第113話 彼方より終局の空へ、或いは戦没者名簿


 それは、猫の声にも似ている。


「ママー、猫ちゃん!」

「んー? どぉれ?」


 人工樹木によって管理される公園内。

 茂みにしゃがみ込んで声をあげた我が子を、その年若い母が覗き込んだ。

 動物の猫そのものというより、デフォルメした猫のホログラムアニメーションを好んでおり、イヤイヤ期を乗り越えた息子の一番の興味対象だ。


 その都市においては、一般的な保護高地都市ハイランドの都市のような、かつてのB7Rの到来に端を発した噴火の灰に備えている都市部を覆う二重防膜シャッターは存在しない。

 そういう主義の人間が多数派であったということもあるし、その地域の土壌の微生物の豊富さの結果、防膜シャッター一層目の強化ガラス水槽内にて育成する遺伝子組み換え藻の光合成だけでは都市酸素補助が追い付かず、閉鎖型都市構造は推奨されないという判断からだった。


 それでも地下の避難用シェルターは充実していたし、また、都市防膜という目印がないことによって、あの大戦の七日間の爆撃は免れた。

 一年半ほどは他の都市への【星の銀貨シュテルンターラー】着弾による粉塵や曇天の影響を受けることにもなったが、恐るべきは地球の環境回復能力というべきか。

 活発化した大気の対流は、あれほどの都市を蒸発させ大地を刳り散らして吹き上がった塵を、既に天蓋から搔き消していた。

 その都市にとって、空は、空だ。ホログラムやスカイスクリーンを意味しない。


 そして――……今回では、それが、仇となった。


『みぃぃぃぃぃい』


 それは、内部の駆動モーターが鳴らす音。

 母親が覗き込んだ先の茂みに居たのは、異形だった。

 手足もなく、目もなく、口もない胴体。

 赤ん坊ほどの大きさの、銀色の繭だった。

 言うなれば、機械の蛆虫だった。


『みぃぃぃぃぃいいいい』


 彼らは、声を上げる。

 彼らは修復装置であり、修繕機能であり、管理人であり、手先であり、奉仕者だ。

 つまりは、ある種の細胞だ。

 その細胞が、求めていた。

 翅をもぎ取られた彼らの主を――治すための手を。

 

『みぃぃぃぃぃぃぃいいいいいい』


 母親が子供を抱き上げて逃げようとするのと、樹上から更に追加の機械が落下するのは同時だった。

 耐衝撃性のあるボディ故に彼女は骨折などの被害を受けることはなく、しかし、背中にのしかかるその重量に地面に突っ伏すことを余儀なくされる。

 そのまま、銀の繭は手足を――手足というには余りにもか細く頼りない銀の触手を展開した。


 ……さて。

 彼らは手を求めている、と言ったが……。

 自律型の機械が、人間の体をジャックすることは可能だろうか?


『みぃぃぃぃいいいいいい』


 答えは――半分はYESであり、半分はNOだ。


 脳を操るほどの機能は、未だ、科学の徒たる自律型AIも持ち得なかった。

 正確に言うならば、把握はしている。

 脳のどの分野が、どの活動で活性化するか。どこに電気を流すと、どのような感情の変化をするか。どんな生理的な効果が現れるか。

 研究の蓄積により、それらは、白日の下になっていた。


 だとしても――真の意味で、それは、実感できない。


 赤を見たときに『どのような赤と色味を感じるか』――より実効的な話をするなら、空気の流れを受けたときに『どのように感じて』『何を思い』『どう判断しているのか』までは判断もできず有効に活用できない。

 それは、如何に外部から――ときには内部から脳内の電気信号を認知できても、理解の及ばぬところだった。

 生体電流が如何にして意識やそれに連なるネットワークを構成しているのか、一定の再現はできたとしても完全に望んだ形とはならない。

 結果として、そのまま脳という器官を管制や制御のために利用することは、叶わないことだった。


 故に――壊した。


 それらの生命体の音声収集用の器官から銀の触手を刺し入れることで、情報集積器官/運動制御器官に至り、それらの活動を破壊する。

 破壊し、完全に無力化する。

 二体の、大と小の稼働物は芝生に崩れ落ちた。

 それで――構わなかった。生体というのは、電気刺激で稼働する。制御に手間がかかる器官は、壊してしまっていいのだ。


『みぃぃぃぃい――――みぃぃぃぃぃい――――』


 さて、二問目だ。


 外部から電気を流すことで脳を介さない筋肉の稼働というのは可能である。

 では、外から電撃を流すことで、機械が死体を歩行させることは可能だろうか?


