第112話 アルテミス・ステップ、或いは焔、またの名をホワイト・スノウ戦役


 灰被りの姫に時間を知らせる時計の動きのように、その機体の背後で右回りに灯り――――吐き出されるプラズマの砲火。

 次々に撃ち出されるその砲撃は、戦艦の集中砲火にも似ていた。

 片翼であることをやめた堕天使が、雷火を統べる。


『お前の本性は、破壊でしかない。……分かり合う気もなく、譲り合う気もなく、ただその行く手を遮るものを平たく均して進むだけの存在だ。お前は言葉を交わしても何一つ交わさずに踏み砕くだけの生き物だ』


 酷くノイズが混じって聞き取りづらいウィルヘルミナの声。


『お前は何かを打ち崩すことでしか己を表現できない……何かを築くことも! 打ち立てることも! 組み上げることもなく! ただ、その動くままに何もかもを焼き尽くすだけの暴力でしかない!』


 後光がそのまま殺意を持ったようなその射撃を前に、ブレードを構えつつ口を結ぶ。

 さらなるジェネレーターの強化をされた【コマンド・リンクス】は、プラズマブレードを維持したままのバトルブーストを可能とする。

 これを盾代わりに使えれば一撃二撃は持ち堪えられるだろうか。最新鋭だけあって、過不足ない機体だ。


「……そうか。そう思いたいなら、構わないが」


 戦術思考を深めつつ、並行して開く口。

 会話と思考は、既にほぼ、別の領域である。


「ところで、先程貴官に手を差し出したことはもう忘れられたのだろうか? 忘却したなら、再度行うが?」

『――――』

「都合のいい記憶と解釈を押し付ける者に、他者をどう正当に評価できるのかは疑問が出る。……いや、すまない。ただの疑問だ」

『――――――――』


 砲撃が一瞬止み――直後、哄笑が返された。


『ふ、ふ、ふ……ははは! その恍けた態度……お前はそこまで純化させたか! その手の万物を用いてただ相手を斬り刻む! 人格も、言動も、振る舞いも、全てが敵を討つための刃でしかない――――!』

「……」

『いいぞ、ハンス・グリム・グッドフェロー……! それでこそだ……! それでこそ、屈服のさせがいがある!』


 そして笑いが終わると共に、堕天使――【小夜啼鳥ヨリンデ】の背面武装が宙域に展開された。

 鳳仙花の種子の如く、或いは花火の如く四方八方に飛び出した刃めいて鋭い翅。

 その状態で――本体を離れたままに、それは、砲撃を開始する。

 光の檻のような弾幕が、迫りくる。


(モービッド・オービット……だったか)


 “罹患した軌道”という意味を持つその兵器は、いわゆる浮き砲台の一つだ。サイズ的には大型だが【炎鳥の黄身クリスタルクーゲル】もこれに含まれると言っていい。或いはそれの小型化・可搬化を見込んだ兵装と言おうか。

 アーセナル・コマンドのみならず、アーク・フォートレスからも散布・敷設されるそれらは、かつては主に航路封鎖などに用いられた。

 旧世紀に戦車などに補助搭載された爆撃ドローンや弾着観測ドローンの延長線上に存在する兵装だ。


 それ自体に弾薬や推進剤を満たして、半自動制御による射撃を敢行する兵器。

 同時に友軍機からの無線コントロールも可能であり、単機にこれを積載して空域に解き放てば少ない人員での制空権の確保も容易となる戦略型自律兵装だ。

 ただし、かつてそれを目的に開発され――そして行っていた機体たちは全て、リーゼ・バーウッドの参戦と共にその指に絡め取られて友軍を殺す同士討ちの道具に早変わりをしていた。


 ある意味では、廃れた技術と呼んでもいい。


 無論ながらその防空性能故に【炎鳥の黄身クリスタルクーゲル】のように現在でも用いられてはいるものの、アーセナル・コマンドやアーク・フォートレスの進化に比してそちらの自律兵器・半自律兵器の技術進化のツリーは伸びなかった。

 無人機というものがひとえに隆盛しておらず、或いは退化の傾向にあったのも全てはリーゼ・バーウッドという少女に由来する。

 ある意味では彼女こそが今でもを強要させる要因であり、同時、技術格差における非対称戦において一国の無人兵器が他国の人間を一方的に殺戮するという地獄が発露しない理由でもある。


 それを、ウィルヘルミナ・テーラーは再び戦場に用いてきた。

 寡兵での戦闘を強いられることになるテロリストたちにとって、この兵器は福音であったのだろうか。

 或いは彼女とのかつての交流から推測された――彼女の個人的な信頼できる味方が少ないであろうという状況には、合致していたのか。


『お前の空を、切り取ってやる――ハンス・グリム・グッドフェロー!』


 多角的なプラズマ砲撃と読んでいいそれらが、ただ、こちら目掛けて集中する。

 生物の進化のように、軍事品の進化もまた必然性と淘汰の歴史だ。

 衛星破壊による通信障害やチャフによる電波欺瞞、そしてリーゼのような特異素質によるクラッキングを警戒して人類が育まずに終わった技術であっても――人的資源に劣るテロリストという土壌ならば、発育の余地はあったのだろう。


 ある種の未知のストラテジーと読んでいい。


 空飛ぶパンジャンドラムめいたその独自進化の兵装との戦闘は、こちらも、大戦中も以後も行ったことがない。

 降りかかる砲撃を回避しつつ、歯を喰い縛る。


(……初期化コマンドは、もう、用いるべきではないな。完全なる俺の実力だけで躱しきらなければならない)


 既に一日に幾度と使用し、かつ、その状態で心停止まで経験した。

 無論ながら最終手段としては用いるつもりではあるが、そも、フィーカの声が聞こえない。彼女のデータは消去されてはいないが――まるであたかも使かのように、会話というものが失われていた。

