つ名の面目躍如だ。あとは任せてくれ』


 そうして、通信が切れる。

 同時――入れ替わりのように、接近するについての情報を機体管制AIが受け取っていた。

 差出人は彼我不明アンノウン

 ここに――戦場にいる誰かなのだろうか。

 今この戦場は、【フィッチャーの鳥】が散布したチャフによって外部とは通信が途絶している。同じ場所に居なければ、シンデレラに通信を行うことはできない。

 いや、それならそもそも、カリュードは如何にして新型アーセナル・コマンドの到着を知ったというのか。矛盾がある。何かがおかしい。届く筈がないというのに、どうやって?


『……そのエンブレム、カリュード・カインハーストかね?』

『そこまで名が売れたようで何よりだ、黒き狩人。……悪いが、腕の一本ぐらいは引き換えに貰っていくぞ』

『殊勝なものじゃないか。……幾度と撃ち落とされ、そのたびに敵を学び、いつかは必ず勝利するという君は……なるほど、我々【狩人連盟ハンターリメインズ】の理念とも親しいものがある』


 戦闘突入を知らせるためか、広域での通信が入る。

 思わず、アーク・フォートレスの影から飛び出した。飛び出して、電波の投射距離レンジを全開にした。

 その間も、何者かからの情報は続いている。

 接近する増設ブースターを付けた機体の速度。方向。邂逅時間。乗り移りの方法。


『だが――――我々は、狩人狩りの狩人なのだよ』


 そうして無線に、戦闘音が流し込まれる。

 二機の狩人が、戦闘に移行していた。



 ◇ ◆ ◇



 高速で巡航する銃鉄色ガンメタルの機影――。

 古狩人オールドハンターの愛称を付けられた【コマンド・リンクス】は、よく馴染んだ。

 更に大型化されたジェネレーターが齎す強力な力場の推進力と強固な《仮想装甲ゴーテル》。機体の各部に備えられた流体ガンジリウム圧縮タンクは、その温度を調整しながらも、より推進剤に頼らないバトルブーストの使用を助ける装備だ。


 いい機体だ。


 これが順当に配備されていれば、この戦役も早急に抑えることができただろうと――そう考えながらも機体を踊らせる。

 連装砲の弾丸が真横を通り抜けた。

 対一〇〇〇〇〇機ハンドレッドサウザンド・オーバーのアーク・フォートレスの別機を破壊にかかる自分の行く手を阻むように、展開した民間運搬船を武装改造した敵軍たち。

 それは【蜜蜂の女王ビーシーズ】か、それとも【衛士にして王ドロッセルバールト】か――どちらにしてもやることは変わらなかった。


『何故我々の邪魔をする! 貴様ら保護高地都市ハイランドが滅びるのは、明らかなのだ! 我々の蜂起と共に、貴様らは遍く宇宙の仔らアステリアルの支持を失った! 貴様らが今も我々を殺せてないことがその証左だ! 心ある者たちが、宇宙の仔らアステリアルが、貴様らの暴政を正せと叫んでいる! 彼らは様々な形で、中枢から我々を援護しているのだ! そうに違いない! それが今日まで続くこの戦いの意思だ!』


 勇ましい言葉と共に真横を素通りするライフル弾を眺める。

 敵機の数は八。

 本隊ではなく別働隊か、足止めのために取り残された部隊か。

 もう一機のアーク・フォートレス【音楽隊ブレーメン】――――その出現方向は不明だ。オーウェンがいくつかの可能性を提示したが、確定はできなかった。

 奇妙な呼び声めいた確信を抱いて飛び出したが、果たしてそれは何だったのか。

 だが、こちらに敵軍がいるのならば正解なのだろう。

 正解でなくとも、接敵したなら無力化するまでだ。いいや、


「何故、だと?」


 その言葉に、釜の蓋が空いた。

 グツグツと――煮えているものだ。煮えて、焦げて、へばりついたものだ。

 それが、己の内から吹き出ようとしていた。

 そして、特に止める気になれなかった。


「……お前たちは、いつまでも、繰り返すだろう」


 知っている。

 この戦いが続くと、知っている。


「踏みにじるだろう。献身を、善意を、願いを、祈りを――お前たちは踏みにじるだろう。それに価値がないかの如くに。そんなものがなくなってもいいかの如くに」


 焼けるあのこちらでの故郷の光景は、繰り返される。

 何度でも――何度だろうとも。

 そのたびに誰かが戦いを止め、しかし終わらずに、続いていく。

 それはどこまでも続いていく。果てない道のように。焼けただれた道のように。どこまでも、どこまでも、溶岩の石畳でできた怒りの道は続いていく。


「たとえ抗う者が俺一人になったとしても……俺はそれに、異を唱え続ける。それは報われていいのだと――踏みにじられるべきではないのだと。その献身は尊く、得難く、美しく、貴ばれるべきことであるのだと」