 この答えも――半分はYESであり、半分はNOだ。


 既に多くのロボット研究や歩行研究により、二足歩行時の最適な重心変化や姿勢変化については研究済みだ。

 ロボットのみを集めた企業対抗のオリンピック種目が出来上がる程度に、人間の運動についての知識と経験は蓄積されている。

 しかしながら――それは規格が統一された機械においての話。


 人間は個々に筋肉量が違い、脂肪というデッドウェイトが違い、骨格の僅かな癖も違う。

 パターンが豊富であり、悪く言えば雑多なバラつきがあり、これに対応したソフトウェアを搭載することは極めて非効率的だった。

 故に、彼らは、構わない。歩かない。歩かせない。


 


 後背部から胴に管を突き刺し、体軸の中心に位置する生体ポンプ部へと電撃を流す。

 こうすれば体液の循環が起こるとも彼らは知っていた。

 目的の生体マニュピュレーターも、しばらく、機能不全を起こさなくなる。


 後は、運ぶだけだ。


 それは傍から見れば、仰向けに動いていく人の群れだ。

 意識の完全喪失に伴って誰も彼もが首を支える力を失い、歯を食い縛る力を失い、口を閉じることもできずにだらりと口を開けて。

 何かに祈るように、捧げるように、大切なそのマニュピュレーター部だけは引きずることなく天空に伸ばす。


 市街地をそれらが幾十、幾百、幾千と進んでいく。

 仰向けに進んでいく。

 矮小な蟻に運ばれる獲物の昆虫めいて、遠方のある一点目指して集まっていく。


 電波が彼らを呼ぶのではない。

 本体と子機の間に、通信は確立していない。

 そうしたら最後、奪われると知っていたから。

 彼らは後を追う。鱗粉を。銀の鱗粉を。電波を極めて吸収するその固体を自身のセンサーで補足し、それが濃い方へと寄っていく。


 途中、何度か、間違えた。


 かつての大戦で土壌に堆積したそれや、胴から茎を生やしたように散布管を展開した人型工作機械の周りに集まってしまった。

 やがて、それらに修理箇所がないことに気付いて、天へと腕を伸ばす仰向けの死者の群れはまた離れていく。


『みぃぃぃぃい――――みぃぃぃぃぃい――――』


 自己再生能力を有するアーク・フォートレスといえども、何も、装甲そのものが新陳代謝を行う訳ではない。

 対一〇〇〇〇〇機ハンドレッドサウザンド・オーバーのアーク・フォートレス【麦の穂ゴッドブレス】の再生の絡繰りは、全て彼らの存在によるものだった。

 無数の子機――それによる材料の収集と修繕。


 それもその役目は、撃墜されてから生まれたものだ。


 地球への投下の最中に――神域の射手に撃ち抜かれた胴体。

 その断末魔の叫びの中、破滅に至る失墜の中、電気のスパークが彼ら自律型装弾補助工作機械の存在証明レゾンデートルを書き換えた。

 本来は持ち得ぬその機能。撃墜の瞬間まで存在しなかった存続本能。弾着と共に本体を駆け巡った流体による破壊的衝撃の中で、実に天文学的な奇跡的確率で生き残った一機が、新たな指令のままに同族たちを作り変えた。


 神の御技にして、神ならぬヘイゼル・ホーリーホックには知り得ない完全破壊からの復帰。


 或いはそれを指して、生きとし生けんのするものの自己進化能力――と呼ぶのかもしれない。


 そして今また彼らは、その主の致命的な損壊を前に空中から投下されていた。

 その支配領域において――散布されたガンジリウムによる急性中毒を起こして痙攣する数多のたちを回収し、利用する。の無駄のない再利用を行う。

 そんな有用性。

 それを果たすべき、満身創痍で天空を航行する主の後を小鳥の雛のように追いかけ――

 