 彼女がおらずとも、起動は可能だが……多方面から絶え間なくプラズマ砲で撃ちかかられている今、自分独力でその動作を完了させることを思うと些か選び難いものだ。


 そして、身体の状態は悪い。


 幾度と心停止し、蘇生した影響であろう。

 バイタルサインはレッドゾーンに突入しており、これが戦場でなければ精密検査を命ぜられてしまってもおかしくない。

 体力の消耗も激しい。

 持続力に優れるという自分がここまで追い詰められた。

 それほどまでの――そんな兵器だった。あの、アーク・フォートレスというものは。


(そこに来ての……単機空域制圧兵装を相手か……。単機にして中隊規模以上の火力と制圧力を発揮するのは、戦略的には恐るべき兵器と言っていい……)


 内部に搭載されたフライホイールにより射出時の運動エネルギーと砲撃の反動を貯蓄し、適宜吐き出すことで砲身の移動と回旋を行う移動性。

 そんな移動手段によるために推進炎などを殆ど吐き出さず、かつその形状と大きさから高いステルス機能を持つ隠密性。

 レーザー照準を用いた自動索敵及び自動砲撃を行う自律支援機能と、本体からの無線通信により砲撃支援を行う火力拡張性。


 いずれも驚異的であると言っても過言ではない。

 弱点は小型の兵装に移動機構と火器管制機構と通信機構と射撃機構を搭載したがための整備性の悪さであるが、同数のアーセナル・コマンドの整備にかかる時間よりは短縮されていよう。

 そういう意味でも、極めて戦略性が高い機体と兵装である――と評価できる。


 その上で、こう言おう。


(ただ――


 射撃というものは、敵が棒立ちならばともかく、運動しているものに対しては未来の位置を想定して攻撃しなくてはならない。

 これを偏差射撃と呼び、アーセナル・コマンドにおいてはこの偏差射撃を補正する機能が火器管制AIに搭載されている。コックピット内でのロックオンと共に、運動中の相手との距離及び速度差に基づいて弾丸の到達位置の予測が行われ、銃口の角度が自動で調整されて、弾丸が発射される仕組みだ。

 そしてそんな偏差射撃というのは、当然、未来の想定位置と現実の変化によって容易く無意味となる。


(それを可能とするのがバトルブースト――アーセナル・コマンドという兵器だ。つまり、あまりにも組み合わせが悪い)


 奥歯を噛み締め、加速圧に身を任せる。

 浮き砲台から放たれたプラズマ砲が空を切った。上下左右から襲いかかるそれを、緩急織り交ぜた機動で回避していく。

 一人で中隊規模の砲火に晒されつつ、その砲撃空間のあちらにいる敵本体を破壊しなければならないのは骨が折れる――と言ってもいい。


(だが……)


 この射撃というのは基本的に『一つの衝突点』しか存在しない攻撃だ。

 その衝突点を抜けてしまえば――つまり機体と弾丸の僅かな到達時間の差、僅かな距離の差、僅かな角度の差が存在してしまえば、それは無効化される。

 そも戦場では偏差射撃が必然である以上、こちらの行動も当然ながら速度の緩急を織り交ぜたものとなり、また、進行方向を小刻みに調整しながらのものとなる。


 これでまず、側方からの攻撃は当たることがない。


 つまり、多角的な攻撃が恐るべきものであるのは確かであるが、側方域に限って言うならばそれらは機動の基本を守る限りはほぼ命中の心配が不要なものであり――という言葉とは裏腹に、その半数は無駄弾と呼んでいい。

 集団による多角的な射撃への対処の本質は、このことを知っているか否かだ。

 一見すれば、逃げ場がない恐ろしい攻撃と思えて機動が鈍る。無数に降りかかる射撃を前に回避に迷いが出る。こちらから撃ち返すことが難しい小型の砲台は脅威だ。


 そこを――そんな恐れをこの攻撃は突いてくる。


 だが、理論さえ知っていれば慌てることはない。

 ただ、備えることだ。

 十分な理論に基づいた鍛錬という、軍人に許される――人類に許される対応が、その神秘のベールを引き剥がす。


 互いに運動状態にある場合は、旧世紀の戦闘機の機銃掃射がそうしていたように、相手の背後を完全に取るか、相手の前方を抑えるかをしない限りは必中とは到底呼べる状況とはならないのだ。

 警戒すべきは機体の進行方向の前後からの射撃のみ。

 如何にそこに位置取られぬように射線を切るか、というのがこの戦いにおける要訣であり――。


(これは、


 敵機の大まかな位置を把握し、その位置からこちらに有効となる射線を認識し、あとは当たらぬように動き続けるだけ。射撃と運動という戦場の当然の理屈。

 そしてこれらの自律兵器は、アーセナル・コマンドそのものに比して装弾数で劣る。機動の速度で劣る。かつ司令塔を破壊すれば全てが沈黙するという意味で集団に劣る。

 そして小型化した砲台というものはこちらから狙う上では確かに不利であり、明らかに相手の利であるが――それは同時に


 こちらから狙いにくいならば、逆説的に、『攻撃することを捨ておいてもいい』ものに分類されるのだ。

 多数機との戦闘で恐ろしいのは、こちらから攻撃可能な対象が入り乱れること。そして力場という再生可能な装甲によって、火力を継続させぬ中途半端な攻撃を与えることが高確率で無駄弾になってしまうこと。