 怒りだ。

 ただ、怒りしかない。

 それは己にも、怒りの炎を移した。不死なるその炎は己の中に灯り続け、怒りに対する怒りとして両の足に力を込める。

 故に、


「お前たちがそれを否定するならば――その幸福や平穏を無情に否定するならば」


 屈するなと、己に刻む。


「それを否定する一切合切を――――俺が否定する。俺が、


 諦めるなと、己に告げる。


「滅ぶがいい。お前たちが滅ぼそうとするその通りに」


 砥ぐのだ。剣を、砥ぐのだ。

 永久に。永劫に。

 決して折れず、曲がらず、毀れることのなき剣を。

 その怒りの炎を炉に焚べ、ただ理性という刀身を磨き、決して砕けることなく斬り続ける剣を砥ぐのだ。


「死ぬがいい――――貴様の理屈の通りに。その願い通り、を受け入れろ」


 そして、来たる滅びを斬り殺す。滅びを滅ぼすモノとなる。

 それこそが、ハンス・グリム・グッドフェローに与えられた命題だ。

 この戦乱と鉄血に酔った世界の中で――ただ一心に立ち続けるその理由だ。いつかの日、いつの日か、己の目の前に幾度と現れるであろうそれを完膚なきまでに破壊し尽くすのだ。

 あとの全ては、些事である。


「俺は、そのための一つの機能だ。


 認めよう。

 憎んでいる。怒っている。それに連なる全てを心の底から焼き滅ぼしたいと思っている。この世に一部の欠片も残らぬように――微塵の未練も妄執も残らぬように。

 関わる全てを斬り殺し、その首を並べ立て、未来永劫微笑むことなどできぬように――決してその行為が一片たりとも報いられることも鑑みられることもないように。

 ただ凄惨な破滅と地獄のような絶叫と酷たらしい死しか与えられないように。その末路しか存在しないように。徹底的に知らしめるために。刻み込むために。

 怒りのままにその首全てを根本から喰い千切ってやりたいと思っている。

 だが、


「それでも告げよう。……命は容易く失われるべきではない。如何な人間であろうとも、どんなものだろうと、それが踏みにじられていい理由はない。近代法はそれを否定している……速やかに武装を解除し、投降しろ。人道的な取り扱いを約束する」


 自分がそう思うことと、社会がそれを許すことと、法秩序が是とすることと、己の今の役割は別の話だ。

 そこに私情は交えない。

 全て捨て置くべき些事なのだ。


「当方の行動は常に記録されている。不法であり、非人道的な行為については監察と処罰がある。その点からも、捕虜虐待への懸念は少ないと言っていい」


 抜け道はあるし、後の処分が今の凶行を直接止めることはできないが……今それを告げる必要はないだろう。

 言うべきことは、一つだけだ。


「繰り返すが、投降しろ。……命を惜しめ。軍人を謳うならば、祖国に戻りその復興に協力せよ。貴官らの命は同時、市民たちへの他でもない献身に繋がる命だ。どうか速やかに、投降しろ」


 応射のライフル弾を通常機動で回避しつつ、通信を続ける。


「これが最終警告だ。……最終警告となってしまう。武装を解除せよ。交戦規定では、敵による脅威行動への直面及びその予期において強制力の行使が許可されている。既に強制力の行使が法的に可能な段階にある。……これが最後だ。速やかに武装解除せよ」