敵目標ターゲット視認完了インサイト。ブルーランプ――戦闘開始エンゲージ


 毅然とした少年の、そんな通信が主への断罪を告げた。



 超高速の加速度が、ハロルドの腹の傷を引き攣らせる。

 銃創がそう簡単に癒える筈がない。それも合わせての謹慎処分であったが――彼とて兵士だ。要請があったなら、応じる他ない。

 駆動者リンカースーツによる圧迫と、脊椎接続アーセナルリンクを利用した脳内麻薬の分泌により、そんな状態でも戦闘は可能だ。


 ハロルド・フレデリック・ブルーランプ。

 フレデリック・ハロルド・ブルーランプ。


 その双子の兄弟で共通の設計を持つ専用機体【ブルーランプ】の設計理念は単純だ。

 

 その身全てが武器であり、即ちは一振りの剣であった。


 それは比喩ではなく――文字通りに。


衛星軌道都市サテライトのクズ共め――そうまでして戦争を続けたいか。こうまでして、殺し尽くしたいか……血塗られた狂人共が。僕に、お前たちへの怒りがないと思うな……!)


 機体の有する外部装甲を極端に削りきって軽量化を果たした、骨組みの鳥めいた細身。

 しかし、肩部や脚部の一部には蒼銀の鬼火じみた装甲が残り――何より特徴的なのは、その両腕。

 機体の表面積の大半を占める装甲付きの前腕は、地獄の鬼火を大剣として冷やし固めたような両腕は、電磁接続によって機体前面で矢尻の如く合一する。


 骨組みは――何も、軽量化を見込んだだけではない。

 胴を収納し、足を収納し、頭部を収納した【ブルーランプ】は不等辺の巨大な菱形を形成する。

 並の機体を超える流体ガンジリウムが貯蔵された両腕に全てを任せる。


 ああ、さながら、空飛ぶ鬼火の鋭剣だろうか。


 そして――


Pallida Mors青褪めた死は aequo pulsat pede等しい足で蹴り叩く pauperum tabernas貧者の小屋であろうとも regumque turris王者の館であろうとも――――hic mors est死はここにあり.」


 音声認証コードによる管制AIの権限承認。

 その一言で、ハロルドは、剣と化した。


 人体を大きく外れるものに対して、脊椎接続アーセナルリンクは十全には行えない。


 これは、そんな常識を塗り替えるための言葉だった。

 機体が如何なる状態であろうとも常に十全に戦闘が可能である――という汎拡張的人間イグゼンプトの能力はつまり、と拡張することも可能である。

 本来ならば、接続率の高まりによって人を外れるものとの合一が難しくなり――汎拡張的人間イグゼンプトは接続率の高さの極点と言い換えても良いというのに、その矛盾。

 それでも、究極的な領域においての汎拡張的人間イグゼンプトとは、そういうものだ。


 汎拡張的人間イグゼンプトの行き着く果てが、人の身のままに人と外れたものとまで接続を可能とする素質であるというなら――黒衣の狩人ブラックハンターは、人である自意識を削り取ることによってその領域への踏破を行おうとする在り方である。


 接続率――【九十三%】【九十四%】【九十六%】【九十七%】【九十八%】――――。


 塗り替えられるその割合は、ハロルドと機体の合一を示すもの。

 合一――したのだ。最早、人の形状から大きく外れていくその機体とも。

 先程まで心を埋め尽くしていた怒りが切り離される。痛みが切り離される。直近の記憶の中の光景と、情動が切り離される。


 剣には、不要だ。


 思い出にある景色と、人物と、交流と――己の中の印象が次々と切り離されていく。

 情報として認知しても、感情としては認識しない。

 剣には不要だ。そんなものは、無機物には、存在しないのだ。

 直近の記憶から、任務の目的や推移以外が消去されていく。記憶を、効率性の名の下に仕分けしていく。


 湖面じみた内面に己を沈めていく――――の


 空虚だ。空虚に近付けていく。いいや、

 遥か宇宙の銀河団をその外膜においた内側の超空洞のように、その大いなる泡の内側の虚しさように、それらが爆発的に膨張して外装を弾き飛ばすように、人間性と仮称されるのあちらへと旅立っていく――加速度に乗り切れない余分を振り落として。