 これが、通例のランチェスター第二法則を超えて、アーセナル・コマンドに関しては数の三乗こそが戦力比と呼ぶべきかもしれないと言われる由縁だ。


 そんな集団戦での注意すべき事項の一つを、無視してもいいものとしてしまう。

 また、集団に比べて視点の数で劣るのも問題だろう。

 一機による多角的な攻撃では、敵機に対してのその後の機動を予測するための多角的な視点と多角的な発想というものが存在しない。

 個人で行えることには限度がある。


 他の人間についてはどうかは知らないが……。

 ハンス・グリム・グッドフェローという男に対して――


(……とはいえ、宇宙空間とは相性がいい兵器だ)


 敵機から齎される射撃を回避しつつ、加速度に歯を食い縛る中で改めてそれを念頭に置く。

 対集団戦のテクニック――敵集団から大きく距離を取ることで、狭い範囲では多角的に向けられていたはずの砲門を、相対的に一方向からの攻撃のように見えるほどに押しやる。

 その状態で敵が全方位射撃を行わんとすることは、網の目を広げて相互の距離を開かせてしまうこととなり、或いはより密集させるなら結局ただの一方からの射撃の域を出ず――どちらにせよこちらの接近を許す。

 その間も、敵は射撃にかかる弾薬やエネルギーを使用している。つまりは、消耗戦であり、こちらの利だ。


「すゥ――――……」


 そうして距離を取ったところで、頭を落ち着けるために一度大きく息を吸い込み――思考を回す。


 宇宙空間では空気の抗力や重力の影響がないがために、一度バトルブーストを行ってしまうとその勢いが消えることがない。新たな力が加えられない限りは、そちらの方向に対して慣性力のままに進み続ける。

 つまりは――

 これを防ぎ、バトルブースト本来の成立理念である急激な緩急をつけた機動を実現しようと思うならば、必ず、ある時点での本体への制動ブレーキが求められ、もしくは更にそのままバトルブーストを重ねがけしていくことになる。


 しかし後者を実行する場合は本体速度の増加によって、旋回時の円弧の大型化が余儀なくされ――つまり、どうしても大味の戦闘機道になってしまう。

 更にそのまま加速を続けていると、いずれ、本体そのものが持つ速度に比した際の急速戦闘機動の加速度の割合が低下してきて、やがて、大きくベクトルが変わることのないにしかならない。

 更にはその速度域で発生する遠心力は容易く人体を損壊せしめるものとなるため、注意が必要だ。


 そして制動ついてだが、人体の持つ加速度への耐性が方向によってそれぞれ異なるが故に、前方への加速に比して制動は緩やかになりやすく――そこを突けるならば、実に有効な兵器となろう。


(……ウィルヘルミナは、その点も十分認知しているらしい。一筋縄では行きそうにない……)


 再接近に伴う弾幕の密度の上昇の中で、彼女の射撃は明らかにこちらの機動の隙を狙ったものとなっていた。

 落ち着いている。

 無駄弾を吐き出すことなく、こちらの緩急をつけた機動が可能なタイミングを狙うことを避け、減速中や加速直後を狙って行われる砲撃。


 対するこちらはその弱点というものを認識した上で、機動を続けることが大切だ。

 そして、必然、テクニックというものもある。

 自機に加わる加速圧の方向を、機体の姿勢によって制御する――――例えば旧来の戦闘機におけるインメルマンターンやスプリットSなどに見られるように、機体にかかる遠心力を足元への押しつけ方向のGに転化させるマニューバのように、圧のかけ方や抜き方というものがある。


 空戦機動は決して魔法でも異能でもなく、連綿と人類が育み研ぎ続けてきた技術であるのだ。

 然るにその延長線にある宙戦機動も等しく――

 ここにあるのは、ただ研究と研鑽のみだ。


(使わせて貰う――貴官らが育んだ技術というものを)


 最も危険なGは足元から頭部に抜けるG――マイナスGであり、機体の足下目掛けて降りるような加速で発生。

 頭部から足元に押し付けてくるGは血流落下による意識喪失のリスクは伴うものの、機体の耐G機構や人体の構造上耐えやすい。

 背中から胸に抜けるものは、頭部と頸部にかかる圧力が筋肉の苦手な伸び方向のものであり――骨格の構造上ただ筋肉で耐えるしかないため危険。

 側方へのGは、身体を幾ら装備で固めたとしても、頭部に関してはこれも首の筋肉のみで支える他ない。


 駆動者リンカー保護スーツによって、機体の機動姿勢に連動し首関節をロックするそれらによって、側方Gへの保護能力は上昇したものの……それを作動させてしまうと後方や側方への頭部を動かしての目視索敵が不可能となることを意味する。注意が必要だ。

 優先度は前方と上方に向けた機動、側方への機動、その次に背後への機動となり、足先への機動はまず最悪を意味する。


 そんな――航空生理学と空戦定理に基づいた数多のマニューバ。


 それは、大地とはまた異なる慣性力を持ってしまう宇宙空間での戦闘において、人々が生み出した研鑽の結晶だ。

 血の結晶だ。

 それを改めて、己に纏い直す。己という武器に。


「――――ッ」


 再びの互いの射程圏内での邂逅。

 幾多に追い立てる光弾を左右に躱して振り切りつつ――バトルブーストを利用したクイックターンで機体を半身に急回転させ、横滑り。加速圧を横方向へと変換。

 その状態での急制動フルブレーキ。逆方向の横Gとして圧力を受け止めながらも、即座に機体前方へと弾けるようなバトルブースト。

 突き出した切っ先が直角に切り返すような宙戦機動マニューバ――エッジブレイク。


 追い縋るプラズマの砲撃。

 かつての大戦の後期を思わせ――否、それよりも精緻で圧倒的だ。あの終盤期のプラズマ兵装の持ち主は、皆、練度の低いものばかりだった。思えば、ここまでの多面的なプラズマ砲の使い手に出会ったことはない。