 だが、返答は弾丸だった。

 これまでの機動で――彼我の戦力差は明らかになっているだろう。それほどまでに第二世代型と第三・五世代型の最新鋭機は性能が違う。

 バトル・ブーストを用いずとも、かつての第二世代型とは桁違いな速度での通常航行が叶う。最早、生半可な弾道補正プログラムではこちらを捉えることはできない。

 それでも彼らは――抵抗を続けた。

 ならば、


「そうか。……残念だ」


 あとは、武力を以って応じるだけだ。

 元より彼らにかけている時間はない。大量殺戮兵器の撃墜という命題を前に軍事的には捨ておいてもいいもの。

 それでも人命は尊い――そう考えたが、これ以上は必要性が許さない。


「暇がないため、速やかに殲滅する。貴官らの向ける刃のその理論の通りに――滅ぶがいい」


 抵抗がなくなるまで撃滅する。

 こちらにできるのは、それだけだ。

 だが――――


応報者アンサラーを気取るか、破壊者ブレイカー……お前の本質は破壊だろうに。貴様はとうに、破壊そのものに成り果てただろうに……!』


 酷く罅割れて極めて聞こえにくい通信と共に、プラズマの炎がこちらの射線に割り行った。

 暗黒の空を裂く幾条もの光弾。

 あたかも音声を加工したようなほどに聞き取り難い声であったが、その主は知れている。つい先日まで共におり、まだこちらの記憶からは薄れていない。


「……それは貴官の方こそか、ウィルへルミナ?」

『ふ、ふ……そう見えるか……! 私が、そう見えるか……ハンス・グリム・グッドフェロー……お前には、私が! そう!』


 狂気に呑み込まれたような笑いと共に戦場に割り込んだのは、奇っ怪なアーセナル・コマンドだった。

 言うなれば、片翼の天使か。

 ベース機は大戦後期に衛星軌道都市サテライトにて制作された第二・五世代型【ジャグジャグ鳥ナイチンゲール】か――外装とも言うべき大翼のような外付けの稼働式爆発反応装甲に装甲力を仮託する形で、その機動とプラズマ兵器の両立を図った機体。


 背中の片一方から突き出した鋭い翼は、とても、爆発反応装甲には見えやしない。

 ジェネレーターの改修が行えたならば、或いはそれは流体ガンジリウムを循環させた装甲に置換は可能だろう。

 つい先日まで宇宙を漂っていた【蜜蜂の女王ビーシーズ】に革新的な機体改修が行えるとは思えず、しかし明らかに威容を放つその不気味な【小夜啼鳥ヨリンデ】を前に内心で警戒を強めた。


 彼女は、こちらに戦闘を仕掛けてきている。

 引き金も既に引いた。

 だが、


「それでも――一度だけ警告する。武装を捨て、投降しろ。テロリストに強制された民間人には情状酌量の余地もあるだろう」

『私が、あの男たちの指揮の下に戦っているだと? ……は、は。ナメられたものだな、破壊者ブレイカー……! 私は、貴様とは違う!』

「……そうか。到底、そうとは思えないが」


 見知らぬ相手への投稿勧告に比べれば、まだ、材料は多い。会話で収められるなら、そうすべきだろう。

 その手のプラズマライフルから放たれる射撃を躱しながら、言葉を続けた。


「それは果たして、君の望みか? 命を懸ける戦いとは思えない……それが本当に君の望みか?」

『ふ、ふ……それを決めるのはお前か、それとも私か! 貴様にその筋合いがあると言うのか、破壊者ブレイカー! 私を冷たく突き放した、貴様などのような男に! 私の手を離れたというのに! 貴様が!』


 交戦規定による強制力の行使の段階は――過ぎた。

 ここで斬りかかったとしても、何一つ、公的には問題にはならないだろう。

 だが――……。


『望んだところで、今更それが得られるというのか! お前が私に与えるというのか! 呪われたこの力を持つ私に! 見ただろう、あの力を! 全てを塗り潰す力を! ラモーナの、心優しいあの娘の心を焼いたこの力を!』


 腹から叫び声を上げるウィルへルミナを前に、それは、躊躇われた。

 まだ彼女には、余地がある。

 そう思えた。そう思えてならなかった。


『私はとうに踏み出した! 呪われた力を使った――いいや、この身に宿して生まれたその日からこうなることは必定だった! それだけの話でしかないのだ、破壊者ブレイカー!』


 絞り出すその怒号は――――或いは悲鳴にも似て。

 故に己は、言っていた。


「呪い……か。俺は、そうは思わない」

『な、に――……?』

「力は力だ。それだけでしかない。……それを呪われたものだと思う必要はない。ただ力は、力なだけだ。貴官に対する一切の義務や責務や補償を要求するものではない」


 不思議が残る。判らぬことが多い。

 ラモーナの精神に燃え移ったというウィルへルミナの精神。

 それは諜報として非常に脅威的であり、未だに底は見えない。何ができて、何ができぬのかも知れない。自在に使いこなせたならばこの社会においてこれ以上ないほどの情報的有利――即ちは軍事的有利を確立する力だろう。