 最終認証コードとは、それだ。


 常に自己と同一として脳に飼ってきた管制人格から、強制的に人間性を消し飛ばす。

 必要な機能のみを持った仮想人格に己の機体制御の全てを行わせ――やがてその管制人格との鏡合わせにより、己をも戦闘に対して最適化させる。


 灰の空に、大きな――余りにも大きな弧を描く【ブルーランプ】が突撃する。


 空気抗力と断熱圧縮が、その機体を焔へと変えた。

 青白き――光剣。

 圧力によりプラズマ化したそれらを力場の尖衝角ラムバウにて押し退け、燃える炎の剣が――衝撃波を置き去りに吶喊する。


『r――――z_____N\______/\/\/\__』


 まずは一撃。

 衝突する互いの力場が透明の波として大気を揺らし、轟音と炎熱が発露する。

 アーク・フォートレス――【麦の穂ゴッドブレス】の巨体が揺らいだ。


 その巨大な力場を全て指向して、かろうじて【ブルーランプ】の一閃を凌ぎ切った。

 しかし、最早片翼のみとなった機体にてそれを行うことは、浮遊力の喪失を意味した。

 そこへ打ち込まれる――二撃目。


 三撃、四撃、五撃と、大空を旋回する光の剣が落下に向かうその巨体を叩きのめす。

 それはアーク・フォートレスをして断末魔を上げるには十分な劣勢であり、同時、【ブルーランプ】もまたある意味では劣勢だった。

 本来なら――本来ならば。まさに防ぎ止めることも叶わず、ただの一撃にて両断が叶っていた。数撃も必要ない。


 それが、設計理念だ。存在価値だ。


 だが、できなかった――――駆動者リンカーへの影響を懸念して。遠心力と加速度によるその小柄な肉体への影響の回避を行ってしまったが故に。

 残りの接続率の壁。

 人として残った余分。呼び声。生物の本能の警鐘。


 それでも最大出力――接触と同時にジェネレーター出力を振り絞った力場の大刃が、【麦の穂ゴッドブレス】の大いなる蝶の翅を貫く。

 自力飛行の術は、奪われる。

 そして、同時、


「報いを受けろ。――の手で、葬られるがいい」


 仮想管制人格から自己を取り戻したハロルドが、脂汗に塗れたままそう告げる。

 それで――終わりだった。

 旋回する蒼銀の【ブルーランプ】が、超高速で戦域の離脱を開始する。


『――――z_____N\______/\/\/\__』


 その存在が言葉を介したら、なんと言っただろう。


 ――――――弾着。


 着弾の衝撃波が、大気を球形に迸る。

 天から振り下ろされし輝槍――――実に音速の六六.六倍で殺到した神殺しの杭は、ただその落下速の余波で周囲の大気を数千度以上に熱し、衝突の破壊力がプラズマを形成するほどの熱エネルギーに変換された。

 その運動エネルギーが核爆弾を超える破壊を引き起こす超高高度爆撃兵器【星の銀貨シュテルンターラー】。


 その兵器が初めて使用されたときは、その質量にて破壊力を引き上げた。

 衛星軌道からの突入のための減速装置と、そして空力加熱による高温に持ち堪えるために肥大化させた弾体を有した破壊兵器。

 核兵器ではなくそれらが用いられたのは、宇宙空間での阻止や迎撃を考え――極めてそれらが行われ難い高重量質量弾を用いるのが効果的とされた面と、宇宙空間での核兵器の炸裂は有大気下に比して破壊力が劣るという面の両面である。


 だが、その質量が、つまりは豊富なガンジリウムがアーセナル・コマンドという対抗神話の形成に繋がった。


 故に新たなる神の杖は、速力にて破壊力を確保する。

 アーセナル・コマンドとそう変わらぬ全長と、縦横比にして二十:一ほどの直径を持つ流線型の白色固体。

 質量は以前に主要都市に打ち込まれた七発の超戦略的破壊弾頭の約八千分の一ほどであり、通常型戦術級弾頭の約十分の一だが――――それでもかつての通常弾頭同様にTNT換算にして十八キロトンの破壊力を持つ、ヒロシマ型核爆弾を超える大量破壊兵器。


『――――z_____Ñ\______ _ _ __ _ _ 』


 遥か天空から【雪衣の白肌リヒルディス】の投じた【星の銀貨シュテルンターラー】は、【麦の穂ゴッドブレス】の瀕死同然の――しかしそれでも尚も豊富な力場の加護を貫き、その船体を叩きのめした。

 だが――……耐えた。

 一撃は、耐えた。

 その片翼を完全に剥ぎ取られ、無惨に地を這う芋虫同然に大地に叩きつけられながらも、それは、耐えた。


 