 ウィルヘルミナ・テーラーは、紛れもなく、この世界で出会うプラズマ兵装の使い手としては上位に当たる。

 だが――


「ぐ、――――ッ」


 エッジブレイクに移行するような半身姿勢の横滑りのままに、スライディングめいて機体の上体を倒しつつ――そのまま頭上方向目掛けてのバトルブースト。

 入れ替わりに襲いかかる身体を下に押し付けるような圧力に歯を喰い縛りながら、機体を半回旋して姿勢安定。

 機体の進行方向を一直線に完全に切り返す宙戦機動マニューバ――スライディングターン。


 斜め前方から撃ち降ろされるプラズマ炎を、さらなる前方へのバトルブーストで回避しつつも――その先に待ち受ける敵子機による十字砲火空間。殺意の檻。

 機動続行。

 足を腿から振り上げるような最小円での上下半回転。その最中で重ねるは、頭上へのバトルブースト。

 急制動フルブレーキの切り返し。強烈な血液降下に呼吸法と筋肉で持ち堪え、更に機体を捻って慣性力の進行方向へ機体正面を向け直し――……そこからの、頭を下に向けて行くような宙返り。

 半ハート型の軌道を描く宙戦機動マニューバ――ブレイクユアハート。


『っ、曲芸を――――!』


 機体の身を翻しながら、シートに目掛けて肉体を押し付けるようなGに変えて加速圧を抜く。


 通常のバトルブーストや簡易なマニューバのみとは異なる機動戦闘。

 保護高地都市ハイランド宇宙軍の中には、このような、宙戦マニューバを繰り返し行うアクロバットチームも存在する。

 彼らが日常から行うその鍛錬は、確かに、今の自分の戦いへと還元されていた。


 これらのマニューバは姿勢の転換に伴い、その後の機動方向を敵に予期されてしまう危険がある。

 基本的に駆動者リンカーはマイナスGを避けにかかるために、機体前方ないしは上部方向と左右の移動を組み合わせるものになる――つまり、まずマニューバ中に足先方向への移動が行われることはないのだ、と。

 それでも単純なバトルブーストよりも移動距離も速度も稼げるが故の宙戦マニューバであり、必然――そんな敵の認識を躱すための欺瞞マニューバも存在する。


 上方宙返り中に機体の旋回制御を手放し、遠心力にそのまま引きずられるようにあえて脚部側へと流される。

 その慣性方向へ追加加速すれば頭部へ向かうマイナスGが発生してしまうだろうが――――更に重ねて、機体の足を振り上げるような急速上下縦回転。

 その旋回半径の内側に機体頭部を据えることによって遠心力で下方へのGを生み出して安定。機体は当初ループ中の足先であった方向への移動を果たすという欺瞞の宙戦機動マニューバ――ループドリフト。


 エッジブレイクじみた横向き体勢の制動ブレーキの姿勢から、前方ではなく後方への出力を絞ったバトルブースト。

 前を過ぎる砲撃を見送りながら、両足を振り上げる後方宙返りでG方向を制御しつつ更に後ろへの距離を稼ぐ。

 宙戦機動マニューバ――クイックバックステップ・アンド・ムーンサルト。


 こちらが左右や前方に逃げることを想定した敵の射撃。

 それを裏切る下方向へのバトルブーストと同時、機体脚部へは上方のバトルブースト。

 またしても脚部を旋回半径外縁に振り上げ、遠心力を以って縦方向のプラスGに変換。そのまま、上下入れ替わった姿勢から上乗せの追加バトルブーストで距離を稼ぐ。

 縦向きの回転で逆落しに躱す宙戦機動マニューバ――バーティカル・アサルト。


 人の世は、多彩だ。

 人の技は、多彩だ。


 己には、マーガレット・ワイズマンのような常識を外れた耐G能力も空間識覚もない。

 この身にあるのは、研鑽だけだ。

 人類という種族が積み上げてきた石の橋を受け継ぐ、研鑽だけだ。

 多くの人々が連綿と作り給うた技術を使うだけだ。


『く――――この、動きは……! これが、人の、最高峰の――』


 跳ぶ、跳ぶ、跳ぶ――――。

 進行方向を誤認させ、もしくは誤認の誤認という欺瞞を行い、ときに単純に大きく機体を旋回させ、更にバトルブーストの出力を倍以上に変化させ或いは出力を抑えて振り切り、多方向から撃ちかけられる弾丸を回避する。

 古き狩人を思わせる銃鉄色ガンメタルの機体が吼える。


 駆動者リンカーの意のままに動かんと、その意を決して損ねぬのだと――最新鋭量産機に相応しい追随性を見せる。

 無数の稼働データをフィードバックされて作り上げられた量産機は、この機動にもエラーを吐き出さない。

 旧式の第二世代型では不可能だった幾重の機動。


 それは、人の力だ。


 この世界に住まう数多の人々が、決して歴史にも記されない人々が、名も有り個々の人生も在る人々が紡いできた人というものの力だ。

 決して奪われてはならない、続けなければならない社会と人の持つ力だ。

 ただ一人に――ただ一人の才能に、断じて打ち砕かれるものではない。


(俺は、一人ではない)