 見る人がいるならば、或いはここで葬った方がいい力だと答えるかもしれない。

 だが、だとしても、己の言うことは変わらない。


「それは差異であり、或いは才であるだけだ。……それが理由で貴官の人生に影を落とすことなど、あってはならない」

『綺麗事を……!』

「貴官の内心はどうあれ……仮にどうあろうと。生きる上での枷になるならば、それを呪いと呼ぶべきではない。そう呼ぶこと、思うことが貴官の幸福を意味せぬことに繋がるというならば……たとえ余人が君の力をそう呼ぼうとも、この世で俺だけはそれを否定しよう」

『――』


 こちらの主張は、変わらない。

 当たり前の幸福を。人権として、世に認められる当たり前の社会的な保障を。

 それは――認められていいものなのだ。手放さなくていいものなのだ。

 それは断じて、何からも、奪われたり損なわれたりすべきではないものなのだ。

 故に己は、変わらない。


「詳しくは判らないが……君の力は、ただ、力なだけだ。俺はそれを呪いとは呼ばず、そして、その力が故に君が生き方を定める必要などないと――何度でも言おう。

『――――』

「……俺はそれを否定する。呪いなどはなく、呪いではなく、そして、そのことと君の幸福は全く別の話であるのだ――と」


 いつしか、ウィルへルミナからの弾丸は止んでいた。

 周囲の弾丸も、止まっている。

 ここしかないだろう――そう思い、更に続ける。


「言ったはずだ。否定すると……幸福や平穏を否定するものを、否定すると。それは君の持つ能力に対する呼び名であろうも、例外ではない」


 ただ、心から告げる。


「……君は、呪われてなどいないんだ。ウィルへルミナ」


 主人公などという肩書によって彼女たちの幸福が奪われていい筈がないのと同じように――――そんな力に呪われたというラベルを付けることによって、その幸福が損なわれていい筈がない。

 それは、ハンス・グリム・グッドフェローがハンス・グリム・グッドフェローとして立つ以上は一切を否定するものだ。

 断じて――――たとえ誰が認めようと、神が認めようと、社会が認めようと、断じて。


 


 こちらの言葉から、彼女の返答には大きな間があった。

 やがて――どれほど待っただろうか。


『……繰り返すわ、オーグリー・ロウドックス。いえ、ハンス・グリム・グッドフェロー……』

「なんだろうか」

『私と共に来て。……どうか、私と一緒に。貴方が私を呪われていないと――そう思ってくれるならば。本心から、私を、そう見てくれるなら……どうか、一緒にいて』

「……」


 硬さを失った少女のその声は、彼女がこれまで抱いていた痛みの一部か。

 こちらの言うことは、何も変わらない。


「そうか。再度繰り返すが、俺はそれを呪いとは呼ばない。たとえこの世の誰がそう評そうとも、俺の理性が続く限り、俺だけはそれを否定しよう」

『――! なら――』

「そして、共に来るのは君の方だ。

『――――っ、』


 呼びかけと共に、機体の腕を伸ばす。

 やはりウィルへルミナのその心根は、あの都市で見知ったときと同じく、優しいものだ。苛烈な物言いとは別に、人としての柔らかさを失っていないものだ。未だ戦争に染まりきってはいないものだ。

 ならば、説得に応じる余地はあると――務めて真摯に言葉を続けた。


「今一度繰り返すが、貴官の状況を鑑みれば十分に保護に値することだろう。彼ら残党に協力する気がないというならば……そこに共同した理念を持たぬというのであれば、君は保護されるべき民間人であり弱者だ。……同行を。投降の意思を示すなら、俺は君を全力で保護しよう」

『――』

「……ウィルへルミナ?」


 僅かな沈黙ののち、それは音声が盛大に罅割れるほどの哄笑として返された。


『は、は、は……弱者! 弱者! 弱者だと! 私を弱者と、そう呼ぶか! 私が保護されるべきなのは、私が民間人だと! 弱者だという――ただそれだけか! 手を取れと言うのはそれだけか! お前にとっては、それだけでしかないのか!』