 質量の減少に伴って、その【星の銀貨シュテルンターラー】には改良が施されていた。

 即ちは――空力加熱対策。

 第一段階として、投じられた神の杖は空力加熱によりやがて液状化し、それが故に条件を満たす。

 『流体状態にて一定周波数の電力をかけられること』による力場の発現。

 内蔵されたジェネレーターと制御装置によって形成された力場が飛翔体を覆い尽くし、大気との衝突により熱へと変換されて失われてしまう運動エネルギーを逃がすことなく――数百トンの質量を、プラズマとして叩き付ける大規模破壊兵器である。


 それは攻撃であり、言うまでもなく迎撃に対する防御の力場であり、そして弾体の加速装置であると共にある種の拘束装置にして制御装置だ。


 故に――弾着後、そのプラズマは解き放たれる。

 本来なら大気との衝突によって損なわれてしまうエネルギーが、全て、その破壊目標の内部にて指向性を以って炸裂する。

 地を抉る方向に吹き出したプラズマが、そのプラズマによりマグマにまで熱せられた岩盤が、膨張する蒸気圧と激しい粉塵の噴出が、地に付した【麦の穂ゴッドブレス】を縦方向に叩きのめす。


 翼は引きちぎられた。

 胴体は上下に分断され、踏み潰された蝶の外殻のように砕けて中身を撒き散らした。


『――――z_____ _ _ _ _______ _ ___』


 その存在が言葉を介したら、なんと言っただろう。

 

 僅かによじって、天へと手を伸ばそうと千切れた翼を動かす。

 それでも、飛べない。

 かつてそれを青き星に墜とした継母は、今は【麦の穂ゴッドブレス】を葬ろうとしていた。


 そして――――――二発目。


 より大型な、かつての通常型戦術級弾頭を使用した超高高度爆撃。

 それは一撃目による上昇気流に含まれる土砂と衝突し、その力場を喪失――結果、空中にてより強力なプラズマが解き放たれた。

 TNT換算にして実に百八十キロトンの爆撃。


 放たれる熱線と超音速の暴風は周囲の構造物を跡形もなく粉砕し、残るのは、キノコの如く膨らんでいく対流雲のみ。


 あとには、雨が降るだけだ。


 銀色の――……雨が。




 その銘を、【雪衣の白肌リヒルディス】。


 かつての超戦略級弾頭を使用した場合、TNT火薬に相当させて百四十五メガトンの破壊を引き起こす――。

 それはこれまで人類が作り出したあらゆる核兵器を超越し、ツングースカ大爆発という天体衝突のエネルギーをもあまりに容易く凌駕する破壊力。

 そして、これに留まらない。


 神の杖の運搬や、アーク・フォートレスのプラットフォームとしての移動運搬能力を有するが――


 兵器としての破壊力という意味では、衛星軌道上を周回させるということはむしろその低下を意味する。

 軌道周回可能な速度では大気圏の突入は叶わない。地球重力による落下のためにはそこからの減速が求められ、破壊力を求めるのであれば一度の減速の後に再度加速する必要がある。

 


 そして地球衛星軌道では、大地からの弾道ミサイルを改造したミサイルによる破壊や迎撃も予期される。

 そこに留まるということがある種のリスクでしかなく、また超戦略級弾頭などの三百メートルを超える弾体などではどう足掻いても捕捉や察知が行われる。

 


 天体衝突が何故、それほどの破壊力を持つのだろうか。


 それは、衝突する小惑星そのものが運動しているから。

 軌道周回からの自由落下ではなく、そもそもが一定の速度と運動エネルギーを保持して宇宙空間を飛翔した上で地球の公転軌道と重なり、重力に誘引されて衝突する。

 だからこそそれはあまりに速く、凄まじい。


 ならば、


 衛星軌道都市サテライト本国から地球公転軌道上へと弾体を投射。

 それを、地上目掛けて最終誘導する。

 その誘導役にして牽引役。アーク・フォートレスという大型の機体が保持する力場と、その力場を細く引き伸ばした釣り糸めいた不可視の触手によって弾体を引き寄せ、天体衝突を意図的に引き起こす。