 やがて、全ての弾幕を交わしきり、弾薬を吐き出させ尽くした上で敵機との正面邂逅ヘッドオン

 ことここに来て、多角的攻撃は無価値に至る。

 即ちは、という空間的な障害物。弾丸の空白。射線の限定。

 近寄るこちらを撃ち抜ける弾丸は、左右か。それとも上下か。後方は斜めの打ち下ろしか、穿ち上げか。

 果たして敵は、置きに来る偏差射撃を行うか。

 己が眼前で、こちらの切っ先を、意思を、機体を破壊しにかかるだろうか。


『砕け散れ、破滅の魔剣――――ッ!』


 だが――叫びと共に繰り出されたその攻撃は、まさしく意表を突くものだった。

 堕天使めいた【小夜啼鳥ヨリンデ】の本体背後に漂っていた刃めいた浮き砲台が掻き消え――撃ち出される。

 剣を投じるような浮き砲台での急戦白兵機動。

 本体の持つバトルブーストの力場圧力を、子機を撃ち出すために使用した。


 咄嗟、敵機の斜め下方に抜けるようなバトルブースト。


 圧力を抜くために前傾し、前進のままに降下していくような銃鉄色ガンメタルの自機の頭上を、置土産の如きプラズマの針が抜けた。

 子機を撃ち出すと同時、砲撃も行っていたらしい。

 更に慣性力の消えぬ宇宙では、一度射出したそれら子機の速度は低下することはない。

 フライホイールにその運動エネルギーを吸収させつつの、刃が旋回。後方から高速で戻り来るそれは、いわば、刃の結界だろうか。


 何たる苛烈か。


 傲慢なる空間の支配者の如く、刃じみた砲台を振りかざし、制御し、その急機動のままにプラズマをばら撒く。こちらの機動を遮る。

 そしてその本体である【小夜啼鳥ヨリンデ】は、ガンバレルめいて、更にその周囲に刃を番えてこちらに照準している。

 こちらを、砕くか。打ち砕くか。


(いいや――――否だ)


 己は砕けない。打ち砕かれない。打ち砕かせない。

 この身を創り給うたというのが人々の営みというのならば――己は、決して、打ち崩されない。

 それは、決して、砕けない。


 人の社会は――――――――壊せない。


『限界も近い……そんな動きよ!』


 ウィルヘルミナの宣誓。

 ああ、そうだろう。

 敵を断つならこの一瞬――最早ここしかない。


 完全なる緩急で敵の一撃を躱し、以って返す刀で敵本体を葬る。

 今この瞬間をおいて己に勝機なし。

 以後は、この超高速の子機の刃が暴れ回る。ここまで隠し玉にしていたそれを制限することなく、ウィルヘルミナは振りかざす。

 まさしく、ここが死線。ここが死地。


『消えなさい、ハンス・グリム・グッドフェロー――!』


 射出された敵の刃。追撃の刃。

 それは途中でプラズマを吐き出し、不可視の剣の流星と雷火の流星として突き出させる。

 こちらの機動方向を絞り、追い立てるようなプラズマの砲撃。その先に躱したところで、いずれこちらを捉えきり首を刎ねるだろう光と実体の二重葬刃。


 まさしく脅威としか呼べず――己は機体を回旋させ、横滑りさせるままに急制動フルブレーキ

 

 エッジブレイク、スライディングターン、クイックバックステップ・アンド・ムーンサルト――……そのいずれにも派生する姿勢のまま、行うのは

 直前の急制動フルブレーキの意味を失うような、あえての、慣性方向に跳ぶ――側方に跳ぶ宙戦機動マニューバ

 その使い手は、それを、単なる機動ミスと呼んだ。本来行うべき機動ではなく、誤って、制動にも関わらずそちら側に吹かしてしまったのだと。

 ある程度の駆動者リンカーであれば知る敵機の姿勢と、その後の急速戦闘機動の方向予測を狂わせるそれは――かつての宙間レースでの使用者の名を取り、こう呼ばれる。


 ――、と。


 至近距離においての敵機方向誤認は、痛烈に作用した。

 最早ここに至っては、彼女のその弾道の即時の修正も叶わない。子機の射線移動も叶わない。

 そのまま全てを振り切るように一直線に最大加速し――突き出すはプラズマブレード。


「こういう使い方も、できる」


 銃鉄色ガンメタルの古狩人が、堕天使を捕捉する。

 その翼を失った【小夜啼鳥ヨリンデ】の機体を、まさに振り向かんとするその胴を、突き上げるように貫いた。

 コックピットが、プラズマの刀身に呑まれる。


 断末魔はない。あっても聞かない。


 注意を向けるべきは、この戦いを静観していた残り八機のアーセナル・コマンドだ。

 戦闘中に横槍を入れようともせず、挙銃の一つも行わなかった彼らに戦闘継続の意思があるのか、ないのか。

 警告は一度と伝えたが、仮に投降の意思を示しているならば――如何にテロリストと言えども殺傷するのは些か非情がすぎるだろう。

 再度呼びかけようとした、その時だった。


 宙を漂う刃の翅。

 それが稼働し――こちらに、その砲口を向けた。

 一直線に放たれるプラズマの砲炎。

 咄嗟に身を撚るも、右腕が撃ち抜かれた。


「……な、に?」


 敵本体は完全に破壊した――間違いなくそのコックピットを貫通し、ウィルヘルミナを絶命させた。

 そうである筈なのに、何故、その武装が未だに稼働するのか。


(……いや、無線制御ならば他機体からも可能か。敵を討つと同時に油断するとは、俺も残心が足りていない)


 即座に意識を切り替える。

 八機のアーセナル・コマンドは、こちらの警戒を解こうとするために敵対行動を停止していたのだろう。

 これで知れた。

 今後は如何なる行動も無視し、当初の警告にて必要な義務は満たしたとして全機を殲滅する。法的にも心理的にも何も問題はない。


 そう――ライフルを構え直す敵機に接近を開始しようとするその時だった。


『私を殺した……と思った? それとも今の一撃は、鉄の男なりの感傷だったのかしら』

「……何故、生きている」

『ふ、ふ――……生きている? いいえ、そもそも、


 粗雑に罅割れた無線音声。

 その言葉とは裏腹に、今、自機に届いている広域通信は八機のいずれかから齎されているものだ。

 放たれる弾丸を回避しつつ、沈黙する。

 ラモーナが伝えてきたウィルヘルミナの能力。


 それに従うなら――そこから類推するならば、これは、


『我が心は、燃え広がる――……私という存在が、私という精神そのものが……』

「……」

『これでもまだ、呪われた力ではないと言える? もう一度、私に向けて言える? 私という弱者に――と、そう言えるのか! 言ってみろ、ハンス・グリム・グッドフェロー――――!』