「……?」

『く、く、く……ふふふ、はははははは! そうか! 結局のところ――結局のところ、貴方という男はどこまで行ってもそうでしかないのね……!』

「何を……?」


 直後、彼女の機体のその背面に背負われていた孔雀の翅が展開する。

 多角的に――あたかも崇高なる仏像が背負った後光のように四方八方へと広がり、そして駆動して折れ曲がったその尖端は多角的な砲門としてこちらへと照準された。

 集中して発揮されれば、高強度の火力を発揮するだろう背面装備。


 武器使用の意思。

 交戦継続の意思。


 つまりは――――交渉決裂。


『私を弱者と、そう呼んだな! 保護されるべきだと! だからこそ手を差し伸べるのだと! お前の中ではその程度にしか値しないのだと! そうなのだと!』

「……」

『あのとき手を振り払っておいて――今更差し伸べたと思えば、笑わせる……! 笑わせるわ、貴方……!』


 引き金に指をかけて指向しているのと同じだ。

 ウィルへルミナ・テーラーは、ハンス・グリム・グッドフェローへと交戦の決意を突き付けていた。

 内心で歯噛みし、


「状況が異なる。貴官の個人的な望みについては俺に可能な範疇を超えていたが、テロリストからの解放及び保護ならば俺の職務にも反しない。……どうか早急なる投降を。このまま続ければ、待つのは貴官の死だけだ」

『職務、職務、職務――……職務でしか私に関わらぬというなら、私もそう応じるだけだ! 破壊者ブレイカー!』

「……そうか」


 だが――彼女の怒号と共に、プラズマ砲が発射される。

 それを回避しつつ、計算した。

 円周めいて展開された多角的砲門の数は二十四門。時計で言うところの、長針一つ辺りに二門が用いられていることになる。砲門数から単純に考えれば、その砲撃の総火力は一機で一個中隊から一個大隊に相当するだろう。

 あとはその連続稼働率と、冷却時間と、総出力だ。

 テロリストという身である以上は現行型の――第三世代型のジェネレーター出力は有しないと推定しつつ、同時に言葉を発する。


「……内心は自由だろう。俺はそれには関しない」

『ならば……!』

「……だが法的には、内心と、行動の自由は異なる。再度の警告及び確認だ。貴官の選択するその行為は深刻な秩序への反抗であり、そして、国際法から強く否定される行為だ。俺には警告の義務があり、貴官のその行動は社会的に批難され得る。既に交戦規定における強制力の行使段階にも達している……その行動は貴官の生命及び将来に対して暗い影を落とすだろう。ただちの停止を要求する」

『フ……それをしなければ、私をどうする! どうするつもりだ、破壊者ブレイカー!』


 問いかけながら【小夜啼鳥ヨリンデ】から放たれるプラズマ砲。

 彼女の周囲に燐光が灯ると同時に――その機体の上下左右から光の尾を引いて放たれる。

 機体を一方向に加速させて回避。

 その手の銃口とその機体の砲撃の起点が一致しないというのは厄介だが、ただそれだけだろう。元より銃口を見て回避している訳ではない。敵機との方向及び位置から回避しているだけだ。

 つまり、全てが分類上は正面から襲いかかってきているというならこちらの回避軌道への影響は無に等しい。


 分析と共に、内心が切り替わっていく。


 計算することは、思考することは、細分することは、いずれも理性という己の脳を用いるのと同じ分野の作用だ。

 己が沈降する。

 透き通った集中力の中へと、沈降する。

 その上で、


「投降をしないなら、貴官を撃墜する。……可能な限り無力化に努めるが、殺害も容認され得る」

『貴様の言葉で話せ! 貴様の言葉で! 貴様の意思で! ただ貴様の殺意で私を殺せ! 私は、それを組み伏せる――――!』


 その攻撃を躱しつつ、己というものの糸を握り締めた。

 まだ完全に己を切り替えるべきではない。沈めてしまうには早すぎる。剣ではなく、人としての役割が求められている。

 口を開き、


「法に従う、という俺の意志だ。そして俺に、特別の殺意はない。貴官以外に対してもそうであり、貴官に対しても同じである。そして――」


 ブレードを構え直す。

 高い操作追随性レスポンシビリティ――【コマンド・リンクス】が如何に優れた機体かを示すには十分なもの。

 この機体とあっては、己の継戦疲労や連戦消耗は極めて無視していいものとなるだろう。

 故に、


「……不可能、と通告する。それでもやりたいならば、構わないが」

『ならば、そうさせてもらう!』

「……そうか」


 あの日々を――想った。

 ラモーナと、ウィルへルミナと過ごしたあの日々を。

 それは真新しく鮮明な思い出であり、未だ己の中では薄れきってはいないものだ。名と身分を偽れど、感情に関しては何一つ偽っていない――確かなやり取りだった。

 それが、永久に、失われる。

 それは寂寞とした念を抱かせると共に、


「……敵目標ターゲット、ウィルヘルミナ・テーラー。速やかに殲滅する」


 それでも己の任務は変わらない。有用性は変わらない。

 求められ、そして己が求める在り方はただの一つだ。

 即ちは……その線を超えたならば、斬ること。


 ――――

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