 まさしく、滅びを与える


 天体衝突誘引型・衛星軌道戦略爆撃兵器――――それこそが、【雪衣の白肌リヒルディス】。


 かつて、マーガレット・ワイズマンによって破壊された筈の――対一〇〇〇〇〇機ハンドレッドサウザンド・オーバーのアーク・フォートレスである。



 そして――――



 ◇ ◆ ◇



 ぶぅん、と音を立てて。


 赤銅色の強襲騎士を従えて、完全なる静寂満ちたる暗黒の宇宙を航行する暗夜騎士のコックピットの内部に浮かび上がった人物ホログラム。

 固体状態のガンジリウムを思わせる色調のどこまでも白きその姿は、背中に翼がないことを除けばあたかも天の使いめいていた。

 ラッド・マウス大佐の――協力者。


『やあ、僕だよ』

「ほう。……その分では、十分な動きがあったかね?」


 そんな少女を目の当たりにしても慌てた様子一つ見せないラッド・マウス大佐は、おもむろに頬を吊り上げる。


『そうだね。例の狼くんが、【雪衣の白肌ママン】を捕捉したみたいだ。それであの、何とか中尉くんと令嬢ちゃん――って言っても君には伝わらないか――も集まって戦闘になった。ふふ、彼らにとっては最終決戦のつもりじゃないかな?』

「ヘンリー・アイアンリング中尉だ、竜の君よ」

『そうだったそうだった。……まあいいや、ありがとう。これで契約通りだね。【雪衣の白肌ママン】が動き出せば【雪白の姫君ぼく】の方もようやく地球に帰って来られるよ』


 全機の完成こそは間に合わなかった衛星軌道都市サテライトであったが、決して、無策だった訳ではない。

 アーク・フォートレス一機の起動に連続した起動。

 そのいずれかが不発の場合においても、【雪衣の白肌リヒルディス】のような天体誘引装置によって宇宙空間を航行するアーク・フォートレスは

 今回、撃ち落とされ破損していた筈の【麦の穂ゴッドブレス】が全機の起動の引き金になったことは彼らの予測を超えていただろうが――――概ねは、本国降伏後の報復措置として計画されていたものの範疇に入ると言っても良いだろう。


「喜びいただけたようで何よりだが……その割には、余り機嫌が良さそうではなさそうに見えるがね」

『うん? ああ、そっか。不機嫌――って、こういうのを言うのかな? いや、これだから陰気で箱入りなのは困るなあって。あんなの、初めてだけじゃないか。それなのに「ますたー」「ますたー」って……いくら彼に呼びかけても通じる訳がないのに。……判ってないなあ』

「ふ、ふ……より上位の破壊者と誤解した――か」

『本当に、眷属風情が随分と思い上がって……そういう君はなんだか機嫌が良さそうだね?』


 そう伺った少女だったが、


「何、普段通りだとも」

『そうかい? ふぅん? ……それにしても君は、随分と必死にやるね』


 一瞥する少女の視線の先では、戦闘に応じて展開した彼の装備がパイロットシートの周辺を埋め尽くしていた。


 ヘルメットと首関節を完全に固定するパワードスーツめいた対加速度装備。

 シートの背後と上部には、輸血パックじみた血液タンク――戦闘用の高効率酸素運搬人工血液が満ちた容器が連なっており、そこから伸びた管によって縦Gのプラスに応じては体内流入、マイナスに応じては体外流出するような自動弁が設けられている。

 更にはそのヘルメット内部――どころか、頭脳や視神経の内部にホログラム投射装置が組み込まれており、頭部を動かさずとも機体周囲の状況の把握が可能となっている。

 推進の方向を司る筈の操縦桿は手首と固定されており、彼のその指先に嵌められた無数の指輪はホログラムグリッド線上にて動作を読み取られ、それが機体の背部ワイヤーに呼応する。


 天才が、唯一持たない才覚を補うための流血の努力。

 機械と、肉体と、科学技術の歪な合一キメラ

 余人がそれを見れば、狂気と呼んだろう。


 だが、


「……及ばぬと言うなら、及ばせるだけのことなのだよ」

「ふぅん?」

 

 怜悧な微笑で返されれば、白き少女は特にそれ以上を続けることもなく終わった。


『それにしても、狼くんも気付かなかっただろうね。まさか弾体コンテナと本体が切り離されてたなんて……特徴的なそこから探しても見付けられない訳だよ。いやあ、君たちは随分と色々考えるね』