 


 まさしく焔を灯すように、ウィルヘルミナという少女の持つ人格や精神を他にも燃え広がらせて伝えていく。

 寄生や置換などという生易しいものではない――――だ。

 それはウィルヘルミナであり元の人物であるために、彼女の言葉を吐くと同時にその人物の記憶や能力を残している。

 そして同一の炎であるが故に、それらは互いに通じ合いフィードバックを続ける。


(あの戦闘技能も、或いは……)


 十代の少女が、それも大戦に参加していなかった少女が何故あれほどまでの能力を得ていたのか――。

 メイジーのような汎拡張的人間イグゼンプトということも考えられる。

 しかし、それでもメイジーですらも初めからああも強力な駆動者リンカーであった訳でもなく、あのシンデレラですらも乗りたての頃は自分相手に手も足も出なかった。

 よほどシミュレーターでの経験を積んだものかとも考えたが――――むしろ、他人の経験を奪っていると言うならばよほど頷けることだろう。


『貴方には感謝するわ……私が思ったその通りに貴方は来た。そしてアレを壊滅させた。奴らを惹きつけ、壊滅させた! あの現実から狂いきった男たちを! その夢を! 夢の結晶を! その心を完全に砕き尽くした!』

「……」

『だから――私は私の目的を果たす。本当に貴方は私の役に立ったわ、ハンス・グリム・グッドフェロー』


 その本体である、ウィルヘルミナはどこにいるのか。

 間違いなくここではない戦場で戦っている。

 その戦場の情報もきっと――ラモーナにそうしたように、或いは今まさにそうしているように、どこかから得た上で。


『最上級の駆動者リンカーの動きを、近くで十分に見させて貰ったわ。そこで、私相手に――全く私と同一となった八人の私相手に踊りなさい、鉄のハンス』

「……」

『看取らないことがせめてもの手向けよ。……さようなら。きっと私の――初恋だったわ』


 それきり、通信は切れた。

 ウィルヘルミナと同一の考えを持ったという八機のアーセナル・コマンドは、彼女と同様の言葉を持つのか持たぬのか……。

 いずれにせよ共通しているのは、こちらを加害し打倒しようという意思のみらしい。

 放たれる銃弾とモービッド・オービットの砲撃は、こちらを呑み込みかからんと襲いかかってくる。


 二度と通じぬ言葉を前に、一度目を閉じる――。


「……それでも、俺は、呪われた力とは呼ばないよ」


 例えば他にも、使いみちはあったはずだ。

 鉾に使うのではなく、鉾を止めるために使う。慚愧や悔恨を持たない相手にそれを与え、その自省を促す。或いは己が孤独に震えてしまい言葉では届かなくなってしまった相手に心を届ける。

 そんな行為にも、使えた筈だ。

 それは、善を為せた筈なのだ。


 


「だが――――この行為は、悪行だろう」


 故に――……いや、悪か否かに関わりなく己がすることはただ一つだ。

 相手が善だろうと、悪だろうと。

 少女だろうと、老人だろうと、悪人だろうと、善人だろうと変わらない。

 それが戦場におり、投降勧告に従わず、交戦規定に矛盾や瑕疵が存在しないならば――己が行うのは、常に変わらぬ唯一絶対の行為だ。


 左腕一本になったブレードに光刃が灯る。


 即ち、


「ただ――その一切を、殲滅する」


 ――それだけだ。



 ◇ ◆ ◇



 ガトリングガンの掃射――――無効。

 右の剣銃一体銃の砲撃――――無意味。


 回避機動――振り切れず。

 直線機動――追い越され。

 白兵接近――遊ばれる。


 姿勢制御ガンジリウム循環ワイヤーの力によって、その暗夜の騎士めいた機体が可能とするバトルブーストは、刃閃じみた弧を描く。

 青黒き【角笛帽子ホーニィハット】は第四世代型量産機と呼んでいい性能を誇るというのに、最早、何一つも及んではいなかった。

 予測の付かない機動を前には、カリュードの得意の戦術も有効に作用しない。


 先読みを行うメイジー・ブランシェットのような異能を持たないそれは、ガトリングガンの牽制による敵の回避へと差し込むように行われる銃撃。


 未知の機動を取る【暗夜騎士ダークスレイヤー】を相手には、その戦法も封じられてしまっていた。

 だが――レーダーに新たに表示されてこようとした味方機の信号を前に、カリュードは叫ぶ。


『シンデレラさん……! 俺に構わず、目的を果たせ!』

「でも――」

『君ならできる筈だ! その、正しい判断が!』

「――――っ」


 歯を喰い縛って呻きを噛み殺すようなシンデレラの声を背後に受けながら、敵機へと改めて向かい合う。

 不思議な――……心底不思議な気持ちだった。

 絶望的な機体差とは裏腹に、焦燥も恐怖もカリュードにはなかった。


 あの終戦の日のような、穏やかな……穏やかでどこか寂しい気持ち。

 ただ、それだけがある。

 それしかなく、心には涼やかな風さえ流れているとさえ思えた。


 全てを受け入れて断頭台に向かう受刑者の如き心地のまま、改めて敵機を見た。


 ステルス機のコンセプトで騎士鎧を組み上げたような、暗夜の騎士。

 両手に握ったのは大剣めいて鋭い大型のプラズマライフルであり、これらは即座にプラズマブレードとしても機能する。他に武装は見られない。

 特徴的なのが、その背後から長髪の如く流れた幾条ものワイヤー。これが、その機動をより急戦的で流動的なものに変えている。


(せめて、どこかしらに――……損傷を与えたいが)


 そも、バトルブーストの常識が違い過ぎる。

 急速直線機動だからこそ、今まで目視はできずとも予測は立てられていたのだ。そこに曲線が入るとなれば、敵の機動はまさしく無限に分岐する。

 その意思や、未来でも読めぬ限り――傷を付けることは叶わない。


 左腕のロングレンジライフル。

 右腕の銃砲一体型ブレード。

 左背部のガトリングガン。

 右背部の電磁加速抜刀ブレード。


 この兵器で如何に討ち取るか――そう考えた、瞬間だった。


「合わ、せろ……カリュード――……!」


 半壊の巨大輪を引っ提げた、コックピットが半壊同然の機体――【角笛帽子ホーニィハット】、ライオネル・フォックスの登場。

 死したと思っていた。

 否、遠からず死ぬだろう。だが彼は――来た。


「レオ……!」

「どっ、ちも……中身が出ちまってるんだ……! 喰らいな……《指令コード》――《最大通電オーバーロード》ォォォッ!」


 半壊した車輪から吹き出る銀血と通電が織り成す不可視の圧力が、広域に【暗夜狩人ダークスレイヤー】を攻め立てる。

 しかし、それも、傷を付けることも叶わない。

 触手じみて動く機動補助ワイヤーに裏付けられた不可思議な弧を描く急速機動が、その装甲に襲いかかる全ての攻撃を遠ざける。


 それでも――機動の方向を絞り込めた。

 ガトリングガンを全力で稼働させ、左右の銃撃と共にカリュードも喰らいかかる。


 二機は喰い下がった。

 暗夜の騎士の超常的な戦闘機動に振り回されながらも、それでも二機は喰い下がった。

 持てる弾薬全てで、持てる技術全てで、漆黒の狩人騎士を押し留めた。

 やがて、


「カリュードさん……ライオネルさん……」


 白銀の騎士が、起動する。

 それは――幾重の刃で編まれた騎士鎧だった。

 胴部に重ねられた外接装甲板が、刃めいた鋭さで銀色に波打つ装甲を実現させる。


 背から大きく迫り出した翼じみた三角装甲は、天使の翼と呼ぶにはあまりに無骨過ぎて両刃剣を背負うかの如く。

 戦場において、神々しさも感じるほどの威容。

 繊細な銀細工を施された聖剣か、それともそれの主たる聖騎士か――――ガラスで作られた靴の如き、ともすれば砕けそうにも思えるほどのバランスで成り立った神秘的な工業芸術品。


 銘を――【グラス・レオーネ】。


 シンシア・ガブリエラ・グレイマンが、シンシア・ガブリエラ・グレイマンに向けて設計した唯一無二のアーセナル・コマンドである。

 完全武装までは、間に合わなかった。

 その手に握るのは――巨大な逆三角形に近い大楯と、細身すぎるプラズマ/実体兼用ブレード。


『剣と盾とは……ふ・ふ・ふ、ははははは! なんとも皮肉なものじゃないか……実に楽しみがいがあるというものだよ、姫君! この二人も光栄というものだろう!』


 高笑いと共に、【暗夜狩人ダークスレイヤー】のワイヤーが二機のアーセナル・コマンドを放り投げた。

 いずれも、コックピットに一撃。

 ワイヤーを単なる移動補助に思わせた上で、極至近距離から嘲笑うようにその胴を貫き沈黙させていた。


「……うな」

『うん?』

「人の命を……! 死を、笑うな――――っ!」


 背面バックパックが、高機動加速装置がXの字に展開。磔刑にされた救世主か、怒りを吠える刃天使か――。

 シンデレラの激高に合わせて機体が加速する。

 ことここに至ってそれは、最早、機動と呼ぶのも生易しい。

 一挙手一投足、指の動きに至るまでの全てが斬撃であり――――必殺である。


 漆黒の騎士の放つプラズマの砲撃を、力場を集中させた大楯が薙ぎ払う。

 右の刀身が稼働。

 細身剣の周囲に銀煙が撒かれると同時、それは、力場に圧縮されて纏われた炎の剣に変わる。


「貴方だけは……お前、だけは――――――――ッ!」


 吠える――剣が吼える。炎が吼える。少女が吼える。


 上下左右前後に咲き乱れる剣閃の花。


 シンデレラ・グレイマンにとって、マイナスGは恐れるに値しない。

 コックピット内に発生させた力場の圧力によって自己の血流を操作し、彼女は、人を超えた機動を実現させる。

 しかし――対するラッド・マウスと【暗夜狩人ダークスレイヤー】もまた同様に、への急速戦闘機動によってその全ての斬撃を防ぎ切った。


 それは、空戦力学を超えた――神話の光景か。


 人の身では決して至れない空戦機動。

 人知を超越し、人域を踏破せし剣刃空間。

 幾度と幾度と角度を変えて、花が咲く。花が散る。暗黒の宇宙のその内で、無限の空間の中で、夢幻に等しいほどに切っ先が邂逅する。


 それは、ハンス・グリム・グッドフェローですらも応じられないマニューバたち。


 一部の超越者しか踏み入れない神域。

 人の技術を束ねるだけでも至れない山嶺。

 

 極限の駆動者リンカーと、究極の機体でこそ至れるという戦術芸術の如き剣の渦がそこにはあった。


 やがて、そんな二つの斬撃の嵐も止まる。

 