「あれほどの質量体は除去も難しければ、地球へ落下させての対処も難しい。今や、弾はどこにでもあるのだよ」


 秘匿衛星として成立させるためには、当然衛星自体にも隠蔽が行われてはいるものの――一番は弾体の非保持だ。

 かつての戦訓から衛星軌道での活動というのは著しく制限されており、遠方からの監視はさておき、至近距離での捜索というのは極めて難しい作業となっていた。

 それが今日まで、人類殲滅の儀式の秘匿を保ち続けた。


『んー……でも弾もなかったっていうと、じゃあ、あっちは今は何を抱えてるんだい?』

「【ガラス瓶の魔メルクリウス】だよ、竜の君。……構わないのかね?」


 微笑と共に伺ったラッド・マウス大佐へ、


『ああ、うん。じゃあ、ハリボテってことだろう?』

「そうとも言えるのかな?」

『そうとしか呼べないさ。だって――【ガラス瓶の魔ぼく】はここにいて、【B7Rぼく】はあそこにいるんだから。……銀の鍵が失われたただの扉に、何か意味はあるのかい? 扉に、真理はないだろう?』

「……ふ。そう思ったから、お偉方もあそこに置いたのだろう。或いは、その鍵をいつか作れると夢見て……か」

『ふぅん? できるかできないかで言えばどうなるかは判らないけど――……うーん、ま、現状でも弾道計算程度には使えるだろうからね。案外、それだけなのかも』


 ふよふよとコックピットを漂っていた白き少女は、それから居を正して――両手を広げて、笑った。

 それが、何と荘厳であることか。

 何と神々しいものか。

 一枚の宗教画めいた姿は、彼女を紛れもない上位者として知らせるには十分であった。


『さて――――ラッド・マウス大佐。君は、僕との契約を満たした。見事に僕の仮初の身体を呼び戻した。自由に動ける僕を引き渡した』


 群にして個、個にして群の超越者。

 生けずとも生き、生きとも生けぬ異端者。

 彼方より語られる伝承の竜の如く、それは、災禍と財宝の到来を意味する来訪者の似姿である。


『感謝するよ。つまらない仕事でいくらか協力はしたけれど、今ここで、僕に頼みたい何かはあるかい?』


 意思であり器物であり触覚であり頭脳であり端末であり本体である――そんな重ね合わせの彼女からの申し出へ、ラッド・マウス大佐は首を振り返した。


「いや、存在しないとも。……我々は、我々の手を超えたものを扱う気はない。それこそが全ての過ちを生んだのだよ。私は、それを正すのだ」

『ふぅん? 僕一人居れば、君たち黒衣の狩人ブラックハンターなんて要らないんだけど――……うん、まあいいや。それじゃあ、当初の通りに行こうか。これで契約関係は終わりだ。僕は僕で、君は君で動こうじゃないか。……ふふっ、まあ、どうなってもまた会えるさ』

「……ふ、ふ。それはご遠慮願いたいところだがね」

『うん? でも、を知りもしない君たちじゃあ無理だろう? それに皆、僕の血を受けてるんだからね。僕は僕だよ? 僕たちも、僕だ』

「……」


 僅かに忌々しげに眉を顰めたラッド・マウス大佐に気付かず――或いは既に眼中になく。

 恋する白き乙女は宙を漂いながら、その頬を染める。


『ああ――……愉しみだなあ。愉しみだなあ。会いたかった……ずっとずっと会いたかった。ふふっ、待たせ過ぎてごめんね? やっと僕は僕として、キミに会いにいける』


 その言葉は、届かない。

 だけれども、彼女には関係がない。

 そんな現実は――彼女にとっては、何ら意味を持たない単なる時間軸上の通過点にしか過ぎないのだから。


『そうだろう? なんかじゃなくて、ただその意思一つで一つの機能に至ろうとするキミ。この世を黒く焼き尽くすだけのキミ。唯一の性能だけを磨き上げるキミ』


 意味があるのは、出会いだけだ。

 いずれ出会うということは、既に出会ったということであり、つまりは今出会っていることに等しい。

 いつかの彼方は、今のここと、彼女にとっては同値なのだから。


『ああ――――……会いたかったよ、僕と同じで異なる! 極光の旅人! この星で見付けた、僕の唯一の――僕だけの王子様!』


 暗黒の宇宙に輝ける青き星で出会った伴侶。

 唯一無二にして、完全間逆なその在り方。

 個に属する群と、徹底した個――――運命なのだ。この世界における彼女の理解者は、彼しかいない。

 故に、


『再会は近いよ。やっとが得られると思えば、待ち遠しい――――そうだろう、ねえ?』


 その笑みは、全てを溶かす笑みだ。

 全てを溶かし、捧げて、積み上げて、そして焼き尽くす笑みだ。

 白き少女は、


?』


 彼女は、そう言った。



 ◇ ◆ ◇



 空中浮游都市ステーションでの最新鋭機体の強奪に端を発した戦闘で、今日までの被害状況は以下となる。

 