『……ほう、まさかここまで【暗夜狩人ダークスレイヤー】とやり合えるとは。愉快じゃないか――姫君』

「ふーッ……ふーッ……!」

『余計な言葉は返さない、かね? そこまで師の後を追おうとするとは……あの男も随分と慕われたものだな』


 嘲笑か、侮蔑か、憤怒か。

 そのどれとも知れぬ口調のまま、ラッド・マウスは頬を釣り上げた。

 それに近付く――赤銅色の強襲騎士。

 シンデレラが手を止めたのは、何も疲労ではない。容赦でもない。その男の接近とラッド・マウスの減速が重なったからこそ、彼女も一時的に刃を止めたのだ。


『ボス、悪いがここまでだろう? それにどうやら――不味いことになったらしいぜ。さっきから通信が鳴りっぱなしだ』

『ふ、ついに始まったか』

『……聞かなかったことにしとく。ログはアンタの方で直しといてくれ。【ガラス瓶の魔メルクリウス】ならできるだろ?』


 シンデレラが前にいるのに、既に戦いが終わったかのような口調で話す二機。


「何を……!」


 その声にも、涼しげに両手を広げるように応じられる。

 

『君にも無関係ではない話さ、姫君』

「何がですか……!」

『終わる、ということだよ。全てが――――正されるときが来たのだ。正すべきときが来たのだ。その賽は投げられた』


 実に嬉しげに――全てを仕掛け終えた手品師がその技を見せようとするかのように。

 得意げに頬を吊り上げたラッド・マウスに、シンデレラは歯を喰い縛った。

 何を企もうと、どうあろうと、この男だけはここで討ち果す。確実に撃ち落とす。見逃す理由など、一部とも存在しない。

 敵が機首を翻そうとしたときにも、無論、追撃を行おうとした――――だが。


「っ、待――」

『ほう? まだ、その男たちには息があるが……良いのかね?』

「――!?」


 彼らの機体を指し示す切っ先とその言葉に、一瞬停止してしまう。

 それで、十分だった。


「ぁ、」


 黒き騎士と赤銅色の鬼が、間隙なく飛退いていく。

 推進炎だけを残して――戦場から、失せていた。

 そして……微弱に表示される友軍機からの生命信号を頼りに辿り着いた【角笛帽子ホーニィハット】のコックピットでは、


「あ……あ――……」


 駆動者リンカースーツ姿の、致命傷のカリュード。

 破損したコックピットの一部が変形した大きな破片に、巨大な刃めいたそれに、彼の胴が突き刺さって磔にされている。

 引き抜くこともできなければ、動かすこともできない。

 せめて――せめて、シンデレラの機体のコックピットに連れて行くことができたら、力場の力で如何とでもできるというのに。

 血に濡れた彼の指先が、伸びる。


「……ありがとう、シンデレラさん。あの日々には、俺は、こうなるとは思えなかった……もっと、誰にも知られずに死ぬと思ってたよ……」

「っ、ぅ……待って……カリュードさん、待って……」

「それが、なんというか……――ああ、疑いないもののために戦うというのは、こんなにも晴れ晴れとした……清々しい気持ちに、なれるんだな……」

「駄目……駄目です……! 待って……! 駄目……!」

「ありがとう……君に会えて、本当によかった……」


 震える指先。

 シンデレラのヘルメットのガラスに血で描かれた、場違いに可愛らしいピースマーク。

 カリュードは、そうして、目の前で果てた。


「おー……悪いな小隊長。勝つと思ってたぜ、アンタなら。……わざわざ顔を出させて悪いんだが、モルヒネのせいで、少し眠くなってきちまったわ……」

「しっかり……しっかりしてください……! 船まで……母艦まで連れていきますから! 気をしっかり持って!」

「あー、おう、ごめんな小隊長。……でもまあ、駆動者リンカーにしちゃ随分と、マシ……なんだよ……これは。言い残せる、ことって……あんまり、ねえからな」

「黙って! わたしの機体まで辿り着けば――……!」


 自力で応急処置を済ませたライオネルの顔色も、もう土気色だった。

 内臓の損傷。無理やり医療パッチをされた駆動者リンカースーツは、不自然に膨らんでいた。

 ヘルメットの向こうの浅黒い肌には、脂汗が浮かぶ。

 その表情も頼りなく――シンデレラは、必死に彼の身体を背負いあげた。宇宙でなければとてもできなかっただろう。更に、欠損に伴い一部が機械化された手足の力もあってのものだ。

 だが、


「……わりぃ、姉ちゃん。オレもそっち行くわ」


 背負った彼の身体は、【グラス・レオーネ】に乗り込むよりも先に力を失っていた。

 もう、限界だったのだ。

 どう処置をしても、取り戻せなかったのだ。


 去った。

 何もかも、去っていった。


 彼方に――星の彼方に、敵も味方も、去っていった。


 遠く星雲が蠢く宇宙に――その戦場に残されたのは、シンデレラだけだ。

 星辰がぼやける。星雲が滲む。

 嘲笑うように命を奪い去った敵の方角を見据えて、拳を握る。


「逃げるな……逃げるな――――――っ!」


 乗り込んだコックピットの中で、癇癪のように幾度も振り下ろした拳。何度も何度も叩き付けて、それから蹲る。

 その声に、返される声はない。

 もう、この宙域における生存者は――……シンデレラ・グレイマンただ一人なのだ。

 仲間も、敵も、あの守るべきだった民間人たちも。

 その誰もの命は……永久に失われてしまっていた。


「う、うう、う……あ、ぁ……うううぅぅ――――……」


 そして戦況は、終末に向けて――加速していく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る