 【衛士にして王ドロッセルバールト】――宇宙方面支部、壊滅。


 第十三位:アイク・“スクリーム”・クリーム――エコー・シュミット少尉により撃墜。死亡。



 【蜜蜂の女王ビーシーズ】――アンドレアス・シューメーカー大佐以下、乗艦撃沈。乗員全員死亡。


 第十九位:ハインケル・“サジタリウス”・マッキンリー――――ラッド・マウス大佐により撃墜。死亡。


 第十七位:フレディ・“ピュトーン”・オールドマン――――シンデレラ・グレイマン准尉により撃墜。死亡。


 第十六位:キリエ・“エレイソン”・クロスロード――――ハンス・グリム・グッドフェロー大尉により撃墜。死亡。


 第十三位:ジョン・“ドールマスター”・ヘムズワース――ハンス・グリム・グッドフェロー大尉により母艦ごと撃墜。死亡。



 【フィッチャーの鳥】――宇宙方面第一艦隊:トニトルス級巡洋母艦一番艦『トニトルス』、トニトルス級巡洋母艦三番艦『テンペスタス』消失。

 上記乗組員:各二〇〇〇名強、全員戦死。

 懲役民間人:三〇名、全員戦死。


  航空母戦艦キングストン級四番艦『アトム・ハート・マザー』、撃沈。

 上記乗組員:三一〇〇名強、全員死亡。


  航空母戦艦キングストン級六番艦『エイシズ・ハイアー』、撃沈。

 上記乗組員:三一〇〇名強、全員戦死。


 駆動者リンカー:フィア・ムラマサ――――ハンス・グリム・グッドフェロー大尉により撃墜。死亡。



 【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】――宇宙巡洋母艦ドラゴン・フォース級三番艦アングラー、轟沈。

 上記乗組員:一二〇〇名強、全員死亡。


 第二十位:ライオネル・“ザ・バッカニア”・フォックス――――ラッド・マウス大佐により撃墜。死亡。


 第十八位:ハンク・“ザ・バンク”・スタンレー――――ヘンリー・アイアンリング特務中尉により撃墜。死亡。


 第十二位:カリュード・“ハンター”・カインハースト――――ラッド・マウス大佐により撃墜。死亡。



 アーク・フォートレス【麦の穂ゴッドブレス】――完全破壊。


 アーク・フォートレス【音楽隊ブレーメン】――完全破壊。


 アーク・フォートレス【腕無しの少女シルバーアーム】――完全破壊。



 第五位:ユーレ・グライフ――――消息不明。


 第四位:ロビン・ダンスフィード――――消息不明。


 第一位:メイジー・ブランシェット――――戦死。




 残存する特記戦力は、以下。



 灰色狼グレイウルフ――マクシミリアン・ウルヴス・グレイコート。

 黒衣の姫君シンダー・エラ――シンデレラ・グレイマン。

 炎髪の女帝レッドクイーン――ウィルヘルミナ・テーラー。



 第一号の強襲手オーガ・ザ・ストーム――エディス・ゴールズヘア。

 第二号の葬送手エコー・ザ・レクイエム――エコー・シュミット。

 第三号の殲滅手ルースター・ザ・スローター――サム・トールマン。

 第四号の迫撃手ソーサレス・ジ・アーテリー――ゲルトルート・ブラック。

 第五号の破城手ブルーランプ・ザ・ブレード――ハロルド・フレデリック・ブルーランプ&フレデリック・ハロルド・ブルーランプ。

 第六号の撹乱手ラビット・ザ・タービュランス――ライラック・ラモーナ・ラビット。

 第七号の突撃手アイアンリング・ジ・アサルト――ヘンリー・アイアンリング。



 第六位の擲炎者ダブルオーシックス――アシュレイ・アイアンストーブ。


 第七位の千両役者ダブルオーセブン――マグダレナ・ブレンネッセル。


 第八位の潜伏者ダブルオーエイト――ヘイゼル・ホーリーホック。


 第九位の破壊者ダブルオーナイン――ハンス・グリム・グッドフェロー。

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